オーバーロード ~破滅の少女~   作:タッパ・タッパ

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第52話 帝都の策動

「ええっと、大丈夫?」

 

 美しい銀髪の少女が顔を覗き込んでくる。

 こちらを心配するような表情を浮かべるその顔に、こくりとうなづいた。

 

「少し落ち着いた。ありがとう」

 

 そう礼を言った。

 そうして、彼女たちが用意してくれた食事を口にする。

 アルシェはほぼ丸一日、何も口にしていなかった。すきっ腹に、彼女たちが用意してくれた冷製スープのような不思議な食事はもたれることなく溜まっていく。

 

 

 スプーンでスープを口に運びながら、それにしてもここはどこなんだろうとアルシェは考えた。

 今、アルシェ並びにベルとマルムヴィストら3人がいるのは冒険者の宿にも似ているが、それよりは高級そうで設備も整えられた一室である。その辺の調度品はしっかりしている。その割には、アルシェの知る、貴族の泊まる宿のように生活に必要なこまごまとした物は備えられていない。

 こんな感じの宿もあるんだなぁ、とアルシェが呑気に考えているここはどこかというと、宿は宿でもいわゆる連れ込み宿というヤツである。

 

 

 

 少し前、歓楽街を歩いていたアルシェは、疲労によりふらついて倒れた拍子にベルのお供をしていたマルムヴィストの足元に倒れ込み、その足に蹴られる事となってしまった。

 

 通りのど真ん中、公衆の面前である。

 それは非常に人目につくこととなった。通りを歩く人間が誰もが彼女らの事をじろじろと見ていった。

 このまま倒れた彼女を放っておいて下手をしたら、衛兵まで呼ばれる事態となるかもしれない。

 それを危惧したベルたちは、アルシェを助け起こし、とりあえず休めるところと思いその辺の、少々高級な客層を狙った連れ込み宿へと運んだのだ。

 

 アルシェにそういう経験や知識が無かったのは幸いだった。

 もし、自分がいるところがそういう行為をすることが目的の場所だと分かったら、見知らぬ男性の他に美しい少女も同席しているとはいえ、混乱して大騒ぎする羽目になったであろうことは想像に難くない。

 

 

「えーと……それであなたたちは一体……? なんで、子供連れであんな歓楽街にいたの?」

 

 アルシェが尋ねる。

 それに何と答えようかベルたちは戸惑った。

 素直に自分たちは裏社会の人間だと言っていいのだろうか? それにあそこにいた理由と言われても……。

 

 2人は言葉を濁した。

 

 

 

 ベルとマルムヴィストがあの場所、いかがわしい店が立ち並ぶ歓楽街にいたのには、明確な理由がある。

 

 それは、ベルとマルムヴィストはいかがわしい店に行こうとしていたからである。

 

 

 

 ベルはここ数日うんざりとした日々を送っていた。

 

 ベルがこの街に来た本当の目的はただの観光旅行であり、さらなる版図拡大のために帝都でコネクションを作るというのはただの口実でしかなく、その辺は一緒に来たマルムヴィストとエドストレームに丸投げでいいやと思っていたのである。

 

 だが、いきなりベルの目論見は外れる事となった。

 初日にホテルのエントランスで起きたちょっとした騒動によって、首尾よくマルムヴィストの名前を出すことが出来、その時点で予定していた手順は一足飛びに達成してしまえた。

 最初にやるべきこととして考えていた、自分たちがここに来ていることを示すことが出来た。

 後は何もせずとも噂は流れるだろうから、てきとうに2人を連れてあちこち回っているうちに憶測が憶測を呼び、あれこれ勝手に話は膨らんでいくはず。そして本当にこちらと手を組みたいと思う者達ならば、後でエ・ランテルまで足を運んでくるだろう。

 だから、今回は顔見せ程度で、それなりに接触してくる連中にちょっと対応する程度で十分、と考えていたのだ。

 

 

 しかし、ベルが考えていた以上に、マルムヴィストの名は国外でもビッグネームだったらしい。

 

 

 彼女らが宿泊しているホテルの部屋にはひっきりなしに顔を繋ぎたいと考える来客が訪れ、その間、あくまでボスとしての身分を隠しているベルは、お人形よろしくおとなしく座っているしかなかった。

 せめて、もう少し多くの人間を連れてきていればよかったのだが、あくまで今後の為の下準備として少し噂を流す程度としか考えていなかったために、少人数で来ていたのも裏目に出た。もし、多数の人間がいたら、来客の対応はそちらに任せ、ベルは適当なお供と一緒に街をぶらつけたであろう。

