オーバーロード ~破滅の少女~   作:タッパ・タッパ

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 正直に言おう。
 バトルシーン飽きた。

2017/2/23 「もの」→「物」、「吐瀉物」→「嘔吐物」、「吹き出される」→「噴き出される」、「早く」→「速く」、「断末魔」→「断末魔の悲鳴」、「打たれた」→「討たれた」、「2者」→「二者」、「魔方陣」→「魔法陣」、「どう言う」→「どういう」、「向いた」→「剥いた」、「張られて」→「貼られて」 訂正しました
文末に句点がついていない所がありましたので、「。」をつけました
会話文の最後に「。」がついていた箇所がありましたので、削除しました。


第77話 戦闘―5

「くそっ!」

 

 悪態をつくクレマンティーヌ。

 こらえきれぬ吐き気に再び襲われるが、もはや胃の中に吐き出す物はない。だというのに喉の奥から、それでもせりあがってきた胃液を脇に吐きすてた。

 そうして口元を(ぬぐ)うその腕には、いくら拭っても拭いきれない、汚らしい粘液がねっとりとついていた。

 

 幸い、クレマンティーヌはある程度の毒を無効化するアイテムを保有しているため、こうして活動出来ているが、もしそれがなければ、なんらかの行動阻害効果を受けていただろう。

 そして、そのアイテムにより毒を無効化出来たとはいえ、この辺りに立ち込める悪臭までは無効化できない。もはや彼女の嗅覚は麻痺して久しいが、それでも胸の奥底から湧き上がってくる吐き気は(こら)えられない。

 

 

「くっそ! 化け物が!!」

 

 彼女は再び、湧き上がってきた胃液を吐き捨てる。

 その液体は、壮麗な白い大理石でできた回廊の上に飛び散った。

 本来であれば、それは眉を(ひそ)められてしかるべき行為であったが、もはやそこかしこが厭らしい黄色い膿によって汚されている現況を見れば、多少の嘔吐物がそれに上乗せされようとも誰も文句など言うまい。

 

 

 そうして、クレマンティーヌはもはや幾度目かになる突進を行った。

 足裏がねっとりとした粘液によって、絡めとられる。

 その動きが鈍る。

 だが、クレマンティーヌはそんな事お構いなしに、力任せに足を動かした。

 

 しかし、せっかくスピードに乗ったと思ったのに、今度は足元の液体はズルズルと踏み込む足を滑らせる。

 クレマンティーヌは悪態をつきつつ、その超人的な姿勢制御によって体勢を保ち、目の前に立ちふさがる汚らわしい怪物へと突っ込んだ。

 

 そこら中に飛び散る粘液の発生源たる、奇怪な肉瘤の化け物――レイナースは、片手剣をその手に握り、待ち構える。

 その口腔の奥から、豚の断末魔のような野太い叫びをあげた。

 彼女の喉の内側、膿を湧きだす腫瘍はそこにまでびっちりと連なっており、今や彼女はまともな声すら発することが出来ない。発声しようとすると喉内の膿胞が潰れることにより、黄色く(けが)れた膿が奔流となって吹き出される。

 

 クレマンティーヌは、その汚らしい粘液の滝をさっと身を躱して避けた。

 その際、飛び散ったしぶきが惜しみなく肌をさらした彼女の身体を汚す。だが、すでに彼女の身体の至る所にはレイナースの噴き出した汚穢が付着している。当初こそ、その膿がかかる事を忌避していたが、もはやいちいち気にも留めることもしなくなっていた。

 

 

 そうして、一息にその懐へ飛び込む。

 

 レイナースが片手剣を振るう。

 その一閃は、さすがは元帝国四騎士の1人が振るう剣技、まさしく一流と呼べるほどの斬撃であったが、漆黒聖典第9席次たるクレマンティーヌの身をその刃に捉えるには、一流程度では到底追いつかない。

 レイナースの剣が捉えたのは、クレマンティーヌの残像のみ。

 すでに彼女の身は宙を踊っている。

 

 雷光のような一撃がレイナースの身体を襲う。

 

 

 だが――。

 

 

「ええいっ! くそ!!」

 

 クレマンティーヌは彼女を捕らえようと振り回されるぶよぶよとした腕から飛びのき、着地と同時に後転して距離を取る。

 その際にも、床に撒き散らされたレイナースの身体から滴る粘液が、ねちゃねちゃと音を立て、彼女の身体に纏わりついた。

 

 その不快な感触に顔を歪めつつ立ち上がる彼女の前には、刺突を受けた傷跡からダラダラと膿を垂れ流しつつも、何ら変わりのない様子で立つ化け物の姿があった。

 

 

 

 先ほどから、何度も繰り返された光景。

 

 およそ周辺諸国、いや人類最速と言ってもいいクレマンティーヌの刺突。

 それは同様に刺突を得意とするマルムヴィストの一撃すらをも上回るものであったが、そんな攻撃がレイナースには通用しない。

 

 その原因は今、彼女の体を覆う、汚らしい膿を垂れ流す肉瘤。

 

 かつて彼女がその顔の右半分に受けていたものを増幅させ、いまやその全身をくまなく覆っている、醜悪なる呪いの腫瘍。

 その分厚い肉壁により、クレマンティーヌの持つスティレットの切っ先、それが彼女の身体の中心、人間として生きるに欠かせない重要器官まで届かないのである。

 

 いくら体の表面を突き刺し、孔を穿っても、この忌まわしき呪いの産物は瞬く間に再生する。

 もしそうでなければ、かつてその顔の表皮を抉りとり、回復魔法を唱えることでも容易く治癒していた事だろう。

 それを許さぬ強力な呪いは、いまや彼女を守る堅牢な防具と化していた。

 

 そしてさらに――。

 

 

「ええいっ!」

 

 悪態をつき、クレマンティーヌは必死でその手足についた膿をぬぐい、弾き飛ばす。

 

 

 レイナースの身体の膿胞は、彼女がわずかに身を捩るだけで裂け、そこからねっとりとした膿が流れ出る。

 当然、そこへ攻撃を仕掛けるクレマンティーヌの身にも、返り血ならぬ返り膿が飛び散る。

 

 

