オーバーロード ~破滅の少女~   作:タッパ・タッパ

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2017/4/29 「務める」→「努める」、「掘った」→「彫った」、「使える」→「仕える」、「最後」→「最期」 訂正しました
文末に句点がついていなかった所がありましたので、「。」をつけました



第86話 No One Lives Forever

「ん? アイテムの整理?」

 

 かけられた言葉をベルはおうむ返しに尋ねた。

 

「はい。ベル様はいつもアイテムを取り出す際、難儀しておられるご様子。一度、アイテムボックス内のアイテムを整理なさってはいかがでしょうか?」

 

 

 ソリュシャンからの進言に、それもそうだなと、ベルは頷いた。

 

 

 そう考えるのは先日の一件の為である。

 

 実際、これまでも自身のアイテムボックス内から物を取り出そうとしたのに、入っているはずの物をなかなか見つけられないという事は多々あったのではあるが、それに絡んでついこの間、満座の前で少々問題が発生したのだ。

 

 ローブル聖王国より攫ってきた貴族の『説得』という任務を見事果たした恐怖公に褒美をやろうと、アイテムボックス内を探ったのであるが、その際、目当ての代物がいつまでたっても見つからなかったのである。

 

 それは玉座の間において、他の者達も多く見守る中でのことであり、まさか現支配者たるベルが褒美をやろうと大見得を切ったうえで、渡そうと思ったアイテムがどこにあるのか、ちょっと見つけられないなどとも言える状況ではなかった。

 

 

 冷や汗が流れる中、とっさに手に引っ掛かったものを掴んで取り出したのであるが、それはかつてペロロンチーノとともに苦心して手に入れた、運営のセーフアウト判定ギリギリをいったと言われていた伝説の危険な水着であった。

 

 とりあえず、それをアイテムボックスから取り出したところは皆に見られていたため、元よりそれを探していたのだという(てい)をとって、そのまま下賜してやったのだが、さすがに何も説明がないままだと、なんでこんなものを渡されるのかと不満に思うかもしれないとも思い、それがいかに素晴らしいアイテムであるのか、今回の褒美にふさわしいかをなんとか言い繕った。

 至高の41人であるペロロンチーノがこれを手に入れるため、どれほど大変な目に遭い、如何様(いかよう)にして艱難辛苦を乗り越えたか――その原因は主にぶくぶく茶釜によってだが、そこはぼかした――を語って聞かせたところ、想像以上にいたく感動し、身を震わせている様子であった。

 傍で話を聞いていたシャルティアが周囲に響き渡るほどに歯ぎしりしていたが。

 

 だがその後、恐怖公がそれを着てナザリック内を闊歩する姿は、何とも言葉にしづらいものであった。

 

 

 

 とにかく、そういった問題を再び引き起こさないためにも、アイテムボックスの整理は必要であった。

 

 それはベルとしても分かっている。

 今のままでは、いざというときに必要なものが取り出せなくなってしまう。

 本当に重要な喫緊の問題が差し迫った時に、必要なアイテムが見つからない可能性もあるのだ。

 

 整理しないという選択肢はない。

 

 

 しかし、実際問題、あまりにも量が多いのである。

 その量を見るだけでもこれからやる大仕事、整理しようという決意に水を差され、やる気が無くなってしまうのだ。

 

 

 

 正直な話。

 ベルは物の片づけが苦手である。

 

 とにかく、物を乱雑に置くのだ。

 別に綺麗に整っている状態というのが嫌いという訳ではない。そんな高尚な哲学がある訳でもない。整理整頓された空間というものは実にいいものだ。それくらいは彼女としてもそう思う。

 

 だが、何か物を使った後、それを元の場所には戻さず、またすぐ使うからと近くに置いたままにしておくのである。

 

 しばらくの間は実際にすぐ使用するので、手近な場所に置いておくのは便利かつ合理的であるとは言える。

 しかし、そこまではいいのだが、その後、段々とそれを使わなくなっていった後も、そのままそこに放置したきりなのだ。

 

