オーバーロード ~破滅の少女~   作:タッパ・タッパ

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2017/1/26 「獲物」→「得物」、「羽」→「羽根」、「言う方」→「いう方」、「夜目が効く」→「夜目が利く」 訂正しました
文末に句点がついていない所がありましたので、「。」をつけました


第73話 戦闘―1

 ガッ、ガッ、ガッ、ガッ!

 

 石造りの廊下を駆け抜ける重い靴音が響く。

 数人の人影が疾走するも、実際はその中の1人、堅牢たる金属鎧で身を包んだ女性のみがけたたましい物音を立て、並走する他の2人は足音一つ立ててはいなかった。

 

 

 一人騒がしく走る女性が、回廊の幅を利用し大きく膨らむようにして、走る速度を緩めることなく廊下を曲がる。

 曲がり角の向こうへと動かした視線の先には、その辺の部屋から運び出した長机や椅子を転がして作った即席のバリケード。

 そして、その奥には筋肉質ではあるものの、ひょろりとした体型の男たちが、怯えたような表情を隠すことなく片手剣を握りしめていた。

 

 それに対し、女戦士なんだか、オーガなんだか分からない『蒼の薔薇』の最強戦士、ガガーランは勢いを緩めることなく、突撃を敢行する。

 彼女は腹の奥から雄たけびをあげた。空気を震わせるほどの野太い声が耳朶(じだ)を打つ。

 そのけたたましい吠え声に、防壁の後ろにいた男たちは一様に震えあがった。

 

 

 そして彼女は勢いを止めることなく、正面からバリケードにぶち当たった。

 所詮、普通の家具を並べたに過ぎない防壁は、ガガーランの振り回す凶器、そのたった一撃のもとに木片を撒き散らして粉砕される。

 

 その光景に思わず「ひいっ」と声を漏らし、身をすくませる男たち。そんな彼らは一瞬の内にガガーランの振り回した刺突戦槌(ウォーピック)の奔流によって命を奪われた。

 ガガーランとしても、たとえ相手は末端の人間とは分かってはいても、王都の惨状、そして捕らえられた者たちの末路を知っているだけに、加減してやる気にもなれなかった。

 

 その暴風のような戦いというより、一方的な殺戮を目の当たりにし、ガガーランの得物の届かぬ少しばかり離れたところにいた者達は慌てて背を向け、その場を逃げ出そうとした。

 だが、その背にティアの投げた手裏剣が次々と突き刺さる。

 〈飛行(フライ)〉の魔法で宙を飛ぶイビルアイが、苦痛に足を緩めたその頭を後ろから引っ掴み、壁に叩きつけた。鈍い音と共に男たちの首が奇怪な方向に折れ曲がり、その体が冷たい石の廊下へ崩れ落ちる。

 

 素早く周囲を確認したティアは生存者無しと仲間に伝えた。

 再び彼らは、何の装飾もない実用本位にして、武骨な造りの回廊を走る。

 

 

 

 今、彼らが駆けている建物、そこは王城ロ・レンテである。

 王族の住まうヴァランシア宮殿を内側に包むように作られたこの城は、12もの巨大な塔とそれをつなぐ城壁からなっている。

 

 王城地下の倉庫から出た彼女ら、ガガーラン、ティア、イビルアイの3人はヴァランシア宮殿を目指した他の者たちと別れ、城の地上部へと上がった。

 目指すは一際(ひときわ)高さのある東北東の塔。

 

 

 

 今回行われた作戦、その目的の一つは、リ・エスティーゼ王国第三王女ラナーの救出である。

 王族であり、また民衆からの信頼も厚いラナーは、現在、簒奪者の手により酸鼻を極める有様となっている王都の情勢をひっくり返す切り札となりえる。

 またラキュースとしては、個人的にも友人である彼女の事を、なんとしても助け出したいという思いがあった。

 

 

 だが問題は、その彼女が幽閉されているであろう場所がいまだ不明な事であった。

 市中に潜伏している間、彼女たち『蒼の薔薇』自身は自由には動けないものの、様々な伝手(つて)を使い調べたのであるが、どうしても王城内の事に関しての情報は断片的なものしか得られなかった。せいぜい伝え聞く限り、捕らえられた貴族や役人たちは殺戮、拷問、凌辱などの(むご)たらしい扱いを受けているらしいという程度である。

