オーバーロード ~破滅の少女~   作:タッパ・タッパ

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 前半、延々と戦闘シーンが続きます。


2016/10/27 「髪に聞く」→「髪に効く」 訂正しました
帝国兵の蘇生に関する話の部分を、法国から蘇生魔法の使い手を呼ぶ等、少々修正しました


第60話 結末、そして始まり

「ええいっ!」

 

 苛立ちからあまり淑女らしからぬ声をあげ、ナーベラルは飛び来る矢の雨の中を突進する。

 補助魔法をかけられた射手から放たれる矢の全てを(かわ)すことは出来ず、襲い来る幾本もの鋼の矢じりが彼女の身に着けているドレスに穴をあけ、その白い柔肌に傷をつくった。

 

 突如、その攻撃がぱったりと止む。

 その答えは、彼女の目の前に光り輝く槍の穂先。

 前衛の戦士たちに接敵したことで、仲間を巻き込むまいと、地を這うように駆けた彼女へ射かけるのを控えたのだ。

 

 そうして遠距離攻撃は納まったものの、次なる脅威はその身の前面に盾を構え、並ぶその隙間から槍を突き出す重戦士たち。

 今、ナーベラルの手にしている両手杖(ロング・スタッフ)は、彼らの持つ槍に匹敵する長さがあるが、重装戦士に有効打を与える間合いに入るには、その槍先よりさらに一歩二歩、踏む込まねばならない。

 

 走り寄りつつ息を吸い込むと、力を込めて槍の穂先を横合いから弾き飛ばす。

 そして乱れたその槍衾(やりぶすま)の中に飛び込み、勢いのままさらに体を一回転させ――歯を食いしばった。

 専門は魔法であるといえど総レベル63という、この世界において桁違いの強さを持つ者の膂力のままに振り回された杖は、全身鎧(フルプレート)を身に着け大盾(ラージシールド)を構えた屈強な男をすらも弾き飛ばし、その包囲網に穴が空いた。

 

 だが、それは力任せに振るった一撃の為、さすがにその動きは、わずかながらではあるが止まらざるをえなかった。

 

 そこへ後方にいた魔法詠唱者(マジック・キャスター)が牽制の魔法を飛ばす。

 その指先から放たれた火炎は、彼女自身が己が身にかけていた持続型の魔法に対する防御によって阻まれ、その眼前で消え去ったのだが、弾けた炎により一瞬、視界が覆われる。

 

 そこへ左右から、片手剣(ロングソード)と盾を手にした騎士たちが切りかかって来た。

 

 身をそらして襲い来る刃を躱し、その手の杖で剣閃をいなす。

 

 

 しかし――。

 

「もらったぁっ!」

 

 その瞬間を狙っていた男がいた。

 高く跳躍し、手にした両手剣(グレートソード)を力任せに振り下ろした。

 

 とっさに両手杖(ロング・スタッフ)で受け止めたのだが、先の剣士の攻撃を(かわ)したことにより体勢が崩れており、魔法で身体能力を強化していた男のその一撃を、完全に止めることは出来なかった。

 

 衝撃に膝が崩れる。

 無様(ぶざま)ながらも後ろに倒れこみ、地に転がる事で斬撃を受け流す。

 肩が石畳に激しく打ち付けられ痛みを覚えたが、その剣先は彼女の頬に一筋の傷をつけるにとどまった。

 

 怒りと屈辱を覚えつつ、敷石の上を転がりながら男の追撃を避け、〈次元の移動(ディメンジョナル・ムーブ)〉を唱えて距離をとり、あらためて両手剣(グレートソード)の男と対峙する。

 

 

 立ち上がった彼女の頭めがけ、またも魔法の光が飛んできた。

 防御魔法で防げると思ったナーベラルは(かわ)そうともせず、目の前の男から視線をそらさなかったのだが、その魔法の矢は消えることなく、そのまま彼女の顔面にぶつかった。

 怒りに我を忘れていたため、その身を護る防御魔法の効果時間が過ぎていた事に気がつかなかったのだ。

 

 だが、所詮は低位階の魔法。

 彼女にとっては大したダメージではない。

 それより、それで(ひる)んだ瞬間を狙い、男が今にも飛びかかってくるかと杖を構えて身構えた。

 

 しかし、彼女の予想に反し、帝国の紋章をつけた美々(びび)しい鎧を身に着けつつも、あたかも野盗であるかのごとく粗野(そや)にして粗暴(そぼう)な雰囲気を漂わせる両手剣(グレートソード)の大男は、その様を前にしながら踏み込んで襲い来ることなく、それどころか逆にバッと後ろに飛びのいた。

 

 

 虚を突かれたナーベラル。

 男の行動に一瞬、呆気にとられる。

 そんな彼女に対し、魔法の雨が降り注いだ。

 

 防御魔法の効果が切れたと知った魔法詠唱者(マジック・キャスター)たちが、一斉に攻撃魔法を使いだしたのだ。

 一発一発は大したダメージにはならぬとはいえ、その魔法の連打は、彼女の体力をじわじわと削っていく。

 

 

 ナーベラルはとっさに魔法を使い、魔力の盾で身を守った。

 降り注ぐ炎や氷、酸に雷撃、そして弓から放たれる矢じりが、彼女の目の前に張られた半球状の緑の膜に当たり、色とりどりの幻想的な色彩を生み出す。

 そのどれもが、彼女の唱えた魔法の守りを貫くことは出来なかった。

 

 

 しかし、その場に一人の人物が歩み出た。

 髪も長い(ひげ)も完全に白一色となった老魔法詠唱者(マジック・キャスター)

