オーバーロード ~破滅の少女~   作:タッパ・タッパ

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2017/5/4 「来れない」→「来られない」、「確立」→「確率」、「攻勢防壁」→「攻性防壁」、「様に」→「ように」 訂正しました


第87話 支配者の帰還

「はぁ……」

 

 廃神殿の中にため息の音が響く。

 

 数えてはいないが、もはやこれで何度目なのか。

 少なくとも3ケタは優に越している事は間違いない。

 

「はぁ……」

 

 さらにもう一度、深くため息をつき、アインズは自分が今いる一室を見回した。

 

 周囲の石壁は崩れかけ、もはや壁としての体をなしていない。そんな部屋というより壁の痕跡により区切られた空間には、今、彼が座るソファーがあり、その前には膝ほどの高さのテーブル、そして壁際には数人同時に寝ても大丈夫なほど大きなベッドが据え付けられていた。

 一見ただの廃墟に見えるが、床はきれいに掃除されており、たとえそのまま寝転んでも、その衣服が汚れることは無いだろう。

 

 

 アインズは顔を上に向ける。 

 その視線を遮るものはない。周囲を取り囲む、人の身長の倍ほどもあろうかというほどの壁面にかろうじて残った天蓋がわずかに(ひさし)のように張りだしているのみである。

 

 そこにあったのはすでに見飽きた景色。

 見上げた空は、微かに明滅しながら色を変える不思議な灰白色の霧だか雲だかによって覆われている。

 

 

 ここには太陽というものがない。

 ただ常に、周囲を取り囲む霧によってほのかな明るさが保たれている。

 その為、アインズが腕につけているバンド型の時計によって示されるもの以外、時の流れを感じることすら出来ない。

 

 

 そうして、周囲を見回した彼は肩を落として、再び視線を床へと落とした。

 

 自分がいる周囲、崩れかけた神殿の一室には変わったことはない。

 おそらくこの廃神殿の外にもなんら変化はないだろう。

 それこそ彼、そしてアルベドがここへ来てからずっとだ。

 

 

 

 アルベドの使用した『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』の閉鎖空間に閉じ込められてから――彼のしている時計になんらかの作用が働き、そこに表示される数字が狂いでもしていなければ――およそ数か月が経った事になる。

 

 

 当初は何とか、この空間から逃げ出そうとした。

 

 本来の脱出口であるアーチは『幾億の刃』によって生み出された刃の壁によってふさがれている。それの排除を試みもしてみたのだが、ある程度のダメージを与えることで破壊されるはずのその障害物は、『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』による特殊空間の効果――ダメージ無効によって、絶対に破壊不可能な障壁と化していた。これを何とかするには、それこそなんらかのワールドアイテムでも用いない限りは不可能だろう。

 

 

 次に、他の脱出方法はないかと行ける範囲全てをしらみつぶしに探してみた。

 

 だが、行動できる範囲と言っても、それはこの廃神殿を中心としたせいぜい数キロ程度しかない。その外は灰色の霧に覆われ、そこに足を踏み入れるとまるで水の中を歩くかのように霧が手足に纏わりつき、だんだんと重くなっていく。それは先に進めば進むほど顕著となり、やがては100レベルPCであるアインズでさえも、自身の手足の重さに進むことが出来なくなる程であった。

 

 

 ならば、この空間内に別の脱出方法があるのではと、あれこれ試してみもしたのだが、こちらも何一つ成果はなかった。

 強いて言うならば、この空間内にいる生物――アインズはアンデッドであり、少々語弊があるかもしれないが、とにかくアンデッドも含めた動く者は、アインズとアルベドたった2人しか存在しないという事がはっきりしたのみだ。

 

 

 

 自力での脱出は不可能。

 

 そこでアインズは、この『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』の外にいるはずのベルに助けを求めようとした。

 彼女ならば、状況を把握し次第、自分の事を助けに来てくれるに違いない。

 

 違いないのだが、ワールドアイテムによる閉鎖空間内からは、連絡を取る方法がないのである。

 

 普段、肌身離さず身に着けているワールドアイテムは自室に置いてきてしまっている。アインズからの〈伝言(メッセージ)〉を始めとした伝達系の魔法、〈転移門(ゲート)〉を始めとした転移系の魔法、どちらも閉鎖空間内においては使えるが、閉鎖空間の外までは繋がらなかった。

 

 

 自分から打てる手はないと分かり、そしてアインズは仕方がないとばかりにのんびりと構えることにした。

 

 ――なに、知恵者であるベルの事だ。

 すぐに自分がいなくなったことに気がつくはず。

 そして、あれこれと調べ、やがて自分が『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』内に閉じ込められている事に気がつくだろう。

 大丈夫。

 しばしの辛抱だ。

 

 

 そう思い、狼狽えて右往左往するのは止め、アインズは座してベルが自発的に助けに来るのを待つことにした。

 

 

 したのだが……一向に救助に来る様子がない。

 

 

 

 ――はて? いったいどうしたことだろう?

 何故、助けが来ない?

 

 『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』を使ったアルベドは自分と共にこの閉鎖空間内にいる。

 すなわち、彼女は外で救助に対する妨害工作などは出来ぬはず。ベルの活動を妨げるものはないはずだ。

 ……待てよ、アルベドは呼び出した小悪魔を使って、『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』と『幾億の刃』をアーチの向こうへと運ばせた。

 もしや、他にもアルベドの協力者がいるのだろうか?

 ……いや、そもそも、アルベドはどうやって『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』と『幾億の刃』というワールドアイテムを入手し、アインズの1人待つ第8階層へとやって来たのか?