 当然のことながら、やがてそういった物がそこら中にあふれかえることになる。

 結果、目の前に並べられた物の山を前にして、はてさてどこから片づければよいのやらと途方に暮れる羽目になるのである。

 

 

 このナザリックにあるベルの自室においては、片づけなど諸々の世話はメイドたちが行っているので問題はないのだが、ベル自身のアイテムボックス、その内は他者である彼女らは掃除できない。整理できるのはベルのみなのだ。

 整理、整頓、清潔、清掃という社会人として努めるべき4S全てをメイドに任せっきりにしているがゆえに、そのメイドの手が及ばないアイテムボックスの中はまさに混沌とした有様である。

 

 

 さて、こんなにも物がごちゃごちゃとしている原因は、その辺の物を後で整理しようと適当に放り込み、実際には後で整理などしないのが原因に違いない。

 整理整頓は物を使用した時、即座にやらねばならず、後でやろうと先延ばしにしてはいけない。

 後で悔いると書いて後悔。

 後悔先に立たずとはよく言ったものだ。

 

 

 

 それこそ、そんなことを延々考えている暇があったら、実際に行動すればいいのに、考えるばかりで行動に移さない所が駄目な人間の典型である。

 やらない理由を考えるよりは、速やかにやった方がはるかにましだと、ベルは名も知らない何処かの誰かが言っていたような気もする。

 

 

 ともあれ、やるとしよう。

 こうして内心で言葉を遊んでいても、勝手に整理整頓されるわけもないのであるから。

 

 ベルは気乗りしないながらも重い腰をあげた。

 

 

「そうだね。……うん、整理するか」

 

 

 そうして、いざアイテムボックスを開いたのであるが、案の定、そこにあったのは大量の物、物、物。

 

 ベルが適当に放り込んだ物の山である。

 どれが要る物なのか、要らぬ物なのか、判別しようという気にすらならぬほどのものが大量に溢れかえっていた。

 

 

 それを目の当たりにしただけでも、片づけをしようというベルのやる気ゲージが一気に減少していく。

 

 これが1人だけであったのならば、さっさと見て見ぬふりを決め込んだだろう。そもそもな話、自分は整理しようとは最初から思ってなどいない。馬鹿め、整理しようとしたのはフリだけだ。まんまと引っ掛かったな、明智君と、誰に聞かせるでもない独り言を口にして、部屋の中央に設置された炬燵――ベル個人の保有する唯一の神器級(ゴッズ)アイテムである――に首まですっぽり収まってしまう魂胆であったのだが、あいにくとたった今、傍らに立つソリュシャンの前でアイテムボックスの整理をするという宣言をしたばかりである。

 さすがに自分に対し絶対なる忠心を捧げる彼女の手前、実際に口にしてしまった前言を数秒も経たぬうちに撤回するのはバツが悪い。かと言って、マルが良いというものでもない。

 

 かくしてベルは腹を決め、溜めこみまくったアイテム類、そのほとんどは愚にもつかぬガラクタの整理整頓へと、あたかもテルモピュライの戦いにおもむくスパルタ兵のように果敢に挑むこととなった。

 

 

 そんな、もしこの場にスパルタ兵がいたら、袋叩きにされること間違いなしな決心と共にやり始めた整理であるが、その作業は遅々として進まなかった。

 

 

 ごそごそと中を漁り、まずはその中に溜め込まれたものを、外へと出す。

 机の上はすぐに埋まってしまったため、その辺の床に並べていく。

 

 すると出るわ、出るわ。益体もないガラクタばかり。

 この世界の金貨、宝石、装飾品。そんな価値ある物のみにとどまらず、あったら便利だと思い、取っておいた、それなりに立派な椅子や机などの家具や調度類。捨てるのもったいなかったんで、そのまま放り込んでいた、血のついた剣や鎧など。特殊技術(スキル)の実験という名の暇つぶしに彫った木彫りの熊やらハムスケやら。更にはちょっと珍しい形をした石や、その辺で拾った動物の骨。挙句の果てには食べかけのパンなんぞという物まで入っていた。