 その膿は鼻が曲がるような悪臭を放つが、もう一つ厄介な特性があった。

 

 

 クレマンティーヌは足を踏みかえる。

 床から足を持ち上げると、その靴底がぐぱあっと音を立てた。

 

 橋上に撒き散らされた黄色い液体はべたべたと粘つき、彼女の速度を奪う。

 その上、それはこれまで続いた戦闘によって次々と垂れ流され、幾層にも重なっており、踏み込みの際、その足元を滑らせる。

 それにより、速さが身上の彼女の利点が奪われてしまう事に繋がっていた。

 

 

 そして、クレマンティーヌがレイナース相手に苦戦している間にも、回廊の両端に控えた2人の死者の大魔法使い(エルダーリッチ)、イグヴァとデイバーノックの魔法が中央で防御陣形を取る陽光聖典へと叩きつけられる。

 

 反撃しようにも、遠距離からの魔法攻撃では埒が明かない。本来、魔法に長けた死者の大魔法使い(エルダーリッチ)には近接戦闘を仕掛けるのが上策なのであるが、前方のイグヴァは奇怪な肉人形のレイナースの後ろに位置している。後方はというと、こちらも長大な間合いと常人には見きれぬ剣閃を誇るペシュリアンがデイバーノックを守っており、どちらにも近づくことは出来ない。

 そして、彼らの上空には大量の骨のハゲワシ(ボーン・ヴァルチャー)が嫌がらせのように舞い飛び、時折攻撃を仕掛けてくる。その飛来するアンデッドを抑えるだけでも精一杯であった。一体一体は大したことはないとはいえ、とくに頑強な防具で身を守っているわけではない魔法詠唱者(マジック・キャスター)主体の集団内に飛び込まれでもしたら、現在のように拮抗している状態は容易く崩れてしまう。

 

 

 ――拙い。

 

 クレマンティーヌは口元をゆがめる。

 このままではジリ貧だ。こうしている今も、叩きつけられる攻撃魔法への防御と、それによって受けたダメージの回復で手いっぱいな状態である。

 死者の大魔法使い(エルダーリッチ)は人間と比べ、膨大な魔力を持つ。

 こちらの数が多いとはいえ、このまま防御を固めて、相手の魔力切れを待つ戦術は明らかに下策だ。

 

 

 かと言って、攻勢にも移れない。

 

 現在は、前後を挟まれたうえで挟撃を受けている状況だ。

 ならば前方か後方、どちらかを一時的に足止めしている間、他方に現有の戦力を集中させ、片方を一気に潰してから、もう片方を叩くというのが常道の策である。

 

 しかし、それをやるのも難しいのだ。

 

 召喚した炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)は、六腕の1人、『空間斬』ペシュリアンを牽制するので精一杯だ。こいつはなにやら鋼糸のようなものを振り回しているようだが、下手にその間合いに入れば、先ほどのように炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)とて、一撃で両断されてしまう。もちろん天使は再召喚してしまえば問題ないのだが、死者の大魔法使い(エルダーリッチ)からの魔法攻撃を防ぐのにも力を回さなければいけない現状で、数で押せるほど炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)を大量召喚は出来ない。

 

 イグヴァを守っているこの汚らしい肉人形、レイナースは遠距離攻撃は出来ないようだ。ならば空を飛べる炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)でその上空を飛び越え、イグヴァを強襲させるという手もある。

 だが、それをすると、目の前に相対する者がいなくなり、手隙となったペシュリアンが前に出て、回廊の中央で固まっている陽光聖典に襲い掛かるだろう。普通の八本指の者達ならいざ知らず、六腕の1人に数えられるほどの人物、あの変幻自在な攻撃の猛威に晒されれば、いかな陽光聖典者達とて耐えきれまい。そしてそこに空いた穴に情け容赦なくデイバーノックの魔法攻撃が炸裂するだろう。

 そうなれば壊滅は免れない。

 

 

 考えられる中で一番いいと思われるのは、炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)にレイナースを抑えさせ、その隙にクレマンティーヌが後方へと回り、ペシュリアンとデイバーノックを仕留める事だ。

 

 

 確かにペシュリアンは強い。

 アダマンタイト級冒険者に匹敵するという噂も間違いではないだろう。

 

 だが、あくまでその程度。

 人外の域に達した漆黒聖典たるクレマンティーヌと比せば、敵ではない。

 

 その身に受けたレイナースの粘液により、やや動きに支障があるとはいえ、その鞭先を掻い潜り、鎧の隙間に鋭い切っ先を突きたてるのは、難しい事ではないだろう。

 アンデッドであるデイバーノックに関しては、彼女の得意は刺突武器であるという関係上、生きた人間を相手にするのと比べ不得手であるが、それでも所詮は魔法詠唱者(マジック・キャスター)。肉薄してしまえば、予備武器のモーニング・スターでも十分倒しきれる自信はある。

 

 

 しかし、それをやるには、炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)がレイナースを抑え込めるという前提あっての事である。

 

 これまで何度もその身に攻撃を当ててきた感覚からしても、レイナースの耐久性はずば抜けている。いくら攻撃を当てても致命傷にまでは至らず、そして驚異的な回復力で瞬く間に傷が塞がってしまう。

 炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)の攻撃は、どう考えてもクレマンティーヌの攻撃には劣る。仮に炎の剣で傷口を焼くことにより、回復が出来なくなるのならばいいのだが、それは甘い希望でしかない。

 

 もし、炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)がレイナースを抑え込むことが出来なければ、先ほどペシュリアンが陽光聖典に襲い掛かることを懸念したように、あの肉塊が防御を固める陽光聖典の陣形に襲い掛かるだろう。彼女でさえ苦戦するあいつの攻撃の前に、陽光聖典が戦線を保てるとは思えない。クレマンティーヌがペシュリアンとデイバーノックを倒すのと、陽光聖典が壊滅するのはどちらが早いかという勝負になってしまう。

 

 

 一か八かの賭け。

 しかし、何もせず、このまま戦い続けていても、少しずつ戦力を削られ続けるだけである。

 

 クレマンティーヌは唇を噛み、のるかそるか、思い切って後ろのペシュリアンを狙おうと考え、振り払われたレイナースの剣を大きく飛びのいて躱した――いや、躱そうとした。

 

