オーバーロード ~破滅の少女~   作:タッパ・タッパ

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 直接的ではないですが、グロを連想させる描写がありますのでご注意ください。

2016/12/29 「図りかね」→「計り兼ね」、「収める」→「治める」、「間接」→「関節」、「~行った」→「~いった」、「~見えた」→「~みえた」、「~言う」→「~いう」、「~来よう」→「~こよう」 訂正しました
「特異」→「得意」 訂正しました


第69話 王都リ・エスティーゼ

「憶えておれよ、この逆賊が! 忌まわしき簒奪者めが! 青い血など一滴たりとも流れぬ下賤な奴ばらめが! 貴様らの末路は捕らえられ、命乞いをしながら、犬のように殺されるのだ!!」

 

 血を吐くように叫ぶリ・エスティーゼ王国第一王子バルブロ。

 その青あざがうかび、流れた落ちた血が乾き、こびりついたままとなっているその顔へ、本来はこの国の王、ランポッサⅢ世のみが座るべき玉座に腰かける男は視線を向けた。

 

「言いたいことはそれだけかしら? やっぱり頭が足りないと、気の利いた言い回しも出来ないものね」

 

 そう皮肉気に鼻を鳴らす。

 その声に、玉座の周りに立つ八本指の面々は皆一様に、下卑た笑い声をあげた。

 

 王の血を引く自分が、下賤な者達から嘲りの声を投げかけられている。その事実にバルブロの顔がどす黒く染まる。

 

 そんな王子の事などもはや興味を無くしたように、いささか大き過ぎる感のある王冠を頭の上に載せたコッコドールは手を振った。

 

「馬鹿と話すのも疲れるわね。さっさと連れていってちょうだい」

 

 その言葉に重い足音が響く。

 そいつは後ろ手に縛られ、(ひざまず)かされているバルブロのすぐ背後までやって来た。

 

 ガッとその首筋を掴む。

 べちゃり。

 その拍子に掴んだ手のひらにある膿胞がつぶれ、じゅくじゅくとした汚らしい膿が流れ出す。その首筋に伝わる悍ましく不快な感触に、思わずバルブロは声をあげた。

 だが、膿だらけの肉塊――レイナースはそんな彼の態度など気にも留めずに、力まかせにバルブロの身体を引きずっていった。

 自分の前に曳きたてられた傷だらけの捕虜と共に、見るだけでも吐き気をもよおす醜悪極まりない人影が玉座の間を出て行ったことに、コッコドールは隠す余裕すらなく、疲れ切った様子でほっと息を吐いた。

 

 

 力なく肩を落とし、彼は室内の一角、誰もいない片隅に目を向けると、微かな追従の笑みを浮かべて話しかけた。

 

「……えーと、これでいいのかしら、ボス?」

 

 

 その声に応えるかの如く、コッコドールの向けた視線の先に2人の人影がこつ然と現れる。

 1人は美しい金髪を縦ロールにしたメイド。

 もう1人は腰まであるプラチナブロンドをなびかせた少女である。

 

「オーケー、オーケー。そんな感じでいいよ。良かったよ。あははー、お前って案外王様ってのも(しょう)にあってるんじゃないの?」

 

 そう、ベルはケラケラと笑った。

 そんな少女の陽気な笑いにどう反応すべきなのか判断できず、コッコドールは愛想笑いを浮かべるだけであった。

 

 

 

 今、彼らがやっているのは王権の簒奪に伴う残務処理である。

 

 この王都を八本指の者達で掌握した。

 表向きはコッコドールは先代の王の血筋を引く者で、その地位を不当に奪った現王から、玉座を奪い返したという名目である。

 

 しかし、当然のことながら、王都の人間たちでそんなお題目を信じる者などいないだろう。

 コッコドールが率いているのは、いかにも脛に傷を持つ者達であるばかりか、恐るべき亜人たちまで加わっている。エルフやドワーフなど比較的人間に近い性質を持つ者達ならばまだ民も受け入れられたであろうが、そこに現れたのはオークやトロールなどである。明確に人間と敵対し、冒険者組合では討伐対象の怪物(モンスター)に分類される様な存在である。そんな化け物どもを率いる者がまともな王位継承者であるわけがないのは自明の理であった。

 

 すでに一部では貴族の邸宅を守る兵士を始めとした者達が、反抗作戦を行っており、それに対してコッコドール率いる王国新政権は力で叩き潰しているところだ。 

 そして、自らに歯向かう者達への見せしめもかねて、そういった反抗的な貴族達をむごたらしく殺してみせているのである。

 

 

 

「しかし、ボス。ちょっといいですかね?」

 

 そう話しかけてきたのは、ベルに対する対応の仕方をまだ計り兼ね、声をかけるのを躊躇っている他の者たちよりは、彼女との付き合いが長いマルムヴィストであった。

 

「国を盗るのはいいんですが、これからどうするんですか? いや、俺たちも裏社会を取り仕切ってましたから、大まかな事とかはある程度知ってますし、それなりに何とかなるでしょうがね。でも、やっぱり国家レベルってのは別もんですよ。ちょっと、素人仕事で何とか出来るかというと……」

 

 その言葉に、その場に居並ぶ者達も、さすがに不安を隠せない様子で彼らの新しきボスの顔を窺った。

 

 

 

 八本指の彼らとて、決して無能という訳でもない。

 むしろ、他者との蹴落とし合いが日常の世界を渡り歩き、生き抜いてきた分、有能な者のみがそろっていると言える。

 しかし、だからと言って、国家レベルの(まつりごと)などは別格である。

 いかに巨大組織とはいえ、所詮は一組織。国家とでは規模が違いすぎる。

 

 例えば、戦いに関して言うならば、八本指の中で戦闘に慣れた警備部門の者達でも、せいぜいが100人程度、多くても千には達しないくらいの人数の指揮しかしたことがない。

 対して、それが『国』となると、指揮すべき人数は数万から数十万もの規模になる。

 

 そんな、文字通り『桁が違う』組織を動かすノウハウ。それを彼らは持ちえていないのだ。

 

 

「なあに、気にすることはないさ」

 

 一同、今後の対応について不安の色を隠せない様子であったが、ベルはそんな彼らの懸念を払拭(ふっしょく)するように、気楽に笑ってみせた。

 

「そんなに心配しなくても、王にくっついてエ・ランテルに行った連中以外にも、各地には留守番としてそれぞれの領地を守っている人間がいるんだ。そいつらにやらせればいいさ。取り立てて騒ぐほどの事でもないよ」

