オーバーロード ~破滅の少女~   作:タッパ・タッパ

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2017/2/9 「声ともに」→「声とともに」、「怪力を持って」→「怪力を以って」、「2重の」→「二重の」、「~来た」→「~きた」 訂正しました


第75話 戦闘―3

「うおぉっ!」

 

 声をあげて、マルムヴィストが飛びのく。

 その鼻先を巨大な金属塊が行き過ぎる。

 鋭い切っ先が厚手の絨毯を貫き、石床を抉った。

 

 手の刺突戦槌(ウォーピック)を振りきってしまったガガーラン。一瞬、無防備となった隙をついて、幾体にも分裂したサキュロントの刃がガガーランめがけて襲い掛かった。

 

 だが、それらの身体に次々と、ティアの手より手裏剣が投げつけられる。

 小さいながらもよく研ぎ澄まされた銀色の刃が、サキュロント達へと降りそそぐ。

 

 まるで機銃の弾のように打ち出された手裏剣。そのほとんどは、そこに人などいないかのようにその身をすり抜け、背後の壁面で音を立てた。

 だが、その内の一体だけは、手にした剣で襲い来る手裏剣を防ぎ、弾き落とした。

 

 サキュロントの顔が引きつる。

 幻術により隠したはずの本体の場所がばれてしまったのだ。

 

 

「そらよ!」

 

 気合の声とともに、ガガーランの武器が振り回される。

 その鋭くとがった先端が、目の前のフードの男につきたてられる。

 

「ぐはぁっ……」

 

 サキュロントは苦悶の声と共によろめき後ずさり、膝をつく。

 しかし、それだけである。

 ガガーランの攻撃であるが、それは彼に致命傷を与えたとは言い難い。彼女本来の、当たればそれだけで命すら奪う必殺の一撃とはなりえなかった。

 

 ガガーランはチッと舌打ちしつつ、後ろに飛びのき距離をとる。

 「おい、大丈夫か」という言葉を聞きながら、サキュロントは苦痛の声とともに立ち上がった。

 

 

 

 ガガーランの一撃を受けてなお、サキュロントが動けたのには理由がある。

 その一つは――。

 

「一体なんだ、そりゃ? 感触が変だったぞ、普通に殴った時よりもな。お前の装備、それに刺突耐性でもついてんのか?」

 

 その言葉に、サキュロントは曖昧に笑って誤魔化した。

 

 そう。

 サキュロントの防具、フード・オブ・スピアブロックには刺突ダメージ減少の効果があるのだ。ガガーランを前にした彼がそれを身に纏っているのは、偶然ではあったのだが、それはこの場において大きなアドバンテージとなった。 

 だが、それはあくまである程度減少させるというだけのもの。『蒼の薔薇』のガガーランが振るう一撃を受けてなお、立っていられるのにはもう一つ理由がある。

 

 

 サキュロントに止めを刺すに至らなかった、そのもう一つの理由。

 それはガガーランの手にしている武器。その使い方にある。

 

 ガガーランの主武器たる刺突戦槌(ウォーピック)鉄砕き(フェルアイアン)〉は桁外れの重量を誇り、本来怪力無双のガガーランがマジックアイテムで筋力をあげ、両手でしっかりと持つようにしてようやく振り回せるほどの装備である。

 それを今、彼女は片手で無理矢理扱っているのだ。

 戦闘直前に呑んだポーションにより一時的に筋力をあげ、人の背丈ほどもある長柄であるがそれを思いきり短く握り、前腕に柄の部分を押し当て支えにするようにして振るっているのだが、やはり普段のように自由自在に振り回せるわけでもない。

 そうして空いた彼女の残るもう片方の手、今そこには、ただ実用一点張りの武骨な盾が握られている。

 

 

 何故、彼女が普段とは異なる、そんなおかしな戦い方で戦っているのかというと、それは――。

 

「ひゅっ」

 

 微かな呼気とともに繰り出された刃。  

 その切っ先はガガーランの構えた盾の表面で、いささか軽い音を立てるに留まった。

 

 通常、盾で敵の攻撃を受ければ、その衝撃が腕に伝わる。防ぐだけでも腕が痺れ、熟練の戦士が相手であれば、防御ごと腕をへし折られることさえある。

 しかし、今、相対している相手の得物が重量のある武器ではなく、細いレイピアである事を考慮しても、ガガーランの腕には攻撃を防御したことによる、盾越しに受ける衝撃の感覚はほとんどなかった。

 代わりに、その刺突は一度にとどまらず、無数に繰り出される。

 本来あるべき、相手を一突きで刺し殺すような深い踏み込みのなされていない、まるで素人がするような小手先だけで振り回す連撃である。

 しかし、繰り出されるそのすべてを盾で(しの)いだガガーランは、額に冷や汗を浮かべていた。

 

 

 彼女がそこまでそんな浅い攻撃、一突きで臓腑を抉るような必殺の勢いを持っているという訳でもない、たとえ当たったとしても、ただ肌の表面をわずかに切り裂く程度にしか過ぎないであろう攻撃を必死になって防ぐその理由。

 それはその襲い来るレイピアにある。

 針のように鋭くとがった切っ先、その先端部に金属の輝きとは異なる、怪しげな色が浮かんでいる為だ。

 

 

 