 このバハルス帝国の主席魔法使い、フールーダ・パラダインその人である。

 

 

 フールーダはその杖を振りかざし、おもむろに魔法を使う。

 周囲にいる者達――ナーベラルは除く――が知りえるはずもない呪文を唱える。

 

 〈龍雷(ドラゴン・ライトニング)〉。

 

 その雷はナーベラルが発動させた魔法の守りをも貫き、その身を打ち据えた。

 

 

「くぅっ!」

 

 苦痛に呻きつつも彼女は〈電撃(ライトニング)〉を唱える。

 狙いはフールーダ。

 反撃に放たれたその魔法であったが、それはフールーダの唱えた防御魔法によって防がれ、()魔法詠唱者(マジック・キャスター)の眼前で弾け飛んだ。

 

 

 〈電撃(ライトニング)〉を唱えたことにより、目の前に展開させていた魔力の盾が掻き消えた彼女の身に、再び幾本もの魔法が叩きつけられる。

 

 今は優先順位として、これらの魔法に対抗する方が先と判断し、じわじわと体力を削る魔法の雨のなかで、再度、持続型の魔法に対する防御を身に纏った。

 

 攻撃魔法がまたその身に届かなくなったと知った魔法詠唱者(マジック・キャスター)たちは、即座に魔法の発動を止めた。

 そして間髪入れず、代わりに魔力の込められた矢じりが再び襲い掛かった。

 

 

 

 ナーベラルは襲い来る矢を避け、投げつけられた投網を杖で打ち払いながら、十重二十重(とえはたえ)に自分を取り囲む下等生物(にんげん)たちに、憎々し気に目をやる。

 

 その姿は多種多様。

 全身鎧(フルプレート)に身を包み、隊列を組んで大盾(ラージシールド)の隙間から槍を突き出し距離を詰める重装戦士たち。

 それと比べて軽めの金属鎧、一回り小さい盾を身に着けつつ、速度で重装戦士を補佐する剣士たち。

 体の要所要所のみを金属鎧で覆った弓兵たち。

 そして、それらに守られるようして、杖を振りかざす魔法詠唱者(マジック・キャスター)たち。

 様々なタイプの者達が、それぞれの利点を生かし、且つその欠点を補うチームワークの取れた部隊。

 

 そんな彼らの前に、いかに個の力では優れていても、ナーベラル率いるアンデッドの部隊はすでに壊滅してしまっていた。

 

 

 

 

 苛立ちにその美しい顔をゆがめ、彼女はぎりりと歯ぎしりする。

 

 ――全力で戦うことが出来ればこんな奴ら、すぐにでもかた(・・)がつくのに。

 

 

 そのナーベラルの思考は決して誇張でも負け惜しみでもない。

 彼女が行使できる最高の能力、第8位階魔法を行使すれば、この場に居並ぶ者たちなど潰走を余儀なくされるであろう。

 

 

 だが、第8位階魔法など使う訳にはいかなかった。

 

 彼女がこの帝都での情報収集に従事する際に、主であるアインズから言われていたことがある。

 それは、あまり目立ってしまわぬよう魔法を使用する場合は基本的に低位階のもののみとし、最大でも第3位階魔法までに(とど)めておくように、ということであった。

 

 もちろん、その魔法制限というのは、任務遂行の為にはその程度に留めておくべきというだけであって、生命の危険などがあると判断したら第3位階より上、第4位階以上の魔法も適宜、使用してよいとは言い含められている。

 

 しかし、それは『生命の危険がある』と判断した場合である。

 生命の危険がない限りは第3位階までにおさめておかねばならない。

 

  

 ナーベラルは自分の目の前において陣形を組み、立ちはだかる者達を睨みつける。

 

 重装鎧に身を包む者。軽装の防具を身に着けた者。ローブをまとった者。

 多種多様な者達がいるが、そこにいるのはすべて人間だ。

 

 

 つまり、第4位階以上の魔法を使用するという事は、すなわち彼女が人間との戦闘で生命の危険にさらされたと判断したという事である。

 

 それは断じて容認できるものではなかった。

 栄光あるナザリック、そこに仕える戦闘メイド『プレアデス』の一員たる自分が、下等生物である人間によって、自らの生命を守るために、主より止められていたはずの高位階の魔法まで使用せざるをえないような状況にまで追い込まれてしまったなどと、けっして認めることは出来なかった。

 

 

 アインズとしては最優先するのはNPC達の命であり、その命と引き換えにするくらいならば、情報収集など途中で辞めたとしても構わない程度のものであった。何の理由もなく高位の魔法を使ったのならともかく、そこにそうすべきであったという判断があったのならば、叱責などするはずもない。

 だが、その命を下されたナーベラルの身としては、アインズからの命令は至上にして絶対のものであり、自分の生命よりも重視すべきものであった。

 すでに情報収集の任務は半ば解かれたものも同然であったが、あくまで今回の殲滅作戦の終了を持って、長期にわたった帝都における任務の終了とし、ナザリックに帰還するのである。

 いまだ、彼女にとってアインズから下された魔法の使用制限の命令は生きたものであった。

 

 

 

 そのため、今のナーベラルはその力を最大限には発揮できず、その最も得意とする魔法の能力に枷をかけられたままで、帝国の部隊との交戦を強いられていた。

 

 使用出来る魔法は第3位階魔法まで。

 そして、その身に纏うのは彼女本来の高い防御効果を持つ特製のメイド服ではなく、何の効果もないどころかその動きを阻害する豪奢なドレス。

 様々な特殊効果を持つマジックアイテムの(たぐい)も身に着けてはおらず、ただ自身の能力を隠蔽する指輪と、何の変哲もない金属製の両手杖を持つのみであった。

 

