オーバーロード ~破滅の少女~   作:タッパ・タッパ

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2017/3/16 「一見」→「一軒」 訂正しました。
「生き延びれるか」→「生き延びられるか」、「エランテル」→「エ・ランテル」、「別かれて」→「分かれて」、「仮りの」→「仮の」、「名前ででは」→「名前では」、「もの」→「者」、「2か月間の間」→「2か月もの間」 訂正しました
文末に句点がついていない所がありましたので、「。」をつけました


第80話 エ・ランテルにて

 耳を聾するような、今まさに扉を打ち破らんとする打撃音が響くなか、ランポッサ三世はつぶやいた。

  

「王国が……滅びるか……」

 

 その言葉に目を剥くガゼフ。

 そんな言葉を王がつぶやいたと知れれば、それこそ一大事。

 「なんと惰弱な!」と、貴族派閥に属する者達の格好の攻撃材料となる事は間違いない。

 

 

 だが、そう考えたところでガゼフはそんな自分の考えに、内心において苦笑せざるを得なかった。

 

 

 ――こんな時に、何を考えているのか。

 貴族派閥だの、王派閥だの、この期に及んで気にするような事か?

 今は生き延びられるかどうかという瀬戸際だというのに。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ここエ・ランテルに王国軍が閉じ込められ、早や2か月にもなる。

 事態は悪化の一途をたどっていた。

 

 

 きっかけは街で起きた一つの強盗事件。

 そこから広まった根も葉もない噂。

 本来、一顧(いっこ)だにする価値もないようなものでしかなかったのだが、それは街の外に押し寄せたアンデッドにより出入りができなくなっていた街の者達、その不安定な心を揺さぶる引き金となった。立て続けに事態は悪化していった。

 気がついた時には、燃え盛る憎悪の炎は取り返しのつかない程に広がり、事態は収拾など叶わぬほど混迷を極めていた。

 

 

 結果、行われたのは、エ・ランテルにある三重の門のうち、最奥の門を閉ざすという政策。

 最も守りが硬いエ・ランテル最奥部には帝国との戦争の為、街へとやって来た貴族たちが駐留している。彼らを守るための措置であった。

 しかしその区画には街の行政機関、及び戦争のために集められた兵士たちの糧食を保存する――そこに収められていたものは、かなり減少してしまっていたとはいえ――食糧庫があった。

 

  

 そんな重要な区域である最奥部と、市民たちが住まう地区とが堅牢な城門によって分断されたのだ。

 

 

 街は混乱の渦に包まれた。

 街の外にいるアンデッドのせいで、市外と交易は出来ない。そういった場合――想定されていたのは戦争によるものであったが――に備え備蓄していたはずの食料の多くが失われ、しかも、それでも細々と行われていた配給が、第3の門の封鎖によって完全に途絶えてしまったのだ。

  

 

 悪い事に、今回はエ・ランテルに多数の王国兵が駐留していた。

 本来、食糧庫に収められていたはずの彼らの糧食は、大半が何処からともなく湧いた虫の腹に消えてしまった。のみならず、かろうじて残されたわずかな分も貴族たちのものとして彼らに分け与えられることは無く、それどころか食糧庫がある第3の門が閉じてしまい、彼らは身一つでエ・ランテル市街に取り残されてしまったのである。

 

 

 彼らは王国全土からかき集められた人間であって、この街出身の者はわずかしかいない。エ・ランテルにおいて伝手(つて)などなく、またこの街に対する愛郷心なども、ほとんどの者が持ち合わせてはいなかった。

 

 兵士たちとて生きていくには食わねばならない。

 そんなとき、彼らの手にあったのは人を殺すための武器。

 

 当然のことながら、街のあちこちで略奪が起きた。

 文字通り飢えた獣の群れとなった彼らは徒党を組み、容赦なく、まさに苛烈としか言いようのない蛮行を繰り返した。

 

 それを止めるのは衛士たちであるはずなのだが、彼らの本拠も封鎖されたエ・ランテル最奥部にある。彼らへの指揮命令系統もまた失われてしまっていたのだ。

 しかも、彼ら衛士とて人間である。家族もいる。当然、食べなくてはならない。食料を手に入れなくてはならない。彼ら個人の愛する家族の分もである。

 

 

 そうして、市外での略奪は留まる事を知らず拡大し続ける――かと思いきや、すぐそれは限界を迎えた。

 

 あくまで各家庭単位で備蓄している食料はごくわずかしかない。

 普段のエ・ランテルならば、各家庭及び食料を扱う商店の備蓄分、それを隣近所で融通(ゆうずう)しあうことで何とかなったかもしれない。

 だが、今回に限っては、エ・ランテルの街には王国兵20万人分という食い扶持が増えていたのだ。

 

 すぐに奪いあうべき食料すら無くなった。

 馬などもあっという間に食いつくしてしまった。

 道端に生えている草すらも瞬く間に食いつくしてしまった。

 

 

 だが、それでも彼らは生きている。

 生きているからには腹が減る。

 

 

 

 そして、彼らが選択した食料は彼ら自身。

 すなわち人肉であった。

 

 

 

 当初は、すでに死亡していた者の肉であった。

 

 空腹にあえぐ窮状を見るに見かねて、墓場に埋葬された者の肉を切り出し、それをスープの中にいれてよく煮込み、軍馬の肉だと言って飢えていた周辺の住人に食べさせてやった者がいた。

 

 すぐにそれの出どころは知れた。

 彼は街の者たちの苦境を知り、やむに已まれぬ事情から、それをやったのであったが、彼は街の人間たちによって引きずり出され、リンチを受けて殺された。

 

 

 しかし、その話が伝わると、誰もがこぞって真似をした。

 墓場は夜のみとはいわず、昼でも顔を隠した者たちがうろつくようになった。

 そして、その対象はすでに埋葬され、乾き果てた遺体ではなく、略奪によって死んだばかりの者へと移り、やがてまだ生きている人間をも殺して食べるようになるのに、時間はかからなかった。

 

 先の述べた様に、元よりエ・ランテルに住んでいた人間よりはるかに多い、武器を持った兵士たちは王国全土からかき集められた人間であり互いの仲間意識も、同じ村からやってきた者たちなどの例外を除き、さほど強固ではない。

 

 彼らは互いに猜疑の目を向け、隙を狙い、背後から武器を突き立てあった。

 

 

 

 その結果、現在のエ・ランテル市街では正視に耐えない凄惨な状況が繰り広げられている。

 この世に地獄があるとするなら、それはここにあるのだろう。

 

 

