オーバーロード ~破滅の少女~   作:タッパ・タッパ

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 ちょっとだけグロっぽい描写があるかも。

2016/12/8 「情報を打った」→「情報を売った」 訂正しました
「金属版」→「金属板」、「制作」→「製作」、「言う」→「いう」、「良く」→「よく」、「進行」→「侵攻」、「置ける」→「おける」、「眉根を潜ませた」→「眉を顰めた」訂正しました
2016/12/10 12/8に訂正したはずの「情報を打った」→「情報を売った」が訂正されていなかったので、訂正し直しました
ブルムラシュー侯の「侯」の字が「候」になっていたところがあったので、訂正しました
2017/7/10 「外憂内患」→「内憂外患」 訂正しました


第九章 王国編
第66話 ベルベル王都へ行く


「じゃあ、いきますよー! いいですかー?」

 

 遮るもの一つない荒野に響き渡るアウラの声。

 それに手を振り、了承の声をあげる。

 

 豆粒程度に小さく見えるほど遠くで、アウラが腰の後ろに下げていた大きな筒状のものを身体の前へと動かし、それを広げる。

 

 

 すると――一瞬、浮遊感がベルの体を襲った。

 

 そして、次の瞬間、周りには奇妙な山野が広がっていた。

 先ほどまで立っていた、草木の一つたりとも生えぬ、土塊が所々に転がっているだけという殺風景極まりないナザリック第8階層の荒野とはまったく異なる場所だ。

 

 

 ベルは足元の草を指でつまみとり、顔の前に持ってくる。そうして、じっくりと観察してみる。

 知識の無いベルには種別なぞ分からないが、見るからに草である。草の匂いもする。

 だが、なにか奇妙な、微妙に現実感の乏しい植物であった。

 

 辺りを見回した。

 とりあえず、目に見える範囲でつい先ほどまで隣にいたはずのアインズを捜してみる。

 だが棺桶の中以外、どこにいても目立つこと間違いなしの、露出狂かよと思うくらい胸元を大きくはだけた、あの骸骨の姿はどこにも見えなかった。

 自身の他は、少し離れたところにワールドアイテムを使った当の闇妖精が1人立っているだけだ。

 

 

 ふぅむ、という言葉を口から漏らし、しばし待つ。

 そうしているとアラームが鳴った。腕にはめた金属板からだ。

 そして、前もって行っていた打ち合わせ通り、〈伝言(メッセージ)〉の魔法を発動させる。

 

 ……しかし、繋がらない。

 

 何度かやってみるが、かけた先であるアインズに繋がる時の、いつもの感覚が起こらない。

 そうしていると、逆に〈伝言(メッセージ)〉が届く感覚があった。

 繋げてみると、案の定アインズからである。

 

《どうですか?》

《ええ、そっちからは繋がりましたよ。でも、こっちからかけても繋がらなかったんですが……着信拒否とかしてませんよね?》

《していませんよ。ベルさんからは通じず、私からは通じる。やっぱり、ワールドアイテムの有無ですかね?》

《ええ、おそらくはそうでしょうね。ワールドアイテムを保有していれば、ワールドアイテムである『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』の中にも〈伝言(メッセージ)〉を飛ばすことが出来るってことでしょうね》

 

 

 

 今、彼らがやっているのはワールドアイテムの効果の検証である。

 

 

 ユグドラシル時代はワールドアイテムを保有している者には、ワールドアイテムの効果は及ばなかった。

 それがこの世界においてもそうなのか?

 それを確かめてみるための実証実験である。

 

 

 そうして、ベルはアインズ以外の者、共に『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』の中にいるアウラや、別の場所で待機しているはずのナーベラルやシャルティアに〈伝言(メッセージ)〉を送ってみる。アウラには普通に繋がるのだが、ナーベラル及びシャルティアの方はというと、やはり通じない。

 

 

 しばし、そうして〈伝言(メッセージ)〉を送ってみていると、ベルの眼前、何もない空間が揺らめいた。

 虚空から現れたのはアインズである。  

 

「やっぱり、ワールドアイテム持ちなら、ワールドアイテムの効果を無視できるみたいですね」

 

 『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』で作りだされた空間内に忽然と現れたその姿を認め、アインズに話しかけるベル。

 それに対してアインズは「え、ええ……そうみたいですね……」とやや固い口調で返した。

 

 

 

 

 アインズは心配していた。

 イビルアイから聞かされた精神の変異。

 それが自分、そしてベルに影響を与えているのではないかという事に。

 

 考えれば考えるほど、これまでの行動で当て嵌まる点はいくつもあった。

 その事を理解した後、アインズは様々な理由をつけ、ベルと対面することを避けていた。

 故意ではないとはいえ、自分の軽はずみな行いの為に友人が変わってしまったという事実は受け入れがたかった。理性では、そうだと分かっていても、感情では否定したかった。

 事実を知った今、アインズはベルと正面切って向き合う事が出来なかった。

 

 

 だが、いつまでもそうして避け続けているわけにもいかない。

 ナザリックを統治するのはアインズとベルの2人であり、ずっと会わないままでいる事も出来ない。

 いつかは事実と向き合わねばならない。

 

 だが、そうは分かっていても気が重い事に変わりはないのだ。

 先延ばしできるものなら、先延ばししてしまいたい。

 その為、ついついなんらかの口実をつけて、顔を合わせないようにしてしまっていた。

 

 

 そうしてしばらくの間、過ごしていたのであるが、たまたま何の気なしにアインズが第9階層の執務室におもむいた際、ちょうど室内にベルが在席していた所に出くわしてしまったのだ。

 

 

 アインズは思わず、戸口で身を凍らせた。

 何の心の準備もなく、当の本人と遭遇したのだ。

 

 ベルは机上に肘をついて指を組ませ、それで顔の半ばを隠すようにして、自分の席に腰かけていた。

 顔の下半分は、その小さな手で覆い隠されているとはいえ、卵型の顔に浮かんでいるのが懊悩である事は容易に察せられた。可愛らしい少女の眉根は寄せられており、なにか生半(なまなか)に答えの出ないことに頭を悩ませている様子であった。

 そして、彼女は立ち尽くすアインズに視線を合わせることなく声を発した。

 

『アインズさん。……俺、思ったんですがね』

『……なんですか?』

 