 その2つのワールドアイテムはナザリックの宝物殿に納められていたはず。そして宝物殿にはリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを持たないアルベドは侵入できないはずだ。

 それが一体どうして……。

 

 

 思考するアインズの脳裏に最悪の展開が浮かんだ。

 

 

 ――まさか、アルベドはベルさんを襲ったのでは?

 

 そう、あの時アインズとベルは、ワールドアイテムの効果、それも複数のものによる同時発動を検証するはずだった。

 自身のワールドアイテムを部屋に置き、第8階層で待つアインズの許へ、ベルが宝物殿からワールドアイテムを運んでくるはずだった。

 

 ――もしや、ワールドアイテムを手に第8階層へ向かおうとしていたベルさんを襲撃し、なんらかの方法で封印したのではないか?

 そのためにベルさんは助けに来られないのではないか?

 

 

 長き思考の果て、その可能性に思い至ったアインズは色めき立ち、一体何処でどうやってワールドアイテムを手にしたのか、アルベドを問い詰めたのであるが、彼女はそれに関してはのらりくらりと言い逃れるばかりであった。

 

 自分の考えた最悪の想像に気は急くのであるが、たとえそれが真であろうが偽であろうが、今いるワールドアイテムによる閉鎖空間を何とかする手立ては、彼にはなかった。

 現在の状況は『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』と『幾億の刃』、どちらかを解除させればそれで解決するのだが、その2つとも、ここにいる自分の手の届かぬ場所にある。

 そして、自分には外部と連絡を取る手段はない。

 畢竟(ひっきょう)、ここでただひたすら待ち続ける以外に(すべ)はないのである。

 

 

 

 そうして、閉鎖空間の中央にある廃神殿の一室を自分たちの部屋とし、ここを滞在先とした。

 この部屋でアインズはアルベドと常に同じ時を過ごしていた。

 

 元よりアインズはアンデッドであるため、飲食は不要であり、疲労や睡眠とも無縁である。

 そしてアルベドも、その身につけたアイテムによって、同様の効果を得ていた。

 

 その為、昼も夜もなく――そもそも、ここでは昼も夜も分からないのであるが――2人はずっと共にいた。

 ここでは取り掛からねばならぬ仕事も、作業も労務も何もない。やるべきことは何一つない。地にて連理枝、天にて比翼鳥とでもいうかの如く、ただすることもなく四六時中、2人は常に一緒であった。

 

 

「はぁ……」

 

 このわずかな時間の内だけでも三度(みたび)、ため息をついた。

 

 現在、その声を聞く者は――とても珍しい事に――アインズ本人以外にない。

 

 今、アルベドは洗濯の為、わずかな時間だが、アインズの許を離れている。

 本来、何も変わりのないこの空間内において、衣服が汚れることなどほとんど無いし、たとえ汚れたとしても他に見せる者もいない。

 いないのであるが、アルベドは定期的に自身、そしてアインズの衣服を洗濯していた。バッドステータスがあるからなどというものでもないのであるが、やはり恋する者の嗜みとして、わずかでも汚れた姿は見せたくはないのだろう。

 

 だが――。

 

 

《モモンガ様》

 

 〈伝言(メッセージ)〉がアインズの脳内に響く。

 

 

 ――ああ、またアルベドからか……。

 

 アインズはうなだれた。

 

 

 洗濯などでわずかにアインズのそばを離れる時もアルベドは、どこから手に入れたのかは知らないが、効率は悪いがMPを多く消費することで特定の魔法を使用出来る指輪により、しょっちゅう『モモンガ様、モモンガ様』と〈伝言(メッセージ)〉を送ってくるのだ。

 

 これまでも皆の前ではナザリックの支配者としての演技を常に続けていなくてはならず、唯一ベルと話しているときのみが心休まる時だったのであるが、今では本当に四六時中アルベドと一緒なのである。

 もはや気を休める時間など一分一秒たりともなく、アインズの精神はどんどん摩耗していった。

 

 

《モモンガ様》

 

 

 脳内に響く言葉に、うつむいたまま反応することもないアインズ。

 〈伝言(メッセージ)〉の着信を拒否することも出来るのだが、それをすると、すわアインズに何かあったかとアルベドが飛んできて大騒ぎになるため、アインズは〈伝言(メッセージ)〉が届いた場合はもう無意識的に繋げるようになっていた。

 

 

《モモンガ様。モモンガ様》

 

 

 ――ああ、一体いつになったら、ここから出られるのだろう?

 ベルさんは無事なのだろうか?

 そして、ナザリックの皆は?

 もし、自分がいない間にナザリックに何かあったとしら……悔やんでも悔やみきれない。

 

 

 

 苦悩に返事も返さないアインズを置いて、〈伝言(メッセージ)〉の声は続いた。

 

 

《モモンガ様……ふむ。そう言えば、たしか今はアインズ・ウール・ゴウンと名を変えておいででしたか?》

 

 

 不意に聞こえたそのキーワードに、ハッと顔をあげた。

 

 アインズ・ウール・ゴウン。

 

 およそこの中に閉じ込められてから久しく聞いていなかった現在の自分の名前。

 それまで霧がかかったようだったアインズの脳が活性化する。

 

 

《誰だ!?》

《おお、モモンガ様! いや、アインズ・ウール・ゴウン様とお呼びすべきでしょうかな? ついに、ついにお話しすることが叶いました!》

 

 その聞こえてくる感激したような声。

 それまでぼんやりとした頭のまま聞き流していたため気がつかなかったが、その声は明らかにアルベドのものと異なる。

 これは男性の声だ。

 

 

 ――しかし、一体何者だ?