 兵士たちは弱い者――女性や子供を狙って襲撃し、それを人間であったと分かる痕跡が無くなる程に細かく肉片にしてから煮る焼くなどして腹に収めた。その調理中に他の者に奪われる可能性もあるため、時には生のまま貪り食った。

 

 それに対して、街の者達は集団を作り、バリケードをはって対抗したが、非戦闘要員を多く抱える住民と、徴兵とはいえ戦闘要員、それも圧倒的多数を前にして、防ぎきることは困難であった。あちこちで防壁は突破され、幾人もの弱者が攫われた。

 

 攫われた女子供を助けようと、街の男や冒険者たちなど腕に覚えがある者達で救出班を組んだのだが、辿りついた彼らの目の前に広がっていたのは、煉獄もかくやという光景。

 

 

 あまりの惨状に呆然と立ち尽くす彼らの鼻をくすぐるものがあった。

 

 彼らとて空腹である。

 その抑えきれぬ食欲を刺激する匂いが漂っていた。

 

 よろめく彼らが覗き込んだ鍋の中にあるのは、よく煮込まれたシチュー。

 彼らは空腹に抗うことは出来ず、それを一啜り、口にした。

 一度、口にすれば、もはや抑えるタガはない。

 皆、我を忘れた様に、先を争い貪り食った。

 

 

 

 もはや止めるものはいなかった。

 治安を守るものなどいなかった。 

 誰もが街中に存在するわずかな食料を求めて、争い、奪い合った。

 

 

 

 

 最奥部に籠もった者達は市中の、あまりといってもあまり過ぎる惨状に、平民など人を人とも思わぬ貴族たちでさえも心を痛めた。

 

 しかし、懊悩すれども、出来ることなど何もない。

 それどころか、彼らがいる区域でさえも、食料不足は深刻であった。

 

 

 食糧庫に残されたわずかな食料。

 幸いにして、大量の兵士たちは市中に残し、ごくわずかの貴族を始めとした者達のみがこの地区にこもっているため、その少ない食料でもなんとかまかなえていた。

 

 だが、それでもいつまでもこうしていられるわけでもない。

 補給の見通しなどまったく立たぬなか、食料は刻一刻と減っていく。

 すでに極まった窮乏(きゅうぼう)の現状は、このリ・エスティーゼ王国においてもっとも地位の高い国王ランポッサ三世に(きょう)されるものですら、ごくわずかな肉片が入った椀一杯のほぼ透明な汁物が精いっぱいという有様であった。

 

 

 

 誰もが、この状況を打破するにはどうすればいいと頭を悩ませ――そして何も出来ないでいた。

 

 

 当初このアンデッドによる包囲は、多少の時間は要すれども、何とかなると思われていた。

 帝国征伐の為に、このエ・ランテルに国中からかき集められるだけの兵士をかき集めていたのだが、それでも各地にはまだ領地の留守を守る、戦力となる貴族たち、および今回の徴兵では集められなかった農民たちがいるのだ。

 彼らが戦力を集めて救援に来るまで立てこもっていればいいと考えられていた。

 

 実際、各貴族たちの中には、王都を占拠した八本指の者達の指示に従おうとせず、救援の為の兵力を集め、援軍を送った者もいた。

 しかし、そうして何とかエ・ランテル近郊までやってきたのであったが、それに対し街の内部から呼応することは出来なかった。

 

 

 それは、この食糧難から生じた騒ぎが原因であった。

 

 貴族たちがいるこの第3の壁と門に守られた行政区は、外からの攻撃に際し最も安全な、エ・ランテルの中心にある。

 

 すなわち、彼らは街の外にいるアンデッドだけではなく、第1の壁と第3の壁の間にある市街地で暴れる、血に狂った兵士と民衆によって閉じ込められているのである。

 最奥部に立てこもっていた、各貴族の近衛である私兵だけでは、市外を突破するだけでも困難であった。

 

 

 実際に、援軍到来の一報を聞き、業を煮やしたボウロロープ侯が脱出を試みたのであるが、行動が制限される市街地において騎兵はその機動力を生かせず、動きを止めた所に襲撃を受けた。仕方なしに下馬して血路を切り開き、何とか城壁まで辿りつくと門を開かせ、外へ出たものの、その時にはすっかり疲労しきってしまっていた。

 

 そこへ襲い掛かるアンデッドたち。

 予想をはるかに超えたその強さにより、街の外へようやく脱出したボウロロープ侯の手勢は一瞬にして叩きのめされた。

 

 それを見ていた守備兵は慌てて門を閉じる。

 あのアンデッドたちが市中になだれ込んだらと恐れたためだ。

 

 生き残りの兵士たちが中へ入れてくれと叫ぶも、彼らは決して門を開けようとはしなかった。

 結果、かつて王国戦士長ガゼフ・ストロノーフ率いる戦士団に匹敵、あるいは上回るかもしれないと言われたほどのボウロロープ侯の精兵団は、壊滅の憂き目にあった。

 

 街の外にいた救援部隊は、中から出てきた者達の存在に気がつき、彼らを助けようと慌てて突撃を敢行。その戦端に加わり、前後からアンデッドたちを挟撃した形になったものの、彼らはあくまで主力部隊を送り出した後に残されていた、留守居を守るための予備部隊に、本来の徴兵からはねられたような者をかき集めた寄せ集めの戦力に過ぎない。

 到底、そんな2線級の戦力だけでは撃破できようはずもなかった。

 そもそも、彼らを呼び寄せたのは、そちらにアンデッドの群れを引きつけることで、その隙にエ・ランテルから出られぬ主軍を街の外に出すことが狙いであったのだ。

 

 数では回っていても、疲労などせぬアンデッドの前には弱兵など群がる羽虫と変わりなく、彼らもまた完膚なきまで叩き潰され、かろうじて這う這う(ほうほう)(てい)で散り散りに逃げのびるしかなかった。

 

 

 その顛末を従軍していた魔法詠唱者(マジック・キャスター)の〈伝言(メッセージ)〉によって知らされた最奥部に残った者達の心には、もはや絶望しかなかった。

 

 このまま、ここにいても事態が良くなることは考えられない。

 しかし、出ることは叶わない。

 

 事ここに於いて、この安全なはずの最奥部でも秩序は崩壊し始めていた。

 

 王が滞在しているこの貴賓館であるが、実際に今もいる貴族は数少ない。

 銘々、派閥ごとに、自分たちに割り当てられた住居に籠もり、防備を固めていた。 

 この区域内でも食料が減ってきたことにより、自分たちの間でも略奪が起こりかねないと、各々が警戒していたためだ。 

 

 

 

 そして、さらなる凶報がもたらされたのは数日前の事。

 

「失礼いたします!」

 

