オーバーロード ~破滅の少女~   作:タッパ・タッパ

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【閲覧注意】
 今回の話は、延々とラキュースがいたぶられる胸糞展開が続きます。
 そういった話がお好みではない人は、今回の話を飛ばして読んでも、今後のストーリーに問題ありません。








 それでは、そういった内容でも平気だという方のみ、このままお読みください。

 今回、一話で2万7千字オーバーと、めっちゃ長いです


2017/3/30 「2重」→「二重」、「生暖かくなった」→「生温かくなった」、「くり抜かれおり」→「くり抜かれており」、「済まされたのだが、」→「済まされた。しかし、」、「見せつけれられた」→「見せつけられた」、「清らかな清流」→「清らかな水」、「もの」→「者」、「下さり」→「くださり」、「見せた」→「みせた」、「いってたのに」→「言ってたのに」、「熱さ」→「暑さや」 訂正しました
文末に句点がついていない所がありましたので、「。」をつけました


第82話 おまけ 悪徳の栄え

「ぐっ! がああぁぁっ!」

 

 殺しきれぬ悲鳴が響く。 

 

 激痛が収まり、ラキュースはがくんとその身を腰かける椅子に落とした。

 絹のような滑らかにして透き通るほど白い肌。そこに止めどなく脂汗が湧き、滴り落ちる。

 

 彼女は身に纏うもの一つない裸身のまま、その形のいい胸を大きく上下させ、荒い息を吐いた。

 

 

 今、ラキュースがいるのは何処(どこ)かにある拷問室である。

 『何処か』という曖昧な言い方をしているのは、ここがいったい何処なのか、ラキュースには皆目見当もつかないからだ。積み上げられた石壁、その作りがしっかりしたものである事から、おそらく何処かのちゃんとした城などではないかとは推測していたが。

 

 

「じゃあ、次の人。がんばってねえん」

 

 そう言うと拷問官ニューロニスト・ペインキルは、全身をくまなく覆う裂傷による苦痛に荒い息を吐いている少年から木槌を取り上げると、その傍らにいた少女――こちらも全身に鞭で打ちすえられた傷の痕がいまだ生々しく残っている――の手に木槌を乗せた。

 そして恐怖と怯えの視線を向けている彼女に顔を近づける。

 

「早くやった方がいいのねん。これでアレを叩いてねん」

 

 そう言って、ニューロニストがぶよぶよとした肉体に似合わぬほっそりとした指で差し示すその先には、ラキュースの身体が固定された椅子がある。

 どうやって固定されているかと言うと、その白い腕の両側には固い金属の板があてがわれており、それらが互いに外れぬようボルトを渡してある。そして片側の金属板は二重になっており、その内側と外側の板の間には尖った三角形の楔が挟みこまれていた。

 

「ほぉら、アレを叩くのよん」

 

 ニューロニストがその楔を、手にした木槌で叩くように少女に言う。

 しかし、まだ若いながらも、引き締まった身体を過酷な拷問の傷痕で埋めた冒険者の少女は、彼女にとって憧れの的であった、アダマンタイト級冒険者『蒼の薔薇』のリーダーであるラキュースに対し、そのような事をするのには戸惑いがあった。

 赤褐色のシミがついた木槌をその薄い胸に抱え、がたがたと震え、足をわななかせる。

 そんな彼女に、ニューロニストはその死体のような色合いの、不気味としか言いようのない顔を近づけ、優しく言った。

 

「あらぁ? もしかして、嫌なのかしら? なら、あなたもあっち側に行っちゃう?」

 

 その言葉に、少女はビクンと背を跳ねさせた。

 涙に滲む瞳を脇へ向ける。

 そこでは見ただけで悪夢にうなされるような光景が繰り広げられていた。

 

 

 

「がぎゃあああぁぁぁっ!!」

 

 およそ人間とは思えない悲鳴が少女の耳朶を打つ。

 

 かつてオリハルコン級冒険者として尊敬を集めていた男。

 今、彼は固い木製の台の上に寝かされていた。全身は身動きできぬよう、固く縛り付けられている。ちょうど首元の部分には垂直の板があるため、無理な姿勢で首を起こし、自分がどんな責め苦を受けているか、半強制的に目にしなければならないような姿勢を取らされている。

 その瞳はまん丸に、これ以上ないという程大きく見開かれ、その口元は一見笑っているかの如く凄まじい形相に吊り上げられている。

 

 血や脳漿など、およそ人間から垂れ流されるのありとあらゆるもので薄汚れたエプロンを身につけた怪物(モンスター)拷問の悪魔(トーチャー)が、その手のハンマーを高く掲げると、それを振り下ろした。

 

 再び悲鳴が走った。

 

 拷問の悪魔(トーチャー)の振り下ろした金づちが、男の足に突き立っている木製の杭の背に叩きつけられる。

 鉄釘と違い、大した鋭さもないただの白木。それもわざわざ先を丸めた杭が肉の奥底まで食い込み、そこからとめどなく流れるどす黒い血が突き刺さった杭を染め、足元に滴り落ちる。

 

 

 

 その様を目の当たりにした少女は、がたがたと(おこり)のように身を震わせる。

 

「どうしたのん? あなたもあっちに行きたいのよね? その手の木槌を振り下ろせないんなら、あっちのグループに行っちゃうけどん」

 

 その言葉に、一際(ひときわ)大きく身震いすると、少女は恐怖に顔を歪ませつつ、震える手で握った木槌を頭の上へ振りかぶり、目をつむって一息に振り下ろした。

 

 

「ぐはあっ……!」

 

 そのハンマーに叩かれ、二つの板の間に差し込まれた楔がさらに奥へと潜り、両者の間が広がる。そして、それによってラキュースの腕を両側から挟む金属板の隙間が狭まり、彼女の骨が軋みをあげた。

 ラキュースの肌から熱を奪い生温かくなった金属と彼女自身の骨の間に挟まれた肉が押しつぶされ、瞬間の激痛が治まった後も、心臓が脈打つたびに疼痛のような熱を感じさせる。

 

 

 だが――確かに痛むが、それはまだ我慢できぬほどの痛みではない。

 ラキュースとて、伊達にアダマンタイト級冒険者なのではない。この程度の苦痛は幾度も経験したことがある。このまま続けていけば、いずれ骨が砕けるかもしれないが、まだそこまではいっていない。

 そんな我慢できる程度の痛みに今、彼女が額に脂汗を浮かべ、苦悶しているのは、もう一つの理由による。

 

 

 その時、彼女の下腹が音を立てた。

 何かが腹の奥底で渦巻き、蠢いているような、そんな音。

 

 自らが立てたその音に、ラキュースは歯を食いしばる。

 

「あらぁん。駄目よ、我慢しなくちゃ。もう、お漏らししちゃう子供じゃないんだからね。まあ、あなたがいい年して漏らしちゃうようなシモが緩い人間だとしても、漏らしてもいいようにちゃんと準備もしてあるけどねん」

 

 ニューロニストの言葉通り、今、ラキュースが縛り付けられている奇怪な形状の椅子、その腰かける部分は外側のみを残して大きくくり抜かれており、下から見れば彼女の丸みを帯びた尻がそのまま晒されるようになっている。言うなれば、洋式の便器に腰かけているようなものであり、さらにその下にはちゃんとタライが置かれている。衣服を身につけず裸で腰かける彼女がそのまま漏らしたとしても、汚物によってその身が汚れぬように配慮されていた。

 だが、ラキュースはそうはしまいと、額に脂汗をかきながら、事前に飲まされていた下剤の効果に必死に抗っていた。

 

 

 彼女がそこまで耐える理由。

 傍には他の冒険者仲間たちもおり、彼らの前で無様な姿をさらすことは出来ないし、また貴族として排泄の姿を見られたくないという羞恥心もある。

 

 

 しかし、最大の理由は、椅子の下に設置されたタライ、その中にある物の存在。

 

 ガガーラン、イビルアイ、そしてティアとティナ。

 彼女が長年、艱難辛苦(かんなんしんく)をともにしてきた、大切にしてかけがえのない仲間たち。

 そんな彼女たちの、生命の痕跡を失い、痛ましい表情を浮かべている4つの生首。

 それが、ラキュースの尻の下に据えられたタライの中に転がされていた。

 

 ここで彼女が耐えきれずに漏らすことは、死したとはいえ、大切な仲間である彼女たちの顔を汚物で汚すという事になる。

 そのため、ラキュースは必死で拷問の苦痛、そしてその腹の中で蠢くものに耐え続けていた。

 

 

 だが、そこで彼女の菊座に刺すような感覚が走った。

 ニューロニストが、先ほどラキュースの腕を締め付ける拷問具の楔を打つように命じていた少年に、手にした蝋燭で彼女の尻を炙るよう命じたのだ。

 

 

 ちろちろと揺らめく赤い炎の舌が彼女の急所を舐めるように炙る。

 不意に走ったその激痛に、ついに彼女の我慢も決壊した。

 

 下品な破裂音と共に、彼女の体内から汚物が吐き出される。

 それは蝋燭を手にしていた少年のみならず、タライの中に転がされた、苦悶の表情のままに息絶えていた彼女の仲間たちの顔面へと降り注いだ。

 

 