 

 

 考えられるのはナザリックの(しもべ)たちである。

 それは自分の事を『様』付けで呼んでいた事からも推察できる。

 

 しかし、今脳内に響く声色と、アインズの記憶にある彼らの声とで一致するものはない。

 

 それに何故、自分の事をいまさらモモンガなどと呼んだのか?

 自分は皆の前で、アインズ・ウール・ゴウンと名を変えた事を宣言した。

 それを知らぬ者はナザリックにはいないはず……。

 

 

 ――待て……。

 アインズと名を変えてから会ったことがないナザリックのNPC?

 

 いる。

 一人、いる。

 

 まさか……!?

 

 

《まさか、お前は……パンドラズ・アクターか!?》

Genau(ゲナウ)!(その通りでございます)》

 

 

 

 パンドラズ・アクター。

 かつてユグドラシル時代にアインズ自身が作ったNPCである。

 

 まさに彼の当時の厨二成分が全開で込められた存在であり、熱が冷めた現在となっては直視するのが辛いため、宝物殿に置いたまま、一度たりとも会う事はなかった。

 今もこうして〈伝言(メッセージ)〉でとはいえ、ドイツ語をしゃべられるとくる(・・)ものがあるのだが、とりあえず今は置いておくことにした。

 

 

《パンドラよ。お前は今、何処にいる? ナザリックの宝物殿にいるのか?》

《はい。私は今、宝物殿の最奥部におります》

《おお、そうか。では、お前に一つ緊急で頼みたいことがある。お前は、ベルさんの事は知っているな? ギルメンの1人、ベルモットさんの娘として何度か宝物殿に訪れたことがあるはずだ。急いでベルさんに連絡を取ってくれ。〈伝言(メッセージ)〉なり、他の魔法なり、なんなら宝物殿にしまってあるマジックアイテムを使用してもかまわん。急げ!》

 

 息せき切ってそう命令したアインズ。

 だが、パンドラから伝えられたのは、彼の想像を超える事柄であった。

 

《アインズ・ウール・ゴウン様。実は今回、私がアインズ・ウール・ゴウン様に……》

《いちいちアインズ・ウール・ゴウンと呼ぶのは長い。アインズでよいぞ》

《ははっ! では、これからはアインズ様とお呼びさせていただきます。さて話の途中でしたが、アインズ様、今回私がアインズ様に連絡を取ったのは他でもない、そのベル様が行方不明になられたためでございます》

《な、なんだと!?》

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 現在、ナザリックは大混乱の渦中にあった。

 

 アインズがこの地を離れた後、ただ一人ナザリックにあり、留守居を任されていたはずのベルの行方が分からなくなったのだ。

 しかも側仕えのソリュシャンも同時にである。

 

 ベルの自室には大量のアイテムが山と転がっているだけで、そこにベルの行く先を示す手がかりは何一つ見当たらなかった。

 

 

 

 ナザリックの者達は動揺した。

 いや、動揺などという言葉では収まりきらない。周章狼狽(しゅうしょうろうばい)し、上を下への大騒ぎとなった。

 

 

 至高の御方に仕えることこそが、自分たちの存在意義。

 その忠義を捧げるはずの御方が、ついに1人もいなくなったのである。

 

 いったい自分たちは、これから誰に忠誠を誓えばいいのか?

 いったい自分たちは、これからどうすればいいのか?

 

 皆目(かいもく)、見当もつかなかった。

 

 

 そうして、全員が意気消沈する中、今後の方針を決めるべく会議が開かれたのだが、お世辞にも活発な議論が交わされるなどといった(たぐ)いのものではなかった。

 ポツリポツリと意見が出されては、他の者に否定されていく。

 そんな不毛なやり取りが際限なく繰り返された後、誰かが一つの提案をした。

 

 

 それはリアルなる地へおもむいたアインズに連絡を取り、お帰りいただくというもの。

 

 

 自分たちの都合で、至高の御方にあらせられるアインズの行動を左右するなど、ナザリックに仕える者としてけっして許される行為ではない。

 そのため、それを言った者は厳しく叱責されたのであるが、皆の心の内ではその提案はこの上ない魅力的であり、けっしてなかったことに出来るようなものではなかった。

 

 

 たしかに(しもべ)である自分たちが困ったからといって、はるか遠くへ旅立ったアインズに戻ってきてもらおうなど、不敬にもほどがある。

 断じて容認できるものではない。

 

 しかし、そう頭では理解していたが、アインズの帰還を願う気持ちは皆同じであった。

 そこで折衷案として、現在の状況をアインズに伝え、指示を貰ってはどうかという案が示された。

 

 

 だが、根本的な問題として、いったいどうやって、現在ナザリックを襲っている苦境、ベルの不在という異常事態を、リアルという誰一人として詳細も知らぬ異世界へと旅立ったアインズに伝えればいいのだろうか?

 

 そんな難題の前に、議場が静まり返った時、ポツリとセバスがつぶやいた。

 

『たしか、宝物殿にはパンドラズ・アクターというアインズ様ご自身が創造された者がいるという話を小耳に挟んだことがございます』

 

 その言葉に皆、色めき立った。

 続くセバスの言葉から、そのパンドラズ・アクターなる、この場に集まった誰一人として会ったことすら無い謎の存在は、階層守護者らに匹敵するほどの能力を持つらしい。

 それにナザリックの宝物殿には、至高の御方々が世界中から集めてこられた多種多様なアイテムが収められている。その中にはリアルへ赴かれたアインズと連絡を取る事が出来る物もあるかもしれない。

 

 

 しかし、一つ問題があった。

 

 ナザリックの宝物殿は、他からは完全に隔絶された区画であり、転移門などすらも繋がれてはいない。

 いったいどうやって、そこへ行けばいいというのか?