 

 べチャリ。

 彼女は尻餅をついた。

 背後に飛びのこうとしたその時、レイナースの撒き散らした粘液に足を取られ、後ろに倒れ込んだのだ。

 

 現状を打破するための様々な策を検討し、心ここにあらずといった形であったとはいえ、彼女らしからぬ失態である。

 幸いな事に、尻餅をついたことにより、レイナースの振るった刃は、腰を落とした彼女の頭上を通り、髪の先を揺らすにとどまった。

 

 しかし、偶然にも今の一撃は当たらなかったが、すぐに次の斬撃が彼女を襲うだろうという事は、容易く予測できた。

 

 慌てて立ち上がろうとするクレマンティーヌ。

 だが、その床についた手もまた、ぬるぬるとすべる粘液の上で踊る。

 彼女は思わず、呪いの言葉を吐いた。

 

 そんな立ち上がろうと苦慮しつつも、いまだに体勢を立て直せないでいる彼女に対し、レイナースはその巨体に見合わぬ俊敏さで距離を詰め、その剣を振りかざす。

 

 

 

 それが今、まさに振り下ろされんとした刹那、轟音が響いた。

 

 突然の事に驚き、気勢をそがれ、レイナースはその剣を振り上げたまま制止していた。

 彼女だけではなく、その場にいる誰しもが音のした方に目をやる。

 

 

 それはクレマンティーヌ及び陽光聖典の者達がこの空中回廊へと侵入するために通ってきた、今はペシュリアンとデイバーノックの背後にある扉からであった。

 今、その魔法で固く閉じられた鉄扉に、向こうから何か重いものが叩きつける音が連続して響いていた。

 

 その音を聞き、何が起こっているか悟ったイグヴァは嘲笑した。

 

「ふはははは。実に愚か。その扉は至高の主より賜った偉大な魔法を込めたアイテムによって封じられている。たとえ、どんな力自慢が腕を振るおうとも、どんな攻撃魔法を使おうとも、その封印された扉を破壊出来ようはずもない」

 

 そう高笑いを響かせた。

 イグヴァの言葉通り、その頑丈な鉄扉は魔法によって封じられている。

 それも普通の魔法詠唱者(マジック・キャスター)によるものではなく、ユグドラシル産のマジックアイテムによるものであり、この地の者の到達できる魔法技術、レベルでは到底解除など出来るようなものではない。

 

 

 

 そう、扉を開けることは不可能。

 

 しかし、扉以外ならば?

 

 すなわち――。

 

 

 

 ズン!

 破砕音が響いた。

 

 驚愕に皆が目を向ける先。

 この回廊への入り口のすぐ脇。鉄扉が据えられた宮殿の壁。

 今そこに掌が生えていた。

 

 

 扉自体は強固な魔法で封じられ、破壊する事もこじ開ける事も出来ない。

 破壊する事など出来ないのであるが――それを固定する門の方はというとごく普通の、堅牢な石造りでしかない。

 

 壁から突き出した掌が、向こうへと引き抜かれると、再び貫手がつきだされる。

 そうして削岩機のような音が連続して響き、瞬く間に扉の大枠である外側部分の石壁がくり抜かれた。

 ゆっくりと扉が手前へと倒れ、重い音を響かせる。

 

 

 濛々とたちこめる粉塵、その先にいたのは――。

 

 

「ゼロ! 貴様、裏切ったのか!?」

 

 全身に入れ墨を入れた禿頭の大男がそこにいた。

 彼の後ろからは『蒼の薔薇』のラキュースとティナ、そしてザリュースが姿を見せる。

 

 

「裏切った? そもそも、何を裏切ったというのだ? どっちにつくことが裏切ることになるのだ?」

 

 そう(うそぶ)き、どっかと腕を組むその立ち姿は堂々としたもの。強さに裏打ちされた深い自信と、ふてぶてしいまでの傲慢さを兼ね備えた態度。

 ここ最近の、八本指幹部の前で少女であるベルの暴虐にさらされ、自信を喪失していた姿とは全く異なる。

 

 六腕最強と言われた男、『闘鬼』ゼロがそこに立っていた。

 

 

 この直前に行われた、ラナーの寝室での戦いにおいて、ザリュースにより戦士として明確なまでの敗北を突きつけられたゼロ。

 彼は共に行くことを申し出た。

 かつての自分の怯え、その心胆にまで染みこんだ恐怖と向き合い、それを克服するために。

 

 

 

 自身が砕いた石片の中に倒れる、いまだ魔法で固く閉じられたままの鉄扉。ゼロはそれに足をかけると勢いよく蹴り飛ばした。

 凄まじい質量の塊が宙を舞う。

  

 特に武技などを使ったわけでもないため、その鉄扉は回転しながら緩やかな放物線を描いて落下する。

 ペシュリアンとデイバーノックの2人は、自分たちに向かって飛来する巨大な塊に一瞬、慌てたものの、特に労することもなく、その飛来する鉄塊から身を躱した。

 

 だがそれにより、わずかながらゼロに対する対処が遅れた。

 そのわずかな時間を稼ぐことがゼロの目的であった。

 

 

 ゼロの全身に刻まれた入れ墨が光を放つ。

 動物の霊魂がその身に宿り、爆発的な力が肉体にあふれかえる。

 

 かつてのボスが、彼の切り札であるシャーマニック・アデプトの能力を使った事に気がついたペシュリアンは、即座に動いた。

 デイバーノックを守るように前へ踏み出し、空間斬を放つ。

 

 

 放たれる、文字通り空間を切り裂くような一閃。

 それに対し、ゼロは臆することなく、正面から突進した。

 

 その身を両断するかに思われた横薙ぎの斬撃。

 しかし――ゼロは瞬間、這う程に身を低くして、その下を潜り抜ける。

 そして突進の勢いそのままに、低い姿勢から力を込めたロシアンフックを放った。

 

 

 その巨大な拳が、ペシュリアンの胸部を捉える。

 

 通常、鎧の正面胸部というのはとても強固な部位だ。面積がある事、稼働する必要がない事、肩でその重量を支えられる事、そして相対した敵の攻撃を最も受けやすい箇所である事から、必然的にその箇所こそ最も防御力が高いという事になる。