 王城を乗っ取った者達からしてもラナーは利用価値があるはずだ。他の者とは異なる扱いをされるだろうし、そう考えれば彼女の身の安全は保障されているであろうとは推察出来る。

 だが、それでもつらい思いをしているであろうことは想像に難くない。

 

 一刻も早く助けに行きたい気持ちを抑え、蜂起計画の準備を一つ一つ進めると同時に、そちらの情報もさらに集めたのだが、とうとう計画実行の段に至っても、彼女の行方は(よう)として知れなかった。

 

 その為、作戦実行にあたって、幽閉されている可能性が高いと思われる場所を何カ所かピックアップし、それぞれの場所を一つずつあたっているのだ。

 

 

 すでに王城の地下牢などにも足を運んでみたが、そちらには何人もの貴族たちが囚われていたものの、肝心のラナーの姿はなかった。

 話を聞いてみるも、誰も知らないという。

 

 とりあえず、彼らについては、自分たちがやって来た城からの脱出口を教え、そこから脱出するよう伝えた。

 本来であれば彼らを護衛する必要があるのだが、さすがにそれをやっている暇も人手もないため、救出の際に倒した見張りの武器を渡して、自分で自分の身を守るよう言うにとどまった。実際のところ、助けた貴族たちの中には居丈高に、自分たちを護衛しろ、それが当然の義務だなどとのたまう者達も中には――いや、実際のところ、かなり――いたのであるが、ガガーランの一喝、そして小柄なイビルアイが強固な石壁を砂糖菓子のように砕くところを見て、前言を(ひるがえ)し、慌てて我先にと走って逃げていってしまった。

 彼らのその後には一抹の不安もあるものの、優先して考えねばならぬのはラナーの救出、およびコッコドールら簒奪者の始末であるのだから仕方がない。

 

 何とか八本指の者達に見つからず、秘密の通路がある地下倉庫までたどり着くことを祈るばかりだ。

 

 

 

 そして今、彼女らが向かっているのは王城に作られた塔である。

 塔といっても、ただの鐘楼や見張り塔のような小さなものではなく、兵士たちの宿舎や訓練場までその内部に作られているほどの巨大な代物だ。

 その内の一つ、彼女らが目指している東北東の塔、その最上部には戦争などで捕獲した貴族などを幽閉するための部屋があるという。

 

 そこも事前の検討の際に、ラナーが囚われている可能性が高い場所の一つであるとされていた。

 そのため、彼女らは城壁内部に作られた廊下を抜けて、その塔へ向かっているのである。

 

 

 

 そうして、幾度目かのバリケードに出くわし、それを粉砕した際――イビルアイが不意にその動きを止めた。

 

 その目は虚空に向けられたまま、彼女の後ろで繰り広げられている、八本指の者たち対ガガーランとティアの戦いには目もくれない。

 

 10を数える間もなく、その剣戟の音は静かになった。

 仲間の様子がおかしい事に気がついたガガーランが、彼女の身長の半分ほどしかないものの、巨躯を誇る彼女をはるかに圧倒する程の強さを持つ吸血鬼に声をかけた。

 

「おい。どうした、イビルアイ? おちびちゃんにはちょっと残酷だったか?」

 

 冗談めかして話しかけるその言葉に、イビルアイは振り向くことすらしなかった。

 

「……おい、お前らは先に行け」

「あん? どうしたんだよ」

「いいから、さっさと行け! 後から追いかける」

 

 突然の言葉にガガーランとティアの2人は顔を見合わせ、首をひねったのであるが、200年以上を生きた伝説の吸血鬼にして、他の『蒼の薔薇』メンバー全員を合わせたよりも強いイビルアイがそんなことを言うという事は、きっと何かがあるのだろうと思い直した。

 「おう。じゃあ、先に行ってるぜ」という言葉だけを残して、鉄脚絆の音も騒がしく、2人は廊下を駆けていく。

 

 

 

 一人残されたイビルアイ。

 彼女は相変わらず、誰もいない廊下、その一点を睨みつけていた。

 