 息せき切って、室内に駆け込んできた兵士。

 取次ぎもなしに入ってくるなど通常の儀礼上許されない行為であったが、この期に及んでは今急いで持ってきたであろう情報をいち早く聞くことこそがなにより大事と、その非礼を咎めようとする者はいなかった。

 むしろ、早く報告せよとうながす。

 

 その若い兵士は滑り込むようにランポッサ三世の前に駆け寄ると膝をつき、喘ぎながら言った。

 

「ほ、報告いたします! このエ・ランテル最奥部にアンデッドが出現いたしました!」

「なに!」

 

 その報告はざわめきを持って迎えられた。

 

「馬鹿な! いったいどこから侵入したというのだ? 市街にはまだ侵入されてはいないのであろう」

「何処から侵入したのかは不明です。いまだ、第3の門は固く閉められたまま。しかし、何処からともなく現れたアンデッドの群れが今、この行政区内において暴れております!」

 

 

 どういった手段によるものか、エ・ランテル最奥部に現れたアンデッドたち。

 彼らはその残忍なまでの暴力を振るい始めた。

 スケルトンの剣が女性を切り裂き、死者の大魔法使い(エルダーリッチ)の魔法が兵士を吹き飛ばし、死の騎士の振るう剛剣が騎士を金属鎧ごと両断する。

 

 その暴威に対し、この地の住人たちは各勢力ごと、各貴族ごとに分かれて各々の建物に立てこもるしかなかった。

 

 しかし、そうしていても、助けが来る見通しなどなく、一つまた一つと即席の陣地はアンデッドの襲撃によって陥落し、蹂躙されていった。

 彼らはゆっくりと死を待つよりほかになかった。

 

 

 そして、今まさに、王がいるこの貴賓館にも襲撃の魔の手が押し寄せていた。

 

 最初は遠くに聞こえた剣戟の音も、段々と近くなり、今や椅子やテーブルで即席のバリケードを築いた扉の向こうから、重いものが激しく打ちつける音が室内に響いていた。

 

 普段であれば、大した用もないのに集まり、喧々諤々と貴族同士の勢力争いによる当てこすりが繰り広げられるはずの、仮の玉座が置かれた一室。

 ここには王がいて、今まさに生命の危険にさらされているというのに、もはやこの部屋で王とともにいるのはガゼフを始めとした数十名の近衛の者たち、そして近習たちのみであった。

 

 

 

 

 ランポッサ三世は疲れた目で、傍らに立つ忠臣ガゼフに語りかけた。

 

「ガゼフよ。率直に訊きたい。手立てはあるか?」

 

 その問い。

 その『手立て』とは、自分たちの生命に関するものを指すのか? 自分たちを含めたエ・ランテルにいる者たち生命に関するものを指すのか?

 はたまた、国家の命運について尋ねられているのか?

 

 ガゼフは長年仕えた王の顔を覗き込む。

 

 その顔は疲れ果てている。

 ここ最近の、エ・ランテルに閉じ込められてからの心労がひときわ大きいのであろう。

 強大なアンデッドにより、王国軍はこの堅牢無比なる城塞都市という檻に押し込まれ、その中でゆっくりと腐れ落ちるように、すべてが崩壊していく様を目の当たりにさせられているのだ。

 

 これまで長年、自分が必死で守り続けてきたもの。

 それが為す術もなく、しかも真綿で首を絞めつけられるかのように失われていく。

 

 しかも、心配事は自分たちの事だけではない。

 王都は八本指の手の者によって制圧されていると聞く。

 当初こそは魔法詠唱者(マジック・キャスター)の手によって、王都の様子はこちらまで伝えられていたものの、やがてそれも途絶えてしまった。

 

 

 ――あれから2か月あまりが経つ。

 いったい、今の王都はどうなっているのだろうか?

 王の血を引く王位継承者たちは息災なのだろうか?

 王都を占拠した八本指らは、どういう手管を使ったのか、トロールやオークなどの人を食らう亜人たちをも手勢として使っていたという。そんな者達によって支配され、王都の民衆たちは無事なのだろうか?

 

 今、王都に2組いるアダマンタイト級冒険者のうち、『蒼の薔薇』は依頼を受けて王国を離れ、帝国に移動してしまっている。

 だが、王都にはもう片方である『朱の雫』がいるはずだ。

 彼らならば、なんとか王族の方々だけでも避難させてくれているのではないかと思うが。

 

 

 

 ガゼフは飛んでいた思考を戻す。

 王都の事も心配だが、まず自分たちの事を考えねば。

 

 

 ――とにかく、この建物から脱出せねばならない。

 そして街を脱出せねば話にならない。

 

 もはや援軍が来る見込みはない。

 期待していた王国の残存兵力は壊滅させられてしまった。

 

 この際、他国に頼るにしても――例えば、エ・ランテルの統治権の譲渡などを餌にするなどして――帝国はといえば、先に現れた謎の巨獣による被害、そして領内を荒らすビーストマンとの争いによって、こちらに目を向ける余裕などあるまい。

 それこそ帝国の現状は、王国が侵攻を試みるほどなのだから。

 

 ならば、法国はどうかというと、こちらも奇妙なほどの沈黙を保っていた。

 普段ならば、例年の王国と帝国との戦争に関しても、形式上は何か言ってくるものだが、今回の王国から帝国への侵攻に際しては、無言を通していた。なにか、法国に重大事件でも起きたのかとも思ったが、相変わらず、その尻尾すらも掴ませぬままであった。

 

 ならば、持ちえる戦力はと考えた場合、もはや動かせる戦力はない。

 エ・ランテルの王国軍はもはや統率など取れず、市街において、自国民への略奪にいそしんでいる。

 街の冒険者たちはというと、彼らはエ・ランテルの第2の壁と第3の壁の間にある市街に住んでおり、暴れる王国軍との戦闘を余儀なくされている。今更、協力を要請しても遅すぎる。

 

 

 そう、全ては遅すぎる。

 今から考えるならば、最初にアンデッドが現れた際、堅牢な城壁を誇るエ・ランテルに籠もるのではなく、全軍で突破を考えるべきだったのだろう。

 そうすれば、かなりの被害は出しつつも、その多くは脱出できたかもしれない。

 

 しかし、もはやそれは叶わない。

 今となっては、ボウロロープ侯のように市街を抜けて、街の外に出ようとするだけでも至難の業だ。

 

 その上で、あのアンデッドの群れを退治するなど、身につけている王国の至宝により、疲労することは無いガゼフでも不可能だ。

 