 だが、人がいない現状で来客の対応をするのに、まさかこちらが当のマルムヴィスト1人で相手をするわけにもいかない。エドストレームもまだ名前は名乗っていないものの、その姿からもしやと正体がばれかけており、そうなるとメイドであるソリュシャンがあれこれ対応することになる。ザックは論外であった。

 必然的にベルのお供が出来る者はいなくなってしまう。

 そして一人で外をぶらつくのは当然ながら禁止されているために、ベルは何もすることもないのに、ただホテルの一室で座っているしかなかった。

 

 

 

 そんな状況にうんざりとしていたさなか、千載一遇のタイミングが訪れた。

 

 あまりに来客が多く、その際に同席することになるベルの服や装飾品が少なすぎると考えたソリュシャンが買い物に出かけることにしたのだ。

 ベルの普段の服装は男物しかなく、今着ている少女らしい服装は、普通のお嬢様として帝都に行くためにエ・ランテルで揃えたものであり、不足分の服や小物は新たに買いそろえる必要があった。

 ナザリックに戻って、シャルティアやアウラの予備の物を借りてもいいが、彼女らの保有している物だと、現地の製品と比べて天と地ほど品質がかけ離れており、ちょっとどころではなく悪目立ちすることになってしまう。

 その為、急遽、帝都でそのあたりの物をそろえることにしたのである。

 本来なら、ベルの身に着けるものなのだから、ベルも一緒に行った方がいいのだろうが、もしそのような店にベルが直接行って買い物をすれば、当然、それはこちらの顔色を窺っている者達の耳に入る。そして、そこで買ったものを次の日そのまま身に着けて現れたら、エ・ランテルを牛耳っていると噂になっているが、実際のところは物もろくに持っていないのかと侮られることになるそうだ。

 正直、元男で特にファッションを気にしたこともないベルとしては、汚れている訳でなければ毎日同じ服でも構わないんじゃないかと思うのだが、女性は毎日服装に気をつけ、身に着ける装身具の組み合わせにも気を配らなければいけないものだとソリュシャンに力説された。

 

 そこで、ソリュシャンが買い物に出る事にした。本来ならば、頼んですぐ出来る物でもないのだが、そこは金を積むことで、夜までに大急ぎで仕立ててもらう事にする。

 

 その間は、来客は受け付けないとした。

 あれこれと対応できる人間がいないためだ。

 

 ベルはこの時を好機と見た。

 様々なものを買いつけるのに1人では大変だろうと、エドストレームをソリュシャンに同行させた。

 

 

 ソリュシャンはもちろんだが、エドストレームもまた意外と女性として(たしな)みとやらを口うるさくベルに言ってくる事が多い。ボスも女の子なのだからと、そういう仕草はいけませんとか、こういったものは教育に悪いと、こまごまと。

 いや、お前の普段の格好こそ女の子には教育に悪いわ、とは中身は大人のベルは口には出さなかったが。 

 そして当然ながら彼女に、歓楽街のいかがわしい店に行きたいなんぞと言いでもしたら、あれこれ言われるのは火を見るより明らかであった。

 

 その点、マルムヴィストの方はというと、ボスもお年頃ですからねと、案外そういったものも大目に見てくれる。

 

 その為、ソリュシャンとエドストレームがいなくなった隙を狙い、マルムヴィストと街に繰り出したのである。

 例え急ぎで頼んだとしても、さすがにソリュシャンらの方は夜まではかかるだろう。

 ならば、その間は自由だとホテルを出てきたところ、たまたま通りがかった魔術師風の少女が彼女らの目の前でふらつき、それをマルムヴィストが蹴とばした形となり、悪目立ちする羽目になったのである。

 

 

 さすがにそんな事情を素直に話すわけにはいかないなあと、ベルは頭を抱える。

 本来なら、今頃は半裸の、もしくはそれこそ全裸の女性が艶めかしい踊りを見せている酒場で、酒でも飲んでいる予定だったのが、なぜか訳の分からないまま見知らぬ若い女性と3人で連れ込み宿にいるのである。そんなところにいても、少女の姿のベルとしては何も出来ないし、自分がされるのは勘弁してほしい。

 

「ええと、その……彼がお酒を飲みたいっていうから、俺――ボクもついて来たんだよ」

 

 とりあえず、あんなところにいた理由はマルムヴィストのせいにした。

 それを聞いたアルシェはマルムヴィストに、こんな少女をあんなところに連れてくるなんてと、非難の目を向ける。マルムヴィストは、なんでこっちに振ってるんですかと、抗議の視線を向けてきたが、俺が行きたかったからなんて言えるわけないだろと、視線で黙らせた。

 

 