「おい。いつまで隠れている。さっさと姿を現せ!」

 

 イビルアイの怒鳴り声。

 その場には彼女一人しかいない――そのはずなのに、それに答える声があった。

 

 

 

「ほう。このわしに気がつくとはな」

 

 その言葉と共に、たった今まで誰もいなかったはずの空間が歪んだかと思うと、そこに奇怪な姿の怪物が現れた。

 

 長い髪を振り乱した老人の上半身に、光沢すらもない鱗に包まれた大蛇の下半身。

 その姿を見た者は思わず、原始的な恐怖に身を震わせるであろう、その姿。

  

「わしの名はリュラリュース・スペニア・アイ・インダルン。まあ、見ての通りナーガじゃよ」

 

 隠れ潜んでいた姿を現し、その蛇の尾を振るわせながら穏やかに話すリュラリュース。

 対して、イビルアイは警戒の色を緩めることなく、一定の距離を保つ。

 

「わしの透明化を見抜くとは。お主、なかなかに修練を積んだ魔法詠唱者(マジック・キャスター)のようじゃな。まだ年若いようだが。それとも、若いのは見た目だけで実際は数百年も生きている化け物とかかの?」

 

 くくくと口を歪めながらの冗談であったが、偶然にも言い当てられた格好となった吸血鬼は何も答えない。

 

「お主の仲間たち、行かせてしまってよかったのかの? 全員で力を合わせてわしと戦うのが上策じゃろうに。それとも、仲間を守るために、お主一人が犠牲になるつもりか? ここでわしを足止めしているうちに、仲間にこの国の姫とやらを捜させるのか?」

 

 

 笑い声が響いた。

 その声の発する許は仮面の少女。

 目の前のナーガと比べると、より一層小柄な体躯が引き立つ魔法詠唱者(マジック・キャスター)

 

 突然あがった笑い声に、いぶかし気な表情を浮かべるリュラリュースを前にして、イビルアイは人差し指をピンと立てる。

 

「お前は一つ大きな間違いをしている」

「間違い?」

 

 仮面をつけているため、その奥の表情を窺い知ることは出来ないが、目の前の少女の不思議な態度に首をひねるリュラリュース。

 

「ああ。あいつらにお前との戦いよりも、お姫様を捜すのを優先させたのは事実だ。だが、別に私は犠牲になるつもりはない。何故なら、お前なぞ私一人で十分だからさ」

 

 イビルアイはゆっくりと手を広げ、魔法の術式を構成する。

 

 

「少し身の程というものを教えてやろう、ナーガ。私の名はイビルアイ。この名を心に刻み、あの世に行くがいい」

 

 仮面の奥で、吸血鬼の瞳が怪しく赤い光を放った。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 室内には一人の人間がいた。

 いや、それを人間と呼んでいいのかは分からない。

 まだ、彼女が人間の範疇に入るのか、それは彼女自身ですら分かりえない事だったのだから。

 

 

 その部屋は、元はそれなり、いやかなりの高位の、おそらくは女性の私室であっただろうという事は推測できるのだが、今やそんな事はどうでもよい。現在の室内に広がる惨状の前には、前の住人の事など、考えるだけまったく無駄だ。

 

 今、室内は悪臭と汚濁に塗れている。

 部屋中の装飾品、垂れ布から絨毯、テーブルに椅子、それに美しい絵画に至るまでも、そこかしこの全てが汚らしい膿によって穢されているのだから。

 

 

 そして現在の部屋の主、元帝国四騎士の1人レイナースは荒れ果てた部屋の中央に陣取り、そのぶよぶよと膨らんだ手に掴んだ小さな手鏡、ただひたすらそれを眺めていた。

 

 その鏡に映るのは、醜く膨れ上がった肉塊から一房だけ生える美しい金髪。

 そして、その髪の合間から見えるのは切れ長の瞼と澄んだ海のような青い瞳。

 

 

 この髪と右目だけが、かつて美しかった彼女の姿そのままの部分であった。

 

 

 

 あの日、レイナースは帝城にて、皇帝の前に現れたベルに自分の呪いを何とかしてくれるように願った。

 

 今思えば、なんと浅はかな行為だったのだろう。

 