 当初、あれらが出現した時、胸壁上からその姿を見たが、あのアンデッドたちは恐るべきものであった。

 その中の一種、デスナイトとかいうアンデッドの騎士は、かつてカルネ村で同様の存在を見た時、思わず総毛だったものであったが、その後、『蒼の薔薇』のイビルアイから話を聞いたところ、強大などというレベルではなく、もはや伝説クラスのアンデッドであったらしい。おそらく、ガゼフでも一体を相手にするのがやっとであろう。

 それがあの群れの中には何十体もいるのだ。

 更にはそれだけではなく多種多様な、デスナイトに匹敵するほど強力と思われるアンデッドたちがたむろしている。

 

 とてもではないが、ガゼフ並びに彼の戦士団だけで何とか出来るレベルではない。

 

 

 

 そこまで考えたとき、ふと思い当たったことがあった。

 

「何とかして、外と連絡を取れないでしょうか?」

 

 ガゼフの言葉に、力なく(うつむ)いていたランポッサ三世は目元にくっきりとクマの浮いた顔をあげた。

 

「外と? いったい誰と連絡を取るというのだ? 王国の戦力はほぼ壊滅した。他国もこちらへ手助けする余裕などあるまい。いったい何処へ連絡をつけようというのだ?」

 

 嘆きの混じったその問いかけに、ガゼフは答えた。

 

「カルネ村でございます」

 

 その言葉には王だけではなく、周りに控えていた者達も虚をつかれた。

 

 彼らの脳裏には、カルネ村という名などかろうじて記憶の片隅にあるだけである。

 それは、このエ・ランテル近郊にある、ただの一農村。

 そんなところに連絡をつけて、この王国戦士長は何をするつもりなのか?

 

 その場にいた者達の頭に疑問が渦巻く中、唯一その意味を理解したのは、ガゼフの戦士団の一員として、かつて共に周辺を荒らしまわっていた帝国騎士を討伐するという任を帯び、かの地におもむいた者のみであった。

 

「!? ガゼフ様! かの魔法詠唱者(マジック・キャスター)に助けを求めるのですか?」

 

 その言葉に、その場にいた者達はようやく合点がいった。

 

「ガゼフよ。たしか、お前は……そこでアインズ・ウール・ゴウンなる魔法詠唱者(マジック・キャスター)と出会ったのであったか」

「はい、陛下。私はかの地において、ゴウン殿が召喚したアンデッドを目撃しました。それはデスナイトと呼ばれる強大なアンデッドであり、現在、街の外に集結しているアンデッドの群れの中にも同種のものが含まれております。何の触媒もなくそんな強力なアンデッドを召喚し、操ることができる魔法詠唱者(マジック・キャスター)。かの御仁ならば、このアンデッドの大量発生への対処も可能やも知れません」

 

 (かたわ)らで聞いていた近習が記憶を漁り、口にする。

 

「たしか、帝国騎士の略奪と見せかけ、実は我が国と帝国の仲たがいを狙った法国の策略でしたか。そのゴウンという魔法詠唱者(マジック・キャスター)は、それを阻止した功績ある人物ということでしたな」

「ああ。以前は他の貴族の目がある故、大っぴらには言えなかったが、実際はあの時、法国の陽光聖典なる者の隊長を捕らえた功績は、ほとんどが俺ではなく彼らにある」

 

 その事は秘かにランポッサ三世には伝えてはいたものの、他の者達には秘されていたままであり、皆一様に驚愕に顔を歪めた。

 

「そ、それは本当なのですか?」

「この期に及んで、言い繕っても仕方あるまい。俺はあの時、囮として相手を引きつける役をしただけ。実際に法国の人間を倒したのはゴウン殿が召喚した、そのデスナイトというアンデッドと、ゴウン殿と共にいたベルという少女だ」

「少女? どういう事ですか?」

「その少女が操る空飛ぶ武器によって、法国の特殊部隊の者達の身はずたずたに引き裂かれたのだ。一瞬のうちにな」

「ほう、それは……」

「ついでに言うと、その少女の実力はそれだけではない。武器を手にしても、この私と互角以上に戦い、それでいて、あえてこちらに勝利を譲るほどだ」

「な、なんですと……!」

 

 ガゼフの口から語られた衝撃の事実。

 実際、こうして本人の口から語られても、彼らはガゼフより強い者がいるなどという事は信じられなかった。

 だが、もし仮に、そんな存在がいるとしたら、この状況も……。

 

 

「そうだな。その者らならば、この現況を何とか出来るかもしれん」

 

 疲れ切ったランポッサ三世の目に光がともる。

 ほんのわずかにしか過ぎないが、絶対的なる暗黒の中にわずかに閃いた希望にかけてみようという気になった。

 

「ガゼフよ。その者らの居場所に当てはあるのか? かつてその者らと会ったのはカルネ村だったとしても、そこに滞在しているとは限るまい」

「彼らはそのカルネ村を自分たちと連絡をつける際の場所に指定しました。その後、私がその時の謝礼金をその村に送ったのですが、無事彼らに届いたそうです。カルネ村ならば、連絡が取れると思われます」

 

 そう答えた忠臣の言葉に、ランポッサ三世は顎髭を撫でつける。

 

「うむ。……では、何とかして近郊の街に連絡を取り、そこから使者をカルネ村に遣わせるとしよう。可能か?」

「はっ。では、まず、この建物を脱出いたしましょう。そして、別の建物に籠もれば数日は時を稼げるはず。可能ならば、他の貴族の所が良いかもしれません。そこならば、控えの魔法詠唱者(マジック・キャスター)がいるでしょうから、〈伝言(メッセージ)〉で外と連絡が取れるやも知れません」

 

 その答えに王は立ち上がった。

 

「皆の者、聞いたな。では我らはここより脱出を図る。とりあえずは、レエブン侯の逗留場所として与えられていた建物へ、向かうとしよう。皆、死ぬなよ」

 

 その言葉に皆、失っていた力を取り戻し、強く頷いた。

 そして、この部屋から脱出しようと後ろの扉へ足を向けた、その時――。

 

 

 

 轟音が響いた。

 ついにバリケードごと、扉が粉砕されたのだ。

 

 もうもうとたちこめる粉塵の向こうに姿を見せるアンデッドの群れ。

 兵士たちは王を守ろうと、その前に陣形を組んだ。

 

 

 ガゼフにも見覚えがあるデスナイトとかいうアンデッドだけではない。その他にも、巨躯を薄汚れた包帯で巻き、背から生やした鉤付きの鎖をじゃらりと鳴らすアンデッドや、奇妙な仮面を顔にかぶり、その両の手の指が鋭い刃物となっているものなど、かつては各地を旅してきたガゼフの知識にすらない、しかし一目で強大だと分かるアンデッドたちが、ぞろぞろと室内に入ってくる。

 

 気圧されたように後ずさる人間たち。

 

