オーバーロード ~破滅の少女~   作:タッパ・タッパ

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 ちょっとだけ、グロっぽいシーンもあるためご注意ください。



第59話 禍福は糾える縄の如し

 ズンとその身体が音を立てて敷石の上へと崩れ落ちる。

 首から上を無くし、地に転がる緑の巨人。その肉体からは赤い霧のようなものが湧きだし、見る見るうちにその巨体がしぼんでいく。

 やがて、そこに残されたのはすっかり干からびた矮躯(わいく)であった。

 

 

 

 その光景をアルシェは呆然と眺めていた。

 あれほど強大にして、絶大な強さを誇っていた妖術師。ズーラーノーンの十二高弟の1人、ズル=バ=ザルが為す術もなく殺されたのだ。

 

 

 その戦いはまさに一方的なものであった。

 思い返すだけで背筋に戦慄が走った。

 

 ズル=バ=ザルの放つ赤い光弾は、ほのかな明かりに包まれた老執事のその掌ですべて受け止められ、その巨体から繰り出された拳は、軽く伸ばした人差し指と中指によって難なく止められた。

 そして、老執事の放った一発の拳。

 それだけでズル=バ=ザルの頭は容易(たやす)く吹き飛び、長き時を生きたその邪悪なる生命の炎は、今日この時を持って潰えた。

 

 

 ロバーデイクから回復魔法を受けつつ、アルシェはその凄まじいまでの強さにごくりと喉を鳴らした。

 

 その音に、ちらりと目をやる執事。

 向けられた視線に敵意などは感じ取れなかったものの、アルシェは先ほどの戦闘を思い返し、震えあがった。

 

 だが彼は視線を戻すと、石畳の上にへたり込んでいたクーデリカの許へと足を向けた。

 彼女の目の前で高級そうなその衣服が汚れることも(いと)わず地面に膝をつき、少女にやさしく話しかけた。

 

「大丈夫でしたか、クーデリカ」

「セバス様ー!」

 

 クーデリカはその首筋にしがみつく。そして、その身を嗚咽に震わせた。

 セバスは抱きかかえた彼女の背をポンポンと優しくたたく。

 そして安心させるように穏やかな口調で語りかけた。

 

「クーデリカ、この街を出ましょう。何も心配する事はありません。大丈夫、あなたの姉妹であるウレイリカも見つけて保護してあります。彼女も一緒ですよ」

「ウ、ウレイ!?」

 

 思いもかけず飛び出たその名に、アルシェは声をあげてしまった。

 突然の声にセバスが振り向く。

 制止しようとするロバーデイクにもかまわず、彼女は妹を抱く老執事に詰め寄った。

 

「あ、ああ、あの! 今、ウレイリカって言いませんでした!?」

 

 息せき切って問いかけてくる女性に、セバスはその顔に困惑したような表情を浮かべた。

 

「はい。そう申しましたが、あなたは?」

「わ、私はアルシェといいます。アルシェ・イーブ・リイル・フルト! クーデリカとウレイリカの姉です!」

 

 

 その言葉にはさすがのセバスも驚き、微かに眉を跳ね上げた。抱きかかえるクーデリカへと視線を向ける。

 少女はセバスに対し、彼女こそ自分の姉であるという事を告げた。

 

「そうでしたか。これは失礼を。はじめてお目にかかります。私はセバスと申します」

「セバス……。あの……モーリッツ家の? あれ? でも、貴族……ですよね?」

 

 話に聞いた分だと、モーリッツ家のセバスとは王国貴族、それもその家の中ではかなりの地位にあるはずだ。それなのに目の前の人物が着ているのは貴族が着るような豪奢(ごうしゃ)な服ではなく、黒い執事服である。

 だが、セバスは困惑する彼女の疑問を解くことなく話をつづけた。

 

「はい。こちらではそう名乗っておりました。それより、アルシェ様はこの後どうされるおつもりですか?」

 

 その問いに、アルシェは一瞬声に詰まった。

 

「は、はい。……その……出来れば妹たちと一緒に街を離れたいと思うのですが……」

 

 思わず声が尻すぼみになってしまう。

 ズル=バ=ザルを倒しクーデリカを助けたのはこのセバスであり、ウレイリカもまた現在この人物の下にいるようだ。この恐ろしいまでの戦闘力を誇る執事がどのような目的で妹たちを保護していたのかは不明であり、すんなり返してくれるかは分からない。姉であるアルシェの存在がその目的に反する場合、殺されてしまう可能性もある。

 

 

 アルシェは喉がひりつく感覚を覚えた。冷や汗を流して、老執事の顔を(うかが)う。

 セバスは思案顔で、その白い髭を撫でた。

 

「なるほど。いささか問題になっている様子ですから、この街からは離れてしまった方がよいでしょうな。とにかく、先ずはこの場を離れるとしましょう。この者が帰ってこない事を不審がり、仲間が捜索に来る恐れがありますので」

 

 確かに言う通りだと、アルシェは自分の元に走り寄って来たクーデリカの肩を抱く。

 そして、やはりセバスの事は気になるため、ちらちらとそちらの方を向きつつも、ロバーデイクと共に帝都の外れ、元は皆で街を脱出するために準備していた場所へと移動することにした。

 

 

 そんな彼らの後ろを歩きながら、セバスは懐からこっそりと〈伝言(メッセージ)〉の巻物(スクロール)を取り出した。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「諸君! 讃えよ、偉大なる神を! 大いなる死の神を! 敬服せよ! 生と死とつかさどる神に礼賛を!」

「生と死とつかさどる神に礼賛を!」

 

 神官の声に続き、その場にいた者達の声が唱和する。

 

 

 すでに『儀式』は盛り上がりを見せている。倉庫の地下に作られた秘密の空間に、今、幾人もの人間たちがひしめいていた。

 その誰もが顔の上半分を隠す仮面をかぶっている。そして、彼らが身に着けているものといったら、その覆面の他は何も身に着けていない。生まれたままの裸身そのままである。それでもまだ、本当にこの世に生まれたままであったのならば、まだよかっただろう。彼ら、彼女らの姿は、皆がこの世に生まれ出て後に過ごし、経験を積んだ年数と同じだけ老いさらばえた姿であったのだから。

