オーバーロード ~破滅の少女~   作:タッパ・タッパ

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2017/3/23 「持ってしても」→「以ってしても」、「触手」→「触角」、「羽根」→「翅」、「何だろう」→「なんだろう」、「鑑みた」→「勘案した」、「預かり」→「与り」、「転移す」→「転移し」、「参加して来たら」→「参加してきたら」 訂正しました



第81話 おまけ ワールド・ベースボール・ナザリック

「そんな事より、野球しようぜ!」

 

 

 

 ベルから投げかけられた言葉に、アインズは唖然とした。

 その顎をカクンと下げ、黒曜石の卓についたまま、石化でも受けたかのように身じろぎ一つせず凍り付いた。

 

 

 

 時を(さかのぼ)ること、しばし。

 

 ナザリック第9階層の執務室でアインズは1人思い悩んでいた。

 お付きのメイドは少し一人で考えたいからと言って、退出させている。アインズ当番を外されるという事は、ナザリックに仕える者にとって、計り知れないほどの悲嘆を与えるものであったのだが、そんな事にすら気が回らぬままに、アインズは懊悩していた。

 

 

 思い返すのは先だっての王国における顛末。

 

 計画を立てたのはベルであるのは事実。

 しかし、それを自分は了承したのだ。

 

 かつてリアルで会社員だった時代、上司に説明して認可を貰い、書類にしっかりと判子までついてもらったのに、後で問題が起きたら、「そんなものは聞いていない」、「部下が勝手にやったことだ」などと言われ、必死に関係先に頭を下げて回った経験がある鈴木悟としては、主だったことに関与したのはベルであって、自分は関係ないと責任逃れすることは出来なかった。それが出来るほど彼は面の皮が厚くはなく、そういう甘さがブラック企業における底辺社員の証左でもある。

 

 とにかく、今、ナザリックが原因で起こっていること――直接的にも間接的にも――について、彼は見て見ぬふりで済ますことは出来なかったのだが、ならばはたしてベルに対し、いったいどういう風に話を切り出したものやらと頭を悩ませていた。

 

 

 

 そんなとき、部屋の扉がノックされた。

 

 入室を許可する言葉を口にするより早く、扉は音を立てて開かれた。

 そして足音高く入ってきた、悩みの原因である当のベルは開口一番、「そんな事より、野球しようぜ!」とのたまったのだ。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 時を(さかのぼ)ってみても、まったく分からない。

 意味不明というより他にない。

 

 

 しかしベルは、そんなアインズの困惑など気にもかけずに、言葉をつづけた。

 

「野球ですよ、野球。今、最もナウなヤングにバカウケなホットでイタメシなトレンディですよ」

「すみません。JAPAN語でお願いします」

 

 やれやれと椅子の背もたれに身を預けるアインズ。

 

 ――おそらく図書館で野球漫画でも読んだのだろう。

 相変わらず、自由なことこの上ない。

 

 しかし――。

 

「……そうですね。やりましょうか」

 

 アインズはそう口にした。

 

 ここ最近ぎくしゃくしていたベルとの仲を考え、こういうのも気分転換としていいかと、考え直した。

 すっくと贅をつくした椅子――正直、手すりなどに各種宝石が埋め込まれており、座り心地はあまりよろしくない――から立ち上がり、そして尋ねる。

 

「でも、一つ聞いていいですか、ベルさん」

「なんです?」

「いえね、野球ってどうやるんですか?」

「さあ?」

「……」

「……」

 

 

 無言の時が過ぎる。

 

 

  

 彼らが生きていた22世紀でも当然ながら、野球は人気スポーツの一つであった。普通の子供がスポーツに親しみ、一般人でも休日に草野球に興じるほどの余裕はなく、ごく一部の才覚を見出された者による興業であったのだが、それでもユグドラシルを始めとしたDMMOなどと並び、多くの者が日々の生活で疲れた心と体を癒す娯楽として、人気であった。

 

 しかし、そんな人気のスポーツであったのだが、リア充などという言葉とは程遠く、唯一の趣味はユグドラシルというアインズ――鈴木悟は当然ながら、テレビでやっているそんな中継などろくに見た事もなかった。

 

 

 そしてさらにベルの野球知識も、アインズのものと大差はない。

 

 実際、野球をやろうと言って現れたベルの手の中にあるものであるが、片方は木製のバットであり、これはいい。

 しかし、もう片方のボールはと言うと、何故だかバスケットボール大の、しかも完全な球体ではなく微妙に歪んだ代物なのである。

 

 

 

「いや、ルールも知らずに、どうやれと?」

 

 当然の疑問を口にするアインズ。

 

「いや、まあ、詳しいルールは知らないですけどね。でも、大体は分かりますよ。ほら、ペロロンチーノさんが貸してくれたエロゲで、野球ものってあったでしょ」

 

 言われてアインズは昔、ペロロンチーノに薦められてやったゲームの内容を思い返す。

 それらの中には野球というスポーツをやっているものもあった。確か、はるか昔のゲームのリメイクとかいうので、ミニゲームで野球をやっていた。

 たしか、その内容は……。

 

「ええっと、ボールを投げて、バットで打つ……?」

「そして打たれたボールをとって……えーと、またバッターの方へと投げるんですよね? そして、それをバッターが打って、それをまたキャッチして、……って如何に長く続けるかというゲームだったような」

「たしか、そんな感じでしたね」

「まあ、とりあえず、やってみましょう」

 

 アインズの方へ、ポイと手にしていたボールを放ってよこす。

 それを両手でキャッチすると、テーブルを回り込み、アインズは距離をとってベルと相対する。

 ベルはバットを構え、その先をくるくると回してみせた。

 

「じゃあ、いいですよ。投げてください」

「はい。では、いきますよ」

 