 部屋の中へと足を踏み入れたアンデッドたち。

 だが、彼らは突如、左右に分かれた。

 開けた視界。

 空いた中央をこちらへ悠々と歩み寄るのは――。

 

 

「君は……ベル……」

 

 そこにいたのは、ガゼフがかつてカルネ村で会った少女。

 

 

 

 考えてみればすぐに気がついたはずだ。

 カルネ村で出会った魔法詠唱者(マジック・キャスター)アインズ・ウール・ゴウンは、デスナイトというアンデッドを召喚していた。

 イビルアイによれば、()のアンデッドは100年に一度現れるかどうかという程度の伝説クラスのアンデッドであり、それこそたった一体で都市国家一つくらいなら滅ぼせるほどの存在らしい。

 そんな強力だが非常に珍しいアンデッドが、このエ・ランテルを包囲する手勢に何体も加わっていた。

 そして、カルネ村でアインズ・ウール・ゴウンはそんなデスナイト7体もの同時召喚などという事までやっていたのだ。

 

 

「……つまり、今回の一件、ゴウン殿が絡んでいるという事かな?」

「うん。そうだよ」

「なぜ、こんな事を?」

「王国を乗っ取るためさ。一つ一つ王国の都市を攻め落としていたら、無駄に時間がかかる。だから、戦力を一つ所に集め、閉じ込めておく。その間に首都を落とす。合理的だね」

 

 近習の1人が怒りに声をあげた。

 

「ふざけるなっ! 正々堂々と戦うことなく、王国が軍を動かした隙に王都を襲っただと! そんな弱みにつけ込む行為など、卑怯極まりない。恥を知れ!」

 

 その叩きつけられた癇癪に、ベルはやれやれと肩をすくめた。

 

「卑怯って、君たちは帝国が混乱している隙に襲ってしまおうと軍を進めてたじゃない。人の事言えないでしょ」

 

 その言葉には苦笑せざるを得ない。

 確かに、如何に大義名分を語り、言葉で取り繕おうと王国がやろうとしていた事は、帝国の混乱につけ込んだ火事場泥棒だ。目の前の御馳走に目を輝かせているうちに、自分たちもまた策にはまったのだ。

 

 

 しかし――。

 

 

「ベル殿。貴殿に一騎打ちを申し込みたい」

 

 しかし、だからと言って、お互いさまとすませることは出来ない。

 ガゼフはリ・エスティーゼ王国の戦士長であり、ランポッサ三世には生き延びてもらわねばならない。

 

 

 ガゼフの提案にベルだけではなく、ランポッサ三世並びにその王を守るように囲む戦士団の者達も含めた全員が一様に目を丸くした。

 

「私が勝ったら、我々をこの街から脱出させてもらいたい」

「……随分とむしのいい話だね」

「おや、自信がないかな?」

「あからさまな挑発だね。そんなのに乗るとでも?」

「ああ、乗ると思っている。あの時、カルネ村での模擬戦の借りを返す機会は、今ここにしかないだろうからな」

 

 その言葉にベルは目を細めた。

 

「……なるほど。確かにね」

 

 

 ガゼフとしては自分にとって、たった一つのベルとの接点が、あの時の模擬戦であったからそう口にしたにすぎなかったのだが、それはピンポイントでベルの心を大きく揺さぶった。

 

 

 あの時。

 カルネ村での模擬戦の時、ベルはまだこの身体に慣れていなかった。

 その為、本気で力を振るうというより、ちょっとした力試し、どれだけの事が出来るかのテスト程度の気持ちで戦っていた。

 実際、しばし刃を交えた結果、慣れぬこの身であろうとも、王国戦士長を名乗っているこのガゼフくらいなら強引に圧倒できるだろうと踏んでいたのだ。

 

 しかし、その勝負はベルの敗北で幕を閉じた。

 村に近寄ってきた陽光聖典への対処の為、早々に勝負を切り上げねばならず、その事をアインズから〈伝言(メッセージ)〉で伝えられたベルは、わざとガゼフの木剣に当たったのだ。

 

 

 それは大したことではない。

 怪我一つしなかったし、わざと負けるのも当初の予定の一つであり、すべては策略、真の実力を隠す擬態である。

 

 しかし、その事はベルの心のうちにずっと引っ掛かっていた。

 気に障っていた。

 ありていに言えば、悔しかった。

 

 手加減した上での、故意の敗北。

 それは頭では理解していたものの、屈辱として彼女の記憶に刻まれていた。

 特に、その後、あちらこちらで思うがままにその凄まじい力を振るい、己が身に宿る力に酔いしれれば酔いしれるほど、かつてのガゼフとの試合における敗北という結果は、じくじくと彼女の胸の内を膿み爛れさせた。

 

 

 今、この機を逃せば、再びガゼフと戦う機会はあるまい。

 ガゼフはこの世界の人間としてはかなりの力を持っているようだが、ナザリックの者達とは比べ物にならない。放っておけば、どこかでベルの(あずか)り知らぬうちにナザリックの雑魚モンスターの手にかかり、死んでしまう事も十二分にあり得る。

 雪辱を果たす機会は、今しかあるまい。

 

「……ああ、いいとも。その話、受けようじゃないか」

 

 

 

 据え付けられていた仮の玉座が片づけられ、中央に大きな空間が生まれる。

 そこで相対するガゼフとベル。

 

 ガゼフは完全装備である。

 リ・エスティーゼ王国の至宝である〈活力の小手(ガントレット・オブ・ヴァイタリティ)〉、〈不滅の護符(アミュレット・オブ・イモータル)〉、〈守護の鎧(ガーディアン)〉を身に着け、そして手には〈剃刀の刃(レイザーエッジ)〉を構えている。

 

 対するベルは普段の格好のまま、紫色の派手な男物のスーツを着ており、その服には防御効果があるとは到底思えない。

 

 だが、それでもガゼフの目には、この少女が容易い相手とは映らなかった。

 ガゼフは武技〈急所感知(ウィークポイント)〉を発動させるも、一見たおやかな少女のどこにも弱点といえるものは見当たらない。

 

 

 

 しかし、それでも、ガゼフとしてはこの細い綱を渡るより他になかった。

 

 もし、一騎打ちをせず、そのまま戦闘になった場合、王を守る事は絶対に叶わない。

 なにせ、ガゼフでも一対一で互角に持ち込めるかどうかという程のアンデッドが敵方には何体もいるのだ。乱戦にでもなれば、瞬く間に他の者達は鏖殺され、ガゼフもまた一対複数相手に為す術もなく殺されるだろう。

 