「……上手くこっちの言う事を聞きますかね?」

「大人しく聞かないようだったら、法を盾にして言う事を聞かせればいいさ」

「そんな都合のいい法なんてあるんですか?」

「そんなの作ればいいじゃん。新しいこの国の法律を決めるのはこっちだし。それに逆らうんなら殺してしまえばいいしね。なあ、コッコドール?」

 

 そう言って、玉座に腰かけるコッコドールに笑いかける。

 彼は口の中で「ひぃっ」と声を漏らし、身体を震わせた。

 

 

 今、この王都を支配している(事になっている)王はコッコドールなのだ。

 彼の名のもとに、好きなように法律を作ってしまえばいい。

 

 もちろん、反発は出るだろう。

 ただでさえ、どう考えてもまとも(・・・)ではない方法で王の座についた――王位を簒奪した、あるいは僭称しているといってもいい――人間が、明らかに私利私欲の為だけにおかしな法律を作り、それを押し付けようというのだ。

 誰だって、不満をつのらせるだろう。

 今はまだ貴族たちの間でのわずかな反抗程度にしかなってはいないが、やがて大規模な叛乱などが起きてもおかしくはない。

 

 

 だが、ベルたちからすれば、そんなものは関係ない。

 叛乱が起きたら潰してしまえばいいのだ。

 

 今回のクーデターを起こした八本指には、オークやトロールなどの亜人たちまでも味方としてつけている。彼らの戦闘力は普通の人間をはるかに上回る。生半(なまなか)な戦力では、歯向かうことすら出来はしない。そして、まともな戦力となる者の大半は戦争の為にひっぱり出され、その結果、エ・ランテルに閉じ込められている状態だ。残っているのは万が一の予備戦力や、経営、管理などを担当する文官たちがほとんどである。

 

 唯一の懸念は、そうした人間同士の戦争には関わろうとしないまま、街に残った冒険者たちである。人間だけではなく亜人を使っているとなると、彼らが敵となる可能性もあるため、その動向には注意が必要であった。

 

 まあ、いざとなれば真のバックとなっているナザリックの戦力を動員することも出来る。

 ナザリックが本気を出せば、滅ぼせぬ戦力はまずないだろう。尤も、あくまでそれは最終手段であり、ナザリックの戦力は可能な限り秘匿するつもりではある。

 

 

 

「それに、力尽く以外にも色々と考えはあるしね。まあ、手は打ってあるから、心配することは無いよ」

 

 皆を安心させるよう、ベルは言った。

 その言葉に、玉座を囲む八本指の者達はわずかに表情を和らげた。

 

 

 ちなみに、そんな事を口にしたものの、ベルには特に他の考えなどないし、手も打っていない。

 てきとう言っただけである。

 

 そもそも、ベルとしては統治が仮にうまくいかなくとも、まったく問題がない。

 王国が繁栄しようが荒廃しようが、べつにどうでもいいのだ。

 

 

 ベルにはナザリック地下大墳墓がある。

 それだけで完結した世界であるナザリックが。

 

 金。

 力。

 人員。

 知識。

 技術。

 美食……。

 

 欲しいものはそこにすべてある。

 

 

 様々な触媒となる金貨などは手に入れたいが、それは別に交易によるものでなければいけないという訳でもない。どこぞの鉱脈などをアンデッドを使って採掘させ、それを自分たちで精錬、鋳造すれば事足りる話である。 

 苦労して、為政者として人民を統治し、税収という形で金や資源を手に入れる必要もないのである。

 

 

 それに、この世界の国々が荒廃していき、人類文明が崩壊するのはナザリックとしては実に都合がいい事だ。

 先にも述べたが、ナザリックはそれだけで完結した世界である。

 他との交流がなくとも、まったく困ることは無い。

 この世界に存在する国家の国力が衰え、その知識や文化、技術が失われれば失われるほど、ナザリックとの差は開いていく。

 すなわち、相対的にナザリックの力が増していくことになるのだ。

 

 

 つまり王国が今後も何とか国として成立していければそれでよし、駄目になったら駄目になったでナザリックが優位に立てるという、どちらに転んでも美味しい作戦であった。

 

 

 

「それに――」

 

 ベルはその見た目だけはあどけない瞳を、その場に並んでいた一人の人物へと向けた。

 

「国の(まつりごと)で分からないこととかは、実際に経験のある、ブルムラシュー侯に聞けばいいだろう」

 

 名前を出された事に、居並ぶ者達の中に目立たぬようひっそりと立っていた、豪奢な服に身を包んだ人物。

 リ・エスティーゼ王国における六大貴族の1人、ブルムラシュー侯はビクリとその身を震わせた。

 

「わ、私は……」

 

 声を震わせるブルムラシュー侯。

 皆の視線が集まる中、彼は(おこり)のように身体を震わせた。すでに顔面は蒼白である。

 そのあまりに尋常ではない様子を見て、他の者の間にざわつきが起こる程に。

 

 

 一体どうしたのだろうと誰もが眉を顰める前で、彼は不意に飛び出すと、がばとベルの前に身を投げ出した。

 突然の行為に、さすがにベルも目を丸くした。

 

「お、お許しください、ベル様。こ、このような恐ろしい事など……わ、私にはとても……」

 

 そうして、ひたすら地に頭を擦りつけ、平身低頭しながら情けを乞うような事を喚く。

 そのあまりの醜さ、情けなさに、さすがに弱者のそのような姿を見なれた八本指の者達といえど声もなかった。

 

 彼、ブルムラシュー侯は王国における六大貴族である。血筋や権力に媚びへつらうことない八本指の者達からしても、彼は圧倒的に上位の人物であり、その姿を前にすれば思わず、身をこわばらせてしまいがちになるほどであった。

 

 そんな彼が今、目の前で無様にも慈悲を乞い、泣き叫んでいるのである。

 ベルとしても、貫禄ある年配の人物がそんな半泣きで手をこすり合わせる様子に、呆然とするよりほかになかった。

 

「あー、あのさぁ……」

「ひゃ、ひゃいっ!」

 

 呆れたようなベルの声に、言葉にならない返事を叫ぶブルムラシュー侯。

 その時、水の滴るような音が耳に届く。

 見ればブルムラシュー侯の股間、そこから水気が滴っている。

 それに気づいた皆は、あまりの醜態に嘲笑うどころではなく、その顔をしかめた。

 

「も、申し訳ありません。ベル様、どうかお許しを」

 

 わたわたとした様子でベルの足元に滲みよる。

 そして、彼女の足に縋りつこうとした。

 それに思わずベルは「うわっ!」と声をあげて、その顔を蹴り飛ばした。

 失禁したおっさんにすり寄られて、その汚水で靴を汚したくはない。

 

 ベルの靴を顔に受け、ブルムラシュー侯はその場にへたり込む。

 その様子に、ベルは心底ウンザリして声をかけた。

 

