それから彼女が教えてくれた道順通りに少し歩くと、私は無事に新聞部と書かれた扉の前に辿り着いていた。
そのすぐ隣には、写真部の部室。
そういえば、しっかりと話したことはないがもう二度ほど顔を合わせている蔦子さんが、写真部の部員であったことを思い出す。
視線を戻した私は扉を何度か叩くと、それを横に開いて室内に入った。
「あら、綾さん。どうかしたの?」
すると、一人で作業をしていたらしい三奈子さまが、こちらを振り向いて尋ねる。
室内には他の部員の姿はなかった。
「かわら版を読ませていただいたので、感想をと思いまして」
「当事者の綾さんから見て、私の記事はどうだったかしら? あ、その辺りに座っていいわよ」
私が用件を告げると、彼女は興味津々といった様子で尋ね返してくる。
それだけ、三奈子さまが新聞作りに心血を注いでいるということだろう。
「いえ、この後すぐに薔薇の館に行きますので。私には新聞の良し悪しなどは分からないのでただの感想になってしまいますが、記事はとても面白かったですよ。文章が読みやすい上に要点も分かりやすく、すらすらと読めました。私のインタビューなどつまらないものにしかならないと思っていたので、正直かなり驚かされました」
迷っていたり音楽室で歌を聴いていた分、予定よりもかなり遅くなってしまっているので、あまり長居をすることはできない。
椅子を勧める言葉を断ると、私は彼女に率直な感想を告げていった。
別に誇張したり、お世辞を言っている訳ではない。
三奈子さまの本気が伝わってくるからこそ、こちらも本音で感想を言わなければ失礼だと思うし、どれもが私の正直な感想だった。
「ありがとう。そう言ってもらえたら新聞部冥利に尽きるわ。これからもインタビューをお願いすることがあるかもしれないけど、よろしくて?」
「私でよければ。そうそう、調理実習でクッキーを作ったのですが、よろしければいかがでしょう」
「薔薇さま方には差し上げなくていいの?」
「もちろんその分は残してありますが、それでも余ってしまったので」
本当にかなりの量作った上に、山百合会の手伝いをすることになったせいか一緒に作っていた子たちが私にだけ多く取り分けてくれたので、かなり量が余ってしまっているのだ。
薔薇さま方と三奈子さまへの分をそれぞれ分けたとしても、まだ十分に余裕がある。
「ではいただくわ。作業の息抜きに食べさせてもらおうかしら」
そう言うと、私から受け取ったクッキーの包みを、彼女は近くの机の上に置く。
動いた拍子に、頭の後ろで結ばれた長いポニーテールが揺れる。
「昨日言った姉妹特集の記事をあげるから、少し待っていてね」
三奈子さまは壁際の棚の方に近付き、その中を物色し始める。
分厚い青のファイルを取り出した彼女は、ページをめくっていくとその中から何枚か紙を抜き出す。
そしてそれを、室内にある大きなコピー機にかけていった。
恐らく、あのファイルは歴代の紙面の原版を保管したものなのだろう。
「どうぞ」
「ありがとうございます、三奈子さま」
コピーが終わると、こちらに近付いてきた彼女から何枚かのかわら版のバックナンバーを受け取る。
きちんと目を通すのは時間のある時になるが、紙面には大きな文字で姉妹特集と書かれているのが目に入った。
「いいえ、インタビューのお礼だと思ってくれて構わないわよ」
「それでは、今日のところは失礼します。もう行かないといけませんので。また時間のある時に見学させていただけたら嬉しいです」
「わざわざありがとうね、綾さん。見学は大歓迎よ」
忙しなくなってしまったが、思っていたより既に十分以上も遅くなっているので、そろそろ行かなくてはまずい。
昨日より少し遅れていくことは由乃さんに伝えてあるし、時間的にも別に遅刻というほどではないので怒られはしないだろうが、それでも一番年下の私が最後に着くというのは、特別な事情でもない限り失礼だろう。
用件を終えると、私は別れの挨拶を交わしてその場を後にする。
本当は少し新聞部を見学していくつもりだったのだが、それはまた後日の楽しみになった。
薔薇の館に到着した私は、もう他の方々は来ているのだろうかと思いながら階段を上る。
多分、この建物の造りの古さだと、階段が軋む音は室内にまで聞こえているだろう。
私が来たことに気付いているに違いない。
件の茶色の扉をノックしてから開くと、中には既に本来の山百合会のメンバーが全員揃っていた。
音で私の入室に気がついた彼女たちの視線が、こちらに集まる。
咎めるような視線を送ってくる蓉子さまだけではなく、私の姿を認めた祥子さまは、不愉快そうに眉を潜めていた。