 アインズは飲む喉すらない身ながら、生唾を飲みこみ、その背筋を這いずりまわるものを感じつつ、尋ねかえした。

 

 少女は顔をあげる。

 部屋に入ってきたアインズに初めてその瞳を向ける。

 やがて、ゆっくりとした調子で語りかけた。

 

『考えたんですが……人間がモン(むす)とやるのって無理じゃないですかね? 長さ的に』

『……なんの長さですか?』

 

 

 

 その後、いくつか話はしたものの、特段、これまでのベルと変化は見られなかった。

 

 よくよく考えてみれば当然だった。

 あくまで現在の少女の姿になってからベルの性格が変化したかもしれないという事について、ついこの前、イビルアイと話した事により、初めてアインズが気がつき、得心しただけなのだから。

 ベルが変わったのはこの世界に来た後、つまりかなり前からの事であり、ここ最近で変わったのは、その事を知ったアインズのベルに対する態度だけのはずである。

 アインズが気づいたからといって、ベルに新たな異変がある訳でもない。

 

 

 そして、久しぶりに会ったベルはアインズに対して、ワールドアイテムの効果の実験を提案してきた。

 当人を前にして、自らの内心の動揺と後ろめたさを悟られたくなかったアインズは、その提案に対し、一も二もなく首肯した。事実を知ってしまった後として、少しでもベルと親睦を深めたかったのだ。

 

 

 

 

 そうして、その後も〈伝言(メッセージ)〉や〈転移門(ゲート)〉などを使い、様々な実験を行ってみた。

 その結果、判明したことは、ワールドアイテムを保有している者ならば、ワールドアイテムである『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』の効果を無効化できる。だが、ワールドアイテムを保有していない者からの場合は、たとえ相手がワールドアイテム保有者だとしても、『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』の効果の無効化は出来ないという事が分かった。

 

 例えば〈伝言(メッセージ)〉を使用した場合、同じ『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』内にいるアインズ~ベル間は普通に通じるし、ワールドアイテムを持っているアインズから、外にいるナーベラルには届く。だが、外にいるナーベラルからワールドアイテムを持っているアインズへは届かないようだった。

 

 

 

「こんなもんですかねえ」

 

 一通りの実験を終え、アインズに話しかけるベル。

 それに対してアインズは「ええ、興味深い内容でしたね。さすが、ベルさん」とやや早口で返した。心のうちにある負い目から、思わず追従(ついしょう)のような言葉を発してしまう。

 そんなアインズの挙動不審な様子に対し、ベルは僅かに眉を(ひそ)めたものの、特に追及することもなかった。

 

 

 何やら2人の間に微妙な、居心地の悪い空気が流れる。

 

 

「……えーと、じゃあ、実験終わったんで『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』ですけど、宝物庫に返してきますね」

 

 そう言って、アウラから(くだん)のワールドアイテムを回収する。

 ちらりと傍らの骸骨に目をやった。

 

「アインズさんも来ます?」

 

 その言葉に、アインズは顔を引きつらせて、ぶんぶんと首を振った。

 

「いえ! それはベルさんにお任せします!」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを使い、宝物庫に転移したベルは霊廟手前で待機していたパンドラズ・アクターに指輪を渡し、その奥へと足を進めた。

 その手には『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』が抱えられている。

 

 

 やがて、革靴を履いた足が最奥部へと達する。

 扉を開けると、その先にあるのは広大な空間。柱一つなく、その各所にいくつかの陳列棚が、本当にポツンポツンと並べられているだけの、空虚さすら感じさせる一室。

 

 宏闊(こうかつ)たる室内に比べて、置いてある物の数は圧倒的に少ない。

 しかし、ここにある物の価値は、どれも破格の代物ばかりである。

 宝物庫の入り口、部屋中を埋め尽くしていた金銀財宝の数々など、この部屋に安置されている物の足元にも及ばない。比ぶべくもない。塵芥(ちりあくた)に等しいと言いきっても過言ではない。

 

 

 設置された陳列棚一つに対し、その中に収納する物はたった一つ。

 

 この最奥部において、陳列棚――幾重にも厳重に罠が仕掛けられている――の中にしまい込まれている物。

 それはワールドアイテムである。

 

 

 ユグドラシルには200ものワールドアイテムが存在するという。

 その一つ一つが通常のアイテムとは比べ物にならない破格の効果を持っており、その希少性から、1つ保有しているだけでも、そのギルドは一目置かれるほどであった。

 そのワールドアイテムをギルド『アインズ・ウール・ゴウン』は11個保有していた。彼らに次ぐのが3個所持という話であるから、11個も一つのギルドで所持しているというのは、他に類しないほどであるという事が窺い知れる。

 

 この最奥部には、あると言われていた200個のワールドアイテム全てを収納できるスペースがあった。もちろん、全てを独占出来ようはずもないのだが、その為の空間が作られていた。

 

 そして、この室内に置かれている陳列棚は20ばかりである。盗難防止トラップが仕掛けられた陳列棚は、作るのにも結構な素材が必要となるため、さすがに200個作っておくのは手間であり、とりあえず20個ほどが作られたのだ。

 だが、20ほどの陳列棚の内、本来の目的通り、内部にワールドアイテムが保管されているのは半分にも満たない。

 

 ギルド『アインズ・ウール・ゴウン』が所持する11個の内、アインズに個人的な保有が許可されている物が1つ、アルベドに渡されている物が1つ、そして玉座の間にある玉座その物が1つであるため、この最奥部にあるワールドアイテムは8個しかない。

 

 

 いや、9個か。

 

 

 

 ベルは空になっていた棚、そこに『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』をしまうと、所定の手順で盗難防止の鍵や罠をかける。

 

 

 そして、それが終わると――油断なく周囲を見回した。

 

 動くものはない。

 

 

 この宝物庫に入れるのはリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを持つベルとアインズのみ。そして元から宝物庫内にいるパンドラズ・アクター。霊廟のゴーレムは抜かして考えると、この3者のみしか、この最奥部には侵入できないはずである。

 今、パンドラはベルのリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを預かっている状態であり、霊廟を通ることは出来ない。

 そして、アインズはパンドラに会いたくないため、宝物庫の奥には来ようとはしない。彼が来ていないのは、パンドラから確認済みである

 

