オーバーロード ~破滅の少女~   作:タッパ・タッパ

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2016/9/29 「美しい美女」→「美しい女」訂正しました


第55話 各々、踏み出した一歩

 ドン!

 

 皆が囲んでいるテーブルの上に、音を立てて革袋が置かれた。

 その拍子に口が緩み、中から金貨、さらには白金貨がぼろぼろと零れ落ちる。

 

 

 突然の事に、歌う林檎亭で軽く腹ごなしをしていたフォーサイトの3人、ヘッケラン、イミーナ、ロバーデイクは食べ物を口に運んだその姿勢のまま、目の前に金の入った大きな革袋を叩きつけるように置いたフォーサイトの残る1人のメンバー、帝都に帰って以来、ひさかたぶりに姿を見せたアルシェの姿を呆然と見上げた。

 

 

「みんな、依頼がある」

 

 そう言ってアルシェは、卓上にあったイミーナのグラスを掴むとそれを一息にのみ――そのアルコールのきつさに盛大にむせた。

 

 口だけでなく鼻からまで吹き出してしまい、それを布きれで拭いつつも激しくせき込み、鼻孔の奥に走る痛みに耐える彼女の姿を、3人はただ黙って見つめていた。

 

 

 

 しばらくして落ち着いた彼女は気を取り直して、皆を見つめる。

 

「依頼主はこの私。依頼内容は私の妹を取り返すこと。報酬は、ここにある分すべて」

「んーっと、依頼ってつまりはどういう事よ」

 

 アルシェに飲まれた分のおかわりと、アルシェの分の水を持ってきたイミーナが問いかけた。

 持ってきてくれた水を一口飲み、まだ鼻から垂れてくる液体をぬぐいながら、アルシェはこれまでの経緯を洗いざらい話した。

 

 

 自分は現皇帝に貴族位を奪われた元貴族の家の者である事。

 自分がこれまで稼いできた金は、貴族としての生活を忘れられない両親が作る借金返済のために使われていた事。

 そして、エ・ランテルから帰ってきたら、自分の双子の妹たちがいなくなっていた事。

 街中を捜していたけれど見つからなかったのだが、知り合いの伝手でモーリッツという貴族の家に、双子の片割れ、クーデリカがいるらしいというのが分かった事。

 

 

 話を聞いた3人は言葉を発することなく、考え込んだ。

 そして、代表してヘッケランが口を開いた。

 

「なるほど。つまりはその家からお前の妹、クーデリカを連れ出すことが依頼って事か?」

 

 その言葉にアルシェは首を縦に振る。

 

「ふむ。……だが、仮にそれをやったとして、助けられるのは1人だけだろ。もう1人はどうするんだ? 手掛かりもないんだろう?」

 

 アルシェは顔を歪めた。

 

「うん。分かっている。でも、とにかく今は居場所が分かっているクーデリカだけでも助けたい。クーデリカをその家から助け出して、別の街に移送する。とりあえず、私の依頼はそこまで」

「では、残るもう1人、ウレイリカさんについてはどうするんですか?」

 

 ロバーデイクが問いかける。

 

「ウレイリカについてはまったく情報もない。捜すといってもいつまでかかるか、どんな手筈が必要か現段階では全く判断できない。だから、クーデリカを助けた後は、何とか私で調べてみる」

「何とかってどうするのよ?」

「クーデリカを別の街で暮らせるようにした後、私はまたアーウィンタールに戻ってきて、もう一度、裏社会の者たちにあたってみる」

「しかし、すでにあなたが行った際には相手にもされなかったのでしょう?」

「だから、長期でそちらの信頼を勝ちとって行くつもり」

「……まさか、裏社会の仕事を請け負うだけじゃなく、そっちに入るつもりか?」

「うん。とにかく今は手掛かりもない。そっちで仕事をすることで、時間はかかるけど、少しずつ伝手を広げていこうと思っている」

 

 その話を聞いて、3人は黙り込んだ。 

 

「皆には迷惑をかけない。とにかく、クーデリカを助ける事だけは手伝ってほしい」

「……それでお前は、クーデリカって妹を助けた後は、フォーサイトを抜ける気か?」

 

 ヘッケランの言葉に、うつむいたままアルシェは言葉を紡ぐ。

 

「ごめん。それだけは許してほしい。それにクーデリカを助けることは犯罪行為とされる可能性もある。一緒にいたら、みんなにも嫌疑がかかる」

 

 ヘッケランは大仰に肩をすくめて、ため息をついた。

 

「おいおい。俺たちはお行儀のいい冒険者じゃないんだぜ。今更、犯罪行為の一つや二つ怖くもないっての」

「そうね。私たちはお金の為なら何でもするワーカーよね」

「ええ、危ない橋なら今まで何度も渡ってきました。ここで中途半端な依頼をこなして、はい終わりとする方が目覚めが悪いですね」

 

 顔をあげたアルシェの肩を、ヘッケランはバンと叩いた。

 

「これまでずっとやって来たんだ。きっちり最後まで付き合うぜ」

「こう言っちゃなんだけど、あなた一人でやるよりは、皆でやった方が成功率は高いわ」

「そうですね。フォーサイト最後の仕事になるかもしれませんが、あなたの妹2人を助けて終わりにしましょう」

 

 皆の言葉に思わず、アルシェの視界がにじむ。

 

「みんな。……本当にありがとう」

 

 アルシェは深く頭を下げた。

 