 

 

 そんな異様な人間たちがこぞって興奮している(さま)に、クレマンティーヌはその喧騒から離れるよう避難した壁際で、皮肉げにその口元を歪めた。

 

 

 

 あの後、クレマンティーヌらは待ち続けた。

 他の生贄が届く事を。

 そして、ズル=バ=ザルが帰ってくる事を。

 

 しかし、いくら待っても次なる馬車がこの秘密の集会場所である倉庫に到着することは無く、ズーラーノーンの十二高弟と(うた)われた男が帰還する事もなかった。

 その事態にクレマンティーヌは、やはり自分が探しに行ってくると主張したのだが、それは神官が何とか押しとどめた。

 

 儀式の最中にはクレマンティーヌがいてもらわなければ困るのだ。

 儀式に参加するのは全員が貴族なため、めったの事はほとんど起こらないのであるが、殺人と流血による狂気が蔓延する場の空気にのまれ、前後不覚の狂乱状態に陥り、暴れ出す者も時折出る。

 そんな時、それを止める役の者がいなくてはならない。暴れ出したといってもその人物は貴族なのであり、取り押さえる際に怪我などさせてはいけないのだ。必然的に高い技量の者が必要になる。神官である彼が儀式を中断して取り押さえるわけにはいかないので、クレマンティーヌ、もしくはズル=バ=ザルのどちらかが儀式に同席してもらっていなければ困るのだ。

 

 その説得にクレマンティーヌはやれやれと肩をすくめて首肯した。

 クレマンティーヌもズーラーノーンの一員であり、自分より高位の者だと思っている神官は、彼女が自分の意見を聞き入れてくれたことに安堵の息を吐いた。

 

 

 

 しかしながら、いつまでもこうして待ち続けているわけにもいかない。

 すでに参加する貴族たちは全員集まっているし、儀式の準備も整っている。

 むしろ、何故いつまでも儀式が始まらないのかと彼らの内には不満が生じ始めている。

 

 これ以上儀式の開始を引き延ばすわけにはいかない。

 

 そう判断した彼は、まだ生贄は1人しかいないのではあるが、1人いれば可能だとして、儀式の開始を決めた。

 

 

 

「贄を! 死をつかさどる神に、若き魂を捧げよ!」

 

 神官の声が響く。

 その言葉を皆が繰り返す。

 それなりに広いとはいえ、この閉じた地下空間に反響する音の震動が、その場にいた者達の耳朶(じだ)を打つ。

 

「贄を!」

「贄を!」

「生贄を!」

「神に生贄を!」

 

 叫ぶような声と共に、集団の後ろから細長い物が運ばれてくる。中になにか柔らかく、それなりの重量をもったものを入れているであろう灰色のズダ袋。それが彼らの頭上を通過する。全員が手を伸ばしそれを前へと押し運ぶ。

 

 やがて、最前列の人間がその袋を石床へと投げ捨てた。

 落ちた衝撃に中から、くぐもった悲鳴が上がる。

 

 両手を高く掲げた神官が大仰にその生贄の入った袋へ近寄ると、手にした銀のナイフで袋の口を縛る紐を切る。

 

 袋の中からは、美しいというよりは可愛いという表現が似合う、人を安心させるような穏やかな容姿の若い女性が転がり出てきた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 クリアーナ・アクル・アーナジア・フェレックは混乱の中にいた。

 

 自分はなぜ、こんなところにいるのだろう?

 奉公先の貴族から新しい勤め先を紹介されたはずだ。そして先ずは紹介と面接があると言われ、指示された場所にいってみたところ、そこは貴族の屋敷ではなく、古びた建物の一室であった。とりあえず中に入ってみると、そこにいたのは1人の温和そうな男性。その彼から、しばらくしたら主人がやってくるのでそれまで待っていてほしいと飲み物を薦められた。それを口にしながら、椅子に座って待っていたところ、突然眠気に襲われ、気がついたら何かで顔を覆われ、手足もまた拘束され身動きが取れないような状況であった。

 そうして袋に入れられたまま運ばれ、今、ようやくそこから出ることが出来たのだが、辺りを見回した彼女の目に映ったのは、今まで彼女が生きてきて目にしたことはおろか、想像だにしなかった光景。

 

 

 目の前には怪しげな骨で作られた奇妙な彫像と燃え盛る蝋燭。その向こう、階段状となっているその上には、紅玉やサファイア、トパーズなどがふんだんにちりばめられたラピスラズリの祭壇が鎮座している。周囲の壁には、見たこともないような奇怪な紋章というか図形というか分からないようなものが金糸で縫い上げられた、朱色の垂れ布がかけられている。

 

 だが、それよりなにより、クリアーナの精神を打ちのめしたのは、彼女の周囲を取り囲む人の姿。

 顔の上半分を貴族が素性を隠すときに使う仮面で覆いながらも、それ以外は全く何も身に着けていない、裸身をそのままさらした男女の人、人、人。

 

 まさに悪夢そのままの光景であった。

 

 

 その人垣の中から1人の人物が進み出る。

 他の者と同様に顔半分は隠しているものの、そのかつては引き締まっていたのだろうが、今は皮がたるんだ肉体を隠すことなく晒している。

 

 男の手には金と瑪瑙(めのう)、そしてトルコ石で装飾された銀のナイフが握られていた。

 

 

 クリアーナは男が近づいて来ても、悲鳴は上げなかった。

 胆力があるなどという訳ではない。

 その口は歯の根がかみ合わぬほど打ち鳴らされ、悲鳴をあげる余裕すら無かったからだ。

 

 

 ――夢。これは夢! 早く、早く覚めて!!

 

 

 クリアーナは近づいてくる凶器を持った男を見ぬよう、きつく目を閉じ、この悪夢が消え去るように祈った。

 

 

 ――早く目覚めねば。きっと自分は今、新しくメイドとして使えることになる貴族の面接を迎えるところなのだ。おそらく、新しい主人との顔合わせに緊張したところで温かい飲み物を貰ったために、うとうと(・・・・)してしまったのだ。

 早く。

 早く、目を覚まさないと!