 

 ベルの感知に引っ掛かったものはいない。

 だが、念には念を入れ、ベルは幾個もの巻物(スクロール)を使い、周囲に生命ある者、そして生命ない者も含め、この地に自分以外の他者がいない事を確かめる。

 

 

 そうして、確実に誰もいない、誰の監視の目もない事を確かめると、彼女は一つの陳列棚に近づいた。

 

 罠を解除し、中に眠っていたワールドアイテムを取り出す。

 『ヒュギエイアの杯』

 魔法の光を受けて煌びやかに輝くそれを手にとると――ベルは傍らへと置いた。

 

 そして、その杯がしまい込まれていた奥底、一見何の変哲もない板を幾度か手で動かすと、音を立てて底部が動いた。

 

 

 ここに置かれている陳列棚、全てではないがその一部には仕掛けがしてある。

 万が一、盗まれそうになった時のため、上部にダミーを置いておき、本当のワールドアイテムはその奥に隠しておけるようになっているのだ。

 

 ウルベルトやタブラなど、ごく一部のギルメンたちがそういう仕掛けはどうだと言いだし、他の者達には秘密のまま、こっそり作ってみたのである。

 だが、その製作には予想以上に手間がかかり2、3個作ってみたところで、皆すっかり飽きてしまった。

 それと、そういうものを作っている事を知ったるし★ふぁーが似たような物を作ったのだが、それをよりにもよってぶくぶく茶釜が開けてしまい、彼女の身体が溢れだしたセンジュナマコに埋め尽くされるという事態になってしまった。そのため、彼女の勘気に自分たちまで触れぬよう、知らぬ存ぜぬ、悪いのは全部るし★ふぁーです、で押し通した事から、隠し場所のある陳列棚は、製作はおろか存在自体が他の者に知られぬままになってしまっていたのだ。

 そして、かつてのベルモットも、そのごく一部のギルメンの1人であったため、そういった細工がある陳列棚の存在を知っていた。

 

 ちなみにピンクの肉棒より、センジュナマコの方がビジュアル的にマシじゃないかというのが、ギルメンたちの総意であった。

 

 それはさておき、この『ヒュギエイアの杯』が収められていた陳列棚こそ、それまで特に使いこそされなかったものの、そういった仕掛けが作られた棚の一つなのであった。

 

 

 

 そうして現れた仕掛けの奥底から、ベルは1つの物を取り出した。

 

 それは、およそナザリックに所属する幾多の者達の中で、唯一ベルだけが存在を知っている物。

 

 

 ワールドアイテム、『傾城傾国』である。

 

 

 

 ベルはこの『傾城傾国』を手に入れてから、これをどう扱うべきか悩んだ。

 一番いいのはずっとアイテムボックス内にしまっておくことである。そうしていれば、なんらかの時にワールドアイテムによって攻撃されても、その効果をベルが受けることは無い。ベルは盗難防止のアイテムも所持しているため、いきなり盗まれるようなこともないだろう。

 だが問題となるのは保有している事が他の者、とくにナザリックの者達にばれないかという事である。

 入手した時のいきさつは誰にも知られていないはずであり、こうした思いに囚われるのも疑心暗鬼でしかないというのは我が事ながら分かってはいたのだが、だがそれでも、万が一にでも、誰かに疑念を持たれているかもしれないという懸念が付きまとうのはなんとかしたかった。

 

 そこで考えたのが、今回の実験である。

 ゲームの時と同様、ワールドアイテム保有者は、他のワールドアイテムの効果を無効化できるかどうかの実証実験という名目で自身をワールドアイテムの影響下に置いてみせる。そうすることで、ベルは今現在ワールドアイテムを保有していることは無いという事を、アインズを始めとした者たちに示すのが狙いであった。

 そして実験の為、『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』を取りに宝物庫の最奥にやってきた際に、自身が持つ『傾城傾国』をそこの陳列棚に隠したのであった。

 

 

 

 ふむ、とベルは先ほどの事を思い返す。

 その脳裏に浮かんできたのは、一通りの実験を終えた後のアインズの様子。ベルが声をかけたとき、アインズは狼狽えたような仕草を見せていた。

 

 

 ――なにか、疑念を持たれるようなことがあったか?

 いや、大丈夫だったはず。

 久しぶりにばったりアインズと顔を合わせたのだが、動揺は隠せたはずだ。

 秘かにワールドアイテムを手に入れ、それを秘密にしている後ろめたさに身を凍らせることなく、自然体で話をすることが出来た。

 なんでもないごく普通の、誰もが心悩ませる素朴な疑問の話題を振った。たとえ疑いを持っていたとしても、あれで機先を制することが出来たはずだ。

 

 その後は、実証実験を提案し、アインズの注意をそちらに向けさせた。

 アインズはナザリックのNPC達を大切に思っている。よくは理解できないが、妄執といっていいほどだ。彼らが危険に晒される可能性があるというのならば、今回の実験結果はおろそかには出来ず、そちらに意識を集中させるはず。自分への追及は(仮にあったとしても)二の次となり、甘い判断のまま、なあなあにできるだろうという思惑があっての事だ。

 

 ……いや、そもそも、ワールドアイテムがこちらの世界にあると知っているのは、ナザリックの者の中では自分一人しかいない。かえって、それを提案したことで、あるはずの無いワールドアイテムの存在を意識されてしまったのだろうか?

 

 

 そもそも最近、ベルが見る限り、アインズの様子がおかしい。

 なんだか、あまり自分と顔を合わせることもないし、ときたま相対した際にも、なにやらきょどきょどとした様子を見せる。  

  

 思い返してみるとアインズの様子がおかしくなったのは、帝国殲滅作戦を行ったあたりからだ。

 つまり、ベルが『傾城傾国』を手に入れた後くらいからという事になる。

 

 

 ――もしかして、ばれているのか?

 ばれた上で泳がされている?