「それより、君はなんであんなところにいたの? なんだか、凄く疲れていて、倒れる寸前だったみたいだけど」

 

 その言葉にアルシェは視線を落とし、椀の中のスープを掻きまぜた。また、一すくいスプーンを口に入れる。

 

「……この食べ物、結構おいしいね。スープなのかオートミールなのか、少し不思議な感じがするけど」

 

 そう言って、力なく匙を口に運ぶ。

 心ここにあらずといった感じで、なんとなくアルシェが口にした言葉だが、それに対しベルとマルムヴィストはひきつった作り笑いを浮かべた。

 

 

 アルシェが今、口にしている食べ物の出どころはどこかというと――ベルの胃袋である。

 

 ベルは一応アンデッドなので特に食事は必要はない。

 だが、人間の少女の姿になっているため、舌や胃袋は存在しており、食べ物の味を楽しむことは出来る。そして現在、ただ楽しみの為だけに一日三食食事はしている。だが、食べたとしてもそれは消化されて栄養となることは無い。口に入れて飲み込んでも、消化のための胃液は分泌されないし、噛んだ時に出る唾液にも酵素などは含まれない。実質、食べ物をまとめてミキサーにかけただけと変わりはない。

 変わりはないのだが――だからと言って、一度胃に収まったものを食べようとはする者はいないだろう。

 

 ……いや、意外といるかもしれない。

 特にベルの顔写真でもつければ。

 

 

 

 とにかく、ちゃんとしたところならともかく連れ込み宿では食事など出るはずもないため、空腹のアルシェの食事として、そうやって食べられるものを用意したのである。

 

 知らぬが仏とはまさにこのことだ。

 

 

「え、ええとね。とにかく何か事情があったんだよね。出来れば聞かせてくれないかな」

 

 話を変えたことから何か言いづらいことを抱えているというのはよく理解したし、話を聞くことによって厄介ごとに巻き込まれそうという気はしたのだが、とにかく彼女が口にしている物の話題から離れてほしいという思いで、そう尋ねた。

 

 アルシェは口に運んでいたスプーンを椀の中に下ろし、目を瞑ってわずかに考えた後、ポツリポツリと話し出した。

 

 

 自分の実家が鮮血帝に貴族位を奪われた家である事。

 両親の作る借金の為に、自身が学院を辞めてワーカーとなり、金を稼いでいた事。

 しばらく旅に出ていて、ようやく帰ってきたら、妹たちがいなくなっていた事。

 

 

 目の端に溜まってくる涙をぬぐいながら、それらの事を口にした。

 そして、手にしていた椀を傍らに置くと、これが妹たちの姿だから見たことは無いか、見つけてくれたら出来るだけの報酬を払う、とクーデリカとウレイリカの姿を魔法で描いた紙を2人に見せた。

 

 その紙を手にとり眺めつつも、マルムヴィストは微妙な表情を浮かべた。

 出来るだけの報酬と言われてもな、というのが率直な感想である。

 

 ワーカーをやっていると彼女、アルシェは言った。

 首から下げているプレートのおかげで冒険者のランクは判別がつくが、そんなものはないワーカーは実力が計りにくい。

 そこで、マルムヴィストはアルシェが身に着けている装備に目をやった。

 冒険者にせよ、ワーカーにせよ、危険な世界に身を置いているものの常として、その装備には可能な限り良いものを選ぶ。最も大切なものは自分の命であるのに、ちょっとした金をケチった結果、死んでしまったなどという話は馬鹿のすることとして先達から口を酸っぱくして言われるものだ。

 その例で言うと、アルシェの手にした杖や防具は明らかに粗末な代物。せいぜいが、冒険者で言うならば、鉄か良くて銀程度しかないだろう。

 そんな者が支払える出来る限りの報酬というのもたかが知れている。

 

 そもそも、彼らは帝都を根城にしているわけでもなく、あくまでちょっとエ・ランテルから出張って来ただけである。土地勘がある訳でもなく、人探しなど出来る訳もない。

 

 その為、もし見つけたら連絡するよ、と社交辞令で口にする程度に留めておくつもりだったのだが……。

 

「なるほど。それは心配だね。うん、出来る限り協力するよ!」

 

 と、目の前の見た目だけ美少女がびっくりするほど安請け合いしたのである。

 

 

 驚愕に目を見開いたのはマルムヴィストだけではない。アルシェもまた、驚いた表情を浮かべた。

 

「う、うん。手伝ってくれるのは嬉しいけど……」

「任せて! じゃあ、捜すのに必要だから、この紙何枚か貰っていっていい?」

 

 戸惑いつつもアルシェは了承した。

 少なくない紙の束をベルに手渡す。

 