 

 

 それを解決できる物が、ベルの自室から発見された。

 

 至高の41人、ベルモットから受け継ぎ、現在ベルの所有物となっているリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン。

 それが山と積まれたアイテムの中から発見されたのだ。

 

 

 本来は、至高の御方の許可なく、ナザリックの(しもべ)が勝手にリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを使用するなど許されるはずもない行為であるのだが、現在は緊急事態であり、何かあった時の処罰は自分が受けるとデミウルゴスが明言したため、その指輪を一時的に貸借し、使用することにした。

 

 宝物殿に行くのに選ばれた人員はシズである。

 

 彼女はこのナザリックにあるの各種ギミックおよびその解除方法を熟知している。

 そのため、宝物殿にいるはずのパンドラズ・アクターへと、この事態を知らせる役に抜擢されたのだ。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

《――そうして、私はやって来たプレアデスのお嬢様から、現在、ナザリックが置かれている状態を聞き、こうしてアインズ様へご連絡した次第にございます》

 

 一連の説明を聞いたアインズは、はてなと首をひねった。

 

《待て。なんだ、その私がリアルへ行ったという話は?》

《はて? 私が直接聞いた話ではございませんので、何とも言えませんが、なんでもベル様がそうおっしゃられていたとか》

《ベルさんが?》

 

 アインズの頭の中にいくつも疑問符が浮かんでくる。

 

 

 ――いったいどういう事なのだろう?

 ベルさんがそう言っていた?

 ……ん? つまり、ベルさんは俺とアルベドがこの『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』の閉鎖空間に入ってからも、ナザリックにいたという事か? アルベドが宝物殿からワールドアイテムを持ち出したベルさんを襲ったのではないかと思っていたのだが、そうではないのか?

 

 

《おい、パンドラよ。宝物殿に収められていた『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』と『幾億の刃』は知っているか?》

《はい。もちろん存じております。ああ、あれこそがマジックアイテムの最高峰、ワールドアイテム。あの素晴らしさといったら、もうそれこそ……》

《ああっと、すまんがその話は後でだ。その2つが今、どこにあるか分かるか?》

《『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』と『幾億の刃』でしたら、このナザリック宝物殿最奥部、霊廟奥に作られた、ワールドアイテムの間にございますが》

《なに?》

 

 またしても、よく分からない状況だ。

 あの時、アルベドは『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』と『幾億の刃』を、自らが召喚した小悪魔に渡したはずだ。たとえ小悪魔が『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』から脱したとしても、そいつはリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンなど持っているはずがない。

 すなわち、宝物殿へそれを持っていくことなどは出来ないはずなのだ。

 それなのに宝物殿内には、その2つがちゃんと安置されていると言う。

 

 

 ――いったい何がどうなっているんだ?

 

 アインズは聞かされた訳の分からぬ現況に、眩暈のようなものを感じた。

 

 

《パンドラよ。宝物殿内にそのワールドアイテムが2つともあるのは確かなのか?》

《はい。今、目の前に2つ、ちゃんとありますとも》

 

 その時、アインズの頭に根本的な疑問が浮かんできた。

 

《……そもそもな話だが、パンドラ。お前はどうして、この私に〈伝言(メッセージ)〉を送ることが出来たのだ?》

《はてさて、いったいどうして、アインズ様に〈伝言(メッセージ)〉を繋げることが出来たのか? それについては、私も少々不可思議なものを感じているとしか言いようがございません》

 

 パンドラは続けて言う。

 

《プレアデスのお嬢様からかかる事情を聞き及び、私がまず最初に行ったのはアインズ様に直接〈伝言(メッセージ)〉を繋げようとしたことでした。しかし、他の皆様方も試みはすれども成功しなかったという(げん)の通り、私の使用したそれもアインズ様へ繋がる様子は見受けられませんでした。そこで私は、これはナザリックの存亡にかかわる緊急事態と判断し、独断ではございますが、いざというときの切り札を使うべきと判断いたしました。すなわち、かつてやまいこ様が残された〈流れ星の指輪(シューティング・スター)〉を使用するか? はたまた、宝物殿の奥底にしまい込まれているワールドアイテム、かの二十の名を冠するあの空前絶後のアイテムを使用すべきかというものです。そうして、その二つのアイテムを実際に手にしたものの、果たしてどちらを使うべきかという重大極まりない決断の前に、頭を悩ませてしまいました。なにしろ、どちらも回数制限のあるアイテム、しかもその貴重さ、希少性は言うまでもありません。おいそれと使ったあげく、効果がなかったなどということは栄光あるナザリックの(しもべ)として、宝物殿の領域守護者なる大任を預かった身として、けっして許されるものではありません。そうして、懊悩することしばし、私はひとまず、どちらを使用するかの決断を先送りにし、もう一度だけモモンガ様へ――失敬、アインズ様へ〈伝言(メッセージ)〉を使用してみることにいたしました。もしかしたら、千に一つ、万に一つ、億に一つの確率で今度こそ繋がるかもしれないという細い蜘蛛の糸のような可能性にかけてみたのです。それは我ながらにして、まったく非合理的な判断の極みでしかなかったのですが、ああ、なんということでしょう。今回に限り、こうしてアインズ様と〈伝言(メッセージ)〉の魔法が繋がったのです! おお、神に幸いあれ! この幸運はきっと……》