 

 冷たいものがベルの背筋を走る。

 ベルは頭を振って、体に走る怖気を振り払った。

 

 

 ……まあ、いい。

 とにかく、一応のパフォーマンスは終わった。

 自分がワールドアイテムを保有していないと対外的に見せつけた上で、実際はこうしてワールドアイテム『傾城傾国』を所持している。

 これで、仕込みはばっちりだ。

 これからは『傾城傾国』は宝物庫ではなく、常にアイテムボックス内に放り込んだままにしておこう。これでもう、ワールドアイテムを恐れる必要はない。

 

 さて、次にやるべき事は……。

 

 

 

 そこまで考えたところで、〈伝言(メッセージ)〉が届いた。

 そのタイミングに、思わずビクンと身体が跳ねてしまう。誰にも見られていなかったからいいものの、明らかに挙動不審だ。気をつけねばと自戒し、大きく深呼吸してから、その〈伝言(メッセージ)〉を繋げる。

 

 

《ベル様、今、よろしいですか?》

 

 〈伝言(メッセージ)〉はデミウルゴスからであった。

 大丈夫だと伝えると、彼はさっそく本題に入った。

 

《王都の例の組織ですが、どうやら今夜、会合を開く模様です》

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 その室内は陰鬱たる空気で満たされていた。

 円卓についた9人の男女。彼らの顔に明るい色は見えない。

 誰もが苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。

 

 重くるしい雰囲気の中、八本指のまとめ役である男は定例会の開催を告げた。

 

 そうして、交わされる会話。

 様々な連絡事項や組織間での確認事項、ならびに情報のやり取りであるが、どれも景気のいい話は一つもない。

 

 

 

 今、王国に広く根を張る八本指は困った事態に直面していた。

 その原因は全てエ・ランテルに端を発している。

 

 ズーラーノーンの者が起こした大事件。そして、その後に勃興したギラード商会なる組織の台頭。

 それによって、八本指はエ・ランテルでの影響力を失ってしまった。

 それがまだ、どこかの地方都市であるのならばまだよかった。

 だが、失ったのは泡沫ともいえる町ではなく、城塞都市エ・ランテルである。そこが組織から外れた影響は決して小さいなどと言えるものではなかった。

 

 エ・ランテルは交易の要である。

 そこを敵対勢力に押さえられるという事は、活動範囲が一気に減少するという事だ。

 エ・ランテル自体、彼らの支配圏の中でも有数の利益が出る都市であったのに、それを失ってしまった。

 さらにはエ・ランテルを経由していた闇荷の物流は滞り、奴隷の売買も、ライラの粉末を始めとした麻薬の輸出も満足にできなくなったのだ。

 これにより、組織の収入が激減したのである。

 

 もちろん八本指としても、それを座視している気はなく、幾度も密偵の潜入、そして商会関係者の暗殺を謀ったのであるが、そちらはことごとく失敗するという有様。

 そして、その話が広まると――それまでもギラード商会側に寝返った者はいるのだが――さらに多くの人間が八本指に見切りをつけて、そちらに行ってしまった。

 

 裏社会の人間にとって舐められるというのは死活問題である。

 何とか状況を立て直そうと画策したのであるが、どれも上手くいったとは決して言えない状況であった。商会自体は昔から存在しているものであり、そこにはなんらかのバックがついた事までは掴めたのであるが、一体どういう手品を使っているのか、そこから先が全くつかめないのだ。

 

 

 そして、もう一つ不気味な点がある。

 そんな謎の存在であるギラード商会であるが、エ・ランテルの全てを支配下においた(のち)、それ以上勢力を拡大するというそぶり(・・・)を見せないのである。

 

 一体、何を考えているのか?

 そもそも、背後にいるのは何者なのか?

 

 正体を掴めない、得体の知れない相手を前に、八本指はどう対処していいのか分からず、手をこまねいたまま、何の有効な対策も取れないというのが彼らの現状であった。

 

 

 そうして、会議は続く。

 麻薬組織を代表しているヒルマの口から――昔は美しかったものの、すでにとう(・・)が立った彼女の顔には、化粧でも隠せぬクマが浮かんでいた――国外に流せぬ麻薬が完全にだぶついており、その保管にかかる金額もかさみ、一部は値崩れを起こさぬために廃棄処分としている旨が報告されていた時――。

 

 

 

 外から、なにやら騒ぐ声が聞こえてきた。

 

 室内にいた者達は、何事かと首を巡らせる。

 全員の目が集まる中、重い両開きの扉が開き、そこから数人の男女がこの会合の場へと入ってくる。

 

 その姿を目にしたものは誰もが息をのんだ。

 彼らの事を知らぬ者は、この場にはいなかった。

 

 

「よお、みんな集まってるな」

 

 

 そう気軽そうに声をかけつつ歩みを進める、新たに現れた男女。

 

 彼らは元八本指の一員である。

 荒事を専門とする警備部門の中でも最強の『六腕』と謳われ、そして(くだん)のギラード商会に寝返った『千殺』マルムヴィスト、『踊る三日月刀(シミター)』エドストレーム、そして、『空間斬』ペシュリアンであった。

 

 

 室内にいた者達は、皆それとなく視線を動かした。

 彼らの視線の先にいたのは、円卓についていた一人。

 (いわお)のような肉体を持った禿頭(とくとう)の大男。

 警備部門、いや、多くの人員を抱える八本指において誰もが最強と認める人物。

 

 『戦鬼』ゼロである。

 

 

 彼は皆の視線が自分に集まっている事を知りながら、どっかと腕を組んで椅子に座ったままだった。

 

 だが、ゼロの近くにいた者たちは、がたがたと椅子の音を立てさせて、彼から距離をとった。

 今、彼の身体からは、自分を裏切っておきながら、ぬけぬけと姿を現したかつての部下たちに対する殺気が垂れ流されていた。

 

 

 だが、対するマルムヴィストらはそんなゼロの態度になんら頓着(とんちゃく)する様子はない。彼は円卓に近づくと、そこに腰かけた。

 

「さて、今日は皆にいい話を持ってきたんだ」

 

 そうなんでもない事のように話す。

 

「なに、話は簡単さ。うちの……」

「貴様ら」

 

 マルムヴィストの言葉をゼロが遮る。

 

「よくも俺の前に姿を現せたものだな」

 

 性根据わった豪胆極まりない者でさえ思わず身を(すく)ませてしまうような、その声色。

 だが、マルムヴィストは相変わらず、軽い口調で答える。

 

「おっとと。怒らないでくれよ、()ボス。いやあ、だって仕方ないだろ。今のボスの方がアンタよりもっと強いんだからよ」

 