 よくもまあ、これほどまでに意味もない物ばかりを集めたものだと、我が事ながら感心してしまう程であった。

 

 

 ――おっと、これは混ぜてはいけないな。

 

 

 そうこうしているうちにガラクタに混ざって出てきたのは、重要極まりない代物。

 ワールドアイテムである『傾城傾国』並びに『聖者殺しの槍(ロンギヌス)』である。

 

 

 ――これは他と混ぜてはいけない。

 ガラクタと間違って捨ててしまっては元も子もない。

 

 

 ベルの脳裏に、かつてリアルの時分、部屋の整理をした際、買いはしたもののがっかりだったエロ本と、これは絶対に永久保存用だと考えていた究極にして至高のエロ本を一緒くたにしておき、誤って捨ててしまった苦い過去が浮かんでくる。

 

 

 ――あれは本当にもったいなかった……。

 

 ワールドアイテムとエロ本が同列というのもどうなのかという話ではあるのだが、とにかく大切なのは、捨てる物と捨てない物はちゃんと分けておこうという教訓である。

 

 その2つのワールドアイテムは他と紛れぬよう、机の上に並べておいた。

 置くためのスペースを開けようと、先に机の上に並べていたものを横へ寄せたのだが、押された拍子に机上の物は端からガチャガチャと音を立てて、床の上へと落ちていった。だが、もうめんどうくさい、どうせそこにあるのだから大して変わりはないだろうとばかりに、それは気にしない事にした。

 そうして他のアイテムを取り出しては、床の空いているスペースに並べる作業に、再び取り掛かる。

 

 

 

 そうしていると――。

 

「ベル様」

 

 呼びかけるソリュシャンの声。

 

「んー?」

 

 ベルはそちらに振り向かず、生返事だけして、作業に没頭する。

 

 ――ん?

 なんだろう、これは? 武器か? こんなのあったっけ?

 捨てるか。

 ……でも、もったいないかな? 取っておいた方がいいかな?

 いや、それはいけない。それこそ片づけられない典型だ。そうやって、いつか使うかもしれないと取っておいた物で、実際に後で使う物はほとんどない。ここは心を鬼にして捨てるべきだろう。

 

 手にしたそれを、捨てる物を積みあげている区画へ、ポイと放る。

 

 

 

「ベル様」

 

 再度、ソリュシャンの声。

 

「なに―?」

 

 再度、そちらに顔も向けずに声だけ返すベル。

 

 

 ――あれ? なんだっけ、これ……?

 ……え? 死体?

 あ! あの時の、ええっとアルシェの仲間だとかいうフォーサイトとかいう連中の死体か。

 これが見つかると色々拙いな。

 ……これはアイテムボックス内から出さない方がいいか。あっちの奥の方に放り込んでおこう。

 

 取り出しかけた安眠の屍衣(シュラウド・オブ・スリープ)に包まれた遺体は、そのままアイテムボックスの奥へと押し込まれた。

 そして、それを入れるためのスペースを作るために取りだした、また奇妙奇天烈(きみょうきてれつ)な形と色をしたかさばるアイテムを前にして、これは取っておくべきだろうかと頭を悩ませるベル。

 

 

 

「ベル様」

 

 三度(みたび)、ソリュシャンの声。

 さすがに何度も続く呼び声に、一体なんだろうとベルは振り向いた。

 

「もう、どうしたのさ、何度も……っ!?」

 

 

 瞬間――ベルは息をのんだ。

 

 その鼻先につきつけられていたのは、鋭い切っ先。

 

 

 

 

 『聖者殺しの槍(ロンギヌス)』の穂先が、彼女の眼前にあった。

 

 

 

 

 その先端から続く柄を持つ人物へと視線を動かす。

 

 それを手にしているのは、ベルが最も信用し、これまでずっとお付きとして側にいたナザリックのプレアデス、美しい金髪を縦ロールにした肉感的なメイド、ソリュシャンである。

 

 

 

 ベルはごくりと喉を鳴らし、もう一つのワールドアイテム、『傾城傾国』へと目を向ける。

 それはすぐ傍らの机の上に、無造作に置かれている。

 