 

 しかし、ゼロの一撃をその身に受けたペシュリアンの全身鎧(フルプレート)、その胸部は飴細工のようにぐにゃりと、彼の拳の形に大きく歪んだ。

 

 

「ぐはあっ!」

 

 肺から絞り出すような声をあげ、ペシュリアンは弾き飛ばされた。

 大の大人、それも重い金属製の全身鎧(フルプレート)を身につけたその体が、軽々と宙を飛ぶ。

 

 

 飛ばされた先にあったのは、回廊の欄干(らんかん)

 

 この中空に渡された橋にはそこを渡る者の転落防止の為、華美な装飾の施された縁が作られている。

 ただ、あるにはあるのだが、それはせいぜいが人の腰ほどの高さでしかない。

 弾き飛ばされたペシュリアンの腰部分が勢いよく欄干へと衝突した。彼の身体はそこで大きく回転し、その身は何の手掛かりもない中空へと投げ出された。

 

 悲鳴と共に、その全身鎧(フルプレート)がはるか脚下へと消えていく。

 

 

 その様を前に、デイバーノックは発動しようとしていた足止め用の補助魔法を発動することなく握りつぶし、慌てて〈飛行(フライ)〉を使った。

 

 ゼロの攻撃力は恐ろしい。その拳を我が身に受ければ、戦士ではないデイバーノックは一撃で消滅させられかねない。

 しかし、ゼロの得意はあくまで近接攻撃。

 遠距離攻撃の手段には乏しいという弱点がある。

 その為、ゼロの手の届くことない、上空へと舞い上がったのだ。

 

 

 だが、敵はゼロのみではない。

 

 

「射出!」

 

 ラキュースの声と共に、彼女の周りに滞空していた〈浮遊する剣群(フローティング・ソーズ)〉が上空に逃げたデイバーノックへと打ち出された。

 

「ぬおっ!」

 

 速くともその軌道は直線的。

 デイバーノックは空中で身をそらし、襲い来る金色の刃をやり過ごした。

 

 そこへ、ティナもまた幾重にも手裏剣を連射する。

 無数に飛び来る刃であったが、それはあくまで牽制程度のものでしかない。たとえ当たっても大した威力を持たない。

 デイバーノックは魔力の障壁を目の前に作り出した。

 キン、キン! と音を立て、手裏剣がデイバーノックの眼前では弾き落とされる。

 

 そして魔法による防御を行いつつ、お返しとばかりに彼の得意とする攻撃魔法を叩きつけようとした。

 

 

 だが、思いもよらぬ衝撃が彼を襲った。

 彼のその骨に皮が纏わりついただけの身体を貫く、剣があった。

 驚いて視線を下ろす彼の胸元から伸びる幅広の切っ先。

 その刃は赤く燃え立つ炎に包まれていた。

 

 

 炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)

 その陽光聖典によって召喚され、操られる上位天使の手にする剣には、炎の属性が付与されている。

 

 すなわち、アンデッドの苦手とする炎である。

 

 

 先ほどティナは、死者の大魔法使い(エルダーリッチ)であるデイバーノックには、当たっても大したダメージを与えることもない手裏剣を連射した。あれは新たに現れたゼロ及び『蒼の薔薇』に気を取られているデイバーノックの背後をつこうとした、炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)の動きを悟られないようにするための牽制であったのだ。

 

 

 デイバーノックはその身をよじり、自らの身体を貫く刃を抜き、逃れようとする。

 しかし、燃え盛る剣を持つ上位天使はそれを許すはずもない。

 

 そして、もがくデイバーノックの目に飛び込んできたのは、一度打ち出され躱された後、再び使用者のもとへ戻り、今一度さらなる攻撃を仕掛けんとしている、所有者であるラキュースの名を一段と広めることとなっている有名な武器、〈浮遊する剣群(フローティング・ソーズ)〉であった。

 

「射出!」

 

 再度の指示により打ち出された、空を切り裂く剣の群れ。

 それらは、炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)の燃え盛る剣に貫かれ、身動きの取れないその身体に次々と突き刺さった。

 

 断末魔の悲鳴をあげる(いとま)すらなく、デイバーノックは塵と化した。保有していたアイテムがばらばらと橋上に撒き散らされる。

 

 

 

「後方は片付いた! 防御を前方に回せ! 骨のハゲワシ(ボーン・ヴァルチャー)どもを始末しろ」

 

 挟撃の形となっていたうちの片方、六腕のペシュリアンとデイバーノックは共に討たれた。背後をつかれる心配のなくなった陽光聖典たちは、前後両方に展開していた防御魔法を最初と同様、前方へ二重に展開する。そうして、デイバーノックを打ち倒し、自由となった炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)たちは上空の骨のハゲワシ(ボーン・ヴァルチャー)たちの掃討に移る。

 

 

 

 情勢は一転した。

 

 狼狽えるイグヴァ。

 

 

 これまで、彼らは回廊の中央に位置する敵を前後、そして上空から包囲していたため、圧倒的な優位の下に戦う事が出来た。

 だが、新たに現れた援軍により、敵戦力が増強されたのみならず、後方から敵の背後をついていたはずの者達が打ち倒されてしまった。上空の骨のハゲワシ(ボーン・ヴァルチャー)たちは魔法詠唱者(マジック・キャスター)に対する牽制程度にしか役には立たない。

 全戦力がこちらに集中した場合、前衛であるレイナースがあの全てを抑え込めるかというと疑問が残る。

 

 

 そして彼の視線の先には、ペシュリアンやデイバーノックの結末には心動かされることもなく、中央に固まる陽光聖典の者達の脇を抜け、自分めがけて突っ込んでくる影がある。

 それは全身を黒い鱗で包み、光り輝く武器を手にした蜥蜴人(リザードマン)

 

「イグヴァ! この佞悪(ねいあく)にして奸邪(かんじゃ)たる輩めが! 死してなお、生者に対するいわれなき妬みに妄執するアンデッドめが! 地獄の奥底でおとなしくしておらず、冥府の縁から彷徨い戻ったか!!」

 

 駆けながら怒声を発するその目は憤怒に燃えている。

 ザリュースの目からでは、アンデッドの区別はつけづらいが、それでもこいつの姿だけははっきりと分かる。

 