 そして、その願いをあの少女は叶えてくれた。

 およそ最悪の方向に。

 

 少女は何とかした。

 すなわち呪いの力を強めたのだ。

 彼女の全身、頭の先からつま先に至るまで、隅々にまで呪いを行き渡らせたのだ。

 その結果、レイナースは汚らしい膿を吹き出し続ける、醜い肉塊へと変えられた。

 

 

 悲しみ嘆くそんな彼女に、あのベルという少女は告げた。

 

 『ボク達の役に立つことだね。ちゃんと役に立ったら、その呪いを少しずつ解いてやるよ』、と。

 

 到底、信じられるような言葉ではなかったが、もはや少女にすがる以外に(すべ)がなかったレイナースは、その軍門に下り、ナザリックの旗下へと収まった。

 

 

 そうして迎えた、今回の王都での一件。

 

 王城占拠に際し彼女は、王国戦士長を始めとした主力は不在ながらも、留守を守る護衛の騎士達をことごとく打ち倒し、第一王子であるバルブロを捕らえるという功績をあげた。

 その働きへの褒美として彼女の顔、金髪一房と右目の周辺だけは、呪いを解いてもらえたのである。

 

 

 それから、彼女は日がな一日鏡を覗き込み、吐き気がするほど醜怪なる肉塊の中のごく一部、元の美しさを取り戻した髪と目を眺め続けている。

 

 わずかな食事をとる他は睡眠すらとろうとしない。

 レイナースの身体は決して睡眠が不要の身体となったわけではない。しかし、じゅくじゅくと膿が湧き出る痒みと、その汚汁にたかる虫たちによる腐肉を齧る痛みが絶えず全身を襲い、眠ることさえ満足に出来ないのだ。その為、今の彼女は常に半ば朦朧とした意識の中にあり、そんな彼女を現実に繋ぎ止めるのは、鏡に映るかつての美貌の残滓しかなかった。

 

 

 彼女は切望していた。

 より功績をあげるチャンスを。

 功績をあげれば、もっと自分の身体の呪いを解いてもらえる。

 逆に言えば、呪いを解いてもらうには、功績をあげるチャンスがなくてはならない。

 

 チャンス。

 チャンス。

 

 この国の王都はすでに押さえた。

 後は反乱軍でも出てきてくれればよいのだが。

 

 

 そう思っていた矢先、彼女の部屋に来訪者があった。

 なんでも、王都において冒険者たちが蜂起し、この王城にも侵入者がいるという報告を知らせに来た。

 

 

 その知らせに彼女は狂喜した。

 侵入者を倒せば、王都の反乱を鎮圧すれば、彼女はより一層褒められ、更に別の場所の呪いを解いてもらえるだろう。

 

 レイナースはくぐもった笑い声をあげて、その身を震わせる。

 その拍子に肉と肉がこすれて、膿胞がつぶれ、じゅるりとした黄色い膿が、その身を垂れ落ちる。

 

 

 レイナースはその辺に投げ捨ててあった剣を掴むと、その身を揺らしながら――揺らすたびに、さらに流れ落ちた膿が周囲を汚す――曖昧模糊(あいまいもこ)たる思考のまま、自らにあてがわれた自室を出ていった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 そこはまさに別世界としか言いようがない部屋だった。

 ほんの数階下はまさに防御用の堅牢にして武骨な造りの城だったというのに、階段を上がり、扉を開けた所にあったのは、一転、貴族の館としか言いようのない一室。

 

 だが、目にも鮮やかな垂れ布や、足が沈み込むような絨毯によって、王城を作る石の冷たさからは遮断されているものの、明らかにこの部屋が一種独特の目的で使用される場であるという事は一目で見て取れた。

 

 

 それは今、ガガーランの目の前にある、冷たく輝く鉄格子の存在。

 およそ彼女の親指ほどもある太さの鉄柱が床から天井まで幾本も伸び、中と外とを隔絶していた。

 

 ガガーランとティアは鉄格子には触れることなく、視線を動かす。

 広い室内には間仕切りなどはほとんどないうえ、鉄格子と石壁の間に作られた通路側からは中の様子が丸見えであり、その身を隠すことなど出来る場所などない。

 それ故、如何に豪華に飾り立て、贅を凝らした瀟洒な調度品で飾ろうとも、ここは人を閉じ込める牢であるという事実は明白であった。

 

