オーバーロード ~破滅の少女~   作:タッパ・タッパ

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2017/3/10 「ラナー」→「ラキュース」 訂正しました
「純繰りに」→「順繰りに」、「現していた」→「表していた」、「大切なもの」→「大切なものを」、「強力」→「強大」、「1人」→「一人」 訂正しました
会話文の最後に句点がついていた所がありましたので削除しました


第79話 宴の終わり

 カッ、カッ、カッ。

 

 鋲の打たれた靴底が大理石の通路を規則正しく叩く。

 

 かつては荘厳なまでの威容を誇っていたヴァランシア宮殿。

 塵一つなかったその廊下であったが、今やそこかしこにすっかり乾き、こびりついた血の跡がそのまま残されており、かつてこの場において行われた蛮行の痕跡をまざまざと見せつけていた。

 

 

 そんな通路を一団が走る。

 先頭を行くのは白銀と金で作られた、あたかも芸術品のように美しい鎧を身につけた『蒼の薔薇』のリーダー、ラキュース。それに続くのは同じパーティーメンバーであるティナ。そして蜥蜴人(リザードマン)のザリュースに、本来は彼女たちと敵対する事の多いスレイン法国に所属する漆黒聖典第9席次『疾風走破』クレマンティーヌ。そして、白い布地でその顔を隠す、同国の陽光聖典の面々といった集団であった。

 

 

 彼らは走る。

 この惨劇をもたらした張本人が待つであろう、その場所。

 

 ヴァランシア宮殿、玉座の間へと。

 

 

 

 正面に巨大な両開きの扉が見えた。

 表面には、かつての十三英雄が魔神を打ち倒し、世界を救った場面が彫刻されている。

 その見るだけで心動かすような情感をもたらすであろう飾りでさえも、まるで中に控えている者達からの嘲弄(ちょうろう)としか思えなかった。

 

 

 躊躇うことなく、勢いよくその扉を開け放つ。

 

 彼女らの足元から、一直線に敷かれた赤絨毯。

 その先に据え付けられたリ・エスティーゼ王国の玉座。

 そこには一人の中年男が腰かけていた。

 

「ひ、ひいっ!」

 

 情けない声を発する、僭王コッコドール。

 彼は、玉座の上で部屋に入ってきたラキュースらの視線を一身に浴び、身震いした。

 

 

 この玉座の間には彼以外にも、彼に協力していたと思しき役人や八本指の者達もまた集まっていた。

 だが、彼らは自分たちが担ぎ上げた王の事を守ろうともせず、玉座のその向こう側で怯えながら身を小さくして並んでいた。

 

 

 ラキュースはそんな彼らの怯えの視線が集まる中を、不意の襲撃に警戒しつつも、一直線に玉座へ向かう。

 

「ま、待って! 待ってちょうだい!」

 

 がたがたと歯の根も噛みあわぬほど身を震わせるコッコドール。

 頭の上にかぶった王冠が、ずるりと傾いた。

 

 ラキュースは燃えるような意思を、その奥底に(たた)えた瞳で彼を見る。

 

「コッコドール……。あなたが引き起こした、無残にして非道極まりない状況。この王都であった惨劇。全てを終わらせるわ」

「ち、ちが……違うのよ。私じゃないの。わ、私はこんな事……」

 

 子供がいやいや(・・・・)するようにぶんぶんと頭を振って、否定の言葉を口にするコッコドール。

 しかし、ラキュースは問答無用とばかりに、魔剣キリネイラムを振りかざした。

 

 

 

 ズン!

 

 その刀身が突きだされる。

 黒い刃は防具など身に着けていないコッコドールの薄い胸板をたやすく突き抜け、その体を玉座の背もたれへと縫い付けた。

 

 

 耳に障る甲高い断末魔の声。

 

 コッコドールは苦痛と恐怖に歪む目で、己が胸に生えた黒い刀身を見下ろす。それを引き抜こうとするかの如く、震える両手を持ちあげる。

 

 だが――。

 

 

「ふん!」

 

 ラキュースが手首をひねると、突き立った刃が肉と骨を抉る感触がした。

 肺腑から絞り出されたような声が、彼の口、いや喉から漏れた。

 

 

「そ、そんな……」

 

 そうつぶやくと、彼の首ががくんと落ちる。

 

 

 

 そうして、現王コッコドールは呆気なく崩御した。

 

 

 

 ラキュースの双眸から涙がこぼれる。

 これで今回の王都の悪夢は終わったのだ。見るに堪えない地獄の惨状から、ようやく王国は救いだされたのだ。

 

 被害が出た。

 取り返しのつかぬほどの被害が。

 彼女は瞼の裏に、かつての友人である王女の在りし日の姿を思い浮かべ、涙を拭った。

 

 

 

 

 そんな涙に濡れる彼女の瞳、そのすぐ前にあるコッコドールの(かし)げた頭。そこから王冠が滑り落ちた。

 それは、ひときわ高く床で音を立て、そのまま白い大理石が敷き詰められた床上を転がっていく。

 

 

 やがて、その王冠は小さな、ピカピカに磨かれた革靴へとぶつかり止まった。

 

 

「やれやれ。酷い事するなぁ」

 

 そう言って足元の、リ・エスティーゼ王国の王にのみ被ることを許された王冠――本物はエ・ランテルにいるランポッサ三世の所にあるため、これは予備のものだが――を拾い上げる。

 

 その場の者達は、いつの間にやら現れた少女に、驚きと困惑の視線を向けた。

 そんな彼らの態度など気にも留めずに、少女は玉座の後ろで身を震わせる、新政権に協力していた者達に目をやった。

 

「さあて、コッコドールは死んじゃったから代わりがいるねぇ」

 

 食事の最中、フォークを床に落としてしまったので別のものに取り換えなければとでもいうような気楽な口調でそう独り()つと、少女は自分に対して怯えの瞳を向ける者達に、人差し指を向ける。

 

「だ・れ・に・し・よ・う・か・な。て・ん・の・か・み・さ・ま・の・い・う・と・お・り」

 

 ピタリとその白ユリのように白くほっそりとした指先が制止する。

 にんまりと笑い、その手の王冠、一国の王の地位を示す代物であり、これを頭に据える権利をめぐって幾多の暗闘、語りつくせぬほどの悲劇をも引き起こしたものを、まるで頓着する様子もなく無造作に放り投げた。