 

 延々と語り続けるパンドラの台詞は聞き流し、アインズは今の説明を頭の中で整理し、どういう訳なのか理解した。

 

 

 つまり、ナザリックが保有していた二十に含まれたほどのあのワールドアイテム、それをパンドラが使用するかどうか悩み、手にしたままの状態で〈伝言(メッセージ)〉を使ったため、パンドラが現在ワールドアイテム保有者であるとみなされ、こうしてワールドアイテム『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』内にいるアインズの所にまで魔法が繋がったのであろう。

 

 とにかく、幾つも疑問はあるが、先ずやらねばならぬことは、この『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』内から脱出することである。

 

 

《パンドラよ。今から言う物を用意して第8階層へ行き、『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』を解除するのだ》

《はて? 『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』を?》

《詳しく説明している時間がない。とにかく急げ!》

Gern(ゲルン)!(喜んで!)》

《……それとすまんが、ドイツ語は無しで頼む》

《ご命令とあらば》

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「ふんふんふん♪」

 

 アルベドは上機嫌に鼻歌を歌っていた。

 

 その手にあるのは洗濯籠。

 中には彼女の衣服、そして彼女が愛してやまないアインズの衣服が入っている。

 しかも、着替えたばかり、ほやほやである。残念ながらアンデッドであるアインズには体温がないため服も温かくはないし、代謝もないため服に匂いがつくなどという事もないのではあるが、それでも愛しい存在がほんのわずか前まで身に着けていた衣服というのは特別な意味を持つ。

 

 もし時間があるのならば、直接顔を押し付けて、その香りや味を――味など全くないのではあるが――楽しみたいところだが、そうした事をしていると、アインズ本人と顔を合わせる時間が減少してしまう。

 それでは駄目だ。最も重要なのはアインズと共にいることなのに、アインズの代わりを愛し、楽しむことに時間を取られては本末転倒である。

 今、こうしているうちにも、アインズの顔を見るはずの時間を浪費し続けているのだから。

 

 

 ――ああ、もう我慢できない!

 アインズ様のお声が聞きたい!

 

 アルベドは湧き上がる衝動に身悶えた。

 なにせ、もう474秒もアインズの顔を見ていないのだ。

 

 

 そうしてアルベドは、自身の指に嵌めた指輪――使用回数制限はない代わりに通常の魔法詠唱者(マジック・キャスター)が使用する場合に比べて数倍ものMPを消費する、非効率的としか言いようがないアイテム――を使用し、〈伝言(メッセージ)〉を繋げようとした。

 

 

 だが、その時――。

 

 

 ――世界が歪んだ。

 

 

 

 突然の変化に目をむくアルベドの眼前で世界が、霧に包まれる小高い丘に作られた廃神殿が溶け落ちるように掻き消えていく。

 

 驚愕するアルベド。

 全てが夢幻(ゆめまぼろし)のごとくに消え去った後、ナザリック第8階層の荒野において彼女と対峙するのは、彼女が恋い焦がれる愛しき存在、アインズである。

 

 

 ぎょろりとアルベドは視線を巡らせた。

 

 悠然とたつアインズの傍らに立つのは奇怪な人物。勲章のついた軍服を身に纏い、軍用コートを袖を通すことなく、肩に羽織っている。そして何より目につくのはその顔。のっぺらぼうのような凹凸のない頭部に3つの黒い孔がある。おそらくドッペルゲンガーであろうとは予測がつくものの、ナザリックの守護者統括である彼女ですら見たことがない者である。

 だが、その手許にはワールドアイテム『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』がある。

 この者がアインズと自分、2人だけの蜜月を邪魔したのに間違いはないだろう。

 

 そして、わずかにドッペルゲンガーの方が後ろに下がりつつも、並んで立つ彼らの後ろには、羽の生えた胎児、ヴィクティムを胸元に抱えたプレアデスの1人、シズが控えていた。

 

 

「……モモンガ様。申し訳ありません」

 

 アルベドは謝罪の言葉を口にした。

 

「私とモモンガ様、2人だけの世界。そこに邪魔者が入るなど……」

 

 その身を憤怒に震わせながら、アルベドは続ける。

 

「万死に値する行為を行ったその者らに、今すぐ鉄槌を……!!」

 

 

 みなまで言わせず、アインズは手をあげ、その言葉を遮った。

 

「待て、アルベドよ。これは私の指示、私が彼らに命じたのだ」

 

 その答えに、アルベドはガンと頭を殴られたように大きく身を震わせた。

 

「な……なぜなのですか、モモンガ様。この、この私がご不快でしたか……?」

「いや、そうではない。そうではないのだ。だがな、アルベドよ、私は『アインズ・ウール・ゴウン』のギルド長として、かつてのギルメンたちが残していったこのナザリックに責任がある。皆を放っておくわけにはいかないのだ」

 

 

 

 アインズの言葉に、アルベドは小刻みに肩を震わせた。

 

 泣いているのではない。

 彼女の瞳は濡れてなどいない。

 アルベドの全身を駆け巡っているのは、まさに噴火寸前の怒りであった。

 

 もはや目に見えるかという程に濃厚にして、際限なく垂れ流される殺気。

 その渦巻く中心において、アルベドはついにその激情を露わにした。

 

 