 

 対して、迎え撃つ帝国の兵士たちは、精鋭と言って過言ではない者達。

 戦士は常備戦力たる騎士団や各兵科の中から選抜された、忠誠、技量共に優れる忠勇無双(ちゅうゆうむそう)の者たち。

 魔法詠唱者(マジック・キャスター)は、個々の魔術の研鑽だけではなく、戦士達との連携を訓練した者たちである。

 個人個人がたぐいまれなる資質を備え、それに慢心することなく厳しい訓練により、能力を磨き上げていた。そんな人間たちがチームを組み、1人ではフォローしきれぬ自分たちの欠点を補いあい、部隊が一個の生き物のごとく行動する。

 まさに彼らこそ、この帝国における部隊単位での最高の戦力と言えよう。

 

 しかも、それだけではない。

 今日の彼らには、さらなる強者が加わっている。

 このバハルス帝国において、最強と評される帝国四騎士。そのうちの2人、『雷光』バジウッド・ペシュメルと『不動』ナザミ・エネックが、彼らに同行していた。

 更にはもう1人。

 生ける伝説として、帝国だけではない周辺諸国すべてに余すところなくその名が轟いている帝国の守護神『三重魔法詠唱者(トライアッド)』フールーダ・パラダインまでもがいるのだ。

 

 

 ナーベラルの知らぬことではあったが、彼女の他に帝都に展開していた部隊、ソリュシャンやイグヴァらが交戦した者達はあくまで、アンデッドたちの被害が市民にまで及ばぬよう足止めをするための、戦力としてはやや劣った部隊であり、今、彼女の目の前にいる彼らこそが此度のアンデッドの全てを壊滅すべく組織された本隊であった。

 

 

 

 飛び来る攻撃をかわしつつ、体勢を整え足を踏みかえる彼女の靴先が、倒れ伏した死者の大魔法使い(エルダーリッチ)に当たり、まだかろうじて形のあったその姿を灰へと変える。

 すでに彼女が従えていた死者の大魔法使い(エルダーリッチ)やオールド・ガーダーなどのアンデッドたちは、大挙してやって来た騎士団並びに魔法詠唱者(マジック・キャスター)からなる混成部隊の前に一人二人と数を減らしていき、ついにはその全員が力尽きていた。

 今、生き残っているのは彼女ただ一人。

 

 

 これまでナーベラルは幾度も相手の数を減らすべく、様々な攻撃を行っていた。

 しかし、強力な魔法を禁じられている現状では、攻撃魔法を唱えても魔法詠唱者(マジック・キャスター)たちの防御魔法によって威力を減ぜられ、一撃で命を奪うには至らない。そして負傷し倒れた者達は、回復魔法やポーションによってすぐさまその怪我を治癒され、再び戦列に加わった。

 かと言って、自身のレベルの高さに起因するその膂力を発揮しようにも、近接戦闘に関しては決して得手とは言えぬその動きでは相手の数に押されてしまい、その力を十全に発揮することすら出来なかった。

 

 それに対し、近距離でも遠距離でも間断なく繰り出される向こうの攻撃は、致命傷こそ与えることはないものの、わずかずつではあるがじわりじわりとナーベラルの体力を奪っていく。

 

 いつかは騎士たちの回復手段は途絶えるだろうが、それまでにこちらの体力が削りきられかねない。

 戦いは、もはや先が見えない消耗戦の様相を呈していた。

 

 

 

 

「皆よ。手傷を負わせているからと言って油断はするでないぞ! この者の強さ、これは人間の範疇(はんちゅう)を超えておる。よいな、けっして人と思うな。手負いの魔獣と思え!」

 

 フールーダの声に、たった一人のか弱そうな女性を完全武装の者達が囲んでいるという状況ながら、皆一層気を引き締め、包囲の輪を狭めた。

 

 

 その声を聞いたナーベラルの目が細められる。

 

 ――やはり、あの老人こそが、この場において最も上位の者。あの者さえ殺してしまえば……。

 

 

 ナーベラルは軽く息を整え、両手杖を握りしめると、再び突撃を敢行する――と見せかけ、魔法を唱えた。

 

 〈次元の移動(ディメンジョナル・ムーブ)〉。

 

 ナーベラルの身体が軍勢の前から掻き消える。

 誰もがその姿を見失った。

 

 同時に漆黒の中空。フールーダの背後、斜め上空にその姿が現れる。

 落下しつつ身体をひねり、手に握りしめた金属の杖を力を込めて、老魔術師めがけて振り払った。

 

 

 ――殺った。

 

 

 ナーベラルはそう思った。

 彼女はフールーダの頭がザクロのように弾けるのを予想した。

 

 予測も出来ない方向からの素早く力の載った一撃。

 その攻撃に魔法詠唱者(マジック・キャスター)であるフールーダは、とっさに反応できるはずもない。

 

 

 しかし、その行動は悪手だった。

 叩きつけられた杖は間に入った者によって防がれた。

 

「その転移魔法で指揮者を狙うのは読んでいたぞ」

 

 先ほど、ナーベラルは〈次元の移動(ディメンジョナル・ムーブ)〉で攻撃を回避していた。ならばその魔法を別の目的で、この状況をひっくり返す起死回生の手段として、軍勢に命を下しているフールーダもしくはバジウッドのどちらかを転移して襲うのではないかとナザミは警戒していたのだ。

 そしてその予想は見事に当たった。

 

 