 

「別にいいわよ。それに、まあ、ワーカーとしても色々と潮時かな、なんて考えていたし」

「ん? どうしたんだ、イミーナ? 急にそんな事言いだして」

「いやぁ、今はまだいいけど。もうしばらくしたら身体が重くなりそうで、ね」

「なんだよ。エ・ランテルでドカ食いでもしたのか? まあ、もう少し脂肪をつけてもいいと思うけどな。特に胸に……ゴフッ!」

「まあ、そこも少し増えるかもしれないけどね」

「……!? イミーナ! まさかとは思いますが、それはもしかして……」

「……うん……」

「え? ほ、本当なの……!?」

「ん? どういう事なんだ? 何、話してんだよ」

「……ヘッケラン……あなたは鈍い人ですね。つまり……あー、なんと言いますか」

「比喩的な表現をすると、産卵するという事」

「アルシェ……比喩と言えば比喩かもしれませんが、その言い方は……」

「……産卵って……おい! まさか、イミーナ……!!」

「ちなみにここでボケたら、さすがに殴りますよ」

「私も魔法を叩きこむ」

「しねーよ! ボケねーよ!! いや、イミーナ。……つまり、その……こ、子供が……」

「(コクリ)」

「ま、まさか……お前って実は既婚者だったのかグハァッ!」

「ついさっき、殴るといいましたよね?」

「あ、ああ。分かっていたが、緊張に耐えきれなかったんだ」

「そこは我慢しなさい!」

「お、おう……。イミーナ、つまりは……俺の子か」

「……そうよ……」

「そ、そうか。ははは、俺の子か……」

「良かったですね、ヘッケラン。パパですよ」

「お、おう! そうと決めたら、この山はきっちり終わらせるぜ!」

 

 気合を入れるヘッケランだったが、アルシェは慌てて口を挟んだ。

 

「あ、待って! さっきも言った通り、そのクーデリカがいるらしいモーリッツ家にはとんでもない女性がいる」

「ああ、さっき説明の中で言ってた、第8位階魔法を使いこなす、怪力の女か」

「うん。あれと戦ったら、私たちでも勝ち目はない」

 

 あの時の彼女の姿が脳裏をよぎり、アルシェの身体に寒気が走った。

 だが、それに反してヘッケランの言葉は楽観的だった。

 

「なに。気にすることは無い。正面から勝てないなら、正面からは戦わないだけだ」

「一体どうするの?」

「別にそいつを倒すのが目的じゃなくって、あくまでその家にいるクーデリカを助け出すだけなんだろう? なら、こっそり忍び込めばそれで済む話だ。とにかく、そっちを何とかしてから、もう一人のウレイリカについて調べようぜ。なに、お前ひとりじゃ無理だったかもしれないが、俺たちそれぞれのルートで調べればきっと見つかるさ」

 

 そうしてヘッケランはグラスを片手に立ち上がった。

 他の者達もグラスを手に立ち上がる。

 ヘッケランとイミーナは酒であったが、ロバーデイクの杯の中身はミルクであり、アルシェのものはただの水だった。

 そして、皆で杯をぶつけ合わせるとそれを一息に飲み干した。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「あー、どうしたもんかねえ」

 

 ベルはぼやきつつ、テーブルの上に置かれた書類に目をやる。

 

「どうしたもんも何も、とりあえずは見てみない事には」

 

 そうマルムヴィストにうながされ、指先でつまむように書類を一枚手にとった。

 そこには、帝都の歓楽街にある娼館に、手配書にあったクーデリカという少女がいたという報告が書かれていた。

 

 ベルはうんざりした様子で、その書類をマルムヴィストの方に差し出す。それにざっと目を通したマルムヴィストは、その情報は信頼性がないと判断し、その書類を数個並べられた箱のうち、重要度が低いものを入れる所へ投げ入れた。

 もし本当に、その少女が娼館にいたというのなら、この話を掴んだ者がこちらに持ってくるのは情報だけではなく、その少女自身も、だろうから。

 

 その様子を見ていたベルは、ため息とともに目の前のテーブルに積み上げられた書類の山に半眼を向けた。

 

 

 

 ベルらは帝都の裏社会の者達に、自分たちがクーデリカとウレイリカという双子の少女を捜していると情報を流した。なぜ、探しているのかという事は語らなかったのだが、裏社会の者達にとっては理由などどうでもいい。彼らは、その少女を捜して連れてくることこそ、こちらと顔をつなげる最良の方法だと考え、帝都中に広く網をはった。

 その結果、ベルの思惑通り、彼らは双子の捜索に掛かりきりになり、ひっきりなしにホテルの部屋を訪れるものはいなくなった。

 上手くいったとベルはほくそ笑んでいたのであるが、代わりに一日置いて双子の『情報』とやらが大量に届く羽目になった。

 

 あちこちの組織の者達が双子を捜しているものの、実際に少女をみつけ、確保する事が出来た者はいない。

 そこで、とりあえず情報だけでもということで、真偽もはっきりとしないような代物が山のように届けられていた。

 

 

 曰く、それらしい少女が道端で物乞いをしていた。

 曰く、周辺都市に売られた者達の中にその少女らしき人物が混じっていた。

 曰く、安宿で貧相な男と一緒にいた。

 曰く、この前、とある貴族に売った女かもしれない。

 曰く、食堂の下働きをしている娘が、手配書の少女と似ている。

 曰く、市場で美しい娘と2人、買い物をしていた。

 曰く、水路に少女の遺体が浮かんでいた。

 曰く、どこかの貴族がそれらしい少女を姪だと紹介している。

 ……等々……。

 