 

 

 やがて大股であるいて来た男が彼女の髪を掴むと、クリアーナの身体は恐怖にビクンと震えた。その頭を後ろにそらせる。

 必死で夢から覚めることを祈るクリアーナの首を、男の手に握られた芸術品のような美しいナイフがかき切った。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 頸動脈を切り裂かれ、噴水のように吹き上がる鮮血をその身に受け、更に儀式は狂乱の渦にのみこまれた。

 

 

 ナイフを手にした者達が少女の許へ殺到し、自分もまた邪神へ生贄を捧げる行為を果たすべく、まだ温かい彼女の肉体に刃を突き立てる。

 吹き出す鮮血をその身に受けた者達は、それがまるで若返りの妙薬であるかのように、鉄臭い液体を自らの身体に塗りたくった。

 それだけでは足らぬとばかりに息絶えた少女の肉体に殺到し、その刃で切り刻まれた傷跡に手を突っ込むと、それを力を込めて引き裂き、細かな肉片をむしり取る。それをあたかも神聖なものであるかのように掲げ、肉片から滴る血液を己が顔面に振りかける。

 

 誰もがはしゃいでいた。

 血に狂っていた。

 もはや正気の仮面を脱ぎ捨てた祭りは、さらなる狂騒に包まれていた。

 

 

 その為、彼らはその事に気がつくのが遅れた。

 

 彼らが崇める邪神の祭壇、そこに黒い闇が出現したことに。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 静寂の波が集会に参加した者達の間を駆け抜けた。

 

 最初にあの闇に気がついた者は誰だったか?

 誰もが血の興奮の中にあり、異変には気がつかなかった。

 大勢の中には暗黒が出現した瞬間を見ていた者はいたのだが、その人物にしても、あまりの事に気圧され言葉の一つも発することは出来なかった。

 

 最初、揺らめく暗黒が邪神を迎えるため――少なくとも建前上はそういう事になっている――に用意された祭壇――普段使っている場所では石の玉座だったが、さすがにアレをここまで運んでくることは容易ではなかった――の上に出現した。

 そして、ハッと目を向けたときにそれは、さらに一回りも大きい暗黒に覆われていた。だが、彼は一瞬だが見た気がした。最初に出現した揺らめく暗黒の中から、豪奢なガウンを身に纏った白い人骨のようなもの、まさに邪神というよりほかにない存在が現れたことを。

 

 

 

 誰もが全身に赤い血を浴びたまま、凍り付いたように動きを止めていた。

 それはこの場を取り仕切る神官、そしてクレマンティーヌもまた例外ではない。

 皆一様にこの突然の異常事態にどう反応していいか困惑していた。

 

 

 やがて、声が響いた。

 この場にいる誰のものでも無い声。

 それはその暗黒の中より聞こえてきた。

 

「お前たち……お前たちは何を望む……?」

 

 静かな響きを持つ男性の声。

 その声を耳にした者達は息をのんだ。

 

「……お前たちは私を呼んでいたのではないか……? 何用があり、この私を讃え、贄を捧げるか?」

 

 

 その場にいた者達は、その言葉にただパクパクと口を動かすだけであった。

 だが、やがて一人の男がかすれるような声を発した。

 

「……い、命を……永遠の命を……」

 

 その言葉が呼び水となったように、他の者も声をあげる。だが、異口同音に繰り返される彼らの願いは皆同じ。

 

 

 ――老いから遠ざかりたい。

 ――迫りくる死の手から逃れらたい。

 ――どうか、どうか邪神様、我らの願いをお聞き届けください。

 

 

 連なる声が合唱のように秘密の地下空間に反響する。

 やがて、張りのある声が轟いた。

 

「騒々しい、静かにせよ!」

 

 全員、びくりと身を震わせ、再び場が静寂に支配される。

 しかし、次に聞こえた言葉に、彼らは皆一様に息をのんだ。怯えの爪が心胆にまで食い込む彼らの耳に届いたのは、信じられないような内容であった。

 

 

「なるほど。そなたらの願いは分かった。その願い叶えよう」

 

 

 その答えに誰もが耳を疑った。

 

 ――まさか、本当に?

 

 嘘だと否定する気持ちと、もしや事実なのではという相反する気持ちが皆の心の内で渦巻いていた。

 

 

 そんな彼らに対し、暗黒の奥から現れたのは雪花石膏(アラバスタ―)より白い骨の手。

 目を見張るような輝きを放つ、一体金額にしていかほどの価値を持つかも考えるだに馬鹿らしいほどの大ぶりな宝石のついた指輪。それをいくつもその指にはめた手が伸ばされた。

 尖ったその白い指先が1人の人物を指し示す。

 その先にいたのは、この邪教組織を取り仕切っていた神官。

 

 皆の視線が法服を着た彼の許へ集まる中、祭壇上の邪神は魔法を唱えた。

 

 

 〈即死(デス)〉。

 

 

 身じろぎ一つ許されず、神官は命を奪われ、固い床の上に転がった。力なき体は置かれていた邪神の彫像を倒し、骨で作られたおどろおどろしい虚仮(こけ)脅しの代物は石床の上で砕け散った。

 

 一同が唖然として見守る中で、倒れ伏した神官の死体の上に奇怪なものが出現する。

 中空に表れた黒い霧がとけこむように、その死体に纏わりつき、消えていった。

 

 すると、どうだ。

 その死体がピクリと動いた。

 

 誰もが瞠目(どうもく)する中、彼は再びその2本の足で立ち上がり、喉の奥から絞り出すような声をあげた。

 その顔はかつての生命溢れた、集会に参加する女性陣から人気のあった端整といえるようなものではない。干からび、引き()れた皮が、骨にこびりついているだけという容貌。

 

 その姿は死者の大魔法使い(エルダーリッチ)そのものであった。

 

 

「……そ、そんな……」

 

 誰が漏らしたかもわからぬその言葉を聞き取った邪神は言葉を返す。

 

