リリアンの部活は相当に多彩である。
かつて護身術が推奨されていた名残で武道系の部活がかなり多いことが印象的だが、それ以外の運動部も豊富に存在していた。
女子校なので野球部やサッカー部こそ無いけれど、ソフトボールやバスケなどのメジャーなものから、ラクロスやスキー(さすがと言うべきか、リリアンはウィンタースポーツ系の部活のための山を持っているらしい)などの部活としてはマイナーなもの、更には馬術部やポロ部などのお嬢様学校ならではの部活までもがあるのだ。
山百合会のお手伝いは毎日ある訳ではないので、その合間を縫っていろいろ部活を回ってみたけれど、これまでに経験したことのない様々なスポーツを体験させていただくのはとても楽しかった。
もちろん、文化部の方もいろいろ回ったし、こちらも日本舞踊部や箏曲部などの他の学校ではまず見られないような部活がいろいろあって面白かったのだけれど。
とはいえ、もう入学式から二週間ほどが過ぎているので、そろそろ何をするのか決めなければならない。
そのために、私は入部申請のための用紙を手に敷地内を歩いていた。
「ちょっといいかしら、綾さん」
「はい。何でしょうか」
すると、横合いから声をかけられて私はそちらを向く。
声をかけてきた彼女には見覚えがあった。
バスケ部を見学させていただいた時に、応対をしてくださった上級生の方だ。
「そろそろ返事を貰いたいのだけど……。あなたくらいの身体能力があれば、必ず素晴らしい選手になれるわ」
「申し訳ありません。フェンシング部に入ることにしたので、お断りします」
お嬢様学校なので運動系の部活をする生徒が必ずしも多くないのか、体験させてもらったうちの大半の部でこのまま入らないかと勧誘されたのだが、一通り見て回ってから決めたかったのでそれを保留していた。
バスケ部でもそうだったので、先輩は保留にしていた答えを聞きに来られたのだろう。
それに対して、そう言って頭を下げる私。
ちょっとしたレクリエーションでしたことはあっても、本格的に触れたことのなかったバスケットは面白かったし、そういう意味で魅力的に感じたのも確かだ。
それはもちろん、他の部活に関しても同じである。
けれど、それでもフェンシングを続けることにしたのは、大きな心残りが一つだけあったからだ。
自分で言うのもなんだけれど、私は長年励んできたフェンシングに関してはそれなりの腕を持っていると自負している。
なので、イギリスにいた頃には大会でそれなりに勝ったりしていたのだが、ただ一人どうしても勝てなかった相手がいるのだ。
とりたてて仲が悪いという訳ではなく、むしろ頻繁に大会で顔を合わせたのをきっかけに仲良くなった彼女に対してはわだかまりなどは全く無いが、だからこそ共に切磋琢磨した相手に勝てないことは悔しいし、未練として私の中に残っている。
きっと、もし向こうにいる時に一度でも彼女に勝てていたならば私は他の部に入っていただろう。
だが、高校を機に新しい何かを始めることにも大きな魅力を感じていた私をフェンシングに引き止めたのは、彼女に勝ちたいという思いだった。
フェンシング界で天才の呼び名をほしいままにしていた彼女はイギリス代表としてジュニア・カデの世界大会に出場して優勝したりもしているので、もし私が国内大会を勝ち上がって日本の代表として出場すれば、きっと再び剣を合わせることができる。
未練が残っているということはフェンシングをやり尽くしていないということであるし、イギリスでただ一つやり残したことを片付けるため、昨夜そう決断していた。
「……そう、残念だわ。フェンシング、頑張って頂戴ね」
「ありがとうございます。ご足労、すみませんでした」
「構わないわ。それでは、これから練習があるから」
わざわざご足労いただいたことを感謝すると、彼女は微笑みながらそう返し、そして立ち去っていく。
入部用紙を片手に、私はそのままフェンシング部が使っている武道場へと向かう。
武道系の部活は活動場所が近くにまとめられているので、この道を通っている方はそれなりに多い。
広い敷地を歩いていると、いろいろな部活を体験した時に指導していただいたり、共に練習した方々の姿もよく見かけていた。
外部入学生であり、しかも身長が周りの少女たちに比べて頭二つ分くらい高いためにかなり目立つ私には視線が集まっていて、面識のある方々に会釈をしていく。
