オーバーロード ~破滅の少女~   作:タッパ・タッパ

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 《悲報》とりあえず特装版11巻手に入れたものの、ブルーレイ視聴環境なんてない。


 【注意】今回グロシーンがありますのでご注意ください。



2016/10/7 ルビの小書き文字が通常サイズの文字になっていたところを訂正しました



第57話 きっかけ

 夜のとばりの降りた帝都。

 松明の灯りの下で繰り広げられる酒場の饗宴がこの街のどこかでは繰り広げられ、こうしている今も酒に酔った男の蛮声や、婀娜(あだ)めいた女の嬌声、酒盛りの喧騒、酔漢たちの喧嘩の音が騒々しく鳴り響いているのだろう。

 しかし、そんな騒々しい狂乱の声も、はるか遠く離れたこのあたりまでは届くことなく、時折馬車に繋がれた馬がたてる鼻音だけが通りに響いていた。

 

 建物と建物の間に挟まれた道路。石造りの左右の建物は高く、軒も張り出しているために、月明りさえもろくに地面の敷石までその光を落とさない。

 

 そんな暗がりの中で、内部に〈永続光(コンティニュアル・ライト)〉のかけられたランタンのシェードを開け、その光で照らし出される地図をヘッケランとイミーナの2人は顔を突き合わせるようにして覗き込んでいた。

 

 

 

 ――ええっと……。

 

 そんな彼らの傍らで、ベルは困惑していた。

 戸惑いの中にいたと言ってもいい。

 

 その原因は目の前にいる2人の人物。

 彼らは手書きの地図――おそらく帝都の物らしい――をながめながら、あれこれと相談している。

 

 その姿をベルは、何をするでもなく見つめていた。

 

 

 ――こいつらは何者なんだ? 冒険者か?

 

 ベルは態度を決めかね、所在無さげに立ち尽くすしかなかった。

 

  

 そんな彼女の様子を気に留めた、耳の長い半妖精が声をかけてきた。

 

「大丈夫? 心配しなくていいよ。あなたの事は、ちゃんとお家に返してあげるからね」

 

 そう言って、種族特有の冷たい印象を与える切れ長の眼ながらも、精一杯優しそうな笑顔を見せる。

 それを向けられたベルもまた、その女性――おそらくエルフとしても少女の時代は過ぎているだろう――の笑みに、困惑と苛立ちの入り混じった内心を隠し、その外見年齢にみあった愛想笑いをその顔に浮かべた。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 フォーサイトがチームとして、アルシェの妹救出に動くこととなり、彼らはまず真っ先に情報を集めた。

 クーデリカと共にいるというモーリッツという貴族の情報を。

 そこで得られた情報は、彼らはしばらく前に帝都にやって来た王国貴族であり、その借りている邸には、セバスという老人と彼の姪だというナーベとマリーア、それと下働きの者達十数名ほどがいるという。

 

 その話を聞いた彼らは、ひとまず邸の下見に訪れた。

 正面から正直に話すというのは前回、アルシェが訪れた際の対応から、更に警戒される恐れがあるため却下された。

 

 そうして、彼らはそれとなく邸周辺を回ってみたのであるが――その時、盗賊であるイミーナの鼻が臭いをとらえた。

 

 濃厚な血の匂いを。

 

 

 気になったイミーナが人目につかない所でロバーデイクの肩に乗り、邸を取り囲む高い塀の上から覗いてみたところ、庭を挟んで屋敷の窓が開いていたのが見えた。

 そして、その開いた窓際から人間の手が飛び出ていた。

 こうして見ている今なお、その指先からポタリポタリと赤い鮮血の滴り続ける手が。

 

 

 邸に何か起こっていると見て取った彼らは、この隙に内部を調べてみる事にした。

 

 

 面が割れているアルシェには変装をほどこし、彼らは普通に邸を訪れた(てい)を装い、玄関に向かったのだが、案の定、扉には施錠もされていなかった。

 念のため蝶番に油を指し、そうっと開けてみると、目の前にはいきなり死体らしきものが転がっている。

 注意深く近寄り調べたが、その中性的な容姿の男は喉元に一撃を受け、完全に絶命していた。

 

 その後、彼らは屋敷の中を見て回ったが、そこに広がっていたのはまさに地獄のごとき光景であった。

 幾人もの人間が血の海の中に倒れ伏していた。

 その苛烈にして徹底的なやり口は、ワーカーとして汚れ仕事をこなしてきた彼らをして、吐き気をもよおすような不快な感情を覚えるほどであった。

 

 そして幸いながら、そんな凄惨な状態の死体の中には、捜していたクーデリカはいないようだった。

 

 しかし、このままでは彼女につながる糸が途切れてしまう。

 何か手掛かりはないかと、彼らは家中を調べようとした。

 

 

 だが、その時、イミーナの鋭敏にして物理的にも大きな耳が物音をとらえた。

 馬蹄と車輪が石畳を踏みしめる音を。

 

「拙い! 馬車よ! この家の人間が帰って来たかもしれない」

「おい。このままだと俺たちが殺害犯って疑われるぜ!」

「どうする?」

「裏の窓から逃げましょう!」

「あ、館の中、私たちの足跡が残ったまま……」

「そんなのいいから急げ!」

 

 慌てた彼らは、邸内に広がる血だまりにつけてしまった彼ら自身の足跡を消す間もなく、何の情報も得られぬまま邸から逃げ出さざるをえなかった。

 

 

 

 その後、彼らの姿は歓楽街にあった。

 人身売買なども行っている犯罪組織にもう一度、話を聞いてみようと思ったのだ。

 数日前もアルシェが話を聞きに行ってみたのであるが、訪れたのはたった1人、それもまだギリギリ少女を脱したという程度のうら若い女性が相手とあって、向こうはまともに話を聞こうともせず、木で鼻をくくるような態度で追い払われてしまった。

 しかし、今度はフォーサイトの仲間たちも一緒だ。武装したワーカーならば、決して威圧で負けることは無いと、再度訪れたのである。

 

 

 だが、その結果は拍子抜けするほどであった。

 

 前回、アルシェとはまともに目も合わせず、物乞いを相手にするように邪険に扱った髭面の男は、やって来たアルシェの顔を見た途端、子供はおろか大人すらも怯えるその顔に満面の笑みを浮かべ、揉み手をしながら奥へと通した。そして、クッションのきいたソファーを進め、上等の赤ワインを手ずから注ぎ、追従の笑みと共に彼らを接待した。

 そのあまりにも手厚い歓待の様子、特にアルシェからすると前回とのあまりの変わりように、彼女は目を白黒させた。

 

 

 