 燃え盛る家。倒れ伏す人々。絶望に支配されたあの村の光景。

 

 それは今もザリュースの瞼にしっかと焼きついていた。

 

 

 だが、対して言われたイグヴァは微かに小首をかしげた。

 

「ふむ。お前はもしやあの時の蜥蜴人(リザードマン)か? 実に愚か。生きながらえた命、おとなしくどこかで身を縮こまらせ、大切にしておればよいものを」

 

 憎々し気に言い放ち、その手に握る魔法の杖を掲げる。

 

 

 当然ながら、死者の大魔法使い(エルダーリッチ)であるイグヴァは白兵能力には劣る。

 彼が生み出されて(のち)、幾度も下された主からの命。そして、それをこなした褒美として、自身の能力を伸ばすマジックアイテムをいくつも授けられてはいるのではあるが、それはあくまで魔法詠唱者(マジック・キャスター)としての能力を活かし、補うものである。作成したアンデッドの能力を強化するアインズの特殊技術(スキル)、及びマジックアイテムによってその肉体能力は、並みの死者の大魔法使い(エルダーリッチ)とは格段に異なるが、それでもこの場に集う一級の戦士たちと近接戦闘で闘えるかというと、首を横に振らざるを得ない。

 

 しかし、出来る出来ないの問題ではない。

 イグヴァはこの場を守れと命じられたのだ。

 主からの命令は、彼の偽りの生命よりも重い。

 そうせよと命ぜられたのであれば、そうせねばなるまい。

 

 

 向かってくるザリュースへと、イグヴァが杖の先を向ける。

 魔力が先端につけられた赤い宝珠に集まり、そこに赤い炎の弾が生み出される。

 

 打ち出された〈火球(ファイヤーボール)〉。

 その魔術の炎めがけて、彼は〈凍牙の苦痛(フロスト・ペイン)〉を振り下ろした。

 

氷結爆散(アイシー・バースト)!」

 

 叫び声と共に発せられた冷気が、橋上に叩きつけられる。

 〈火球(ファイヤーボール)〉の火種は巻き起こった冷気とぶつかり、一瞬にしてその場において霧氷と業火が絡み合うように荒れ狂う。

 そして、二者の効果は相殺され、掻き消えた。

 

 

 幸いにしてザリュース、そしてイグヴァはその相反する力の対消滅による奔流に巻き込まれることは無かったものの――。

 

 

「―――――!!」

 

 レイナースは苦痛の呻きをあげながら、その身を震わせる。身体の表面を覆う炭化した表皮や凍りついた膿を、同様に焼け焦げ、霜の降りた指で掻きむしり、ボロボロと剥がす。

 先ほど、イグヴァの〈火球(ファイヤーボール)〉は、その途上で氷結爆散(アイシー・バースト)によって打ち消された。そこで起きた炎と氷の乱流は、ちょうど2人の間にいたレイナースの身体を巻き込んでいたのだ。

 

 

 自身の指先によって、むしり取られる固形化した肉瘤。

 それを見て勝機を見出したクレマンティーヌは、床に広がる凍り付いた粘液の上を走る。

 

「おい、蜥蜴人(リザードマン)! 今のをそいつにもう一発!」

 

 その声に、意図は分からぬものの、1日3度しか使えぬ大技を惜しみなく放つザリュース。

 

 

 再度、広がった冷気の奔流。

 今度は〈火球(ファイヤーボール)〉によって消滅されることは無く、蜥蜴人(リザードマン)の四秘宝たる〈凍牙の苦痛(フロスト・ペイン)〉の能力、氷結爆散(アイシー・バースト)本来の猛威を振るった。

 

 苦痛の声を発するレイナース。

 その声と共に口から吐き出される膿も、凄まじいまでの冷気によって凍り、地へと落ちる。彼女の身体を流れる膿も、同様に凍りついた。

 

 

 そのタイミングを狙って、クレマンティーヌがつっかける。

 

 荒れ狂う冷気はいまだ完全には収まらず、範囲内に侵入した彼女の肌を裂く。その身に付着していたレイナースの粘液が凍りつき、走る度にパリパリと音を立てて剥がれ落ちる。

 

 だが、彼女はそんなものには頓着せずに腰のスティレットに手をやった。

 それは彼女の虎の子のマジックアイテム。

 流れるような動作でそれを引き抜き、苦痛に身悶えつつも反撃の刃を振るうレイナースに向かう。繰り出された斬撃を大きく跳躍して飛び越えると、その膨れ上がった巨躯にスティレットを深く突きたてた。

 

 

 それだけならば、これまで幾度も行われ、そして無駄に終わった攻防でしかない。

 クレマンティーヌは、これまで何度もレイナースの身体を貫いたが、彼女にダメージを与えることは出来なかった。

 

 

 だが、今回はこれまでとは違った点がある。

 

 

 一つは氷結爆散(アイシー・バースト)によって、レイナースの肉体が硬く凍りついている事。

 そして、もう一つは――。

 

 

 クレマンティーヌは柄の付近までスティレットが刺さり、切っ先がその身の深くにまで突き立った事を確認すると、武器に込めていた魔法を解放した。

 

 肉の奥底まで差し込まれた、その切っ先。

 そこで〈火球(ファイヤーボール)〉の魔法が炸裂した。

 その衝撃で、レイナースの固く凍りついていた分厚い肉の壁が内側から爆散する。

 

 それまではねっとりとした粘液と弾力ある肉壁に覆われていたため、ほぼあらゆる攻撃がその奥まで届くことは無かった。

 仮に刃で傷をつけたとしても、魔法を叩きつけたとしても、その身の、正確には全身に付着している腫瘍の凄まじいまでの再生能力により、瞬く間に傷跡一つもなく元通りに戻ってしまう。

 その為、保有していた攻撃魔法を込めたスティレットもおいそれと使う訳にはいかなかった。込められた魔法は一度解放したら、再度込め直す必要がある。確実に効果があると見込めるならともかく、効果が不確かな状況で使用し、それで失敗したら、切り札を無駄にした事になってしまう。それ故、絶対に仕留める事が出来るという確信が持てるまで、使用する訳にはいかなかった。