 

 あまり本気で探すつもりもなく、ただ裏社会の者達の目をそらすための口実のつもりでしかなかったはずなのに、こうして次々と際限なく寄せられる報告の大波に彼らはすっかり閉口していた。

 双子捜索の話は時間が経つにつれ、どんどん広がって行き、このままではもはや収拾がつかなくなりそうな状況である。

 どこかでケリをつけなければならない。

 だが、特に理由もなく、捜索を止めたとかいう訳にもいかない。いささか、問題が大きくなりすぎている。止めるにも何らかの理由づけがいる。

 

 一番いいのは本当に双子が見つかり、そこで終わりを宣言することだ。

 そうなのだが、この現状を見るに、見つかるのはいつになるのやらという有様であった。

 その為、止めるに止められず、かえって無駄な苦労に頭を悩ませる羽目になっていた。

 

 

 そんな感じでやさぐれた気分で頬杖を突きながら、ぺらぺらと報告書の束をめくっていたところ、〈伝言(メッセージ)〉が繋がった感覚があった。

 

 

《もしもし、ベルさん》

《あ、どーもです、アインズさん。どうしました?》

《いえ、モモンの方の依頼を終えて返ってきたところなので》

《ああ。依頼の方はどうでしたか?》

《なんだかどこかの貴族が成人の儀とやらに行くんで、その護衛という事だったんですがね。途中でギガントバジリスクに会いまして。そちらの討伐をついでにこなしてきましたよ》

《ギガントバジリスクですかー。お疲れ様です》

《それで、そちらはどんな按配(あんばい)ですか?》

《ええ、それなんですが、ちょっと聞いてくださいよ》

 

 

 そうしてベルはここ数日の顛末を語って聞かせた。

 

 

《……という訳なんです》

《はあはあ、なるほど》

《そんな訳で、なんだかもうめんどくさい事になってしまってですね》

《……うーん。いっそのこと、一旦、エ・ランテルに帰ってしまっては?》

《エ・ランテルにですか?》

《ええ。ベルさんたちが今、帝都にいるから、そいつらはとにかく急いで親交を結ぼうとして、不確定ながらも手に入った情報を回してくるんでしょう? 帝都から10日はかかるエ・ランテルに戻れば、知らせるだけでも手間と時間がかかりますから、そいつらとしてもちゃんと調べて、ある程度の成果を見込めるものしか寄越さなくなると思いますよ》

《うーむ、確かに》

 

 ベルは腕を組んで少し考えた。

 

 犯罪組織の連中が、とにかく急いでこちらとコンタクトを取ろうとしている理由。

 それは、こちらが突然帝都に現れたからだ。

 

 彼らとしても遠く離れた場所のこととはいえ、エ・ランテルを牛耳ったギラード商会の事はそれなりに耳にはしていた。

 だが、あくまでそれなり程度でしかない。

 所詮は遠く離れた地でのこと。あまり詳しい事までは知りもしなかった。

 それが突然、自分の目と鼻の先に現れたのだ。

 その素性を詳しく知らないがため、かえって彼らは躍起になった。警戒しつつも、とにかく急いで接触し、こちらの情報を得ようとした。

 

 何故、いきなりマルムヴィストという重要人物が帝都に現れたのか?

 組織の為には敵対すべきなのか、それとも手を組むべきなのか?

 はたまた即座に両手をあげて、その前に這いつくばるべきなのか?

 

 判断するのにはあまりにも材料に乏しい状態であったが(ゆえ)の行為だったのだ。言わば、彼らも混乱していたと言える。

 ここは一旦、距離を置くことで、そいつらに頭を冷やさせる時間を与えてもいいかもしれない。

 

 

 自分たちが帝都からいなくなれば、帝都を拠点とする組織にとって、こちらとの接触は火急の案件ではなくなる。少し冷静になり、様々なルートでこちらの事を時間をかけて調べるだろう。そして、手を組みたいと思う奴ならば、必ず向こうから連絡を取ってくるはずだ。

 そうなれば、落ち着いて話も出来るだろう。

 

 

 唯一の問題点は、ベル自身のせっかくの旅行がつぶれてしまう事だが、すでに現状でもろくに観光を楽しめていない状態だ。

 ……残念ではあるが、今回は一旦諦めた方がいいかもしれない。

 

 

《そうですね。ちょっと惜しいですが、今回の所は旅行を切り上げて、エ・ランテルに戻りますか》

《仕方がない事ですけど、そうした方がいいでしょうね》

《そうなると……まあ、捜索している犯罪組織達に、一旦帰ることを伝えなくちゃ駄目だなぁ。あと、アルシェにはなんて言うかな……》

《それですけど、あとはセバスたちに任せては?》

《セバスたちに?》

 

 アインズの提案に、ベルはいささか驚かされた。

 

《いや、セバスたちには俺がこっちに来ていることは秘密にしてるんですよ?》

《もちろん、分かっていますよ。でも、ほら、べつにその事を告げる必要もないでしょう? それにベルさんは本当に帝都からいなくなる訳ですから》

 

 ふむとベルは再度考えた。

 