 実は前回の訪問の後、アルシェは通りでベルとマルムヴィストの2人に出会う事となったのだが、その後、彼らと連れ込み宿から出てきたところを、街の者にしっかりと目撃されていたのである。

 マルムヴィストに関する情報をほんの少しでも探し求めていた裏社会の者達の間で、その噂は瞬く間に広がり、本人たちの全くあずかり知らぬ所で、アルシェはマルムヴィストの愛人であるという話がまことしやかに語られたのだ。

 

 

 それを聞いた、かつてアルシェに冷ややかな態度をとった人身売買組織の男は震えあがった。

 

 ――自分の愛人を邪険にされたマルムヴィストが報復に来るかもしれない。

 

 男はこの数日、額に脂汗を浮かべながら過ごしていた。

 廊下の角から誰かが飛び出して来るのではないかと、恐怖に震えた。

 悪夢にうなされ、夜中、飛び起きることもままあった。

 

 そんな折、再びアルシェが自分の許を訪れたのだ。

 今こそ、前回の失態を払拭(ふっしょく)するチャンスとばかり、必死で彼女のご機嫌取りに走ったのである。

 

 

 そんな事情など知る由もない彼らフォーサイトは、とにかくモーリッツ家が何者かに襲撃された件を説明し、その家にいたはずのクーデリカの行方についてなにか知っていることは無いか尋ねた。

 それを聞かされた男は、ゼンマイ仕掛けのように飛び上がり、すぐに調べてきますと一声叫ぶと、転がるように部屋を飛び出て行った。

 

 

 情報を集めている間、男たちを退屈させないよう半裸の見目麗しい女達があてがわれた。ヘッケランとロバーデイクに絡みつきながら、その手の酒杯に酒を注ぎ、時には口移しで飲ませようとするなどの歓待をした。その行為にロバーデイクは固まり、ヘッケランはやに下がり、イミーナとアルシェからは冷たい目で見られた。

 もちろん彼女らの為にも男娼が――それこそたくましい男から年若い少年まで――用意されてはいたのであるが、そちらはいかにも不機嫌なイミーナの眼光によって追い払われた。

 そうしてヘッケランがイミーナの氷のような視線をものともせずに、己が顔面に押し当てられる豊かな双丘――それは彼の恋人にとって、生まれ変わらぬ限り、絶対に手に入れることのないほどのものであった――の感触に心奪われていると、主である髭面の男が部屋の入り口にかけた垂れ布の向こうからまろび出てきた。

 

 

 疲労と緊張に震える彼の口から語られたのは、死の神とやらを崇めるという邪教組織が、モーリッツという貴族の館に押し入り、娘を攫ったらしいという事。その組織では毎回、若い娘を生贄として殺しているという事。

 

 それを聞いたアルシェは血相を変えた。

 男にその攫われた娘の居所を問いただした。

 だが、額に汗を浮かべている男もそこまでは知りえなかった。

 

 そこで激昂するアルシェは男にはさらなる情報収集を要求し、怯えた男は再度部屋を飛び出て行った。

 そうして、じりじりとした焦燥に駆られながら、さらなる時間をその場で過ごした後、ついに生贄となる娘の輸送方法を入手したのである。

 

 

 ただ、その手に入れた情報というのは完全なものではなかった。

 どうやら生贄は複数人用意されるようであり、しかもそれぞれバラバラに、さらに幾人もの人間の手を経て移送されるらしい。そして、その生贄の隠し場所及びそこから邪教組織の会合場所までの完全な輸送ルートは分からず、分かったのは生贄の輸送に関わるであろう数人の運び屋が担当する区間のみの、とぎれとぎれのものでしかなかった。

 

 4人しかいないフォーサイトではその全てのルートを抑えることは出来ない。

 その為、苦渋の決断として彼らが選んだのが、分かった範囲で予想を立て、特定のルート上を移動する馬車を狙うというものだった。

 

 正直、出たとこ勝負な作戦であった。

 なんとか、輸送の馬車が通る区間は判明したものの、そこを通る正確な時間などは分からないし、それぞれの場所も離れている。かなり運が絡む事になってしまうが、移動中の馬車の後をつけ、最終的に邪教組織の集会所に集められたところを狙うよりはリスクが少ないと判断された。

 そういった会合場所には当然、強固な護衛もいるだろう。その守りを突破して生贄を助け出し、そして離脱するのは考えるだけでも困難な事は目に見えていた。そちらは、このやり方で見つけられなかった場合の本当の最終手段としておきたかった。

 

 

 そうして生贄となる少女を輸送する馬車を探して行動していたフォーサイトであったが、たまたまアルシェとロバーデイクの2人が別れて行動していた時に、幸運と言っていいのか悪いのか、ヘッケランとイミーナがそれらしい馬車が近づいてくるのを発見することが出来た。そこでその場にいた2人だけでその馬車を制圧。そして荷台に転がっていた、生贄の少女と入れ替わったベルを助け出したという訳だった。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「どうする? 次に一番近いのはここだが……」

「うーん……。近さではそこだけど、待ち伏せには向かないわね。ちょっと離れるけどこっちの方が……」

 ヘッケランとイミーナの2人は、その手の地図に目を落とす。

 

 馬車で運ばれていた生贄の娘を助けはしたものの、結果は外れであった。馬車の荷台で見つけたのは、目当てのクーデリカではなく見知らぬ女の子であった。

 そこで彼らは情報を掴んでいる別の馬車が通るルートのうち、次はどれをおさえるべきか話し合っていた。移動距離と時間を考えると、あまり余裕はない。

 

 彼らは立った状態で地図を広げて話をしているので、残念ながらベルの身長では、その地図を覗き込むことも出来ない。

 ベルは自分を運んできた馬車に寄りかかり、とりあえず顔には不安そうな表情を浮かべつつ、彼らの話をこっそりと盗み聞きするしかなかった。

 

 

 

 正直、ベルは困っていた。

 ベルの目的は、邪教組織の集会場所を突き止めることと、生贄として攫われたはずのクーデリカを見つける事である。

 その為、こうして生贄の娘と入れ替わり、集会場所まで運ばれるつもりだったのに、この何者とも知れない男女に『救出』されてしまったのである。

 

 

 とにかく、ここでぼうっとしていても仕方がない。

 すぐにこの場を離れ、どうにかして集会場所を捜しに行かなければいけないのであるが……。

 

 

 ベルが動こうとすると、2人のうちエルフの血が混じっているらしい耳の尖った女がこちらに視線を向けた。

 安心させるように笑みを浮かべ、心配しなくていいと声をかけてくる。

 そこでベルからも話しかけた。

 

「あ、あの……助けてくれてありがとうございます。……でも、お家に帰らなくちゃ……」

 