 しかし、その視線の動きを見て取ったソリュシャンは『聖者殺しの槍(ロンギヌス)』を突きつけ、『傾城傾国』に手をのばそうとしたベルの動きを牽制した。

 

 その切っ先に押される様にベルは後ずさる。

 

 

 

 それは、慢心としか言いようがない。

 

 ベルはナザリックの者を殺そうと考えていた。

 ナザリックを滅ぼそうと画策していた。

 ならば、ナザリックの者がその企みを察知し、逆にベルを襲う可能性もあった。

 そして、ベルはそれに対して警戒していたはずだったのだ。

 

 

 『アイテムボックス内のアイテムの整理をしませんか?』

 

 他の者が同様の事を言ったのならば、ベルはその提案を怪しいと疑ってかかり、その目論みを看破しただろう。

 

 しかし、今回の場合、それを言ったのはソリュシャンであった。

 

 ベルはまさか、ソリュシャンが自分に歯向かうなどとは思いもしていなかったのである。

 彼女とてナザリックの一員であり、あくまで作られたNPCではあるのだが、およそベルがこの世界に来てから、この姿になってから、常に共にあったのはソリュシャンであった。

 そのため、彼女に関しては自分に対し忠実な、信用のできる存在として認識しており、本来向けるべき警戒の対象から、無意識のうちに外してしまっていたのだ。

 

 

 

 未だ驚愕の色を隠せないベルに対し、彼女は言った。

 

「ベル様……。ベル様はこのナザリックを滅ぼすと……そうおっしゃっていましたが……。それは本当なのですか?」

 

 額に脂汗を浮かべ、あたかも身を切り裂く苦痛に苛まれているかのように顔を歪めながら、そう問いかけるソリュシャン。

 その声色には自分が口にした言葉ながらも、それを信じたくはないという感情がありありと浮かんでいた。

 

 

 ナザリックの(しもべ)には、同じナザリックに属する者へ危害を加えることを忌避する本能的な性質がある。

 当然ながら、それはプレアデスであるソリュシャンにもある。

 彼女らは――演技程度ならまだしも――互いに本気で攻撃し合うといったことは出来ない。

 しかも、今、彼女が槍先を向けている相手は、至高の存在としてのオーラを発しているベルである。

 自身が行っている絶対の禁忌により、彼女の全身に震えが走る。その心は千々に掻き乱され、あたかも暴風雨に翻弄される木の葉のよう。

 

 

「ああ、落ち着いて、ソリュシャン」

 

 その様子を目敏(めざと)く見てとったベル。

 これならば言いくるめられると、彼女は内心で口の端を歪めた。

 

「君はちょっと勘違いしているみたいだね」

 

 

 しかし、そう口にしたベルは気がついていなかった。

 

 『聖者殺しの槍(ロンギヌス)』を握るソリュシャンの手。

 そのほっそりとした指にある物。

 

 およそこの世において最高クラスの装備を身につけるのが普通であるナザリックの(しもべ)、とくにその中でも高位に位置するはずのソリュシャンが今、その身を飾るにふさわしいとは決して言えない、くすんでろくに輝きすら発せぬ鈍色(にびいろ)の指輪を嵌めている事に。

 

 

 それはかつて、漆黒聖典の隊長が身に着けていた、嘘を見抜く指輪。

 ベル自身が、ソリュシャンに回収を命じたアイテムである。

 

 

「ソリュシャン。どうしてそんなことを考えたのか知らないけど、ボクがナザリックを滅ぼすなんて、そんな事あるはずがないじゃないか」

 

 べるは(なだ)めるように声をかける。

 自分に対し、穏やかな表情で優しく声をかける少女。絶対の忠誠を誓うべき相手から向けられたそんな慈しみのこもった微笑みに、ソリュシャンも普段であれば、至福の感情を覚えるところである。

 

 

 だが、今、ソリュシャンの嵌めている指輪は残酷なまでの真実を彼女に告げていた。

 

 すなわち、たった今、ベルが語った『ボクがナザリックを滅ぼすなんて、そんな事あるはずがないよ』という言葉は、『嘘』であると。

 

