「……マイ・ロード」
脳内がパニック状態に陥った俺を我に返らせてくれたのは、トロワの声だった。
「あ、ああ、トロワか」
以前ならこのタイミングで声をかけられても嫌な予感しかしなかったが、綺麗なトロワになった今なら話は別だ。
(前のままだったら張り合って『でしたらマイ・ロードは私を抱きしめてくれても良いんですよ』とか言い出しかねなかったからなぁ)
容易に想像出来る光景に胸中で顔をしかめつつも、お手数をおかけして申し訳ありませんと恐縮するトロワを俺は優しく宥める。
「気にするな。お前の作ったアイテムには助けられたからな」
地下墓地の入り口を塞いだバリケードはトロワの才能と技術が無ければ完成し得なかっただろう。呪文付与による強固な守りがなければ、いつバリケードが突破されるかという不安を抱えてこの夜を過ごすことになっていたかも知れない。
「それに、あの時お前が居なかったら取り憑かれていたのは俺だったって可能性もあったのだ」
その場合、完全に詰んでいたと思う。俺以外全員を敵に回しても圧倒出来るスペックをこの身体は持っているのだから。
(まぁ、既に俺が憑依する形になってるからその辺りどうなるかは解らないんだけど)
最悪のケースを考えるなら、トロワが犠牲になってくれたお陰でみんなが助かったと思うべきだろう。
「……ありがとうございます、マイ・ロード」
「ふ、俺は事実の一つを口にしたにすぎん。では、後は任せるぞ?」
後半の見張りをするなら、今は寝ておかなくてはいけない。熊のぬいぐるみを抱えたオッサンを視界に入れたくないというのもあって、そちらへ背を向ける形で床の上にしいた布に横たわり、目を閉じる。
(やっぱり埃っぽさは残る、かぁ)
部屋へニフラムの呪文をかけたおりに簡単な掃除と換気はしたのだが、快適な環境とは言いづらく。
「マイ・ロード……その、手を握っていて貰ってもいいですか?」
「っ」
我慢して眠ろうとしていた俺の目をトロワの言葉が開かせた。視界一杯に広がる紫色はおそらくトロワの太もも。腰を下ろしたのだろう、俺から見れば横、つまり上方に視線をやれば、続いて腕と大きな胸が見え、更に上には覆面を着けたままこちらを覗き込む顔があった。
「座っていて大丈夫なのか?」
「あ、いいよ。オイラもいるし……この辺りの外をうろついてたくさったしたいとかは魔法使いの人が倒してくれたからか、今のところ気配らしい気配はオイラ達ともう一つの部屋ぐらいからしかしないもん」
いざというとき立ち上がる動作が要る分初動が遅くなるからこその問いかけだったが、第三者の声が俺の心配を杞憂にしてしまえば、退路は断たれ。
「なら、好きにするがいい」
「ありがとうございます」
許可の言葉を口にしつつ手袋を脱いで目を閉じれば、嬉しそうな感謝の声の後に俺の手へ暖かい何かが触れる。
「マイ・ロードの手、暖かいです……」
手袋をしていたからだと思うなどと無粋な答えはせず、少しでも睡眠をとろうと俺はそのまま寝てしまおうとし、ふと思った。
「あれ? そーいえば、がーたーべるとは?」
と。そう、思い出してしまったのだ。
(オッサンの熊ぬいぐるみとか色々あって忘れてたけど、確かトロワが受け取ってたよな、あれ?)
何故、こういう時に限って俺は気づくのだろうか。
(ひょっとして、きれいなまま の ふりして、じつ は もうとっく に せくしーぎゃるっちゃってますか?)
手を握ったのはつかみ、ここからナニかが起こってしまうと言うのか。
(お、落ち着け……俺。オッサンもムール君も居るんだ。もし仮にトロワが忌まわしきアレでせくしーぎゃるに目覚めていたとしても人前でいかがわしいことをする筈が無いじゃないか!)
そもそも自身の心の傷と戦おうとする女の子を勘ぐるとか下種にも程がある。
(ある訳無いじゃないか。握った俺の手を持っていって――)
トロワが口元を綻ばせ。
「ヒャッハー、まだまだだぁっ、もっと早くぅ!」
掌を下にして床に置くなり、複数出来る開いた指の間をどこからか取り出したナイフでダダダダッと指して遊ぶのは。
(自分の手でやれぇぇぇぇっ! と言うか、そっちぃ?!)
当然だがナイフでトントンは俺の想像である。
(そもそもトロワの口調じゃねぇよ、いい加減にしろ俺の想像力)
たぶん、エロぃ方向に行かないよう無意識に無理矢理ねじ曲げてしまった結果が「誰だお前」と言いたくなるような変なキャラをしたトロワと言う想像に繋がったのだと思うが、キャラ崩壊ってレベルじゃなかった。
(いけない、訳の分からないぶっ飛んだ妄想が出てくるとか……自分で思っている以上に取り乱してるみたいだ)
これは良くない。手を握るなら直接の方が良いだろうという気遣いで手袋を脱いだのも仇になった。
(掌が変な汗かかないといいけど)
俺は一人戦う。一人じゃないはずなのに孤独な戦いにも明確な終わりは有るのだ。
(耐えよう。最悪俺達が見張る番になれば、状況は変わるんだから)
トロワに貸していない方の手をぎゅっと握り、俺は自分自身に言い聞かせた。
せかいのあくい「え? 手を持って行ってからの展開? 最初はお色気系だったんだけど没にしたらしいですよ。『お子様が見られるものじゃなきゃ駄目だ』とか『闇谷は清純派だから』ってりゆうで。でも、いいじゃないですか。まだ夜は明けて……おっと失礼」
次回、第五十五話「この胸のドキドキは」