 アインズは胸の前で一度抱え込むようにして、バットを構えるベルを見据える。

 そして大きく振りかぶった。

 

「とあっ!」

 

 いささか気合の抜ける掛け声、並びに少々珍奇なフォームながら、力を込めてボールを投げるアインズ。

 

 

 

「ぐはあっ!」

 

 そのボールは狙いたがわず、打撃フォームをとっていたベルの脇腹を直撃した。

 

 

 

「ちょ、ちょっと、待ってください、アインズさん! なんで俺めがけて投げてるんですか!?」

 

 体をくの字に曲げて倒れ込んだベルは、起き上がると抗議の声をあげた。

 

「え? だって、ベルさんの方に投げないと打てないでしょ」

「いや、違いますよ。俺に向かって投げるんじゃなくて、俺の横! この前の辺りに投げるんです。そうじゃなきゃ打てないでしょ」

「でも、ミサイルパリーとかは自分に向けて投げつけられたものを弾いてますよね」

「いや、それは戦闘の特殊技術(スキル)だからでしょ。そうじゃなくて、野球は特殊技術(スキル)とか使わない、普通の人間がやるスポーツなんですから、本当に自分に向かってきたら打ち返しようがないじゃないですか」

「ああ、なるほど」

「いや、マジでダメージ入るほどでしたよ、今の一撃! この世界に来てから俺にダメージを与えたのは、アインズさんで何人目かですよ!」

 

 おかしな表現で騒ぐベルに対して、「はあ、そりゃすみません」と一応、謝罪をするアインズ。

 では、今度は投打を交換しようということになり、お互い持っていたバットとボールを交換する。

 

 

 だが、そうしてアインズからボールを受け取ったベルは――にやり笑った。

 

「くっくっく。引っ掛かりましたね、アインズさん」

「? ベルさん? いったい何を言いだしてるんです?」

「ふふふ。おかしいと思いませんでしたか?」

 

 そう言って、人形のように整った少女の顔、その口角を吊り上げる。

 

 

 言われたアインズはハッと気がついた。

 

 今、2人がやっているのはあくまでただのスポーツでしかない。互いに危害をダメージを与えるための攻撃ではない。

 そもそも、2人とも特殊技術(スキル)として、〈上位物理無効化Ⅲ〉を持っているのだ。この特殊技術(スキル)を保有していれば、レベル60以上のアイテムでもなければ、傷一つつくことはない。

 

 

 しかし、先ほど、ベルはアインズが投げたこのボールによってダメージを受けた様子だった。

 すなわち、このボールはレベル60以上のデータ量を持つアイテムという事だ。

 

 

 ――いったい何故、たかが遊びにそんなものを持ってくるというのか?

 

 

 アインズはその意味するところに、本来、かかぬはずの冷や汗が流れる思いであった。

 そんなアインズを前にして、不敵な笑みを浮かべ、ベルは言い放った。

 

「アインズさん。俺はあなたに秘密にしていた事があります」

 

 その言葉にアインズは、大きく身じろぎした。

 

「ひ、秘密とは?」

 

 固唾をのむアインズに対して、ベルは続ける。

 

「アインズさん、実は俺は……」

「『俺は』……?」

「ふふふ。実は俺は……ギャラクシーエネミーだったんです!」

「……」

「……」

「…………なんです、それ?」

 

 呆気にとられたまま尋ねるアインズ。

 それに対し、ベルは不敵に笑って答えた。

 

「ワールドエネミーを超えた存在です。その一撃はレイドボスを一撃で倒し、その防御力はワールドチャンピオンの一撃を以ってしても傷つけることはできず、唱えただけですべての敵を死滅させる呪文を会得しており、その吐息は色とりどりの花々を咲かせるという、運営が用意した秘密キャラだったんです」

「……そうですか。ソレハ凄イデスネ」

 

 

 厨二病という言葉では収まり繰らぬほどのチート設定にあきれ果て、コキュートスのような喋りになってしまう。

 そもそも、『その防御力はワールドチャンピオンの一撃を以ってしても、傷つけることはできず』とか言っているが、先ほどアインズの投げたボールでしっかりダメージを負ったばかりである。

 たった今、身構えたのは何だったんだろう、真面目に聞いて損したという気分になってしまったアインズであった。

 

 しかし、そんな呆れかえったアインズを前にして、ギャグが思いっきり滑ったことを自覚し、顔を赤くしながらも今更退けないとばかりに、その設定を続けるベル。

 

「ふ、ふふふ。しかもですよ。えーと、……俺はついでにワールドチャンピオンでもあるんですよ!」

「はいはい」

「ワールドアイテムも個人的に持っています。それも2つも」

「わー、すごーい」

「かつては、たっちさんもワンパンで倒した事があります」

「もういっぺん、言ってみろや、ハゲ!!」

「ハゲはアンタでしょうが。まあ、いいや。じゃあ、いきますよ」

「あ、はーい。どうぞー」

 

 特に力もいれずに軽く放ったボールは、しっかりとバットを構えるアインズの脇、ストライクゾーンへと投げ込まれ、それに合わせてバットを振るうアインズ。

 打ち返されたボールはベルの真ん前に跳び、彼女はそれを両手でしっかりと受け止めた。

 

「おー、いいじゃないですか」

「結構面白いですね、これ」

「じゃあ、もう一回いきますよ」

「はーい。バッチこーい」

 

 再度ボールを投げるベル。

 今度は、投げる際に手を滑らせるようにして回転をかけた。高速で回転することにより、放たれたボールは先ほどとは異なり、不規則な軌道を取る。

 

「おっと!」

 

 声をあげつつ、かろうじて打ち返すアインズ。

 

 「あっ!」

 

 しかし、その動きを何とか目で読み、すくい上げるようにしてバットで捉えたため、ボールは大きく弧を描き、ベルの頭上を越えて飛んでいってしまう。

 

 

 

 パシリ!