 鼻をつく悪臭がその場に広がる中、ラキュースはただ泣きじゃくるより他になかった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 肌に触れる、やすり(・・・)のような触感の床に壁。

 そんな石壁に、ラキュースは力なく寄りかかり、座っていた。

 

 同室をあてがわれた少女が、湿り気を帯びた布きれを手に、ラキュースの身体をぬぐう。

 

 

 彼女は、先ほどの拷問の後、八本指の男たちの相手をさせられた。

 そして、それが終わったと思ったら、身体を休める間もなく、この牢獄へと移されたのだ。

  

 先ほど木槌で叩く役をさせられたまだ年若い少女――おそらくせいぜい銅か鉄級の冒険者だろう――はその顔に悲痛なものを浮かべながら、彼女からすれば雲の上の存在であるアダマンタイト級冒険者であるラキュースの身体を清めていた。

 

 本来ならば、汚されつくした身体をぬぐうには申し訳程度に水を含ませたものではなく、もっと水気を含んだ布で拭いた方がいい。

 いや、そもそも水浴びなどして全身を清めるべきだ。

 だが、それをするわけにもいかない。

 

 

 部屋の片隅に置かれた小さなタライ。

 その内側、縁から半ばほどの高さで水面が揺らめいている。

 

 彼女らに与えられた水はそれがすべてであった。

 そこに湛えられた水のみで、明日まで耐え凌がなければならないのだ。

 

 

 彼女らが今、閉じ込められている牢獄。

 ここが一体どこかは分からない。

 彼女たちはここで夜を明かし、そして責め苦が行われる拷問部屋などへは通路の先にある一室、そこに据えられた全身を映せるほどに巨大な鏡――転移のマジックアイテムで移動する。

 

 とにかく、正確な位置は不明なのであるが、ここで彼女たちを苦しませているもの。

 

 

 それは暑さである。

 

 

 この牢獄は常時、かなりの高温に包まれている。

 周囲の石壁は熱を持ち、鉄格子は長時間触っていれば火傷がしそうなほど。じっとしているだけでも、その身に汗の球が浮かんでくる。

 

 そんな環境で、タライ半分だけの水はまさに命綱。

 本来であれば、ぬるい水であろうとも、湧き上がる欲望のままにがぶ飲みしたいところではあるが、そんな事をしたら、次にいつ来るか分からない配給を待ちながら、際限ない渇きに耐え続けなければならない。

 

 実際、一度、食事として塩辛い干物を出された(のち)、翌日になっても牢獄から連れ出されず、水の配給もなしで放っておかれたことがあった。

 その時は喉の渇きに悶え苦しみ、文字通り床をのたうち回って、声も枯れんばかりに水を求めて叫び、そしてただひたすら耐え続けるしかなかった。

 

 彼女らはこのわずかな水を一滴たりとも無駄には出来ない。ほんの少しずつ口にして、可能な限りもたせなくてはならないのだ。

 

 

「こんな……酷い……」

 

 そのターコイズブルーの瞳に涙を浮かべながら呟く彼女に、ラキュースは力なく座り込んだまま言った。

 

「……大丈夫。これくらいワケないわ」

「ですが、こんな事、酷すぎます。たとえ憎むべき敵だとしても、人としての誇りも尊厳も奪うようなこんなやり方……」

 

 ラキュースは歯を噛みしめる。

 

 彼女たちが閉じ込められている房の外。

 鉄格子の向こうの通路には、粗末な木の台が置かれている。

 そして、その上には彼女の仲間たち、『蒼の薔薇』の面々の首がゴロゴロと転がされていた。先ほど、彼女が腹からひりだした汚穢(おわい)に汚れたままに。

 その異臭は今も通路越しに漂ってくる。牢内のうだるような熱気によって蒸され、更に耐えがたいものとなって、彼女たちを苦しめていた。そんな状況下におく事により、ラキュースにさらなる恥辱と屈辱を与えるつもりなのだろう。

 

「今はまだ……耐えなければいけない」

 

 ラキュースはそう口にした。

 同房の少女だけではなく、自分に対して言いきかせるように。

 

「何とかして、隙を(うかが)いましょう。そして、全員で脱出するのよ」

 

 

 

 ここに閉じ込められた時、彼女たちの前に現れたデミウルゴスと名乗る悪魔は言った。

 『もし皆さんが逃走を画策する、もしくは自殺した場合、連帯責任として他の者も罰します』、と。

 

 実際、地獄もかくやという責め苦に耐えきれず、あの手この手で逃げ出そうとした冒険者がいた。

 しかし、その企ては全て失敗に終わった。

 そして、その悪魔の宣言通り、逃走に失敗した本人のみならず、ともに捕らえられていた冒険者たち、特にその者と同室だった者には過酷としか言いようのないほどの拷問が課せられたのだ。

 逃げ出そうとした本人はやっとこ(・・・・)で両(まぶた)を引きちぎられた。瞬きができずに目の渇きにずっと耐え続けなければならなかったが、彼はその程度で済まされた。しかし、同房の者はその体を刃物で縦に切り裂かれ、その傷跡に煮えたぎる硫黄をかけられ、はげしい苦痛の中、肉も骨も解け落ち命を落とす結果となった。その後、その男は怒りに燃えた他の冒険者たちの手により、リンチにあって殺されてしまった。

 

 

 その文字通り、悪魔の所業ともいえる責め苦を眼前で見せつけられた少女は、すっかり心も折れ、逃げ出そうともせず、ただ自分に災難が降りかからぬよう身を小さくしているよりほかになかった。

 

 そんな少女を励ますように、ラキュースは言う。

 

「きっと、チャンスはある……。生きている限り、最後まで希望を捨てちゃだめよ」

 

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「ほら、さっさと歩け!」

 

 ぐいと、馬に乗る兵士が手にしたロープを引っ張る。

 そのロープの先が結わえられたラキュースはくぐもった呻きをあげた。

 

 

 ここは王都リ・エスティーゼの街路。

 燦燦(さんさん)と太陽の照る中、沿道には民衆たちが強制的に集められ、そんな中を新政権に逆らった冒険者、その首班であるラキュースは一糸まとわぬ裸身のまま、曳きまわされていた。

 

 

 (うなじ)が痛くなるほどに、ロープでつながれた首輪を引かれ、彼女は必死で前を行く騎馬に追いつこうとする。

 しかし、今の彼女は首にはめられた頑丈な木製の首枷、その左右に空いた穴に両手を通して固定され、しかも足にまで同様に木製の枷をつけられている状態である。

 膝の位置につけられたその足枷は、脚を通すための穴がかなり幅を開けて作られていた。そのため、彼女はその股を大きく開いた状態にされており、そのひそやかな恥毛すら隠すことは出来ぬまま、広く衆目に晒すことになっていた。

 当然ながら、そんな状態ではまともに歩くことなど出来ず、滑稽な姿勢で足を動かすその歩みは遅々として進まない。

 

 

 そんな彼女の背に、後ろにいた兵士が鞭を振るう。

 激痛に背をそらせ、足を止めるラキュース。

 そんな彼女の首輪を再び強く引く馬上の兵士。

 

 ラキュースは彼らの事を睨みつける。だが、その視線を向けられた兵士たちはにやにやと、自分が上位であるという優越感に笑うばかり。

 彼らの顔には火傷の痕が残っている。おそらく、かつて『蒼の薔薇』がライラの粉末を生産していた村を襲い、畑を焼き払った際、そこにいた八本指の男たちなのであろう。

 彼らは偶然にも自分のもとに巡ってきた報復の機会に、舌なめずりせんばかりであった。

 

 

 そうして、二度三度と鞭が振るわれる。

 屈辱に耐え、うつむいて歩くラキュース。

 

 不意にその顔に石が投げつけられた。

 顔をあげるラキュースの目に飛び込んできたのは、沿道に立つ1人の男。

 ややガラの悪そうな顔つきの男は拳を振り上げ叫んだ。

 

「このくそ女! お前がおかしな計画を立てたせいで、俺たちは酷い目にあったんだぞ!」

「ああ、そうだ!」

 

 その声に呼応するように、別の男も声をあげる。

 

「こいつらが新政権に対抗しようと、ズーラーノーンの手を借りたせいで、アンデッドが俺たちを襲ったんだ!」

「ええ、そうよ!」

 

 さらに別の女も声を張り上げる。

 

「このラキュースって女は貴族よ。散々私たちを虐げて、大きな顔をしてきた連中の仲間ね。自分たちが新政権に追い落されたから、権力を取り返そうとして、あんなことをやったんだわ!」

「ひでえ奴だ! 自分たちの特権の為ならば、俺たちが死のうが何しようが関係ないんだろう!?」

「冒険者たちをそそのかして、本当の目的はそれだったんだな!」

「見て! 傷一つないきれいな肌よ! 私たちは肌が黒くなるほど必死で働いているというのに、お貴族様は何不自由なく暮らして冒険者ごっこをしていたのよ!」

「俺たちを助けるとか甘い事言いやがって! 俺のおふくろはお前らが連れてきたアンデッドのせいで死んだんだぞ!」

「返して! 私のかわいい娘を返してよ!」

 

 彼らの叫びに段々と周囲にいる者達もまた、怒りのこもった声をあげ始める。

 その場にいた民衆たちの興奮は大きなうねりとなり、険悪な空気が辺りを支配する。

 

 

 

 だが、ラキュースはそんな彼らの言葉に違和感を感じていた。

 

 

 ――おかしい。

 ただ、責めているんじゃない。言葉が説明的過ぎる。

 まるで、ここにいる人たち、皆の感情を煽っているよう。

 ……まさか――サクラ!?