 これも、ナーベラルが人間を見下していた事に起因する。

 第3位階魔法までしか使えぬ現状において、安易に手の内を見せるという愚を犯し、更には相手がそれを考慮し、対策を立てるかもしれないという事を考えていなかったのである。

 

 

 耳をつんざく硬質の音。

 『不動』ナザミ・エネックの盾を持つ両手に、骨まで響くような衝撃が走る。

 それはこれまで彼が経験した中で、かつて討伐任務によりおもむいたアゼルリシア山脈において、幼いながらも家一軒ほどもある大きさのフロストドラゴンが放った尾の一撃を受け止めたときに匹敵した。

 

 常人であれば盾ごと弾き飛ばされそうな重い一撃であったが、防御に特化したナザミはそれを受けきった。

 そして、その身がいまだ中空にあるナーベラルめがけて、バジウッドの両手剣(グレートソード)が横なぎに襲いかかる。

 

「とったぁっ!」

 

 態勢を整えることが出来なかったナーベラルは、その一撃を防ぐことすら出来ず、がらあきの胴に刃の直撃を受けた。

 

 

「ぐあぁっ!」

 

 思わず悲鳴をあげるナーベラル。

 その身は大きく弾き飛ばされ、地面に激突し、石畳の上を転がる。

 転移の魔法により突然、陣形の奥に出現した標的に対して、部隊は流れるような動きで陣形を組み直し、再度倒れた女性への包囲網を構築する。

 

 

 そうして全員の目が集まる中、ナーベラルは苦痛の声をあげて膝をつき、立ち上がった。

 

 

「信じらんねぇな。あれで死んでないのかよ」

 

 バジウッドが呆れたような声を出す。

 

 先の両手剣(グレートソード)での一撃は、彼の全力を叩きこんだものだった。

 もとより四騎士のみならず、帝国騎士団の中でも随一と言われる筋力の持ち主であり、さらにその身には魔法詠唱者(マジック・キャスター)たちによる補助魔法を幾重にもかけられている。その振るう剣閃の前ならば、例え相手が金属の全身鎧(フルプレート)に身を包んだ重装戦士であろうと、鎧ごと一刀両断に出来る自信があった。

 それなのにこの女と来たら、なんら特別な装備もなしに両手剣(グレートソード)の一閃をその身に受けておいて、まだ生きているのだ。

 腹部に裂傷ができ、それなりのダメージを与えたようだが、それでもなお、こうして両の足で立ち上がったのだ。

 

「お前、本当に人間じゃないのか?」

 

 

 その声に、ナーベラルはぎりりと音を立てて歯ぎしりする。

 腹を押さえた手の隙間からは血が滴っている。

 いくら魔法で身体能力をあげた戦士の攻撃とはいえ、その刃先は内臓にまでは届くことはなかった。

 だが、それは決して軽くはない傷である事をうかがわせた。

 

 彼女の胸の内は自分に傷をつけた人間達に対する憤怒があった。

 屈辱に打ち震えた。

 しかし、それよりなにより、下等な人間相手に不覚を取り手傷を追った自分に対し、至高なる御方アインズは失望するのではないかという恐怖があった。

 

 思わず脳裏をよぎったその想像に、ナーベラルは身を震わせ、足を止めた。

 

 

 

 それを敗北を認めた、勝利をあきらめた証と見て取ったバジウッドは全軍に対し、攻撃を指示した。

 勝利を確信しつつも、慢心することなく、慎重に距離を詰める兵士たち。 

 

 そして、遂に戦士たちが長きにわたったこの戦いの雌雄を決するべく、突撃を敢行した。

 具足のたてる金属音と共に、その柔肌から血を流し続ける彼女に対し、剣や斧、鎚鉾などの武器を構えて殺到する。

 

 

 

 

 しかし、その時――。

 

 

 ――轟音と共に風を切って飛来したものが襲いかかった重装戦士たちを引き裂いた。

 

 

 

 皆が目を()くなか、青光りする金属の鎧がまるで紙のように貫かれ、敷き詰められた石畳が粉々に弾け飛んだ。

 

 驚きと共に慌てて周囲を見回す騎士たち。

 その目が異様なものをとらえた。

 

「あれは!」

 

 誰が放ったか、不意にあがった声に皆がその足を止めた。

 見上げるその視線の先。

 立ち並ぶはるか高き倉庫。月光に照らされた屋根の上。そこに揺らめく漆黒が現れていた。

 

 

 そして、その手前。

 赤銅色の屋根の上に、これまで誰も見たこともない奇怪な金属の筒のようなものを小柄な体の前に据えた少女の姿があった。

 

 奇妙なまだら模様の服を身に着けた彼女は、手袋に包まれたその小さな手で給弾ベルトを押し込み、コッキングハンドルを2度引くと、作られてから200年近く経った2138年現在でも未だに現役で使用されているブローニングM2のトリガーをその両親指で押し込んだ。

 

 

 再び耳を聾するかのような音と共に銃口より弾きだされた弾丸が、居並ぶ騎士の隊列を引き裂く。

 連続で発射される50口径弾の前に、その場は阿鼻叫喚の地獄と化した。

 

 

 

 突然現れた新手。それも繰り出されたその凄まじいまでの破壊力に、訓練を積んでいた彼らもさすがに算を乱した。

 傷ついたナーベラルを取り囲もうとしていた陣形を崩し、慌てて屋上の射手に向かって態勢を整える。

 大盾を構えた重装戦士が前に立ち、魔法詠唱者(マジック・キャスター)たちは物理防御の魔法を必死で唱えた。

 魔法で強化された盾に銃弾がぶつかる音が響く。

 運よく盾によって弾かれた弾もあるが、防ぎきれなかった弾は鎧ごとその肉体を挽き肉へと変えた。

 