 そもそもセバスたちにベルが帝都に行ってるのを伝えなかったのは、帝都の事はセバスたちを信頼してすべて任せているという事にしているからだ。信任されているはずなのに、そこにこっそり上司であるベルが訪れているという事が知れたら、セバスたちからすると、自分たちは本当はそれほど信頼されていないのではないかと邪推してしまう懸念があったからである。

 その為に、同じ帝都に来てからもセバスたちとは接触しないようにしていたのである。

 

 だが根本的な話として、ベルが帝都にいないのであれば、問題はないのだ。

 もともと帝都に潜伏しているセバスらに、帝都での捜索を任せてしまっても、なんら不自然なことは無い。

 

《ははあ、確かに。俺が帝都に来ていたという点を少々ぼかせば、問題なさそうですね》

《ええ、そのアルシェはフォーサイトの一員で、彼らに関しては私がモモンとして知り合っていますし、ちょっと前までエ・ランテルにいたんですから、そこでベルさんと伝手があった事にしてもいいですしね》

《なるほど。ふむ、そうなると、アルシェには……双子の妹の捜索に協力するといったけど、俺たちは急遽、この街を離れなくてはならなくなった。だから、代わりに捜索に協力してくれる知り合い――セバスたちを紹介する。ただ、実は俺はお忍びでこの街に来ていたから、その紹介した知り合いには俺が帝都にいたことは秘密にしてくれと頼む、といった感じでいいですかね?》

《ええ、そんな感じでいいと思いますよ。前もってセバスにはアルシェの事を知らせておけばいいですね》

《じゃあ、そうしますか》

《ええ、そうしましょう》

 

 ようやく事が一つ片付きそうだと、ベルは安堵の息を吐いた。

 

《では、セバスにはアインズさんからお願いできますか?》

《はい。ええと今夜ですね、定期報告を〈伝言(メッセージ)〉で行う予定になっていますから、その時にでも》

《まあ、そういう設定だと急に知らせてしまったら、なぜ突然急ぎでそんな指示が来たのかと疑問に思うでしょうからね》

《ええ、急いでの指示ではないという形にしなくては》

《じゃあ、すみませんがお願いしますね》

《はい。任せてください。では》

 

 そういう結論に落ち着き、〈伝言(メッセージ)〉を切った。

 

 そして、室内にいるソリュシャン、マルムヴィスト、そしてエドストレームを見渡す。

 こちらに視線を向ける彼女らに、今、アインズとの〈伝言(メッセージ)〉で決めた事、自分たちはエ・ランテルに戻り、そして双子の捜索に関してはこちらにいるセバスたちに引き継ぐ事を告げた。

 

 

 その話を受け、皆は身の回りの後始末を始めた。

 別に今すぐ街を出て行くわけでもないのだが、いつでも動けるようにしておくのに越したことはない。ある程度の準備だけは早めにやっておいた方がいい。

 

 当然のことながら、そういった事はベルがやる必要はない。ベルの分はソリュシャンの仕事である。皆が動いているときに自分だけ何もしないのは手持無沙汰な感があり、落ち着かないものを感じるのではあるが、もしベルが自分でやろうとしたら、私の事が信頼できませんかと泣かれる恐れがある。その為、彼女に全部任せるつもりである。

 

 

 そうしてベルは一人、することもなく椅子の上でぐーっと伸びをした。

 

 

 ――せっかくの旅行を切り上げることになったが、まあ、また来ればいいか。セバスから双子の捜索に関して、何らかの進展があったと連絡があれば、それこそ大手を振って来れるわけだし。

 

 

 そうしたことをのんびりと考えながら、あれこれと片づけに動く3人をぼんやりと眺めていた。

 

 その時、ふと思い出した。

 

 

 ――ん? 3人?

 そう言えば、ザックはどうしたんだ?

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「はあ、はあ、はあ」

 

 ザックは荒い息を吐いていた。

 その身は緊張のあまりに強張(こわば)り、日の遮られた暗がりにしゃがみこんだまま、両手でナイフを抱え震えていた。

 

「大丈夫。大丈夫だ。俺はこれまでも何度も同じことをこなして来たんだ。きっと大丈夫だ」

 

 自分に言い聞かせるように、ぶつぶつとつぶやいた。

 

 

 

 昨日(さくじつ)、ホテルから逃げ出した後、ザックは彼の持つなけなしの金をはたいて、そこそこの宿をとった。

 今、ウレイリカはそちらにいる。

 先に襲撃のあった安宿と違い、そちらはそれなりの宿だ。警備もしっかりしている。もちろん、あくまでそれなりだが。

 しかし、1日くらいなら、素性がばれることは無いだろう。

 

 とにかく、今日のうちに何らかの金を手に入れて、2人でこの街を脱出するつもりであった。

 

 

 彼は今、強盗を働こうとしている。

 道を通った馬車を脅し、その乗員から財布を奪おうというのだ。

 本来なら、ちょっとした盗みや詐欺の方が官憲に目をつけられる可能性も少なく、街を出る程度の金は手に入るのだろうが、ザックにはそのようなことで金を手に入れるための知識も経験もなかった。 

 ザックは元農民であり、徴兵の後、村に返らず逃げ出し、そのまま野盗集団に拾われたのだ。

 盗賊としての技能も無ければ、人をだます巧みな話術もない。せいぜいが卑屈な様子で下手に出て、下賤な者と侮られる事で、不審がられず他の者が考えた罠に誘導する程度の事しかできない。