 本当に捜すのかと、マルムヴィストはベルに耳打ちして尋ねた。

 

「本気ですか? そんなガキ1人捜しても大した得にはならんでしょう?」

「ああ、マルムヴィスト! 悲しい、悲しいなぁ。ボクはとっても悲しいよ」

 

 そう言ってベルは大仰に嘆いて見せた。

 

「いいかい? そこに困っている人がいるんだよ。そう、胸が張り裂けそうになるほど自分の妹たちの安否を心配して、もう疲労困憊して倒れる程に八方手を尽くして、それでも力が足りないと悲嘆する人がいるんだ。それも目の前に! 君はそんな人を見て胸が痛まないのかい? 助けてあげようと思わないのかい? この世にはびこる不条理な罪悪から、あまねくすべての人々を救うのは人の愛だよ! 愛はちきゅ……世界を救うんだよ!!」

 

 おおう……、とマルムヴィストは口の中でつぶやいた。

 彼もそれなりに長い事生きてきた。

 嘘や建前、皮肉が当然の綺麗事など通じない世界に長年身を置いて来たのであるが、そんな彼をして、これほどまでにしらじらしいセリフというのも、そうそう聞いたことは無い。

 

 

 2人の関係は分からないものの、なんだか妙な感じにやる気に満ちあふれているような少女の言葉に、アルシェは戸惑いながらも感謝の言葉を口にした。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「もう一度聞きますけど、……本当に捜すんですかい?」

「まあ、それなり程度にね」

 

 ベルとマルムヴィストはホテルへの道を歩いていた。

 その後、アルシェの頼みを聞くことにして連れ込み宿を出たのだが、これからさらにどこかによるとソリュシャンらが帰って来る時間までにはギリギリくらいだと判断したため、今日の所はさっさと戻ることにしたのだ。

 マルムヴィストは拍子抜けするくらいに、あれほど外に行きたがっていたベルが、この絶好の機会をふい(・・)にしておとなしく帰ると言い出した事を(いぶか)しんだ。

 

 その事を尋ねると、ベルはにししと笑った。

 

「いや。これで外を出歩く口実が出来るじゃん」

 

 そう、ベルの狙いの一つはそこだった。

 そのアルシェとかいうワーカーの、連れ去られた妹を捜すという口実があれば、街を出歩けるのだ。

 

 ベルの言葉にようやくマルムヴィストは納得がいった。

 

「ああ、なるほど。とりあえず、ソリュシャンさんらに聞かせるだけの名目としてって事ですか?」

「そういう事。それに、俺たちはあくまで、一時的にこっちに来ているだけだからね。別に、捜査が上手くいかなくったって、その後で変な逆恨みされても、困る訳でもないし。まあ、それに、それなりの考えはあるしね」

「へえ、なんなんです?」

 

 ホテルに帰りつき、周囲の人間の目を無視して階段を昇りながらマルムヴィストに自分の考えを説明する。それを聞いて、彼はふんふんとうなづいた。

 やがて、5階にある自分たちの部屋の前へとたどり着く。

 

「まあ、そんな感じで、話を流せば……」

 

 バンと明けた扉の先。

 その奥には――。

 

 

「おかえりなさいませ、ベル様」

 

 

 ――扉の向こうに控えていたソリュシャンが、にっこりほほ笑んで頭を下げた。

 

 

 

 なんでも、ベルの服などを注文し、急ぎで仕立ててもらっていたのだが、出来上がるまでにはまだ時間がかかりそうだったため、その場にはエドストレームだけを残し、ソリュシャンだけはベルの世話の為に戻って来たらしい。

 

 

 その後、ベルはくどくどとお叱りをうけた。

 マルムヴィストは物理的にお叱りをうけた。

 

 

 

 ちなみに後日の事であるが、ベルらが連れ込み宿から出てきたところはしっかりと目撃されており、ベルという少女とアルシェという魔法詠唱者(マジック・キャスター)はマルムヴィストの愛人なのではないかという噂が口さがない者達の間で広がってしまい、それを耳にしたソリュシャンがさらに激昂することとなる。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 歓楽街での奇妙な2人との出会いの後、アルシェは夜の道を歩いていた。

 

 あの後、2人と別れてから彼女ははたと気がついた。

 

 ――泊まる場所をどうしよう。

 

 

 普段、帝都に戻って来た時は実家に帰っていた。

 だが、妹たちの件で父を殴り、もう家には帰らないと宣言したばかりだ。

 となると、どこかに宿を取らなくてはならない。

 真っ先に思いついたのは歌う林檎亭だ。

 彼女以外のフォーサイトの仲間は皆、あそこを定宿としている。アルシェも仲間たちとの打ち合わせの際にはよく訪れており、あそこの食事は彼女の舌から見ても中々の味であった。