 とりあえず、何者かに攫われて不安そうな少女といった演技でおずおずと声をかける。

 その声に、イミーナは怯える少女を安心させようと柔らかい声でなだめた。

 

「落ち着いて。大丈夫、後で安全なところまでは送って行ってあげるから、ちょっと待っててね」

「……でも、実際の所どうする気なんだ? まさかこの子を連れて探し回るのか? 移動が遅くなるし、それにこの子の安全も保障できないぜ」

「それは分かってるけど……違ってたから、ここではい、お別れって訳にもいかないでしょ。とにかく、もうしばらくしたらアルシェとロバーデイクが合流してくるはずだから、それからにしましょう。全員一緒ならこの子一人連れてても何とかなるんじゃない?」

 

 

 イミーナの口から出てきた名前に、ベルは驚愕のあまり顔をこわばらせた。

 

「あの……お姉ちゃんたちはもしかしてワーカーのフォーサイト?」

 

 その言葉にヘッケラン達も驚いて目を丸くした。

 

「え、ええ、私たちはフォーサイトだけど……あなた、一体どこで私たちの名前を知ったの?」

 

 

 その答えにベルは、その整った顔を少女らしからぬ様子でひきつらせた。

 

 

 ――フォーサイト? こいつらが? しかもアルシェが合流する?

 拙い! アルシェには自分の面が割れている。

 顔を突き合せたら、根掘り葉掘り聞かれる事は間違いない。自分の素性はそんなには語ってなかったものの、なんと言い(つくろ)えばいいのか……。

 

「あ、あの! おれ……ボク、ここから1人で帰れるから、大丈夫だよ!」

  

 突然息せき切って、そんなことを言いだした少女に面食らったものの、彼らは首を横に振った。

 

「駄目よ。この夜道を女の子1人で歩くのは危険だわ。それにあなた、ここがどの辺りなのか分かってるの?」

「ええと……それは……」

「ほらね。知り合いを心配させたくないのかもしれないけど、軽挙はだめよ」

 

 そうイミーナは、慌てる少女をたしなめる。

 

 おそらく服装から見るに、この少女は平民ではなく下級貴族あたりの娘なのだろう。フォーサイトの事を知っていたのは、その家が自分たちに依頼でもしたことがあるからだろうか? もしかしたらアルシェも貴族の家柄だったというから、彼女と面識があるのかもしれない。

 どうも自分たちと関係があるのを知られたくない様子みたいだから、こっそりと家を出たところを攫われたとかで親に知られたくないからだろうか?

 とにかく理由がどうあれ、こんなところに置いていくわけにもいかない。帝都は治安がいいとはいえ、それでも夜間にこんな少女が一人で街を歩けるほどではない。

 

 だが、その少女は更に言いつのる。

 

「い、いや! 大丈夫だよ。そこは……」

 

 ビリィィッ!

 

 その時、布が裂ける鈍い音が響いた。

 

 

 

 ベルが背を預けていた馬車。

 貴族が乗る馬車のように職人の手による丁寧な仕上がりなどは施されておらず、頑丈さを重視しただけの粗末なものであり、また年数による補修も幾度も受けてきたであろう代物だった。壊れた箇所を補修するため打ち付けた釘なども、完全に木板の中に埋まりきっておらず、ところどころ外へ飛び出しているものもあった。

 そんな釘頭の一つ。

 それがベルが勢いづいて話そうと身を乗り出した際、その服の襟に引っ掛かり、またベル自身の怪力も相まって、着ていた布地が一息に大きく破けることになってしまった。

 

 ベルが自分の服を見下ろすと、襟口から腹の近くまでが大きく縦に裂け、そのほっそりとした白い肩口から、そのほとんどふくらみの無い胸元までが、夜の冷たい空気に触れていた。

 

 

「ヘッケラン、アンタは向こうを向いてなさい!」

 

 その姿――特に胸――を思わず凝視したヘッケランを蹴とばすと、イミーナがベルの下へ駆け寄る。

 そして、その大きく裂けた服を見て顔をしかめた。

 

「これは……困ったわね。何か、着るものがないと……」

 

 そう言いつつ、傍らに置いていた背嚢(はいのう)を持ってきて、その中を漁る。

 事が終わった後は、そのまま帝都を脱出するつもりだったため、着替えを始めとした予備の服もまたその中に入っていた。

 そこから何着か服をひっぱり出し、この少女が着れそうな服を捜す。

 

 だが、さすがにベルとイミーナでは身長に差があるため、どの服でもいいという訳にはいかない。幸い、少女の胸のサイズはイミーナと大差がないため、そこは気にしなくてもいい。

 ただ、年齢差を考えると、そこは暗澹(あんたん)とした気持ちになるのだが、ハーフエルフと人間という種族差があるから仕方がないと自分に言い聞かせた。

 

 そうして、あれでもないこれでもないと背嚢の奥から服をひっぱり出していると、その指先に他とは異なる上質の布の手触りがした。

 ひっぱり出してみると、以前、ヘッケランからプレゼントされた白い袖なし服に竜の刺繍が施されたあの服だった。

 

 さすがに、この太もものスリットが大きく空いた服をこの少女に着せるわけにもな、と苦笑を浮かべたイミーナの頭が――。

 

 

 

 ――次の瞬間、はじけ飛んだ。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「ま、まさか……」

 

 ベルは唖然として、呟いた。

 自分の目で見たもの、今、目の前にあるものが信じられなかった。

 

 

 半森妖精が手にしていた服。

 白銀に光り輝くチャイナドレス。その表には金糸で、舞い上がる竜の絵が描かれている。

 

 

 それに向けて、イミーナの血と脳漿で汚れた白い手をのばす。

 

 

 

 この世界に来る前、ユグドラシル最盛期の頃、ベルもまた動画サイトで目にしたことがある。

 あれはたしかアインズ・ウール・ゴウンが「な、なんだ?」カロリックストーンを手に入れたころの事だったか。「おい! イミーナ!」その頃はベルも、熱心に「う、嘘だろ……」ユグドラシルの情報をネットで集めており、ウィキや「て、てめえ! ふざけやがって!!」あちこちの掲示板に大量に流されている、真偽も定かではない様々な情報に日夜、「死ね!」目を通していた。その頃は鉱山の件で他のギルドにウロボロスを使われた直後という事もあり、「くそ、なんだ!」特にワールドアイテム関連の情報を漁っていた。もちろん、「どうなって、どうなってるんだよ!」ほとんどは嘘だとは分かってはいたが。その中の一つに、ワールドアイテムを使用した際の映像があった。「なんで剣が通らない!?」そういうものは、動画編集による捏造がほとんどだったのだが、「化け物か!」この服の造形はその時に見た物とまったく一緒だった。「ちくしょう!!」

 

 

 

 ――って、うっせえな! さっきから!