「ナザリック! やはり、このナザリックがある限り、この私と共にいることは出来ぬというのですか!! この、この私よりも、ナザリックが大事なのですか!?」

 

 荒れ狂う憤怒の奔流を前にしながら、ここで退いては駄目だと、アインズは腹に力を込めて踏みとどまり、アルベドの説得を試みる。

 

「待て、アルベドよ! 以前も言ったが、私は決してお前をないがしろにしようという訳ではない。お前は大切だ。お前はタブラさんによって作られた大切な存在、タブラさんの娘であると私は思っている。だがな……」

「タブラ!! そんなゴミの事などどうでもいいのです!」

 

 アルベドの口から発せられたその台詞に、愕然として言葉を失うアインズ。

 

 

「このナザリックからいなくなったタブラ・スマラグディナ。アインズ様を捨ててどこかへ消え去ったタブラ・スマラグディナ。ただ私を作ったというだけの、そんなタブラなどという屑野郎の事などどうでもいいのです!」

 

 アルベドの縦長の瞳。

 その奥には狂気にも似た妄執が湛えられている。

 

「モモンガ様。私が愛する御方、私にとって大切な御方はこの世でただ一人。モモンガ様、あなただけなのです! あなたさえいれば、私は他の者などいりません」

 

 それを聞いたアインズは骸骨の顔を歪めた。

 

「……アルベドよ。それは違う。それは……お前の本当の感情、本心ではない。お前が今抱いている感情は、私が歪めてしまった事によるものなのだ……」

 

 悲痛な表情で俯き、肩を落として告白するアインズ。

 だが、それに対し、アルベドはなんら動ずることなく力強く言い切った。

 

「そんなもの関係ありません!」

「なに?」

「それが本物かどうかなど、ありのままの自分であるかなど、そんな事は些細な違いに過ぎません。今の私にとって大事な事。この世において、たった一つだけの確かなもの。それはモモンガ様、あなたへの愛だけです!!」

 

 そして、アルベドはぎょろりとアインズの傍らにいるパンドラやシズ、ヴィクティムをねめつける。

 

「やはり……やはり、モモンガ様。あなたにとって、このナザリックが枷となるのですね? このナザリックがあなた様の事を縛るのですね! このナザリックがある限り、たとえナザリックのない地に行ったとしても自由にはなれないという事ですね?」

 

 そして慟哭するかのようにアルベドは叫ぶ。

 

「このナザリックが存在する限り、『モモンガ』には戻れないというのですね!?」

 

 

 

 そう吠えた後、力尽きたようにがくんと(こうべ)を垂れたアルベド。

 やがて、ゆっくりと顔をあげる。

 

「……分かりました。ならば、このアルベド、御身の為に――」

 

 爛々と光る、その瞳にあるのは狂乱のうちに歪みきった決意。

 

「モモンガ様の為に、このナザリックの全てを、この墳墓に生きとし生けるもの全てを、このナザリック地下大墳墓なる虚飾の器全てを、滅ぼしつくしましょう!!」

 

 

 

 そう宣言し、アルベドは己が手にある『真なる虚無(ギンヌンガガプ)』を変形させる。ナザリック殲滅の手始めに、この場にいるパンドラらを殺すつもりであった。

 そんな彼女の様子に、もはや言葉は通じぬかとアインズは嘆きの視線を投げかけた。

 そして一つ嘆息すると、強い意思を持ってアルベドを見つめ返す。

 

「すまんが、アルベド。私はナザリックの為、お前を止めねばならん。それこそ、一時的とはいえ、お前を殺すことになっても。……許せよ!」

 

 

 言うと同時に、アインズは己が特殊技術(スキル)を発動させた。

 

 それはユグドラシルでもごく少数のものしか就いていない希少な職業(クラス)、エクリプス。それを最大限まで取った者のみが取得できる恐るべき能力。

 

 『あらゆる生あるものの(The goal of )目指すところは死である(all life is death)

 

 アインズの背後に12の時を示す時計が浮かび上がる。

 それと同時に、アインズは魔法を放った。

 

「《即死(デス)》」

 

 その必殺の魔法は、確実にアルベドを捉えた。

 もちろん彼女は、即死魔法に対して対策を施してあるのだが、そんなものがあろうと、アインズの使った特殊技術(スキル)との組み合わせの前に意味はない。

 だが、そのコンボを身に受けたはずのアルベドは悠然と微笑んだ。

 

「モモンガ様の切り札『あらゆる生あるものの(The goal of )目指すところは死である(all life is death)』からの即死魔法。100時間に一度しか使えぬとはいえ、その時計の針が一周するまでに、復活の効果があるアイテムや特殊技術(スキル)を発動させねば、たとえ即死耐性がある者すら殺しつくす恐るべき特殊技術(スキル)、でしたわね」

 

 言いつつ、アルベドは一つのアイテムを取り出した。

 その手の上にあるのは、赤い光を放つ宝玉(タリスマン)

 

「蘇生魔法が込められた宝玉(タリスマン)か。……やはり、対策があったか。見たところそれは大して高レベルのアイテムではないようだが、要は復活の効果が発動さえすればいい。それでも十分、効力があると言えるな。しかし、お前が『あらゆる生あるものの(The goal of )目指すところは死である(all life is death)』の事まで知っていたとは驚いたぞ」

「ええ、愛する殿方の事ですもの、何でも存じておりますわ」

 

 

 実際は万が一のため、ベルから聞かされ、渡されていたアイテムなのだが、そんな事はおくびにも出さない。

 アルベドは自身へ向けられた、アインズ最大の奥の手を切り抜けたことに、悠然と微笑んだ。

 