 

 思わず口の中に唾がたまる。

 

 だが、その唾を飲み込んで頭を振った。

 仲間たちはアルシェの事情を知らない。彼女が貴族――元ではあるが――の家柄である事も話したことは無い。帝都にいる際、彼らと別のところに泊まっている事にも、詮索はしてこなかった。

 それなのに、急に彼らと同じ宿をとったら、何があったのかと心配され、不審がられるだろう。

 それに、なにより自分個人の事情に彼らを巻き込みかねない。

 別の所に宿をとった方がいい。

 

 しかし、そうなるとどこがいいのかと迷ってしまう。

 ワーカーとして旅して回った経験のあるアルシェとしては、別に粗末な宿でも構わないし、普通の貴族のように宿の取り方が分からないという訳でもない。だが、中にはやはり、胡乱な人間のたむろする宿というのもあるのだ。一夜の宿をとったら、目が覚めたときに財布がなくなっているとか、もしくは泊まったのが女性の場合など寝ている間に襲われることすらある。時には襲われる対象が男性である場合の話も、イミーナから聞かされていた。

 やはり、それなりに評判を聞くというのは重要になる。

 

 しかし、帝都が故郷だったこともあり、かえってこの街にある宿の評判というものをアルシェはさっぱり知らなかった。

 

 ――だれか、知己の者のいそうな酒場などに行って聞いてみようか。

 自分たちで情報を集める必要のあるワーカーであるため、それなりに人脈はある。

 だが、そんな人間がいそうな区域は、今いるところからかなり離れている。

 そして、アルシェの足はもう限界だった。なにせ、ほぼ丸一日ろくに食事もせずに走り回っていたのだ。先ほど、連れ込み宿で食事をし、わずかに休んだことでかえって体中に溜まった疲労が表に出てきてしまい、もはや耐えがたいものとなっていた。

 

 ――どこか、どこでもいいから、宿を取ろう……。

 もしかしたら下手なところにあたるかもしれないが、魔法詠唱者(マジック・キャスター)の自分なら何とかなるだろう。

 

 そんないささか捨て鉢な考えで、通りを見渡し、宿の看板を探しながら歩く。

 

 そんな折、通りの向こうから一人の少年が走って来た。

 門前にかかげられた看板に目を凝らしていたアルシェは気がつかなかったが、その少年は黒を基調とした帝国魔法学院の制服を身に着けていた。

 学院が終わった後、商会で仕事をした帰り、家路を急ぐその足どりはわずかな疲労を漂わせながらも、若さあふれるしっかりとしたものであった。

 

 その少年がアルシェの脇を走り抜ける。

 

 

 瞬間――。

 

 

 たたらを踏み、慌てて立ち止まった。

 彼は我が目を疑った。

 先日、ちょっとしたきっかけで思い出し、ここ数日のあいだ、ずっと頭の中を離れなかった人物。

 彼の母がかつて働いていた貴族の家。

 そこの優しいお嬢様。

 

 思わず、彼はつぶやいた。

 

「あ、アルシェお嬢様……?」

 

 その声に、ふとアルシェは振り向いた。

 彼女の視線の先にいたのは、彼女よりわずかに年下の少年。

 帝国魔法学院の制服に身を包み、その片目を包帯で覆った、かつての知り合い。

 

「ジエット君?」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

 

 

 

「はいはい、あはとぅーんく」

 

 翌日の事。

 パンパンと手を叩いてベルは皆の注目を集める。

 皆と言っても、ベル本人の他は3人しかいない。

 ソリュシャンとエドストレーム、それと昨日ソリュシャンにマウントポジションで殴られた顔の腫れがようやくひいて来たマルムヴィストである。

 

 とにかく、彼らの目の前で、なぜだか赤縁の眼鏡をかけたベルが今後の方針を説明する。

 

「えーと、これから俺たちは、この娘たちの捜索をします」

 

 そう言って、傍らのテーブルに置かれた紙を手にとった。

 皆の前に広げて見せる。

 

「この娘たちは帝都をホームタウンとしているワーカーの1人、魔法詠唱者(マジック・キャスター)のアルシェの妹たちにあたる人物です。そして、この娘たちは両方とも現在行方不明。手掛かりとなりそうな情報だけど、クーデリカの方は借金のかたに売り飛ばされ、ウレイリカの方に至っては目下のところまったく情報なし」

「えーと、すみません。いいですか、ボス?」

「ボスじゃなくてベルって呼べって言ったけど、まあ、この部屋の中なら人目はないからいいや。はい、エドストレーム」

 