 

 

 そこでラキュースはピンと来た。

 何故、今日、自分を捕らえている悪魔たちは、自分の身柄を八本指の者達の手に渡し、こうして王都内をひきまわさせていたのかを。

 おそらく最初から、八本指の者達が一般市民に扮し、民衆の中に潜り込んでいたのだ。王都の民衆たちを扇動し、彼らからアダマンタイト級冒険者であるラキュースへの信を奪い、彼女が守るはずであった民衆に、彼女を責めたてさせる事が目的なのだろう。

 

 

 ――ここで、連中の扇動に負けてはいけない。

 いや、逆に今こそが好機。

 今ならば、私が直接、王都の民衆たちに話をすることが出来る!

 

 

 ラキュースは一つ息を吸い込むと、声を張り上げた。

 

「待って! みんな、聞いて!!」

 

 その声に一瞬、辺りが静まり返る。

 

「皆、聞いてほしい! 私たち冒険者は決して皆を傷つけるつもりなどなかったわ!」

 

 

 ラキュースの言葉に、先ほど、真っ先に口火を切ったガラの悪い男が言い返す。

 

「ふざけるな! お前らがこのままじゃ自分たちが勝てないと分かったんで召喚したアンデッドのせいで、どれだけの人間が殺されたと思ってるんだ! お前たちがズーラーノーンと手を組んでいたせいだ!」

「おお、そうだ!」

「そうよ! こいつのせいよ!」

 

 案の定、彼に続いて怒りの声をあげた男と女が、間髪を容れずに同意の声をあげる。

 ラキュースはその声を掻き消す様に、さらに大きな声を出した。

 

「待って! それは違うわ! 私たちはズーラーノーンなんかとは無関係よ!」

「じゃあ、どうしてお前らが立てこもっていた陣地からアンデッドが湧いて出たんだ?」

 

 

 ラキュースの脳裏に浮かぶのは、あの忌まわしいアンデッド。

 冒険者モモンに成りすまして自身の名声を高めるかたわら、新政権の背後で糸を引いていた、狡猾にして邪悪なる魔法詠唱者(マジック・キャスター)、アインズ・ウール・ゴウン。

 

 

 彼女は今こそ、語るべきと考えた。

 新政権を操る存在。

 冒険者モモンの正体。

 恐るべき魔法詠唱者(マジック・キャスター)、アインズ・ウール・ゴウンの事を。

 

 

 彼女の知る限りの全てを、王都の民衆たちに洗いざらい伝えようと口を開いた。

 

 

「それは――グゥッ!?」

 

 瞬間、彼女の背が跳ねた。

 

 騎兵の持つロープから繋がる、ラキュースの首につけられた首輪。

 今、そこから流れた電流が彼女の身体を駆け巡った。

 

 

 電気の刺激は、当人の意識に関係なく、勝手に体の筋肉を反応させる。

 ビクンと跳ねあがる身体。

 その衝撃により、彼女は言葉を発することが出来なかった。

 

「見ろ! 言い淀んだぞ! つまり、反論できないからだ!」

 

 その機を逃さず、(かさ)にかかって責めたてる男。

 ラキュースは何とか身体を襲う電流の波に耐えて、反論しようとするが……。

 

「ち、違う――ガッ! ア、アンデッドは――グゥッ! この新政権の裏には――ガギャアッ!」

 

 彼女がしゃべろうとする度に、幾度もその身が跳ねる。

 繰り返される電撃が彼女の言葉を奪う。

 

 その隙に、男は次から次へとありもしない事を言いつのり、集められていた民衆を煽っていった。

 

 人間は自分の周囲にある程度のスペースをおいている限りは、自分の意思でものを考えることが出来るが、その個々のスペースが侵され、肌と肌が触れ合う程一つ所に密集していると、自分で考えることなく周囲にいる者の意見に同調するようになる傾向がある。

 沿道にひしめき合うほどに集められた王都の民衆たち、彼らは八本指の者の扇動にまんまとのせられてしまった。

 最初は口の中でつぶやくだけだった不満や怒りの声はだんだんと大きくなり、その声は再び大きな波となって、苦痛に悶え苦しむラキュースの耳朶を打った。

 

 

 そのうち、民衆の1人――おそらく、そいつも八本指の仕込みだろう――が彼女に対して、腐った野菜を投げつけた。

 そうすると他の者たちもまた同様に、群集心理によって動かされるまま、ラキュースに対してありとあらゆるもの――道端の石や棒っ切れから腐った卵、中には汚物までも――を投げつけた。

 

 手足を枷で拘束されている彼女にそれを避ける術はない。

 また逃げようにも、彼女の首輪には綱がつけられ、その先は馬に乗った兵士がしっかりと掴んでいる。彼女の意思でこの場を移動することも出来ない。

 

 

 そうして、ひとしきり投擲物によって打ち据えられ、投げつけられたゴミの汁で汚れた彼女の尻を、鞭を持った男が強く打ち据えた。

 

「そら、お前が謝罪する相手は、ここの地区の人間だけじゃないんだぞ! 王都に住む全ての人間にお前は謝らなければいけないんだ! ぼさっとするな! さっさと歩け!!」

 

 そうして幾度も鞭の雨を降らせる。

 ラキュースの首輪に繋がる綱を持った騎兵が、その乗馬を歩ませた。

 それに引っ張られるようにして、再び歩きだすラキュース。

 

 

 先ほどまでは、その奥底にはわずかな憎しみはあれども、居並ぶ民衆の心のうちには隠し切れないほどの憐憫の感情が強くあった。

 だが、今や、すっかりそんなものはなりを潜めていた。

 

 今、沿道に並ぶ彼らの顔に浮かぶもの。

 それは侮蔑と嘲笑である。

 

 

 そんな蔑みの顔が並ぶ中を、ラキュースは汚ならしい汁がその白い裸身を伝い滴り落ちるのをぬぐうことすら出来ぬまま、足枷によって動きを制限された哀れにして滑稽な姿勢で、よたよたと歩いていった。

 

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「ハァ……ハァ……」

 

 ラキュースは熱気がこもる牢獄に、独り横たわっていた。

 

 

 王都での曳きまわしが終わった後、彼女は再びこの牢に戻された。

 同室の少女は今はいない。

 先ほどやって来た全身黒づくめの悪魔によって、どこかに連れ去られてしまった。おそらく、八本指の者達の下卑た欲望をぶつけられているのだろう。

 

 

 彼女としても、そんな事はあの娘にはさせたくなかったのだが、いかんせん戦えるような状況ではなかった。

 身体に力が入らない。

 ラキュースは連れ出しに来た悪魔によって、容易く打ち据えられてしまった。

 

 

 原因はやはり水である。

 今日、牢獄に戻されてから、水の補給がない。

 

 一日中、無理な姿勢で王都中を曳きまわされた後、疲労困憊となった身に、一滴たりとも飲む水がないというのは(こた)えていた。

 こうして独りで床に横たわり、可能な限り動かないようにしている今も、じわじわと汗が浮かび上がり、彼女の身体から水分を奪っていく。

 それが喉の渇きをいやす解決にはならないと分かってはいても、その自らの肌に浮く汗を舐めとるのを抑えることが出来ない。

 

 

 水。

 水が飲みたい。

 

 今、ラキュースの頭の中を占めていたのは、それだけだった。

 

 

 そうして、あるはずのない水分を求め、喉が上下するのを幾度繰り返した頃だろうか、半ば眠りに落ち、朦朧とした意識の中で、何か固いものがぶつかり合う、カチャカチャとした音が聞こえた。

 

 ラキュースは渇きに(さいな)まれる中で、それを忘れることが出来る眠りから醒めたくないとばかりに、半目で扉の方に目を向けたのだが――。

 

 

「……!?」

 

 彼女は我が目を疑った。

 

 牢獄の扉の前で何本もの鍵が下げられた鍵束から、彼女の部屋の扉を開ける鍵を捜して悪戦苦闘している人物。

 健康的に日焼けした肌に、燃えるような赤い髪をなびかせる女神官。

 

 

 冒険者『漆黒』モモンの相棒、ルプーであった。

 

 

 

 驚愕の瞳が向けられる中、しばしガチャガチャとやっていたが、ついに目当ての鍵に行き当たったようだ。ガチャリと音を立てて、ラキュースを閉じ込めていた扉が開かれる。

 

「ふー、ようやく開いたっす」

 

 そう言って、額の汗をぬぐう仕草をする彼女。

 その人を安心させる太陽のような笑み。

 しかし、それを見ても、ラキュースはその表情を緩ませようとはしなかった。

 

 

「ルプーさん……あなたは……」

 

 腰ほどの高さしかない入り口を潜り抜け、ルプーが牢の中へと入ってくる。

 

「さっ、ラキュースさん。今のうちっすよ。早く行きましょう」

 

 しかし、ラキュースは床から跳ね起き、距離をとった。

 