 それが放られた先にいた男は、ぶよぶよとした贅肉をゆらしながら、慌ててそれを両手で受け止める。

 

「じゃあ、スタッファン。お前がこれから王様な」

「へ、へひっ……!」

 

 突然告げられた言葉に、情けない声を出すスタッファン。

 対して、彼女はすでに興味も失ったかのように、視線を動かした。

 

 

 その視線に射すくめられ、ラキュースはキリネイラムを握りしめ、息をのんだ。

 突然、玉座の間に現れた人物。南方で着用されるというスーツ、それも男物を身につけた少女。武器を手にした者達、強面の者達が集まるこの場において、まったく物怖じもしないどころか、ふてぶてしいほどの表情を浮かべる彼女をどう扱っていいのか、判断つけかねていた。

 

 戸惑いを隠せぬ者達の中、ザリュースが「ベル様……」とかすれた声でつぶやいた。

 

 それを聞き、ラキュースは目の前の彼女こそが、アインズ・ウール・ゴウンの仲間としてカルネ村を救い、エ・ランテルにおいて裏社会を牛耳ったギラード商会と関係も深い謎の人物。少女ベルであると確信した。

 

 

「……あなた、エ・ランテルでティアと会ったベルって子なのよね?」

 

 その問いに、「うん」と頷くベル。 

 隠そうとすらせずに、なんでもない事のように答えた少女に、皆、唖然とした表情を浮かべた。

 

 

 そんな彼女らの事をベルは面白そうに眺める。

 順繰りに動いていたその視線が一点で止まった。

 

 その視線の先にいた者――クレマンティーヌは、自分の姿を認め、細まった少女の瞳に(おのの)いた。

 

「やあ、クレマンティーヌじゃないか。エ・ランテルで生きながらえて、帝都でも取り逃したみたいだから、いつ君を始末できるかと気をもんでいたんだ。また会えて嬉しいよ」

 

 そう言うと、虚空からその小柄な体躯には明らかに見合わぬ鎚鉾を取り出す。

 少女に標的としてロックオンされた事に気がついたクレマンティーヌの脳裏に、法国の儀式魔法によって思い出させられた、かつてエ・ランテルで少女と対峙した時の記憶が甦り、抑えきれぬ怖気(おぞけ)がその身を襲った。

 

「い、いや、あのさぁ。ちょ、ちょっと待……」

 

 ブン!

 空を切り裂き、投げつけられた鎚鉾。

 それは狙いたがわず、言葉を紡ぎかけたクレマンティーヌ、その顔面に深く突き立った。

 

 

 たったそれだけで。

 スレイン法国の切り札たる漆黒聖典、その第9席次まで登りつめた彼女は一瞬にして絶命した。

 

 

 

 血しぶきをあげ、後ろにどうと倒れるクレマンティーヌの身体。

 手足はビクンビクンと激しく痙攣し、不意に訪れた死に抗議するかのように、いまだその身に内包する生命の残滓の存在を表していた。

 

 

 およそ、この場まで辿りついた面々の中で、最も強者であるのはクレマンティーヌである事は疑いようのない事実である。

 〈浮遊する剣群(フローティング・ソーズ)〉や魔剣キリネイラムを装備し、蘇生魔法すらも使いこなす神官戦士ラキュースといえど、純然たる強さにおいては漆黒聖典たるクレマンティーヌには及ばない。それはティナといえど同様であり、そしてザリュースや陽光聖典の面々などにおいては言わずもがな。

 そんなクレマンティーヌが容易く、そして為す術もなく一瞬で命を奪われた事に、彼女らの身に戦慄が走った。

 

 

 ラキュースは顔面にぶっすりと鎚鉾が生えているクレマンティーヌから視線を外し、恐怖から割れそうになる声を、必死で抑えて、目の前の少女を問いただした。

 

「どういう事? あなたは一体、何者なの? この王都での一件、あなたが関係しているの?」

 

 その問いに、ベルは面倒くさそうに頭を掻いた。

 その態度はたった今、人を一人殺した後とは思えぬほど。

 少女は「あー、もう一回、こっちでも一から説明しなきゃならないのか」と誰に聞かせるでもなくぼやいた。

 

「うん、そうだよ。こいつらを使って、王都を乗っ取ったのがボク達」

 

 悪びれもせず、そう答える少女をあらためて、まじまじと見る。

 コッコドールの身体から魔剣を引き抜くと、ラキュースは警戒の色もあらわに、その剣先を男物のスーツに身を包んだ銀髪の少女に向ける。

 彼女の後ろでは、ここまで共に来た仲間たち、ティナにザリュース、そして陽光聖典たちが同様に武器を構える。

 

 

 

 それに対して、ベルは愉快気な笑みを浮かべたままだった。

 しかし、ラキュースはその目の奥に邪悪な、この世に生ける者とはまったく異質なものを見出した。

 

 

 先鞭をつけたのはティナ。

 威力よりも速度を重視し、絶対に見えぬ動きで毒を塗った棒手裏剣を投擲した。

 

 

 しかし――。

 

 

「はあっ?」

 

 思わず、ティナが声を漏らす。

 彼女が投げつけた常人では視認することすら叶わぬはずのその飛来物、それも一つだけではなく、その陰に隠れるよう放った2投目まで、少女は難なくその手でしっかりと掴みとったのだ。

 

 ラキュースが〈浮遊する剣群(フローティング・ソーズ)〉を射出する。 

 陽光聖典が炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)を召喚し、けしかけると同時に、攻撃魔法の雨を降らせる。

 ザリュースのみはどうしていいのか分からず、〈凍牙の苦痛(フロスト・ペイン)〉を手にしたまま、立ち尽くしていた。

 

 

 しかし――。

 

 

「な、なによそれ……!?」

 

 高速で打ち出された〈浮遊する剣群(フローティング・ソーズ)〉は、少女のそのたおやかな手で、いともたやすく弾き落とされた。

 幾重にも降り注ぐ攻撃魔法は、彼女の身に触れる寸前で全て掻き消えた。

 燃え盛る剣を振るって襲い来る炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)へは、先刻、ティナが投げつけ、その指に掴み取った手裏剣を逆に投げつけた。毒をのぞけば大した威力もないはずの棒手裏剣、それは天使の身体に突き刺さる。一瞬の魔力の暴走音と共に、天使の身体は掻き消す様に消え去った。