 だが、一騎打ちならば、まだ目がある。

 一対一でこの少女を倒すことが出来れば、彼女が引き連れているアンデッドたちは指揮命令者を失い、混乱するだろう。よしんば主の復讐に走ったとしても、その狙いはガゼフただ一人。彼が戦っている間に、王は他の者たちの手によってこの場を脱することが出来るはず。

 彼自身は助かることは無いだろうが、他の者達の命を救う事が出来るかもしれない。

 

 

 ガゼフはそれに賭けた。

 その為には、まず、この少女を倒さなくてはならない。

 見たところ、彼女は特にガゼフに警戒を払ってはいない。見るからに凶悪な印象を与える戦斧を手にしているものの、その腕はだらりと垂れさがったまま。

 

 ――明らかに油断している。

 

 自分を前にしてそのような態度を取られることに、彼としてもいささか腹に据えかねるものを感じるが、とにかく好都合だ。

 彼女が油断しているうちに、必殺の一撃を加える。

 

 ガゼフは自分が使える限り、ありったけの武技を発動させ、機をうかがう。

 そんなガゼフを前にしても、ベルはただ何もせず、悠然と突っ立ったままであった。

 

 

 

 ゴクリと誰かの喉が鳴る。

 

 

 

 瞬間、ガゼフは弾丸のように突進した。

 

 己が身が風を切る音が鼓膜に響く。

 文字通り、目にも留まらぬ速さで踏み込み、袈裟懸けに振り下ろした。

 

 

 ガゼフのこれまで生きた全人生をかけた必殺の一撃。

 それは狙いたがわずベルの頭部を直撃し、その小さな頭の半ばまで、ざっくりと光り輝く刃が食い込んだ。

 

 

 王国の至宝〈剃刀の刃(レイザーエッジ)〉。

 それはベルの保有する特殊技術(スキル)〈上位物理無効化Ⅲ〉をも貫いた。

 

 

 

 ――勝った!

 

 

 

 その場にいた誰もがそう思った。

 可憐な外見の少女の死にわずかな罪悪感を覚えたものの、これで窮地を脱したと安堵の息を吐いた。

 

 

 しかし――。

 

 

「あはははは!」

 

 響いたのは哄笑。

 

 

 笑っているのは誰であろう、その頭部を刃によって切り裂かれた少女。

 脳の半ばまで断ち切られ、常人であれば確実に死するはずの怪我を負いつつも、傷口から止めどなく噴き出る鮮血など気にもせずに、彼女は甲高い声で笑っていた。

 

「あはははは! やるじゃないか、ガゼフ! この地にやって来てから、俺に……この地の者で俺にダメージを与えたのは、お前が初めてだぞ!!」

 

 ゲラゲラと笑い声をあげる。

 〈剃刀の刃(レイザーエッジ)〉によって大きく切り裂かれ、べろりと垂れる顔面の皮膚を小さなその手でしっかと掴むと、力任せに引きちぎる。その整った顔の左半分の生皮を自ら剥ぎ、てらてらとした血に濡れる肉の筋を晒しつつ、少女は狂ったように笑った。

 

 

 事ここに至って、彼らは自分たちの目の前にいるのは見た通りの可憐な少女、人間ではなく、全く異質の存在であるという事に気がついた。

 

 そのあまりの異様を前に、誰もが息をのみ、歴戦の強者たるガゼフですら(ひる)み後ずさった。

 (おび)える彼らを茶化すように、ベルはその舌で、自らの顔面を流れる赤い血をべろりと舐めとって見せる。

 

 そして、恐怖に震える(さま)に満足したかのような笑みを顔に浮かべ、今度はこちらの番とばかりに、ガゼフへと襲い掛かった。

 

 

 

 彼女の持つ戦斧が横薙ぎに払われる。

 背筋を走る怖気に身を固くしつつも、ガゼフはそれを手にした剣で受け止めようとする。

 

 しかし、彼女が振るうのは神器級(ゴッズ)とまではいかないが、この世界の基準からすれば桁外れの性能を持つ伝説級(レジェンド)の武器である。

 そして振るうベル本人はというと、万能型寄りのビルドであるため、特化型には及ばないが、それでも100レベルの戦士タイプである。この世界特有の武技は使えなくとも、その単純な能力値はこの地に生きるものをはるかに圧倒している。

 

 

 そんな彼女が全力で振りぬいた戦斧。

 それはガゼフの全力をもって防ごうとした剣を弾き飛ばし、彼の鎧をたやすく切り裂き、その身体を一瞬のうちに両断した。

 

 

 

 宙を舞うガゼフの上半身。

 くるくると回転し、鈍い音を立てて毛足の長い絨毯の上へと落下した。

 

 

 リ・エスティーゼ王国、最強の戦士。ガゼフ・ストロノーフの死。

 

 

 その事実を前に、国王ランポッサ三世を始めとした者達は、身じろぎ一つ許されず、ただ立ち尽くすしかなかった。

 

 

 そんな彼らの耳朶(じだ)を打つのは、少女の甲高い狂笑。

 

 

「あははははは!」

 

 

 ガゼフ・ストロノーフは死んだ。

 ガゼフ・ストロノーフを殺した。

 これで、あの時の屈辱を晴らした。

 雪辱を果たした。

 

 

 思えば、ガゼフとの関わりこそ、ベルのこの地における始まりだったといえる。

 後先で言うならば、エンリやネムなどカルネ村の住人や村を襲っていた偽騎士達との出会いの方が先なのであるが、彼女らについてはあくまで、ただ襲われ困っているところを助けたという、ゲームにおけるイベントのようなものであった。

 

 対して、ガゼフは初めて、この地に生ける『人間』として相対した存在である。

 対等の相手として交渉し、真剣勝負ではないとはいえ剣を交え、そして共闘した相手である。

 

 そんなガゼフと再戦し、そして勝利した。

 

 

「あははははは!」

 

 

 ベルの胸の内にあるのは、ようやっと心のつかえが取れたという達成感。

 気にかけていたものを終えたという満足感。

 遂に目的を達したという充足感。

 そんな様々な感情、思いが心の奥底から湧き上がってくる。

 その感情に身を任せ、彼女は笑い続けた。

 

 

 

 しかし――。

 

 

 しかし、そんな高揚とは裏腹に、その心のうちに、それらとは相反するものも生まれていた。

 全てやりきってしまったという寂寥感。

 これで終わったのだという虚無感。

 まるで寝食忘れて熱中していたゲームをクリアしてしまった後のような、一体これから何をやればいいのだろうという、ただ空虚な感覚が彼女の胸の内に風穴を開けていた。

 

 

 

 ――あぁ、あぁ、楽しかったなぁ……。

 

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 腹まで響くような轟音が響いた。

 胸壁を守る兵士は疲れきった瞳でそちらに目を向ける。

 