「どういうつもり?」

「なにがっすか?」

「あなたの仲間、モモンの正体はアンデッドの魔法詠唱者(マジック・キャスター)アインズ・ウール・ゴウンだったわ。あなたは一緒に旅をしていた。当然、あいつの事も知っていたはずよね?」

 

 猜疑にあふれた瞳を向けるラキュースに、彼女は悲しげな表情を見せた。

 

「それは……申し訳ないっす。私も、あの人があんなことをするなんて……」

 

 そうして、ポツリポツリと語った。

 

「昔、たった一人で死にかけていた私を助けてくれたのはあの人でした。あの人はアンデッドでしたが、『自分にはそんな種族の枠なんて関係ない。人間が全て善人ではないように、アンデッドもまたすべてが邪悪という訳ではないんだよ』って言って。誰にも顧みられることなく死んでいくはずだった私を助けてくれました。そうして、私はあの人の下で人としての生活をし、その助けが出来るパートナーとしての力を手に入れました。でも……でも、あの人がまさかそんな事をしていたなんて……。でも、お願いです。今は私を信じてください」

 

 涙ぐみ、訴えかけるルプー。

 

 ラキュースはどうすべきか迷った。

 彼女を信じるべきかどうか。

 

 

 そしてラキュースが出した結論は――。

 

 

「分かったわ。あなたを信じる」

 

 その言葉にルプーは、まだ目の端に涙を浮かべていたが破顔一笑した。

 

「本当っすか? 恨んではいないんすか?」

「恨んでないといえば嘘になるわ。もっと早くにモモンの正体を私たちに伝えてくれていれば、何とかなったかもしれない。色々、手はうてたかもしれない。あなたが口をつぐんでいたせいで、王国は大変な事になってしまった。それは否定できないわ。でも、今はこの状況を何とかするのが先決ね。ルプーさん、私はあなたを信じるわ」

 

 ラキュースとしても、内心思うところはたくさんある。

 だが、とにかくここは彼女を信じるべきだと決めた。信じなければ、この場に留まっている事を選択したのならば、ただこのまま何も出来ずに拷問され続けるだけだ。事態が好転するような要因は見当たらない。

 もとより、自分にベットできるようなものなどもはやない。

 ラキュースはこの細い糸のような希望にかけてみようという気になった。

 

 

「そうっすか。とにかく、ここから逃げ出しましょう。今なら見張りもいないっすよ」

「あ、待って」

 

 通路に出て、駆けだそうとするルプーの背に制止の言葉をかける。

 

「この牢屋には同室の少女がいるのよ。彼女も助けていくことは出来ないかしら? もし私一人だけが逃げたら、その娘がひどい目に遭わされてしまうわ」

 

 そんなラキュースの言葉に、ルプーは焦ったような表情で首を横に振った。

 

「いや、駄目っすよ。今、ちょうど見張りが交代する隙をついて、こうして忍び込んだんすから。このチャンスを逃したら、もう脱出は不可能ですよ」

「でも……」

 

 逡巡するラキュース。

 そんな彼女に褐色の肌の女神官は噛んでふくめるように言った。

 

「むしろラキュースさん一人が逃げた方が彼女の安全は保障されると思うっすよ」

「えっ?」

「いいですか。あいつらは逃走があった時、逃げ出した者には軽い拷問を与え、対して同じ部屋の人間には過酷な拷問をくわえていますよね?」

 

 その言葉にラキュースは過去に逃走を試みた者達の末路を思い返し、頷いた。

 

「それはさらなる逃走を防止するため、他の者への見せしめ、および仲間同士で同房の者の行動を監視させ、互いを密告させるのが目的です。もし逃げ出そうとしても無駄。むしろ、仲間がそうしているのを見て見ぬふりをしたら、こうなるぞと。そうした時に重要なのは逃げ出した人間と残った人間、両方をそろえる必要があります。そうしないと、拷問の刑罰に差をつけてみせることが出来ませんから。つまり、ラキュースさんが1人逃げ出して捕まらないでいるうちは、逃走者と残留者がそろわないという事ですから、あいつらは彼女を殺しはしないって事です」

 

 ルプーの言葉に、そうなのかなと一瞬考え込む。

 

「それに、こういっては何ですが、同室の方は鉄級冒険者でしょう? 対してラキュースさんはアダマンタイト級。重要度では格段に違います。あなたが逃げ延び、声をあげれば、賛同する人も多いでしょう。そうすれば、もう一度蜂起を起こし、今の情勢をひっくり返すことも可能です。囚われている冒険者全員を助けることも出来ます。ラキュースさん、あなたの肩に王国の、いや、世界の命運がかかってるっすよ」

 

 

 その言葉を受け、ラキュースは歯を噛みしめ、しばし悩んだのちに――首を縦に振った。

 

「分かったわ、ルプーさん。今は逃げましょう。でも、絶対、後で彼女たちを助けるわ」

「ええ、あいつらを全部倒して、皆を助けましょう」

 

 

 そうして2人は、陰鬱なる牢獄を脱出し、熱気のこもる通路を外めざして駆けていった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「あ……ああっ……!」

 

 そこに広がっていたのは美しい緑の波。

 陽光は草の緑を輝かせ、涼やかな風が木の葉を揺らし、鳥のさえずりが耳に響く。

 目の前に広がった美しい自然の光景に、ラキュースは思わず涙ぐんだ。

 

 

 

 あの後、ラキュースとルプーの2人は彼女が閉じ込められていた建物から脱出した。

 幸いな事に、ルプーが言っていた通り、上手く交代のタイミングにだったのだろう。戸口に見張りの姿はなかった。

 

 しかし、建物から出たラキュースはそこに広がっていた世界に瞠目した。

 岩と岩の間を灼熱の溶岩が流れる、まさに焦熱地獄のような光景。

 

 どうりで自分たちが閉じ込められていた牢獄が暑かったわけだと得心するとともに、あまりのことに呆然と立ち尽くしたラキュースであったが、ルプーにうながされるまま、素足で溶岩を踏まぬよう気をつけて先へ進み、そうしてとある一つの塔へとたどり着いた。

 なんでも、彼女の説明によると、ここは大地の下に広がる地下空間であって、この塔を登っていけば地上へと出られるのだとか。

 

 あまりの展開に半信半疑ながらも、塔の中の螺旋階段を登ることしばし。

 足がくたびれるほど登った先にあった扉を開けたところ、そこに広がっていたのは眩いばかりの生命溢れる森林であった。

 

 

 

 ラキュースはよろよろと前へ歩み出る。

 足の下で踏みしだいた草は、弾力をもって彼女の素足に優しく当たり、踏み潰された事により瑞々しい香りを放った。

 

 そして、彼女の耳は音を捉えた。

 ちょろちょろという水の流れる音。

 彼女はそちらに駆け寄る。そこには清らかな水の流れる小川があり、その先には小さな池ができていた。

 

 

 そのほとりに膝をつき、さざ波にきらめく水面にそうっと手を差し入れる。

 

 ――冷たい!

 

 それは、閉じ込められていた間、ずっと願っていた冷たい水。

 

 

 ラキュースは池の水を手ですくって、口に運んだ。

 そして、それを幾度か繰り返したのち、そんなものでは足りぬとばかりに、池に直接口をつけてがぶがぶと飲んだ。ひとしきり飲んだ後に顔をあげると、両手で池の水をすくい、顔面へとバシャバシャとかける。そして濡れた手で全身を撫で、体の汚れを落とす。

 

 

 

 そこまでして、ようやく人心地ついたとばかりに大きく息を吐いて、その場に座り込んだ。

 その傍らにルプーが立つ。

 

「落ち着いたっすか?」

 

 ラキュースは褐色の肌を持つ彼女を見上げ、ここはどこなのか尋ねた。

 

「アゼルリシア山脈の奥にある、ちょっとした広さの森っすよ。この付近だけ盆地のようになってるんで、こんな風に暖かくて植物が生えてるんです。さあ、あと少し頑張って、この近くにある建物に行きましょう。そこに私の知り合いが待機してます。服とかもあるっすよ」

 

 言われてラキュースは、最近すっかり慣れてしまったが、そう言えば裸であったという事に気がつき、顔を赤くして胸元と股間を手で隠した。

 

「ははは、眼福っす」

 

 そう言って、イタズラでもしたかのように、きしし(・・・)と笑うルプーに、ラキュースの顔にも笑顔が戻る。

 正直、疲労困憊といった有様であったがもう少しの辛抱と、このままへたり込んでいたいと願う自分の身体にむち打ち、何とか立ち上がる。

 

 

 そうして2人は森の中へと歩いていった。

 

 

 

 ほどなくして、その建物は見つかった。

 木々の間にある、そこそこ大きなログハウス。

 ラキュースの見たところ、作られてからそれほど日の経っていない、ずいぶんと新しそうな家であったが、先導したルプーは嬉しそうに指さした。

 

「あれです。あの中に私の仲間が待機しているっすよ。さあ、早く」

 

 言われるがままにポーチの階段を登り、据え付けられた木製の扉の前に立つラキュース。彼女が振り向くと、後ろでルプーはにこりと笑い頷いた。

 

 

 

 そうしてラキュースは扉を開く。

 

 

 

 そこにいたのは――。

 

「ようこそ、いらっしゃいました。少々待ちくたびれてしまいましたよ」

 