 そして炸裂音の反響がまだ耳に残る中、射撃が止まる。

 もはや穴だらけとなり砕け散った敷石の上には、血と肉片が飛び散っていた。

 

 

 今の射撃の犠牲となった者はあくまで、今ここにいる全部隊の内ごくわずかでしかない。

 しかし、鼓膜すら破るようなその轟音の波にさらされた者達は、一時的に虚脱症状に襲われていた。

 

 

 そんな彼らと、すでにズタズタとなったドレスをその美しい身体にひっかけている状態のナーベラルとの間に距離が出来ていた。

 

 シズは彼女の背丈よりはわずかに短い銃身の横から顔をのぞかせた。

 その眼帯に覆われていない方の目で傷つき、血を流す姉を見る。

 

 

「……命令。もういいから帰って来いって」

 

 その声にナーベラルは顔をゆがめた。

 

 ――自分の任務は邪教組織の人間の殲滅、並びに襲いかかってきた帝国の衛士たちを蹴散らす事である。目の前にはまだ、帝国の騎士達がいるのだ。つまり、まだ命令は完遂できていないのである。それなのに帰って来いという事は――すなわち、任務失敗という事ではないか?

 彼女の胸中は口惜(くちお)しさで一杯であった。

 

 だが、不意にビクンとその表情が変わった。何かその耳に聞こえているのか、その顔が虚空に向けられたまま動かなくなる。

 彼女は苦悩している様子であったが、やがてその首を縦に振った。

 

 

 そうしていると、屋上に位置するシズのその脇にもう1人、彼女よりも小さいブカブカの奇妙な服を身に纏っている少女が現れた。

 

「はいはーい。じゃーあ、撤収しますよぉ」

 

 その少女、エントマは広くなっている(そで)の中から何かを取り出した。

 細長い紙である。

 それも何枚も。

 

 それを周囲にばらまいた。

 

 一体なんだと見守る彼らの上に、その符が降り注ぐ。

 そして、それが地に落ちた瞬間、魔法が発動した。

 

 

 不意に渦巻く濃霧が出現し、辺りに立ち込めた。

 否。

 それは霧などではない。どこからともなく現れた大量の蟲が嵐のように周囲を飛び交い、広場を埋め尽くし、その場にいた者達に襲い掛かった。

 

 

「な、なんだ、これは!?」

「む、虫だ! 虫だぞ!」

「気をつけろ! こいつら、かみついて……!」

「叩き落とせ!」

「いや、魔法で始末しろ!」

 

 一匹一匹は弱く、ダメージも大したことはないものの、とにかく量が多い。飛び回るあまりの数の多さに視界もろくに効かない。

 鎧や衣服の隙間から潜り込み、その身を齧る痛みと不快さに、大混乱に陥る一同。

 

 

 そんな彼らをしり目に、ナーベラルは〈飛行(フライ)〉の魔法を唱える。その体がふわりと宙に浮いた。

 一筋の鮮血が、その柔肌を撫でるように滑り落ち、やがてその身から滴り、地へと落ちる。

 

 そして、屋上へと降り立ったナーベラルを先頭に、シズ、そしてエントマの3人は屋上に浮かぶ深淵の中へと次々と消えて行った。

 

 

 そうして掻き消すように消える揺らめく漆黒の姿を、エントマの符術によって大量召喚された蟲達を、その身に纏う魔法の守りにより寄せ付ける事もなかったフールーダは、喉の奥でうなり声をあげながら為す術もなく見送るしかなかった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 そして、夜が明け、東の空が白み始める。

 

 殺戮と混沌の一日が終わり、また新しい一日が始まる。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 鮮やかな朝焼けのはえる中、一台の馬車が街道を走っていた。

 この世界において、人は日の始まりと同時に動き出し、日の終わりと共に家路につくものであるが、それを考えてもこの時間にこれほど急いで馬車を走らせるのは、よほどの事情がなければあり得なかった。

 

 

 早朝の冷たい空気の中を駆ける馬車。

 その広さに比べ、乗員の少なさからやや空虚な感すら覚える車内にいたのは4人の男女。

 その内の1人、ロバーデイクは馬車の窓を覆うカーテンをずらし、外を眺めていた。まさかないとは思いつつも、念のため外に注意を払っているのだが、幸い追手は無いようだ。

 

 そんな彼と向かいの席に並んで座っているのは3人。

 その真ん中に座っていたアルシェは、心の内より沸き立つ苦悩がその表情にまで現れていた。

 

 

 その顔に浮かぶのは後悔。

 

 今夜、クーデリカと再会し、セバスという人物と出会い、そして再びウレイリカと巡り合うことが出来た。

 だが、自分の妹たちを助ける為に、彼女は大切な友人たちを失ってしまった。

 

 

 ヘッケラン、それにイミーナ。

 

 

 あの後、彼らの死体を置いておいた路地へと戻ったのだが、その死体は何処(いずこ)かへと消えていた。

 そこには何の痕跡も、遺体に巻いた安眠の屍衣(シュラウド・オブ・スリープ)を始めとした遺留品も残っておらず、付近の街路にただ2人が殺された場所である事を示す血痕が残されていたのみであった。

 

 

 遺体がなければ、蘇生魔法に望みをつなぐことも出来ない。

 ヘッケランとイミーナを蘇らせることも出来ない。

 

 

 その事実を突きつけられたアルシェの身体に恐慌が取りついた。

 両足がブルブルと震え、まるで眩暈(めまい)でも起こしたかのように周囲の光景が揺れた。

 