 

 彼はこの街の衛士であった。

 かつて少年の頃は、街の安寧を自分が守るのだと理想に燃えていた。実際に衛士になってからは現実を知り、すこしやさぐれはしたものの、それでも人々の平和を守るという仕事に真摯に向き合い、懸命に職務に取り組んでいた。

 以前のアンデッド騒ぎの際も、冒険者たちと力を合わせることでなんとかこの街を、市民を守り切った。

 

 ――自分の力が街に平穏を作っている。

 

 彼は、それを誇りを持っていた。

 

 

 ところが、今直面しているのは、どうやっても覆せない現状。

 アンデッドに囲まれ、孤立したエ・ランテルは敵の攻撃ではなく、そこにいる人間たちの手によって滅びようとしている。

 こうして城門を守る任につき、胸壁の上に立っていると、市街から立ち上る黒煙が幾筋も天へと昇っていく様が目に入った。

 

 

 

 彼はよろよろとした足取りで、すきっ腹を抱え壁際へと歩み寄った。いまさら馬鹿馬鹿しいが職務に従い、先ほどの轟音の原因を確かめねばならない。

 

 ――ついに城門に攻撃を仕掛けてきたのか……。

 

 そんな最悪の想像とともに、彼は胸壁の縁から身を乗り出し、城壁の外側を覗き込む。

 

 

 もはや悲嘆も絶望も通り越して、諦観が湛えられた瞳が、大きく見開かれた。

 

 

 彼は叫ぼうとした。

 だが、ろくに食事もとれておらず、活力を失っていた彼の喉は、その驚愕もあいまり、かすかな声を立てるにとどまった。

 そこで彼は胸元に吊るしていた警告用の笛を咥えると、力の限りに吹き鳴らした。

 

 その音に気がつき、他の衛士たちが集まってくる。

 

「おい。いったい、どうしたんだ?」

 

 そう問いかける彼らに対し、彼は震える指で城外に立つ存在を指し示した。

 彼に負けず劣らず、疲れ果てた様子の男たちは緩慢な動作で、そちらへと顔を向ける。

 

 そして、彼らの顔もまた、先ほどの彼とまったく同様に驚愕の表情を浮かべた。

 その視線の先にいたのは――。

 

 

「モ……モモンさん……。モモンさんだ!!」

 

 

 

 彼らの視線の先、城壁の向こうに立つのは、エ・ランテルの人間が忘れるはずもない、漆黒の全身鎧(フルプレート)に身を包み、深紅のマントを翻し、巨大な両手剣(グレートソード)を両手に二刀流で持つ堂々たる姿。 

 

 アダマンタイト級冒険者『漆黒』のモモンである。

 

 彼の後ろには、これまたこの街の人間には馴染みの美しき女神官ルプー。

 そして、トブの大森林において伝説の魔獣として語られ、モモンとの戦いに敗れた後は、彼の配下となった森の賢王ハムスケ。

 さらに彼らの上空には、およそこの世の誰も見たことがないであろう威容を誇る、獅子の頭を持ち、絢爛たる鎧に身を包んだ天使が6体浮かんでいた。

 

 そして、さらに付け加えるならば、その後ろには荷馬車の車列が数限りないほど並んでいる。

 

 

 

 モモンは突進する。

 その先には、王国の精兵たちですら歯牙にもかけられず滅ぼされた、強大無比なるアンデッドの群れ。

 

 しかし、その走る姿を胸壁の上から見守っていた衛士たちには確信があった。

 

 ――あの人ならば、絶対に負けることは無い、と。

 

 敵陣に単身飛び込んだモモンは、その両手に握りしめた剣を縦横無尽に振るう。

 その刃にかかった、見るからに恐ろしい暗黒の鎧を身につけた死の騎士たちは、たった一撃のもとに地に伏していく。

 そして、上空に位置する天使たちが陣形を組むと、目の文様が施された盾から光線が閃いた。

 

 

 眩いばかりの光が辺りを包む。

 着弾により生じた濛々(もうもう)たる土煙。

 それが晴れた後、そこに立っているのはモモンただ一人。

 あれだけいた恐るべきアンデッドは、天使たちの放った一撃のもとに消滅させられたのだ。

 

 

 歓声が上がる。

 彼らはその身に宿る精気を最後の一滴まで絞り出すかのように、精一杯の声をあげた。

 

 そして、彼らは走った。

 門を開け、城壁の外にいるモモンを迎え入れるために。

 

 

 そして、街の者たちに偉大な英雄の帰還を知らせるために。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 『漆黒』モモンの帰還。

 

 その話は瞬く間にエ・ランテル中を駆け巡った。

 彼がエ・ランテルを封鎖していたアンデッドの撃退に成功したという一報と共に。

 

 街に戻ったモモンは休むことなく、彼の仲間と天使の群れを引き連れ、一両日もせぬうちにエ・ランテル周辺にいたアンデッドたちをすべて駆逐してしまった。

 これによって、およそ2か月ぶりに、エ・ランテルの封鎖は解除された。

 

 

 そしてもう一つ、喜ばしい知らせがあった。

 モモンと共に来たあの荷馬車の隊列は、王都リ・エスティーゼからのものであり、王都のスタッファン王がモモンの護衛の下、大規模に輜重隊を動かし、エ・ランテルへ食料を運んできたのだ。

 

 目を血走らせ、殺気だっていた者たちは皆、その手の武器を捨て、配給の列に並んだ。

 

 そこで配られた食料。

 やや硬めのライ麦パン。

 どろりとしたとろみのあるスープには、ジャガイモやニンジンなどの野菜がごろごろと入っている。

 歯ごたえのある干し果実は、噛んだ瞬間、口の中に甘みが広がる。

 

 本当に久しぶりとなる、人間が食べる食物。

 その味に誰もが、目に涙を浮かべた。

 

 

 その食事を口にしながらも、一つ疑問が湧いた。

 

 ――はて?

 こんな食料を送ってきたスタッファン王とは誰だったか?

 リ・エスティーゼ王国の王はランポッサ三世という名前ではなかったか?

 そして、そいつはこの街の最奥部に閉じこもっているはずではないか?