きっと、一番の新参者である私が最後に来たことが気に入らないのだろう。
その感情は正しいので、私としては何も言えない。
「遅くなってしまい申し訳ありません」
扉を閉めると、私はそのまま頭を下げる。
「遅刻という訳ではないけど、何をしていたのか聞かせてもらえる?」
「ここに来る前に新聞部の部室に立ち寄ろうとしていたのですが、途中で迷ってしまいました。……お恥ずかしい話ですが」
蓉子さまからの問いかけに、正直に遅れた理由を話す。
本当は数分で戻るつもりだったのが、大幅に予定をオーバーしてしまった。
「新聞部、ね」
江利子さまが面白そうな表情を浮かべて呟く。
新聞部と聞いて、心なしか部屋の空気が固くなったように思える。
令さまはあからさまに驚きを露わにしていたし、聖さまは興味なさげというか話を聞いているのかいないのかもよく分からなかったが、蓉子さまの表情には警戒心のようなものが浮かんでいた。
山百合会の方々が新聞部を警戒しているという話は由乃さんからちらりと聞いているが、一体三奈子さま達との間で何があったのだろう。
少し興味が湧くが、かといって気軽に尋ねられるような雰囲気でもない。
「一体新聞部に何の用があったというの?」
先ほどより更に不愉快そうな雰囲気を増した祥子さまに尋ねられる。
まさか、私が新聞部のスパイか何かだと思われているのだろうか。
「今朝のかわら版を読んだので、その感想を三奈子さまにお伝えしようと思ったのですが……。まずかったでしょうか」
「いえ、構わないわ。けど綾さん、新聞部には気をつけなさい。あまり油断していると、足元を掬われるわよ」
戸惑う私の説明に納得したらしく、警戒を解いた蓉子さまに忠告を受ける。
……本当、一体去年何があったというのだろう。
「今日は、綾さんが来たらそのことを伝えようと思っていたの。私たちも、今朝のかわら版には目を通したから」
「綾さん、姉を作る気が無いというのは本当なの?」
蓉子さまの言葉に続けて、令さまが尋ねてくる。
もしかすると、私が不在のうち、彼女たちの間では今朝のかわら版のことが話されていたのかもしれない。
「いえ、姉妹とは何なのかが分からないうちに、誰かのロザリオをいただく訳にはいかないというだけです。相手の方に失礼だと思いますから。薔薇さま方の助け船をいただいて私はここにいますが、三奈子さまにもかわら版でそのことを広めていただくようお願いさせていただきました」
「姉妹とは何、ね。改めて聞かれると、難しい問題だわ」
「そうね。私たちには当たり前のようなことだけど、外部入学の綾さんにとってはそうではないでしょうし」
「でも、この話は私や白薔薇さまよりも紅薔薇さまの方が分かるんではないの?」
「そう言われても、私も考えたことがある訳ではないから」
蓉子さまと江利子さまが少し戸惑ったように会話を交わす。
リリアンというそれが当たり前の環境で育ったがゆえに、逆に改めて尋ねられると答えをはっきり言葉にし辛いのかもしれない。
その間も、もう一人の薔薇さまである聖さまは、相変わらず知らんふりをして小説か何かを読んでいた。
「ですから、皆さまのご好意でここに来させていただいている間、失礼ながら皆さまの姿も姉妹とは何かを考える参考にさせていただこうと思っています。薔薇の館で、探している答えを見つけられたらな、と」
「ええ、それは大歓迎よ。私たちが参考になるかは分からないけど」
私が言葉を続けると、それまで困惑したような表情を浮かべていた蓉子さまが、一転して笑みを浮かべる。
美しい顔立ちに浮かんだ悠然とした笑みに見つめられ、私は思わず見とれてしまいそうになっていた。
「ひとまず、座って構わないわよ。空いている席にどうぞ」
「はい」
江利子さまに促されて、私は由乃さんの隣に腰を下ろす。
すると、由乃さんに小声で詰め寄られる。
「ちょっと綾さん、新聞部の部室に行っていたってどういうこと? 聞いてないわよ」
「すみません、まさか迷うとは思っていなかったので」
「……むう」
鋭い口調の彼女に、私は小声で謝罪する。
少し遅れると言って別れたきり、いつまでも来ない私のことをきっと心配してくれていただろうから。
すると、まだ納得していないという表情で唸る由乃さん。
「さあ、揃ったから始めるわよ、白薔薇さま」
「……はいはい」
山百合会の中心と言ってもいい蓉子さまが声をかけると、聖さまは面倒そうに返事をして読んでいた本を鞄にしまう。
そして、今日の分の書類が手渡される。
私は、時折隣の由乃さんから睨まれながらも、それを片付けていった。