「ああ、もう。ブルムラシュー侯。鬱陶しいから、ちょっと黙っててよ」

「し、しかし、ベル様のお役に立てねば、わ、私、私の領地は……」

 

 その言葉にベルは、ブルムラシュー侯は事ここに及んで、自らの積み上げたものが失われることを恐れているのだと感じた。すでに事は進んでいるのに、こちらにつくと決めた自らの選択に対し、いまだ覚悟の一つも決めていないのだと。

 

「ああ、めんどいなぁ。んじゃ、もういいや。お前は領地にでも引っ込んで大人しく金勘定でもしてろ。もうあれこれ頼まないから。わかった?」

 

 もはや、苛だちを隠すことなく、ベルは怒気を込めて、そう言った。

 その勘気に当てられ、ブルムラシュー侯は驚き、ひっくり返った。

 

「は、ははあっ! 了解いたしました! ベ、ベル様にご迷惑をかけることは致しません。わたくしめは領地に戻り、大人しくしております」

 

 再度、土下座し地に頭を擦りつけると、ブルムラシュー侯はおたおたとした様子で、転がる様に部屋を出て行った。

 

 残されたのは白けた様子の面々。

 

 そんな中、ベルは空気を変えようと疲れた様子でパンパンと手を叩いた。

 

 

「はいはい。ええっと、まあ、ブルムラシュー侯の事はもういいや。それより、国の運営の事をどうするか考えよう。とりあえず、王都で留守居している貴族でこっちのために働く奴を選抜しようか」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「はあっ、はあっ」

 

 いまだ呼吸もおさまらないその口に酒を流し込む。

 カルヴァドスの甘くさわやかなリンゴの香りが、口腔に広がる。

 

 

 今、彼がいるのは、上流階級の者が乗るために作られた最高級の馬車、その中である。

 6頭立ての馬が全速で走っていながらも、それに曳かれる車内ではわずかな揺れすら感ずることもない。

 

 手にした酒杯に、傍らの酒瓶から手酌でもう一杯注ぎ、再度、口に運ぶ。

 その舌上を駆け回る味覚と、腹に広がるアルコールの熱に、ブルムラシュー侯は深く息を吐いた。

 

 そうして、ようやっと人心地ついたと、失禁の跡が残る自らの服を着替える。

 本当は一度、王都内の邸宅に戻って着替え、そして移動の準備を整えたかったのだが、下手に時間をかけている間に、あの少女の気が変わってしまっては困る。その為、取るものも取らず、馬車内での着替えだけを持って、王都を離れたのだ。

 

 

 せっかく、あれほどの言質(げんち)を引き出せたのだ。

 後は機を逃さぬうちに、大急ぎで領地に戻るのが得策だ。のんびりしていて、またぞろあの少女の気が変わりでもしたら目も当てられない。

 

 

 

 先の玉座の間に於ける彼の醜態。

 あれはもちろん演技である。

 

 

 彼としても今後どうするかは実に悩んだ。

 あのベルという少女と八本指たちと共に行動するか、それとも距離をとるか。

 

 行動を共にするというのは、実に魅力的に感じられた。

 なにせ、彼らは今回の件において勝ち組である。

 すでに王都を手中に収め、貴族たちもまた押さえてある。彼らと組んで行動すれば、いくらでも甘い汁を吸えるだろう。また、彼らには一国を動かすほどのノウハウがない。対して六大貴族と言われていた自分にはそれがあるのだから、それもまた大きなアドバンテージとして利権をむさぼれただろう。

 

 

 だが、彼の直感はそれに待ったをかけた。

 

 これ以上深入りしない方が得策であると感じた。

 

 

 それはあのベルという少女を目の当たりにして、確信に変わった。

 

 

 あの少女が求めるものは、ただ混乱と破壊である。

 利益の為ではない。己が享楽の為に、国を崩壊にまで導いたのだ。

 あんな存在の下に収まっていては、そのうち自分まで遊びの対象として滅ぼされかねない。

 

 

 そう判断したブルムラシュー侯は一計を案じた。

 

 それが、今回の醜態であった。

 ベル、そして皆の前で無様な姿をさらすことによって、自分は力も意気地もない、叩き潰すほどの価値もない、貴族というのは張り子の虎で実際は無力にして無害な存在であるとよそおったのだ。

 

 そして、それにより、ベル本人から言質を引き出すことに成功した。

 彼女はブルムラシュー侯に対し『領地に引っ込んでいていい』、『今後頼ることは無い』という2つの事を口に出したのだ。

 

 まさに望んでいた内容だ。

 出来れば、自分の地位の保証も欲しかったのだが、贅沢は言えまい。

 これで、ブルムラシュー侯は今の権勢そのままに、今回の一件から手を引ける。今後は彼らから協力を要請されても、自分にとって低リスク且つ利益の多い頼みごとのみを引き受け、旨みの少なそうなものは、トップであるベルが言った先の発言を錦の御旗として、それらを断る事が出来るのだ。

 

 

 そんな絶好の条件を獲得しつつもながら、ブルムラシュー侯の胸中には未だ暗い霧のような不快なものがわだかまっていた。

 

 

 ――あまりにも上手くいきすぎる。

 まさに自分がこうなってほしいと思った、その通りに。

 ……まさか、これもあの少女の考えの内か?

 あの娘の手中から逃げたつもりが、いまだ巨大な手の平の上だというのか?

 

 

 ブルムラシュー侯は背筋を這い上がる寒気を覚え、もう一杯酒を呷った。

 

 

 

 おそらく、今後周辺国家は荒れる。

 帝国はあの有様だし、王国もまた滅びかけている。下手をしたら法国をも滅亡に向かうかもしれない。そんなときに重要となるのは自分の力である。

 

 

 彼が懸念している事は今、エ・ランテルあたりにいるはずの王国軍が王都へ戻ってきた時の事である。

 

 なんでもあのベルなる少女の手の者がエ・ランテル付近で、王国軍の足止めを画策しているようだ。

 それについては詳しく知らされてはいないため、いまだ彼にはそれがどの程度のものかは分かりかねていた。

 ただ遅滞作戦を講じているだけなのか?

 それとも、まさかとは思うが、本当に一国の軍すべての身動きがとれぬようにしているのか? 