 そんな彼女を正気に戻したのは、やはりロバーデイクだった。

 

「しっかりしなさい、アルシェ! あなたは妹たちを守らなくてはいけないんですよ!」

 

 その言葉に視線を落とすと、そこにいたのはあどけない瞳で彼女を見上げる妹たち。自分が命を懸けて守り抜いて来た、長い間会うことすら出来ずにいた2人の姿があった。

 友人たちが命を懸けた結果、再びこの手に抱きしめることが出来た、彼女たちの姿が。

 

 アルシェは2人を抱きかかえ、走り出した。

 

 

 

 そして、夜が明け、門が開くと同時に街を出て、昨日のうちに約束していた馬車で帝都を離れたのだ。

 

 アルシェは馬車の揺れに身を任せながら、目をつむってつぶやく。

 

 その言葉は謝罪。

 大切な仲間たち。自分の頼みが原因で彼らが死んでしまった事。

 そして今、彼らを殺した犯人の調査も、かたき討ちもせずに街を離れてしまう事を詫びる言葉だ。

 

 

 

 そんな苦悩に顔を歪ませる彼女に声をかけてきた者がいる。

 

「お姉さま、どうしたのー?」

 

 彼女の右手からクーデリカ。

 

「おなか、痛いの?」

 

 左手からはウレイリカ。

 両側に座った妹たちが、その顔を覗き込んできた。

 その幼い顔には、姉を心配するものが浮かんでいる。

 

「うん。大丈夫よ」 

 

 アルシェはそんな彼女らを心配させまいと、ぎこちないながらも笑みを作る。

 

「お姉さま、これからどうするの?」

「おうち、帰らないの?」

 

 その問いに首を振る。

 

「私たちはね、お引越しするの」

「お引越し?」

「そう。ここからずっと行ったところ、エ・ランテルって街に行きましょう。そこで部屋を借りて住むの」

「……んー?」

 

 2人はいまいちよく分かってないようで、首をかしげた。そのしぐさは、まるで鏡に映したようだった。

 

「それって、お姉さまも一緒ー?」

「ええ、そうよ。私もエ・ランテルでお仕事を見つけて、一緒に暮らすわ」

 

 その答えに2人はキャッキャと喜んだ。

 

「一緒に暮らすのー?」

「ええ、そうよ」

「みんな、一緒ー?」

「ええ、みんなこれからは一緒よ」

「ザックもー?」

 

 不意にウレイリカの口から出てきた知らない名前に、アルシェは一瞬困惑したものの、とりあえず、彼女を安心させるために首を縦に振った。

 ウレイリカは嬉しそうに微笑む。

 

「わーい。楽しみー」

「うん。クーデリカ、お姉さまと一緒」

「ウレイリカもお姉さまと一緒」

 

 アルシェはそんな妹たちをぎゅっと両手で抱きしめた。

 今度こそ、この手を放すまいと。

 例え何が起ころうとも、彼女たちの事を放すまいと。

 

 

 

 そんな彼女らの様子を、向かいの席に腰かけたロバーデイクは(まぶ)しそうに見つめていた。

 

 

 そして、彼らを乗せた馬車は街道をひたすら南西に向けて走り続けた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「そうか……」

 

 ジルクニフはそうつぶやいた。

 

 溜息を吐きつつ、昨夜出席したパーティーでの酔いを追い払おうとプレーリーオイスターを一息に飲み干す。その独特の味に、思わず顔をゆがめた。

 

 対するロウネの顔には疲労が色濃い。

 昨夜は一晩中、不眠不休で帝都でのアンデッド出現という事態の対処、及び噂が広まらぬよう各所に手配を続けていたのだから。

 

 

 ――たまにはこいつにも休暇と賞与を与えてやった方がいいか。

 

 そんな考えも頭に浮かぶが、とかく優秀な人材というのは得難いものだ。とくに今現在やるべきことは山ほどある。彼自身も、自分が何人分もいればいいのにと思う程だ。

 ロウネへの休暇はある程度落ち着いたら、という考えのままにずるずるといつまでも引き伸ばされたままである。

 

 ――すまんが、やはり帝国への忠誠心に期待するという事で当面は何とかしてもらうか。

 

 結局いつもの結論に至った所で、再度つぶやいた。

 

「被害は大きいな」

「はい、陛下。とにかく騎士団や魔法院の精鋭がかなり犠牲となっておりますので……。育成にかかった費用なども考えますと、頭がいたくなりますな」

「やれやれ少し飲み過ぎたのではないか? もう一杯用意させるか?」

 

 そう言って、手の中の杯を振って見せる。

 

「いえ、それはご遠慮させていただきます。私が飲み過ぎているのは、眠気を覚ますためのコーヒーですので」

「それも飲み過ぎると胃を荒らすというぞ」

「さて? それを実証した者はおりませんな。私がその検体第一号になるかもしれませぬ。まあ、胃潰瘍で死ぬのが先かもしれませんが」

「心配するな。お前が胃潰瘍で倒れたら、俺の名でポーションを届けさせよう。その程度で死んで楽になってもらっては困る」

 

 ロウネはやれやれと頭を振った。

 

「まったく、臣下をさらなる苦しみの中に引きずり込むとはなんという上司でしょう。まあ、戯言はこれくらいにして、此度の一件ですが」

 

 真面目な表情で語りかける。

 