そうしてしばらく進むと、目的地である剣道場(果たしてフェンシングの場合も剣道場と言ってよいのだろうか)へとたどり着いた。
閉まっていた入り口の扉を開けると、その物音でこちらへと視線が向けられる。
「失礼します。入部届けを出しに来たのですが」
そんな彼女たちへと、私はそう告げる。
すると、部長である明日香さまがこちらへと近付いてきた。
「ごきげんよう。うちに入部してくれる気になったのね。とても嬉しいわ」
「ありがとうございます。今日からお世話になります」
目の前の彼女へと、手にしていた入部届けを渡す。
入部することにした理由はどうしても勝ちたい相手がいたからなので、いささか不純だったりするのだけれど。
「それじゃ、入部の手続きをさせてもらうわね。その間、みんなに挨拶をしておいてもらえるかしら」
「はい。あの、薔薇さま方に入部したことをお伝えしなければならないので、ご挨拶や手続きなど今日中にしなくてはいけないことが終わったら、今日はそのまま失礼させていただきたいのですが」
決めたのが昨夜なので、まだフェンシング部に入ったことはどなたにも伝えていない。
そのため、今日は手続きが終わったら薔薇の館に行って入部したことを報告しなければならないのだ。
自前の剣も防具も当然持っているが、今日はそうした理由で練習に参加できないことが分かっていたので、家から持ってきていなかった。
「もちろん構わないわ。――みんな、その辺りに集まって」
私の申し出に頷くと、明日香さまは少し離れた場所を指して、他の部員の方々にそこに集まるように告げる。
とは言っても、残念ながらフェンシングが日本ではかなりマイナーな競技であることに加え、マイナーながらもお嬢様向きな乗馬やポロなどと違ってあまりお嬢様に向いている競技でもないためか、部員の数はさほど多くはない。
場内にいる私以外の生徒全員を合わせても、十人程度である。
「岸本綾です。山百合会のお手伝いをさせていただいているので毎日練習に参加するという訳にはいきませんが、よろしくお願いします」
「こちらこそ。綾さんのような子が入ってくれて、頼もしいわ」
彼女たちの前に立つと私は自己紹介をし、礼をする。
すると、微笑んだ美優さまがそう言葉を返してくださった。
他の方も拍手をしてくださって、この部に馴染めそうであることにほっとする。
「そういえば、顧問の方はどこにいらっしゃるのですか? 姿をお見かけした記憶が無いのですが」
ここはかなり潤沢な資金を持つリリアンであるから、部活でも指導者としてそれぞれその道のエキスパートが雇用されている。
例えば剣道部ではどこかで道場を開いているという方が指導をされていたし、ラクロス部や馬術部でも日本代表に選ばれたこともある方が招かれていた。
ということでフェンシング部でも元日本代表クラスの方が雇用されているはずなのだが、見学の時に一度、そして今とどちらもそれらしい方の姿を見た覚えが無いのである。
「ああ、顧問の方は去年まではいらしたのだけど、ご両親が病気になられて三月に実家に戻られてしまったの。先生方が新しい顧問の方を探してくださっているけれど、フェンシングはあまり人気のある武道ではないから、なかなか引き受けてくれる方が見つからなくて……」
「そうだったのですね」
姿を見かけないと思ったら、そもそもいなかったらしい。
確かに日本におけるフェンシングの競技人口は少ないので、指導者がなかなか見つからないのも仕方ないのだけれど。
とはいえ、部員の方々にとっては困った事態だろう。
私はいざとなれば国際電話なり手紙でイギリス時代に教わっていたコーチから練習メニューを貰うことができるが、彼女たちはそうもいかない。
かといってリリアンの先生方に探せないものが日本に伝手も何もない私にどうにかできるはずもないし、このままでは部活ですることが無いという事態に陥ってしまう。
確かに私は彼女に勝つという個人的な目的のためにフェンシングを続けることにしたが、とはいえ部活に入ったからにはそちらをないがしろにするつもりはない。
だからこそ、練習が満足にできないという現状には困ってしまう。
どうしたものだろうか。
現在の私は日本に知り合いなど親戚とリリアン生の方々を除けば皆無であるし、こればかりは朗報を待つしかなかった。