 

 そんな事を考え首をひねった者もいたが、そんなものは美味の前には大した事実でもなかった。

 

 まさに、この食事は素晴らしかった。

 コクがあり、また油分の多いスープは、ちぎったパンを浸して食べると、えもいわれぬ風味が口の中に広がる。塩気とわずかな酸味がちょうどいい。これまで空腹であった胃腸に負担をかけぬよう風味の他に薬効を併せ持つ香辛料が混ぜ込まれており、わきあがる香ばしい香りが食欲をそそる。そして、隠し味にはライラの粉末。

 

 誰もがこぞって、配給の食料を求め、そして癖になる味に舌鼓を打った。

 

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 そうして、一段落ついた後、モモンは街の者達を連れて、ある場所を目指した。

 そこは3つ目の壁と門に守られた、このエ・ランテルの最奥部。

 

 モモンが戻り、民衆への食料の配給が始まったというのに、いまだにその門は固く閉ざされたまま、一向に開く様子を見せない。

 そこで、モモンは街の衛士たちと共に、その場所を目指したのだ。

 

 

 彼らが門前にたどり着き、大声で呼びかけても、中の者達は一切反応一つしなかった。

 そこで、ロープの先に鉤爪をつけた鉤縄を投げ入れ、内部へ侵入を試みることにした。

 

 そうしてエ・ランテル第3の胸壁の上に昇った彼らが見たもの。

 それは、行政区の高い建物が立ち並ぶ中を、アンデッドたちが思うままに闊歩する光景であった。

 

 すでにエ・ランテル最奥部は、どうやってこちらに侵入したのかは分からないが、アンデッドの侵攻を受け、壊滅していたのだ。

 

 驚愕に言葉もない皆に対し、モモンは彼らに市街へ戻るよう命じた。

 自分はこれから内部に降り、あのアンデッドを殲滅するつもりだ、と告げた。

 

 彼らもまた、命に代えても街を守る意思を持った衛士である。そのモモンの言葉には反駁した。自分たちも行くと。

 しかしモモンから、アンデッドの中には殺した相手をアンデッドに変えてしまう能力を持ったものもいる為、大勢で行くよりは、自分の仲間たちのみの少数で行った方がいいと説得され、彼らはモモンの武運長久を祈り、ロープを伝って胸壁の上から、再び市街地へと降り立った。

 

 やがて聞こえてきたのは激しい戦闘の音。

 鉄と鉄とがぶつかり合う甲高い音が、間断なく門の向こうから聞こえてくる。

 彼らは、モモンが無事に出てきてくれることを祈った。

 

 

 およそ丸一日ほど経ったのち、扉が音を立ててゆっくりと開いた。

 衛士たちが見守る中、そこに立っていたのは、もちろん漆黒の全身鎧(フルプレート)に身を包んだ偉丈夫。

 

 市中のアンデッド討伐に成功したモモンは歓声によって迎えられた。

 

 そして、モモンの口から、最奥部にはすでに生ける者は一人たりともいなかったことが告げられた。

 ここにリ・エスティーゼ王国におけるランポッサ三世の統治は終わりを迎え、そして今も王都にいる新王スタッファンの統治が幕を開けた。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ザッ、ザッ、ザッ、ザッ。

 

 

 舗装もされていない道路を大勢の人間が歩く音が響き、乾ききった土は膝のあたりまで土埃を舞い上がらせる。

 

 その一団は皆一様に武装していた。

 とはいえ決して重装備という訳でもなく、軽い布の服の上から肩当て、胸当てを身に纏い、頭には頭部をすっぽりと覆う金属製の兜をかぶっているのみ。手には両手持ちの長槍が一本。

 

 そんな衛士たちを引き連れ、その前を歩く堂々たる姿。

 エ・ランテルの住人ならば、その姿を見間違う事などない、漆黒の全身鎧(フルプレート)に深紅のマント。

 冒険者モモンである。

 

 

 

 彼らが今、何をしているかというと、市街の巡回である。

 

 モモンの活躍により街周辺、及び最奥部にいたアンデッドは駆逐された。

 それにより街から危険が去ったのであるが、それでも閉じ込められていた間に街が負った傷は深い。そこら中に破壊と略奪の跡が生々しく残り、そこに住まう者達の心もまた荒廃しきっていた。

 

 そんなこの街の治安を守るため、モモンは衛士たちと共に街をパトロールしていた。

 

 なにせ、モモンの姿を見ただけで、大抵の者は大人しくなる。どんな強面の人間だろうと、彼の姿を見た者は竦みあがって、頭を下げる。

 中にはそれでも争いを止めようとしない者はいたのだが、そういった輩はモモンがその闘気を一当てするだけでおとなしくなった。

 

 

 

 そうして、彼らは一軒の大きな建物に差し掛かる。

 そこには並べられたベッドの上に、幾人もの人間が横たわっていた。その口元には大振りの吸引具が咥えられ、甘い香りの煙を吐き出している。

 

 いささか眉を顰めたくなる光景だが、これも今のエ・ランテルの現状であった。

 封鎖されていた2か月もの間、この街では言語に絶する所業が繰り広げられていた。それに耐えきれなくなった者達が薬に逃げることまでをも、厳格なまでに法を守って止めさせようとする者はいなかった。

 

 彼らは顔をこわばらせつつも、施設内を見て回る。

 

 

 ふと、その時――モモンが足を止めた。

 

 彼の視線の先にあるのは、一つの病床。

 そして、そこに横たわり他の者同様、人の腕程もある大きなパイプで麻薬を吸引している女の姿。

 

 

 共に巡回していた衛士たちから、(いぶか)しげな視線を投げかけられる中、モモンはその女性の許へと歩み寄った。

 

 その顔にかかっていた薄汚れた金髪の髪を、黒く光り輝く籠手でかき上げ、その下の顔を覗き込む。

 そこにあったのはすっかりやつれ、流れた涙が乾いた跡もそのままに、虚ろな笑みを浮かべている、かつて共に旅したこともあるワーカーの姿。

 

 その胸元に抱いているのは、ボロボロに引き裂かれ、どす黒い血で汚れている小さな女物の2着の衣服。

 

 

 モモンは彼女の名を呼びかける。

 しかし、その顔はなんら反応を見せることはなく、幸せそうな笑みに固まったまま。

 

 彼女はすでに事切れていた。

 

 

 彼はその肩に手をやったまま、しばし何も言わずに俯いていたが、やがて彼女の遺体をその胸に抱え上げた。

 いまだ煙をあげるパイプがベッドから落ち、音を立てて床を転がった。

 

 

 皆の視線を集める中、モモン――アインズははるか遠くを眺めた。

 

 

 

 ――これが……。

 これが結果だ。

 他の誰でもない。

 俺たちが、……俺が選択したことによる結末だ……。

 

 

 アインズはすっかりやせ衰え、女性という事を加味してもはるかに軽くなった彼女の遺骸を抱いたまま、一人立ち尽くしていた。

 

 

 

 

 




 しまった。
 ベルがネタ晴らししてから、闘うという展開が続いていた。


 これで王国編は一区切りになります。
 この後は、おまけを1、2話挟んで新章にいく予定です。
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