 ……案外、その可能性も高い気もする。恐るべき悪魔を(しもべ)に持ち、亜人たちをも従えるほどの力を持っているのならば、それすらも可能かもしれない。

 

 とにかくだ。もし、その遅滞工作を突破し、王国軍が戻ってきたとしたら、新政権の勢力と戦闘になるのは必至である。

 

 

 まあ、どちらが勝っても、彼らと距離をとることが出来たブルムラシュー侯には損はない。

 

 新政権側が勝つならばそれも良し。そのまま、ほどほどに付き合いを続ければいい。あくまで自分からの持ち出しは極力なしの方向で。

 もし負けたら、自分は脅迫されて協力を余儀なくされたと言い張るつもりだ。

 

 おそらく、それを信じる者はいないだろうが、仮に王国軍が新政権側を戦闘で追いだした場合、王国軍はかなりの被害を受けると予想される。

 

 それに対して、ブルムラシュー侯は今回、上手く力を温存することが出来た。彼の領地では未だ戦争の為の徴兵すらしていないのだ。戦闘により被害を受けた他貴族の兵に対して、彼の動員する兵士は万全の状態のままである。

 すなわち、潜在的な戦力としてみると、ブルムラシュー侯率いる軍勢は王国でもトップクラスとなるはずなのである。

 そんな相手に対し、たとえ不満があるとしても、怒りに任せて行動出来るものではない。

 

 付け加えて言うならば、今回の戦の前に、ブルムラシュー侯は食料を始めとした資材などの買い占めを行っている。

 彼の領地を除く地域では、働き手が戦争に駆り出され、満足な農作業も出来ないでいる。それでも帝国に攻め込み、食料や財宝など諸々の戦利品を分捕ることが出来れば、それで帳消しになったろうが、それは叶わなかった。

 となれば、食料が不足する事必至である。

 そうなれば、ますますもって、食料を大量に保有しているブルムラシュー侯には逆らえなくなるだろう。金をつぎ込んでも、彼の保有している食料を買わねばならない。それを少しずつ売るだけで莫大な儲けになるだろうし、且つ彼の政治的な発言力も上がるはずだ。

 

 それにどちらが勝つにせよ、王国にはこの先暗雲が立ち込めている。

 現在の土地ではもはや食っていける限度を超え、逃亡する農民たちが増えるだろう。

 そんな彼らがどこに逃げ込むかというと、戦火とは無縁で食料も豊富にあるブルムラシュー侯の領地の他にない。

 やってきた彼らを使い、何もなかった地を開墾させるか、それとも鉱山で働かせるか。

 

 どちらにせよ、彼の領地の未来は明るい。

 

 

 

 そこまで考えたところで、彼ははたと思い浮かんだ。

 

 

「もしや、それが狙いか!?」

 

 あの少女はブルムラシュー侯のやった演技のままに、彼のこれまでの権利を認めた上で放逐し、新たに王都を支配した新政権側と距離を置かせた。

 

 それが彼女の目的だったのかもしれない。

 

 あの玉座の間でのやり取りにより、その場にいた八本指連中には不審に思われることなく、ブルムラシュー侯は王都と関わることのない、いわば外様の勢力となった。

 そうした王都の新政権とは異なる、中立に近い新たな勢力を作るのが狙いなのだろうか?

 

 

 ブルムラシュー侯は腕を組み、その可能性を考察する。

 

 

 正直な話、あの新政権は満足に国家の統治など出来るとは思えない。ほぼ無政府状態と変わらない有様となり、腐敗と暴力の支配する土地になるのは間違いない。

 対して、ブルムラシュー侯の領地は治安を保てるだろう。これまで同様、侯爵たる自分が統治するのだから。

 仮に新政権側の勢力が彼の領地を荒らそうとしても、ベルからブルムラシュー侯には新政権として関わらない旨の言質を取っている。すなわち、彼の領地に新政権に関わる者がちょっかいを出すという事は、トップであるベルの言葉に背くという事である。そんな虎の尾を踏む様な事は、無頼漢たる八本指の者達とて避けるであろう。

 

 そこから導き出される答え。

 荒れ果てるであろう国土。

 そして、自らに友好的ながら、ある程度距離をとって繁栄している領地。

 

 

 ――もしや、敢えて八本指に暴れさせ王国を混乱に陥れた(のち)に、旧来の王国軍と戦わせる。そして、どちらも共倒れになった所で、私の所、リ・ブルムラシュールの戦力を投入するつもりか?

 

 

 彼はごくりと生唾を飲んだ。

 

 先に考えた様に八本指の者達だけではまともな統治は無理だ。国内は荒れ果て、人民は怨嗟の声をあげるだろう。

 だが、それは元の王国とて対して変わりはない。

 かつての貴族たちが治めるリ・エスティーゼ王国は決して住みよい土地という訳ではない。貴族の専横を止めようという者はなく、その生活は領地を治める者の良心次第。(よこしま)な精神とどまらぬ者の治める地においては、そこに住まう民衆は塗炭(とたん)の苦しみの中に放り込まれていた。

 

 民衆にとってはどちらが勝っても同じことだ。 

 どちらが覇権を得ようと、更に生活は苦しくなっていく一方だろうから。

 仮に旧来の王国側が勝ったとしても、無駄に兵を動員し、疲弊した現状を立て直すためにさらなる重税が課せられるだろうし、新政権側が勝ってたとしても言わずもがな。

 

 その両軍の争い、どちらにも期待をかけることすらないだろう。

 

 

 だが、そこに新たな第三の勢力が現れる。

 その新勢力は、己が利益の事しか考えぬ両軍を瞬く間に打ち倒し、飢えに苦しむ民衆に食料を分け与え、善政を敷く救世主となるだろう。

 

 ――その役目を自分にやらせる気なのではないか?

 

 先にも述べた様に、ブルムラシュー侯の領地では農民の徴兵も行っておらず、その戦力は丸々温存したままだ。それに、先に接触したデミウルゴスという悪魔からの進言により、食料を大量に買い占めてあるのだ。

 その条件には見事に合致する。

 

 

 ――そうした時、自分はどうなるのか?

 新たな王として玉座に腰かけ、王冠でもかぶるのか?