 その言葉に、エドストレームとペシュリアンもまた頷く。

 

 

 瞬間――轟音と共に、円卓が弾け飛んだ。

 

 ゼロが己の身から湧き出す憤怒のままに、その力を振るったのだ。

 

 

 濃厚なまでの殺意をまとわせ、立ち上がるゼロ。

 その様子に、さすがにマルムヴィストも飛びのいて距離をとった。

 

「……おい。そのボスとやらはどこにいる? 俺の前に連れてこい!!」

 

 もはや嚇怒(かくど)を抑えすらしないゼロ。それに、マルムヴィストが答える。

 

「ああ、そりゃ、ちょうどよかった。実はもう来てるんだよ。いや、今日はボスを皆に引き合わせるためにわざわざやって来たって訳さ」

 

 そうして、いまだ開け放たれたままの入り口の向こうへと声をかける。

 

「ボス―。いいですよー」

「ああ、もういい?」

 

 そうして現れた存在に、誰もが呆気にとられた。

 マルムヴィストの声に返事を返し、室内に入ってきたのは2人の女性。

 

 1人は目を見張るような美しいメイド。美しい金髪を縦ロールに整え、その絹のような肌もあらわなメイド服に身を包んだ女。

 まあ、彼女は分かる。

 美しい女を侍らせるのは力や資金、政治力などがあるから出来ることでもある。美しい女性を探し出し、自分に仕えさせることで、自らが行使できる力を周囲の者に誇示しているのだ。

 

 だが、問題はその前を歩く人物。

 普通に考えると、そんな彼女を従えている人物という事になるのだが……。

 

 

「やあ、みんな、初めまして。自己紹介するね。ボクはベル。まあ、長い付き合いになるか、短い付き合いになるかはそれぞれかもしれないけど、よろしくー」

 

 鈴が鳴るような耳に心地よい声で挨拶したのは、少女である。

 到底、大人と呼べるような年齢ではなく、まだ子供の域を出ていない。その顔には、あどけなさが残り、腰まで伸びる銀髪は毎日丁寧に手入れをされているのが見て取れた。

 

 ――はて? どこかの有力貴族の娘だろうか?

 

 それがこの場にいた者達の大方の推測であった。

 この突然現れた少女にどんな対応していいのか、誰もが計りかねていた。

 

 

 そんな中、1人だけ、怒りを露わにした者がいた。

 ズン! という音と共に室内が揺れた。

 他の者達が恐怖に顔を引きつらせ、目を向ける先には憤怒に震えるゼロ。その足元からは、放射状に亀裂が走っている。

 

「ガキめ、貴様なんぞに用はない! 俺より強いとかいう『ボス』とやらを連れてこい!」

 

 吠えるゼロであったが、それに対して少女はその可憐な顔に笑みを浮かべた。

 嘲りの笑みを。

 

「やれやれ。弱い犬ほどよく吠える」

「なに!」

 

 猛るゼロを丸っきり無視し、傍らの伊達男に顔を向ける。

 

「ねえ、マルムヴィスト。ゼロっていう奴はこのハゲでいいの?」

「ええ、そうですよ」

「ふぅん。そうなんだ」

 

 そう言って、ベルは冷たい瞳でゼロを見る。

 

 

 その刹那、何かが周囲の空気を変えた。

 実際に冷気が走ったという訳ではない。しかし、身の毛もよだつような感覚がその場にいた全員の背筋を駆け巡った。

 誰もが、思わずその身を震わせた。

 それはゼロとても例外ではない。

 

 

 彼は瞠目した。

 目の前の少女をまじまじと見つめる。

 

 

 ――自分が恐怖に震えるなど、それこそ物心ついてから、ついぞ感じたことなどない。それが今、このベルと名乗る少女を前にして、必死で震えを抑えねばならぬほどの有様である。

 一体なぜ、こんなにも鳥肌が立つような感覚を覚える? なんらかの特殊技術(スキル)、もしくは生まれながらの異能(タレント) だろうか?

 一体、この少女は何者なのだ?

 

 

 ゼロが凝視する当の少女は、何の気負いもせずに、てくてくと彼の許へと近寄ってきた。

 

 そして、ゼロの腰につけたベルトのバックルを片手で掴むと――彼の身体を無造作に放り上げた。

 100キロは優に超える、ゼロの巨躯が軽々と宙を飛び、音を立てて天井へと叩きつけられる。

 

「ぐあっ!」

 

 上がったものは当然重力にひかれ落下する。

 彼の身体は今度は床へと叩きつけられた。

 

 うめき声をあげ、全身を襲った衝撃に耐えるゼロ。

 おそらく骨にヒビでも入ったかもしれない。

 だが、彼は痛みをおして立ち上がった。彼の戦士としてのプライドが地に伏したままというのを許さなかったからだ。

 

 しかし、その姿に感銘を受けるべくもなく、ベルはもう一度ゼロを天井に放り上げ、叩きつけた。

 

 そして再び床に落ちたゼロの、今度は足をひっつかむと、濡れ布巾を振り回すかの如く、勢いをつけて石床にゼロの身体を叩きつけた。

 右に叩きつけたかと思うと、今度は左に。

 左に叩きつけたかと思うと、今度は右に。

 幾度も幾度も叩きつけた。

 

 

 もはやそれは戦いといえるものではなかった。

 相手に対する敬意も敵意もなく、ただ作業として痛めつけているだけであった。

 

 

 その(さま)を目の当たりにしている者達。

 マルムヴィストなど元よりベルの強さを知っている者を除いた誰もが、理解しがたい光景にただ口をぽかんと開け、呆けたまま見ているより他になかった。

 

 およそ、スプーンより重いものを持ったこともなさそうな少女が、自分たちの知りうる限り、王国戦士長ガゼフ・ストロノーフに匹敵するであろう八本指の警備部門長であるゼロを子ども扱い、いや子猫以下の扱いをしている。それも相手は、そんな非道な事は誰もやらないだろうという思う情理を超えた残酷さを伴って、だ。

 

 

 しばし、そうしていた後、抵抗のそぶりを見せなくなったため、ようやっとベルは掴んでいたゼロの足を離した。

 すでにゼロはボロ雑巾のごとき有様である。

 

 ベルはそんなゼロをひっつかみ、顔を上げさせると上唇を掴み――力任せに引きちぎった。

 