 

 すぐに目当ての人物は見つかった。

 部屋の奥に置かれたベッド。その傍らに置かれた黒いビロードの布地がかけられた椅子の上に、1人の女性が座っていた。

 目元は黒い布でおおわれ、口元には猿ぐつわが噛ませられ、ご丁寧に傍らの机から伸びた鎖がその両手につけられた手枷に繋がっている。

 

 俯いた彼女の顔は目隠しと猿ぐつわ、そして彼女自身の長い金髪によって半ば覆われており、高い格子つきの窓から差す日の光だけではよく見えないが、その白いドレスはラキュースの供として彼女の私室で一緒にお茶を飲んだことのあるティアには見憶えがあった。

 

 

「王女様?」

 

 ティアが声を潜めて問いかけるが、その声に反応はしない。

 この王女とは思えぬ扱いからして、なんらかの方法で耳を塞がれているのだろうか? さすがに耳を潰されているとは考えにくいが。

 

 

 彼女たちは顔を見合わせると、ティアは鉄格子に取り付けられた扉へ取りついた。そこの鍵の開錠にとりかかる。

 その鍵はこういった場所に作られているだけあって、生半可な腕の盗賊では開けることなど出来ぬほどのものであったが、そんなものはティアにとっては、目を瞑ってでも開けられる程度でしかない。

 ほんの数秒で開錠は済んだ。

 そして、仲間の方へ振り返ると――。

 

 メキメキッという鉄の軋む音。

 中と外とを仕切る鉄格子が、ガガーランの怪力によってへし曲げられた。

 

 そこに出来た、大柄な上に全身鎧を身に着けた彼女すらも楽にすり抜けられるほどの隙間から、ガガーランは奥へと足を踏み入れる。口の中で「おいおい」とツッコミを入れつつティアも、自分で開錠した扉からではなく、そちらから中へと入った。

 何が起こるか分からぬため、念を入れてガガーランは腰に下げていたポーションを口にし、背負っていた、普段は使わぬ盾を下ろし、左手に構える。

 

 そうして、そうっと部屋の奥に置かれた椅子に腰かけるラナーの下へと近寄る。

 

 

 

 慎重に足を進めていたティアが動きを止める。

 その様子に、ガガーランもまた足を止めた。

 

 彼女の見つめる前で、仲間の忍者はその小さな眉根を顰め、小首をかしげた。

 そして――。

 

「影技分身の術」

 

 ティアの足元に伸びる影がもぞりと蠢き、むくりと起き上がった。

 ほとんどMPを消費させずに作った分身の為、動きは本物に比ぶべくもないほどたどたどしいが、そのもう1人のティアは音もなくラナーの腰かける椅子へと近寄る。

 そして、彼女に触れた瞬間――。

 

 

 

 ――爆発。

 

 

 

 ガガーランはとっさに盾を前に構え、飛び散る破片を防ぐ。ティアの方はというと、そのガガーランの影に隠れ、難を逃れた。

 濛々(もうもう)と湧き立つ煙が納まると、そこにはベッドと椅子、そしてラナーの姿を似せて作った人形の破片が転がっていた。

 

 

「どうして感づいたんだ?」

「普通の人間は呼吸するからその時、胸が上下する。でも、その時の胸の揺れ方がおかしかった。そう、胸の重さによる慣性を感じさせない、まるで羽根のように軽いものが動く感じだった」

 

 そう言って「おっぱいに関して、私の目は誤魔化せない」と自慢げに、こちらは薄い胸を張るティアと、やれやれという表情を浮かべるガガーラン。

 

 

 そんな彼女らに耳に、緊張感のない男たちの声が届く。

 

「おいおい。やっぱりばれたじゃねえか。それも胸の揺れ方にリアリティーが足りないからだとよ。だから、お前があのお姫様の服を着て、パッドでも入れて幻覚で顔とかを変えていろって言ったろ」

「冗談じゃねえよ。上手くいけばいいが、それだとばれたら、俺が一撃でやられるんだぜ」

 