 

 ドアの方へと飛んだボールが受け止められる。

 ボールを掴むのは白い布手袋。

 

 執務室に入ってきたセバスが、それをしっかりとキャッチしていた。

 

 

「おや、ボール遊びですかな?」

 

 自らの手の中にあるものを認め、セバスはにこりと微笑んだ。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「じゃあ、どうしましょうか?」

「6階層にでも行きます?」

 

 2人は9階層の廊下を歩いていた。

 あの後、セバスから、部屋の中でボール遊びをしてはいけないというしごく当然の事を小一時間にわたり、オブラートに包んでいうと苦言を呈されたのである。

 それからようやく解放された後、精神的に疲れた様子を醸しつつも、どこかに人を集めて野球をやろうという算段を立てていた。

 

「……でも、私たちが野球をやるから集まれといったら、ナザリックの全員が集合しませんか?」

「ああ、確かに。アインズさんからの言葉ともなれば、どんな任務より優先順位は高いって判断するでしょうからね。じゃあ、今仕事してない奴を集めますか」

「その方がいいでしょうね。……あ、でも、そうしたら、休暇を与えられていたはずの者が、駆り出されることになりかねないですね」

 

 

 脳裏に浮かぶのは、ナザリックの一般メイドたちの事。

 彼女らには、ローテーションで1日ずつ休暇を与えている。それはアインズの名をもってしての事だ。そうして休みとして、自分の時間を過ごしているはずの彼女らは当然、たった今、仕事をしている状態ではないだろう。つまり、今日の休みが誰だったかは思い出せないが、その者は休暇を潰され、アインズ達につき合わされるという事になる。

 

 休みの日、のんびり遊んで過ごそうと――それはほぼ1日ユグドラシルするだけなのだが――していたとき、急に呼び出しがかかり、上司や取引先の人間のやりたくもない趣味につき合わされた経験のあるアインズ――鈴木悟からすると、大切な彼女らにそんなことはさせたくないという思いが強く胸にあった。

 

 

「じゃあ、条件を変えましょう。割り当てられた休暇などにより『今現在、仕事をしていない』ではなく、『今現在、完全にする事もなく指示もない状態にある』者に限るという事で」

「まあ、それならいいですかね」

「じゃあ、ちょっとその条件で、メンバーを集めてみましょうか」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 そうして集められた者達がナザリック第6階層、円形闘技場(コロッセウム)の地に立つ。

 

 彼らはアインズとベル、それぞれをリーダーとしたチームに分けられた。

 チーム分けとしては以下の通りである。

 

 

 アインズチーム。

 

  1.アインズ

  2.恐怖公の眷属A

  3.恐怖公の眷属B

  4.恐怖公の眷属C

  5.恐怖公の眷属D

  6.恐怖公の眷属E

  7.恐怖公の眷属F

  8.恐怖公の眷属G

  9.恐怖公の眷属H

 

 

 ベルチーム。

 

  1.ベル

  2.恐怖公の眷属I

  3.恐怖公の眷属J

  4.恐怖公の眷属K

  5.恐怖公の眷属L

  6.恐怖公の眷属M

  7.恐怖公の眷属N

  8.恐怖公の眷属O

  9.恐怖公の眷属ZZ

 

 

 

「ゴキブリしかいねえっ!!」

 

 

 

 ベルの叫びが、無言のままにゴーレムたちが並ぶ観客席にこだました。

 

「まあ、皆、仕事してますからねぇ」

 

 当然といえば当然なのだが、ナザリック地下大墳墓の者達は誰もが忙しく仕事を抱え、走り回っている。走り回っていない者も、侵入者への警戒の為に神経を張り巡らせている。

 特にすることもなかったり、あまつさえサボったりなどしている者は存在しないのである。

 

 そんな中、彼ら、たまたま集められた恐怖公の眷属たちは、あまりに増え過ぎて黒棺の中に納まりきらなくなったため、そこから外に出され、新たな指示を待っている状態であり、条件に合致しているとして、今回の件に駆り出されたのである。

 

 

「いや、集まっても、ゴキブリですよ。どう野球しろと?」

 

 彼ら一匹一匹の体長はおよそ3~8cmしかない。アインズ達の力どころか、普通の人間の力でも潰されてしまいそうである。そんなゴキブリを集めて何が出来るというのだろう。

 

 

 頭を抱えるベルの許に、てかてかと黒光りのするゴキブリ――恐怖公の眷属Aが近寄り、その頭部についている触角を振った。

 

「え? 自分たちでもお役に立てるって?」

 

 それに呼応するように別の眷属Bもまた、それに続いた。

 

「そうは言ってもなあ。野球って球技だよ。お前らじゃボール使えないじゃん」

 

 その言葉に、並んでいた後ろからパッとその翅を羽ばたかせてベルの真ん前へと飛び降りる恐怖公の眷属ZZ。

 

 ――何でこいつだけ、Aからのアルファベット順とばして、いきなりZZなんだろう? 額についている変な六角形の突起からビームでも撃つのか?