 手をあげたエドストレームを指さす。

 

「そいつを捜す意味あるんですか? 私らにメリットとか、全然感じられないんですけど」

「良い質問ですね。飴をあげましょう」

 

 そう言って、ポシェットから取り出した棒付きキャンディーを渡す。

 渡されたエドストレームは、こんなの貰ってもなぁという表情を浮かべたが、ベルから物を貰っておいて喜ばない様子に、隣のソリュシャンから湧き上がるものすごい殺気を感じ、慌てて感謝の言葉を述べた。

 

 そんなやり取りを流して、ベルは言葉を続ける。

 

「ええと、このアルシェという人物が所属しているワーカーチームは『フォーサイト』という名前で、ちょっと前までエ・ランテルで活動していました」

 

 それを聞いて、エドストレームは「ああ」と声をあげた。たしか、エ・ランテルで聞いたことがある気がする。

 そしてベルは夜のうちにアインズとメッセージでやり取りして確認した話を、向こうの人間に確認した話として話して聞かせた。

 

「へえ、あの娘はミスリル級冒険者並みの実力があるんですか? それにしては大した装備はしていないみたいでしたが」

「うん、その辺の事情は知らないけど、まあ、妹が借金のかたに売られるくらいだから、今までは稼いだ金を装備に回さないで実家に送っていたとかじゃないの?」

 

 マルムヴィストの言葉に、ベルは自分の推測を話す。

 

「でも、とにかく、ミスリル級の実力があるのは確定情報だね。それで、我々が帝都に進出するにあたって、帝都に情勢に明るいワーカー、それもそこそこの実力者と伝手を作るのはかなり有益だと判断しました」

「まあ、その娘たちの捜索に乗り出す理由は分かりました」

 

 そう言いつつも、エドストレームは思案気にその形のいい眉を曇らせた。

 

「でも、私らはまだ帝都に基盤もないですから、人を捜すと言っても……」

 

 だが、それに対してベルは、ふっふっふと自身の考えに自信ありげな様子であった。

 

「ああ、それは心配いらない。それに関してはちょっと考えが……」

 

 

 その言葉が途中で途切れる。

 その時、ノックの音が聞こえたからだ。

 部屋の扉が控えめに開いて、そこからその身に纏う服装とは異なる貧相な印象を与える人物が顔をのぞかせた。

 

「あ、言われたものの買い出しは終わりましたぜ」

 

 そう言って、ザックはその顔に愛想笑いを浮かべる。

 

「あ、ご苦労さま」

「へい。それで、他に何かご用はありますかね?」

 

 皆、顔を見合わせるが言葉を発する者はいない。

 

「えーっと、何もないようでしたら、ちょっと出かけてきていいですかね?」

 

 それに対しても、特に反対すべきこともない。

 ザックは「それじゃ」と言って、部屋を後にした。

 

 その背を見送ったエドストレームがぽつりと言う。

 

「あいつ、外で何してるのかしら? 帝都に来てから、しょっちゅう出かけてるわね」

「特に何をさせる必要があるという訳でもなく、ただ下働きの人間がいないと不自然だからという理由だけで連れてきた男ですから、いなくても困りませんが。しかし、あまりふらふらと出歩いているのも問題ですわね。すこし、注意して身の程をわきまえさせましょうか?」

「ああ、待った待った。いや、別にいいよ。それくらい」

 

 そう言って椅子から腰を浮かせたソリュシャンを、ベルは制止した。

 

 

 ベルはザックが出歩いている理由にだいたい予想がついている。

 それは昨日、ベルがマルムヴィストと歓楽街をうろつき、アルシェと出会う前の事。

 きょろきょろと辺りを物珍しそうに見回していたベルは偶然、歩く人ごみの中、入り組んだ裏路地のはざまにある建物へと消えていくザックの姿を目撃していた。その建物は、いかにもそういう用途で使われるような安宿のようだった。

 それでベルは、ザックは帝都に来てから頻繁に女のところに通っているのだろうと当たりをつけていた。

 

 正直、ザックはいたからと言って何をさせるわけでもない人間である。先程ソリュシャンが語った通り、ただの飾りとして連れてきただけだ。することと言っても、アリバイ程度の買い出しくらいしかない。やる事もないのだから、渡している小遣いの範囲内で遊ぶ程度は大目に見てやるべきだろう。

 

 

 ――まあ、少し遠出した時くらい、女買うのに目くじら立てることもないよな。

 

 

 ベルとしてはリアルでは会ったこともない話の分かる上司像というのを思い浮かべ、部下のプライベートには口出ししないものだと、鷹揚(おうよう)な態度で振る舞うことにした。