 

 

 

 ベルが険のこもった眼で振り向くと、憤怒と絶望を共にその顔に湛えたヘッケランがベルの背中に、手にした剣やメイスを幾度も振り下ろしている。

 

 考え事を邪魔されたベルは鬱陶(うっとう)しいとばかり、力任せにその腕を振るった。

 弾き飛ばされたヘッケランは壁に叩きつけられ死んだ。

 骨まで砕けたその体は、叩き潰された虫のごとく、ズリズリと血の跡を残しながら壁を擦り落ち、床へと崩れ落ちた。

 

 

 ようやく静かになったと、その手の服に目を戻す。

 そして、アイテムボックスから巻物(スクロール)をひっぱり出し、〈道具上位鑑定(オール・アプレイザル・マジックアイテム)〉を使用する。

 

 その結果にベルは息をのんだ。

 

 

 

 ――間違いない!

 これはワールドアイテム『傾城傾国』だ!!

 

 

 なんで、こんなものがここにあるんだ!?

 

 いや、この世界はおかしかった。

 どういう訳だか、魔法、特殊技術(スキル)、各種アイテムの効果など、ゲームのままだった事。ゲームの頃の世界法則が通用した事。

 そう、自分たち以外にも、この世界に来ていた者がいてもおかしくはない。

 アインズとベルがナザリック地下大墳墓と共に転移してきたように、ギルド拠点やワールドアイテムと共に、転移してきた者がいてもおかしくはない。

 

 

 そこまで考えたとき、ベルの脳裏に甦ってきたものがある。

 

 それはエクレアが洗脳された時の事。

 あの時の、一切魔法がきかないらしい状態異常。

 そしてあの時聞かされた、不思議な力を使った老婆。その老婆が着ていた服装。

 

 ――まさか、これか!?

 『傾城傾国』か?

 しかし、そうだとするならば、どうしてこいつらはそんなものを持っていたんだ?

 あの婆さんはマーレの魔法で死んだはず。あの後、自分が行って捜索したが、そんなものは見つからなかったというのに。

 何故、ただのワーカーが?

 

 

 次々と頭の中からあふれ出てくる思考の波に混乱するベル。

 その時、その耳に響いたものがあった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「な!? まさか、ヘッケラン!!」

 

 ロバーデイクは絶句した。

 壁際に崩れ落ちた若い男のその体は、何か巨獣に跳ね飛ばされ、激しく壁にでもぶつかったようにひしゃげ、潰されていた。だが、その顔は目や耳、それに鼻、更には耳とすべての穴から血を流してはいるが、長年共に肩を並べてきたあの年若い戦士のものに間違いなかった。

 

「すると、やはりこちらは……」

 

 顔を動かすと、石床にひざまずいたアルシェの前に倒れ伏す頭部のない死体が目に入る。その特徴的な耳はすでにないが、その服装もまた見慣れたもの。

 イミーナに間違いなかった。

 

「そんな、どうして……」

 

 アルシェの頬を伝って、涙が零れ落ちる。

 その涙は血に染まったイミーナの遺体に落ちた。

 

 

 彼らがここに来たのはわずか数分前の事。

 

 当初、フォーサイトの4人は邪教組織の生贄を運ぶルートを見張りに行ったのだが、彼らが向かった先ではすでに目的の馬車は通り過ぎた後だった。

 その為、彼らはチームを2つに分けた。アルシェとロバーデイクは一旦歓楽街に戻り、新たな情報を手に入れてくる。そしてヘッケランとイミーナは馬車が通るらしい別の場所に一足先に向かい、そこでまた合流するという手はずだった。

 

 だが、そうして新たな情報を仕入れてやって来た2人が目にしたものは、停止した馬車とその前に倒れる首なし死体。そして壁際で倒れるもう1人の死体であった。

 

 

 即座に傍らの馬車に目をやった。

 ものすごい勢いで跳ね飛ばされたようなヘッケランの遺体を見て、もしや馬車に跳ね飛ばされたからでは、と考えたのである。しかし馬車にはそんな痕跡はないし、それを曳く馬も力はそれなりにありそうだが、速度が出るようなタイプではない。

 

 荷台を覗くと縛られ、目隠しをされた御者が気絶した状態で転がっていた。

 彼を起こして話を聞いたが、どうやら馬車を走らせている途中で――おそらくイミーナの手により――一瞬のうちに意識を失わされたらしい。何が起こったのかも理解していない様子だった。馬車から地面に降り立ち、そこで初めて転がっている死体に気がつき、彼は悲鳴と共に尻餅をついた。

 ロバーデイクは彼に、今夜の事は他言無用と言い含めてその場を去らせた。御者の男としても、本来、請け負っていたはずの袋に包まれた人間らしきものの輸送に失敗したことになるため、このことは誰にも言う気はなかった。

 そうして男は馬車に乗り、ほうほうの(てい)でその場を立ち去って行った。

 

 

 それを見送ったロバーデイクは崩れ落ちそうになる膝に力を入れ、悲しみ嘆くアルシェに近寄った。

 

「行きましょう。アルシェ」

「でも、2人が……」

「アルシェ、悲しんでいても2人は戻りません。今、優先すべき事は何ですか? それはあなたの妹を助け出すことですよ」

 

 涙にぬれた瞳でロバーデイクを見返すアルシェ。

 そんな彼女に巨漢の神官は優しく言った。

 

「私たちはワーカーです。命を懸け、危険の中に飛び込んで依頼を果たすのが仕事です。私たちの今回の任務、あなたからの依頼は――アルシェ、あなたの妹の救出です。ヘッケランもイミーナもその途中で命を落としたんです。彼らの為にも、この任務はやり遂げねばなりません」

 

 そういうと、彼は背嚢から2枚の布を取り出した。

 

「これは安眠の屍衣(シュラウド・オブ・スリープ)です。彼らの遺体はこれで包んでおきましょう。どこかに運べればよいのですが時間がありませんので、ここに置いておくしかありませんが。あなたの妹を助けた後、街を脱出する際には彼らの遺体も共に運びましょう。復活の費用は膨大なものかもしれませんが、上手くすれば生き返らせることが出来るかもしれません」

 

 ロバーデイクは手早く彼らの遺体を包んだ。アルシェもまた、立ち上がりそれを手伝う。

 数分後、布にくるまれた2つの遺体は出来るだけ目立たぬよう、壁際の暗がりに並べられた。

 それに目をやり、ロバーデイクは一瞬、沈痛な面持ちを浮かべたものの、奥歯を噛みしめ表情を変えた。

 