 ついぞ誰も聞いたことがないゼロの悲鳴が、室内に響く。

 ベルはそれに構うことなく、そのまま力に任せゼロの顔面、その表皮も肉も、白い歯すらさえも、その白魚のような手でブチブチとむしり取っていった。

 

 血と肉片が辺りに――凍り付いたように身動きできない、八本指の者達の上へとばらまかれた。

 

 

 ひとしきり引きちぎり終えると、すでに骨や目玉が露出し、息も絶え絶えの顔面に回復のポーションをかけてやる。

 どれほど高い効果のポーションだったのか、傷は瞬く間に癒え、ゼロの顔がすっかり元通りに戻った。

 そして、ゼロが驚きに何か声を発する前に、再びその顔をむしり取っていった。

 

 

 それを幾度か繰り返した後、ベルは手を離した。

 もはや抵抗どころか力をいれる気力すら失ったゼロは、そのままどうと床に倒れ伏した。

 

 ベルはゆっくりと周囲の者達を見回す。

 視線を向けられると、彼らは皆、(おこり)のように身体を震わせた。ガチガチと音がなるほど、歯と歯が噛みあわされる。

 それはベルの苛烈さをすでに知っていた、マルムヴィストらすらも例外ではなかった。

 この中ではただ一人、ソリュシャンだけがうっとりとその光景を眺めていた。

 

 

 ベルは血と肉片で真っ赤に染まった小さな手を、べちゃっべちゃっと音を立てさせて叩き、すでに十分すぎるほど集まっているのであるが、注目を集めた。

 

「はい。じゃあ、皆、聞いてね。えーと、これから八本指はボクがしきる事にします」

 

 そう子供っぽい口調で言った。

 

「文句のある奴は殺すけど、皆、それでいいかな?」

 

 八本指の幹部たちは否応もなく、壊れた様に首を幾度も縦に振った。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「今こそ、こちらから帝国に攻め込む番でしょう」

「全くですな。いい加減、帝国の侵攻を迎撃するのには飽き飽きしてきました」

「帝国の愚か者どもに我らの恐ろしさを知らしめる時が来たという訳ですな」

「違いありません。まさに伯爵殿のおっしゃる通り」

 

 

 リ・エスティーゼ王国の王都に立つ王城ロ・レンテ。

 その敷地内にあるヴァランシア宮殿の一室において、つぎつぎと声が上がる。

 

 今日、ここで行われているのは王国における、いつもの宮廷会議である。

 そして、いつものように貴族派閥の者達が、敵対している隣国バハルス帝国を打ち倒そうと気勢をあげているのであるが――今回は、普段とは少々異なる様相を呈していた。

 

 

「うむ。まさに今こそ千載一遇の好機ですな」

「いささか敵失に乗じた感はありますが、今こそ絶好の機会」

「ええ。ここは行動すべきときでしょう」

「しかり、こんな好機を逃す手はございませぬな」

 

 

 今回に限っては、王派閥の者達さえ口々に主戦論を述べていたのである。

 

 

 いつもならば、血気盛んな貴族派閥に対して、王派閥側はそれを抑える形で話が進む。

 現状、王国が帝国に戦争で勝利する事はほぼ不可能である。これはいかんともしがたい事実であった。

 その為、国王に連なる王派閥の者達は、あくまで帝国の攻勢をしのぐことを第一とし、大規模な戦端を開くことは回避しようと努めていた。

 対して貴族派閥の者達はというと、当然彼らもまたそんな事は分かってはいたのだが――一部、理解していない者もいるのであるが――王派閥が戦いに消極的な態度を示しているため、それを痛罵することによって、相手の勢力を減じようと画策していた。

 

 はっきり言ってしまえば、帝国という国外の要因を口実とした、国内での足の引っ張り合いである。

 まさに内憂外患の極みである。

 

 もし王派閥が戦いに積極的な態度を表したとしたら、今度は貴族派閥が消極的な態度を示すであろう。

 

 そんな反対の為の反対、揚げ足取りといちゃもん付けと言ってもいいようなやり取りが繰り広げられるのが常であったのだが、今回の会議では違った。

 

 

 例年の帝国との戦争は、雌雄を決するための戦いというものではなく、あくまで形式的な『戦争』程度に過ぎなかった。

 本気で戦争をした場合、互いに人的被害が深刻なものとなる。仮に勝利しても、それで相手の領地を占領すべき人材がおらず、それどころか自国の統治に支障が出ては元も子もない。

 その為、例年の戦争ではエ・ランテル近郊において、互いに兵力を出してにらみ合い、適度に小競り合いを行って、それで終了としていた。

 帝国は毎年作物の収穫時期を狙って、その『戦争』を仕掛けてきており、それに対するための兵士の徴兵によって、王国の国力を年々減少させることに成功していた。その事は王国としても、憂慮していたのだが、専業兵士である帝国の騎兵に対して、数は多くとも徴兵した農民では優位に立つことは出来ず、なんら打開策もないまま、ずるずると真綿で首を絞めるような破滅への道を進んでいくしかなかった。

 

 

 しかし、今年は帝国に異変が起こった。

 

 およそ2か月半ほど前に起こったビーストマンの襲来。

 いったいどこから現れたのかは不明であるが、帝国全土をはるか南東にいるはずのビーストマンの大群が襲撃した。

 さらには謎の魔物に帝都アーウィンタールが襲われ、彼ら自慢の帝国騎士団は壊滅、ならびに主席魔法使いフールーダ・パラダイン、そして現皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスまでもが死亡したのだ。

 これにより、現在の帝国は大混乱に見舞われている。

 もはや国として一つにまとまることは叶わず、各勢力が己が欲望のままに群雄割拠する有様を呈している。

 そして、その実情は隣国であるリ・エスティーゼ王国にまで届いていた。

 

 

 それは王国貴族にとって涎が出んばかりの状況であった。

 

 

 弱った帝国を攻め、王国の――自分の支配する領土を拡大する。

 まさにこれまで夢想するしかなかったような好機。

 そんな千載一遇のチャンスが、目と鼻の先に転がっているのである。

 誰もが一様に、欲望の光を目を灯らせていた。

 

 

 

 

「王よ。ご決断を」

 

 皆の視線が玉座に腰かけ、王冠を頭に載せた老人へと注がれる。

 

