月と薔薇   作:夕音

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 翌朝、心地のいい眠りの世界へと意識を沈めていた私は、身じろぎの気配を感じて目を覚ます。

 瞼を開くと、視線の先には身体を起こしてベッドの縁に座っている江利子さまの背中。

 

「ごきげんよう、江利子さま」

「ごきげんよう。起こしてしまってごめんなさいね」

 

 果たしてこんな場面でもごきげんようを使うべきなのだろうか、と鈍った頭で考えながら、私は彼女に朝の挨拶をする。

 すると、まだカーテンが開けられておらず薄暗いために表情は窺い知れないものの、こちらを振り向いた江利子さまはそう言葉を返してくださった。

 

「いえ、お気に……」

 

 客人である彼女が既に目を覚まされているというのに、私だけ横になっている訳にはいかない。

 起き上がろうとした私だけれど、江利子さまの細い手が軽く私の肩を押し留めたことによってその動きは止められる。

 

「悪いけど、寝起きだから少しここにいてもらえる? 準備ができたら呼ぶわ」

「分かりました」

 

 寝起きのお姿を見られたくないということなのだろう。

 それに頷くと、立ち上がった彼女はそのままこの部屋を後にされ、私はいつものように室内に一人になる。

 客間の準備ができていないので、江利子さまにベッドを使っていただいて私はソファーか床で眠ろうと思っていたのだが、結局彼女に押し切られる形で一緒に眠ることになったのだ。

 とはいえ私が隣にいては狭いだろうから、眠りにつかれた頃合いを見計らってこっそり抜け出そうとしたものの、実は起きておられたのかちょうどそのタイミングで腕を抱き枕のように抱えられて機を失ってしまったのだが、ともあれ緊張した私はなかなか眠ることができず、そのせいかいつもと比べてずっと眠気が強かった。

 とりあえず、江利子さまの身だしなみを待っている間にこちらも準備を済ませておくことにし、ベッドから起き上がった私はまず窓際に向かってカーテンを開ける。

 遮るものを失った朝日が部屋へと差し込み、暗闇に慣れていた私の視界は少しの間光の奔流で埋め尽くされた。

 それによって色濃く残っていた眠気を吹き飛ばした私は、窓を開けて大きく伸びをすると、夜の暗闇に熱を奪われた冷たい空気を肺へと吸い込む。

 ひんやりと心地のよさを感じながら、腕を下ろした私は着替えるためにタンスの方へと向かった。

 

 

「綾ちゃん」

 

 着替え終えたりいろいろ他のことを今のうちに済ませていると、起きてから二十分ほどして一階から江利子さまの呼ぶ声が聞こえる。

 身だしなみを整えられたのだろう、こちらも部屋にいてできることはあらかた終えていたので、その声に従って私は部屋を出、階段を下りた。

 ひとまず洗面台に立ち寄って手早く顔を洗い、歯を磨くと、朝食を作るためにキッチンに向かう。

 ――すると、ガスコンロの前にはエプロンを着けた江利子さまのお姿があった。

 既にトレードマークとも言えるカチューシャも着けられており、少し前まで寝起きだったことなど微塵も感じさせない。

 

「もう少しで出来上がるから少し待っていてね」

 

 ドアが開く音で私が入ってきたのを察し、こちらを振り返った彼女はそう告げる。

 どうやら、私は昨夜夕食を作っていただくばかりではなく、朝食まで客人である江利子さまに作らせることになってしまったらしい。

 

「申し訳ありません、江利子さま。昨夜もご馳走になってしまったのに」

「そうね、もう一つ貸しにしておくわ」

「必ずお返しします」

 

 謝罪をすると、そう言って彼女はくすりと笑みを見せた。

 誰もが見惚れてしまうだろう美しい表情に思わずどきりと胸を高鳴らせた私は、けれども同時にその言葉にほっとする。

 昨夜の分に加えて借りが更に増えてしまったけれど、借りという形であればいつかしていただいた分をお返しできるので、していただいたきりになってしまわないことで少しだけながらも心の中にある罪悪感や申し訳なさが和らいだのだった。

 そんな私の様子を見てまたくすりと微笑むと、江利子さまは再び手にしたフライパンの方に向き直る。

 

「できたから運んでもらえる?」

「はい」

 

 そうこうしているうちに料理が完成したようで、火を止めてフライパンの中身を皿の上に移していた彼女が再びこちらを振り返った。

 近付くと、皿の上には塩こしょうがかかった目玉焼きとベーコン、そしてレタスとトマトのサラダが盛り付けられ、別の器には色合いからして恐らくじゃがいもだろう白いポタージュ。

 視覚的にとても美味しそうなのはもちろんのこと、焼けたベーコンの香りが私の食欲をくすぐる。

 空腹を煽られつつ、私はそれらをダイニングの方へと運んでいく。

 その間に江利子さまは、キッチンに備え付けになっている大きなオーブンの中から昨日食材を買いに行った際に商店街のパン屋で購入したクロワッサンを取り出して別の皿の上に置いていく。

 皿とスープを運び終えた私は、その間に冷蔵庫からやはり昨日買ったバターと苺のジャムを出し、食器棚からスプーンとフォークとバターナイフを二本ずつ取ってまたダイニングに戻る。