「まず、邪教組織はほぼ壊滅ですな。参加していたもののほとんどは死亡。死因は邪教組織の儀式中に現れたという邪神によるものと、そこから逃げ出したのち、倉庫街に出現したアンデッド集団によって殺されたもの、この2つです。ごくわずかながら、それら両方から逃げ延びた運のいい者もいるようですが」

「ふむ。帝都に現れたアンデッドたちは結局、邪教組織と関係があるのか?」

「現在の所は不明ですな。ただ、儀式の際に出現した邪神は、唱えただけで容易く人の命を奪う魔法を唱え、そして死した者をアンデッドに変えたという話でございますから、アンデッド同士なんらかの関係はあると思われます」

「陛下、恐れながらよろしいですかな?」

 

 話にフールーダが割り込んできた。

 

「唱えただけで容易く人の命を奪う魔法という事ですが、似たような効果をもたらす、相手に外傷もなく死に至らしめる魔法というものはいくつかございます。ですがもし仮に、それが本当に死の魔法ならば、……それは第8位階魔法ということになります」

「第8位階魔法……!?」

 

 ジルクニフは瞠目(どうもく)した。

 今、彼の目の前にいる伝説の魔法使い、それこそ帝国の歴史と共に生きてきたこの人物すらも第6位階魔法までしか使えぬのだ。

 もし邪教の儀式において現れたその邪神とやらが本当に死の魔法を使えたとするならば、フールーダをもはるかにしのぐ存在であるという事だ。

 無論、フールーダの語るところの他の魔法であるという可能性もあるが。

 

 

 フールーダは傍らの酒杯を一息に呷った。

 彼が頭を鈍らせる蒸留酒をこれほど飲むのは、付き合いの長いジルクニフにして初めて見るものであった。

 

「気になりますな。その邪神とやらが。邪神本体もさりながら、その従者たちも。今回帝都に現れたアンデッドの軍勢は、その邪神の配下と見るより他にありませぬ。私が同行した本隊以外の者達が壊滅した原因は、はっきりとは分かりませぬ。あくまで信頼のおけない〈伝言(メッセージ)〉での報告になりますが、そちらにも死者の大魔法使い(エルダーリッチ)や魔法の武具を身に纏ったスケルトンたちが現れたとの事。そのような者達を従える存在というのは条理から逸した存在であると考えてしかるべきでしょう」

 

 銀細工の酒杯に傍らの小瓶から酒を注ぐ。今度はちびりと口をつけるにとどまった。

 焼けるような感覚がのどを走る。

 

「そして、私が出会った存在」

 

 フールーダは目をつぶって記憶をよみがえらせる。

 

 第3位階魔法まで使いこなし、常人をはるかに超える身体能力を持つ女。奇妙な事に、彼の保有する相手の使用出来る魔術位階を見抜く目には、何も見えなかったのであるが。

 そして、その仲間であると思われる、奇怪な鉄の筒から恐るべき威力の遠距離攻撃を放つ少女に、奇妙な紙切れを使って魔法を発動させるこれまた少女。

 

「あれは私の知る限りの常識を超えた先にいる存在ですな。ふむ。確か以前読んだ古代の文書には、紙に文字や絵を書き、それを触媒として魔法を発動する符術というものがあるという記述がございましたが、とにかく広く知られた技術ではありません。そのような世に知られぬ魔術を使いこなす存在……。可能ならば、その魔導の知識を手に入れたいものですが……それはいささか難しいでしょうな。とにかく、その者らの情報を少しでも知っているであろう人間から情報を得るのが良いと考えます」

 

 その答えは頷けるものだった。

 とにかく、情報こそが最優先である。知は力なり、無知は罪なりという言葉通りだ。

 ロウネに目をやる。

 

「そう言えば、邪教組織の者は少しは捕まえてあるのであったな?」

「はい。幾人かは逃げてきたところを捕まえてあります。現場で捕らえられず、家に逃げ込まれた者達に関してはすでに調べを終えております。その気になれば、様々な罪状で引っ張る事は可能です。事実に関与した犯罪でも、もしくは冤罪でも」

 

 ジルクニフは満足そうな笑みを浮かべた。

 

「そうか。ではとりあえず、すでに捕縛してある者達から情報を集めるとしよう。一体、あいつらが呼び出そうとした邪神が何なのか? どうしても知らねばならん」

「そうですな。急いだ方がいいかもしれません。帝国としても、彼ら自身にとっても」

 

 ロウネのその言葉に、ジルクニフは聞き返した。

 

「彼ら自身の為というのはなんだ?」

「はい。実は邪教組織の儀式というのは基本的に服を何も身に着けない全裸で行うようなのでございます。そして、彼らは突然現れた邪神に怯え、逃げ出したため、服を着替える間もなく外へと飛び出したようなのです。ですので、逃げ出してきた彼らを捕縛したのですが、なにぶんそういう訳でして……」

 

 その意味するところに、ジルクニフは吹き出した。

 

「ははは! では、今でも着替えも与えず全裸のままなのか?」

「はい。脱獄の道具を隠しているのではないかという懸念がある為、そのままですな。さて、捕縛している者達の中には自分は公爵なのに、この扱いは何だと叫んでいる者もいるとか」

 

 さらに声をあげて笑った。

 そして、ひとしきり笑い声をあげた後、ジルクニフはいつもの余裕ある表情を取り戻した。笑った事で、昨夜の結果――被害の甚大さや事態の深刻さを聞き、欝々(うつうつ)としていたものがようやく晴れたような気分であった。

 

「よし。そいつらは徹底的に尋問しろ。ほんのわずかでもいい。情報を引き出せ。それと服はそのままだ。与える必要はない。これ以上聞ける情報を引き出しきったと思ったら、次は尋問をだらだらと長引かせろ。裸のまま、動物のように尋問されるのは屈辱だろうよ。たっぷりと羞恥を刻み込んで、弱みを握れ」