 リ・エスティーゼ王国、国王ランポッサⅢ世。

 彼は王笏を握り、立ち上がった。

 

 

「我らは平和を愛し、周辺諸国と手を携えることを願ってきた。誰もが奪われず、犯されず、命を奪われることない友和に満ちた世界を望んでいた。だが、その平和への思いは無残にも引き裂かれることとなった。長年にわたり強欲なまでの領土的野心を持って、神聖なる我が領土を脅かしてきた悪逆非道たる隣国がいたせいである。そんな不善極まりない奸邪(かんじゃ)の輩に対しても、我らは忍耐を重ね、徳と義を説いてきたが、遂に彼らは耳を貸そうとすらしなかった」

 

 

 ランポッサⅢ世は温厚ではあれど、愚鈍でも怯懦(きょうだ)でもない。

 彼自身、この王国と帝国の状況を何とかせねばと常に考えていた。

 しかし、彼が即位した時には、すでに王国内部は貴族たちの勢力争いが蔓延していた。そして、そちらに忙殺されている間に、新たに即位した帝国の鮮血帝ジルクニフは瞬く間に帝国をまとめ上げ、その牙を王国に向けてきた。このハラスメントとでもいうべき『戦争』によって、年々国力を減少させられることを余儀なくされており、このまま続けられれば、数年内に王国は限界を迎えるだろう。そして、その時こそ、帝国は一息に王国を呑み込むであろうことは、十分に予測できていた。

 

 だが今、そのジルクニフは死に、帝国は混乱に陥っている。

 今こそ、長年にわたる愁苦辛勤(しゅうくしんきん)たる現状を覆すことが出来る唯一の機会かもしれない。

 

 

 彼は目の奥に光を湛える。

 

 ここで帝国を叩く。

 完全には滅ぼせなくとも、帝国領を広く支配下に収めることが出来れば、後顧の憂いを絶ち、安心して自分の子供たちに王国を継がせることが出来るかもしれない。

 

 

「皆よ。我は決断する」

 

 

 ランポッサⅢ世は厳かに言った。

 

「我は断腸の思いながら、扼腕(やくわん)の思いながら、今ここに決断する。不実なる者に正義の鉄槌を下す。我らリ・エスティーゼ王国はバハルス帝国の征伐を開始する」

 

 

 

 こうして、これまでの政情からすれば異例ともいえる、リ・エスティーゼ王国からバハルス帝国への侵攻作戦が決定されることとなった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 数台の馬車が邸に駆けこんできた。

 そのどれもが貴族としての格を示すかの如く、ここ王国ではめったに見ることもないほどの立派な設えと造りの馬車である。

 

 王都における自分の私邸に帰ってきた彼は、小間使いが用意したタラップを降りると、時間も惜しいとばかりに、護衛の者達が皆降りてくるのを待ちもせず、足早に邸内へと足を踏み入れた。

 己が主が通りすぎるのを、邸の執事やメイドたちは頭を下げて見送る。

 そして、彼はドレッサールームへとたどり着く。

 部屋の中央に立つと、年配のメイドの合図と共に、替えの服を手に見目麗しいメイド達がその服を着替えさせた。

 大貴族である彼は、特に何するでもなく、纏わりつく者達の手によって着替えをすませながら、これからの事に頭を巡らせていた。

 

 やがて、着替えが終わる。

 王城へ赴くための正装から、普段使いの服に着替えた彼は、ちらりと姿見に目を向ける。

 そこに映し出されていたのは、先ほどまでの見栄えのいい豪華極まりないものから、高価ながらも派手すぎず品の良いといえるものへと衣装を変えた、整った顔立ちの中年男性。

 

「お似合いです。ブルムラシュー侯」

 

 年配のメイドの声に、彼は軽く頷いた。

 

 

 

 着替え終わった彼は自身の書斎へと移り、まずは一杯ひっかけた。

 カルヴァドスの甘い香りと口当たりが、先ほどまでの宮殿でのゴタゴタを洗い流してくれるような気がする。

 

 そして、彼は目の高さにグラスを持ち上げ、中に半分ほど残る琥珀入りの液体の揺れる様を眺めながら、彼が今後やるべきことを、帝国への侵攻作戦における自分の優先事項を考えた。

 

 

 彼が最も重視すべきこと。

 それは自分が儲けることである。

 

 もちろん、これから始まる帝国の領土切り取りレースは実に魅力的だ。領土が増えれば、そこから吸い上げられる税なり資源なりが期待できる。

 しかし――。

 

「しかし、だ」

 

 彼はつぶやく。

 

「仮に領土を増やしたとしても、それが利益に結びつかなければ、増やす価値はない」

 

 

 非常に遠い飛び地を手に入れたりすれば、領地の維持管理にも多額の金がかかる。また、収益をあげるのに多額の投資が必要な場合も考えられる。投資した結果、投資額を上回る利益が上がればよいのだが、思ったほど利益が伸びずに回収率が低いままになる可能性もある。そんな事になるのならば、最初から領地を増やさず、その代わりに交易に絡んだ方がいい事もある。下手に鉱山を経営するより、鉱山で働く者の衣食住などのインフラを一手に引き受けた方が利益になることもあるのだ。

 

 それに領地を増やすにしても、それを管理する人員を雇わなければならない。

 人員というものはそうそう増やすことは出来る物ではない。彼も若いころはしがらみだらけの貴族より、在野から背景や身分の貴賤など気にすることなく、有能な人材を捜した方がいいと考え、それを実行した事があった。

 だが今では、そんな事はするだけ無駄であり、おとなしく繋がりのある貴族から人を雇った方がマシという結論に至っていた。

 

 まず、教育の問題がある。王国領内においては平民一人一人に至るまで満足な教育が施されているとは言い難い。農村などでは読み書きすら出来ないものも珍しくはない。それは彼の領地においても同じことである。必然的に教育、それもある程度の高等教育を施されているのは貴族に限られていた。

 

 それでも、平民でも取り立ててやり、仕事を覚えさせればものになるはずと考え、あれこれやってみたのではあるが、結局のところ、上手くはいかなかった。

 