 

 誰もいないはずの室内。

 鉄格子で隔てられた通路に置かれた棚の間。何もない空間が揺らめき、そこから2人の男がどこからともなく現れる。

 

「秘密の通路……いや、幻覚か。そこの間に幻覚で隠れてたって訳か」

「たぶん、そいつらは『千殺』マルムヴィストと『幻魔』サキュロントの2人。幻覚ならお手のもの」

 

 ティアの言葉に、肩をすくめるマルムヴィスト。

 

「有名になるってのも困りもんだな。ま、仕方ないか。改めて自己紹介するぜ。俺はマルムヴィスト、そっちの貧相な顔の奴はサキュロントだ」

「誰が貧相な顔だ」

 

 サキュロントの抗議はそのまま流し、彼らもまたガガーランのこじ開けた隙間から中へと足を踏み入れる。

 

 

「それにしても、なんだよ。鉄格子をひん曲げるって。そっちの扉の鍵を開けて入ったら、王女の人形に気を取られている隙に扉を閉めて閉じ込めようと思ってたのによ」

 

 「うちの使い魔は知恵はないけど勘がいい」「誰が使い魔だ」という2人のじゃれ合いを前に、腰から愛用のレイピアを抜き、構えるマルムヴィスト。

 

 それを見て、「気をつけて。おそらくあれがマルムヴィストの〈薔薇の棘(ローズ・ソーン)〉」と警戒の声をあげるティア。

 その言葉にマルムヴィストは思わず渋い顔をする。

 

「そんなのまで調べ上げてんのか。やれやれ、やりにくいったらありゃしねえな。それでお前らは『蒼の薔薇』のガガーランと、それと……どっちだ? ティアか、それともティナとかいう方か?」

「私はティカ。ティアとティナの姉。コンゴトモヨロシク」

「……それどう考えても嘘だろ」

「嘘じゃない。もし嘘だったらなんでもする。ガガーランが」

「おいっ!」

「それは遠慮させていただく」

「同じく」

「おいっ!」

 

 口では馬鹿なやり取りをしつつも、互いに武器を構え、じりじりとすり足で距離を詰め、または離れ、自分に有利な位置を取ろうと、静かな争いを繰り広げる。

 室内に漂うのは今にも戦いが始まらんとする緊迫した空気。

 

 

 一触即発の空気の中、マルムヴィストは先と変わらず、砕けた口調で話しかけた。

 

「なあ、お前さんたち、おとなしく降伏する気はないか?」

「大人しく降伏して、殺されろってのか?」

「仲間になるってんなら大歓迎さ。苦労して戦って勝っても、別に給料が上がる訳でもないしな」

「悩みどころだけど、お断りっと」

 

 ティアの手が閃き、手裏剣が投げつけられる。

 

「うおっ!」

 

 飛び来る刃に狙われたサキュロントが声をあげて飛びのく。

 

「残念だけど、時間稼ぎはさせてあげない」

 

 その言葉に、サキュロントは渋面を浮かべる。

 本当に彼女らが降伏する訳などないという事は分かってはいたのだが、マルムヴィストがそうして会話を引き延ばしている間に、サキュロントは得意の幻覚魔法を重ねがけするつもりだったのだ。

 

 

「本当に手の内がばれてる相手ってのはやりにくいな」

「それはお互いさま」

「違いない」

 

 ため息交じりにつぶやくマルムヴィスト。

 そして、にべもなく返すティア。

 苦笑するサキュロント。

 

 その空気を掻き消すように、ガガーランが重々しい音とともに床を鉄脚絆を踏みしめる。

 

「さて、おしゃべりはそこまでだ。こっちも予定が詰まっているんでな。ちゃっちゃと始めようや」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「ここね」

 

 ごくりと生唾を飲み、息をひそめて、そっと戸を押し開けるラキュース。

 音もなく開く扉のその奥、彼女の視線の先は昼だというのに暗闇に沈んでいた。

 

 おそらく窓にカーテンを張ってあるのか。彼女はわずかに逡巡した(のち)、〈永続光(コンティニュアル・ライト)〉のランタンを取り出し、一方向分のみシャッターを開けて眼前を照らす。