 

 

 とにかく彼――彼女かもしれないが――は自分たちにやらせてみてくれと懇願した。

 他の者たちもまた、直訴でもするかの如く、ベルの周りを取り囲む。

 比較的虫は平気な方とは言え、ゴキブリの群れに押し寄せられて平然としていられるほどでもないベルは、とりあえず身震いを抑えて「分かった、分かった」と了承した。

 

 

 アイテムボックスから、ピンポン玉程度の球体を一つ取り出し、「ほれ」と転がしてやる。

 

 

 そして、彼らはパッと位置についた。

 中央にいる眷属Aの足許にボールが転がっており、キャッチャー、ファースト、セカンド、ショート、サード等、所定の位置に全員がスタンバイする。

 そうして、のそのそという動きでバッターボックスと思しき場所に眷属Oがつき、そこでプレイボールと相成った。

 

 

 

 そこに置かれたボールに対し、ピッチャーである眷属Aがその頭を打ち付け、ボールは勢いよく地面を転がる。

 それを待ち構えた眷属Oは、自分もまた勢いよく向かってくるボールに頭をぶつけた。

 

 はじき返されるボール。

 それを見て眷属Oはファーストベースに走る。

 

 転がるボールを捉えようとする眷属DとF。だが、一歩及ばず、彼らが走り寄るより早くボールは後ろへと抜けていった。

 

 その隙に眷属Oは一塁を踏んで、2塁を目指す。

 必死でボールを追いかける眷属Cは、ついにそれを捕まえ、勢いよく打ち出す。

 

 2塁に滑り込む眷属O。それをタッチアウトしてやろうとボールを待ち受けるセカンドの眷属G。

 クロスプレイになるかと思いきや、ここで華麗に眷属Mがインターセプト。ボールを捕らえたかと思うと、そのままドリブルで敵陣へ切り込む。

 

 だが、待ち構えていた眷属J、Kにタックルを受けてしまう。

 

 そこで鳴り響くホイッスル。

 どうやらノックオンと判断されたらしい。

 

 両陣営のゴキブリたちが集まり、スクラムを組んだ。その中央にボールが差し入れられ、両チームとも押し合いへし合い、ボールを後ろへと運ぼうとする。

 やがて、彼らの足の下で押し出されたボールを後ろにいた眷属Dが上へトラップ。そこへ眷属Pがその黒光りする羽根を羽ばたかせて、舞い上がり、宙で身を一回転させオーバーヘッドキックを繰り出した。

 

 唸りをあげて飛んだボールは眷属Gと眷属Yの頭上を越え、眷属ZZを直撃した。

 吹き飛ばされる眷属ZZ。その間にボールはこぼれ、地面に落ちる。ヒットとカウントされ、眷属ZZは外野へと移り――。

 

 

 

「おや、アインズ様。それにベル様も。何をしておいでですかな?」

 

 唐突にかけられた声に驚いて振り向く2人。

 そこには臙脂(えんじ)色のスーツの襟を正しながら、歩み寄るデミウルゴスの姿があった。

 

 

 彼は王国における新体制構築の任を受け、そちらの作業を進めていたのだが、大まかの案がまとまり、アインズ並びにベルの決裁を仰ぐ必要があったため、こうしてナザリックに戻り、2人の事を捜していたのである。

 

 ナザリックにおいて階層守護者という高い地位にあるデミウルゴスの立場からすれば、そんな些事は使いの者をやればそれで済む話ではあった。

 だが、彼とてナザリックの(シモベ)である。

 直接会って報告をし、主からねぎらいの言葉をかけてもらいたいという願望があったのだ。

 

 

 そうして磨き上げられた革靴が土埃で汚れることも厭わず、円形闘技場(コロッセウム)を横切り近寄ってきた彼は、顎に手を当て「おや?」と口にした。

 広い円形闘技場(コロッセウム)の片隅、そこでかれの敬愛すべき主たちがしゃがみ込み、恐怖公の眷属たちが集まって何かをしているところを熱心に覗き込んでいたことに気がついたからである。

 

 

 アインズとベルは冷や汗が流れる思いであった。

 たった今、デミウルゴスから何をしているのかと尋ねられたのだが――正直、自分たちでも何と言っていいのかさっぱり分からない状態である。

 まるで、誰もいないと思って独り言を言っていたら、実は後ろに人がいたような。拙いところを見られたとばかりに、バツの悪い思いが胸の内を走る。

 この頭脳明晰な悪魔に対し、なんと言えば自分たちへの信頼を失われずに済むのか言葉を探し、つい口ごもってしまう。

 

 

「あ、あー……デミウルゴス、これはだな……」

「なるほど、そういう事でしたか! さすがはアインズ様!!」

 

 突如、大きな声を出したデミウルゴスにビクッとする2人。

 対する悪魔は得心したかのように、うんうんと何度も頷いた。

 

「なんという素晴らしいお考え。このデミウルゴス、感服いたしました」

 

 そう言って、彼は深く頭を下げる。

 

 

 

 対する2人は驚愕した。

 

 何故、デミウルゴスはそんな態度をとったのか、さっぱり分からない。

 

 

 今、自分たちはゴキブリたちがやっている何か不思議なスポーツ――少なくとも野球ではないと思われる――をただ眺めていただけだったのだ。

 そもそも、チーム分けをしたはずなのに、味方の攻撃を防いだり、いつの間にか審判のゴキブリがいたりとかもはや意味不明であった。ついでに言うと、最初と比べてゴキブリの数が増えているような気もする。

 傍から見れば、広場の片隅でしゃがみ込んで、ゴキブリたちがわさわさ動いているのを眺めていたという、リアルであれば一発でドン引きされること間違いなしの行為であった。

 

 

 そんな状況下から繰りだされた『さすアイ』。

 割と困らされる事の多い、いつものデミウルゴスの深読みであったが、今回は普段にも増して、何を考えたのかまったく想像すらつかなかった。

 

 

 

 顔を引きつらせるベルの頭に、アインズからの〈伝言(メッセージ)〉が届く。

 

《ベルさん、ヘルプ! デミウルゴスが何を考えているのか全く分かりません》

《俺だって分かりませんよ》

《でも、どうにかしないと拙いでしょ。何とかなりませんか?》

《ええー……仕方ないなぁ》

 

 ベルは内心で嘆息すると、パッとアインズの方へと顔を向けた。

 

「え? どういうことなんですか、アインズさん? これにも深遠な目的があったという事なんですか?」

 