 まず、その出自を問わず、有能なものを採用するという事は、一体その人物が本当に有能か否か、しっかりと見極めなくてはならない。

 さらには、その者が信用に足る人物であるかという問題がある。見込みがあると思って雇ってみたら、実は口だけの人物であったり、それだけならまだしも詐欺師や余所から送り込まれたスパイなどだったなどということも多々あった。

 また、最初からそのような企みをもった者でなくとも、長い期間をかけて、教え育ててやった人物なのに、余所から高額の報酬を提示され、引き抜かれてしまったなどという事もある。それにより、長期で立てていた計画が崩れてしまい、修正に苦慮する羽目になってしまうなどの問題も多発したのである。

 

 対して縁故採用の場合、まずその者の事を紹介した人間がある程度の保証をすることになる。おかしな人物を紹介したのならば、紹介者の評判が下がるのだ。そして当然、紹介した人間がなんらかの損失を引き起こした場合も、紹介者は知らぬ顔は出来ない。自身の評判を下げたくなければ、代わりに損失の保証をせねばならない。

 その為、紹介者は下手な人物を紹介することは出来ず、また紹介されたものも、自分が下手を打てば紹介者に迷惑がかかるため、おかしなことは出来ない。言うなれば、互いにがっちりしがらみの網に絡まれている状態である。

 守るべきものがあるため大胆なことは出来ず、極端に優秀な者もそうそういないのではあるが、そこそこの仕事くらいなら任せられる者も多い。また、裏切りなどを心配する必要も少なく、ある程度の信頼をおけるとあって、ブルムラシュー侯としてはそちらを重視する方針に変更していた。

 

 

 今、彼の領地で働いている者の中で動かせる者は何人くらいいるか。また自らの派閥に連なる貴族の中でそういうものが任せられる者として誰がいたか、しばし記憶を辿って考えた。

  

 とにかく、領土を得るにしても、何処を得るべきかは十分に考えなくてはならない。

 無駄に他の貴族たちの妬みを買う気もない。その辺は上手くやらねば。

 自分が求めるのは富であって権力ではないのだ。

 名は捨てて、上手く甘い汁だけ吸えればそれでいい。

 

 

 だが、そこに思い至ったとき、ブルムラシュー侯の整った顔がわずかに歪んだ。

 

「今回に関しては早めに、そして上手く動かねばならんな」

 

 そう。本当は自分が考えるのは己が利益の事だけならばよかったのだが、今回に関してはそうもいっていられない。

 彼には帝国侵攻に深く関わらねばならぬ理由があるのだ。

 

 

 彼、ブルムラシュー侯は数年来、帝国と秘かに友誼を結んでいた。

 表面上は敵同士であるのだが、その実、金の為に王国の情報を帝国に売り飛ばしていたのだ。

 

 

 彼自身はその事に何の良心の呵責を覚えることもない。

 自分は高く売れる商品を持っており、高く買いたいと願う客に売って何が悪いという心持であった。

 それに将来のことを考えれば、王国に未来はなく、今のうちに帝国に顔をつないでおくのも決して悪い手ではなかった。

 

 

 だが、事態は急転した。

 かつて国と国とのパワーバランスの上で優位にあった帝国は壊滅しかけており、彼の属する王国が逆に帝国領に攻め込もうというのだ。

 

 

 ブルムラシュー侯が心配するのは、ただ一つ。

 彼が帝国に情報を売った証拠が残されていないかという事である。

 

 もし、それが記録として残されており、帝国の都市を支配した王国軍がそれを見つけた場合、いささか拙い事態となる。まだ、見つけたのが下級将校たちであれば、彼らを買収することも出来る。だが仮に、それが彼と同じ六大貴族、もしくは王のもとに届いたとしたら……。

 六大貴族という看板を持つ彼の首がいきなり斬られることは無いだろうが、弱みを握ったものが彼にどんな要求を突きつけるか分かったものではない。

 政治的な協力ならばまだいい。

 それで彼の財産が減ることにでもなったら……。

 

 

 彼は自分の想像ながら、憤懣やるかたない思いで一杯となった。

 自分がやったことを棚に上げて、悲憤慷慨(ひふんこうがい)し、悲しげな様子で首を振った。

 

 

 

 彼はもう一口酒を口にし、心を落ち着ける。

 

「そうだな。最優先すべきは、その記録があるかどうかだな。……ふむ。ならば、ボウロロープ侯らの軍と共に動くのが得策か。あの戦馬鹿ならば、敵を倒すことばかりに気を取られ、それ以外の事には目を向けんだろうからな。そうすれば、こちらの戦力も温存できる。うむ、いい考えかもしれんな」

 

 そう独りごちていると、扉をノックする音が響く。

 入室を許可すると、年老いた家令が入ってきた。

 

 何の用事か尋ねると、老人は口元の髭を震わせ言った。

 

「旦那様。今夜なのですが、夕食の御招待が来ております」

 

 その答えにブルムラシュー侯は、はてと首をひねった。

 

 

 有力貴族である彼のもとには、ひっきりなしに繋ぎを取ろうとする多くの者達からの誘いがある。

 だが、彼は王国でも六大貴族として、最も格の高い貴族派閥の長である。当然のことながら、そんな誘い全てを受けるわけにもいかない。

 その為、彼に会いたければ最低でも数日は前に連絡し、アポを取るのが普通である。

 もちろん、連絡したからといって確実に会えるわけでもない。相手の格式や立場によっては後で中止とされたり、時には門前払いを食らう事すらあり得る。

 

 ――そんな自分に対し、数日の時も置かず、今夜の予定をねじ込む者……。

 

 彼はちらりと年老いた家令に目をやる。

 この家令は昔から彼に仕え、有能かつ信頼のできる男だ。

 下級貴族などから面会の要望などが来ても、その全てをブルムラシュー侯自身が判断してはいられない。その為、会うべきか会わざるべきか、それらの大まかな選別もこの男が行っていた。

 

 その彼が急な面談を要請されて断らずに、自分の所まで話を持ってくるような相手……。

 

 

 ――同じ六大貴族の誰かだろうか?

 それとも、王族?

 

 

「いったい、誰からの招待なのだ?」

 

 尋ねたブルムラシュー侯に老人は答えた。

 

「はい。ギラード商会のヤルダバオトという御方からでございます」

 

 

 




 すっかり忘れていた設定。

 ベルは〈戦慄のオーラ〉というオリスキルを使える。

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