「さて、これからですが、Eー3地区に行きましょう」

「そこって邪教組織の集会場所があるところじゃない? まさか、集会場所に乗り込む?」

 

 アルシェが地図を広げ、2人はそれを覗き込む。

 さすがに集会の時間ギリギリまで調べ続けた情報だけあり、彼らはより正確な輸送ルート、そして邪教組織の集会場所までも把握していた。

 

「いえ、さすがにそれはしません。しかし、通るかどうかわからないルートをはっていても、とりこぼす可能性があります。そして、その事に気づいた後に集会場所に向かった場合、間に合わない可能性もあります。ですので出来るだけ近い場所で張りましょう。もっとも、あまり近すぎても気がつかれる可能性があります。集会場所がここの赤レンガの3本塔がある倉庫ですので、ええと、このあたり。同じブロックでもギリギリ端のこの地点、ここで待ち伏せましょう」

 

 籠手に包まれた指先で、地図の一点をさす。そこには輸送ルートを示す赤い線が引かれている。

 それを見てアルシェはうなづいた。

 

 

 駆けだすロバーデイク。

 アルシェはそれに続き……。

 一度だけ振り向いて、マジックアイテムに包まれ眠りについている彼女の友人たちを見つめ、そしてまだ生ある仲間の後を追った。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 2人の足音が消えたのを確かめ、ベルは暗がりから、さかさまに顔をのぞかせる。

 人間ならば3人分はあろうかという高さから、音もなく石畳の上に飛び降りた。

 

 

 先ほど、何者かが近づいて来た足音に気がついたベルは、即座に手にしていた『傾城傾国』をアイテムボックス内に放り込んだ。そして、すぐ脇の建物にその跳躍力をいかして飛び上がり、張り出た屋根の軒にしがみついて、身を隠していたのだ。

 ただでさえ明かりの乏しい夜の暗がりの中、普通の人間が視界に収めることのない高さにある影の中など、気がつくことなど出来はしまい。

 そう考えたとっさの行動であったが、どうやら功を奏したようだ。

 

 

 そうしてベルは、ふむと考え込む。

 

 

 この安眠の屍衣(シュラウド・オブ・スリープ)とかいうマジックアイテムに包まれた死体をどうするか?

 

 この世界では蘇生に莫大な金が必要らしい。

 この2人が生き返る可能性は、先ほどの話を聞いていた限りでは、あまり高くもなさそうだ。

 

 だが、可能性は低くとも生き返る可能性はある。そして生き返られるととても拙いことになる。何せ彼ら、とくにヘッケランという男の方は、自分たちを殺したのがベルだという事――まあ、名前は言っていなかったが――を知っている。下手にそのままにしておいたら自分の事が妙なところで広まる可能性も否定できない。

 

 そうならないためにも、ここは誰もいないうちにこの死体を持ち去ってしまい、復活できないようにするのが得策か。

 

 少々気の毒だが、そこは仕方がない。

 どうやら彼らは、捜していた人物と勘違いしたためだったようだが、本当に善意で助けてくれたのであり、それを殺してしまったのは少々心が痛む。

 実に悲しい出来事だった。

 

 

 だが、それもワールドアイテムの為なら仕方がない。

 

 

 この地におけるナザリック強化こそ、何をおいても達成せねばならない最大の目的であり、この殺人と略奪はその為なのだから。

 これもまた最低限の犠牲といえる。

 

 ワールドアイテムというものは何をしても、いかなる犠牲を払おうとも手に入れるべきものなのだ。

 それこそ今回の一件、邪教組織の壊滅やクーデリカの捜索に例え失敗しようとも、ワールドアイテムの奪取を優先させてしかるべきことだ。

 

 アインズだって、責めはしないだろう。

 むしろ、ナザリックの為の最大の貢献となる行為だ。

 ナザリック内のNPCたちからのベルへの評価も、かつてのギルメンと並びまではしないだろうが、それに肉薄する程になるだろう。

 あくまでギルメンの娘だからではなく、ベル個人としての確固たる地位を築くことが出来るのは間違いない。

 

 

 ベルは乾いた唇を舐め、にんまりと口元に笑みを浮かべた。

 

 

 ――あ、そうだ。

 何だったら、この2人は生き返らせてしまってもいいかもしれない。そうすれば、フォーサイトに恩を売るというのもついでに達成することができる。

 蘇生させたうえで、ナザリックの誰かに〈記憶操作(コントロール・アムネジア)〉を使わせて、ベルが殺したという部分の記憶を消してしまえばいい。

 幸い、この現場の目撃者は誰もいない。

 この2人の記憶、それも数分程度だけ誤魔化してしまえば真実を知る者はいなくなる。

 真相は闇の中だ。

 荷物は失くしたことにすればいい。

 ああ、そうだ。この『傾城傾国』の入手経路も確認しておいた方がいい。魔法で尋問すればすぐだろう。もちろん尋問の記憶も消しておかなければならない。

 あとは適当な理由をつけて、生き返らせた2人をアルシェ達に引き合わせればいいだけだ。

 ふむ。それでもいいな。

 うん、そうしようかな。

 

 

 

 そう気楽に考えていたベル。

 

 だが、その時――彼女の背筋に電流のような閃きが走った。

 

 

 

 ――ん? 目撃者がいない?

 

 誰も?

 

 そう、誰も。

 

 

 つまり、この地に住まう者達だけにとどまらず――ナザリックの者達ですらも。

 

 

 

 ベルは辺りを見回す。

 誰もいない。

 目撃者はいない。

 

 

 

 

 普段なら、ベルが行動するときには必ずお供がついていた。大抵はソリュシャン、彼女がいないときには誰か別の者、最低でもギラード商会の誰か。

 だが、今は生贄のふりをして邪教組織の集会場所を突き止めるという任務の為、供の者は誰もいない。

 今この瞬間を見ている者は、先ほどの一件を見ていた者は、この世に存在しない。

 

 

 

 すなわち、ベルがワールドアイテムを手に入れたことを知る者は、アインズ、そしてナザリックの者達を含め、誰一人としていないのだ。

 

 

 

 アイテムボックスを開いて、それをもう一度取り出す。

 

 ワールドアイテム『傾城傾国』。

 

 

 

 ベルは常に恐れていた。

 アインズと敵対することを。

 

 この世界の者達に対しては100レベルキャラとして圧倒的な強さを発揮できるベルであるが、そもそも100レベルのプレイヤーキャラクターとしてはそれほど強いわけではない。

 前衛アタッカーではあるのだが、あれこれと職業(クラス)をばらけて取り、自身の生存性を重視した、様々な状況に対応できる万能タイプであり、ガチ勢でも特化型という訳でもない。特に現在は少女の姿になったことによる戦闘スタイルの変化、及びリーチの減少という弱体化が(はなは)だしい。