 やや、棒読み気味の言葉に、アインズはことさら大きく反応してみせた。

 

「おお、もちろんだとも。……ふむ、そうだな。では、デミウルゴスよ。ベルさんの後学の為だ。お前が察したところをベルさんに語ってあげなさい」

「はい、アインズ様!」

 

 デミウルゴスは実に嬉しそうに返事をし、頭をあげると、事の真の目的までいまだ到達していない様子のベルに対して、穏やかな口調で説明した。

 

「いいですか、ベル様。我らは新たに国を手に入れたのです。スタッファンという小悪党を頂点に据えて、我らの存在を極力隠したまま、この国を影から操り、支配する。そして、ゆくゆくは一国とは言わずにあまねく世界の全てを我らが手中に! さて、その計画を進めるうえで我らには圧倒的に足りないものがございます。それはなんだかお分かりですか?」

「ええっと、支配するための人員?」

「その通り、さすがはベル様! 我らは戦力として最強。現在までのところ入手した、この世界の強者の情報を勘案した際、正面切って戦えばたとえどんな相手だろうと打ち倒せるでしょう。しかしながら、敵を倒すことと地域を占領、支配することは全く異なります。敵を倒すだけなら、ただの一度、戦力を出せば事足りますが、継続的に占領するには多くの人員、それもその地に留まり続ける存在が必要になります。ここまではよろしいですね?」

 

 こっくりと頷く。

 

「そして、そういった人員を増やすのに、最も適しているのはアインズ様の、もしくは他の者達による〈アンデッド作成〉です。これならば、ナザリックに忠誠を誓った、裏切ることない兵員を生み出すことが出来ます。ですが、それは一体一体作成せねばならず、また素体となる死体まで必要となってしまいます。アンデッドたちだけですべてをこなそうとするのはあまりに非効率的と言わざるを得ません」

 

 一旦、言葉を切り、指をピンと上に立てる。

 

「そこで、注目すべきは人間たちです。何せ彼らは数が多い。それに同種である人間たちの方が、相手の気持ちや考えも把握しやすく、アンデッドなどを用いるより相手方に忌避感も生まれますまい。人間の相手は同じ人間にさせるのが一番です。しかしながら――」

 

 デミウルゴスは実に嘆かわしいとばかりにかぶりを振る。

 

「しかしながら、人間は実に愚かにして近視眼的であるという性質を持っております。すでにナザリックに捕らえたこの世界の人間たちで実験してみましたが、あの者達はなんらかの形でもナザリックに貢献する、ナザリックの為になるという事こそが、その身に与えられた至上の栄誉である事すら理解できない様子。また肉体的に見ても、あまりにも弱く、すぐに死んでしまうため、彼らに何かさせるなどという事は困難といえるでしょう」

 

 そこでデミウルゴスは、わさわさと固まっている恐怖公の眷属たちの方へと手を振るった。

 

「そこで、この訓練です。彼ら、恐怖公の眷属たちは他の(しもべ)たちとも比べて、忠誠心こそ劣りはしませんが、その肉体能力はあまりにもひ弱。そんな彼らをもってチームワークを磨き、肉体を鍛錬する方法を確立できれば、その結果は、人間たちにもフィードバックできるでしょう。すなわち、彼らが今、行っているスポーツは、我々の世界征服計画の一端を担う重要な研究なのです!」

 

 

 若干、自慢げに語るデミウルゴス。

 対してアインズはかすれそうになる声を必死で抑え、言葉を紡いだ。

 

「さ、さすがだ、デミウルゴス……。よ……よくぞ、読みきった……」

「お褒めに与り、恐悦至極にございます」

 

 主からかけられた称賛の言葉に、彼は深く頭を下げる。

 

「へえ、そんな深い考えがあったんですね。さすが、アインズさん!」

 

 ベルは握りこぶしを顎に当て、いかにもあざといといえるような仕草で、アインズを褒め称えた。

 もちろん、それがわざとだという事が気がついているアインズは、口の中でうめき声をあげた。

 

 

「ま、まあ、そういう訳だ。今後の統治、占領計画を進めるための一環としてチームでのスポーツをやらせてみようと思ったのだ。それで、野球が良いのではないかという結論になり、それをやってみようとしたのだが、あいにく私もベルさんも人間のやるスポーツなど詳しくなくてな。それで、ちと、困っていたところなのだ。デミウルゴスよ。お前は『野球』とはどのようなスポーツなのか知っているか?」

 

 

 その問いに、彼は主の期待に答えられないふがいなさにその心を(さいな)まれつつ、首を横に振った。

 

「申し訳ありません。私も人間たちのスポーツである『野球』などというものに関しましては、知識がございません」

 

 声に悲痛なものが混じっている事に気がついたアインズは、慌てて彼に語りかけた。

 

「落ち着け。お前は今でも十二分に役に立っているとも」

 

 その言葉に、悪魔は感極まったようにその身を震わせた。

 

「おお、なんともったいないお言葉! そのお言葉だけで、このデミウルゴス、全ての難苦が報われる思いでございます!」

「う、うむ。そういう訳だ。だから、『野球』を知らなくとも気に病むことは無いぞ」

「ははっ! ありがとうございます。……しかし、畏れながら、アインズ様」

「なんだ?」

「はい。その『野球』とやらですが……」

 

 デミウルゴスは続けた。

 

「たしか、以前、アウラとマーレがその『野球』という言葉を口にしていた記憶がございます」

「アウラとマーレが?」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「はい、アインズ様。『野球』なら知っております」

 

 アインズの前ではっきりと答えるアウラ。

 マーレもまた、その姉の言葉に頷く。

 

 

 あの後、アウラとマーレが呼び出された。

 そうしてすったもんだがあり、彼女らは『野球』のルールを知っているという事が判明した。

 