 あのコッコドールとかいう者のように。

 傀儡の王。

 あの少女の操り人形となって。

 

 

 彼はその想像に身震いした。

 再度、杯の酒を呷ろうとしたが、それはすでに空であった。

 

「落ち着け。想像に過ぎんかもしれん。全ては私の気の回し過ぎの可能性もある。今はまず、リ・ブルムラシュールに戻るのだ。何が起こるかは分からんが、とにかく万全の態勢を整えなければ。各地の情報を集めなければ」

 

 震える手で、傍らの棚から酒瓶を取り出し、それを自ら酒杯に注ぐと、それを満たす琥珀色の液体を一息に呷った。

 カルヴァドスとは違う、強い苦みのある味わいが喉を焼いた。

 

 

「……となると、先ず調べねばならんのは、王都での捕獲した貴族の扱いだな」

 

 見たところ、あの少女は貴族をすべてを殺すのではなく、ある程度は新政権側に取り込もうと考えていたようだった。その自陣に引き入れた貴族の顔ぶれを知ることが出来れば、今後、あの少女が行うであろう行動の予測もたてられる。

 有能なものを生かすか殺すかによって、先の彼の考えが正しいか判断できる。

 その内容次第で、今後の対応も変えねばならない。

 

 とにかく自分としては、彼らとも、そして王国とも心中するつもりはない。

 愚か者どもの国盗りなど勝手にやらせておけばよい。

 自分が欲しいのはこの世にただ一つ。

 金だけだ。

 

「第一王子であるバルブロ殿下は見せしめとして殺すつもりのようだったが、ザナック殿下と、それとラナー殿下についてどうするつもりか。傀儡とするか、それとも……」

 

 

 

 そうして思考の海に沈むブルムラシュー侯を乗せ、馬車は街道を一路、彼の本拠、リ・ブルムラシュールへと駆けていった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 ――甘かった。

 

 自室でラナーは1人歯噛みしていた。

 

 

 普段と変わらぬ白を基調とした豪奢な部屋であるが、今、彼女の周りには仕えているはずのメイドの姿はない。

 彼女付きのメイドたちはいち早く、王都での異変に気がつき、建前上は仕えている事になっているラナーを放っておいて、慌てて彼女たちの真の雇い主である貴族の館の下へご注進に向かおうとした。

 

 だが、向こうの手はもっと早かった。

 元よりシャドウデーモンを始めとした隠密行動が得意な怪物(モンスター)たちが王都に侵入し、徹底的に情報を調べ上げていたのだ。逃げ出したメイドたちは、ご丁寧にもラナーの部屋の窓から見える場所で、トロール達に貪り食われた。ちゃんと火を通すための移動式のロースターを前もって用意し、焼き残しの無いよう丹念に両面とも焼き上げてから、特製のバルサミコ酢のソースをかけて食べるという念の入れようであった。

 

 レエブン侯から預かった元オリハルコン級冒険者たちもまた殺された。

 彼女を王城から脱出させようとしたところ、突然廊下に落ちた影から悪魔たち――これがシャドウデーモンという悪魔らしい――が現れ、襲撃を受けた。

 彼らは奮戦したといえる。だが、彼我の戦力差は明白であった。

 シャドウデーモンはアダマンタイト級に匹敵するほどの身体能力を持つ。すでに肉体的な盛りを過ぎ、引退したオリハルコン級冒険者では歯が立たなかった。

 そしてただでさえ押されていたところに、突如天井より投げかけられた蜘蛛の糸に動きを絡めとられた。そして身動きが取れなくなったところを、シャドウデーモンの鋭い爪でズタズタに引き裂かれてしまったのである。

 彼らの遺体もまたラナーの部屋から見える庭へと運びだされ、ちゃんと無駄なく調理し食べられた。

 

 

 

 そうして、彼女は1人この部屋に戻された。

 

 

 囚われの身ではあるが、彼女の腕には鎖などは繋がれていない。だが、それ以上の枷によって、身動きを封じられていた。

 

 先の逃亡劇の際、元オリハルコン級冒険者たちを捕らえた糸を操る存在――奇怪な姿をした蜘蛛型怪物(モンスター)によって、彼女を守ろうと前に歩み出たクライムをも捕らえてしまったのだ。

 

 クライムは蜘蛛の糸に絡めとられたまま、別の部屋に連れ去られてしまった。

 悪魔たちが彼を連れていこうとしたとき、自分が抵抗したり、脱出を図ったりしないかわりにクライムには手を出さぬよう伝えておいたから、彼の身は大丈夫だとは思うが。

 

 とにかく現在、彼女に出来ることはなにも無い。

 彼女に戦闘能力などないし、なによりこの世でたった一つ大事なクライムを押さえられてしまっているのだから。

 

 

 窓から外を見ても、そこから見える凄惨な処刑風景――もしくは食事風景の中にクライムらしき人物はいなかった。

 

 ――今のところは。

 

 

 

 ラナーは必死で思考を巡らせた。

 

 彼女とて、王国軍が帝国領に侵攻している間に、何者かがこの王都で事を起こすとは踏んでいた。

 それに対して、様々な手を考えていた。

 

 だが、こんなにも性急にして直接的、言ってしまえば短絡的な行動に出るとは思ってもみなかった。

 

 

 これまで相手がどんな人物だかは知りえなかったが、少なくとも慎重であったはずだった。

 やり方としては大胆な面もあるが、あくまで表舞台に立つことは無く、裏からその勢力を伸ばしていた。じわじわと侵食するように、その力の範囲を広げていた。

 

 それは以前にシャドウデーモンが王都に侵入しようとした時、イビルアイによって退治された(のち)、同様の行動を控えていたことからも窺えた。

 強引な手を打つ者なら、斥候であるシャドウデーモンが倒された時点で、さらなる行動に出た事だろう。いきなり王都全域が襲撃されるか、計画を邪魔したイビルアイを捕らえでもしただろう。

 だが、先に現れた5体が倒された後、目に見えた行動は何もなかった。

 

 

 かつて、ラナーはレエブン侯と会談した際、この後向こうが取りうるであろう行動を推測した事があった。

 

 新たな行動を起こさない、人間の間者を送り込む、そしてより多くのシャドウデーモンのような怪物(モンスター)を送り込む、の3つである。

 

 その内、1つ目であれば取り立てて急ぎ警戒する必要はないし、またイビルアイの哨戒により3つ目のさらなる怪物(モンスター)の投入というのは排除されたため、2つ目の人間の間者についてレエブン侯は警戒し、王都においておかしな兆候のある者を念入りに調べていた。

 そうして、レエブン侯がその権力と金、人脈を使い極秘裏に調べたところ、数名の不審人物と目される者の名が浮かび上がってきた。

 

 

 ラナーはレエブン侯が王都を出る前に渡された書状、その名が暗号で書かれた紙片を取り出し、目の前で広げる。

 

 他国の間者の可能性もあるため、下手に刺激しないよう調査及び接触には細心の注意を払わなければならないのだが、ラナーとしては王国が軍を進めた(のち)、この王都を調べている何者かが行動に移す前に、その者らと接触するつもりであった。

 

 

 だが、それは遅きに失した。

 ラナーがレエブン侯から預かった元オリハルコン級冒険者たちを使って、その者らと接触を取ろうとした矢先に、今回のクーデターである。

 

 

 ラナーとしては歯噛みするより他になかった。

 先んずれば人を制す。

 この絵図を描いている何者かに先手を打たれてしまった。

 

 思わず手にした紙、そこに羅列された数人の名を睨みつける。

 そこには王都の食堂で働くマイコなる人物の名もあった。

 