 

 

 

 話が中断してしまったが、気を取り直して言葉を続ける。

 

「さて、人捜しだけど、まあ、俺たちが街をぶらついても得るものは少ないだろうね。まあ、偶然会う可能性はあるから、そちらもやりはするつもりだけど。それよりももっと、効果的なやり方がある」

「へえ、それはどんな?」

「つまり、この帝都に詳しくて、あちこちに人脈があって、こっちのご機嫌を取りたい人間たちに代わりに捜させるって事だね」

 

 

 そこまで語った所で、再度、部屋の扉をノックする音が響く。

 ソリュシャンが応対したところ、ちょうどベルのお目当ての人物たちが、今日もまたこちらとの顔をつなごうと来訪したようだ。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ザックは一人、街を歩いていた。

 その足はやがて整然とした街並みから外れ、嬌声と切れ切れの唄声が響く、猥雑さの支配する区域へと向かう。その手には、来る途中に買ったクチナシの花束が抱えられている。

 そして、歓楽街の一角。道ならぬ恋に身を費やす者達のごくわずかな逢瀬から、脛に傷持つ者が身を隠す場所まで、様々な使われ方をする安宿の一室へと足を踏み入れた。

 

 

 ザックはそこに、ベルの予想どうり、女性を囲っていた。

 だが、女性は女性でも、ベルの想像とは全くかけ離れた女性であった。

 

 

 きょろきょろと辺りを見回した後、部屋の扉を開けるザック。 

 その姿を見て、扉の奥、ベッドの他は粗末な机程度しかない部屋にいた少女は、部屋に入って来た彼の顔を見て、その表情に喜色をたたえた。

 

「ザック。おかえりなさい」

 

 ウレイリカはその顔に、ぱあっと笑顔を浮かべた。

 

 

 

 ベッドに腰掛けるザックと、にこにこ笑いながらその体に纏わりつくウレイリカ。

 その無邪気な表情が目に入り、ザックは顔に浮かべた笑みの奥にも沈痛な瞳をたたえた。

 

 

 今、2人がこのような関係を続けているのには深い理由がある。

 

 

 そもそものきっかけは、ザックがベルらとともに帝都に訪れた日にさかのぼる。

 その日、ザックはただ街をぶらついていた。

 下働きとして連れてこられたものの、あくまで彼は偽装の下働きであり、実際にはほとんどすることもなかった。そこで、給金はそれなりに渡されていたため、女でも買いに行こうかと歓楽街の方に足を向けたのであった。

 

 そうして、街角に立つ女たちを品定めしつつ歩いていると、偶然、出会ったのだ。

 

 

 割と仕立てのいい服装に身を包んだ老人が、抱えた幼い少女をどこかへ連れて行こうとしているところを。

 

 その抱えられている少女は訳が分からず、暴れている様子だった。

 なぜ、自分が家から連れ出されて、見知らぬ所へ連れていかれなければならないのか。

 自分は姉の帰りを待っていなければいけないのに。今までずっと一緒だった双子のクーデリカと共に、あの家で優しく大好きな姉を出迎えなくてはならないのに。

 少女は抱きかかえる執事の胸元で抵抗していた。

 執事のジャイムスは、今は説明するより早くウレイリカを約束の場所まで、安全が保障されているところまで運ばなくてはという思いから、彼女にはろくに説明せずに必死で道を急いでいた。混乱して暴れる彼女の為に、その胸元にウレイリカの好きなクチナシの花束を置いて。

 

 

 その光景を、たまたま通りがかったザックが目にした。

 

 ザックの脳裏に、ある情景が浮かんだ。

 彼の妹はザックが畑仕事に行っている間に、何処とも知れない所に売り飛ばされていった。

 不意に、彼の妹も同じような姿で攫われていったのだろうかという想像が頭をよぎった。

 

 

 瞬間、身体が動いていた。

 懐に秘めたナイフを、その老人の背を突き立てていた。

 突然の苦痛に、驚きとともに振り返る老人。

 ザックはその身に、手にした凶器を振りかざした。

 

 幾度も振り下ろされる白刃。

 しかし、ジャイムスはその刃がウレイリカの身に届かぬよう、その身を盾にする。

 鮮血がほとばしり、赤い雫がウレイリカの望月のような顔を染める。耳に触るような甲高い悲鳴が薄暗い通りに響いた。

 

 気がついた時、老執事は血だまりの中に倒れ伏していた。

 その腕の中には、鮮血に濡れた幼子。

 

 ザックはその少女を抱え上げ、走り出した。

 

 