「お前たちが望んだのだろう? 老いすらなく、死から遠き存在になりたいと。私はその願いをかなえよう。お前たちにはアンデッドとなり、この私に未来永劫、仕える栄誉を与えようではないか」

 

 その言葉に甲高い悲鳴が上がった。

 その場にいた者は男も女も、老いも若きも、貴族としての地位の上下も区別なく、その身を恐怖で震わせた。誰しもが恐れ慄いた。

 

 そして邪神は新たに別の人物を指さす。

 その指先で指し示された者は先の神官と同様、抵抗すらも許されず命を奪われ倒れ込み、そしてアンデッドとして甦った。

 

 

 

 場をパニックが襲った。

 誰もが恐慌に陥ったまま、我先にこの場から逃げ出そうとした。

 悲鳴と怒号、そして罵声が場を支配する。倒れ込む者。踏みつける者。誰もが全裸に返り血を浴びた姿で、押し合いへし合い出入り口へと殺到する。

 

 そんな彼らに対し、高笑いをあげ続ける邪神。

 逃げ惑う人々に対して次々と指先を向け、幾度も死をもたらす呪文を投げかける。

 そして、その魔法により死した者は奇怪な邪法によってアンデッドとして復活し、今の今まで肩を並べていた生者に対して魔法を投げかけた。

 

 

 やがてその指先が次なる獲物を捜し、壁際を逃げようとした人物に向けられた。

 その骸骨の指の先にいた女性、クレマンティーヌは背筋を駆け抜ける戦慄に彼女らしからぬ声を喉の奥で漏らした。

 

 だが不思議な事に、彼女に向けて突きつけられたその指先であるが――不意に躊躇(ちゅうちょ)するように宙を泳いだ。

 

 そして、クレマンティーヌの隣にいた別の者にその指先は向けられ、その標的となった老女は声も上げずに倒れこんだ。

 

 

 ――どういう訳だかは分からないが、今、この時をおいて助かるチャンスは二度とないかもしれない。

 

 クレマンティーヌは肉体能力を上昇させる武技を発動させると、逃げ惑う人々の頭を踏みつけて跳躍した。はるか頭上、垂れ布の裏にあるキャットウォークに手をかけ這いあがると、そこから外へとつながる側道へと逃げ込んだ。

 

 

 

 

 しばしの狂乱の後、再びこの地下空間に静寂が戻って来た。

 苛烈なる殺戮の行われたその場に残されたのは幾体かの死体と、新たに生み出されたアンデッドたち、そして祭壇上にたゆたう漆黒の闇だけであった。

 

 やがて、その祭壇上を覆っていた闇が消える。

 暗黒が掻き消えたその場にあったのは、先のものより一回り小さな深淵の揺らぎと、豪奢なガウンに包まれた骨だけのアンデッドであった。

 

 

 その場にいたアンデッドたちは皆、その死の支配者(オーバーロード)に向かい(こうべ)を垂れた。

 彼のすぐ脇、床に出来た影の中から、全身を忍び装束で包んだ人型と漆黒の悪魔が出現し、同様に膝をつく。

 

 アインズは彼らに向けて軽く手を振り、新たに生み出されたアンデッドたちはここから出て逃げた者達を追う、シャドウデーモンはあらためて倉庫周辺を調べる、そしてハンゾウはこの場に残り自分の護衛をするように、と指示を出した。

 

 深く頭を下げると異形の者達は皆、行動を開始した。

 

 

 

 そんな彼らを見送り、アインズは〈伝言(メッセージ)〉を送る。

 

《もしもし、ベルさん》

《ん? あ、はーい。どうしました?》

 

 その言葉におやと思う。

 

《あれ、まだ着替え終わってません?》

《今、体を洗い終えて、着替えて執務室に向かうところですよ》

《ああ、そうでしたか。ええとですね。こっちは終わりましたよ》

《あ、もう終わらせちゃいましたか? すみません。ちょっと、いつもはソリュシャンがやってくれているんですけど、エントマに頼んだら、物の置き場が分からないらしくてですね。時間がかかってしまいました》

《なるほど、他人の物の配置って、どこに何があるか分かりませんからね》

《ええ、そんな訳で今、〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉のある執務室に向かっているんですが、どうでしたか?》

《特に問題はありませんでしたよ。邪神様とか言ってましたから、邪神のふりをして現れて、尊大な口調でしゃべってやりました。でも、大声を出したり高笑いしたりしたんで、ちょっと後で喉が痛くなりそうですね》

《骨だけなんですから、喉なんてないでしょうが》

 

 ははは、と2人で笑いあう。

 

《それでまあ、集会に集まっていた者達を何人か殺して、目の前でアンデッドにして見せたら、皆怖がって逃げて行きましたよ。これでいいんですよね?》

《ええ。今回の目的は帝都で多少の混乱を引き起こすことも含んでいますから。逃げ出したそいつらは、周辺に展開させているアンデッド部隊に殺させる。まあ、何人かは逃がすつもりですが。そうしていれば人目について、衛士たちが集まってくるでしょうから、そいつらと適度に戦闘して暴れたら、頃合いを見て撤退させる。後はそちらの倉庫に向かって撤収してきたアンデッドたちを回収して終了です》

《その帝都の衛士たちとの戦闘が気になるんですが、大丈夫ですよね?》

《大丈夫でしょう。エ・ランテルの例を見るに、基本、街の外からの攻撃には備えていても、街中で起こった突然の事には、そうそう即応は出来ないようですし。慌ててやって来た第一陣を適度に蹴散らして、あとは撤退するだけです。そんなに危険もないでしょう》

 

 ベルの説明に、なら一安心とアインズは胸をなでおろした。

 その時、アインズはそう言えばと、先ほど心に引っ掛かったことがあったのを思い出した。

 

《あ、そうだ、ベルさん。ちょっと、気になることがあったんですがね》

《何ですか?》

《はい。実はこの集会場所にですね。エ・ランテルで会った金級冒険者がいたんですよ》

《ん? エ・ランテルの冒険者?》

《ああ、いえ。エ・ランテルで会ったのであって、その後モモンとして活動している間も見かけたことは無かったので、エ・ランテルをホームとしているわけではないみたいですが。ほら、前、話したでしょう? エ・ランテルで騒ぎを起こした時に、私が行く一足先に墓地でズーラーノーンと戦っていた女冒険者ですよ》