 ラナーは勘気を抑え込み、その紙片を丁寧に折りたたむと、自らの服の内側に滑り込ませた。

 この紙に書かれた情報はこれからの取引材料になる。

 

 

 ――とにかく、自分の愚かさを呪っていても仕方がない。今はまず、これからのことを考えねば。

 

 

 ラナーは頭を切り替える。

 

 今後起こりうるであろうこと。

 それは、このクーデターを起こした者達の前に、彼女が曳きたてられるであろうという事だ。

 

 

 彼女の部屋の窓から見える先にも、第一王子バルブロ、そして第二王子ザナックが連行されていく姿があった。

 ならば、そのうち、自分も連れていかれるだろう。

 

 その時が勝負だ。

 曳きたてられていけば、真なる王を僭称するコッコドールなる者、そしてその裏で糸を引く真の実力者と必ずや顔を合わせるだろう。

 そこで、ラナーは自らの才を見せるつもりだ。もはや、その能力を隠しておくなどという行為は愚の骨頂である。

 

 おそらく向こうは自分の事を探ろうとするだろう。

 自分はこれまで表には出さなかったが、影でその有能さを示していた。既存勢力によって否定される事も考慮に入れたうえで、様々な案や政策を提示した。そしてその内にいくつかは王国において実現させ、否定された提案もその話を伝え聞いた他国に採用させるなどしてきた。

 これにより、自分の利用価値を知らしめ、何の実質的な後ろ盾もない身の安全を図ってきた。

 

 当然、今回の事を起こした何者かも、その事には気がついているだろう。これまでの経緯や計画からして、相手は決して馬鹿ではない。彼女の今までやってきた事にも気が付いているはず。

 そして、実際に顔を合わせて話すことで、本当にそれらを彼女が提案したのか、その知性のほどを計ろうとするだろう。

 

 そこで、自分の知能を見せる。

 いかに自分が有能且つ有益な存在であるか、国としての政から諸般の案件に至るまで精通している利用価値のある存在であるかをアピールし、黒幕たる何者かに自分を売り込む。

 

 とにかく今は、新たな権力者に取り入らなければならない。

 さもなくば自分も、そしてクライムも未来はない。

 

 クライムとのことを考えるのならば、むしろ、かつてより現在の方が状況は良くなったといえる。

 あのまま王国の枠の中にいた場合、自分たちに待つのは、別離しかなかっただろう。

 ラナーはどこかの有力貴族の下へ政略結婚に出される。そこにクライムを連れていけるはずもなく、ましてや彼と結ばれることもないのは確実であった。

 

 だが今の、何者かに支配された状態のこの国ならば、自分は王女ではなく、一人の人物として存在できる。

 

 彼女にとって、王国など必要ない。

 ただクライムさえ自らの下にいればいいのだ。

 

 ここで彼女が新政権に対し、有益かつ重宝される存在であると認識させることが出来れば、彼らとて彼女を無下には出来まい。その有能さを示し、確固たる地位を築くことで、彼女の身は安泰となり、それこそクライムを正式に伴侶として迎えることも、もしくは一生自分の許で飼い続けることも可能となるであろう。

 

 

 その為にも――。

 

 

 ラナーは彼女としては珍しい事に、緊張に息をのみ、こぶしを握り締めた。

 

 

 ――その為にも実際に曳きたてられ、顔を合わせたときが勝負。

 そこで、自分の有能さを見せる。

 それこそが、唯一の道。

 私とクライムの未来の為に!

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 「えーと……。主だった貴族連中の処遇なり、処分なりの決定はもう全部終わった?」

 

 そうベルはコッコドールに語りかけた。

 彼女はいささか、というより露骨にもう飽きたという空気を醸し出していた。

 

 ベルとソリュシャンは魔法で姿を隠し、特に何をするでもなく、ただ部屋の片隅で、延々とこの玉座の間で繰り広げられるやり取りを眺めていたのである。

 

 

 王都にいたある程度上位の貴族たちは皆捕らえられ、この場に曳きたてられてきた。

 

 連れてこられた者達に対し、王冠を頭にかぶったコッコドールは、当初の予定で決められていた者についてはさっさと処刑し、残った者達には自分たちに恭順を誓うか、それとも処刑台送りになるか決断を迫った。 

 

 選択の機会を与えられた多くの者が、その場しのぎの偽りのものとはいえ、忠誠を誓う事を選んだ。

 もちろんそんなものは信用が出来ないのは分かっている。

 だが、大事なのは、形ばかりでもそうした形式をとったことだ。後は放っておけば、各自それぞれに策動を始めるだろう。

 

 彼らには――本人自身は知らないが――それぞれにシャドウデーモンの見張りをつけてある。おかしな行動をとっているという報告があったら、そいつらを捕らえ、見せしめとして一族郎党、そこに仕える者達も含めて皆殺しにするつもりだ。

 一度、それを見れば彼らは震えあがって、大人しくなるだろう。

 少々困るのは、誰も反乱や内通などを画策せずにいた時の事だが、……まあ、その時は濡れ衣でもいいから適当な貴族を標的にすればいい。

 

 そんな計画を玉座に座っているコッコドール、並びに周りを固める八本指連中に説明してやったのだが、それを聞いた彼らは安心するどころか、戦慄にその身を震わせた。

 

 

 ――やれやれ、極悪非道の犯罪組織のくせに、存外に気が小さい。 

 

 

 そう内心でひとりごちていると、玉座の間にいた者達の中で隅の方に立っていた一人の男が、ベルの前に進み出て膝をついた。

 

「恐れながら、ベル様」

 

 そう口にするのは、ぶよぶよとした贅肉に包まれた、それなりに仕立てのいい服に身を包んだ男。

 

 

 ――ええっと、こいつは…………ス……スタ、スタ……そうだ、スタッファンとかいう名前だっけ。

 

 

 ベルが名前を思い出している間に、そのスタッファンなる人物は言葉をつづけた。

 

「お伺いいたしますが、ラナーについてはいかがいたしましょうか?」

 

 そう言って、その贅肉に包まれた身体を震わせる。

 

 

「ラナー……ラナーか。さて、そいつはどうするかな」

 

 問われたベルはその言葉に鷹揚に頷き、腕を組んで考え込む――ふりをして、必死で記憶をたどった。

 

 

 

 ――ラナー…………ラナー?

 

 …………。

 

 ……………………。

 

 …………………………………………それ、誰だっけ?