 

 

 ソリュシャンは全身をわななかせる。

 

「ベル様……ベル様は、このナザリックが重荷だったのですか?」

「そんなことないさ。皆の事はとても大事に思っているよ」

 

 『嘘』である。

 

「ベル様は、私たちをお捨てになるおつもりですか?」

「まさか、ボクはこれからもずっと皆と共にいるよ」

 

 『嘘』である。

 

「ベル様、……アインズ様がこの地を離れられたのは、ベル様の御意向なのですか?」

「え?」

 

 その問いには、さすがにベルもわずかに言いよどんだ。

 

「……いや、まさか。そんな事あるはずがないじゃないか。ボクはアインズさんが行くのを止めたんだけどね。でも、どうしてもアインズさんは、このナザリックの為に、リアルに行かなくてはならなかったんだ」

 

 『嘘』であった。

 

 

 ソリュシャンの身体が大きく(かし)ぐ。

 ベルに向けられていた切っ先が、大きく揺れ動いた。

 

 それを見たベルは、好機と感じた。

 きっとソリュシャンは、いつの事かは分からないが、ベルの独り言をどこかで耳にしたのだろう。彼女は盗賊系の職業(クラス)を有している。おそらく、その常人より優れた聴力でもって、誰も聞く者などいないと思ってベルが口にした言葉を耳にしてしまったのだろう。

 

 しかし、彼女はまだそれに確信が持てないでいるようだ。

 

 自分の耳で聞いたことではあるが、それを信ずることが出来ずに、こうしてベルに直接確かめているのだ。

 ベルをひっかけ、ワールドアイテムを手放させたうえで、『聖者殺しの槍(ロンギヌス)』を突きつけてまで問い詰めたのであるが、そうした一大決心の下に放った言葉を否定され、主を疑った慚愧の念に打ち震えているのであろうとベルは判断した。

 

 

 まさか、かつて自分に愛の言葉を語った少年の忘れ形見である指輪によって、自分の口にしている言葉、その真偽がすべて見抜かれているなどと、ベルは露ほども考えてはいなかった。

 

 

 ベルは打ちひしがれている様子のソリュシャンの方へ手を伸ばす。

 

「さあ、ソリュシャン。それを返しなさい。それはワールドアイテム。使うには注意を要する。下手にそれを『使用』してしまったら、相手はもちろん使った者まで蘇生魔法ですら復活できない、絶対の死が訪れる危険極まりない代物なんだ」

 

 

 ソリュシャンは懊悩していた。

 

 ナザリックを支配する至高の御方の為であれば、命を捨てる覚悟はある。

 だが、自分はどうするべきか?

 

 こうして目の前にいるベルは至高の41人ベルモットの娘であり、自身も彼の方々と同等の気配を発している。

 しかし彼女は、たった一人この地に残ってくださった至高の存在、アインズことモモンガをこのナザリックから追放した。

 そして今、彼女はさらに、ナザリックそのものを滅ぼそうと画策している。

 

 ナザリックに仕える者として、自分はどうすべきか? 

 

 

 

 ソリュシャンは力なく俯いていたが、やがてゆっくりと(おとがい)をあげ、その美しい(かんばせ)を己が主へと向けた。

 

「ベル様……アインズ様は、いつの日かお帰りになられるのでしょうか? 戻ってこられる(すべ)はあるのでしょうか?」

 

 その問いかけに、ベルは一瞬口ごもる。

 そして、言葉を発した。

 

「そうだね、帰ってくるのがいつになるか……それは分からない。でも、心配しなくてもいい。アインズさんは今でも元気にしているだろうし、戻ってくる手段はちゃんとあるよ」

 

 そう言った。

 

 

 

 そう、戻ってくる手段はある。

 アインズを戻すことは出来る。

 

 その方法とは実に簡単。

 発動したままとなっている『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』の効果を止めればいいだけだ。

 

 

 だが、それは実質、不可能だ。

 現在、『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』は宝物殿にしまってある。

 そこに入ることが出来るのはリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを保有するベル、ただ一人のみ。