 何の知識もなく技術もない彼には、かつて仲間たちと行っていた馬車強盗くらいしか思いつかず、また出来る事もなかったのだ。

 

 

 彼は、じっとりと汗ばむ手でナイフを握りしめている。

 このナイフは、彼がウレイリカを助けたときに使用したものだ。

 

 ――これを使えば、きっと今回も上手くいく。

 せめて、あと一回だけ上手くいってくれ。

 

 ナイフの峰を額に当て、その冷たさを感じながら、ザックは神でもない何者かに祈った。

 

 

 そうして、本当にやるのか? 止めた方がいいのではないかと心の中で自問しているうちに、彼の耳に音が聞こえてきた。

 石畳を馬蹄がたたく音が。

 

 ザックは息をのみ、そっと身を隠している隙間から、通りの向こうを覗いた。

 

 一台の馬車が近づいてくる。

 明らかに金持ちの物と思しき豪奢な造りの馬車だ。

 おあつらえ向きに、それこそ一流貴族が乗るような目を見張るほどのものでもない、まあ、ちょっとした小金持ちが乗るようなそこそこの代物だ。

 

 

 彼はその身に気合を入れる。

 

 ――やるしかない。

 俺とウレイリカが助かるためにはこれしかないんだ。

 

 なに、大丈夫だ。

 今まで何度もやったことがある。

 以前と違って仲間はいなくとも、昔のように馬車の乗員を攫う訳でもない。ただ、馬車に乗っている貴族をナイフで脅して、持っている財布を奪うだけだ。別に危害を加えるわけでもない。

 その金を手に入れたら、すぐに高飛びする。ウレイリカを連れて、帝都を離れる乗合馬車に飛び乗るつもりだ。

 きっと大丈夫だ。

 

 

 ザックは目をつぶり、歯を噛みしめ、身を震わす怯えを抑えつけた。

 そして、その身を隠していた、通りの建物に立てかけられていた木材に肩を押し当て、力を込めて押した。

 幾本もの丸太が最初はゆっくりと、やがて勢いづき、音を立てて街路に倒れる。

 馬車を曳く馬がいななきをあげて(さお)立ちになり、その足を止めた。

 

 

 ザックは迷いを振り払い、飛び出した。

 

「う、動くな! 金を出せ! おとなしくすれば殺しはしねえ。全員出てくるんだ!」

 

 彼は必死の面持ちで、両手でナイフを握りしめ、御者台の男に叫んだ。

 威嚇するようにその手の刃物を振り回す。

 

「歯向かおうとするな! 今も、俺の仲間たちが物陰から弓矢で狙ってるんだぞ! 抵抗せずに全員出てこい。おとなしく金を渡せば殺しはしない」

 

 咽喉にひりつきそうになる声を必死で抑え、それなりに華美な装飾の施された馬車の扉に刃先を向ける。

 

 

 やがて、馬車の扉が開いた。

 そして――。

 

 

 ガッ!

 

 

 中から飛鳥のように男が飛び出してきた。

 その勢いのまま繰り出された蹴りを胸に受け、ザックは地面に転がった。

 続けて腕に衝撃が走り、その手のナイフが蹴り飛ばされる。

 

 その後はただひたすら、蹴られるだけだった。

 腹部。顎。肋骨。二の腕。尻。肘。胸。ふくらはぎ。鼠蹊部。

 ありとあらゆる場所が、馬車から飛び出した男の足先、戦闘用に金属が埋め込まれた革靴で蹴り飛ばされた。

 蹴り飛ばしている相手は、ザックに苦痛を与えつつも、それでいて致命傷になるような攻撃は避けているようだった。もし、相手が本気であったら、ザックは一撃のうちに命を落としていただろうから。

 とにかくザックはただひたすら、全身に浴びせられる痛みに悲鳴を上げることすら許されず、悶絶し転げまわるしかなかった。

 

 

 

 そうして、ひとしきり万遍なく痛めつけた後、馬車から飛び出てきた男は一息ついて、地に転がるザックの事をまじまじと見た。

 

「んー? お前って、もしかして、昨日の誘拐犯じゃない? まーた、うちらを狙ってきたってこと?」

 

 その声にザックは腫れ上がった瞼を開き見上げると、そこにいたのは昨日、ウレイリカと勘違いした少女を取り戻そうとしたときに現れ、ザックをさんざん蹴り飛ばした中性的な容姿の男だった。

 

「偶然って事はないよねー? うーん。これはちょっと放っておけないねー。ちょっとの間だけでもうちに招待して、話を聞かせてもらおっかなー?」

 

 男の口調はおどけたようなものであったが、ザックは恐怖に(おのの)いた。その拍子に目じりに溜まった涙がこぼれる。

 

 

 ――冗談めかしているが、こいつは本気だ。俺を連れていって、拷問にかける気だ。

 そうなったら……もし今俺が死んだら、ウレイリカはどうなる?