 

 

 だが、放たれたイグヴァの〈火球(ファイヤーボール)〉をザリュースの氷結爆散(アイシー・バースト)が打ち消した時、その冷気がぶよぶよと弾力のあるレイナースの肉体を凍りつかせたことで、確信が持てた。

 

 

 今、体の内側で爆発した〈火球(ファイヤーボール)〉によって、レイナースの肉体の表面を覆う腫瘍は膿胞と共に弾き飛ばされ、大きく(えぐ)れたその奥に、引き締まった赤黒い筋肉が覗いている。

 そこへクレマンティーヌは、更にもう一本、スティレットを突きたてた。

 そして込められていた〈雷撃(ライトニング)〉を解放する。

 放たれた電撃はこれまで分厚い呪いの腫瘍に包まれ守られていた、レイナース本来の肉体を駆け巡った。

 

 ビグンビグンとその身が震える。

 やがて、レイナースはゆっくりとその場に倒れ伏した。

 

 

 

 自らを守る前衛であるはずのレイナースが打ち倒されたのを見たイグヴァは、切り札を使うことを決断した。

 もはやなりふり構ってはいられない。

 この回廊から先には進ませるなという命令。それが為、最終手段をとることにした。

 

 主より授けられた魔法の杖を振るい、呪文を唱える。

 すると、中空に光放つ魔法陣が描かれ、そこに恐るべき魔力が集まり始めた。

 

 

 その光景を見たザリュースは足を速める。

 何をするかは分からないが、何やら恐るべき魔法を使用するつもりのようだ。

 だが、彼がいるところからイグヴァまではまだ距離がある。

 

 旅の途中、『蒼の薔薇』の面々から聞いたが、死者の大魔法使い(エルダーリッチ)は冷気に対して耐性があるらしい。残り1回となった氷結爆散(アイシー・バースト)を使っても足止めにもなるまい。

 

 必死で足を速める彼であったが、イグヴァの方が早かった。

 回転していた魔法陣は光の残像を残して収縮し、魔法の杖の先端に青白い魔力の球を作る。

 

 

 ――間に合わない……!?

 

 冷や汗を流すザリュースの耳にゼロの声が届いた。

 

「ザリュース、そこで跳べ! 後ろから押す。踏み台にして一気に行け!」

 

 その言葉に、口元に笑みを浮かべ、頷くザリュース。

 次の瞬間、ゼロの放った拳、そこから発せられた衝撃波が、背後からザリュースの許へと襲い掛かる。

 だが、ザリュースはその場で跳躍すると、両足でその衝撃波を蹴った。

 弾き飛ばされた勢いのままに大きく飛ぶザリュース。

 

 

 それにはイグヴァも虚をつかれた。

 慌てて魔法を放とうとする。

 だが、そこへ攻撃魔法が雨あられと叩きつけられた。

 

 

 魔法を放ったのは陽光聖典の者達。

 なんらかの魔法を使おうとした死者の大魔法使い(エルダーリッチ)に対し、亜人ではあるが味方である蜥蜴人(リザードマン)が肉薄するまで、何とか時間を稼ごうとしたのだ。

 

 陽光聖典の者達が使った魔法は第一位階や第二位階など初歩的なものが多く、魔法防御力の高い 死者の大魔法使い(エルダーリッチ)、特に強力なイグヴァには蚊に刺されたようなものでしかない。

 

 だが、イグヴァが一瞬なりともそちらに意識を向けた事により、生じた隙。

 

 その一瞬を逃さず飛び込んだザリュースは、〈凍牙の苦痛(フロスト・ペイン)〉の切っ先を全身の体重をかけて振り下ろす。

 それは狙いたがわず、イグヴァの頭部に突き立った。

 

 

 のけぞるイグヴァ。

 その杖の先から魔法が放たれるが、それは誰もいない橋上へと叩きつけられるにとどまった。

 

 

「……お、おおぉ……」

 

 呻き声をあげつつ、その偽りの生命が消滅していく。

 イグヴァは直接、負のエネルギーを注ぎこもうとその手をあげる。

 しかし、その身体に有効射程まで近づき、撃ち出されたラキュースの〈浮遊する剣群(フローティング・ソーズ)〉が次々と突き刺さる。

 

 

「……ば、ばかな……こ、この私が……。……申し訳ありません……アインズ様……」

 

 イグヴァは最後の力を振り絞り、懐から一つの宝玉(タリスマン)を掴むと、それを橋から放り捨てた。

 そうして、かつて英雄を夢見た男から作られたアンデッドは、ようやく永遠の眠りにつくこととなった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「やったわね、ザリュース」

 

 駆け寄るラキュース。

 その顔には一先(ひとま)ず、戦闘が終わったことによる安堵の笑みが浮かんでいる。

 

 だが、そんな彼女の言葉に対し、ザリュースは心ここにあらずといった(てい)だった。

 

 

「ば、ばかな……アインズ様だと? たしか、お付きの者達は、ゴウン様の事をアインズと呼んでいた……なぜ、あいつがゴウン様の事を……。いったい、いったいどういう事だ? いや、そもそもゴウン様はイグヴァを倒したとおっしゃられていた。それが、なぜ……なぜ、あいつが生きていたのだ……?」

 

 

 呆然としたまま独り言ちるザリュース。

 そして、彼は弾かれたように声をあげた。

 

「おい、ゼロ!」

「ん? なんだ?」

 

 離れた所にいたゼロが振り向く。

 

「聞きたい。お前は確か……その八本指とやらの集会に乗り込んできた者、人間のメス……少女によって敗れたと言ったな?」

「ああ。あれは敗れたというより、一方的に痛めつけられたといった有様だったがな」

 

 その時の事と正面から向き合うとは決めたものの、やはり思い返したその記憶に苦い顔をするゼロ。

 そんなゼロに対し、何やら緊張した面持ちで息をのみ、さらに問いかけるザリュース。

 

「その少女というのはどのような姿をしていたのだ。……そうだ! 名前は分かるか?」

「名前か? ああ、そいつの名前は……」

 

 

 その時――。

 

 

 ――ビシリと音がした。

 

 言葉を切って振り向くゼロ。

 その視線の先にあったもの、それは――。

 

 