 

「さて、どうします、モモンガ様。こちらの手の内も確かめぬまま切り札を切るなど、随分と分の悪い賭けをしてしまったようですが」

 

 だが、言われたアインズは、それに対して動じる様子もなかった。

 

「そうかな、私としては結構、分のいい賭けだと思うぞ」

 

 自らの隠し玉が効かなかったというのに、狼狽えることなくそんな態度を取るアインズに、訝し気な表情を浮かべるアルベド。

 

 

「ああ、そう不審がらなくてもいい。アレは私の切り札だが、仮に対策を取られていた時の事も考えていたのだよ。パンドラ!」

 

 アインズの言葉に、傍らに控えるパンドラは、手にしていた『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』を後ろに回し、代わりに別の物を手にとり、さっと前へ掲げた。

 その掲げられたものを見たアルベドは驚きに目を丸くする。

 

 

 

 それは鏡。

 〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉であった。

 

 それも、普段ナザリックで使用している、様々な機能のマジックアイテムをごてごてと装着させたものではなく、元のまま、ただ何の機能も付けていないプレーンな状態の代物。

 

 

 突然、差し出された、緊迫したこの場にそぐわないただの監視用アイテムに、アルベドは手にした復活の宝玉(タリスマン)を使うのも忘れ、ただ茫然とするばかりであった。

 

 

 そんな彼女の目の前でアインズの腕が動く。

 すると、パンドラの手にする鏡、その表面に浮かんできたものがある。

 

 それはアインズ、そしてアルベドの姿。

 この第8階層において睨み合う、この場の光景であった。

 

 

 

 次の瞬間、アインズに対して監視アイテムが使用された事により、対監視の攻勢防壁である〈爆裂(エクスプロージヨン)〉が炸裂した。

 

 

 

「ごほっ、ごほっ」

 

 咳をするアルベド。

 濛々とたちこめる土煙により、一時的とはいえ、まったく視界が利かなくなってしまっている。

 

 だが、それは明らかに奇怪であった。

 視界を覆う土煙、それが全く揺らめかないのである。

 

 ――これは……時を止めている?

 

 

 しかし、彼女はそこに腑に落ちないものを感じていた。

 

 

 ――いったい、何が目的なのかしら? 

 〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉でこの場を視る(・・)ことでモモンガ様ご自身の対監視魔法を発動させるのが目的?

 いや、あり得ない。

 そんな事をする必要もない。

 対監視の攻性防壁である魔法を発動させるまでもなく、モモンガ様ご自身がそれを使えば事足りるはず。わざわざ、〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉をこの場に持ち込み、広範囲化程度にしか強化していない〈爆裂(エクスプロージヨン)〉を発動させる必要もない。

 そもそも、このタイミングで時を止める必要性がない。

 でも、あえてそうした目的は一体……。

 

 

 そうした疑問を抱えているうちに、再び時が動きだしたのを感じた。

 それと同時に爆音が轟いた。

 

 それも一度ではない。

 幾度も続けざまに広範囲型の攻撃魔法が叩きつけられる。

 

 

 その魔法はアルベドの身を焼いた。

 しかし、それを受けても、アルベドはまだ得心がいかなかった。

 

 

 ――攻撃魔法。

 たしかに、攻性防壁の〈爆裂(エクスプロージヨン)〉で盛大に土煙をあげて視界を遮ってからの攻撃魔法は効果があるわ。

 でも、今使われたのは威力の及ぶ範囲は広くとも、それほど攻撃力のないものばかり、そんな魔法の連打など、何発浴びせ続けたとしても、それでこの私を倒しきれるはずもない。

 その事は当然、モモンガ様もご存じのはず。

 では、本当の狙いは?

 

 

 そう考えたところで、アルベドは自分が手にしているものの重さに我に返った。

 

 

 ――いや、モモンガ様の狙いは分からないけれども、今は『あらゆる生あるものの(The goal of )目指すところは死である(all life is death)』が発動し、それに続く即死魔法がかけられている状態。

 先ず最初にやるべきことは、この復活の宝玉(タリスマン)を使用して、その効果を無効化することね。

 

 

 そう考えたアルベドは手にしたアイテムを発動させようとして――。

 

 

「ギャギャギャギャ!」

 という笑い声を聞いた。

 

 

 そして、次の瞬間――彼女の手から、復活魔法の込められた宝玉(タリスマン)が消え去った。

 

 

 

 驚愕に目を開き、振り返った彼女の目に入ったもの、それは死体のような肌と瞼のない深紅の瞳をもつ子供程度の大きさの悪魔、ライトフィンガード・デーモンのいやらしい笑みであった。

 

 

 

「な、なぁっ!?」

 

 思わず声をあげるアルベド。

 

 

 ナザリック地下大墳墓には、監視行為に対する防御がある。

 墳墓内に監視の魔法やアイテムを使用した場合、使用者の所へ怪物(モンスター)の群れを自動で送り込むのだ。

 

 転移直後、すでに一度それにより大騒ぎを引き起こしてしまったアインズとベルは、〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉ではナザリック内は覗かないという決まりを策定した。

 

 その決まりに反し、〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉でナザリック内の自分たちを映したために、攻性防壁により発動された魔法の爆炎に紛れ、カウンターとしての怪物(モンスター)が召喚されたのだ。

 

 

 かつてライトフィンガード・デーモンの『盗み』の能力は、およそアイテムならばどのようなものでも盗むことが出来るという凶悪極まりないものであったが、あまりに苦情が殺到したため、彼らが盗めるものは同レベル帯の物に限られるようになった。