 室内に置かれたソファーに腰かけていたのは、彼女らに非道な拷問を課していた張本人。

 邪悪なる大悪魔、デミウルゴスであった。

 

 

 

 思いもよらぬ再会に呆然と立ち尽くすラキュース。

 そんな彼女を前に、デミウルゴスは優雅な仕草で立ち上がった。

 

「いけませんね、ラキュースさん。大切なお仲間をおいて、独り逃げ出すなど」

「ど、どういう事……。ここにはルプーさんの知り合いがいたはず。まさか、その人たちは……」

「おっと、心配はご無用ですよ。彼女の知り合いは無事ですよ。ええ、もちろん、危害など加えてはいませんとも」

「本当なの?」

「もちろんです。現にこうして私はぴんぴんしているではありませんか」

 

 そう言って腕を広げ、にこやかに微笑んで見せる。

 その言葉の意味するところを悟り、愕然とした表情でラキュースは振り返った。

 

 

 その視線の先にいたルプー。

 

 彼女は腹を抱えて笑っていた。

 

「あはははは! いや、もしかしてマジで信じてたんすか? うはー、チョーウケる! マジウケる―!! ぎゃはははは!!」

 

 ラキュースの事を指さし、爆笑するルプスレギナ。

 そんな彼女の態度に、信じたすべてを打ち砕かれ、もはや流す涙すらなく、ただ茫然と立ち尽くすラキュース。

 

 

 不意に彼女はその身を投げ出すように転がり、暖炉の傍らに置かれていた火箸に手を伸ばした。

 

「シャルティア」

 

 だが、それより早く、傍らの椅子に腰かけていた、一見、人形のような少女吸血鬼が文字通り目にもとまらぬ速さでラキュースに飛びかかり、その腕を後ろ手にひねった。

 まるで小枝のように、たやすく冒険者として鍛えられた彼女の腕は、音を立ててへし折られた。

 

 腕を襲う激痛、そしてその身を押さえる凄まじい怪力により、身動きが取れなくなった彼女の許へ歩み寄り、悪魔は声をかけた。

 

 

「さて。先ほども言いましたが、お友達をおいて逃げ出すのは感心いたしませんね。約束は守らねばいけません」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ドン!

 

 音を立ててラキュースの身体が床に投げ出される。

 固い石畳が、彼女の肌に擦り傷を作った。

 

 

 両手両足を縛りつけられ、芋虫のごとき彼女の姿に、捕らえられていた冒険者たちは、目を丸くした。

 そんな彼らを前に、悪魔は口を開いた。

 

「さて、皆さん。今日は悲しいお知らせがあります。先だって、私は皆さんにこう言いました。『もし皆さんが逃走を画策する、もしくは自殺した場合、連帯責任として他の者も罰します』、とね」

 

 そこで言葉を区切り、デミウルゴスは悲嘆に耐えないとばかりに額に手を当て、かぶりを振った。

 

「ですが……残念ながら、このラキュースさんは皆さんをおいて、たった一人逃げ出そうとしました。私としても、皆さんが逃げ出すのを防ぐため、抑止を目的として言っただけの言葉だったのですが、実際にこうして、逃走を図った者が出てしまいました。悪魔は口にした約束は果たさねばなりません。そのため、皆さんは拷問の末、殺してしまうこととあいなりました」

 

 その言葉に、冒険者たちの間に驚愕、そして絶望が広がった。

 そしてすぐにその絶望は憤怒へと形を変え、目の前の、彼らの憧れの的であった美しきアダマンタイト級冒険者へと向けられた。

 

 

「ふ……ふざけんなよ!」

 

 ラキュースと同房だった少女が走り寄る。

 その顔や身体には痣が浮かび、真新(まあたら)しい裂傷がいくつも体に刻まれ、その鼠蹊部からは白いものが垂れている。

 彼女はその傷だらけの足で、ラキュースの事を力任せに蹴り上げた。

 

「なんで! なんで、お前ひとり逃げてんだよ! 一緒に! 全員で! 逃げようって言っただろ! 死ねよ、お前ひとりが死ねよ! なんで、なんで私たちがお前のせいで死ななきゃいけないんだよ!!」

 

 ラキュースを取り囲んだ冒険者たちは彼女の美しい顔に、豊かな双丘に、グシャグシャに折られた腕に、脂肪のついていない腹に、柔らかな尻に、ほっそりとした足に、その全身に殴打の雨を降らせる。

 そんな彼らの怒りに、ラキュースはただ言葉もなく、されるがままに身を任せていた。

 

 

 パンパン。

 

 デミウルゴスが手を叩く。

 その音に彼らは静かになった。

 一人気がつかなかった男がいたが、そいつは控えていた吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)によって手足を砕かれ、どこかへ引きずられていった。

 

 

「さて、皆さんの気持ちはよく分かりました。では、彼女に反省の心があるか確かめてみようじゃありませんか」

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「ひやあああっ!」

 

 少女は猛烈な熱気に炙られ、悲鳴をあげた。

 

「もっと! もっと、引っ張れよぉっ!」

 

 その言葉に、彼女を吊るすロープがわずかばかりに引き上げられる。

 だが、それは本当にわずかばかり。

 彼女の体重を歯で支えるラキュースとしては、それが精いっぱいであった。

 

 

 

 あの後、悪魔は一つの提案をした。

 逃走を図った当のラキュースが身を挺して皆を守るのならば、罰は彼女だけに与えようと。

 

 そうして設置された醜悪なる悪意に満ち溢れた装置。

 煮えたぎった油が張られた大きな鍋の上に、ロープで少女が吊るされる。彼女を吊るしたロープは上へ伸びた後、そこで滑車を用いて斜め下へと伸ばされ、その先端を両腕を縛られたラキュースが歯で噛みしめた。

 つまり、ラキュースがロープを噛んで引いているうちは、少女は無事だが、もしロープを離したり、体重を歯で支え切れずに引きずられることになったら、少女の身体は煮えたぎった油の中へと落ちるという仕組みであった。

 

「ほら、がんばりなさい。まだ、蝋燭は四分の一くらいしか短くなってありんせん」

 

 シャルティアが嘲笑と共に言葉を投げかける。

 

 当然、そんなことはいつまでも続けていられるものではない。時間を区切らなければ、いつしか耐えられなくなるのは必定。

 そこで、設置された金色の燭台の上に置かれたろうそくの炎が燃え尽きるまで耐えきれたら、そこで冒険者たちの刑罰は終わりとし、罰せられるのはラキュースのみという取り決めがされていた。

 

 

 ラキュースは必死でロープに齧りつき、少女の身体を引き上げようとする。

 だが、踏ん張ったその足が床に散らばるものを踏み、激痛が走る。思わずたたらを踏みそうになるところを必死でこらえた。

 

 彼女が踏ん張って立つ、その周辺。

 足元には砕いたガラス片が無数にばらまかれていた。

 素足の彼女が足を動かせば、新たな破片を踏みつけ、その場で踏ん張れば、足の下のガラス片がより一層、彼女の肉に食い込むという趣向であった。

 

 

「もう諦めた方がいいんじゃありんせんこと?」

 

 

 このゲームが行われる前、彼女に提示された条件があった。

 それは燭台の炎が燃え尽きる前にラキュースが諦め、少女を油の中へと叩き落としたら、ラキュースの罪は不問とし、普通の生活を与えてやると。

 

 ラキュースは鼻で笑った。

 そんなうまい話あるはずがない。どうせ、またこちらを嬲るためにそんなことを言っているのだろう、と。

 

 だが、そうして耐えた後で待っているのは、ラキュースに対するさらなる過酷な拷問である。

 そんなに頑張ってどうする、それよりさっさと落としてしまえ、などと笑いながら見物する悪魔たちが入れ代わり立ち代わり、彼女に声を投げかける。

 

 しかし、アダマンタイト級冒険者として、そしてなにより人間として、その誇りを曲げることは出来なかった。

 

 

 そうしているうちに、蝋燭の長さは半分を切っている。

 

 ――あと少し。

 あと少し頑張れば……。

 

 蝋燭の芯が燃え、短くなっていく様をじりじりと見守っていた。

 

 

 

 ……あと四分の一。

 

 ……あと六分の一。

 

 ……そして、ついに白いロウの部分が無くなった。

 

 

 これで、後は灯心に(とも)っている火が消えれば、そこで終わりだ。

 その瞬間を、今か今かと待ち続けていた。

 

 しかし――。

 

 

「なんで? なんで火が消えないの!?」

 

 

 吊るされた少女の言葉通り、蝋燭が燃え尽きたというのに、蝋燭を固定するための突起上で燭台の炎は、いつまでも燃え盛っていた。

 

「ふふふ。いかがですかな?」

 

 デミウルゴスは上機嫌で言った。

 

「これはマジックアイテム『不滅の燭台』。上に刺した蝋燭などが燃え尽きてもその火は消えることなく、燭台上で燃え続けるというものです。本来は特別な種火を持ち歩いたり、特定の場所に火を灯し続けるためのものなのですが。もちろん風が吹いても消える心配はありません。便利なものでしょう」

 

 

 その言葉に愕然とした。

 茶番だとは思っていたが、最初から、彼らは自分たちを助ける気などなかったのだ。

 