 ちなみにそのすったもんだとは、第6階層の円形闘技場(コロッセウム)に呼び出された2人であったが、そこにいたアインズの後ろに固まる恐怖公の眷属の群れ――いつの間にやら数百体は集まっていた――を目にしたアウラが、天まで届くかという悲鳴を上げた。

 その声に主の危機かと思った第6階層中の魔獣たちが集まってきたものだから、それはもう大騒ぎとなった。

 円形闘技場(コロッセウム)内は、もはや何が何だかわからないイモ洗い状態になり、収拾までにそれなりの時間を要したのだ。

 

 

 そうして集まった魔獣たちをすべて持ち場に戻し――恐怖公の眷属たちにも帰ってもらい――、ようやっと落ち着いて話を聞くことができたところだ。

 

「以前、ぶくぶく茶釜様が『野球』について語られていたことがありましたので、だいたいルールは存じております」

「おお、そうか。それは良かった。では、早速だが、『野球』というものがどういうものなのか教えてくれないか?」

 

 アインズからかけられた言葉。

 およそこの世に知らぬものなどないであろう全知にして全能たるアインズに対して、自分たちがものを教えるという事に、こそばゆいものを感じつつも誇らしげな笑みを浮かべる双子たち。

 そんな彼らに対して、ベルは手にしていたボールとバットを差し出した。

 

「はい、これ」

「え?」

 

 それを前に彼女らはきょとんとした表情を浮かべる。

 

「ええと、そういうのは使いませんけど……」

 

 おずおずと言うマーレ。

 しかし、それを聞いたアインズとベルの心には、クエスチョンマークが並んだ。

 

「ボールもバットも使わない?」

「はい。不要です」

 

 きっぱりと言い切るアウラに戸惑いつつも、とりあえずどうするのか、ちょっとやらしてみる事にする。

 

 そうしたところ、アウラとマーレは少しの距離をおいて、向き合ったかと思うと、「やーぁきゅーうーぅ、すーぅるならー」と、不思議なテンポで歌いながら、その身を踊るようにくねらせる。

 

 それを見ていたアインズとベルは思った。

 

 

 ――うん。これ絶対、本当の野球じゃない。

 

 

 

 そうして眺めているうちに、「よよいのよい」という掛け声と共に、彼女らは手を前に出した。

 アウラが手のひらを広げており、マーレは白い手袋に包まれた手をぎゅっと握っている。

 

「あー、負けちゃったぁ」

 

 嘆くマーレを横目に、アウラはアインズとベルの方を振り向いた。

 

「こうして最後のじゃんけんで負けた方が、服を一枚脱ぐんです」

 

 

 ――脱衣かよ。

 

 

 やっぱり、これは野球じゃないだろうと確信する2人の前で、マーレは自分のひらひらとするミニスカートの中に手を入れると――一気にパンツをずり下げた。

 

 

「ちょ、ちょっと、マーレ! なにやってんねや!?」

 

 思わず、エセ関西弁で叫ぶベル。

 それに対して、片方ずつ足をあげ、足首に引っ掛かっていたパンツを引き抜いたマーレは言った。

 

「ええっと、その、こういう勝負の時は普通上着から脱ぐものだけど、あえていきなりパンツを脱ぐことで相手を動揺させることが出来るからそうすべきだって、ぶくぶく茶釜様がおっしゃられていました」

「「茶釜さーん!!」」

 

 突然轟いた2人の叫びに、アウラとマーレだけではなく、一人残っていたデミウルゴスもまた驚きの様子を見せた。

 

 

「アインズ様。それにベル様も。今、ぶくぶく茶釜様のお名前を叫ばれていたのは……」

「な、何でもない。久しぶりに茶釜さんの名前を聞いたからだ。気にするな」

 

 気にするなと言われても気になるのだが、至高なる御方であるアインズが気にするなと言ったのだから気にしてはいけないのが(しもべ)としてあるべき態度であり、彼らは気にはなっていても気にしない(てい)をとることに努めた。

 

 

 

 結局のところ、野球をするという当初からの目的は振出しに戻ってしまった。

 ため息をつくアインズ。

 そこへ、後ろから声をかけられた。

 

 

「アインズ様」

 

 その声に振り向くと、そこには見慣れたボールガウンを身に纏った少女吸血鬼(ヴァンパイア)

 

「シャルティアか」

「はい。シャルティア、御身の前に」

 

 喧嘩仲間の登場に顔を歪めるアウラの事はとりあえず放っておき、転移で現れた彼女へと向き直る。

 

「どうした?」

「はい。王国国内への捕らえていた野良アンデッドの転送、本日の分が終了いたしました」

「おっと、もうそんな時間だったか」

 

 アインズは腕に巻いたバンドに目をやり、時間を確かめた。

 

 

 

 リ・エスティーゼ王国において、新政権の統治を容易にするため、そして冒険者モモンの名声を高めるために、定期的にアンデッドを領内に送り込み、それをモモン率いる新政権側の戦力が倒すという事を行っていた。

 

 本来ならば、ナザリック――アインズによって作られたアンデッドを暴れさせ、それを倒すという手順ならば、民衆への被害の度合いなども調節しやすいのであるが、アインズとしては貴重なナザリックの戦力たちを自分で潰してしまうのは気が引けた。

 〈アンデッド作成〉の特殊技術(スキル)は一日に使える回数に限りがあるし、時間で消えないアンデッドには触媒となる死体が必要となる。また、その死体の種類によって作れるアンデッドのレベルに上限があり、たくさん手に入る人間等の死体で作れるのは、デスナイト程度が関の山だった。幸い、この地の者たちは大した強さはないため、それでも十分な戦力となるのだが。

 とは言え、貧乏性のアインズとしては、いざというときに使う機会もあるのではないかという心配がついて回り、無駄遣いは極力したくなかった。

 