 

 それだけにとどまらず、その体を貫いた手裏剣ははるか高き天井に吊るされ色とりどりの光を降り注がせているシャンデリアを直撃した。衝撃にその国威を示すほど巨大な照明具は、大きく揺れる。その拍子にその凄まじいまでの重量を支えていた金具が壊れ、シャンデリアが落下した。

 

 その真下、玉座の真ん前にいたのは当のラキュースたち。

 皆、慌てて身を投げ出し、落下するシャンデリアから飛びのいた。

 

 

 轟音と共に地面が揺れる。〈永続光(コンティニュアル・ライト)〉のかけられた無数の宝石が衝撃によって砕け、キラキラと宙を舞った。

 

 

 やがて重みによってヒビの入った大理石の床に手をつき、苦痛の呻きと共に、緩慢な動作でその身を起こす。幾人か骨を折った者はいたようだが、幸いにも死者はでなかったようだ。

 そうして彼らは立ち上がると、追撃しようともせずにただ悠々と立つ少女に対し、悍ましいものでも見るような目を向けた。

 

 彼女たちはおよそ人間の住まう領域たるこの近隣諸国においても、確実に一目置かれるほどの実力者の集まりである。

 だが、そんな彼女らの攻撃など蟷螂之斧に過ぎぬように、まるでただの児戯であるかのように、鎧袖一触に扱われたのだ。

 

 彼女らの眼前には、何事もなかったかのように、腕を組んで不敵に笑うベルの姿。

 一見、虫も殺せぬような可憐な少女に為す術もなくあしらわれ、ラキュースは屈辱に歯を噛みしめながらも言葉をかけた。

 

「あなた、エ・ランテルにいたのよね? 今のエ・ランテルの現状は知ってるの? あの町は今、強力なアンデッドに囲まれて、王国軍が閉じ込められているわ」

「知ってるよ。よりにもよって、その包囲で街の出入りが出来なくなっているところに、街に備蓄されていた食料があらかた無くなってしまって大騒ぎさ。しかも今は、普段はいない軍隊が逗留しているから、もうてんやわんやの大騒ぎだよ」

「え? 食料が!?」

 

 ラキュースとしても、アンデッドの出現により、エ・ランテルで王国軍が足止めされている事は知っていたものの、街の食料が無くなっていたなどという情報は初耳であった。

 

「ちょ、ちょっと待って! 食べ物がないって、どういう事よ」

「きっと管理の仕方が悪かったんだろうね。エ・ランテルの食糧庫で大量に虫が湧いて、そこに収められていた食料があらかた食べられてしまったんだよ」

「じゃ、じゃあ、今、あの町の人たちはどうしてるの? エ・ランテルには王国軍の兵士二十万がいるのよ」

「そりゃあ、無いなら在るものでなんとかするしかないじゃない。持っている人から食料を分けてもらう『集団での説得(・・・・・)』とかが頻繁に行われているみたいだよ。まあ、それに……」

 

 少女は怪しげに笑った。

 

「食料そのものは、街にたくさんあるからね」

 

 その答えに、ラキュースは目をぱちくりさせた。

 

「? どういう事? たしかエ・ランテルは、基本的に食料のほとんどは他の町や村からの輸入で成り立っていたから、都市内で生産とかも出来ないはずだけど」

「いやほら、王国は帝国に攻め込むつもりでエ・ランテルに兵士を集めたじゃない」

 

 そう教えられても、ラキュースはさっぱり意味が分からないと首を傾げた。

 

「え? その戦争の為にかき集めた兵士が貯める糧食が無くなったんじゃないの?」

「うん、そうだよ。無くなったのはその糧食」

「だから、どういう事よ」

 

 さっぱり意味の分からない会話に、ラキュースの言葉に苛ついたものが混じる。

 だが、そこまで聞いたところで、ティナはその答えを察した。

 

「……つまり、帝国との戦闘に備えたんで、エ・ランテルでは食料が増えた。およそ二十万人」

「うん、だから、その二十万人の食べるものが……」

「ボス。一つ所で孤立し、食料が無くなった集団がやることといったら……」

「え? ……まさか……!?」

 

 ようやくラキュースもまた言外の意味を悟った。

 つまり――。

 

「……食べているって事……? ……人間を」

 

 たどり着いた答えに絶句するラキュース。

 そんな愕然とした表情の彼女を前に、ベルはケラケラと笑った。

 

「あははー。もう街は大騒ぎだよ。隣にいた奴が自分を食べるために襲ってくるかもしれない。自分はそんな隣人から身を守りつつも、自分が飢え死にしないためにも、隣の人間を殺して食べなくちゃならない。醜い人間関係の縮図って感じで、見せ物としては最高だね。いやー、『どうしても、自分には食べることはできない』とか言っておきながら、隣で別の人間が他人を殺して食べ始めたら、そいつの目を盗むようにして肉の切れ端をかすめ取って食べて、もう後は我先にと死体に齧りつくんだもん。亜人は人間を食べるとかいっておいて、自分たちだって食べてるんだから、亜人を殺すんなら人間も殺さないとだめだね。差別はんたーい」

 

 そんな事を語りながら、茶化すように陽気に笑う少女に対し、その場にいた全員、ラキュースを始めとした王宮の奪還を目的として突入してきた者達だけではなく、悪逆非道という言葉の見本たる八本指の者達ですら、その背筋に寒気を覚えた。

 

 

 そんな少女をラキュースはきっと睨む。

 

「あなたは何をそんなに笑っていられるの? あなたはギラード商会と関わりがあるのよね? エ・ランテルを拠点としていたその組織と。自分の活動拠点が蹂躙されたっていうのに、何がそんなに楽しいの? あなただって、あの街にいたんだもの、友人や知り合いだってエ・ランテルにいるでしょう? そんな人たちが筆舌に尽くしがたい苦境に立たされているというのに、どうしてそんなに笑っていられるの?」

 

 ラキュースは身体を駆け巡る(いきどお)りのままに、言葉を紡ぐ。

 

 

 ベル。

 この少女について詳しい事は知らないが、どうやらかなりの権力を持つ存在のようだ。

 ならばなぜ、その力を自分の街を守る事に使わなかったのか?