 わずかに埃の漂う室内。

 光が筋となって、そこに無数に並べられた調度品を照らす。

 

 薄暗がりの中、浮かび上がってきたのは、ラキュースにもなじみのあるラナーの私室の風景。

 しかし、かつて彼女がこの部屋を訪れたときは、空気に埃が漂うなどという事はなく、床に塵一つないほど掃除されていたのだが。

 

 

 しかし、最も気にかかるのは――。

 

「なんだ、この臭いは……」

 

 思わずラキュースの後ろに続くザリュースがつぶやく。

 彼が口に出してしまう程、この部屋の中は異様な臭気に包まれていた。

 吐き気をもよおすような腐臭。人一倍嗅覚に優れているティナは襟元のスカーフをあげ、口と鼻を覆う。

 

 

 室内に足を踏み入れるラキュース。

 今、彼女が物音を立てぬよう忍び足で進む足先に触れたのは倒れた燭台。丸テーブルは倒れ、壁にかけられた陽光に煌めく花園の絵画は床に落ち、かつて二人で会話しながら飲んだ紅茶のカップは砕け散っている。

 そして、そこかしこに悪臭を漂わせる、ねっとりとした粘液のようなものが付着していた。

 

 夜目が利くわけではない彼女にとって、はっきりと見渡せるほどの光量はない中であるが、それでも、この部屋はかつての美しさ、華やかさの残滓を残すのみとなっているのは明白であった。

 

 その事実に彼女の胸に悲嘆の思いが浮かぶ。

 あの美しく整えられた、友人と共に過ごした部屋の、これが成れの果てかと。

 

 

 しかし、ラキュースはかぶりを振って、その感傷を振り払った。

 今はそんなことを考えている場合ではない。とにかく大事なのは友人であるラナー本人だ。

 彼女の身の安全、そして救助こそが優先すべきことだ。

 

 

 ラキュースは気を入れ直すと、後ろに続くティナ、そしてザリュースを肩越しに振り返った。

 彼女の視線を受け、2人は言葉を発することなく、こくりと頷く。

 

 そろそろと、本職であるティナほどではないが、可能な限り音を立てずに部屋を横切る。時折ねちゃりとした感触が靴先に触れるが、それは気にしない。

 この室内には誰もいる様子はない。

 おそらくいるとしたら、奥にある控えの間、そしてその更に奥にある寝室。

 

 さすがにそちらまでは友人であるラキュースとて入ったことは無い。

 スッと彼女の前を遮るように、ティナが先んじて扉に相対する。無いとは思うが、念には念を入れ、罠の有無を調べる。

 一通りの調べが済んだティナはちらりとラキュースに目くばせした。彼女はその卵型の顔を横に振る。それに軽く肩をすくめて、ティナは後ろに下がった。

 

 ラキュースが寝室へ続く扉のドアノブへ手をかける。

 それをそうっと下げ、開いた扉の隙間から、中の様子を窺う。

 

 

 寝室は他の部屋同様、薄暗かった。

 こちらは先ほどの部屋とは異なり、異様な臭気はない。なにかの香が焚かれているらしく、甘い香りが漂っている。

 

 

 ハッとラキュースはその身を固くした。

 音が聞こえたのだ。

 何かが動く音が。

 

 息をひそめて、意識を耳に集中させる。

 衣擦れのような、何かがぶつかり合うような、そんな音が規則正しいテンポで聞こえてくる。

 

 ラキュースはごくりと生唾を飲み込み、覚悟を決めると、ランタンを手に室内へと身を滑り込ませた。

 

 その部屋の中は王女の寝室だけあって、ラキュースの目からしても、実に絢爛華美たる様相であった。大理石の床には、珍しい魔獣の毛皮が敷かれており、壁には不思議な色合いのモザイクタイルが埋め込まれている。縞瑪瑙の天板が置かれたテーブルの上には、金の飾りと目にも鮮やかな深紅の宝石が埋め込まれた象牙の杯が置かれており、その卓の周りには黒貂(くろてん)の毛皮の敷物が敷かれた椅子が2脚、卓を挟んで向かい合わせに置かれていた。

 