 

 

 ザックは全身に走る痛みに震えながらも、這って逃げようとした。

 だが、次の瞬間、ふくらはぎに灼熱の感覚が走った。

 ルベリナが腰に下げたレイピア、〈心臓貫き(ハート・ペネトレート)〉を抜き、ザックの足を刺し貫いたのだ。

 ザックはぎゃっと悲鳴を上げた。 

 彼は必死でその痛みから逃れようとしたのだが、ルベリナはそんな姿をにやにやと眺めながら、ぐりぐりとその足をえぐった。

 

 

 

 そうした事がどれだけ続いたのか、もはやザックには分からなかったが、痛みにもだえ苦しむ彼に聞き覚えのある声がかけられた。

 

 

「おや? あなたはザックさんではないですか?」

 

 顔をあげると、馬車から降りてきたのは見間違えるはずもない、かつて彼が罠にはめようとして、逆に罠にはめられた人物。

 穏やかな態度の老執事。

 セバスであった。

 

 

「セ、セバスさん!」

 

 その姿を見て、ザックは彼の方へ這い寄る。

 ルベリナは顔をしかめ、レイピアを引き戻した。

 

 だが、ザックは自分の足の様子など気に留めずにセバスの方に近寄り、叫んだ。

 

「あ、あの! すみません! お、女の子! 俺は今、ウレイリカっていう女の子をかくまってるんです!」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 バン!

 

 造りこそしっかりしているものの、赤茶色の塗装が若干はげかけた木の扉が勢いよく開かれた。

 

 

 その音に、室内にいたウレイリカはビクンと体を跳ねさせた。

 ベッドのシーツを胸に抱え、振り向くその目に映ったのは、その髪も(ひげ)も完全に白一色に染まった老人。その顔は温和なものを感じさせるが、ウレイリカは突然現れた見知らぬ人物に思わず身を縮こまらせた。

 昨日のこと、突然部屋に入ってきた男たちに無理矢理連れ去られそうになった記憶が少女の脳裏によみがえり、その顔が恐怖に歪んだ。

 

 だが、そのすぐ後ろから、足を引きずりながらも現れたザックの姿に、少女の表情は一変する。

 目の端に涙を浮かべ、彼の名を呼びながら、その胸に飛び込んだ。

 ザックは痛む足に顔をゆがめつつも、少女の身体を受け止め、優しくその頭を撫でてやる。

 

 

 その様子を穏やかな目で眺めていたセバスは、その顔をザックの胸にうずめる少女に向かって、安心させるように声をかけた。

 

「あなたがウレイリカでよろしいですか? 大丈夫ですか? どこか痛いところはありませんか?」

 

 ザックと会えたことで落ち着いたらしいウレイリカはごしごしと目をこすって、その老人を見返した。

 

「あなたはだれ?」

「私はセバスと言います。ザックさんとは知り合いでして。もう安心ですよ」

 

 ウレイリカはしがみついているザックを見上げる。

 ザックはその視線にうなづいて見せた。

 

「これからどうするの?」

「とりあえず、私たちの家に行きましょう。そこなら安全ですよ。そこにはクーデリカもいますよ」

「クーデリカ!?」

 

 不意に告げられた姉妹の名に、ウレイリカは驚きのあまり目を丸くした。

 ザックからは、ちょっと事情があって今は無理だが、すぐに会えるとだけ告げられていた。ずっと寂しさを堪えてきたのだが、その名を聞いたことで、彼女の胸は溢れる感情の奔流に晒され、目からぼろぼろと球のような涙がこぼれだす。 

 

  

 クーデリカとウレイリカ。

 双子として生まれた2人はずっと一緒だった。

 少女の僅かな記憶の中で、互いはいつも隣にいた。

 自室のベッドで眠るときも。食堂で食事をするときも。大好きな姉のアルシェに本を読んでもらうときも。

 懐かしい幸福な記憶が次々と蘇ってくる。

 

 

 ――あれ?

 

 ウレイリカは自分の脳裏に浮かび上がってきた記憶の波、それになにか不思議な違和感を感じた。

 まるで魚の小骨がのどに刺さっているような、僅かな不快感を伴う奇妙ななにか。

 

 

 困惑するウレイリカの思いに反し、次々と過去の記憶が湧き上がってくる。

 あの家で家族みんなで暮らしているときの事を。

 誰もが笑いながらいたときの事を。

 たくさんの使用人たち――最近は何故だか少なくなったみたいだが――に囲まれ生活していたときの事を。

 

 

 自分の家には昔から執事がいた。

 ザックはずっと前から執事だったはずだ。

 だが、何故だか、彼女の思い返す昔の記憶の中にザックがいない。

 生まれたときから執事は家にいたはずなのに、どういう訳だか、ザックがアルシェやクーデリカ、それに父や母と一緒にいたときのことが思い出せない。

 あの、すこし頼りなさそうな印象を与える顔が、懐かしい我が家で家族と話したり、廊下を歩いたりといった本来あるべき光景と重ならない。

 なぜだろう?

 不思議に思い記憶をたどると、誰か別の人間――年老いた人物の事が頭の片隅をよぎる。

 捕まえようとしても伸ばしたその手からすり抜けてしまうような、朝、目が覚めると瞬く間に掻き消えていく夢のような、そんな不確かでおぼろげな感覚。

 考えれば考える程、訳が分からなかった。

 それはいくら思い返しても、はっきりとした形にはならなかった。

 

 

 そんな胸の奥に引っ掛かるものが何なのか分からずウレイリカが当惑している横で、セバスが目配せをすると3人の女性が部屋へと入ってくる。

 1人はナーベラル。そして残りの2人は、帝都に連れてきていた元八本指の人間である。

 ナーベラルを除く彼女らはウレイリカの許に近寄り、その身だしなみを整え、偽装用の衣服に着替えさせる。

 