 今回、王城に忍び込むにあたって、交戦が予想される八本指、とくに強敵となるであろう六腕の情報は全員しっかりと頭に叩きこんでいた。

 その中でも最も警戒するように言われていた1人。

 今、目の前にいる、金糸で縁取られた赤いマントを肩から下げ、きらびやかな装飾の施された衣服を身に纏う伊達男、『千殺』マルムヴィスト。

 

 正確には彼本人より、彼が振るう武器が危険とされた。

 彼の手にする、(つば)に美しい薔薇の装飾が施されたレイピア〈薔薇の棘(ローズ・ソーン)〉。

 その刃には猛毒が塗られているのだ。

 

 

 これが、本来の『蒼の薔薇』のパーティーならば、ガガーランはここまで警戒することは無い。彼女は堅牢な全身鎧で身を包んでいるため、ごくわずかに素肌をさらしているところや鎧の隙間でも狙われない限りは、レイピアの一撃など容易くはじいてしまえる。そして、仮に攻撃を受け、毒に侵されたとしても、神官であるラキュースの魔法によって、即座に解毒が出来るのだ。

 

 しかし、今、『蒼の薔薇』はチームを割いて行動している。

 ガガーランの背中を守るのは忍者であるティアただ一人であり、回復魔法が使えるラキュースはいない。

 すなわち、マルムヴィストの毒を受けたとき、即座に回復は出来ないという事だ。

 

 もちろん、彼女らはそれぞれ単独行動した時の事も考え、各種マジックアイテムやポーションを持ち歩いている。その中には解毒のポーションもある。

 だが、目の前の相手は彼女ら、アダマンタイト級冒険者に匹敵すると言われた六腕の2人である。

 悠長にポーションを取り出し、使う(いとま)を与えてくれるとは思えない。

 

 その為、ガガーランは無理をおしてでも、両手持ちの愛武器を強引に片手で扱い、もう片方の手に盾を構えた防御主体の戦いを余儀なくされていた。

 

 

 そして、ティアとしても彼らとの相性は良くない。

 ティアは忍者であり、その身に纏うのはしっかりとした防御効果のある鎧ではなく、動きやすさを重視した、露出面積も多いものである。

 つまり、マルムヴィストやサキュロントの持つ軽めの武器でも、当たれば深手を負いかねない。

 そして現状2対2で均衡している戦いで彼女一人が脱落したら、如何にガガーランといえど、ひとたまりもあるまい。

 そこで彼女としては先ほどから、ガガーランの後ろを守りつつ、その隙をついて一撃を与えようとする彼らをけん制したり、遠距離から飛び道具や戦闘補助のアイテムを使用するに留まっていた。

 

 

 

 しかしながら、手詰まり感を感じていたのはガガーランらだけではない。

 対するマルムヴィストとサキュロントもまた、もちろん表情には出さないものの、内心苦虫を噛み潰したようなものを抱えていた。

 

 彼らは2人とも装備、そして戦い方から言うと、軽戦士に分類される。

 多少の魔法なども使えるが、あくまで白兵戦の補助程度の事しかできない。それで遠距離攻撃などは不可能である。

 

 そんな彼らからして、今、相対しているガガーランとティアはやりにくい相手であった。

 

 ガガーランは重装鎧を身に着けており、仮にその防御をかいくぐって刃が体に届いたとしても、鎧に覆われていないわずかな部分にでも当たらない限り、その身を傷つけることは出来ない。

 そして、彼女が手にしている刺突戦槌(ウォーピック)。無理に片手で振るっているために避けることは容易(たやす)いが、軽装鎧しか身に着けていない彼らにとって、下手に当たれば一撃で致命傷になりかねない。

 

 また小回りが利くティアと共にいることも厄介だった。

 この小柄な忍者はどうしても挙動、そして隙が大きくなるガガーランを、絶妙のタイミングでカバーしていた。彼女の振りまわす刺突戦槌(ウォーピック)を何とか(しの)いで、その身に刃を突きたてようとしても、そこへ手裏剣が飛んでくる。

 金属鎧に身を包んだペシュリアンや、修道僧(モンク)を極めたゼロならば、敢えて避けずにそれを受けてもかまわないのだろうが、マルムヴィストやサキュロントの薄い防具では、大した攻撃力はない手裏剣ではあるが、はじき返すことなど出来はしない。

 それを我が身に受けて、苦痛に脚を止めようものなら、次の瞬間、ガガーランの本気の一撃を受ける羽目になるだろう。

 

 更に言うならば、忍者である彼女は探知能力にたけており、サキュロントお得意の幻術を使っても、容易くそれを暴くことが出来るのだ。

 幸いにして新しいボスと模擬戦をさせられた後、対拘束などのマジックアイテムをいくつか貰っていたため、その身をからめとる投網や本体に目印をつける為のアイテムはその効果を発しなかったものの、彼本来の戦術が自在に取れないことに変わりはない。

 

 

 

 それ故、互いに勝負を決めるほどの一撃を叩きこむことが出来なかった。

 戦っている本人たちにとっては神経をすり減らす剣戟であったが、傍目(はため)からはまるで素人の振るうような、腰の引けた剣閃のやり取りが繰り返されていた。

 

 

 だが、いつまでもそんな戦いを続けている訳にもいかない。

 それを一番強く感じていたのはガガーランである。

 