 その事実に打ちのめされたラキュースの足が滑る。

 踏ん張るための力が入らず、ずるずると引っ張られる。その足の裏が、床に散らばるガラス片によって切り刻まれた。

 ラキュースは必死の面持ちで、踵を立て、かろうじて引き寄せられる力に抗った。

 だが、それもかろうじてといった有様。

 

 

 すぐ足の下に煮えたぎる油の熱気にあおられ、少女はつぶやいた。

 

「……し、死にたくないよぉ……」

 

 その頬を涙が一筋流れる。

 

 次の瞬間、ついに力尽きたラキュースの身体が床に投げ出された。全身にガラス片が突き刺さる。

 その口元からロープが外れる。

 滑車は一気に回り、少女の身体は油の湛えられた鍋の中へと叩きこまれた。

 

 

 断末魔の絶叫を耳に、ラキュースは冷たい石床に転がったまま、傷口から流れ落ちる鮮血にその身を濡らし、込み上げる嗚咽に喉を震わせていた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ラキュースはただ何するでもなく横たわっていた。

 すでに傷ついた全身は、回復魔法によって傷一つない状態にまで治されている。

 その身を包むのは、かつて身に纏っていた最高級の服とはかけ離れているが、丈夫な厚手の布の服。ここ最近、衣服を身に纏う事も許されなかったラキュースにとって、全身を包み、覆う衣服というものは実に快適なものであった。

 

 そして、ベッド。

 ベッドである。

 

 これまたかつての貴族生活とは比べもつかぬほどの代物であったが、固く粗い石床の上に素肌で寝ることを余儀なくされていたころとは、雲泥の差である。

 

 

 

 あの後、悪魔は約束を守った。

 少女が死んだことでラキュースの罪は許されたと宣言し、これまでとは異なる部屋へと連れてこられ、ここで自由にしているよう言われたのである。

 

 部屋の中に焚かれた甘い香が鼻をくすぐる。

 

 ラキュースは同房の少女の死に、いまだ呆然としながらも、その身を包む優しい肌触りに、いつしか泥のような眠りに引き込まれていった。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 照り付ける太陽が、ラキュースの身に降り注ぐ。

 彼女は眩いばかりの陽光に目を細めた。

 

 彼女の眼前に広がっているのはごく普通の農村である。

 

 

 ――いったい、ここはどこなのだろう?

 

 

 ラキュースは困惑したまま、立ち尽くしていた。

 

 

 

 ラキュースがベッドの上で眠っていたところ、眼帯をつけた奇妙なメイドに起こされた。

 そして散歩と称し、転移のマジックアイテムを通って、ここに連れてこられたのだ。

 

 突然連れてこられたものの、いったいどうすればいいのか分からず、彼女はただ辺りを見回すばかりであった。

 

 

 そんな彼女、および隣にいたメイドに対して、村娘らしい1人の少女が話しかけてきた。

 

「あ、シズさん。こんにちは。ええっと、そちらの方は……」

「おはこんばんちわ、エンリ」

 

 聞いた事もない挨拶をするメイド。

 そこでようやくラキュースは、この眼帯をしたメイドはシズという名だという事を知った。

 

「こっちはラキュース。今日は散歩に来た。適当にその辺を歩かせておけばそれでいい。ちなみに適当というのは適切に妥当という意味」

「はぁ、そうですか」

 

 いまいち分かっていないながらも、とりあえず、村をぶらぶらしに来たんだと考えたエンリ。

 実際、アインズやベルは特に用もないのにカルネ村を訪れ、あちこち歩きまわったりすることもあった。たぶん、そんな感じなんだろうと、彼女は理解した。

 

 

「ええっと、ようこそ、カルネ村へ」

 

 とりあえず、挨拶する。

 だが、その言葉にラキュースは強く反応した。

 

「カルネ村! ここは、あのアインズ・ウール・ゴウンが最初に現れたっていう村なの!?」

 

 思わず、驚愕のままに声をあげたラキュースであったが、その言葉にエンリはムッとした。

 

「あの、……あなたが誰なのか詳しくは知りませんが、ゴウン様を呼び捨てにするのはあまりよろしくないかと思います!」

 

 突然の強い態度にラキュースの方が目を丸くする。

 

「え? ゴウン様?」

「はい。ゴウン()です。ゴウン様はこの村の危機を救い、私たちに日々の糧を得る手助けをしてくださり、また私たちが生命の危険に怯えて暮らすことのないよう、手を尽くしてくださりました。そんな方に敬意を払うのは、当然でしょう」

 

 腰に手を当て、普段は見せぬほどきつい口調で語るエンリ。

 その勢いに押されて、ラキュースはつい謝ってしまう。

 

「あ、ええと……ごめんなさい」

 

 おとなしく頭を下げたラキュースに、エンリは態度を柔らかくした。もとより、声を荒げることなど得意ではないのだ。

 

「ええ、分かってくれればいいんですよ。今言った通り、この村はゴウン様によって助けられました。あの方のおかげで私たちは生活できているんです。村内でゴウン様の事を悪く言うと、他の村の人たちからも良くは思われないので注意してくださいね」

 

 その言葉に大人しく首肯する。

 エンリはもう一度、微笑みを見せると、自分の仕事へと戻っていった。

 

 

 そうして、一人村の中を歩くラキュース。

 一見すればただの農村なのであるが、この村が異質な場である事はすぐに気がついた。よく見れば、道を歩くのは人間だけではない。ゴブリンやオーガなど、普通は人間と共に暮らすことなどない亜人たちまで混ざっているのだ。

 

 

 ――いったい、この村は何なの?

 これがゴウンの支配する地という事なの?

 こんな平和な……種族に関わらず、誰もが争うことなく暮らせる世界が、ゴウンの支配の下に訪れるという事なの?

 

 

 呆気にとられたまま、ふらふらと歩くラキュース。

 不意にその目があるものを捉えた。

 そこにいたのは、彼女にとってなじみの人物。

 

「ザリュース! ザリュースじゃない!?」

 

 彼女は蜥蜴人(リザードマン)としても、特に黒い鱗を持つ人影に、声をあげて歩み寄った。

 

 近づいてみればよく分かる。

 間違いなく、彼はザリュース・シャシャ。

 しばらく前まで行動を共にしていた、誇り高き蜥蜴人(リザードマン)の戦士だ。

 彼だという事を、この上ないほどはっきりと示す〈凍牙の苦痛(フロスト・ペイン)〉がその腰に下げられている。

 

 

 しかし、そうして親し気に近寄った彼女に対し、ザリュースは困惑の表情を見せた。

 

「お前は誰だ?」

「え?」

 

 ラキュースは思わず声につまった。

 

「誰って……。私よ。ラキュースよ。ああ、そうか。もしかしていつもの鎧じゃないから、分からなかった?」

 

 そう口にする彼女に対して、ザリュースは首をひねるばかりであった。

 

「ラキュース? ……すまん、憶えがない。お前は人間のメスのようだな。どこかで会ったか?」

「え? ちょっと、待ってよ。ほら、アゼルリシア山脈の麓であったじゃない。それで一緒に王都まで行って……」

「ぬ? 王都? それは人間の街か? ……すまんが人違いだろう。俺はそのような人間の大きな街には近寄ったことは無い」

 

 そう断言したザリュースの態度にラキュースは絶句した。

 そして、同時に思い出した。

 

 あの時、ザリュースを殺した時にアインズ・ウール・ゴウンは言っていた。

 彼を生き返らせ、更に記憶を消し、平穏に生きられるようにすると。

 

 

 

 ――つまり、彼はかつての記憶を消されている……。

 私たちの事も、あの戦いの事も全て忘れている。

 

 

 突きつけられた事実に言葉もないラキュース。

 突然声をかけてきたと思ったら、今度は不意に呆然としたそんな彼女を前に、ザリュースは当惑するばかりであった。

 

 

 ラキュースは躊躇した。

 あのとき知った事実。

 ザリュースの故郷の村を滅ぼしたのは、この村を救ったというアインズ・ウール・ゴウンの手のものだという事を、今の彼に伝えるべきだろうかと思い悩んだ。

 

 

 

 そこへ声がかけられた。

 

「ザリュース。ここにいたの? あら、そちらは?」

 

 そう言って歩み寄ってきたのは日傘を差した、これまで見た事もない純白の鱗を持った蜥蜴人(リザードマン)

 

「おお、クルシュ」

 

 その姿をみとめ、ザリュースは優しい声をかけた。

 

「歩いてきて大丈夫なのか?」

「ええ、少しは歩かないとね」

 

 そう言った彼女の腹は、ラキュースの目から見ても身ごもっていると分かった。

 クルシュの身体を気遣い、優し気な顔を向けるザリュース。

 

 

 そんな彼に、ラキュースは問いかけた。

 

「ねえ、ザリュース?」

「ん? なんだ?」

「あなたは今、幸せなの?」

 

 クルシュと手をつなぎ、振り向いた彼はなんのてらいもなく口にする。

 

「ああ、もちろんだとも」

 

 そんな穏やかな表情の彼を前に、ラキュースは「そう……良かったわ。お幸せに……」とだけつぶやいた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「ようこそ、ラキュース」

 

 目の前の卓についていた悪魔、デミウルゴスは鷹揚に手を振って、対面の椅子に腰かけるよう促す。

 ラキュースは言われるがまま、席についた。

 