 

 

 

 王国には貴族が大量にいる。

 それこそ履いて捨てるほど。

 大まかに六大貴族と呼ばれる派閥があり、そこからさらに門閥貴族が無数に枝分かれしたり、時には絡み合ったりもしながら、大樹の根のように家系が広がっている。

 はっきり言って、そこにいる全員など憶えていられるはずもなかった。

 

 今回のクーデター計画にあたり、それぞれの貴族たちの名前や経歴、性格などを事細かに書かれた報告書が作成されていた。

 ベルももちろん、それに目を通していた。

 だが、通しただけで、憶えてはいなかった。

 

 

 貴族たちは皆、名前が長ったらしい上に、似たような名前がつけられている。そして、その家系も複雑に絡み合っている。写真でもついていればよかったかもしれないが、そんなものは添付されていようはずもない。

 そのためいくら読んでも、何度読んでも、誰が誰なんだか、さっぱり頭に入らなかった。

 

 ベルとしても、がんばろうとは思ったのである。

 上に立つ者として、人の名前や素性を把握しておいた方がいいというのは、しごく当然の事だ。

 

 その為、彼女は必死でそれらを憶えようとした。

 

 

 だが今回の王都でのクーデターに関して、八本指やそれに連なり味方することになった者達まで含めると、一度にとんでもない数の人間が新たに配下となったのである。

 彼らの名前を憶えるだけで、ベルとしては精いっぱいだったのだ。

 

 コッコドールを王にすることに決めたのも、彼はオネエ言葉で話すため、他の者より記憶に残りやすかったから、という身も蓋もない理由による。

 

 

 そもそもベルとしては、真面目に国を統治する気もなかったために、細かい事は誰か――八本指連中やブルムラシュー侯にでも任せておけばいいやと妥協し、貴族たちの名前を憶えるのは諦めたのである。

 実は今回の貴族たちの粛清計画には、名前を憶えておくのが大変だから、貴族の数そのものを減らしてしまおうという魂胆もあった。

 

 

 しかし、今、こうして名前を出されて判断を迫られてしまった。

 

 

 ベルは悟られぬよう、周囲の者達に視線を巡らせる。

 その場にいた誰もが固唾をのんでベルの判断を待っている。

 

 

 ――拙い。

 何やら知っていて当然の相手のようだ。

 今更、『ラナーって、誰だっけ?』などとは言えない空気だ。

 

 

 ベルも一応、何人かの貴族の名前や詳細は記憶していた。

 とりあえず帝国への侵攻作戦に参加せず残った者達の中で、貴族家の当主や後継ぎとされている者だけに絞って、名前などを頭に入れておいた。

 そうして必死で当主などの名前を憶えていこうとしている中で、ラナーは有名人であり王族であるとはいえ、あくまで王家を継ぐこともなく、どこかに嫁に出されるであろうという存在でしかなかった。

 その為、ベルは彼女の事を記憶しておく対象から外してしまっていたのである。

 

 

 ベルは悠然とした表情を崩さぬまま、内心どうしたらいいと冷や汗を流していた。

 

 この場にいるのは八本指、その幹部の者達である。彼らは――マルムヴィストらを除けば――自分の配下となってからまだ日が浅い。

 一応目の前で、彼らが最強と考えていたゼロとかいう奴を徹底的に叩きのめして恐怖を植え付けてやったのではあるが、その程度である。あくまで想像の痛みであって、実際身を切るような痛みではない。この手の連中は自分の痛みと他人の痛みを分けて考える。けっして人の痛みを理解できぬわけではないが、それが自分に襲い掛かったらという事とは完全に区別しているのだ。

 

 時間さえあれば、ナザリックにおいて恐怖公の管理する黒館に何日、何週間か放り込んでおけばよかったのだろうが、それには時間が足りず、クーデターの方で準備に人手もかかるため、それはやらずじまいであった。

 

 その為、今、彼らの前で甘い顔や侮られるような事はするわけにはいかなかった。

 

 

 しかも、彼らだけならばまだいい。気に入らなければ、適当な理由をつけて壊滅させてしまっても構わない。

 問題は、この場にプレアデスの1人、ソリュシャンもいる事である。

 

 当然ながら、ソリュシャンはナザリックに直接所属する存在である。

 彼女の前で愚かな痴態をさらしてはいけない。

 そんな事をしようものなら、それはプレアデスの中に広まることとなり、彼女たちから一般メイドに、一般メイドからナザリック全体に広まりかねない。

 

 今、この場で対応を間違えれば、彼ら全員から信を失い、ベルの株が大暴落することは間違いない。

 

 

 「くぅぅ……」と口の中でうなり、秘かにごくりと喉を鳴らしながら、視線を泳がせていると、その目が当の質問をしたスタッファンの許に止まった。

 

 

 ハッとした。

 

 ラナーの処遇について訊いてきたスタッファン。

 その目の奥にある炎にベルは感づいた。

 

 

 そうして、ベルはにんまりと口の端を吊り上げる。

 

「……うん、スタッファン。そいつの処遇はお前に任せよう」

 

 

 その言葉にはどよめきが起きた。

 居並ぶ八本指の者達の口から、声にならぬ言葉が漏れる。彼らの顔に隠し切れない驚きの表情が浮かんだ。

 

 王の血を引く第三王女にして、その優しさから民衆の信も厚く、『黄金』という異名を持つほどの美貌の持ち主。そして、悪魔的とでもいうべき知性の持ち主であるラナー。

 まさか、そんな重要人物を、あれこれと後ろ暗い事に便宜を図り、私腹を肥やすだけのクズ、スタッファンに払い下げるなどとは思ってもみなかったのだ。

 むしろ、そんな舐めたことをこの場でのたまったスタッファンの方が粛清されるだろうと考えていた。

 実際の所、ベルはスタッファンに関しては名前の他は素性もろくに憶えておらず、ただこの場にいるから八本指の仲間なんだろうなくらいにしか思っていなかったのだが。

 

 

 その決定は彼らの心のうちに、あるものを刻んだ。

 すなわち、逆らう者には死あるのみと。

 

 

 ラナーという、対外的にも政治的にも、そしてその身に宿る知性により如何様にも使える人間を、ただ自分たちのおこぼれに与るだけのサディストの豚、スタッファンにくれてやったという事実は、たとえ八本指幹部の者であろうと、自分に意にそぐわない者は容赦なく処分するぞという強力なメッセージとして叩きつけられた。

 居合わせた彼らは、暗に突きつけられたその警告に、誰しもが震えあがった。

 

 対して、言われたスタッファンはそんな彼らの思考になど思いをはせることもなく、その醜い顔一面に喜色をあらわにした。

 

 

 そんな彼らの表情の変化を見てベルは、

(やった! 正解だった!)