 今、彼女は本来両手で使うべき刺突戦槌(ウォーピック)を、ポーションを使用することにより筋力を増加させる事で、無理矢理に片手で扱っている。

 そして、ポーションの効果はあくまで一時的なものである。

 効果時間が過ぎれば、今のような戦い方は出来ない。効果が切れ、本来の筋力に戻った瞬間、彼女の右腕は上がらなくなるだろう。

 目の前にいる男たちはそんな隙を見逃す相手とは思えない。手にした武器の重さによろけた彼女の身に、毒の刃が突き立つことは避けられない。

 

 

 ガガーランは決断した。

 盾を前方に構え、半身になりつつ、もう片方の手に持つ武器、後方に突き出たその柄をわずかに回してみせる。

 それを見たティアは、言われずとも仲間の意図に気がついた。

 

 

 一つ大きな息を吐くと――ガガーランは突進した。

 

 これまでと異なる果敢にして積極的な攻めにマルムヴィスト、そしてサキュロントは驚愕した。

 しかし、さすがは六腕と言われた彼ら。瞬時に落ち着きを取り戻し、一か八かの賭けに出た巨漢戦士の迎撃に移る。

 

 

 ガガーランの突進先はサキュロント。

 瞬時に分身を生み出すと同時に、向かってくる巨大な盾、その前面から避け、背後に身を隠すガガーランへ向けて左右、そして上方から剣を振るう。

 

 しかし、その切っ先は空を切った。

 そこにガガーランの姿はなかった。

 彼女は突進を敢行したが、サキュロントと接敵する直前に、その盾から手を離し、前へと蹴り出したのだ。

 

 絡み合った一対の蛇が刻まれた籠手が、しっかと柄を掴む。

 彼女は上位力のベルト(ベルト・オブ・グレーターパワー)によって増幅されたその怪力を以って、刺突戦槌(ウォーピック)を振り回した。 

 恐るべき質量を持った鉄塊がマルムヴィストを襲う。

 

 今しも、自分の横に並ぶサキュロントを襲おうとしたところへ、横合いから毒刃を突きたてようとしていたマルムヴィストは虚をつかれた。

 とっさに身を投げ出すようにして、その横なぎの一撃を躱す。

 

「うおおっ!」

 

 叫び声と共に床を転がる。その身が一瞬前まであったところに、次々とくない(・・・)が突き刺さる。

 転がりつつも、その反動で立ち上がろうとするマルムヴィスト。

 

 そこへ再びガガーランの刺突戦槌(ウォーピック)が襲う。

 起き上がろうと膝をついた所へ、襲い来る鋭い先端。

 

 ――躱せない。

 

 思わず口元を引きつらせる彼の前に、ガガーランの投げ捨てた盾を手にしたサキュロントが割って入った。

 

 

「ぐはあっ!」

 

 2人は床を転がった。

 サキュロントは両手で盾を掴み、肩を押し当て、体で受け止めようと試みたのだが、ガガーランの超人的な怪力の前に容易く弾き飛ばされ、後ろにいたマルムヴィストごと、大きく吹き飛ばされた。

 

 

 

「うぉぉ……。本当に人間なのかよ……」

 

 呻きつつ、床に転がる剣を手にとるマルムヴィスト。

 

「『蒼の薔薇』のガガーランは、オーガがマジックアイテムで姿を変えているとかいう噂を聞いたが、本当かもな」

 

 サキュロントもまた、苦痛に顔をしかめつつも武器を拾って立ち上がる。

 

「はっ! ガガーランの秘密がついにばれた。これは生かしてはおけない」

 

 ティアは逆手に忍者刀を構える。その柄にそえるもう一方の手、その手の平には何時(いつ)でも投擲できるよう手裏剣を隠し持っている。

 

「だれが、オーガだ。こんないい女を前にして。お前らにはレディに対する態度ってものを教えてやらないといけねえな」

 

 ガガーランは両手でしっかりと、これまで長年彼女と共にあった愛武器〈鉄砕き(フェルアイアン)〉の柄を掴む。

 

 それこそが彼女、『蒼の薔薇』のガガーラン本来のスタイル。

 敵陣に突撃し、多少の傷などものともせず、重い必殺の一撃を叩きこむ重戦車。

 防御よりも攻撃を重視したその戦い方は恐るべきものであったが、かすり傷を与えるだけでも相手を倒すことが出来るマルムヴィストの〈薔薇の棘(ローズ・ソーン)〉相手には、いささか不利といえるものである。負ける気はしないが、一切の傷を負わずに打ち勝つというのは難しい。

 

 だが、ガガーランは決意した。

 

 一気に勝負を決める。

 おそらく、刺突のみに関しては王国戦士長ガゼフ・ストロノーフをも(しの)ぐかもしれないと言われるほどのマルムヴィストの攻撃をすべては躱せまい。その刃は肉体を切り裂き、塗られた幾種類もの薬を混ぜ合わせたという猛毒は彼女を蝕むだろう。

 しかし、それで死ぬまでにカタをつける。

 マルムヴィストとサキュロント、この2人を打ち倒して、毒で死ぬ前に解毒のポーションを使う。

 なに、自分が毒で動けなくなったとしても、自分の後ろには仲間であるティアがいるのだ。2人同時にやられでもしない限りは大丈夫だ。

 

 

 

 ガガーランの雰囲気が変わる。

 先ほどまでとは異なる、チリチリとした殺気溢れる空気が張り巡らされる。

 その様子に勝負を決めるつもりだと、マルムヴィストとサキュロントもまた気を入れ直す。

 

 マルムヴィストは左肩にかけていた深紅のマントを取り外す。

 それを左手に巻きつけて半身になり、右手に持った剣、それを赤い布地で隠すように構えた。

 