「なっ……! ま、まさか……崩れる……!?」

 

 ヴァランシア宮殿の建物と建物を、地上遥か高くで繋ぐ橋。

 その壮麗にして頑強であるはずの大理石の回廊の床に、ヒビが走っていた。

 

「まさか、あの時の……イグヴァの最後の魔法っ……!!」

 

 ラキュースは顔をひきつらせた。

 

 

 そう。

 あの時、イグヴァが行おうとした、彼の最終手段。

 それはこの空中回廊を崩してしまおうというものだった。

 ザリュースや陽光聖典らの行動に驚いたのは事実であったが、あの魔法は最初から向かってくるザリュースを狙ったものではなく、足元の橋めがけて打ち出すはずのものだったのだ。

 

 

 全員の視線の先で、再び硬質の音が響く。

 すると、回廊の中ほどにおいて、生じた亀裂の端から、ぼろぼろと橋が崩れ落ちていく。

 

 

 それを見て、全員総毛だった。

 

「く、崩れる……橋が崩れるわ! 皆、急いで脱出しましょう」

 

 その声に、戦闘で疲労しきっていた身体にむち打ち、回廊を渡りきろうと走り出す皆。

 

 

 しかし――。

 

「おい! 扉が開かないぞ!」

 

 橋を渡りきったものの、そこから宮殿内へとつながる鉄扉にはこちらも反対側と同様に、魔法による封印がされており、びくともしなかった。

 

「まさか、イグヴァが最後に放り捨ててたアイテムって……」

 

 封印をしたのであれば、当然ながら解除するアイテムも存在する。侵入した全員の殲滅を完了したのちにそれを使い、各所の封印を解くはずだった。

 そして、その為のアイテムを渡されていたイグヴァは、自らが死する瞬間、それを橋の外へと投げ捨てていた。

 

 

 慌てて縁へと歩み寄り、はるか下方を見回すが、目も眩むほどの高さがあるこの場から、投げ捨てられた手のひらサイズのアイテム1個など探せるはずもなく、仮に探せたとしても手に入れる術はない。

 反対側はゼロによって入り口そのものが破壊されているが、そちらに戻ろうにもすでに橋の半ばは崩れ落ち、飛び越えることなど出来はしない。

 そうしているうちにも、崩落する亀裂の幅は見る見るうちに大きくなり、少しずつ彼らの許へと近づいてくる。

 

 

 その時、ふとラキュースの脳裏に名案が浮かんだ。

 

「ゼロ! さっきのアレをやって! 扉の横の壁を壊せばい……。なっ!? ゼロ、後ろ!!」

 

 振り返ったラキュースの目に飛び込んできたのは禿頭の大男、その背後にて立ちあがった、全身の肉が焼け焦げ、引き攣り、よろよろと歩み寄る、不気味な肉人形の姿。

 すでに死んだと思われていたレイナースは、まだ息があったのだ。

 

 

 切羽詰まったラキュースの声に、ゼロは振り向きざま、もはやかろうじて人型であると認識できるほど異形の姿と化したレイナースの事を殴りつける。

 

 しかし、その振りぬかれた拳は、レイナースの肉瘤の中にズブリとめり込んだ。

 氷結爆散(アイシー・バースト)によって凍り付いた肉体はすでに溶け、先にクレマンティーヌが苦戦した弾力ある肉体を取り戻していた。その拳が突き立った孔からは、黄色い膿がじゅくじゅくと湧き、触れたゼロの皮膚を侵す。

 

 

「ぬううぅぅっ!?」

 

 声をあげつつ、己が身に纏わりつく肉塊を引っぺがそうとするゼロ。その身にしがみつく、もはや理性がどれだけ残っているのかも定かではないレイナース。

 その足元に亀裂が走った。

 

「ゼロ!!」

 

 助けようにも、助ける術はない。

 ゼロとレイナースは、共に回廊の崩落に巻き込まれ、はるか地上へと落ちていった。

 

 

 

 その光景に誰もが呆然とした。

 今いる橋の崩落から逃れる術、出口である扉が固定された壁を破壊できるゼロがいなくなってしまったのだ。

 

 その場にいた全員の心に絶望が渦巻く中、何やら小袋を抱えたティナが扉の前に陣取り、その袋をひっくり返した。

 ジャラジャラと何やら細かな物、アイテムや装身具の類が床にばらまかれる。

 

「何よ、これ?」

「さっき、デイバーノックが消滅した時に落っことしたアイテム。もしかしたら、この中に、同じような解除アイテムがあるかも」

 

 言われて、ハッとした。

 確かに、回廊に面する扉に仕掛けられた封印はどちらも同じような効果をもつアイテムの産物のようだ。

 ならば解除アイテムも共通かもしれない。

 

 回廊の奥の扉を守っていたのはイグヴァで、手前の扉を守っていたのはペシュリアンとデイバーノックだった。そのどちらかが同じようなものを持っていてもおかしくはない。

 だが、2人の内、ペシュリアンはゼロに殴り飛ばされ、橋の下へと落ちた。当然、持っていたアイテムは手に入らない。

 もし、そのアイテムを保有していたのがペシュリアンの方だったとしたら……。

 

 

「そうだな。今はまず、この中から探してみよう」

 

 その言葉に全員這いつくばり、床にばらまかれたアイテムに目を凝らす。

 ほどなくして、クレマンティーヌが声をあげた。

 

「んーと。これじゃない? さっき、イグヴァとかいう死者の大魔法使い(エルダーリッチ)が放り捨ててたのも、こんな感じの宝玉(タリスマン)だったよね」

 

 彼女が拾い上げたのは、確かに先ほど、一瞬だけ目にしたものによく似ている。

 

「まあ、とにかく使ってみましょ」

 

 ラキュースは宝玉(タリスマン)を受け取り、扉の前に立つと、それを掲げて込められた魔力を解放する。

 すると、鈍色の鉄扉を覆っていた魔力の波動は、掻き消すように消え去った。

 急いで門を開け、転がるように宮殿内へと飛び込んだ。

 

 彼らのすぐ背後まで迫っていた崩落。

 それは幸いにして、その橋のみにとどまり、宮殿部分まで波及することはなかった。

 

 

 