 

 彼女の前に、紅茶が差し出される。

 鼻をくすぐる良い香り。

 カップを手にとり、わずかに口に含む。

 ここ最近、ずっと味わうことのなかった、華やかな茶葉の香りが口腔いっぱいに広がる。

 

 思わず、その顔が緩んだ。

 じんわりと温かいものが、腹の中に広がっていく感覚がする。

 

 彼女が一息ついたところを見計らい、デミウルゴスは口を開いた。

 

「さて、今日はカルネ村に行ってきたはず。どう思いましたか?」

「……あれはどういうことなの?」

「さて? どういうこととは?」

「あの村は人間も亜人も、それこそ人を食べるオーガも一緒に暮らしていたわ。いったいどうやって……」

「なに、簡単な話です。至高なる御方、アインズ様の前には、人間も亜人もアンデッドですら等しく同じ存在にすぎないという事ですよ。ただアインズ様の威にひれ伏し、従えば、種族の別に関係なく、繁栄を享受できるのです」

「そんな……ふざけないで!」

 

 ラキュースは声を張り上げた。

 

「あなた方が王国で、帝国でやったことを知っているわ。あなた方のせいで、あなた方が悪意をばらまいたせいで、どれだけの罪もない人たちが死を迎え、惨憺(さんたん)たる扱いを受けていると思っているの!?」

 

 そんな彼女の激情に、しかしデミウルゴスは肩をすくめただけだった。

 

「『悪意をばらまいた』ですか? それはどうでしょうね」

「え?」

 

 思わず、呆けた答えを返したラキュース。

 デミウルゴスはそんな彼女にさらに言葉をつづけた。

 

「今の王都は弱者を強者が踏みにじる悪徳の蔓延(はびこ)る都といえるでしょう。しかし、それは別に我々がそうしたわけではありません」

「な、なにを……」

「悪徳は最初から、王都に蔓延(はびこ)っていたのですよ。内に蠢く悪徳の渦、それを自分たちが見ずに済むよう、ごてごてと覆い隠していた。それがかつての王都リ・エスティーゼの姿です。我々はその覆いを取り除いたに過ぎません」

 

 デミウルゴスはゆらりと立ち上がる。

 

「私どもは、長くこの地の現状を探ってきました。王国も、帝国も。しかし、はたしてこれらの国の人間たちは罪がないといえるでしょうか? 貴族社会を構築したこれらの国は、階級制を用い、公然と弱者を踏みにじり、食い物にしておりました。ある者は飢え、住むところもなく、享楽の為に嬲り殺されているというのに、そこからわずかにへだてた場所では、その身を襲う危険など欠片もなく安寧に浸ったまま、淫蕩にふけり、飽食の宴が開かれる毎日。そんな現状は当然、貴族であるあなたも知っていたでしょう?」

 

 その言葉にラキュースはウッと言葉を詰まらせた。

 

「ええ、そうね。人々の生活に歪みがあったのは知っているわ。力のない人が不当に虐げられ、逆に力のある貴族は思うまま、我が物顔で専横していた事はね。でも、だからと言って、あなた方のやり方は絶対に正しくはない。あなた方が支配していた王都は、貴族の横暴よりひどい無法に晒されていたわ」

「ええ、そうです。まさに無法、悪徳の極みと言えるでしょう。しかし、それこそが人が勝手に作った法などというものから解放された、人として本来あるべき自然の行いなのです」

 

 悪魔は眼鏡の奥にある宝石の瞳をラキュースに向ける。

 

「ラキュース。あなたは先日、王都において両手両足を枷で繋がれ、罪人として通りを引きまわされましたね。その時、沿道にいた民衆はどうしました? 悲惨な状況に置かれたあなたを助けようとしましたか? いえ、そんな事はしませんでした。彼らは大喜びで、あなたに罵声を浴びせ、石を投げつけました。かつて英雄と呼び、尊敬の目で眺めていたあなたの苦境を救おうとする者は誰一人現れませんでした」

「ふ、ふざけないで! あなた方が人々を惑わせたんでしょう。分かっているのよ。あの群衆の中に、扇動者を紛れ込ませていた事を!」

 

 気色ばみ腰を浮かしかけたラキュースに対し、まあまあと席に戻るよう促すデミウルゴス。

 

「ええ、たしかに居並ぶ民衆の中に、我々の息のかかった者を潜ませていました。しかし、その者がやったのは大声であなたを非難しただけ。あなたに石を投げる先鞭をつけただけです。そこにいた人間たちは誰一人として、あなたを擁護し、あなたに石を投げつけるのを制止しようとした者はいなかった」

「それは……もし、そんなことをしたら、その人がひどい目に遭わせられるからでしょう?」

「ええ、そうですとも。つまるところ、あなたを助ければ、自分がひどい目に遭うから、助けようともしなかった。我が身可愛さにあなたの事を見捨てたという事ですな」

 

 その言葉にラキュースは声を詰まらせた。

 たしかにそれは事実だ。

 

「でも……それは仕方がないわ。だって、彼らは力を、理不尽と戦うための力を持たないんですもの……」

「その通りですね」

 

 彼らを擁護するように、苦しい言い訳を口にしたラキュース。

 しかし、デミウルゴスはそれにあっさりと同意してみせた。

 

「その通りです。彼らは王都を支配する八本指の者達より力がなかった。だから戦わなかった。代わりに彼らが自分たちの力をぶつけたのはあなたです。丸裸のまま拘束され、力を失っていたあなたより彼らは力があったので、自分たちより弱者であるあなたを攻撃したのです」

 

 デミウルゴスは優しく語りかけた。

 

「ラキュース。強者が弱者を虐げるのは当然の事なのですよ。何故ならば、彼らは強いからです。そして虐げられるのは弱いからなのです。弱肉強食は自然の摂理。決して弱者が強者を食い物にすることは出来ません。すなわち強者が力を振るう、強者が自分の欲望、衝動のままに行動する悪徳こそが自然なのです。こう言ったら、あなたは反論するでしょうね。力あるものこそ、節度を持たねばならない。その力を無分別に振るってはならない、と。しかし、それこそが誤りなのですよ。強者が自分の利益の為に力を振るわず、社会の利益の為に力を振るい、行動する。それを世の人は褒め称えます。あなたはそれを美徳と言うでしょう。しかしながら、その本質は他者からの称賛、感謝を得たいという実に利己的な欲求を満たすために他なりません。それは悪徳と変わるところがあるでしょうか? どちらも自身の欲求を満たしたいだけにすぎません。そこになんら違いはないのです」

 

 

 ラキュースは一息に語られた言葉に呆気にとられた。

 その口はパクパクと動くのみで言葉を紡ごうとはしなかった。 

 

「ねえ、ラキュース。私はね、気に病んでいるのですよ。それは本来この地において、圧倒的なる強者、アダマンタイト級冒険者であるあなたが、美徳なる概念に囚われ、その力を十全に振るえないでいるのを」

 

 その言葉をラキュースは何も言わずに聞いていた。反論しようにも、どういう訳だかそんな気力が湧いてこない。

 からからになった口に、再び紅茶を運ぶ。

 

「あなたは強者だ。思うままに行動する自由も、権利も、そして力もある。そんなあなたが何故そう振るまおうとしないのか。規律や自制などは、強者であるあなたを縛り付ける枷にすぎません。何故枷に絡めとられなければならないのでしょうか。自分の欲望、衝動のままに行動する悪徳こそが自然の、人間の本来の姿なのですよ」

 

 

 穏やかに語りかけるデミウルゴス。

 対するラキュースはというと、自分の足元が揺らぐような眩暈にも似た感覚に襲われていた。

 反論したいことはある。それこそ山ほど。

 だが、どうしてだか、それが頭の中で形にならない。

 悪魔の語った言葉がグルグルと彼女の脳内を駆け巡る。

 

 

 ――自分が今までしてきたことは何なのか?

 人のため、力なきもののために力を振るってきた。

 そう思っていた。

 だが、それは自分のためだったのか?

 ただ誰かに褒めてもらいたいがためだったのだろうか?