 どういう訳だかオークやトロールにも号令を下せる立場らしい。

 ならば、その亜人たちの力を借りることが出来ていれば、今、エ・ランテルを襲っているアンデッドたちにも対抗出来たかもしれない。困った時に手を貸し、共に肩を並べて戦えば、人間と亜人たちとの関係もより良いものに出来たかもしれないのに。

 なぜ、この少女はそういった事を一切やらずに、自分の街を捨てて、別の土地、この王都を地獄へと追いやったのか。

 

 

「どうしても何も、おかしいから笑うんじゃない。いやあ、時間をかけて積み上げたものが壊されていくところを見るのって快感だね」

 

 悲痛なものを込めたラキュースの訴えであったが、対するベルはそう(うそぶ)いた。その声には罪悪感も後ろめたさも、一欠片(ひとかけら)さえも込められてはいない。

 

「……あなたはそれをやった人間に――人間じゃないかもしれないけど――、アンデッドを送り込んで街を封鎖して、自分の拠点をめちゃくちゃにした相手に復讐したいと思わないの?」

「復讐もなにもねえ」

 

 ベルはその華奢な肩をすくめた。

 

「そっちをやったのもボク達だし」

 

 広間にどよめきが走る。

 

「エ・ランテルを取り囲んでいるアンデッドたち。それを指示したのもあなただってこと!?」

「そうだよ」

「……まさかとは思うけど、今、帝国で暴れているビーストマン。あれもあなたが関わってるいるの?」

「うん。あっちもだね」

 

 事もなげに言うベル。

 もはやラキュースの心はその奥深くまで、怒りなどという言葉では収まらぬほどの激昂に支配されていた。

 

「ふざけるんじゃないわよ! 今すぐ、全部やめさせなさい!!」

「うーん、そうは言ってもなぁ」

 

 ベルは頭の上で腕を組んだ。

 

「ボクの一存じゃあ、何とも言えないね。ボクらの組織、そのトップに言ってくれないとー」

「じゃあ、私が直接言ってやるわ! そのトップとやらをここに連れてきなさいよ!!」

 

 

 

 

「だってさ。どうしよっかー、アインズさん」

 

 

 

 

 バンと扉が開け放たれる。

 

 全員の視線が集まる中、そこから姿を現したのは……。

 

 

「……え……? モ、モモンさん……」

 

 

 漆黒の全身鎧(フルプレート)に身を包んだ堂々たる体躯。

 肩からは深紅のマントを翻し、背には2本の大剣(グレートソード)背負われており、その胸元にはアダマンタイトのプレートが揺れている。

 

 

 突然、この場に現れたアダマンタイト級冒険者、『漆黒』のモモンに誰もが言葉を失った。

 

 特にラキュースとティナの驚愕は底知れぬほどであった。

 彼女らは2週間ほど前まで、はるか遠い帝国の地で共に肩を並べて、襲い来るビーストマンと戦っていたのだ。

 そして、彼女たちが王都を目指す際、彼は彼女たちの誘いを断り帝国にとどまる事を選んだ。

 

 そんな彼が一体なぜこの場へ?

 いったいどうやって?

 

 

 疑問が頭の中で渦巻く中、つかつかと歩きながらモモンは言った。

 

「すまんが止めることは出来んな」

 

 発せられた答えに呆気にとられる面々の前で、モモンはその頭を覆うフルヘルムに手をかけた。

 

 

 

 その行為にハッと息をのむ。

 

 モモンの素顔は誰も見たことがない。

 口さがない者達により、あれこれと話が流れているが、それはどれも噂の範疇を超えるものではない。行動を共にしていた『蒼の薔薇』の者達ですら、彼がその兜を脱いだところはおろか、その面頬をあげて飲食しているところすら見たことはない。

 

 

 彼は両手で兜を掴み、幾度か頭をゆすると、ゆっくりとそれを外した。

 

 

 

 そうして現れた、『漆黒』モモンの謎に包まれた素顔。

 

 

 そこにあったのは雪花石膏(アラバスタ―)のように白いしゃれこうべ。その眼窩の奥には、およそこの世の生命あるもの全てを妬み、憎むかのような鬼火の光。

 

 

 

 そして、彼が手を振るうと、その異名の由来ともなった漆黒の全身鎧(フルプレート)が消え去った。

 その下から現れたのは、禍々しいまでに豪奢な飾りの施された漆黒のアカデミック・ガウン。大きく胸元が開いたその隙間から垣間見えるのは、人間の胸骨と怪しげなまでに光る謎の球体。

 

 

「あらためて自己紹介しよう。私はアインズ・ウール・ゴウンという。私こそがナザリックの支配者にして、総責任者であると認識してもらいたい」

 

 

 

 突如、現れたモモン。

 そして明かされた正体。

 常に鎧に包まれ、隠されていたその下にあったものは恐るべきアンデッド。

 

 

 誰もが身じろぎ一つできず立ち尽くす中、よろよろと前へ出たものがいる。

 

「ゴウン様……」

 

 かすれた声でつぶやくザリュース。

 

「い、いったい……いったい、これはどういうことなのですか? 私は先ほど、村を襲ったアンデッドの首領、死者の大魔法使い(エルダーリッチ)のイグヴァを倒しました。あやつは最後の瞬間、あなた様の名を口にしておりました。いや、そもそも、イグヴァはあなた様が打ち倒されたのではなかったのですか? いったい……いったい何がどうなっているのですか……?」

 

 問われたアインズは、かぶりを振った。

 

「あれは……悲しい出来事だった。いくつかの、情報伝達の齟齬により生じた不幸な事故だった」

 

 そう口にするアインズ。ザリュースは虚ろな様子で首を振るう。

 

「……う……」

 その体が細かく震える。

 

 ――……悲しい出来事? ……不幸な事故?

 

「……うううぅぅ……」

 固くその歯を噛みしめる。

 

 ――そんな、そんな言葉で……。 

 

「……う、うわあぁぁっ!!」

 

 ――そんな言葉で、あの惨劇を言い表すのか! 虐殺を片づけるのか!?