 ウレイリカの容姿はどういう訳だか、この街の犯罪組織に知れ渡っているようだ。そのままでは、いつどこで見られるか分からず、また誰かに目撃されれば騒ぎの種になりかねない。そのため、変装させたうえで邸まで連れていく算段であった。

 

 

 その様子を横目で眺めるナーベラルがセバスの傍らに立つ。

 

「セバス様。この部屋に近寄る者はおりません。監視、盗聴等もないようです」

「魔法も含め?」

「はい。対抗魔法を使用しつつ、魔法による捜査を行いました。なんら反応はありません」

「それは良かった」

 

 セバスは安堵の息を吐いた。

 

「では、彼女の変装が終わり次第、邸に戻るとしましょう」

「はい」

「しかし、こんな状況でウレイリカが見つかるとは思いませんでしたね」

「ええ。しかし、一体どういう事情でこのような事になったのでしょうか?」

「さあ、それは分かりませんね」

 

 セバスはフルト家に行った時のことを思い返す。

 たしか、その時は会う事は出来なかった。だが、その後にルベリナが調べたところでは、クーデリカは人身売買に売り飛ばされたものの、ウレイリカはフルト家に残されていたはずだ。それが、何故、ザックと一緒にいたのだろう? そもそも、どうしてザックは帝都にいたのだろうか?

 

「ザックさんと会った後、急いで邸に戻り、そしてあなたと女性陣を連れてこちらに来たので、詳しい事情はまだ聴いていないのですよ。一刻も早くウレイリカを保護することを優先させたので。とにかく安全な邸に戻ったら、ゆっくりとザックさんから話を聞けばいいでしょう」

「そうですね」

「ウレイリカと会えたら、クーデリカも喜ぶでしょうね」

「おそらくは」

 

 いささか固い声だなと、セバスは思った。

 懐いていたクーデリカを取られてしまうかもという懸念が湧いたのだろうか? むしろ懐き始めたのはナーベラルの方だろうか? 

 

 まあ、今はまず、邸に返る事だ。

 邸ではクーデリカとルベリナが待っているはずだ。相談事は全員頭を突き付け合わせてからにしよう。

 すべての話はそれからでいい。

 

 

 セバスは顎髭を撫でつけた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ルベリナはソファーに寝そべったまま、ぐっと伸びをした。

 床に足を下ろすと、テーブルの上に置かれていたアイスコーヒーを口にする。

 

 彼の視線の先にはいつもの光景。

 元八本指の部下たちが思い思いにたむろし、時間を潰している。さすがに野放図や恐怖を旨とするガラの悪い連中とは違い、上流階級の相手を務められる者達なだけあって節度を保ちながらも、皆それなりにリラックスした空気であった。

 部屋の片隅では、女性の部下がクーデリカの遊び相手を務めて、きゃいきゃいと笑い声をあげている。普段なら数人は彼女についているのだが、今、クーデリカとともにいるのは2人だけだ。他の者達はウレイリカを迎えに、セバス、ナーベラルと共に出かけてしまっている。

 

 

 ――しかし、あの貧相な男が一応ナザリックに属している奴だったとはね……。

 

 ルベリナは菓子入れから砂糖菓子を一つ摘み、それを齧りながら思い返す。

 

 

 あの時、ウレイリカという名前が突然出てきたときはさすがに驚かされた。セバスもまた同様であった。

 とにかく詳しい事情をと思い、問い詰めようとしたのだが、ウレイリカは今も狙われていて、こうしている現在も宿でひとり、ザックの帰りを待っていると聞いたセバスは、先に彼女の確保をすることにした。

 いったん、邸に戻り、そこでナーベラルと世話用の女たちを馬車に乗せ、ザックの取った宿へと飛んでいったのだ。その際、ルベリナはクーデリカの護衛の為に、ナーベラルと入れ替わりに邸に残る事になった。

 

 

 ――それにしてもどういう事なんだか……?

 ルベリナは思考を巡らせるが、考えれば考える程、訳が分からない。

 

 昨日、クーデリカとウレイリカが帝都の犯罪組織によって、その行方を調べられているという情報を掴んだ。その後、攫われかけていたクーデリカを助け、邸に戻って来た。

 そして、一体何故そんなことになったのか?

 誰が何の目的で、いきなり今のタイミングで捜索を始めたのか?

 彼は伝手を頼り、黒粉をちらつかせて調べた。

 

 その結果、捜索のきっかけとなったのは、帝都にやって来たマルムヴィストら、エ・ランテルのギラード商会であることが判明した。

 何故、マルムヴィストらが双子の行方を捜しているのかは分からなかったが、とにかく商会に取り入ろうとする者達がこぞってクーデリカとウレイリカを捜しているという事情は理解した。理解は出来たのであるが……。

 

 

「さーて、どうするかねー」

 ルベリナは口の中でつぶやいた。

 

 

 ルベリナは、ナザリックとは一枚岩の組織ではなく、あれこれと派閥が存在するものと考えている。

 すなわち、セバスやナーベラル、そして自身も属することになっているアインズ派と、マルムヴィストらが属するベル派と、だ。もしかしたら自分の知らない別の派閥もあるかもしれないが、とりあえず、今関係しているのはこの二つだ。

 これまで帝都の事を任されていたのは、アインズ派のセバスらだった。そこにエ・ランテルを根城にしていたベル派のマルムヴィストらが現れた。

 セバスらは帝都での情報収集を行い、順調にコネクションも作ってはいるものの、その動きは遅々としたものである。対して、エ・ランテルの方はというと、すでに裏社会をすべて牛耳ってしまっている。

 こちらの進行が遅いため、同じ組織間での援助を口実に、帝都の方にまでベル派が食い込もうという腹なのだろうか?