 一応、宝物殿の中にはパンドラがいるのではあるが、彼は現在起こっている事態も最初から知りはしない上、他のナザリックの者達とは面識すらない。

 

 すなわち、他から隔離された宝物殿に入り、その最奥部に安置されている『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』を手にして、わざわざその効果を解除しようとすることが出来る者、それはベル本人をおいて他にいない。

 そして、ベルにはそんな気はさらさらない。

 

 

 だが、ベルはそう口にした。

 そこには、何とかに刃物ではないが、興奮して『聖者殺しの槍(ロンギヌス)』を手にしているソリュシャンの気を一時的にでも落ち着かせられればいいやという程度の軽い思惑しかなかった。

 

 なかったのであるが、その言葉を聞いたソリュシャンの目の奥に光が輝いた。

 

 

 ソリュシャンの身体が一瞬、身震いしたかのように大きく揺らいだ。

 その粘体の身体の奥底から水流が湧き上がり、全身を波紋が走った。

 

 その奇妙な様子を目の当たりにし、ベルは不審げに眉を顰めた。

 そして、彼女が『どうした?』と問いかけようと口を開きかけた刹那、ソリュシャンが先に口を開いた。

 

「ベル様……」

「なんだい?」

 

 ソリュシャンはまっすぐに、ベルの瞳を見つめる。

 ベルは突然の彼女の変化に目をぱちくりとさせた。

 

「ベル様……」

 

 ソリュシャンは目を閉じ、再度、己が主の名を口にする。

 そして、口をきっと噛みしめ、手にした槍を強く握りしめた。

 

 

 瞬間――(まばゆ)いばかりの光が走る。

 室内を光の波動が駆け巡る。

 

 

「な、なぁっ!」

 

 あまりのまぶしさに腕をあげて目をかばい、愕然とした声をあげるベル。

 その光の意味するところを悟り、とっさに身を躱そうとする。

 

 

 だが、そんなことに意味はない。

 

 対象を指定して発動された『聖者殺しの槍(ロンギヌス)』。

 それは物理的に避けようが避けまいが、必ず相手に突き刺さり、その効果が発動される。

 ワールドアイテムの効果は――ワールドチャンピオンの保有するスキルの仕様などごく一部の例外を除き――ワールドアイテムを持たぬ限り防ぐことなど出来はしない。

 ましてや今、ソリュシャンが発動させたのは、そのあまりの凶悪極まりない能力から、ユグドラシル時代は二十とまで言われた壊れ性能のワールドアイテムである。

 

 

 その光の切っ先は狙いたがわず、ベルの左脇腹に突き立った。

 

 

「げはあっ!!」

 

 肺腑から絞り出すような、潰されたヒキガエルのような悲鳴をあげるベル。

 ソリュシャンは悲哀と苦悩を湛えた叫び声をあげた。

 

「ベル様……御崩御くださいませぇっ!!」 

 

 

 

 ナザリックに仕える者の願いは一つ。

 ナザリックを支配する至高の御方の役に立つことである。

 

 だが、アインズがいなくなった後、唯一の支配者となったベルはナザリックを滅ぼすことを望んだ。

 

 ナザリックの(しもべ)として、主の望みである滅びを受け入れるべきか? それとも、ベルを止め、ナザリックそのものを守るべきか?

 

 

 ソリュシャンはたとえ至高の存在すらをも完全に殺すことが出来る必殺のアイテム、『聖者殺しの槍(ロンギヌス)』を手にしたまま、自分が取るべき行動を迷っていた。

 

 

 仮にこの『聖者殺しの槍(ロンギヌス)』でベルを殺した場合どうなるだろうか?

 ベルと自分は『聖者殺しの槍(ロンギヌス)』の効果によって共に死ぬが、ベルによるナザリック壊滅計画は防がれる。ナザリックはその後もあり続ける。

 

 しかし――。

 

 しかし、それをやった結果ナザリックの者達に待っているのは、仕えるべき相手が誰一人いないこの地にて生きねばならぬという、ある意味、死よりも、滅亡よりもひどい生き地獄の未来である。

 

 そんな状況に、彼らをおとしめていいものか?