 

 ベルは記憶をたどる。

 

《……あー。たしか、そんな事言ってましたね。……え? その冒険者がここにいたんですか? んん? そいつってズーラーノーンと戦っていたんですよね。なんでこんなとこに?》

《はい。もしかしたら潜入捜査中だったのかも。……とりあえず殺さず逃がしたんですが、外にいる者達には、そいつを狙わないように言った方がいいですかね》

《うーん、そうですねぇ。……そもそも、そいつってどんな奴なんです?》

《あれ? 言ってませんでしたっけ? ええとですね……》

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

《――え!? そいつって……》

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 帝都の各所に展開していたナザリック配下の者達。

 彼らに対し、ベルから〈伝言(メッセージ)〉で檄文が飛んだ。

 

 『邪教組織の集会所から逃げたと思しき、クレマンティーヌという女を抹殺せよ』

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 そのクレマンティーヌは街灯もない夜の闇を駆けていた。

 左右に並ぶ高く冷たい石作りの壁は青白い月光に照らされ、陰鬱たる印象と共に、己の頭上にのしかかってくるような感覚すら覚える。

 

 彼女は必死で遁走していた。

 漆黒聖典として、幾度も死線を潜り抜け、常人では目にすることもないようなものを幾度も目の当たりにしてきた彼女であったが、そんな彼女をして、あの場に現れたものにはその身が(おのの)いた。相対(あいたい)するだけでその危険さは肌身に染みた。

 

 

 ――いったい、アレは何なのか?

 

 あいつが使った魔法。〈即死(デス)〉など伝承の中でしか聞いたことがない。

 それを容易く行使し、更には何の触媒もなしに死者の大魔法使い(エルダーリッチ)クラスのアンデッドを生み出す存在。

 

 

「まさか、……本当に邪神だとでもいうの?」

 

 

 元より肌を惜しみなく晒した薄着の鎧であるが、その身に走る冷たいものは、決して夜の冷えた空気によるものではない。

 

 

 ――とにかく街を脱出しなければ。

 あんなものがいる地から、一刻も早く離れねばならない。

 

 その後はどうするか?

  

 アレの存在を法国に伝えるか?

 しかし、そうした場合、六色聖典に討伐の任務が下りるかもしれない。そうなれば漆黒聖典である彼女もまた参加しなくてはならない。六色聖典の上位者たちと共にならば、何とかなるかもしれないという気も湧いてくる。少なくとも、彼女一人で立ち向かうよりは、はるかにマシだろう。

 だが正直、彼女自身としてはアレと再び対峙するのは御免であった。

 

 となると、このまま誰も知らない土地に逃げるか?

 いや、何の手札もなく法国を離れて、風花の目を逃れ続けけられるか疑問だ。どういう手管を使っているのかは彼女にも分からないが、法国の手は長い。その調査の網は周辺諸国に張り巡らされている。彼らの目から逃れようとするならば、それこそ中原の、人間の支配領域外まで逃げねばならないだろう。

 そんな場所に行くのは、さすがにクレマンティーヌといえども、躊躇せざるを得ない。

 

 

 

 そんなことを考えながら走っていたため、その先に待ち構える存在に気がつかなかったのは彼女らしからぬことであった。

 

 

 不意に彼女の目の前にアンデッドの軍勢が現れた。

 

 驚愕に目を丸くするクレマンティーヌ。

 

 武装したスケルトンたち。しかし、よく見るとただの下級アンデッドではない。低級のもののような無理矢理魔法で動かされているような固い動きではなく、あたかも生命あるかの如き滑らかな動きをしている。しかも、その手にした装備はほのかに光を放っていた。

 

 ――まさか、魔法の武器? それも全部? 全員が魔法の武器を持っているなんて!?

 

 しかし、いかに魔法の武器を持ち、通常のスケルトンよりは強力なアンデッドであるとはいえ、そいつらだけならば漆黒聖典に名を連ねる者なら、鎧袖一触に蹴散らせるのは間違いない。

 

 彼女が真に瞠目(どうもく)したのは、スケルトンたちの隊列の奥から現れた2体の怪物(モンスター)

 一体は彼女もよく見知ったアンデッド、強大な魔法を自在に操る死者の大魔法使い(エルダーリッチ)

 しかし、残るもう一体は彼女をして今まで見たこともない奇怪なアンデッドだった。

 

 異様な程の巨躯を汚らしい膿に汚れた包帯で包み、カタカタと死してなお顎を震わせる骸骨を先端にひっかけた鉤のついた鎖がその背からのびている。

 一目見た瞬間に、クレマンティーヌは生理的な、そして宿命的な嫌悪感をその不死の怪物に抱いた。

 

 だが、同時に彼女は卓越した戦士の勘で理解した。

 

 

 ――こいつらは、特にこいつと戦うのは拙い。

 

 その身に走った戦慄に一瞬、足を凍らせてしまったクレマンティーヌに対し、その異形のアンデッドは躊躇することなく距離を詰めた。

 颶風(ぐふう)を伴い振り下ろされる巨大した拳、並びに蛇のようにのたうつ幾本もの鎖が、暴風のように襲い掛かる。

 

 その恐るべき攻撃に、あわれ為す術もなく命を奪われるかに見えたクレマンティーヌ。

 

 

「待て!」

 

 だが、今しもクレマンティーヌの命を奪わんとしたその攻撃を止めたのは、誰であろうか、そのアンデッドと共にいた死者の大魔法使い(エルダーリッチ)であった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

 

 

 

 イグヴァは困惑していた。

 

 もともと彼の今回の任務は、急遽集められたアンデッド集団の指揮であり、合流したセバスの下で彼の指示に従い、邪教の集会とやらに集まった人間たちを始末することであった。