 ティアはその姿に目を細めた。

 厚手の布地であるマントはある程度の防御効果がある。もちろん、ガガーランの振るう刺突戦槌(ウォーピック)の打撃などは無理だが、彼女の投げる手裏剣やくない(・・・)、そして手にする忍者刀くらいならば防ぐことが出来る。また、マントで隠すことで、その恐るべき毒を塗られた切っ先がどこを向いているのか隠す意味合いもある。

 

 おそらくガガーランの突撃に合わせて、必殺の一撃を叩きこむつもりだ。

 

 

 向こうも勝負をかけに来たことを悟り、秘かに生唾を飲み込むティア。

 互いに勝負をかける思惑である事、そして訪れるであろうわずかの剣戟の後、どちらかが命を落とすであろうという事は、その場にいた誰もが感じていた。

 

 

 

 じりじりと睨み合う4名。

 皆、相手のほんのわずかの動きも見逃すまいと目を凝らし、彫像のようにピクリとも動くことは無い。

 

 

 

 そんな中、戦端を開いたのはティアだった。

 なんの予備動作もなく、手裏剣を投げつける。

 狙いはマルムヴィスト。

 

 普通の人間であれば、その一撃で勝負が決まってしまうような眉間を狙った一投であったが、それは容易く、彼の左手に巻かれたマントによって払われた。

 

 

 それを機にガガーランが動いた。

 裂帛(れっぱく)の気合と共に一息に踏み込み、刺突戦槌(ウォーピック)を振り上げ、マルムヴィストに襲い掛かる。

 

 自分に向かってきた巨漢戦士に対し、彼は動ずることなく、たった今、ティアの手裏剣を払い落したマントを振るった。

 その先端がガガーランの目をかすめる。

 常人であれば、たとえ重い一撃ではないにしても、急所である目を打たれたら、思わずその動きを止めてしまってしかるべきである。

 

 だが、相手はガガーランである。そんな事で止まる彼女ではない。

 たとえどれほど鍛えた者であろうとも、耐えることなど出来ようはずもない眼球に走る痛みにすら、足を止めようともしなかった。

 

 刺突戦槌(ウォーピック)を力任せに振り下ろす。

 しかし、さすがに一瞬なりとも視界を奪われ、目算が狂ったのであろう。マルムヴィストがさっと身を躱すと、その鋭い切っ先は絨毯の敷かれた石床に突き立った。

 その隙にマルムヴィストは、蜂の一刺しにも似た一撃を叩きこもうとする。

 

 だが、それはガガーランの想定の内であった。

 ズンという音と共に、床が震えた。

 

 ――武技!?

 

 その事に思い至ったマルムヴィストは、不意に足元が揺れたことに体勢を崩しつつも、その弾丸のような刺突を放つ。

 同時にサキュロントもまた飛びかかった。幾体ものフードの男が剣を振りあげ、ガガーランめがけてその刃を突きたてようとする。

 

 

 しかし――。

 

 

「おらあっ!」

 

 気合の声と共に、床に叩きつけられた体勢から、力任せに振り上げられた刺突戦槌(ウォーピック)

 

 それはマルムヴィストを狙っていた。

 

 

 この場において、最も警戒すべきはマルムヴィストの持つ〈薔薇の棘(ローズ・ソーン)〉である。

 サキュロントの振るう剣。それは受けても普通にダメージを負うだけだ。重装戦士であるガガーランにとっては怖くもない。一撃で致命傷を受ける事はありえない。

 その為、ガガーランはサキュロントを無視し、マルムヴィストだけを狙ったのだ。

 

 

 マルムヴィスト本来の、近隣諸国最高峰と謳われる刺突であれば、話は変わっていたかもしれない。

 だが、踏み込むべき足場が揺らいだ状態で放たれたその一撃は、明らかに精彩を欠くものだった。

 ガガーランの〈鉄砕き(フェルアイアン)〉、その背である巨大なハンマー部がマルムヴィストを襲う。

 とっさにマントを巻いた左腕でかばったが、案の定、そんなものでは防ぐことなど出来なかった。

 幸か不幸か一撃で命を奪われることは無かったものの、その左腕は飴細工のように粉々に砕け、彼の身体が大きく弾き飛ばされた。

 

 

 ガガーランは賭けに勝った事を悟った。

 

 マルムヴィストの放った切っ先。

 それは彼女の鼻先わずか数センチの所で届かなかった。

 

 

 武器を振り抜き、硬直状態にある彼女の身にサキュロントの刃が襲う。

 それはさすがに躱すことは出来ない。

 ガガーランはそれを甘んじて受けることにした。

 サキュロントは軽戦士であり、その刃を受けても、一撃で致命傷になる事はあるまい。たとえ鎧の隙間を狙われても、自分の鋼の筋肉で受け止めてしまえる。

 ガガーランはその身を引き締め、襲い来る無数の刃の内、本当の一撃に耐えようと身構えた。

 

 

 だが――。

 

 

 

 「ぐああっ!」

 

 

 ――思わず彼女は苦痛の叫びをあげてしまった。

 

 

 痛みが走った。

 信じられないほどの激痛が。

 

 ガガーランは己の脇を見下ろす。

 そこにはフードをかぶった男の姿。その男が持つ、己が鎧の隙間に突きたてられた(つるぎ)

 その切っ先が彼女の脇腹に深々と突き刺さっていた。

 

 