 

 

 吠え声と共にザリュースは〈凍牙の苦痛(フロスト・ペイン)〉を振りかざし、アインズに突進する。

 しかし――。

 

 

「〈即死(デス)〉」

 

 唱えられた一つの魔法。

 駆けていたザリュースの身体は、不意に糸が切れたかの如く、その身を投げ出すように冷たい大理石の床の上に転がった。

 

 

 

「そんな……酷い! 旅の途中で聞いたわ。彼は……彼は本当に、あなたに感謝し、崇敬していたのに!」

 

 その言葉に、アインズは悲しそうな声で言った。

 

「ああ、そうだな。彼には可哀想な事をしてしまった。ザリュースについては記憶を消したうえで生き返らせ、今後、平穏に過ごせるよう取り計らおう」

 

 

 およそ周辺諸国でもラキュースを始めとして、わずかな者しか出来ぬはずの秘術、死からの蘇生。

 それだけではなく、アダマンタイト級冒険者である彼女ですら聞いた事もない、記憶を消すという魔法をも容易く使用することを確約したアンデッドに対し、ラキュースは叫んだ。

 

「あなたは……あなたは人の命をなんだと思ってるの! あなたは凄い力を持っているかもしれない。とんでもない魔法を使えるかもしれない! でも、生き返らせてしまえばいい。記憶を消してしまえばいい。それで済むと思っているの! 生きとし生けるものすべてにとって、大切なものを踏みにじって、人の人生を思うがままにもてあそんで! それが……それが楽しいとでもいうのっ!?」

 

「あははははは!!」

 

 アインズの代わりに、ラキュースの慟哭にも似た叫びに答えたのは、ベルの甲高(かんだか)い狂笑。

 

「人の命、記憶、人生。うん、そうだ。大切だ。人が生きていくうえで必死に生きていく意味を探して、そして縋りつく拠り所だね。あはははは! そう、大切だ。どれも大切だ。あはははは!」

 

 壊れたような笑いが玉座の間に響き渡る。

 

「そんな大切なものを! 自分の好き勝手に(もてあそ)んで! それで楽しくない訳がない!!」

 

 ゲラゲラと嘲弄し笑うベル。

 その脇でアインズの眼窩の奥底に灯る光がたじろいだように揺れた事にも気づかぬまま、彼女は笑い続けた。

 

 

 

 そして、そんなやり取りはもう聞きたくないとばかりにかぶりを振ると、アインズは前へと踏み出した。

 

「さて、すまないが、時間は有限だ。これ以上話す必要もなかろう」

 

 そう言って悠然と間合いを詰める、邪悪にして凶悪極まりないアンデッド。

 それに対し、ラキュースにティナ、そして陽光聖典の者達。必死の思いでこの場までたどり着いた彼女らは身構える。

 

 

 しかし、彼女らに振るわれたのは無慈悲なまでの強大な魔法の力。

 

 

「〈範囲拡大(ワイデンマジック)魔法抵抗難度強化(ペネトレートマジック)眠り(スリープ)〉」

 

 魔法使いとしてはごく初歩の魔法。

 しかし、抵抗に失敗すれば、それは致命的なまでの効果を生み出す。

 

 そして、アインズの圧倒的なまでの魔力によって発動され、なおかつ強化されたその魔法は、一瞬にして彼女らを無力化させた。

 

 決死の思いを胸に秘めながら、彼女らは一矢報いることすら出来ずに、その場に倒れ伏した。

 

 

 後に残ったのはアインズとベル。

 そして頭では理解していたものの、直接、目の前で振るわれた桁外れの力に恐れ慄き、言葉もなく立ち尽くす、新政権の中枢にしがみつき利権をむさぼる人間達。

 

 

 本当はどちらを片づけるべきだったかと煩悶しつつ、アインズは倒れ伏した者達の許に歩み寄ると、その腕に黒い鱗の蜥蜴人(リザードマン)の遺骸を抱え上げた。

 

「では、ベルさん。私は戻ります。こちらの事は……」

「ええ、こっちは任せてください。ちゃーんと、始末をつけておきますよ」

 

 そう言ったベルに、何か言いたげな視線を向けたアインズであったが、かぶりを振ると、彼女に背を向けた。

 

「では、こちらはお願いします」

 

 そう言うと、アインズは〈転移門(ゲート)〉の漆黒へと姿を消していった。

 

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

 

 

 

《……ザリュース》

 

 ――ぅ?

 

《……ザリュースよ》

 

 ――ええい、誰だ?

 

《……目を覚ますがいい、ザリュース!》

 

 その冷水のように頭に染み渡る声によって、彼の意識は再び浮かび上がる。

 

 

 

「はっ……!!」

 

 水の奥底から這いあがったかのように、荒々しく、幾度も呼吸するザリュース。そんな彼が落ち着くのを、側に立つ者は急かすことなく待った。

 

「大丈夫か? 意識ははっきりしているか?」

 

 そう声をかけるのは、まるで泣いているかのようなマスクで顔を覆った、偉大なる魔法詠唱者(マジック・キャスター)

 

 

「ゴ、ゴウン様……? ここは一体?」

 

 目が覚めたのはただ黒一色の部屋。そこにザリュースは一人寝かされており、その傍らにアインズが、こちらもただ一人で立っていた。

 不思議そうに周囲に目をやるザリュースに対し、アインズは優しく語りかけた。

 

「落ち着け。お前は今、甦ったばかりなのだ」

「甦った?」

「そうだ。お前はカルネ村を離れ、世界を旅する内に命を落としたのだよ」

「なっ……!」

 

 驚いて仰向けに倒れ伏していたその身を起こす。

 あわてて胸などに手をやるが、触感からすると何も変わった様子はない。どこにも痛みは感じる所はないし、また己が手足に欠損などもない。

 

 

 ザリュースが死を経験するのは2回目である。

 1度目は村を襲ったイグヴァとの戦いにおいて。

 そして2度目といわれたが――それは、まったく彼の与り知らぬ所であったようだ。

 一体なぜ死んだのか、必死で記憶を手繰るが――。

 

「思い出せない……」

 

 どういう事だろう?