 しかし、そのセバスはというと、先行したハンゾウの報告により救助対象であるクーデリカの行く先が判明したという事で、独り彼女の救援に向かうこととなった。

 その為、その後の指揮はすべてイグヴァに任せられることになった。

 

 そこまではいい。

 例えセバス不在であっても、彼は自分のなすべき任務をよく理解している。セバスという最強戦力が抜けても、今、ここにいる者達だけでもひ弱な人間たちの群など、容易く殲滅できるだろう。

 

 彼はそう考えた。

 そして、その考えはあながち間違いという訳でもない。

 この地において、彼自身の放つ魔法と、一体一体はそこそこ程度しか強くはなくとも数のいるオールド・ガーダーたち、そしてなにより共に派遣された屍収集家(コープスコレクター)に敵う者など、いないといっても過言ではないのだから。

 

 だが、そうして指示された地点において姿を隠し、やってくるであろう人間たちを待ち構えていた所へ、ベルから新たな指令が届いたのである。

 

 

 クレマンティーヌという女が現れたら、確実に始末しろという指令が。

 

 

 これは彼を困惑させるものであった。

 もとより、彼及び共にいるアンデッドたちへの命令は現れた人間たちを始末することである。ベルが帝都に連れてきたという人間、並びにクーデリカという少女は殺さぬように注意されていたが、それ以外の者達は全て殺してしまえばいいと思っていた。何人かは殺さずにわざと逃がすことも計画されていたようだったが、それはあくまで別の地点を担当する者だけに指示されており、彼が担当した地点においては殲滅が命令されていた。

 そこへこの指示が来たのである。

 

 

 彼、イグヴァがこの指示に困惑した理由、それは――。

 

 

 ――クレマンティーヌを殺せと言われても、そのクレマンティーヌとやらがどんな人物なのか、イグヴァは全く知らなかったためである。

 

 

 

 配置についていたイグヴァに対し突如、慌てた様子のベルから〈伝言(メッセージ)〉が届いた。そして、この命令が下された。

 しかしその際、彼がその標的となる女、クレマンティーヌの詳細を訪ねるより先に、すぐに〈伝言(メッセージ)〉が切れてしまったのである。

 

 

 はっきり言ってしまうと、ベルの連絡ミスである。

 自分が知っているからと言って他人も知っているとは限らないのであるが、最初に〈伝言(メッセージ)〉を送ったソリュシャンは、ベルがクレマンティーヌについて詳しく語るより先に「分かりました」と返したのだ。

 ソリュシャンは以前、ベルと共にクレマンティーヌを捕獲していたため、その容姿を憶えていたからなのであるが、突然予想だにしていなかった者の生存の話を聞かされたベルは慌てており、現在帝都に展開している者の中でクレマンティーヌの容姿を知っているのはソリュシャンだけ――一応アインズもだが――という事にまで気が回らなかったのである。

 それでベルは彼女に対しては説明もそこそこに抹殺の指示を出し、すぐに次のイグヴァへ〈伝言(メッセージ)〉をしたのであるが、直前のソリュシャンとの会話の際に容姿の説明を省いたことから、イグヴァに対してもクレマンティーヌの抹殺だけを指示して、さっさと〈伝言(メッセージ)〉を切ってしまったのだ。

 

 

 

 イグヴァは悩んだ。

 こちらから〈伝言(メッセージ)〉を使い、ベルに聞いてもいいのではあるが、先ほどの様子から察するに()の方はずいぶんと急いでいたようであった。そこへいちいち確認の〈伝言(メッセージ)〉を入れるのは躊躇(ためら)われた。

 

 しばし悩んだ末に、イグヴァは〈伝言(メッセージ)〉を入れないことにした。

 元より、彼の指揮下にあるアンデッドたちが待ち構える拠点にやって来た人間たちは、先に述べた殺さぬよう注意された者たち以外は生きては返さぬつもりであった。

 その為、特にそのクレマンティーヌという女の容姿が分からなくても問題なかろうと判断したのだ。

 

 

 そうして、網をはって待つことしばし。

 彼の許に薄暗い闇の中を駆けてくる、生命ある人間の女の姿があった。

 

 進路を変えられぬよう十分に引きつけたところで、彼自身を含む隠れ潜んでいたアンデッドたち――今回の任務の為に隠形のアイテムを渡されていた――がその姿を現す。

 その出現は女の不意を突いたらしく、彼女の足がわずかなりともピタリと止まった。

 その隙を見逃すアンデッドたちではない。

 傍らに控えていた屍収集家(コープスコレクター)が一息に距離を詰め、その生命を奪おうと襲いかかった。

 

 

 だが、その女の姿を見たイグヴァは慌てて、包帯に包まれた巨躯の不死者に制止の声をかけた。

 

 

 

 彼は言われていた。

 

 ベルの配下にある人間たちもこの帝都にいるため、その者らには手を出さぬようにと。

 その人間たちの姿は、きらびやかな衣装を身に纏った若い男と、肌もあらわな衣服を身に纏った若い女だという。

 そして彼らの武装はというと、穿ち刺し貫く刺突武器と、幾本もの宙を舞う三日月刀(シミター)だという。

 

 

 あらためて現れた女、屍収集家(コープスコレクター)を前にして凍り付いている女戦士に目をやる。

 

 

 その身は肌を大胆にさらした鎧を身に着けている。そして、その年齢は――この世界で言うところの――結婚適齢期は過ぎているかもしれないが、若いといえる程度だ。

 

 ――つまりは肌もあらわな服装の若い女だ。

 

 

 そしてその腰に目をやると、くびれのある腰にはベルトが巻かれており、そこに下げられた鞘に納められているのはスティレット。

 

 ――刺突武器である。

 

 

 肌もあらわな若い女。

 刺突武器。

 

 これら2点を鑑みると、この女こそが、帝都に来る際に聞かされていたベル配下の人間である事に間違いはない。この2点を同時に併せ持つ全くの他人など考えられるはずもない。

 

 

 イグヴァは周りのアンデッドたちに、道を開けるよう指示した。

 月光の下、青白く光り輝く骨の群が分かれ、その中央に一本の道が出来る。

 

 

 