 

 

 ラキュースの記憶によみがえってきたのは、先日の王都での光景。

 あの時の、居並ぶ群衆の顔に浮かんでいた、苦境にあえぐ彼女に向けられた薄ら笑いが、彼女の脳裏から離れなかった。

 

 

 そんな、心の奥に懊悩を抱える様子を見て取ったデミウルゴスは、ちらりと目くばせをした。

 すると、見目麗しい容姿の金髪を縦ロールにした肉感的な肌をさらしたメイドが銀の盆を持ってきた。

 それをラキュースの前に置く。

 

 なんだろうと見つめる彼女の前で、メイドが蓋を取ると、そこにあったのは湯気を立てる肉の塊。

 

 

 見た瞬間、ラキュースの口内に唾液が溢れた。

 香ばしい食欲をそそる匂いが放たれ、それを嗅いだだけで、彼女はもういてもたってもいられなくなった。

 

「どうぞ、召し上がってください」

 

 そう薦められ、いざ食べようとしたものの、切り分け、食べるための食器がない事に気がついた。

 そっと悪魔の方へ目をやる。彼はにこやかな表情で頷いた。

 もはや我慢の限界とばかりに、ラキュースは素手で肉を手にとり、かぶりついた。

 

 

 美味かった。

 捕らえられて以降、まともな食物を口にしていなかったというのもある。ずっと彼女が口にしてきたのは、口に入れた瞬間、吐き気をもよおすようなひどい味付けの代物ばかりであった。残飯ならまだましな方。ウジの湧くほど腐ったシチューや、時には口にするのもはばかられる物がかけられた生ゴミなどというものまで食事として出されたのだ。

 

 それらを置いておいても、この肉の味は素晴らしかった。

 貴族として食したものと比較しても、これほど美味しいものはついぞ食べたことがなかった。

 

 

 一心不乱にかじりつき、肉塊を噛み千切り、骨から肉片をこそげ落とし、骨にまでしゃぶりついていたラキュースに、デミウルゴスは問いかけた。

 

「どうです? 美味しいですか?」

 

 その問いかけには、素直に「美味しい」と答える。

 それを聞き、悪魔はにっこりと微笑んだ。

 

「そうですか。それは良かった。それならば、彼女も本望でしょう」

 

 その言い方に引っ掛かるものを感じ、動きを止めたラキュース。

 彼女の目の前に、再び先ほどのメイドが銀の盆を持ってやってくる。

 そして、先ほどと同様、彼女の目の前にそれを置くと、蓋を開けた。

 

 

「!?」

 

 ラキュースは息をのんだ。

 そこにあったのは、焼け焦げた人間の頭部。

 

 すっかり黒く変わり果てた姿であったが、彼女はそこに、ある面影を見つけた。

 自分と同房だった少女の面影を。

 

 

 ラキュースはごくりと喉を鳴らした。

 ここに少女の頭を運んできた理由を理解した。

 

 

 ――すなわち、今、自分が口にしているものは……。

 

 

 臓腑の奥から酸っぱいものがこみ上げてきた。

 そのほっそりとした喉の中でゴボゴボと水音が蠢く。

 

「どうしました? 遠慮する必要はありませんよ。なんら躊躇う必要はありません。その肉は美味しいでしょう? 美味しいものを食べることを我慢する必要などありません。いいですか? およそこの世に禁忌などありはしません。どこかの誰かが勝手に、特定の行為をやってはいけない事だと分類したに過ぎません。強者であるあなたのすることを妨げるものなど、あなた自身の心しかありません。あなたが自らの行動をよしとするならば、それはなによりも尊重されるべきことなのです」

 

 

 目の前に立つ悪魔のささやき。

 

 

 ラキュースはしばし、手の中の肉を見つめた後、込み上げてきたものを再び胃の奥へと飲み下し、肉へとかぶりついた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「ぎゃああーーっ!」

 

 断末魔の悲鳴と共に男が倒れた。

 彼を切り殺した女は、剣についた血を払い、口元に邪悪な笑みを浮かべた。

 

「さあ、皆殺しにしなさい!」

 

 彼女の号令と共に、八本指の者達は一斉に武器を持って襲い掛かる。

 リーダーを殺された反乱軍は怖気づき、逃げようとしたところを、次々と後ろから切り殺されていった。

 

 

 むせかえるような血の香りが辺りに立ち込める中、ラキュースは笑っていた。

 その身を包むのはかつての純白のものとは異なる、漆黒の鎧。

 今、その鎧は鮮血に塗れていた。

 

 

 

 新たに王国を支配したスタッファン王に従おうとしない者達は少なくなかった。彼らは各地で小規模ながら反旗を翻した。

 そこへ鎮圧の為に投入された新政権軍。

 その先頭で剣を振るうのは、新政権側に帰順したかつての『蒼の薔薇』のリーダー、ラキュースであった。

 

 

 彼女は自分の思うがままに、自分の力を振るった。

 かつては民衆を守るためと決めていた力を、ただ欲望のままに使った。

 殺戮の欲望のままに。

 

 彼女はその力に酔いしれた。

 それは本来、自分が持っていた力なのだ。

 それを今まで他人の為にしか使わなかったなど、なんと愚かな事をしていたのだろう。

 

 

 彼女が剣を振るうたびに、たやすく人間たちは死んでいった。

 たくましい戦士も。

 魔術を操る魔法詠唱者(マジック・キャスター)も。

 信仰心厚い神官も。

 抵抗する術もない農民も。

 幼い少女も。

 穏やかな目を持つ老人も。

 紅顔の幼児も。

 

 全て、生殺与奪は彼女の手にあった。

 他者の運命をその手に握るという事は、この上ない優越感をもたらした。

 

 

 ラキュースは己が全能感に酔いしれ、転がる死体の中で狂ったように笑い声をあげていた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 その様子をはるか遠く、ナザリックから〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉で眺めていたデミウルゴスを始めとした面々。

 彼らは満足げに、鏡面に映る映像を見つめていた。

 

「うはー、変わるもんっすね」

 

 陽気な声をあげたのはルプスレギナ。

 

「正義の味方を気取っていたのに、一皮むけば、こんなものでありんすね」

 

 嘲笑に口をゆがめるシャルティア。

 

「ええ、所詮は人間。なんて愚かしい事でしょう」

 

 口元に手を当て、くすくすと笑うソリュシャン。

 そんな皆を前に、愉快そうに微笑むデミウルゴス。

 

「ああ、これこそが人間だよ。実に愚かにして愛すべき存在。彼ら以上の玩具はこの世に存在しないだろうね」

 

 その言葉に一同、笑い声をあげた。

 

 

「それにしても、あっさり堕ちたっすねえ。アダマンタイト級冒険者とか言ってたのに」

 

 そう口にしたルプスレギナに、デミウルゴスが答える。

 

「なに、人間の精神というのは常に一定ではないからね。散々に嬲ることで精神を動揺させておき、そこで紅茶や部屋に焚いた香に混ぜた薬で判断力を低下させれば、操るのも簡単という事さ」

「そんなもんっすか?」

「ああ、そうだとも。薬を使う他にも、暑さや寒さの中に長時間おいておくだけでも、同様の効果がある。ルプスレギナ、君が彼女を牢獄から連れ出そうとしたときも、あっさりと君の言うことを信じただろう?」

「ああ、なるほど。あれも、そうなんすか。ずいぶん、あっさり信じたなぁと思ってたんすけど」

「まあ、あれで堕ちなければ、寝ているうちに〈記憶操作(コントロール・アムネジア)〉で、少しずつ彼女の記憶をいじってみようと思っていたがね。彼女の大切な思い出、友人や仲間との語らいの合間合間にナザリックを讃え、悪徳を是とする言葉を混ぜ込もうとも考えていたんだが」

 

 

 話が一段落したところで、シャルティアが問いかけた。

 

「ところで、この女はこれならどうするんでありんすの? これから人間の王国の支配地域を増やすのに先兵として使うのかえ?」

 

 その問いかけに、デミウルゴスは首を横に振った。

 

「いや、人間として強者に属する者でも、十分に洗脳は可能だという実験は済んだからね。後は処分してしまうつもりだよ」

「なんだか、もったいない気もするんだけど」

「なに、我々に必要なのは人員であって、人間の戦力じゃないからね。我々からすれば彼女程度の戦力など、一般兵と大差はないから、大事にとっておく必要もないさ。それに……」

 

 デミウルゴスは邪悪な笑みを浮かべた。

 

「それに、ああして悪に堕ち、己の力に酔っている彼女。かつての信念まで捨ててナザリックについたはずなのに、そんな我々にさらに裏切られ、自分が無残に殺されると分かったら、はたしてどんな表情を浮かべるか。興味はないかい?」

 

 それをやった時、ラキュースの顔に浮かぶであろう驚愕、悲嘆、憤怒、そして絶望の様を想像し、その場にいた者達は、皆一様に笑いあった。

 実に和やかに。

 実に楽し気に。

 

 

 

 そして〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉の中で、ラキュースもまた、いつまでも笑いつづけていた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ナザリック第9階層の執務室。

 今その部屋にはアインズとベル、2人が真剣な顔で机上を見下ろしていた。

 

 2人が見つめる、その先。

 机の上には、幾つものユグドラシルの新金貨と旧金貨が山を作っていた。

 

 そっとアインズはその上へと手を伸ばす。

 ごくりと喉を鳴らして、金貨の山の一部、重なった金貨の一枚に指をのせる。

 そしてそっと指を横にずらした。

 その指先の動きに合わせ、重なり合った数枚の金貨が、音もなく動く。

 だが、もう少しで机の端というところで、グラリと揺れた。

 重なり合った金貨が崩れ落ちる。

 しかし、その金貨は音を立てることもなく、ただ机上に散らばった。

 

 

「ちょっと、待った! アインズさん、今、無詠唱で〈静寂(サイレンス)〉使ったでしょ!?」

「いえ、使ってませんよ」

「嘘だ、絶対に嘘だ! だって、金貨が崩れたのに音がしませんでしたよ」

「偶然というのもあるものデスネ」

「いや、こんな遊びで魔法なんて使わないでください」

「獅子は兎を狩るにも全力を尽くすのです」

「つまり、やったって事ですね! ずるい! ずるぅい!」

 

 

 今、こうしているうちにも策動している(しもべ)たちの暗躍など想像すらせず、ナザリックの支配者たちはのんきに姦しく騒いでいた。

 

 


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