 確かに以前イグヴァに殺され蘇生したときも、クルシュに言われるまで、しばらく死の瞬間の記憶があいまいであったのだが……。

 

 

 その時の事を思い返し、ザリュースは心の奥の熾火が再び燃え上がるのを感じた。

 

 ――イグヴァ。

 

 あの故郷を滅ぼした憎むべきアンデッド。

 あの時の燃え盛る光景は、永遠に彼の記憶から薄れゆくことは無いだろう。

 

 だが、すぐに襲ってきた虚無感が、その胸の火を消し去った。

 

 ――イグヴァはもういない。

 このゴウン様によってすでに討伐されてしまっている。

 いくら憎んでも、もはや仇を討つことすら出来はしないのだ。

 

 

 

 そんな怒りに震えたかと思うと、またすぐ気落ちしたように肩を落とし、乱高下する精神に振り回されるザリュース。

 その様子にいささか不安なものを感じつつも、とりあえずは大丈夫そうだと安堵の息を吐いた。彼を甦らせた仮面の魔法詠唱者(マジック・キャスター)から先ほどまでの、事の正否、その行く末を固唾をのんで見守っていたかのような緊張の雰囲気は消え去った。

 

 アインズはあえて忖度(そんたく)するようなそぶりを見せずに、声をかけた。

 

「さて、ではザリュースよ。行くとしようか」

 

 その言葉にザリュースは顔をあげる。

 

「行く? どこへ?」

 

 それには答えず、アインズは魔法を使う。

 すると、その眼前に揺らめく漆黒が現れた。

 

 それはザリュースにも分かった。これは、この仮面の魔法詠唱者(マジック・キャスター)が使用する魔法による転移の門だ。

 

 躊躇うことなく、アインズはその漆黒の中へと足を進めた。

 それを見て、ザリュースもまた、慌てて後に続く。

 

 

 

「うっ!」

 

 ザリュースは目を刺すまばゆいばかりの陽光に、思わずうめき声をあげ、その日を手で遮った。

 やがて目が慣れてくると、そこに広がっていたのは、ポツリポツリとかなりの間隔をおいて立ち並ぶ家々に、そこを出入りし、歩く人々の姿。

 

 蜥蜴人(リザードマン)の集落ではない。人間の住まうのどかな農村である。

 それはザリュースにとっても、よく見なれた場所であった。

 

「ここは……カルネ村?」

 

 ぼんやりと立つザリュース。

 てってってと道を駆けていた小さな人影が、そこに佇むアインズとザリュースの姿に気がついた。

 

「あーっ! ゴウン様! それにザリュースさんも!」

 

 道端に立つ2人の姿に目を丸くして驚いたかと思うと、ネムはこちらに駆けてきた。その後ろにふよふよと浮かぶ不気味な肉塊、集眼の屍(アイボール・コープス)のタマニゴーが続く。

 

 そうして駆け寄ったネムは、ガッとザリュースの手を取ると、その勢いに驚く彼をぐいぐいと引っ張っていく。

 

「早く、早く!」

 

 訳が分からぬまま、引っ張られていくザリュース。

 ネムの力だけではザリュースの身体を引くことなど出来はしないのであるが、彼の後ろについたタマニゴーが凄まじい勢いで背を押すので、抗うことすら出来ずにそのまま連れ去られていった。

 

 

 

 そうして辿りついたのは一軒の、通常の家より倍近く大きな家屋。

 これもまたザリュースの目に懐かしい建物。

 かつてこの村に住んでいたときに、兄たちと共に住んでいた家だ。

 

 ネムはここまでザリュースを連れてきたことに、満足そうに額の汗をぬぐうと、ドンドンと扉を叩いた。

 

「どうしたのだ? ……ザリュース! 帰ったのか!?」

「ああ、兄者。たった今、ゴウン様に……」

 

 扉の奥から顔を出したシャースーリューは、そこにいた弟の姿に驚愕の表情を浮かべた。そして、彼が話しだすのを聞きもせずに、首根っこをつかんで家の奥へと引きずっていった。

 再び訳の分からぬまま、引っ張られ、奥へと連れ込まれるザリュース。

 だが、彼の兄は不審がる彼に説明すらせずに声をはった。

 

「おい、クルシュ! ザリュースが戻ったぞ!」

 

 その声に、奥の部屋の扉が開き、そこから蜥蜴人(リザードマン)として珍しい、白い姿が現れる。

 

 久しぶりに会ったクルシュ。

 彼が愛したメス。

 

 彼女に挨拶しようしたザリュースであったが、その開きかけた口はあんぐりと開いたままとなった。

 

 

 かつて彼が山脈に掛かる雪と形容したその身体。

 今、その身の腹が大きく膨れていたのだ。

 

「クルシュ……お前は……」

「ええ、そうよ」

 

 クルシュは優しく微笑む。

 

「そうか……それは兄――」

「ふざけたことを言ったら、魔法を叩きこむわ」

 

 一転、氷のような口調と視線に、一流の戦士たるザリュースでさえも、たじろがされた。

 

「あーと、だな……。ゴホン。つまり、クルシュ。それは……俺の子か?」

「ええ」

 

 再び穏やかな表情を浮かべると、クルシュはその身をザリュースに預ける。ザリュースは壊れ物を扱うかのように、最初はぎこちなく、やがて固く惚れたメスの身体を抱きしめた。

 

 

「良かったな。ザリュース」

 

 その言葉に振り向くと、そこには気づかぬうちについて来ていたアインズの姿があった。

 ちなみに、その後ろには小さな手で顔を隠しつつ指の隙間からしっかりと、興味津々という態度で抱き合う2人の姿を見ているネムがいた。慌ててやって来たエンリが、ネムの身体を抱いて、家から連れ出す。

 

 ザリュースはその場にひれ伏し、この偉大なる魔法詠唱者(マジック・キャスター)に首を垂れた。

 

「ゴウン様。本当にありがとうございます。ゴウン様にはなんとお礼を言っていいやら分かりませぬ。あの時、カルネ村にたどり着き、あなた様に会えた事。村を救うため、魔樹と戦ってくださった事。邪悪な死者の大魔法使い(エルダーリッチ)により、命奪われた私を甦らせてくださった事。部族を失った私たちにこの村での生活を進めてくださった事。そして、再び死した私を蘇生させ、こうして再びクルシュと巡り合わせてくださった事。本当に、本当に深く感謝申し上げます」

 

 

 なんのてらいもなく、心の底からの感謝の意を表すザリュース。

 そんな彼の態度に、仮面の魔法詠唱者(マジック・キャスター)はわずかに身をよじった。

 おそらく、面と向かって溢れんばかりの謝儀を示された事に、少し照れてしまったのだろう。

 

 

 そうしていると、家の外が騒がしくなってきた。

 ザリュースが帰ったことを聞いた村の者達が集まってきたらしい。

 2人は手を取り合って、外へと出る。

 クルシュは都市部の人間――高位の者のみだが――が使う日傘をさした。

 