 そのアンデッドたちの様子にクレマンティーヌは面食らったものの、どういう訳だか自分に危害を加える気はなさそうだと、その中央をそろりそろりと通り抜ける。

 そして、いつ襲ってきても飛びのけるよう警戒の足でその道を抜け、最後のアンデッドの脇をすり抜けた途端、即座に跳躍して距離を取り、そのまま一目散に夜の闇、その奥へと駆けて行った。

 

 

 

 その背を見送るアンデッドたち。

 そんな彼らに対して、イグヴァは再び陣形を組むように指示した。

 

 その(おぞ)ましい顔に困惑気な表情をたたえていた屍収集家(コープスコレクター)のエッセに対して、あの者を逃すのは主からの指示であると一連の事を言って聞かせた。

 彼はその説明にも、いまいち納得していなかった様子であったが、そうこう話しているうちに騒々しい物音が響いて来た。

 重い金属鎧が立てる高い音と、鉄脚絆が石畳を踏みしめる低い音。

 

 振り向くと、向こうからやって来たのは金属の全身鎧(フルプレート)を身に着けた騎士と(おぼ)しき部隊。中にはローブをまとった魔法詠唱者(マジック・キャスター)らしい者も含まれている。

 

 

 

 イグヴァは来たと思った。

 彼がこの帝都に派遣されるにあたって、街の衛士が襲い掛かって来るかもしれないと言われており、この騎士風の者達こそが、街の衛士隊に間違いはないだろう。

 

 彼らとは全力で戦っていい。だが完全に撃破する必要はなく、相手の戦力が強大であれば、撤収してもかまわないと命ぜられていた。

 無論、イグヴァは自分の創造主であるアインズの偉大さを示すために、完全なる殲滅をするつもりであった。

 

 即座にイグヴァは指示を出す。

 その指示に従い、アンデッドたちが隊列を組む。

 

「気をつけろ! いたぞ! アンデッド。アンデッドだ! 隊列を組め!」

 

 騎士達をまとめ上げる隊長が叫んだ。

 今回の一件を解決するために集められた帝国騎士団の者達は、眼前に展開するアンデッドたちのその指揮系統がはっきりとしている様子に、ただの知性もなく本能のまま彷徨(さまよ)うアンデッドではなく、知能持つ者が明確な指示を出している『部隊』であると認識した。

 彼らは慌てて距離を取り、陣形を整える。

 

 

 距離をとってにらみ合う2者。

 戦闘開始の合図とばかりに、死者の大魔法使い(エルダーリッチ)の〈火球(ファイアー・ボール)〉が叩きこまれた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

《はい。こちらの被害はオールド・ガーダーが6体のみ。こちらに逃げてきた、邪教の集会に参加していたと思しき者達は数人程度逃がして、残りはすべて殺害しました。ならびに襲撃してきた帝都の衛士達も撃退いたしましたわ》

 

 ソリュシャンの報告にベルは、ご苦労さまと返す。

 

《ですが私たちの所にやって来た帝国の衛士ですが、おそらくただの兵士ではなく、騎士ではないかと思われます》

《騎士? つまり、街を守るための兵士じゃなくって、国家である帝国に仕えている騎士って事?》

《はい。元より帝都では騎士が街の治安を守る役目についていたようですし、死体の装備や、そこに刻まれた紋章を見ても、そうではないかと思われます。それと、この騎士達と共に魔法詠唱者(マジック・キャスター)もおりました。この地においては普通の人間が使えるのはせいぜい第二位階、高くても第三位階が関の山であり、また魔法を使える人数も在野にはそれほど多くはないという話ですが、帝国は魔法学院を作り、魔法詠唱者(マジック・キャスター)を育成していると聞きます。そして、この者達は第二、第三位階程度の魔法を使用しており、且つそれなりの数もいたことから、帝国の魔法院に所属している者達ではないかと》

《なるほどねぇ》

 

 ベルはふむふむと頷いた。

 

《つまり、街の守備についている者が動く程度じゃなくって、帝国が動いているかもしれないってことか》

《おそらくは》

《そうか……それはそれで好都合。ええっと、まず邪教組織の方の貴族連中は復活魔法にも耐えられないだろうし、騎士連中も高額な金を払ってまで復活させようとは思わないだろうから、そのままでいいや。まあ、復活されても特に問題ないし。だから、死体も回収しなくてもいい。最初に言った通り、邪教組織の会合場所が開かれていた倉庫へ撤退。そこにアインズさんが控えているはずだから、〈転移門(ゲート)〉で帰ってきて》

 

 その指示に了承する旨を伝えると、〈伝言(メッセージ)〉が切れた。

 

 ベルは、ふぅと安堵の息を吐いた。

 ペストーニャが持ってきてくれた夜食のピザを齧る。少し冷めてしまったが、帝都で食べたものよりもはるかに美味である。

 

 

 事は順調だ。

 

 クーデリカの方は、ハンゾウが手に入れた地図をもとに捜しまわったセバスが、無事に発見したらしい。

 その際、救出におもむいていたアルシェと接触したらしく、ウレイリカの件も含めてどうするかと問われた。

 ベルとしては、もはやそちらには興味はない。ベル自身がヘッケランとイミーナを殺してしまったため、残った2人ではもうフォーサイトとしての活動も出来まい。特に恩を着せるでも、取引に使う程のメリットも感じなかったため、セバスの進言を受け入れて、アルシェにクーデリカとウレイリカ、2人を引き渡して帝都を去らせることにした。せっかくのことであるし、セバスの心証をよくするのに使った方がまだ役に立つ。

 

 そして、邪教組織の方は予定通り、かたがついた。

 アインズがそこで祀られている邪神よろしく集会場所におもむき、散々恐怖を振りまいた。逃げ出した者達は、付近に展開させているナザリックの者達に始末させる。完全に殲滅するのではなく、適度に幾人か逃してしまえば、そいつらが今回の顛末の責任をまとめてかぶってくれるだろう。捜査の手が伸び、そいつらが帝国に捕まれば、なお良しである。

 

 ――邪神を崇める秘密組織で生贄の儀式の真似事をしていたら、本当に邪神が光臨し、アンデッドが街にあふれる結果となった。

 