 セバスらはマルムヴィストらが帝都に来ていることは聞かされていないようだった。話に聞く分には帝都にやって来た向こうの人員は、マルムヴィストにエドストレーム、それに可愛らしい少女と美しい女、それと下男というごく少数のようだった。

 あまり大人数を動かしてはいない所から、せいぜいこちらへの揺さぶり程度と考えた方がいいだろう。

 

 

 そして、ここでキーワードとなるのはザックの存在だ。

 

 

 あの男はセバスの知り合いで、現在、ナザリックに属している男らしい。これは確定だ。

 ナザリックに属している、そしてセバスらの所に直接送られてきた人間ではないという事は、必然的にベル派の人間という事になる。たしか、下男を一人連れてきていたという話だから、それがザックの可能性も高いだろう。

 

 そう考えると、どうなるか。

 

 どういう理由かは分からないが、ベル派はクーデリカとウレイリカを捜していた。

 そして、ザックはベル派の人間でありながら、すでにウレイリカを確保しておきながら、そちらには渡そうとしなかった。

 

 ……つまり、ザックはウレイリカという手土産を持ってこちら、アインズ派につこうとしたのだろうか?

 いや、こちら以外の選択肢もあるかもしれない。

 昨日ザックは、こちらの所にいたクーデリカを攫おうとした。もし、あの時、ザックが誘拐に成功していたら、彼はクーデリカとウレイリカという二人の少女を同時に抑えていた事になる。

 先にウレイリカを秘かに確保しておき、さらにクーデリカまで見つけてから、マルムヴィストに報告しようとしたのだろうか? たしかに、それが達成できていれば、そちらの派閥でのザックの株も上がるだろう。

 もしくは、2人を連れて別の派閥に取り入ろうとしたのかもしれない。だが、それが失敗したため、強盗をして街を脱出する金をつくり、秘かにウレイリカだけでも連れてどこかに身を隠そうとしたのかもしれない。そのうち高く売りつけられるタイミングを見計らって現れるために……。

 

 

 そこまで考えて、ルベリナは頭を振る。

 

 駄目だ。情報が足りない。

 このままでは想像の域を出ない。

 

 

 そこで彼は意識を変え、今後、どうするのが一番良いかを考える。

 やはり、まずは情報だ。

 現在の状況、そして自分の立ち位置を見極めなくてはならない。

 

 やはり、帝都に来ているはずのベル派の情報をもっと掴んでいきたい。その狙いは何なのか? なぜ、その双子を捜していたのか?

 だが、時間がない。

 じきにセバスらはザック、そしてウレイリカを連れて邸に戻ってくるはずだ。そうしたら、ザックの口から事情が語られる。これまでルベリナが独占していた情報がセバスらにも流れることになりかねない。

 

 

 ――そうだな。口をふさぐか。

 

 ルベリナは唇を舐めた。

 

 

 何も殺すわけではない。

 一時的にだ。

 彼らが帰ってきたら、ザックの飲み物に薬を混ぜて少し眠らせてやればいい。誰もがただの疲労、そして安全なところに来た安堵の為と思うだろう。

 そうすれば、1日ほど時間が出来る。

 その間に、情報収集と称して邸を出て、マルムヴィストの方に接触してみよう。

 

 

 ――うん、そうするか。

 

 ルベリナは独りうなづくと、グラスを口に運んだ。

 だが、それを傾けたところで、すでに空だったことに気がついた。

 

 彼はグラスを片手に、台所の方へと足を運んだ。

 そこに置かれた、入れたものを冷却するマジックアイテム――デキャンターサイズの物ならともかく、あれこれ物が入れられるほど大きいものは、これまで八本指の拠点くらいでしか見たことがなかった――から、容器を取り出し、そこから冷やしたコーヒーを注いだ。

 抽出したコーヒーをわざわざ冷やしてから飲むというのは、彼をしてそれまで経験のないものであったが、慣れてしまうとなかなかにやみつきになる味だった。

 

 そうして、冷たく染み渡る琥珀色の液体をすすりながら、居間に戻ろうとしたとき、ノッカーが音を立てた。

 

 

 おや? と思った。

 

 セバスらが帰って来たのだろうか?

 しかし、彼らなら、わざわざノッカーを叩くこともないはず。

 来客か? いったい誰が?

 

 

 訝しみながら、玄関へと向かうルベリナ。

 汗の浮いたグラスは脇のキャビネットの上に置き、腰に〈心臓貫き(ハート・ペネトレート)〉があるのを確かめ、玄関のドアを開いた。

 

 

 

 そこには黒いフード付きマントを羽織った人物が立っていた。

 その人物は、実になれなれしく話しかけてきた。

 

「やあやあ、どーもー。いきなりで悪いんだけどさ。すこーし聞きたいことがあるんだよねー」

 

 そう言うと、その人物はフードを下ろした。

 短く刈り揃えられた金髪が揺れる。

 

「ちょーっと、小耳にはさんだんだけどさぁ」

 

 

 

 そしてクレマンティーヌは露わになった口元を三日月のように歪めて言った。

 

「この家にクーデリカって娘はいるかなー?」

 

 

 


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