 彼女の視線の先でサキュロントの幻術が解ける。

 そこに現れたのは、何の飾りもないサキュロント本来の片手剣ではない。

 美しく精巧な薔薇の飾りが拵えられた鍔のあるレイピア。 

 〈肉軋み(フレッシュグラインディング)〉と〈暗殺の達人(アサシネイトマスター)〉という恐るべき魔法付与(エンチャントメント)が込められ、さらにはその刃に致死性の猛毒が塗りこめられている邪悪なる凶器、六腕の1人であるマルムヴィストの持つ〈薔薇の棘(ローズ・ソーン)〉。

 それが今、サキュロントの手の中にあった。

 

 

 

 先ほど、ガガーランの打撃を盾で受け止めたサキュロントとマルムヴィストは、そのまま弾き飛ばされ床に転がった。

 その際、マルムヴィストは自身の得物ではなく、サキュロントの剣を拾いあげた。そして彼の意図に気がついたサキュロントは何も言わずに〈薔薇の棘(ローズ・ソーン)〉を拾うと、幻術により、それを普通の剣と見せかけたのだ。

 マルムヴィストがマントで剣先の視線を遮ったのも、その手にした得物が薔薇の彫刻を持つ愛武器でない事を悟られぬためであった。

 

 

 

 特に力を込めずとも、〈薔薇の棘(ローズ・ソーン)〉の切っ先は、ガガーランの硬直させた筋肉を容易く突き抜け、内臓を抉り、その猛毒が臓腑の奥深くまで染み渡る。

 

 再度、ガガーランが苦痛の声をあげる。

 

 

「ガガーランっ!」

 

 彼女の普段を知る者であれば、驚愕に目を見開くような叫び声と共にティアが飛びかかる。

 その声を聞き、サキュロントはガガーランの身体を蹴り飛ばして〈薔薇の棘(ローズ・ソーン)〉を引き抜くと、その刃を今度はティアに突きたてようとする。

 

 だが、サキュロントにはマルムヴィストのような鋭い刺突を繰り出せるはずもなく、また種が分かった手品など何の意味もない。

 その切っ先は襲い来るシノビの身をとらえることなく、ティアの忍者刀はサキュロントの喉笛を一刀の下に切り裂いた。

 

 

 崩れ落ちるサキュロント。

 ティアはそんな彼の事など気にも留めることなく、ガガーランの許へ歩み寄る。

 彼女は苦痛に顔をゆがめつつもまだ息があった。回復能力のあるケリュケイオンの小手を自らの身体に押し当てることによって、かろうじて命を長らえている。

 

 その事に安堵し、腰から回復と解毒のポーションを取り出そうとするティア。

 

 

 

 その胸に灼熱が走った。

 

 

 

「こはっ」

 

 血を吐くティア。

 視線を下ろすと、彼女の薄い胸から鋭い切っ先が突き出ている。

 肩越しに振り返ると、そこには先ほど首を切り裂かれ、倒れ伏したはずのサキュロント。

 痛そうに片手で(さす)ってはいるものの、その首には傷がついた跡はない。

 

 

 〈偽死(フォックス・スリープ)〉。

 幻術の一つであり、傷を受けた後に発動するタイプのものである。

 

 

 もちろん普段のティアであれば、そんな幻術など見破ることは出来たであろう。

 しかし、先ほどの彼女は一刻も早く仲間を治癒せねばと焦った状態であり、倒した相手を冷静に観察したり、止めを刺したりする余裕はなかった。

 

 一瞬の油断。

 その結果が、これである。

 

 

 ティアは息をするたび駆け巡る激痛にその身を揺らしつつも、震える手でガガーランの為のポーションを取り出す。

 しかし、サキュロントは非情にもそれを蹴り飛ばした。

 ティアの手を離れたポーション瓶が絨毯の上を転がり、置かれたキャビネットにあたって止まった。

 

 もう一息、大きく血を吐くと、ティアは仰向けにひっくり返った。

 その目には、すでに生命の色はない。

 

 そして、ガガーランもまた、一つ身を震わせると息を引き取った。

 

 

 

 1人立つサキュロントは安堵の息を吐くと、念のため、ティアとガガーランの身体にもう一度〈薔薇の棘(ローズ・ソーン)〉を突きさす。

 その切っ先に抉られても、彼女らは身じろぎ一つしなかった。

 

 

 そうして彼女たちの死を確認してから、「ぐおおぉぉ……。痛ぇぇ……」と呻き転がるマルムヴィストの方へと歩み寄った。

 

「おーい。生きてるか?」

「生きてるよ。生きてなければ呻けないだろうが! 早くポーション持ってこい!」

 

 やれやれとぼやきつつ、戦闘が起こることは予期していたため、この部屋にある衣装ダンスの奥に隠しておいたポーションを持ってきて、砕けた腕を押さえているマルムヴィストへとかけてやる。

 

「おい、かけるなよ! 服に染みがつくだろうが」

 

 この期に及んで、まだそんなことを喚くマルムヴィストにため息をつき、その傍らに座り込むサキュロント。

 

「これで、こっちは終わったな」

「ああ、何とかなったみたいだな」

 

 手を開け閉めし、完全に治ったことを確認しながら、身を起こすマルムヴィスト。

 

「じゃあ、他の救援に行くか? こいつら以外にも侵入者はいるんだろ」

「真面目だねぇ、お前さん」

 

 彼はその言葉に呆れたような声を発する。

 