とはいえ、今はそんな問題に頭を悩ませている時間も無い。
「すみません、山百合会の方々に入部を報告したいので、今日は失礼させていただきます」
決めたのが昨夜だったので、今日入部するということを薔薇さま方はまだ知らない。
報告の必要があるというのはもちろんだが、それ以上に事前の連絡も無しに私が抜けては彼女たちに多大な迷惑をかけてしまうだろう。
そのため、あまりゆっくりとしている訳にはいかなかった。
「ええ、もちろん構わないわ。明日から一緒に頑張りましょうね。あまりいい練習はできないかもしれないけれど……」
そう返したのは、この部のエースであるという美優さま。
指導者がいないとはいえ初めての練習となる明日を楽しみにしつつ、私は剣道場を後にしたのだった。
フェンシング部の活動場所も含めた武道場が集まっている辺りから見ると、薔薇の館は校舎を挟んでほぼ反対側、すなわちかなり遠い場所にある。
校舎や敷地がかなり広いリリアンにおいてはなおさらであり、歩いて薔薇の館にたどり着くまでには十分以上の時間を要した。
――まだ遅刻という時間ではないけれど、これだけ遅くなると既に私以外の方々は既に揃われているかもしれない。
その場合、また祥子さまからの咎めを受けることになるだろう。
もちろん、事前に伝えていなかった私が悪いので、その叱責は甘んじて受け止めなければならない。
きしむ階段を上っていくと、私はいつもの扉を開けた。
「遅れてしまい申し訳ありません、皆様」
室内の様子を窺うと、既に六人全員が揃っていた。
それを見て取ると、入室して扉を閉めた私はすぐに頭を下げる。
すぐに謝罪の言葉を口にしたためか、私の姿を認めて眉を顰めさせた祥子さまは、けれど何もおっしゃらなかった。
「どこに行っていたの?」
「フェンシング部の方に。フェンシング部に入ることにしましたので、報告いたします」
そう尋ねてきた蓉子さまへ、私はあらかじめ決めていた答えを返す。
「そう。少し調べたのだけど、綾ちゃんはイギリスでいい成績を残していたようね」
「そうなの?」
彼女の言葉に、江利子さまが食いつく。
まだインターネットが普及していないこの時代、他国のことを調べる手段は限られており、かなり難しい。
私自身、イギリスにいる時は、現在の日本がどんな国なのかは(未来にいた頃の知識としては知っていたとはいえ)両親やたまに日本から来る留学生からの話でしか分からなかったのである。
ましてやこの国ではマイナーであるフェンシングの海外の大会の情報など日本語で転がっているとは思えないし、調べるのは大変だったのではないだろうか。
「ええ。それがどれくらい難しいのかは分からないけど、上位入賞の常連だったそうよ。ぜひ試合を見てみたいわ」
「いつでもどうぞ。面白いという保証はできませんが」
「楽しみにしているわ。応援しているから頑張って頂戴ね」
「手伝いはどうするの? 部活をするなら、今までみたいにほとんど毎日来てもらう訳にはいかないでしょ」
蓉子さまとの会話が一段落すると、私が入ってきた頃から本を読む手を止めていた聖さまが口を開く。
確かに、それは薔薇さま方にお尋ねしなければならないと思っていた点だ。
どれくらいのペースで部活と山百合会のお手伝いに時間を割り振るかは、私だけでは決められない。
「そうね、週に二度来てくれれば構わないわ。もし緊急で来てもらわなければならなくなった時は、由乃ちゃんに伝えてもらうから」
「分かりました。微力ですが、これからもよろしくお願いします」
「ええ。では、そろそろ始めるから座って頂戴」
まだ週休二日制の無いこの時代、土曜日も学校があるため、登校するのは週に六日。
要するに、三日に一度来てほしいということである。
もちろん私としてもそれに異存は無い。
私が頷くと、自然と話をまとめる蓉子さま。
すると、室内の雰囲気が必然的に引き締まったものになる。
何の不自然さもなく場をまとめ、引き締めてみせる辺り、この方の才覚には目を瞠るものがあった。
そのまま私がいつもの席につくと、今日の会議が始まる。
そろそろ各部活の新入生の数が確定する頃ということで、予算案を決めていかなければならない時期なのだ。
もちろん進行役となるのは蓉子さま。
彼女による進行の中で時折他の方の意見が述べられながら、話し合いは進んでいったのだった。