 

 そうして現れた2人の姿を見て、歓声が上がった。

 そこにいた者達、村の人間たち――本当の人間のみに限らず、ゴブリンやオーガらの亜人たちも――は皆、心の底から2人の事を、祝福してくれているようだった。

 

 

 さすがに照れたように笑う2人。ふと相手の様子に目をやった視線が絡み合う。そんな彼、彼女の姿に、また一段と喝采の声が上がった。

 

 

 そこへ、荷車を引いてきたシズが現れる。

 小柄な体躯でいったいどうやって引いているのかと思えるほど、大きな荷車の荷台には巨大な肉塊が積まれていた。

 

「アインズ様から、ザリュース帰還のお祝い。これはドラゴンの肉。焼いて食べるといい」

 

 集まった者達は、伝説でしか聞いたことがないドラゴンの肉とやらに興味津々であった。

 ゴブリンたちは急いで、肉を焼くための準備に走る。ロバーデイクは広場に簡易的なかまどを作る。リッチモンは見たこともないドラゴンの肉に戸惑いつつも、その肉を切り分けた。

 他の者達もまた、時ならぬ祝いの準備に銘々走り回る。

 

 

 そんな彼らを横目に、クルシュはその手に触れる、愛したオスの手を更に強く握りしめた。

 慈しみの視線を向けるザリュースの肩に頭を預ける。

 2人の尾が優しく絡み合う。

 

「ザリュース。幸せになりましょう。私たちはこれからずっと幸せに過ごすの」

「……ああ。約束する。幸せになろう。禍福は糾える縄の如しというが、俺は幸福の裏にあるという不幸の存在を決して認めない。俺達にこれから訪れるのが幸せならば、その後もずっと訪れるのは幸せだけだ。クルシュ、俺は今、幸せだ」

 

 

 ザリュースはつぶやき、雲一つない蒼空を見上げた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「ぐううっ!」

 

 雲一つない蒼空の下、ラキュースは苦痛のうめき声をあげて、地面を転がった。

 その姿を見て、観客席からは喝采の声が上がる。

 

 

 王都リ・エスティーゼの闘技場。

 かつて御前試合が行われていた頃、今も語り継がれるガゼフ・ストロノーフとブレイン・アングラウスの戦いが繰り広げられたその地において、今、『蒼の薔薇』のラキュースが必死の戦いを繰り広げていた。

 

 

 彼女は顔についた土ぼこりをぬぐい、手から離れた剣――彼女の愛剣である黒い刀身の魔剣キリネイラムではない――を再度掴み、痛む身体をおして立ち上がる。

 その体はこれまで幾度も地に倒れこんだことにより土で汚れ、あちこちに擦り傷ができており、その透けるような白い肌には赤いものが滲んでいる。

 

 その身を守る防具は着けていない。

 何一つ。

 そう、今の彼女はその柔肌を惜しげもなくさらした状態であった。身に着けているのは鋼の手枷足枷、それに犬のような首輪。それぞれからは鎖が伸び、鉛色の鉄球に繋がっている。

 目のいい者ならば、彼女のその鼠蹊部からは、今も白いものが滴り落ちているのが見て取れたであろう。

 そんな凌辱の後も生々しい裸身で手にするのは、なまくら剣、ただ一本のみ。

 

 

 彼女はそんな装備で、堂々たる体躯を誇り、多少の傷はたちどころに治る強靭な肉体を持ち、さらに堅牢なまでの金属鎧を身につけた完全装備のトロールと戦わされていた。

 彼女の苦境を見物しようと観客席に陣取るのは、八本指の者達だけではない。この王都の一般民衆たちもまた半強制的に連れてこられていた。

 だが、彼女が苦悶の表情を浮かべる度に、喜悦を見せるのは、八本指の者達だけではない。

 彼女が救おうとした一般の民衆たちもまた、声には出さねど、暗い愉悦の表情を見せていた。

 

 

 

 あの後、王都での蜂起は奇妙な結末を迎えた。

 冒険者たちがこもっていたはずの陣地。その奥から突如、アンデッドが湧きだしたのだ。

 本来、絶対に安全であったはずの背後をつかれたかたちとなった冒険者たちは、それに持ちこたえることなど出来はせず、算を乱して持ち場から逃げ出さざるを得なかった。そこを攻め手である亜人や八本指たちに仕留められたり捕縛された者もいれば、逃げ切れずにアンデッドの餌食となった者達も多数いた。

 

 そして、陣地から飛び出したアンデッドたちは街中に溢れ、そこに住まう民衆たちをも無差別にその刃にかけ始めたのだ。

 

 

 それまでは、新政権側の人間や亜人たちとそれに反旗を翻した冒険者たちが戦うという、あくまで対岸の火事であったのだが、今度は直接自分たちの命が危険にさらされることとなったのである。

 誰もが慌てふためき、王都は混乱の渦に包まれた。

 

 すでに王都上空を飛び回っていたフロストドラゴンは、原因など知る由もないが、力を失い、墜落しており、またそれと時を同じくして、同様に王都の上空を飛びかっていた天使たちもまた、いつのまにやら何処(いずこ)かへと消え去っていた。

 そうして、暴虐を尽くす新政権側と敵対し、よくは分からないが味方ではないかと思われていた冒険者を始めとした勢力が一気に力を失い、襲い来るアンデッドの攻撃にさらされ、王都の民衆が失意と絶望に包まれる中、アンデッドたちに立ち向かったのは、これまで暴虐をつくしてきた新政権側の者達であった。

 

 彼らは部隊を組み直し、暴れるアンデッドたちに対し、組織的な反撃を開始した。

 容易い戦いとは言えなかったが、その甲斐(かい)あって、やがて市中のアンデッドはあらかた駆逐することが出来た。

 王城に突入した者達もまた全て殲滅され、捕獲された事により、ここに蜂起計画は終焉を迎えた。

 

 

 

 そうして、新政権側から、この突如現れたアンデッドの説明がなされた。

 

 曰く、今回の蜂起計画において、新政権側に対抗するために、冒険者たちは秘密結社ズーラーノーンの手を借りることにした。しかし、彼らは召喚したアンデッドの制御を行う事が出来ぬまま、街中においてアンデッドを解放してしまい、それが暴れたのが原因であった、と。