「止めとけ、止めとけ。また、今みたいな戦いをする羽目になるぞ。それこそ、今度は命を落としかねないぜ。俺たちは言われた任務を終えた。これで今回の仕事は終わりでいいだろ」

 

 そう言うと、ごろりと絨毯の上に寝転がった。

 サキュロントの方はというと困惑顔である。

 

「でも、いいのかよ。このままここにいて、俺たちが他の所に助けに行かなかったって言われたら」

 

 サキュロントの懸念に、マルムヴィストはひらひらと手を振ってやる。

 

「いいって、いいって。このまま、しばらく時間を潰して、ちょうどいい頃合いを見計らって、何とかこっちは片付きましたって感じで顔だしゃいいさ。律儀にやってたら、命がいくつあっても足りねえよ」

 

 そう言って、頭の下で手を組む。

 

「あーあ、酒でも飲んでたら駄目かな?」

「そりゃさすがに拙いだろ。チョコレートならあるから食うか?」

 

 マルムヴィストは少し身を起こして、サキュロントの手から溶けかけたチョコのかけらを受け取り、口に入れる。

 部屋中に漂う血生臭さが鼻につき、せっかくの味もろくに味わえなかった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「やはり、おりますな」

 

 陽光聖典の男の言葉に、クレマンティーヌは頭をガシガシと掻く。

 

「どうするかねぇ……」

 

 そうつぶやき、彼女もまた壁のとっかかりに手をひっかけ這い上り、閉ざされた鉄扉の上に位置するステンドグラスの下端、透明なガラスがはめ込まれた箇所へ小さな鏡を差し出し、その向こうを覗く。

 ガラス越しにその鏡面に映し出されているのは、美々しい宮殿の建物と建物とをつなぐ白い大理石で作られた橋。その両脇には転落防止のためであろう腰の高さ程度の華美な装飾の施された縁が作られている。

 その中空に渡された絶景としか言いようのない回廊、今そこにはその美しい景色には到底似つかわしくないスケルトンやゾンビなど無数のアンデッドたちがたむろしていた。

 そして彼らが蠢くその先、この回廊の最奥、僭王コッコドールらがいるであろう玉座の間がある中央の建物へと続く扉の前に立ちはだかるのは、一体の死者の大魔法使い(エルダーリッチ)

 

 

 彼女らが王城へ侵入する際に集めた情報によると、王城内にいるであろう六腕と呼ばれる手練れの者の中に死者の大魔法使い(エルダーリッチ)がいるという。

 

「あれが『不死王』デイバーノックでしょうか?」

 

 遠目ながらも、そこに映し出されたアンデッドの姿をじっくりと観察する。

 肉を失った皮が骨にこびりついたようなその姿は、典型的な死者の大魔法使い(エルダーリッチ)のものであるが、特に目を引くのはその装備。

 身に纏ったローブやその手にしている杖は、あきらかに通常のものとは異なる、強大な魔力を持つ逸品である事は見て取れた。

 どう考えても、並みの死者の大魔法使い(エルダーリッチ)とは思えない。

 

 

 となると、やはりあれが、アンデッドでありながら人間社会の間に根を張る闇組織の中に潜り込み、さらなる魔術を極め、より強い力を得ることに腐心していたとされる死者の大魔法使い(エルダーリッチ)デイバーノックとやらであることに間違いはないだろう。

 おそらくあの装備も、八本指の一員として活動し、手に入れた金で集めたのだと考えれば不思議はない。

 

 

「どう致しますか?」

 

 扉を挟んで向こう側に位置し、彼女同様ステンドグラスの端から、扉の先にある橋の様子を眺めていた陽光聖典の男が問いかける。

 クレマンティーヌはそれに答えることなく考え込んだ。

 

 彼女の足元にある鉄扉。それは見るからに重々しく、たとえ蝶番に油を刺そうとも、開けたときに音を立てる事は予測できる。

 開ければ、その音に気づかれるは必至。

 向こうが気づかぬうちに接敵するというのは不可能である。

 

 次に問題となるのは、この虚空に渡された、二つの建物をつなぐ回廊。

 その端から端までは結構な長さがある。

 つまり、デイバーノックらしい死者の大魔法使い(エルダーリッチ)がいる向こう端までは、一息には辿り着ける距離ではない。この直線の通路を進むうちに、何度も攻撃魔法を打ち込まれるであろう。その魔法の雨をかいくぐって向こう側まで辿りつくことは容易ではない。

 しかも、橋の途中には低級ながらも、幾体ものアンデッドたちが待ち構えているのだ。当然、それらを打ち倒し、突破するのに時間がとられ、その間も次々と攻撃魔法が飛んでくるだろう。

 

 

 ――どうすべきか?