 そのため、最初に召喚される最下級の悪魔ライトフィンガード・デーモンでは、それなりに価値の高い復活のアイテムは盗むことが出来ない。

 

 だが、ナザリックの防御ギミックによって召喚された怪物(モンスター)は迎撃され、ある一定数が死亡すると、より強力な怪物(モンスター)が召喚されるという仕組みになっている。

 先ほど、連続して範囲魔法が叩きこまれたのは、アルベドにダメージを与えるためではなく、召喚された怪物(モンスター)の群れを連続で何度も壊滅させ、更に強力な怪物(モンスター)を呼び出すためのものだったのだ。

 そうして呼び出された、今いるライトフィンガード・デーモンは、姿形は似通っていても、最初に呼び出される低レベルのものとは異なり、はるかに高レベルのもの。

 すなわち高レベルアイテムまで盗み出せるという事だ。

 

 

 また、ライトフィンガード・デーモンの盗む対象となるアイテムには優先順位がある。

 最も盗まれにくいのは、アイテムボックスの奥底にしまわれたアイテムだ。

 次に盗まれにくいのはアイテムボックスの中でもすぐ取り出せるところにあるアイテムであり、それより盗まれやすいのは自身が装備しているアイテムである。

 そして自身が装備しているアイテムより盗まれやすいもの、それは実際に手にしているアイテムとなる。

 

 とどのつまり、アルベドが直接、手に持っていた宝玉(タリスマン)こそが、最も『盗み』の対象となりやすいものであった。

 

 

 

 耳に障る奇怪な笑い声をあげ、宝玉(タリスマン)を持ったまま逃げだすライトフィンガード・デーモン。

 アルベドは慌ててそいつを追いかけようとするが――。

 

「なっ!」

 

 再び、驚愕の声をあげた。

 彼女の足が、まるで何かに押さえつけられているかのように動かない。

 見るとそれは彼女だけではない。彼女が追おうとしていたライトフィンガード・デーモンもまた、その場に縫い付けられたように身動きが取れなくなっており、もがいていた。

 

 足が動かないながらも振り向いた彼女の視線の先にあったのは、晴れた土煙の向こうにいたシズに抱かれているヴィクティム。

 今、その体にはシズのコンバットナイフが根元まで突き刺さっていた。

 

 

 

「こ、こんなっ……!?」

 

 アルベドは必死で足を動かそうと力任せに身をよじるも、ヴィクティムの死亡により発動される特殊技術(スキル)、強力無比なまでの行動阻害効果は、その身に宿る怪力などで無効化出来ようはずもない。

 

 フレンドリーファイアが解禁された今、そこにいる誰一人として、その場から動くことが出来ないでいた。

 そんななか、ライトフィンガード・デーモンの『盗み』は誰かれ構わず発動され、パンドラの持つ〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉や、ヴィクティムに突き刺さったシズのコンバットナイフなどが次々と消えていく。

 

 

 そうこうしているうちにアインズの背後にある時計の針は、もうじき一周しようとしている。

 それが回りきるまであと少し。

 

「モモンガ様……」

 

 身を震わせながら呟いたアルベドに対し、アインズは、

 

「すまない」

 

 と、つぶやくしか出来なかった。

 

 

 そして、時計の針は文字盤を一周し、真上を指した。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ナザリック第10階層に足早に歩む靴音が響く。

 その足音は大広間、ソロモンの小さな鍵(レメゲトン)を横切り、その奥にあった巨大な扉の前へとたどり着く。

 

 その前に立った者の存在を感じ取ったかのように、音もなく巨大な両開きの扉が開いていく。

 だが、やって来た者は扉が開くのも待ちきれないといった体で、両手で強く扉を押し開いた。

 

 

 

 その先にあったのは玉座の間。

 天上より吊り下げられたシャンデリアから七色の光が降り注ぐ中、そこにはナザリック中の異形の怪物(モンスター)たちが集まっていた。

 

 彼らは不意に開いた扉の方へ、憔悴しきった瞳を向ける。

 

 そして、そこにいた存在に気がつき、目を大きく見開いた。

 

 

 

 一瞬、時が止まった。

 

 

 誰一人、身じろぎ一つできなかった。

 

 だが、誰かが一歩前へ足を踏み出すと、それにつられるように他の者も足を踏み出し、やがて全員が大波のように入り口に立つ、その人物の許へと駆けだした。

 

 

 

 そこに立つ人物の前に音を立ててひざまずく。

 涙を流せるものは涙を流し、涙を流せぬ者は感激にその身を震わせた。

 

 そして、その場にいた全員を代表するように、前へ歩み出たデミウルゴスは万感の思いを込め、深く腰を折り挨拶した。

 

 

「お帰りなさいませ、アインズ様」

 

 ナザリックの支配者にして、最後まで残った至高の存在は、そんな皆を前に優しく声をかけた。

 

「ただいま、皆よ」

 

 




 ライトフィンガード・デーモンって、ダンジョンマスターのギグラーのようなイメージでいたんですが(必須アイテムを知らないうちに盗まれて、クリア不能になった経験が)、投稿直前にあらためて確認したら、同レベルのアイテムまでしか盗めないという設定がしっかりあったのにようやく気付き、慌てて何度も殺して高レベルバージョンを召喚したという形にしました。
 きっと、今回出てきたのはライトフィンガード・デーモンLv60とかいうのです。

 パンドラのドイツ語は一応調べて書いたんですが、ちょっとニュアンスが異なるかも。

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