 下手に100レベルキャラと戦闘になったら、かなり拙いことになる。

 そしてベルの近くにはそんな存在がいるのだ。

 それも常にワールドアイテムを所持している100レベルキャラがすぐそばに。

 

 モモンガの保有しているあのワールドアイテムは使用に際し、相応のペナルティもあるため軽々には使えないとはいえ、そのようなデメリットもある分、桁外れの威力を発揮する。 

 

 もし万が一、ベルがアインズの機嫌を損ない戦闘にでもになった時、ベルの勝ち目はそれこそ万に一つもない。

 

 

 

 だが、この手に入れた『傾城傾国』があれば……。

 

 

 無論、これがあったとしても、ベルの不利は変わらない。ワールドアイテムを保有している事によりワールドアイテムの効果はうけないが、そもそもの地力が違うのだ。

 しかし、効くと思って放たれたワールドアイテムの効果を無効化できれば、相手の思わぬところで一手、先んじることが出来るのである。

 

 

 また、このアイテムの効果は相手の精神を操り味方とすること。

 上手く使えば、いくらでも有用に使える。ただ下手に使えば、それこそ無用の長物ともなりかねない。これは検証実験が不可欠になるが。

 

 ユグドラシル時代は、ワールドアイテムだけあって――一度に操れるのは一体だけでしかなかったが――ワールドエネミーでもない限り、精神を操る対象に制限はなかったはずだ。

 ……ナザリックの守護者クラスでも操れるかもしれない。

  

 仮に、たった一人だけ味方につけるとしたら――味方につける事で最も有利になる者は誰か?

 ベルは守護者たちの顔を、次々と頭に思い浮かべる。

 直接戦闘能力でシャルティアか?

 それとも、広範囲攻撃を考えるとマーレか?

 いや、直接的な戦闘能力はそれほど高くなくとも、やはり知恵のきくデミウルゴス辺りを味方につけてしまうのが一番だな。

 もし、デミウルゴスを味方につけることが出来れば……。

 

 

 

 その時、さらなる閃きが走った。

 

 

 

 ――この効果……もしかして俺たちにも効くのか?

 

 

 ………………つまり、アインズさん本人にも………………。

 

 

 

 その想像に、ベルは思わず身震いした。

 アインズは常に胸の内にワールドアイテムをぶら下げている。

 それがある限り、アインズにはワールドアイテムの効果は及ばない。

 

 だが、なんらかの口実をつけて、それを外させることが出来れば……。

 

 

 ごくりと生唾を飲み込んだ。

 

 

 

 

 そこまで考えたところで、ハッとしてベルは頭を振った。

 

 ――待て待て。落ち着け。

 そうだ。

 今はそんなことを考えている場合ではない。

 やらなければいけないことがあるんだ。

 

 思いもよらず、ワールドアイテムが手に入ったわけであるが本来の目的、邪教組織の壊滅とクーデリカの捜索をきっちりやらねばならない。

 そちらをおろそかにしていると、なぜそちらの計画が頓挫(とんざ)したのかという事を説明しなければならなくなり、そこからこの場での事、『傾城傾国』を入手したことがばれてしまうかもしれない。

 

 

 

 『傾城傾国』を手に入れたのは、誰にも知られるわけにはいかない。

 これは切り札となる。

 そう、この世界に来てついに手に入れた、自分一人が使えるワイルドカード。

 

 これは……ナザリックのものじゃない。

 これは俺の――俺だけのワールドアイテムだ。

 

 

 

 そうして、ベルは『傾城傾国』を再びアイテムボックスの中に放り込み、これまでの頭を切り替えた。

 今、真っ先にやらなければならない事は、今回の件を誰にも疑念を持たれることなく収める事だ。

 その為には……。

 

 

 あの2人、アルシェと神官の男――たしかロバーデイクだったか――は話していた。

 邪教組織の会合場所は、倉庫街のE-3地区にある赤レンガの3本塔がある倉庫。

 確かにそう言っていた。

 

 事実かどうか、行って確かめる必要はあるが、これは有益な情報だ。

 偽情報の可能性もあるが……ふむ、そうだな。

 

 

 ベルは〈伝言(メッセージ)〉を使った。

 それは数秒程度ですぐに繋がった。

 

《もしもし、ベルさん。どうしました? なにか、想定外の事でも?》

《ええ、ちょいと問題がありまして。つかぬことを伺いますが〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉はどうしてます?》

《そちらは起動していますよ。先に決めた通り、ベルさんの方ではなく、今はソリュシャンの所を映しています。無事、死者の大魔法使い(エルダーリッチ)達と合流できたみたいです》

《そうですか。そりゃあ、良かった》

《? ええ、そうですね》

 

 安堵の色が混じるベルの口調になにやら妙な感じ、まるでインスタントラーメンを作るときに粉末スープなどが入った袋を取り出さないまま容器にお湯を入れたような、言葉にならない奇妙な違和感を覚えたのだが、続くベルの会話にはいつもと変わった感じはなく、気のせいかとアインズは流した。

 

《さてと、それで話なんですがね。どうやら生贄の輸送ですが、ダミーとかも用意していたみたいですね》

《ダミーですか?》

《ええ、俺が入れ替わったのはダミーで、これは集会所までは行かないみたいでした。殺されそうになりましたよ。まあ、逆に殺して死体は始末しておきましたが》

《そうですか。では、肝心の集会所が見つからないという事ですか?》

《それなんですが、そいつらがしゃべっていましたよ。邪教組織の今回の集会場所は、帝都の倉庫街、E-3地区にある赤レンガの3本塔がある倉庫だそうです。一応、これから確認に向かいますが、帝都に展開しているアンデッド達も倉庫街の付近に移動をお願いします》

《分かりました。では、私の方から各人に〈伝言(メッセージ)〉を送っておきますね》

 

 そう言うと、〈伝言(メッセージ)〉は切れた。

 

 

「さて、運よく予想通り」

 ベルはつぶやいた。

 

 最大の問題は解決した。

 ベルが生贄として運ばれていくところを、アインズが〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉で監視していて、先の一件をずっと見ていたとかいう事だと拙かったのであるが、アインズは当初の打ち合わせ通り、こちらは見てはいなかったようだ。

 最初、アインズはそれを提案したのであるが、下手にベルの行く先を〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉で監視していると、もしかしたら誰かの対監視に引っ掛かり、生贄というのが怪しまれるかもしれなかったため、集会場所までたどり着き、連絡が来るまではベルの方を覗かないようにと決めていたのである。

 