 

 

 まず考えられるのは、向こうは始めから姿を現しているため、この場から扉に身を隠した状態で延々攻撃魔法を飛ばし、打ち倒す事だ。

 

 しかし、クレマンティーヌはすぐに頭を振るってその考えを捨てる。

 相手は魔法に長ける死者の大魔法使い(エルダーリッチ)だ。そんな相手を遠距離から魔法攻撃だけで仕留めるなど、今いる陽光聖典全員で行えば可能かもしれないが、あまりに非効率的過ぎる。

 勝つことは出来るかもしれない。だが、僅かばかりではない時間、そしてMPを多大に浪費することは間違いない。

 彼女らの任務はここで終わりではない。この橋を突破するのはあくまで経過の一つであって、最終的な任務、目的ではない。

 この場で全力を使いきる訳にはいかないのだ。

 

 次に考えたのは、独りクレマンティーヌが武技を使い、一気にこの橋上を駆け抜ける事だ。

 彼女の本気の速さならば、数秒で死者の大魔法使い(エルダーリッチ)の許へと辿り着くことが出来る。

 おそらく、魔法を唱える余裕は一発分程度しかあるまい。

 それなりに幅はあるとはいえ、けっして広いとは言えないこの場で向こうの放った魔法を躱すことは出来ないだろうが、死者の大魔法使い(エルダーリッチ)程度の放つ魔法、その1発や2発くらいならば、たとえ直撃を受けたとしてもクレマンティーヌは耐え切れる自信がある。

 それに多少の怪我など、気にすることもない。今回は後ろに陽光聖典の者たちが控えているのだ。事が終わった後で回復魔法を唱えさせればいいだけである。

 そう考えれば、陽光聖典の者達は一旦ここに残し、彼女一人でカタをつけるのが最良の方法に思える。

 

 

 しかし――。

 

 

「だけど、やっぱ、罠だよねぇ」

 

 彼女は口元をゆがめる。

 

 どう考えても、あからさまだ。

 たとえ漆黒聖典において『疾風走破』とまで呼ばれる、素早さが身上のクレマンティーヌという存在が向こうにとって予想外だったとしても、このような一直線の橋上というシチュエーションにおいて、突進の可能性を考慮していないとは考えにくい。冒険者などが相手ならば、支援魔法で防御を固め、多少のダメージを覚悟で突っ込んでくる事は十分に予想できる。

 

 おそらく、途中でなんらかの足止めがある。

 罠か、それとも伏兵か。

 どちらにせよ、それに足を止めさせられれば、そこへ魔法の連打が叩きこまれる羽目になるだろう。

 

 

 やれやれと彼女は嘆息する。

 本当ならば、罠と分かっているところに踏み込むなど正気の沙汰ではないのだが、だからといってやらないという訳にもいかないのが宮仕えの辛いところだ。今更、裏切ってバックレるわけにもいかない。

 やっぱりあのまま法国に帰らなければよかったかもしれないという考えが頭をよぎるが、いまさら言っても仕方がない。

 

 クレマンティーヌはもう一度ため息をつくと、よっと声をあげて壁面から飛び降りると、今回、彼女の配下として動いている陽光聖典の者達を見回した。

 

「そうだねぇ。じゃあ、こうしようか……」

 

 

 

 ギイイッと音を立てて鉄扉が開く。

 その音に橋上にいたアンデッドたちが振り返った。

 

 そこへ空を切り、飛びかかる人影。

 炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)が振り払った燃え盛る剣により、近くにいたスケルトンたちは容易く打ち倒される。

 

 その後ろから現れるのは、隊列を組んだ白い衣服に身を包む人間たち。

 

 

 その姿を認め、橋の向こう、扉を背にした死者の大魔法使い(エルダーリッチ)が魔法を飛ばす。

 人の頭ほどの炎の塊が一直線に、回廊上に姿を現した人間たちの隊列に襲い掛かる。

 しかし、目標に着弾したところで爆発し、辺りを紅蓮の炎で包むはずの魔法は、なぜか何もない空中で爆発した。人間たちが作り出した魔力の盾に衝突したのだ。

 そこを中心として炎が荒れ狂う。

 だが、その熱波は、人間たちのすぐ手前に張られた、同様の魔力の盾によって妨げられた。

 

 

「よっし。じゃあ、前進」

 

 隊列の中央にいるクレマンテーヌの掛け声に、彼らは魔法の防御を前面に展開しつつ、隊列を組んだまま通路を直進する。

 

 

 クレマンティーヌが出した結論は魔法による防御を固めつつ、隊列を組んで前進し、地力で圧倒するというものだった。

 前列の隊員が少し前方に魔力の盾を作り、中段の隊員が前列の隊員のすぐ前に魔力の盾を作る。後列の者は炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)を召喚し、回廊上にいるアンデッドたちを物理的に排除するという、魔力はそれなりに消費するものの実に手堅い戦術だった。

 

 実際、幾度か打ち出された死者の大魔法使い(エルダーリッチ)の魔法は二重の魔法の防御により打ち消され、隊員たちに重傷といえるほどのダメージを与えることは無かった。そして多少のダメージは回復魔法で治してしまえる。また、スケルトンやゾンビなどのアンデッドでは彼らが操る炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)の前には敵しえない。

 

 

 そうして、じりじりと前進を続け、およそ橋の中央部へと差し掛かった時――。

 

 

 べちゃり!

 

 ――音が聞こえた。

 

 何か泥のようなものが固い壁にぶつかりでもしたような奇妙な音。

 その異様な音に前進を続けていた部隊は何の音かと周囲に視線を巡らせた。

 

 しかし、見た限り、そんな音を立てるものは橋上にはいない。

 その間も、ぐちゅりぐちゅりと音は続く。

 やがて、その音は回廊の脇から聞こえてくると知れた。

 

 

 べちゃり!