 しばらくして、路地裏で息を整えていたザックの腕の中で、少女が目を覚ました。

 彼女は、人を殺してしまった事による怯えを顔にたたえていたザックに、屈託ない笑顔を向けた。

 

 

 どうやら、ウレイリカは目の前でジャイムスが殺されたショックで記憶に障害を負ってしまったらしい。ジャイムスが殺された時のことは覚えておらず、目が覚めたときに自分を抱いていたザックの事を昔からいる執事だと認識してしまったようだ。

 

 

 それから、彼女はこの安宿に逗留している。

 なんでこんなところにいるのかという事自体はさっぱり把握していないが、長年仕えてきた執事(と思っている)であるザックがここにいろと言っているので、彼の言葉をなんら疑うことなくここにとどまっている。

 

 

「ザックぅ」

 

 にこにこと微笑みながら、彼に抱きつく姿からは、一かけらなりとも彼に対して疑念を持ち合わせている様子など感じ取れない。

 

 ザックは若干引きつりながらも微笑んで、彼女を抱きとめる。

 

 

 こうして間近で見れば見る程、ウレイリカの姿はザックの妹、リリアとは似ても似つかない。

 リリアは農民の娘だ。貴族のように整った髪でも肌でもない。それにいなくなった時の年もまったく違う。見れば見る程、欠片も似ていない。

 

 だが、そんな彼女をザックは突き放せなかった。

 彼の妹と重なることは無いのだが、なぜか纏わりつくその手を振り払うことは出来なかった。

 

 その為、彼はウレイリカの妄想である、執事という演技を続けることとなった。

 

 

 なんら不信の余地もない笑みをうかべるウレイリカを抱き上げつつも、ザックはこの生活がいつまでも続くとは思っていなかった。

 

 まず第一に金が続かない。

 ザックは帝都に来るにあたって、小遣いとしてそれなりの金はもらっていたものの、それでも少女1人をいつまでも支え続けられる程の金額ではない。

 

 それに彼が帝都にいるのはあくまで、彼の現在の主人、ベルが帝都にいる間でしかない。あの少女が帝都を離れると言い出したら、彼もまたついていかざるを得ない。

 あの主にウレイリカの事を相談してみようかとも思ったこともあるが、どう考えても良い結果になるとは思えない。

 彼が昔所属していた盗賊団『死を撒く剣団』の末路を考えるに、慈悲など与えられるわけもない。

 盗賊団の仲間たち――ろくに剣も使えないザックは仲間扱いされていたとは言い難いが――は、口にするのもおぞましい末路をたどった。ザックがそちらに混ぜられなかったのは、彼ら程度の武勇すら持ち合わせていなかったからだ。

 ザックは無能者であったがゆえに生きながらえることが出来、今こうして飾りとして存在していられるのだ。

 

 

 だが――。

 

 ――ザックは自分に向けられる笑顔に、笑みを返す。

 それは盗賊団に入って以降――妹が連れ去られて以降、ついぞ彼の顔に浮かぶことがなかった笑みだ。

 

 彼はこの少女の微笑みを何とか守りたいと願う。

 どんなことをしてでも。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「セバス様!」

 扉を開けて、部屋に転がり込んできたルベリナを、椅子に腰かけていたセバスは見上げる。

 

「どうしました、ルベリナ?」

 

 その声に、息を整えながら、室内を見回すルベリナ。

 

「いや、クーデリカの嬢ちゃんはいますか?」

 

 はあはあと息を切らせて言った。

 部屋に控えていた男がコップを運んできた。彼はそれを一息に飲み干す。

 

 ルベリナの気が落ち着いたところを見計らって、声をかける。

 

「落ち着いてください、ルベリナ。何があったのですか?」

 

 彼は再度注がれたコップの中身を、また一息に飲み干してから、言葉を紡いだ。

 

「えーとですね。クーデリカの嬢ちゃんと、……ええっと、双子の姉だか妹だかのウレイリカとやらなんですが。今、網にかけられていますよ」

「む? 網とは?」

「つまりですね。裏の方なんですが、その2人を捜せって話が流れてるんですよ」

 

 ようやく合点がいき、セバスは瞠目した。

 

「しかし、なぜですか? なぜ、今になって突然に?」

 

 セバスの疑念も当然だ。

 彼らがクーデリカを保護してからしばらくの時間が経つ。何故、今頃になって捜査の網が広がったのかと不思議に思った。

 

「さあ、それは分かりませんね。何か、どこかで妙な動きがあったのか。とにかく、クーデリカの嬢ちゃんはうちにいますか?」

 

 その問いにセバスは、眉をしかめた。

 

「拙いですね。今。クーデリカはナーベラルと共に市場に出かけています」

 

 


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