 

 そこで、注目したのが野良アンデッドである。

 その辺を適当にうろついているアンデッドを捕まえ、適当な場所に閉じ込めておき、必要になったら転移の魔法などで目的の場所に放りだすのである。後は勝手に、近くの村や町へ歩いて行き、そこで暴れだすので、それを退治すればいい。

 その野良アンデッドを使えば、通常のナザリックのアンデッドとは異なり、NPCたちでも仲間意識を感じることなく、倒すことができるという利点があった。それにアインズにしても、もともとナザリックとは無関係の存在だから、倒したとしても罪悪感を感じることもない。

 

 欠点はもちろん誰の指示もないアンデッドを野放しにするため、上手くその行動を程よいところで制御するのが難しいことである。

 

 そのため、野良アンデッドを放したら、後は早めにモモンとしての行動を開始する必要がある。

 

 

「では準備するか。ルプスレギナはどこにいる?」

「ルプスレギナでしたら、たしか第5階層にいるはずでありんす」

「第5階層に?」

 

 疑問の言葉を口にするアインズ。

 ルプスレギナの性格からして、そんな寒いところにわざわざ出かけていくとは思えない。

 そんな彼に対して、横から口を挟んだのはベルであった。

 

「ええっと、たしか今日はプレアデス全員集まって、コキュートスの所でトレーニングをすると言ってましたね」

「トレーニング?」

 

 そう言えば、今日は普段ベルのお付きをしているソリュシャンの姿が見えない。彼女もそちらに行っているという事なのだろうか。

 

「まあ、とりあえず、あいつにもルプーとなる準備をするよう伝えるか」

 

 そう言って〈伝言(メッセージ)〉を使おうとする、アインズ。

 それに対し、シャルティアが声をかけた。

 

「畏れながら、アインズ様。よろしければ、わたしが伝えに行きんしょうか?」

「む? よいのか?」

「はい。アインズ様の為ならば、お安い御用でありんす。わたしならば〈転移門(ゲート)〉ですぐですし、アインズ様もモモンに扮するための準備もござりんしょう」

 

 ナザリックの者にとって、アインズの役に立てる、アインズのために働けるというのはこの上ない名誉である。そもそも、シャルティアがわざわざここへ来たのも、デミウルゴスと同様、アインズから直接お褒めの言葉が欲しかったからであった。

 

「ふむ。では、その言葉に甘えさせてもらうとするか。では、ベルさん。今日の所はこれまでで」

「ええ、そうですね。では、とりあえず、今日は解散しましょうか。皆、お疲れ様」

「ああ、では解散とする」

 

 そう宣言し、アインズは転移していった。

 「それではわたしもこれで」と言い残し、シャルティアもまた〈転移門(ゲート)〉で転移し、残されたベルとデミウルゴス、そしてアウラとマーレの4人もまた解散と相成った。

 

 

 結局、野球をすることは叶わぬままであった。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 揺らめく漆黒の〈転移門(ゲート)〉を潜り抜けたシャルティアは、氷の上に降り立つ。

 そこは磨き抜かれたような輝く氷で覆われた、だだっ広い平地。

 今は吹雪も荒れ狂うことなく、ただ凍てつく空気に覆われていた。

 

 そんな場所にある二桁程度の人影。

 彼らは各自声をあげながら、盛んに体を動かしていた。

 

 シャルティアはそこに立ち、他の者達の動きを見ていた一際大きな人影、コキュートスの許へと歩み寄った。

 

「コキュートス」

「シャルティアカ? ドウシタ?」

 

 そして彼女はコキュートスと二言三言話すと、コキュートスは大きな声を出し、彼の前で繰り広げられていた試合を止めた。

 どうしたのだろうと、皆が集まってくる。

 そこにはプレアデスの面々が顔をそろえており、その中には当然、ルプスレギナの姿もあった。

 

「どうしたんすか?」

 

 尋ねる彼女。

 一滴の汗が額から伝わり、その豊満な胸元へと流れ落ちる。

 

 その様子に目がくぎ付けになりながらも、シャルティアは主であるアインズが冒険者モモンとして出立の準備をしている事を告げる。

 

 それを聞き、さすがのルプスレギナも焦った。

 ふざけた態度をする彼女であるが、アインズに対する忠誠心は他の者に決して劣らない。時間を忘れていた事に対するユリのお叱りの言葉を聞き流しつつ、彼女は慌てて走っていった。

 

 メンバーが抜けた事で、今日の試合はこれまでにするとコキュートスが宣言する。

 

 

「ところで、コキュートス。ちょっと聞きたいんだけど」

「ナンダ?」

 

 皆、三々五々に散らばっていくのを見送りつつ、シャルティアはコキュートスに尋ねた。

 

「さっき、やっていたあの試合。トレーニングらしいけど、あれは一体なんでありんすの?」

「フム、アレカ。アレハ――」

 

 コキュートスは言った。

 

「アレハ『三角ベース』ダ」

「『三角ベース』?」

「アア。本来、チャントシタ人数ガ集マラナイ時ニヤル変則的ノスポーツナノダガナ。本来ノモノハ、カツテ武人建御雷様ガオ好キダッタスポーツデ、ヨク二式炎雷様ト熱心ニ語ラレテイタモノダ」

「至高の御方が好まれていたスポーツ……!」

「ウム。コレハ武人建御雷様ノ受ケ売リナノダガ、戦略的ナ思考ヤ読ミ合イ、一瞬ノ駆ケ引キ、ソシテナニヨリ、チームワークガ必要トナル最高ノスポーツナノダソウナ」

「そうなんでありんすか……」

 

 シャルティアは使用していた用具を片づける、コキュートス配下の蟲人たちを何とはなしに眺める。

 