 取り調べでそんな事を言いだした人間を、今回の騒動で仲間に犠牲を出した官憲がどんな扱いをするか。

 想像するだけで楽しくなってくる。

 

 

 

「でも、意外と被害は出たな。さすがに帝国の首都は守りが固いのか」

 

 ベルが気にしていたのは帝都の衛士、ソリュシャンからの報告によると、もしかしたら帝国騎士団の強さであった。

 今回、邪教組織壊滅の為にアンデッドの軍勢を動員したのには、帝都の戦力を調べるための威力偵察という意味合いもあった。

 エ・ランテルでの衛士たちの対応を見る限り、大して被害も出ないかと思ったのだが、ソリュシャンの方でオールド・ガーダーが6体。イグヴァの方に至っては11体ものオールド・ガーダーが倒されたらしい。

 敵の編成も戦士だけではなく、魔法詠唱者(マジック・キャスター)も混じっていたらしく、中々の戦力といえる。

 

 しかし、結局のところ、倒されたのは新たに召喚したオールド・ガーダーのみであり、その他の者には被害も出ていないことから、そんなものかとベルは特に気にもしなかった。

 

 

 だが、一つだけ問題が発覚した。

 エ・ランテルで会ったスレイン法国に所属していた女、クレマンティーヌがまだ生きており、この帝都にいることが発覚した。

 彼女についてはエ・ランテルで捕まえた際に嫉妬の魔将(イビルロード・ラスト)の〈記憶操作(コントロール・アムネジア)〉を使い、アイテムを渡して泳がせたのであるが、その際、思ったより魔力消費が激しく、完全にベルの記憶を消すことが出来ていないのではないかという懸念が残っていた。

 ともあれ、そのすぐ後にアインズがズーラーノーンの一味をすべて始末してしまったので、彼女も一緒に死んだはずであり、一安心という按配であった。だが、つい先ほどその一件について詳しく話を聞いたところ、アインズが冒険者モモンとしてエ・ランテルの墓地におもむいた際、いったいどういう訳だか、クレマンティーヌはズーラーノーンの幹部と戦っており、彼女をズーラーノーンの魔術師の敵であり冒険者仲間だと勘違いしたアインズが彼女の事を助けたのだという。

 そいつが生きており、またもし記憶が完全に書き換えられていないとなると、自分の情報が未だ全容が不明の法国に流れてしまう恐れがあった。その為、とにかく急いで始末してしまおうと、慌てて今回派遣した者達にクレマンティーヌ殺害の命令を出したのである。

 

 

 しかし、ソリュシャンが率いていた方には、儀式の場から逃げ出した邪教組織の者達は多く来たものの、そこにクレマンティーヌらしき人物はいなかったようだ。

 対してイグヴァの方はというと、そちらには邪教組織の関係者らしき人物は1人も来なかったという。

 

 すこし気になったのは、イグヴァの方にベル配下の人間の女が1人で現れたので、そちらは襲うことなく見逃したと報告された事だ。

 

 ――女。

 つまりはエドストレームか?

 なんであいつが倉庫街辺りをうろついているんだ? それもマルムヴィストと離れて、一人で。

 ……まあ、いいか。後で聞けば。

 

 

 それに落ち着いてよくよく考えてみれば、クレマンティーヌが生きていたとして、ベルの情報が漏れるかもしれないという懸念は今更の話である。すでにエ・ランテルの件から時間も経っているのだから、情報は流れるところには流れてしまっているかもしれない。とにかく、今になって慌ててクレマンティーヌを始末したからと言って、すでに拡散したかもしれない情報が収まる訳でもない。

 手遅れかもしれないが、まあ、それはもうどうしようもない。

 

 そんな感じでベルの心の内は、過ぎてしまったものは仕方がないという諦観であった。

 

 

 

 それよりベルには気になることがあった。

 

 いくら待っても、ソリュシャンらと同様に帝都にいるはずのナーベラルからは連絡がないのである。

 何かに手間取っているのだろうか? 彼女の事だから、うっかりなどないとは思うが、やはりまったく連絡がないというのは心配になってくる。

 

 こっちからかけてみるかと、ベルは〈伝言(メッセージ)〉を使った。

 

《こちら、ナーベラルです》

《ああ、ナーベラル? こっちはベルだよ》

《ははっ! ベル様、いかがなされましたか?》

《ええと、そっちの進捗(しんちょく)状況を聞きたかったんだけど》

《はい、連絡が遅くなってしまい、申し訳ありません。すぐにでもこいつらを始末してかたをつけます》

《ん? もしかして戦闘中だった? 後でかけ直そうか?》

《いえ、このようなガガンボどもなど、今すぐにでも……グゥッ!》

《……どうした? 何があった?》

 

 〈伝言(メッセージ)〉越しに聞こえてきた(うめ)き声。

 それは確実に苦痛に起因するものであった。

 思わずベルは普段の子供っぽい口調も忘れて問いかける。

 

《申し訳ございません。無作法な事を。ナザリックの戦闘メイドとして、ゴミムシどもに不覚など……っちぃっ!》

《え? ちょ、ちょっと、今どうなってる!?》

《……ええい、ひ弱で愚かな人間が! 邪魔をす……》

 

 

 そこで突如、〈伝言(メッセージ)〉が途切れた。

 ベルは息をのんだ。

 

 ――いったい何が起きている?

 ナーベラルが苦戦するほどの敵が現れた?

 

 

 慌てて巻物(スクロール)を取り出すと〈物体発見(ロケート・オブジェクト)〉を使う。

 目標はナーベラルに渡してある、装備している者の能力を他者から隠蔽する指輪。

 反応があった地点と帝都の地図を見比べ、その場に〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉を繋げる。

 

 

 そこに映し出されたのは、無数の死体が折り重なる中、配下につけたアンデッドたちはすでになく、帝国の紋章をつけた騎士や魔法詠唱者(マジック・キャスター)の軍勢相手に、たった一人で孤軍奮闘するナーベラル・ガンマの姿であった。

 

 

 


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