 ランタンのシェードをわずかにだけ開け、可能な限り抑え込んだ状態の光では、そんな贅を極めた室内のごく一部しか見て取ることは出来なかったものの、彼女の気になるものはそんな室内の装飾などではない。

 

 

 彼女は部屋の奥に目を凝らす。

 音がしているのはそちらの方だ。

 

 そこにあるのは天蓋付きの大きなベッド。

 ビロードのカーテンを垂らした絹の寝台。

 そこに影があった。

 その影は明らかに1人のものではなく2人。

 それがベッドの上で動いていた。

 

 

 最初、ラキュースはポカンと口を開け、呆気にとられた。

 やがてその頬が赤みを増す。

 

 彼女はもちろん乙女である。

 その身に纏う、白金の輝きを放つ伝説の鎧、〈無垢なる白雪(ヴァージン・スノー)〉の着用条件の通り。

 しかし、そんな彼女とて、さすがに寝台の上での行為というのは知っている。

 とは言え、彼女にとって男女の閨事(ねやごと)というのは、実際に目にしたことは無く、もちろん自身が体験したこともない。ティアと違って、女同士もない。

 興味はあっても、おいそれと聞けるような事でもなく、せいぜいが他の冒険者たちが酒を飲みながら話している事を、横で耳をそばだてて得た知識くらいしかない。恋に恋するという程でもないが、それには漠然とした甘酸っぱいようなイメージを持っていた。ガガーランの話を聞くと、そんなイメージも消し飛ぶが。

 とにかく、そんな閨事、その真っ最中の場に踏み込むことへの気まずさが、彼女の胸をよぎった。

 

 

 だが、次の瞬間、彼女の頬はさらに赤みを増した。

 

 ラキュースは理解した。

 今、ここで、そんな男女の交わりが行われているという意味を。

 

 

 乗っ取られた王城。

 支配する無法者達。

 そして、王女であるラナー。

 その寝室で繰り広げられるであろう行為。

 

 

 彼女の頭は一瞬のうちに怒りに支配された。

 もはや、こっそりと人目に触れぬようになどという考えは吹き飛んでしまった。

 

 ラキュースはランタンから手を放す。

 世にも珍しいアルビノの魔獣から剥ぎ取った毛皮の上に転がるランタン。その内の光を覆い隠すシェードがめくれ上がり、室内を〈永続光(コンティニュアル・ライト)〉の光が満たす。

 

 

 ラキュースはベッドまでの距離を一気に詰め、手にした魔剣キリネイラムの漆黒の刀身で、天蓋から垂れるカーテンを切り裂いた。

 

 そこにいた二人の姿が魔法の光によって照らしだされる。

 

 

 それを見た3人は息をのんだ。

 

 そこにいたのは紛うことなく、ラキュースの友人であり、この国の第三王女であるラナーに間違いはなかった。

 

 そして彼女と性交をつづけるその相手。

 それは奇怪としか言いようのない代物。

 

 醜く引き攣れた、その肉体は黒く焼け焦げている。長かったであろう髪や髭は、ところどころに生前の本来の色らしい白い部分を残すものの、その大半は体同様、焼け焦げ黒く変色し、ぼさぼさのまま体の動きに合わせ、振り乱されていた。

 

 

 そして、ラナー。

 一糸纏わぬその姿は、芸術品のごとき均整を保っていた。

 

 だが、それは片側から見たときのみだ。

 

 美しい左半身とは異なり、彼女の右半身。

 そちらは、見るも無残な様相を呈していた。

 

 刃物で切り刻まれた痕。鈍器で骨ごと叩き潰された痕。熱した焼き鏝を押し付けられた痕……。

 

 ラキュースは彼女の顔に視線を動かす。

 顔面もまた右側のみ、惨たらしい拷問の痕が残されており、かつて優し気な色を浮かべていた、その瞳はすでに何も映すものはない。

 

 すでに、その身に生命の炎が宿っていない事は明白であった。

 

 

 彼女は地獄の責め苦のうちに死してなお、動く屍として他者と性交を続けさせられ、その身の尊厳を奪われ続けていたのだ。

 

 




 ラナーゾンビのお相手は、フールーダゾンビです。
 フールーダ、童貞卒業おめでとう!

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