 一際高い音と共に、回廊の縁、それ自体が芸術品であるかのように削りだされた白い大理石の飾りの上に何かが載せられた。

 

 それは黄色い腐汁を垂れ流す肉塊。

 おそらくそれは手だったのだろう。そう判断したのは、それに引きずりあげられるかのように側面から姿を見せた、それから続くさらに巨大な異形の姿のため。

 

 

 その姿を見た、過酷な訓練を積み、様々な異形の怪物(モンスター)を目にしてきたはずの陽光聖典の隊員たちは(こら)えきれず悲鳴をあげた。

 思わず、その足が止まる。

 

 

 やがて、そいつはのそのそと回廊上へと全身を現した。

 まるで子供が泥をこねて人の形にでもしたかのような、ぶよぶよと膨らんだ短い手足を持つ奇怪な姿。全身を覆う膿胞は、そいつが身動きするたびにぶちゅぶちゅと音を立てて潰れ、悪臭を放つ厭らしい膿が、体中の肉瘤を伝って流れ落ち、石畳の上に垂れ流される。なぜか頭部と思しき場所辺りから一房の、明らかにその醜い身体にそぐわない美しい金髪がなびいているのが、また奇妙だった。

 

 先ほどから聞こえてきた奇怪な音は、こいつがその粘液まみれの身体で橋の側面に張り付きながら登ってきた時のものなのだろう。

 陽光聖典の者達はその醜悪な姿を前に身を凍らせ、風に乗って流れてくる悪臭に吐き気をこらえるのに必死であった。

 

 

 だが、そんな中でクレマンティーヌはにやりと笑った。

 

 

 ――こいつがあのデイバーノックの切り札だろう。

 足止め用の化け物。どんなに強くとも、たった一体しかいない。

 ここは地面よりはるか高い橋の上だ。ならば、足元への魔法の連打で、その鈍重な体を弾き飛ばし、橋から叩き落としてしまえばいい。

 たとえ、それで落とせなくとも、すでに部隊は橋を半ばほどまで渡っている。魔法であいつをわずかでも(ひる)ませてしまえば、その隙に自分が脇を駆け抜け、後ろのデイバーノックを始末してしまえる。

 

 

 クレマンティーヌは魔法攻撃を命令する。

 彼女の指示に従い、陽光聖典の者達は一斉に魔法を叩きこむ為、精神を集中させる。

 

 次の瞬間――。

 

 

 響いたのは、耳をつんざく破裂音。

 

 

 攻撃魔法が炸裂した。

 だが、それは彼らの目の前にいる人型の肉塊に対してではない。

 

 今まさに魔法を放とうとした陽光聖典の者たち、その隊列に対してである。

 

 

 

 突然の事に混乱する彼ら。

 大理石の床に倒れ伏すあちらこちらから、苦悶の呻き声が上がる。

 

 訳が分からなかった。

 デイバーノックがいる前方には変わらず魔法の盾を展開させており、その攻撃魔法が通るはずがない。それに見ていた限り、そいつは魔法を唱えた様子はなかった。

 

 陽光聖典の者達が右往左往する中、バッと振り返ったクレマンティーヌ。

 彼女は今の攻撃が後ろから来た事に気がついていた。

 

 

 見ると、先ほど彼らが通ってきた側の入り口から二つの人影が回廊上に現れた。

 彼らの背後で誰も触れる者もいないのに鉄の扉が音を立てて閉まり、そこに魔法による封印が張られる。

 

 その二つの人影。

 1人は全身を隙間なく全身鎧(フルプレート)で包んだ性別不明の人物。

 そしてもう1人は……。

 

 

「ははは。いいタイミングだったぞ。デイバーノックよ」

 

 先に橋の向こう側にいた死者の大魔法使い(エルダーリッチ)が、新たに現れたもう一体の死者の大魔法使い(エルダーリッチ)へと、満足げに声をかける。

 

 その言葉に新たな死者の大魔法使い(エルダーリッチ)は「偉そうに……」と忌々し気につぶやいた。

 

 

 

「は、挟み撃ちか……!」

 

 必死で回復魔法を唱える声が響く中、とにかく現状を打破しようと、陽光聖典の隊員の1人が、自らが使役する炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)を新手の2人に差し向ける。

 

 燃え盛る剣を片手に躍りかかる天使。

 しかし、振り上げたその剣が届く間合いに至る前に――その体は二つに断たれた。

 

 天使は血を流すことも断末魔の悲鳴を上げることもなく、飛んできた勢いのまま落下し、そのまま影も形もなく消え去った。

 

 何が起こったのかもいまだ理解できぬ彼らの前で、六腕の1人『空間斬』ペシュリアンは己が操る鋼糸にも似た剣を閃かせた。

 

 

 それと同時に、奇怪なカチャカチャという羽ばたきの音が辺り一面を包んだ。

 はるか脚下より、骨のハゲワシ(ボーン・ヴァルチャー)の群が彼らの上空へと舞い上がった。

 

 

 そうして、魔法攻撃が始まった。

 前方と後方、橋の両端に位置する2体の死者の大魔法使い(エルダーリッチ)が攻撃魔法を叩きこむ。

 

 

「防御だ。前方と後方、両方向に防御をはれ!」

 

 叫ぶ隊員の声。彼らは自分たちが罠にはまった事を理解した。

 負傷者を間に挟み、必死で魔法と薬とで治療する彼らの胸の内に絶望が押し寄せる。 

 

 

 そんな彼らの慌てふためく様子を見て、最初からいた死者の大魔法使い(エルダーリッチ)は満足げに頷き、嘲りの声をあげた。

 

「ははは。哀れな力なき者たちよ。愚かにも我が主たる至高の御方に刃を向ける愚か者どもよ。主に代わって、このイグヴァが、汝らに引導を下さん」

 

 


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