 誰もが安堵の息を吐くその中、呆然とした様子で、かつて天上の美とも呼ばれた空中回廊があった場所を眺めるラキュース。

 その肩にザリュースが手を置く。

 彼女の瞳に涙がにじむ。

 

 

 ゼロは敵であった。

 情状酌量の余地もない悪人であり、かつては何とかして成敗してしまいたいと思っていた。

 そんな彼と、どういう因果か肩を並べて戦う事となった。

 その時間は本当にごくわずかであったが、彼は間違いなくラキュースの仲間であったのだ。

 

 

 その抜けるように白い頬に涙を流すラキュースに対し、扉の縁から下を見下ろしていたティナが声をかける。

 

「落ち着け、ボス。ゼロは生きてるかもしれない」

 

 その言葉に驚き、彼女の顔を見る。

 ティナは崩れ落ちた橋、その下を指さす。

 

「あそこの屋根だけど、黄色い筋が見える。あの肉塊の化け物が垂れ流していたのと同じような感じの。たぶん、橋のど真ん中で落下したんじゃなくて、その端、宮殿ギリギリの地点から落下したから、下にある建物とかにぶつかって落ちていったんだと思う」

「……じゃあ、生きてるの?」

「さあ、それは知らない」

 

 身もふたもない事を言う。

  

「でも、生きてる可能性も高い。あいつは飛びぬけて頑丈だったし、修道僧(モンク)は軽業も身に着けていることが多い。案外、ピンピンしているかも」

 

 ティナの言葉に、ラキュースの顔に生気が戻ってくる。

 その様子を見て、ザリュースが声をかけた。

 

「しかし、今からゼロを捜しに行くのは止めておいた方がいいな。そちらに時間を取られている間に、この街を支配した人間に逃げられかねん。お前の目的は、なにより、そのコッコドールとやらを倒すことだろう? まずはそちらを優先させることだ。なに、ゼロの方は後回しにしても問題あるまい。あいつはキャリオンクロウラーに追突され、踏みつぶされても生きていそうなオスだぞ」

 

 ザリュースの言葉に、思わず吹き出してしまう。彼が冗談交じりに自分を慰めようとしている事に、彼女は気がついた。

 そして、ラキュースは自分の両頬をパンと手でたたくと立ち上がった。

 

「ええ、そうね。行きましょう。私たちがやるべきことは、先ずこの王都をめぐる混乱を解決すること。簒奪者コッコドールを仕留めるわ。皆、あと少しだけど、力を貸して!」

 

 意気よく発せられた言葉に、その場にいた皆は拳をあげた。

 陽光聖典の者達も含めてである。

 その場で同調せず、冷めた目でいたのはクレマンティーヌただ一人であった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 靴音を響かせることもなく、ランタンのわずかな明かりを頼りに、のしかかるような暗闇に包まれた通路を進む一団。

 誰一人言葉を発する者もいないが、暗闇の中、警戒しながら進むその動きに乱れはなく、よく訓練された部隊である事が見て取れた。

 

 ふと、前方を行く者が足を止め、耳を澄ませた。

 他の者達もそれに倣う。

 

 黒髪を足まで届くほどに伸ばしたその男は、片手をあげ、その指先で指示をする。

 続く者達は無言のまま頷き、陣形を組み替えた。

 そして、すぐ脇の壁、漂う湿気によりじっとりと湿った感触のする石積みの一つに手を当てると、それを深く押し込んだ。

 微かな擦過音と共に、その一部分だけが奥へと沈む。すると、その壁がゆっくりと開き、秘密の通路が現れた。

 

 その隧道を前に、手で合図すると、漆黒聖典の隊長は陽光聖典の者達を引き連れ、奥へと進んでいった。

 

 

 

 ここはヴァランシア宮殿地下にある地下通路だ。

 彼ら王宮への突入部隊はごくわずかな貴族のみが知る秘密の通路を使い、王城ロ・レンテへの潜入を果たした。火急の際はその通路を通り、王族が市外へと脱出する手はずとなっている脱出用の通路を逆に使ったのである。

 

 だが、王族が住み、国家としての政務が執り行われるヴァランシア宮殿は王城の更に内側に建てられた建物であり、王城とは直接、繋がってはいない。

 それこそ国家として万が一の事態が起こった場合、秘密の脱出路がある王城へ、いったいどうやって、人目に触れず移動するのか?

 

 その答えが、彼らが今、通っている地下通路。

 つまり、ヴァランシア宮殿から王城ロ・レンテまでもが、秘密の通路で繋がっているのだ。

 

 この通路の存在は、ラキュースなどのような高位貴族ならば知っている王城から城外への通路と異なり、完全に王族のみにしか知られていない、まさに秘中の秘である。

 しかし、そんな徹底的な情報管理がされた秘密の通路であったが、スレイン法国上層部はその通路の存在を知りえていた。

 

 国を出る前にそれを知らされていた漆黒聖典の隊長は、共に王城に潜入した者達にすら伝えることなく、自らが率いることとなった部隊を引き連れ、その通路を辿っていた。

 

 

 やがて、登り坂の隧道を黙々と歩いてきた彼らは再び立ち止まった。

 暗い洞窟、その眼前に扉が現れたのだ。

 

 扉の表面に刻まれた装飾に似せた可動部を定められた手順で動かす。

 すると、その扉は音もなく横へと動いた。

 その先にあるのは吊り下げられた服の波。

 どうやらウォークインクローゼットの中らしい。服を掻き分けながら進み、その先にあった両開きの扉を押し開ける。

 

 

 その先にあった光景に、隊長は目を剥いた。

 

 

 そこは宮殿の一室。

 おそらく、王族が使う控えの間だろうか? 質素ながら、品の良い壁紙が貼られているものの、壁際に置かれたついたて(・・・・)や背もたれのない椅子などの他は、調度品もない広い空間。

 

 だが、彼が驚いたのはその部屋の内装ではなく、そこにいた2人の人物。

 

 

 1人は美しい金髪を縦ロールに巻いた肉感的なメイド。

 そして、もう1人は……。

 

 

「ベルさん……」

 

 ずっと心のうちに引っ掛かっていた少女の姿をそこに認め、漆黒聖典の隊長は声を漏らした。

 

 

 


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