 と心のうちで万歳をした。

 

 スタッファンの顔のうちにあった隠し切れない情欲から、そのラナーというのは女で、こいつはその女を欲しがっているのだと踏んだのだが、どうやら当たりだったようだ。

 八本指連中の顔色から察するところ、大して役に立たなさそうなスタッファンでも働けばちゃんと褒美をもらえるのかと驚いた様子である。これからは他の者も良い仕事にはちゃんと報酬があると知り、彼らの奮起を期待できるだろうと、ベルは自分の直感の正しさに自信を持った。

 

 

「ははあっ! ありがとうございます、ベル様! あの王女には虐げられてきた国民の怒りを味わわせてやろうと思いますっ!!」

 

 スタッファンはガバッと勢い良く頭を下げ、感謝の意を示すと、今度はばね仕掛けのように勢いよく立ち上がり、廊下へと通じる扉へと身をひるがえした。

 

 

 だがベルは、スタッファンが言った言葉に、記憶の引っ掛かりとなるものを感じた。

 

 

 ――ん?

 王女?

 …………王女…………。

 ……あー、そうだ。

 たしか、この国の第三王女とかがラナーとか言ってたような……。

 あー、はいはい。

 そうだそうだ。思い出した。

 なんだか、『黄金』とか呼ばれるほど美しくて、しかもかなりの知恵が回る奴だとか。

 ……王女かー……王女ねえ……。

 ……あげると言ったのは、もったいなかったかな? 

 うーん……。

 ……。

 

 

「ちょっと待て」

 

 ベルは今にも部屋から飛び出していこうとしていたスタッファンの背中に声をかけた。

 スタッファンの脂肪に包まれた肉体がビクンとはねる。

 そして彼は恐る恐る振り返った。その顔には、せっかくの褒美を取り上げられるのではないかという不安が色濃く映し出されていた。

 そんな彼に対し、ベルはつづけて言う。

 

「……王女に国民の怒りを味わわせてやるんだから――お前だけで一人占めするんじゃないぞ」

 

 その言葉に、スタッファンの顔は再びパッと喜びに輝いた。

 

「ははっ! 分かりました! 皆で分け合おうと思いますっ!!」

 

 そうしてスタッファンは今度こそ、重い金属製の扉を開けて出ていった。

 それを見送るベルはガリガリと頭を掻く。

 

 

 ――んー。

 まあ、いいか。

 ちょっとくらい褒美をくれてやっても。

 飴も必要だしな。

 そのラナーとやらが王族だからって、いちいち会わなくてもいいだろう。

 面倒だし。

 それに知恵者とか言っても、王国のこの現状を見る分に、そんなに大したものでもなさそうだしな。

 そもそも第三王女って事は、他に第一王女とか第二王女とかいるって事だろうし、一人くらいいなくなっても問題ないだろう。

 

 さて、そんなことより、これからの事だな。

 これで一通り、貴族の始末は終わったわけだし、これからこの国をどういった方針で運営するかを伝えなきゃな。

 

 

 

 そんな事を考えながら、ベルは気を引き締め直して、居並ぶ八本指の面々の方へと向き直り、ラナーの事はさっさと忘れることにした。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ――ふ、ふひひひひ。

 やった!

 やったぞ!

 あの女を! あの腐れ王女を! ラナーを好きなように出来るんだ! 

 この日をどれだけ待ち望んだか。

 王女! 王女だぞ!

 あ、あの女の顔。

 『黄金』なんぞと呼ばれていた、あの端整な顔をひっぱたいてやったら、どれだけ気持ちがいいか。あの澄ました顔がボコボコに腫れあがったら、さぞ見ものだろう。

 ふひひ。

 そうだ。せっかくだから鏡も用意しよう。

 あの女に、自分の顔がどれだけ醜くなったか見せてやろう。

 どんな悲鳴を上げることか。

 そうだな。そうするんなら、顔面全部をボコボコにするのは止めておいた方がいいか。い、痛めつけるのは、顔の半分だけにしよう。その方が、どれだけ美しい顔が変わったか一目でわかるからな。

 うん。

 そうだ。

 体を痛めつけるときも、半分だけにしておいた方がいいな。

 あの白い陶磁のような身体が醜く引き攣れた肉塊に変わるんだ。

 そして、そう二目とみられぬ姿となった半身は、かつての美しさそのままにしておくんだ。

 うひゃひゃ。

 ど、どうしてやるかな。

 死なぬ程度に身体に釘を何本も打ち込んでやるか。

 あの胸を刃物で薄く刻んでやるか。

 腹に焼き(ごて)を当ててやるか

 足の骨をハンマーで打ち砕いてやるか。

 そ、そうだ、指もやっとこで関節一つ一つ丁寧にへし折ってやろう。

 その様も、鏡でしっかりと見せてやらんとな!

 そう、鏡。

 鏡だ。

 ふひひ。

 か、鏡は大切だ。

 あの女はもちろん処女だろう。

 大きな姿見の前で、自分の大切にしてきた処女が散らされる様を見せてやろう。

 ふひゃひゃひゃひゃ。

 か、観客も要るな。

 八本指の者達……いや、それだけでは駄目だ。

 民衆を集めるか? 王女様の初体験をたっぷり鑑賞させてやるか……いや、だめだ。そんな連中に見せてもつまらん。

 誰か…………そうだ。

 あの女には子飼いの、お気に入りの兵士がいたな。

 たしかクライムとか言ったか。

 あの男を連れてこよう。

 そして、そいつの前で処女を奪ってやろう。

 ふひ。

 ふひひひひ。

 そうだ。

 ラナーの前でそいつを嬲ってみるというのも面白いかもしれんな。

 おお、そうだ。王女の前で男と交わらせてやっても面白いかもしれんな。

 あひゃひゃ。

 そして、王女様の処女が大事なら、と……うむ、自分で自分の睾丸を潰せと命令してみるか。王女の処女と自分のタマ。どちらが大事かと言ってやるのもいいな。

 それでやらねば、命を懸けるとまで言ったそいつの忠義とやらはそんなものだと言って嬲ってやろう。

 もしやったら……ふひひ。もちろん。もちろん俺は約束なぞ守らん。そいつの目の前でラナーの処女を奪ってやろう。

 ひゃはは!

 し、しかし、俺も鬼ではないぞ。

 そいつには敬愛する王女の破瓜の血くらいは舐めさせてやろう。

 ふひ、ふひひひひ!

 

 

 

 もはや抑えることすらできぬほどの狂喜にその身を震わせるスタッファンは、口の端からよだれを垂れ流し奇声をあげながら、その様を見た八本指の者達があまりの悍ましさから道をあける廊下を走っていった。

 

 

 




ラナー「何とか、自分の有用性を売り込まなくては……」
ベル「ふん。この女はお前たちにくれてやる。好きにしろ」
スタッファン、八本指「さっすが~、ベル様は話が分かるッ!」
ラナー「!?」

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