 そうするよりは、至高の御方の娘であるベルの手にかかった方が良いのではないか? 幸せなのではないか?

 

 そんな考えが脳裏を駆け巡った。

 

 

 

 だが、今、ベルが語った言葉。

 

 『アインズさんは今でも元気にしているだろうし、戻ってくる手段はちゃんとあるよ』

 

 

 

 その言葉に指輪は反応しなかった。

 そこに『嘘』は無かった。

 

 

 すなわち、アインズはベルの策略により追放されたが、今現在も無事であり、いつか帰ってくることが出来るのだ。

 

 

 ベル自身はただ、ソリュシャンを言いくるめるためにいった言葉であったが、それが彼女の心を決めさせた。

 

 

 そして、ソリュシャンは決断した。

 『聖者殺しの槍(ロンギヌス)』を使用することを。

 

 

 ベルは死ぬ。

 自分も死ぬ。

 だが、ナザリックは残る。

 そこに住まうすべての(しもべ)たちもまた残る。

 

 至高なる御方、アインズがいつの日か帰還した際、帰るべき場所、支配すべき者は残るのだ。

 ナザリックの(しもべ)として、彼女はそれを守らなくてはならない。

 

 

 ナザリックの皆の為に。

 至高なる御方の為に。

 

 たとえ、自分の命と引き換えにしても。

 主として仰いだベルを滅ぼすという、大罪に手を汚そうとも。

 

 

 

 槍に刺された脇腹に光がともる。

 その光は白く煌めき、やがてそこからベルの肉体が輝く粒子となって崩れ始めた。

 

「があああぁぁっ!!」

 

 苦悶の声をあげるベル。

 

 

 熱かった。

 この世界においてダメージを受けたときの衝撃などとは異なる本当の苦痛。リアルで自分の身体が炎に焼かれるような、そんな耐えがたい激痛がベルの身体を襲う。

 

「なっ、そんな! あ、熱い―!!」

 

 小さな体をよじり、身悶えるベル。

 そんな苦悶の様子を前にしているソリュシャンの身体もまた、『聖者殺しの槍(ロンギヌス)』を握る手の先から、白い光が包まれていく。

 その光は全身を包み込み、やがて彼女の身体は溶け落ちるように消えていった。

 最期、消える瞬間、彼女の唇は主の名を形作った。

 その瞳から一筋の涙がこぼれる。

 だが、その涙は床へと落ちる前に、光と共に消え去った。

 

 

 

 

 そして、ベルの身体もまた同じ運命をたどろうとしていた。

 全身を襲う苦痛と共に、その体が末端から崩壊していく。

 

「い、痛い、痛いっ……!! ま、待った! 冗談だろう!?」

 

 だが、信じようと信じまいと、彼女の肉体は光の粒子となって崩れていく。

 

「ふ、ふざけるなよ! なんで、なんでこんなことになるんだよ!!」

 

 彼女は懸命に痛みから逃れようともがくが、そんな事で『死』ですらない、『消滅』から逃れられようはずもない。

 

 

 

 そして――。

 

 

「こ、こんな、……こんな事で……! ……こ、こんなはずが……」

 

 

 そして、最後まで、その言葉に後悔の色も反省の色も混じることなく、実に見苦しく――ベルは死んだ。

 

 

 

 次の瞬間――。

 

 

 爆発したように大量の物が室内に飛び散った。

 ベルが『消滅』したことにより、彼女の保有していた、アイテムボックス内に蓄えられていたアイテムの全てが、その場に放出されたのだ。

 

 誰もいなくなった室内に、音を立てて噴き出した物の波。

 やがて、それは主のいなくなった部屋を埋め尽くす。

 そして長い時をかけ、アイテムの放出が終わった後、ベルの私室からは山と積もったアイテムが崩れる音以外、一切聞こえるものはなかった。

 

 




 ベル死亡です。
 長期にわたった彼女だか、彼だかの活躍を讃え、ざまあみろ&スカッとさわやかな笑みでお見送りください。

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