「そう言えば……先ほど第六階層にいらっしゃったアインズ様とベル様は、その道具と似たようなものを持っていんした」

「ナニ?」

 

 驚いて聞き返すコキュートス。

 

「ソウナノカ?」

「ええ、あの細長いこん棒とかはそっくりでありんす。でも……」

「デモ?」

「でも、ボールが違いんすね。たしか、ベル様が持ってらしたのは、もっと大きな、人の頭くらいはあるボールだったでありんす」

「フム、ソウカ」

 

 それを聞いて、コキュートスは少しがっかりした。

 そんな大きなボールを使うという事は、それは『野球』ではあるまい。別のスポーツだろう。あるいはかつて武人建御雷と二式炎雷の会話の中にあった『ピッチャバッタン』とかいうものかもしれない。

 

 

(モシ、至高ノ御方ヲ含メタ、ナザリックノ者達デ『野球』ガ出来タラ……)

 

 彼は遠い目で、その光景を夢想した。

 太陽の光あふれるマウンド上で、ナザリックの皆が白球を追いかけ、心地よい汗を流す姿。

 今度、提案してみようかとも思う。

 

 しかし、彼は首を振って、その考えを振り払った。

 

(イヤ、ソレハ止メタ方ガイイカ……)

 

 たしか、野球の話をしていた時の御二方も、無理にやらせられたら、どんなものでも嫌になるとおっしゃられていた。

 とくに野球は、それを嫌う者も多くいるのだとか。

 実際、今、自分の傍らに立つシャルティアの創造主であるペロロンチーノ様は、かつて『野球が放送されるとアニメが潰れるから嫌いだ!』と叫んでいたのを憶えている。『アニメ』というものが何なのかは、コキュートスには分からなかったが。

 

 その為、コキュートスはこれまで『野球』という言葉はほとんど口にしてはこなかった。せいぜい恐怖公らと語らうときに、少し話したくらいだ。

 

 今回のプレアデスらに関しては、彼女たちから全員のチームワークを高めるトレーニングとして、何が適しているかと相談を持ち掛けられたから、『野球』そのものではなく、それに類似した『三角ベース』を薦めたまで。

 

 これまでアインズやベルの口から『野球』という言葉が口に出る事はなかった。

 自分が進言することで、彼の創造主である武人建御雷が好きであった『野球』を嫌いになる者を増やしてはならない。

 

 

 

 コキュートスは野球を広めたいという内心の葛藤を抑え込み、アインズ並びにベルの口から先に野球という言葉が出ない限りは、自分から口にしないようにしようと心に誓った。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 円形闘技場(コロッセウム)でアインズが解散を宣言した後、各々(きびす)を返し、それぞれの仕事へ戻っていったのであるが、そんな中、ベルはというと独り第6階層の森の中を歩きながら、考え事をしていた。

 

 真面目な顔で頭を悩ませる、その心のうちはというと――。

 

 

 ――さっき、アウラとマーレがやっていたヤツ……。

 アレ、うまく広めたら、ナザリックの女性陣の裸を見れるのでは?

 

 

 案の定、ろくでもないことであった。

 

 

 もちろんベルの立場からすれば、脱げと命令すれば裸は見れる。それにそもそも、今の身体ならば同性であるから、大浴場で共に入るなどという事すらもやろうと思えばできる。

 しかし、そういったものと、恥じらいを持って脱いでいくものとはまったく異なる。

 ナザリックの一般メイドたちが、きゃいきゃい言いながら一枚ずつ脱いでいくというシチュエーション。

 ……いいかもしれない。

 

 

 そんな(よこしま)なことを考え、にやついていたベルだが、不意にその顔をひきつらせた。

 

 

 ――やっぱりやめておこう。

 オチがコキュートスか恐怖公なのは目に見えてる。

 それに、元から裸なのはまあいいとしても、最悪としてはニューロニストまでが参加してきたら……。

 

 その様を想像し、ベルは思わず身震いした。

 

 ――危険だ。

 今後、『野球』という言葉は封印しよう。後でアインズさんにも伝えておこう。

 

 

 ベルはそう固く心に決めた。

 

 そんなことを考えつつ、耳に響いた物音にふと上を見上げたベル。

 

 

 彼女の頭上、枝から枝へと飛ぶように駆けていくアウラの姿があった。おそらく、自分の担当である第6階層各地の見回りだろう。

 そんな彼女の後ろに続くのは、その体からすると大ぶりの魔法の杖を胸元に抱え、「待ってよ、お姉ちゃーん」と追いかけていくマーレの姿。

 木から木へと飛び移る度に、そのプリーツ入りのミニスカートがひらひらと揺れる。

 

 

 

「……って! ちょっと、マーレ! とにかく、先ず、パンツを履きなさい!!」

 

 

 

 




「そう言えば、ベルさん」
「なんですか、アインズさん?」
「最初にベルさんが持ってきた、あのボールって何だったんですか? ベルさんにダメージ通ってましたけど」
「ああ、あれは宝物庫に転がっていた、ユリのスペアの頭を白い布で包んだものです」
「スペアの頭!?」
「はい。やまいこさんや茶釜さんが話してましたけど、なんでも、ユリがピンチになった時に『代わりの頭だ!』とやる予定だったそうです。ちなみに取り換えると、一時的に強くなるんだそうですよ。課金アイテムが埋め込まれているんで、発動するとごく短時間ですがレベル70くらいまでパワーアップして、髪が金色になって、スーパーユリになるんだとか」
「ベルさんにダメージが通ったのはそのせいですか。それにしても、そんなネタに課金アイテムまで使って……」
「まあでも、ユリが戦闘することなんてなかったんで、そのまま、宝物庫の片隅に山と積まれたままたったんですがね」
「……ユリの頭が山と積まれていたんですか……」
「はい。まるで目競(めくらべ)のようでした」


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