「はっ」

「そして、邪神の方だが……あくまで一時的に召喚されただけの存在なのか、それともそいつがこの世に解き放たれたのか判断できんな。警戒は厳重にしろ。それと、今回の騒動で負傷した者達はすぐに完全に回復させろ。回復魔法代、ポーション代はいくら使ってもかまわんから急げ。それと死亡者の遺体は回収してあるな?」

「はい、もちろん。すべて回収し、冷暗所にて保管してあります。遺体が形として残っている者は可能な限り安眠の屍衣(シュラウド・オブ・スリープ)で包んであります」

「うむ。では法国から蘇生魔法を使える者を招聘し、指揮官クラスの者達は蘇生させろ。フールーダらと共に行った本隊の者達もだが、壊滅した押さえの部隊の連中もだ。そちらは全員が死亡しているから、何が起こったのか、どんな相手と戦ったのか詳しい情報が知りたい。その他、適宜、蘇生させる価値があると判断した者は復活させろ」

「いいんですかい? 蘇生魔法を使える者を派遣してもらって、そんで復活の儀式をやってもらう、それも何人もとなると、とんでもない金が必要になるんじゃないですか?」

 

 思わず口を挟んできたバジウッドに、ジルクニフは皮肉気に口角を上げて答える。

 

「なに、費用なら心配するな。その邪教の儀式に参加し、殺された上級貴族どもに、今回の責任を取らせるとしよう。利用出来なさそうな家系は潰して財産を取り上げる。それで蘇生費用は賄えるだろう」

「畏まりました」

 

 頭を下げたロウネにフールーダが声をかける。

 

「そやつらから得た情報、特にその邪神については私の方にも回してくれないかね?」

「はい。フールーダ様」

「爺よ。念のため言っておくが、魔導の深淵を覗き込みたいとか言って、お前がその邪神を召喚しようとするなよ?」

 

 からかうようなジルクニフの口調に、フールーダは肩をすくめた。

 

「さて? その邪神とやらが、本当に魔導の深淵を知る者ならば、心惹かれるものがありますがな」

 

 ジルクニフはその答えに、いつものことながら困ったものだと口元をゆがめた。

 

「それで、爺。その呼び出された邪神とやらに心当たりはないか?」

「邪神の伝承はいくつもありますが、少なくとも今の時点で聞き及んだ限りでは、はっきりと断定できるものはありませんな。ですが、備えは必要です。私の弟子たちに調べうる限りの伝承を捜させ、リストアップさせましょう。後はそれを邪教組織の者から得た情報と突き合わせ消去法で探っていくのがいいかと思われます。手間はかかりますが、その方がかえって予断に振り回されることなく突きとめられるでしょうから」

「気が遠くなるような作業だが、止むを得んか。では、そうしてくれ。ナザミ」

「はっ!」

「とりあえず、危機は去ったかもしれんが、まだ帝都のどこかに昨夜のアンデッドの生き残りがいるかもしれん。帝都の警備は厳重にせよ。ニンブル、お前は部隊を率いて倉庫街を捜査しろ。決して油断するな。バジウッド、帝都の外で活動をする可能性もあるから、そちらの警吏もしっかりやらせろ」

「分かりやした」

 

 

 とりあえず、当面の指示を出すと、ジルクニフは凝った肩をぐるりと回した。

 

「やれやれ、これからも面倒ごとは続くな。このままでは悩み過ぎて髪が薄くなってしまいそうだ。皇帝には薄毛になった時の見舞金は出るのか?」

 

 髪の端をつまみあげて行ったその言葉に、重苦しく張り詰めていた空気が弛緩した。

 室内に笑い声が響く。

 

「ははは。じゃあ、髪に効くポーションでも買い占めたらいかがですかい?」

「引退した魔法詠唱者(マジック・キャスター)たちにでも、増毛の魔法の研究でもさせましょうか?」

「いっそのこと、カツラ職人を優遇し手当を出すことで、帝国の基幹産業にしてしまってはいかがですかな? この帝都を良質のカツラの生産地と為したとして、ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスの名は歴史に残るやもしれませんな」

 

 

 やらねばならぬ課題は山積みであったが、その居室にいた者達は束の間笑いあった。

 皆、この帝国の繁栄の為に、どんなことでもする覚悟を胸に秘めたまま。

 

 

 

 

 

 

 だが、このとき彼らはまだ気がついていなかった。

 

 

 

 

 昨夜の戦闘がもたらした、事の重大さを。

 

 

 

 ナザリック地下大墳墓に仕えるプレアデスの1人、ナーベラル・ガンマに怪我を負わせるという事は――。

 

 ――龍の逆鱗に触れるという表現すら生ぬるい行為であったという事を

 

 

 




 とりあえず、これで帝都での延々と絡み合った一件は、いったん区切りとなります。


 この後、アルシェはウレイリカ、クーデリカと共にエ・ランテルに行きます。そこで、かつての伝手で魔術師組合で働き口を見つけ、妹たちと暮らし始めます。幸せになれるとイイデスネ。(ニッコリ)

 ロバーデイクはエ・ランテルについた後、どこか辺境の村で神官として生きる道を選びます。募集のあった村におもむいてみたら、その村に一緒に住んでいたゴブリンやオーガ、蜥蜴人(リザードマン)らに驚かされたものの、やがては慣れ、先の襲撃により父親を失い母子で必死に生きていた未亡人と仲良くなり、それなりに幸せに暮らします。

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