 

 その説明を頭から信じる者は少なかった。

 だが、信じない事を明言する利はない。

 それに結果として、冒険者たちの蜂起が原因となり、自分たちがアンデッドに襲われることになったのは事実である。

 また、その後もアンデッドはあちこちに出現しては暴れ、それに対抗できるのは新政権側の勢力のみであり、実際にそうして襲い来るアンデッドを彼らが退治していたため、わざわざさらなる災厄を招いた冒険者たちの肩を持つ者はいなかったのである。

 もう一つ言うならば、亜人たちに虐げられていた彼らにとって、自分たちよりさらに下で虐げられるものの存在は、その溜飲を下げることにもつながった。

 

  

 そうして、捕らえられた冒険者たちは憎悪の的に晒され、責め苦を受けることとなった。

 こうして闘技場において、わざと劣悪な装備を身につけさせられ、時には毒などをあらかじめ飲ませられた上で、完全装備の者との戦い――リンチといってもいい――を受けさせられるなどした。

 もし、彼らが敗北した場合には、別に捕らえられている者が、非道極まりない扱い――拷問や凌辱などを受けることになる。

 今も客席の一部、皆の衆目を集めるそこには裸にひんむいた冒険者を閉じ込めた鉄の檻があり、その油のしかれた床のさらに下にはしっかりと薪が並べられている。闘技場で戦う冒険者が倒れでもしたら、檻のすぐ傍らに立つオークが今、手にしている松明の火がつけられる手筈となっている。

 すでに幾人分もそうした行為が行われており、すぐ近くの檻からは、今も悲鳴と香ばしい匂いがあがっており、松明を手にする当番のオークは、その時を今か今かと待ちわびていた。

 

 

 そのため、冒険者たちは勝利することなどほぼ不可能な状況ながら、必死の思いで剣を振るう事を余儀なくされていた。

 

 

 

 

 そんな哀れにして愚かな戦いの様子を、貴賓席に陣取った新王スタッファンは、愉悦の表情で見下ろしていた。

 

 

 彼は死んだコッコドールの代わりに、王の役を任ぜられていた。

 

 スタッファンとしても、今の立場には思うところがある。

 お飾りでしかない現状に、自尊心が傷つけられる。

 

 だが、彼はそんなものはまるっと無視してしまっていた。

 

 確かに、王という立場にありながら、彼には(まつりごと)に関する決定権などない。だが、それは裏を返せば、面倒な仕事は人に任せておけるという事だ。自分は余計な事に心煩わすことなく、気のむくまま、好きなように女をいたぶって楽しんでいればいい。その程度の娯楽を許すくらいは、彼の主は度量があった。

 

 

 彼の見ている前で、ラキュースが相手方のトロールが振るった鎚を腹に食らい、悶絶してひっくり返った。

 相対する亜人は、彼女の片足を掴み上げると、無防備となった股間に装甲靴(サバトン)を履いたその爪先で、さらなる蹴りを放つ。

 くぐもった叫びが闘技場に響いた。

 その悲鳴を聞いて、スタッファンは泣き叫ぶ彼女、ラキュースの処女を強引に奪った時の事を思い返し、股間を高ぶらせた。

 

 

 彼は我慢することなくいきり立ったものを空気に晒すと、傍らに繋がれていたティナの口に突っ込んだ。

 鎖につながれた彼女は、両手両足は鈍器で丹念に粉砕したかのようにぐしゃぐしゃであり、両目はえぐり取られ、さらにはすべての歯がへし折られていた。

 

 最初、スタッファンに払い下げられた彼女は、手におえなかった。

 実際、一度、咥えさせたところ、その歯で噛み千切られてしまったほどであった。

 しかし、彼の崇敬する主は、その傷を完璧に治してくれただけではなく、またコッコドールのように死なれてしまっては面倒だからと、彼に対し毒無効、筋力上昇、物理上昇など、常識的に考えて破格といえるマジックアイテムをいくつも下賜してくださった。

 それにより、再び噛みつかれた時には、逆にティナの歯が全てへし折れてしまったのだ。

 

 

 スタッファンは満足していた。

 彼は暴力を好むが、かといって自分自身は大して鍛えているわけでもない。

 だが、渡されたマジックアイテムによって強化されたため、たとえ相手が歴戦の冒険者であろうと、力任せに組み敷き、叩きのめせるのだ。

 ぶよぶよとした自分の拳を叩きつけるだけで、鍛え上げられた肉体がひしゃげ、その手で掴み、力任せにひん曲げることで、いともたやすく骨すらへし折る程の膂力というのは、圧倒的な優越感を伴い、身震いするほどの快感をもたらした。

 

 

 スタッファンは彼の主、ベルに深く感謝をすると同時に、ティナの口腔に精を放った。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 そんなスタッファンがいるところとは、また別の貴賓席。

 こちらは場所自体が巧妙に隠されており、その存在自体もごくわずかなものしか知りえない。本当に極秘裏に訪れた重要人物が観覧する秘密の場所。

 

 そこに置かれた椅子に腰かけ、ベルは笑っていた。

 酒が注がれた切子のグラスを傾け、愉快そうに、眼下の惨劇といってもいい光景に目を向ける。

 

 

 彼女と共にいる者達もまた愉快そうに笑っていた。

 

 ソリュシャンは、哀れに泣き叫ぶラキュースの悲鳴にうっとりとした表情を浮かべていた。

 デミウルゴス――彼は新王スタッファンによる王国の新体制構築の為に、王都に呼び出されていた――は、歓声をあげる八本指の者達の様子、彼らもまたほんのきっかけ次第で簡単に虐げられる側になるという事実に気づきすらしない愚かしさに、邪悪な笑みを浮かべていた。

 

 

 そして、ベルもまた顔に笑みを浮かべていた。

 琥珀の液体が入ったグラス越しに眺めるその光景。

 

 しかし、ベルが見ているものは目の前の喜劇ではない。

 

 ベルの脳裏に浮かぶもの。

 それは、今、王国軍が閉じ込められているエ・ランテル。

 そこにいるであろう、かつて彼女がこの世界に来て直後に出会った、高潔なる意思を持つ王国戦士長、ガゼフ・ストロノーフであった。

 

 




 ベルの戦闘が、実は一番面白くないという事に気がつきました。

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