 まさか、それがこんなところで有利に働くとはと、ベルはほくそ笑んだ。

 

 

 

 ベルは再び、安眠の屍衣(シュラウド・オブ・スリープ)に包まれた死体に目をやる。

 

 そうと決まれば、こいつらには復活してしまっては困る。

 ベルは〈記憶操作(コントロール・アムネジア)〉など使えないし、巻物(スクロール)もない。もしかしたら宝物庫なり図書館なりに転がっているかもしれないが、それを捜すためにはそのどちらを選んでもナザリックの者に知られる可能性がある。

 そんなリスクは取れない。

 

 結論として、こいつらには死んだままでいてもらおう。

 

 ただ死体を損壊するだけでは蘇生の成功率が低くなるだけで、可能性としては残ったままになってしまう。

 やはり、死体を持ち去ってしまうのが一番だ。後でどこかで処理してしまおう。

 

 

 そう考えると布に包まれた死体を抱え上げ、ベルは自分のアイテムボックスへと放り込んだ。

 

 

 しかし、そこで思わぬトラブルが生じた。

 ヘッケランの方はというと、難なくアイテムボックスの異空間内に放り込めたのであるが、問題はイミーナの方だった。

 頭部が無くなったバランスの悪い身体なのだが、なぜかアイテムボックスには全て入らず、途中で引っ掛かってしまうのである。

 

 このことにはさすがにベルも焦った。

 こんなところで計画に支障が出ては困る。

 

 

 ――いったい何が起きているのか?

 もしかしたらアイテムボックスには使用制限があるのか?

 それとも何か別の要因があるのか?

 

 

 焦燥に身を焼かれながら、何度も試行錯誤していると、ある事に気がついた。

 

 イミーナの身体であるが、途中までは普通に入るのだ。だが、ある一点からそれ以上入らなくなってしまうのである。

 

 なんだろうと疑問に思い、その身を包む安眠の屍衣(シュラウド・オブ・スリープ)を解いてみたり、彼女の服や装身具を取り除いてから、再度試してみたりもしたのだが、それでも結果は変わらなかった。

 何故か彼女の胴体、下腹辺りが入っていかない。

 

 

 だんだんイライラしてきたベルは、彼女自身のダガーを手にとり、その腹を割いて見た。

 すると、そこに奇妙なものがあった。

 

 

 ヴィクティムに似た、それよりもっと小さいもの。当然羽もないし、宙にも浮かないのであるがやや赤黒いところもあるピンクの物体がピクリピクリと動いていた。

 

 もしかしてと思い、それを引きずり出した状態でイミーナの身体をアイテムボックスに入れてみると、腹が切り裂かれ内臓がはみ出している状態ながらも、難なく収めることが出来た。

 対して、そのピンク色の蠢く物体は入れることは出来ない。

 

 

「ああ、なるほど」

 ようやく事態が理解できた。

 

 つまり、おそらくこれはイミーナの腹に宿っていた胎児であり、生命あるものと認識されたのだろう。生き物はアイテムボックス内には入ることは出来ない。その為、これが体内にある状態では、イミーナの死体をアイテムボックス内に入れることは出来なかったのであろう。

 

 

「それにしても、これが胎児か」

 

 ベルとしても本来は女の腹の中にいる状態の生きた胎児など、書籍程度でしか見たことは無い。

 

 ――これが人間の赤ん坊になるのか?

 

 まじまじと見ると、実に不可思議な形状の生き物だ。  

 イミーナの腹から取り出されている状態のため、段々と動きは鈍っているものの、親指で押すとそのぶにゅぶにゅとした身体を震わせる。

 

 

「――っと、そんなことしている場合じゃないな」

 

 ベルは気持ちを切り替える。

 ヘッケランとイミーナの死体の回収は済んだのだから、今はとにかく急いで、その邪教組織の集会所に向かわなくてはならない。

 

 ポイと手にしていた胎児を地面に放り捨てる。

 血となにかの粘液っぽいものに包まれた胎児は地面に落ち、石畳の上を転がった。

 ベルは敷石の上でまだぴくぴくとしているそれに目を向けると、靴で踏みつけた。

 虫のような固い外身もなく、まだ骨もしっかりとは出来ていない状態の為、踏みつけてもぐにゅりとした気持ちの悪い感触しか、その足には伝わってこなかった。

 

 

 そうして、すでに興味を失った胎児から目をそらすと、ヘッケランらが持っていた地図を広げる。

 その紙面上で、ロバーデイクらが邪教組織の集会場所と言っていた地点を確かめると、一息に建物の上まで跳躍する。

 

 そして、蒼白い月光の冴える中、目的地めざして屋根の上を獣のように駆けて行った。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

 

 

 

 弦楽器の奏でる緩やかな音に満たされる会場。

 そこでは誰もがまばゆいばかり煌めきを放つ装身具に身を包み、世界中より集められた美酒と美食に舌鼓を打ち、華美に飾られた表現の行き交う会話に花を咲かせていた。

 頭上高くに据え付けられているのは、満天の星の輝きのごときシャンデリア。それだけでも下手な貴族の数年分、平民ならばそれこそ一つの村の100年分の収入すらも上回るであろう、この世の至高に等しき芸術品は、その下で蠢く虚飾と欺瞞、そして欲望にまみれた人面獣心のパーティーに、色とりどりの宝石に彩られた光の雨を降り注がせていた。

 

 そんな偽りの笑顔と追従の溢れる中にいた、一際目を引く若い男性。

 今もさわやかな笑顔と会話で、南方の密林に住むという美しい鳥たちのように着飾った妙齢の女性たちを楽しませていた彼の許に、この華やかな場にはいささかそぐわぬ目立たないような服装を身に着けた男が近寄ると、その耳元にそっとささやいた。

 それを聞いた彼は、女性たちに中座する非礼を詫び、にぎやかな音に満たされた宴席を後にした。

 

 

 

「どうしたというのだ?」

 

 宴席を抜け出した彼、鮮血帝ジルクニフは、会場から少し離れた控えの間で、顔をそろえた配下の者達を見回した。

 その場には秘書官であるロウネ・ヴァミリオンの他に、帝国四騎士のうちの3人、ナザミ・エネック、ニンブル・アーク・デイル・アノック、バジウッド・ペシュメル、そして主席魔法使いフールーダ・パラダインまでもが顔をそろえていた。

 

 ジルクニフは悠然と余裕を見せた態度であるが、そこに居並ぶ顔ぶれに、これは大ごとのようだなと内心、気を引き締めた。

 

 

 そして、そのなかでロウネが代表して説明を始めた。

 

「陛下。緊急の事態でございます。この帝都において、アンデッドの群が確認されました」

「なんだと」

 

 思わず声を荒げそうになったが、何とか腹に力を入れ、低い声で押さえた。

 

「いまだ全戦力の詳細は調査中でございますが、少なくとも武装したスケルトンが100体以上、そして複数の死者の大魔法使い(エルダーリッチ)も確認されております」

「……っぬぅ……!」

 

 今度はさすがにその動揺を噛み殺しきることは出来なかった。

 

 

 死者の大魔法使い(エルダーリッチ)

 本来ならば幾多の怪物(モンスター)を配下に置き、遥か地底の奥深くに作られた死の迷宮、その最奥で待ち構えるアンデッドの主である。

 それが複数。

 それだけで、その身に宿す魔導の奥義により、下手な軍隊すらをも滅ぼせる程だ。

 しかも、そいつらは3桁におよぶスケルトンの群まで率いているという。

 

「そんな連中がどうやって、帝都に現れたというのだ?」

「原因は不明でございます。ですが、きやつらは人目につかないようにしているようですが、どうやら帝都の倉庫街の方へと集まって行く様子」

「倉庫街? 一体、何が……まさか、あいつらか?」

「はっ。おそらくは例の邪教組織が関係しているかと。今夜の集会場所は倉庫街にある建物の一つを使用するという事ですので」

「ええい!」

 

 ジルクニフは苛立ちまぎれに、傍らの卓に拳を叩きつけた。

 

「どういうことだ? あいつらの集会は邪神を崇めるというのは名目だけで、ただ人を殺して遊んでいるだけではなかったのか?」

「これまでの報告ではそのようです」

「では、何故だ? 何故、今回に限ってアンデッドどもが、この帝都を闊歩(かっぽ)している?」

「申し訳ありません。詳しい事は分かりかねます。ですが今回はいつもと異なり、3人もの生贄を捧げることになっているとか。そのあたりが関係しているのかもしれません」

 

 ちらりと傍らの大魔法使いに目をやる。

 それを受けてフールーダが語りだす。

 

「ふうむ。正直、例えそれが本当にアンデッド召喚の儀式だとしても、人間3人程度でそれほど大量のアンデッドを召喚できるというのは信じがたいですな。魔法により召喚されるアンデッドというのは、自然発生するアンデッドとは似て非なるもの。その召喚にははるかに膨大な魔力が必要になります。到底3人程度では足りますまい。……そうですな。考えられるものとしては強大なマジックアイテムでしょうか? もしくは生まれながらの異能(タレント)ですな。その3人の誰か、もしくはその邪教組織に関わる何者かがアンデッドに関する生まれながらの異能(タレント)を保有していたとか。……まあ、どちらにせよ、あくまでこれは想像でしかありませんが。それよりは事にどう当たるかを考えるべきでしょうな」

 

 その説明に、ジルクニフは頭を振った。

 

「そうだな。ここで原因を考えていても始まらん。まずは対処だ。ニンブル、騎士団はどうなっている?」

「はっ! すでに近衛の騎士団は招集済みです。それと、帝国魔法院の方から魔法詠唱者(マジック・キャスター)も集めております」

「部隊の編成は?」

「はい。混成でございます。各部隊5~8名につき、魔法詠唱者(マジック・キャスター)1~4名を混ぜて編成しております」

 

 それを聞いたフールーダはその白いひげを撫でつけた。

 

「ふむ。それが一番効率よかろう。大規模戦闘ならともかく、ある程度の小規模ならば、その編成の方が小回りが利く」

「エ・ランテルの件を聞き、準備と訓練をしていたのが不幸中の幸いですな」

 

 ロウネの言葉に皆が頷く。

 エ・ランテルで起きたアンデッド騒ぎの件は、ここ帝国でもよく知られていた。

 そして帝国上層部は、もしこの帝都であのようなアンデッドの大群が出現した時にはどう対処すべきかという事を日夜検討し、それに合わせた訓練を行っていた。

 けっしてこの帝都をエ・ランテルの二の舞にはさせぬという強い決意のもとに、ジルクニフによって集められた帝国有数の頭脳と力の持ち主たちが入念に対策を練り、万が一の事態に備えていたのだ。

 それが役に立つ時が来た。

 

 

「民衆の避難はいかがいたしましょうか?」

 

 ナザミの声にジルクニフは首を振った。

 

「いや、それはいい。下手に帝都で大規模に民衆を避難させると、混乱とそれに伴う流言の為に収拾がつかなくなる。アンデッドどもが現れているのは倉庫街なのだろう? 幸い、あの辺りは元から住んでいる人間はほとんどいない。巻き込まれる人間も少ないだろう。それより、迅速に包囲網を敷き、倉庫街の中に連中を抑え込み、撃破するのが最良だ。その方が被害も少ない」

「はっ! ではそのように」

 

 頭を下げるナザミ。

 そんな彼を横目に、椅子に腰かけていたフールーダが立ち上がった。

 

「陛下。この私も出ましょう」

「じいもか?」

 

 その提案にはジルクニフも面食らった。

 確かにフールーダならば、死者の大魔法使い(エルダーリッチ)相手にも十分太刀打ちできるだろう。魔法詠唱者(マジック・キャスター)を加えた騎士団達だけでは、どうしてもかなりの被害は出てしまうだろうから、フールーダも出てくれるのであれば、これほど頼もしい事はない。

 

 しかし、フールーダはまさに帝国の守護神。

 ここで帝国の最高戦力というカードを使ってしまっていいものか?

 

 ジルクニフの逡巡を理解しているフールーダは言葉をつづけた。

 

「今回の件、最大の相手が死者の大魔法使い(エルダーリッチ)だけでは収まらないかもしれません。もしかしたら、死者の大魔法使い(エルダーリッチ)すらも支配下に置いているような何者かが糸を引いている可能性もございます。個人的にはそのような者がいたら、語り合ってみたいとは思いますが……まあ、それは置いておくにしても、ここは戦力の出し惜しみをすることなく叩き潰すのが良策と考えます。下手に時間をかけて、エ・ランテルの時に噂であったようにデスナイトが出現しては、被害を抑えることは出来ますまい」

 

 その答えはうなづけるものだった。

 たしかにここで戦力の逐次投入という愚を犯すよりは、倉庫街という民衆に被害のほとんどない場所でケリをつけてしまった方がいい。

 

 

「よし。では、そうしよう。皆よ、急げ! この地にて策謀を企てる愚か者どもに、我らが帝国で愚挙を行った報いを受けさせるのだ!」

「ははっ!」

 

 




 いいかげん、この帝国編も長くなってきてしまいましたので、サイドストーリーを減らしてメインを進めて行こうと思います。


 11巻で色々新設定とか出てましたが、今後予定していた展開どうしよう……

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