 すると、程なくしてこちらに来た彼女が両手に一つずつ持ったクロワッサンの乗った皿を互いの席へと置き、そして椅子に腰を下ろす。

 食欲を誘うベーコンの匂いに、焼けたパンの香ばしさが混じる。

 こうして全てのメニューが並んでいるのを見ると実に本格的な朝食で、昨夜の夕食が家の中で食べる久々のまともな夕食だったのと同様、これもまた随分久々に口にするまともな朝食だった。

 私が対面の席に座ると、江利子さまは手早く祈りの言葉を口にし、クロワッサンを千切る。

 手を合わせて同じように一口分千切った私は、まだ熱いそれにバターとジャムを塗って口に含ませた。

 さくさくとした食感と小麦の濃厚な香り、そして苺の甘みとが口の中に広がる。

 さすがは専門店というべきだろうか、今まではケーキ類とサプリだけで済ませるか、そうでなければ外食するかのどちらかだったので存在こそ知っていても足を運んだことがなかったけれど、これほど美味しいのならせっかく近くにあるのだから度々買いに行ってもいいかもしれない。

 こうした新たな発見をすることができたのも、江利子さまがいらしてくださったおかげだった。

 

 かなり本格的な朝食を取り終えると、私は使い終えた食器をシンクへと持っていく。

 昨夜に続いて今朝も食事を作っていただくことになってしまったのである、後片付けくらいするのは当然のことだろう。

 四月のまだ冷たい水がお湯になるのを待って洗い終えると、そんな私の様子を眺めていた江利子さまがこちらに近付いてくる。

 

「お弁当よ」

「本当に、なんとお礼を申し上げていいか」

「気にしなくていいわ、いつか返してもらうから」

 

 そう言って、恐らく弁当箱だろう、彼女はハンカチに包まれたそれをこちらへと差し出す。

 どうやら、料理だけではなく昼食のお弁当までも作っていただくことになってしまったと理解する私。

 本来は私が全てすべきことだったというのに、先輩である上に客人である江利子さまにしていただいてしまったのは非常に申し訳ないことであるのは言うまでもない。

 よもや朝食だけでなく既にお弁当まで完成しているとは思ってもいなかったが、驚きを抑え込んで慌てて感謝の言葉を口にした。

 例によって昼食も普段は購買でパンを買うかミルクホールで何か頼むかで、入学して以来お弁当を持参したことなど一度も無かったのである。

 当然、一緒にお昼を食べることが多かった由乃さんなどはそのことに気付いていただろうけど、江利子さまも彼女から聞いてご存知だったのかもしれない。

 私のろくでもない食生活のせいでこれほどまでにお気遣いいただくことになってしまったのだから、今日からはちゃんとしたものを作って食べようと食生活の改善を改めて心に誓う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時間に余裕がかなりあったのでしばらく二人でリビングでくつろぎ、頃合いを見計らって制服を身につけて二人で家を出る。

 今日は朝のうちにしておかなければならないような山百合会の仕事も無いそうであるし、その方が楽に登校できるだろうから自転車をお貸ししようとも思ったのだけれど、ここからリリアンに向かうのは初めてで道がよく分からないということもあって、一緒に歩いて登校させていただくことになったのである。

 

「歩いて登校するのは初めてなのだけど、たまにはこういうのもいいわね」

「私も、どなたかとご一緒させていただくのは初めてなので新鮮です」

 

 まだ太陽に熱せられていない朝の涼やかな風を浴びながら住宅街の中を歩いていると、楽しげな笑みを浮かべた江利子さまがそう口にする。

 彼女は普段は車で登校されているそうなので、歩いて通うというのが新鮮なのだろう。

 リリアン生のかなりの部分は電車でM駅まで来てそこからバスでリリアンに向かわれていて(K駅からも循環バスが出ているそうなのでそちらを利用している方も多いらしい)、私のように近場から通う生徒は少なく、しかも自転車通学の生徒の数はかなり限られているので、こうして他の方と一緒に登校するというのは私にとっても新鮮なことだった。

 

「家族が過保護だから、電車通学させてもらえないのよ。幼稚舎の頃はバス通学だったのだけどね」

「ご家族に愛されておいでなのですね」

 

 そう苦笑される江利子さま。

 リリアンに通われているということはお嬢様であるということなのだし、車で送り迎えして大切な愛娘の安全を守りたいと考えている家があることは特に不自然とは思わなかった。

 勝手な推測になってしまうが、私の家に泊まっていかれるきっかけであったお父様との喧嘩というのも、その辺りのことでなのかもしれない。

 そんな風に会話をしていると、やがて駅の近くへと差し掛かる。

 まだ朝が早いとはいえ、通勤通学ラッシュの時間帯なので人波はかなり激しい。

 いつもは自転車ということもあって危ないので人の多いこの道を避けて他の道を使っているのだけれど、徒歩ならば駅の近くを通る方が近いのだ。

 昨日の昼にそうしたように、私は一歩前に出て人波をかき分け、電車通学をされたことがないがゆえにこのような喧騒に慣れていないだろう江利子さまのための通り道を作る。

 時々、人波の中にリリアンの制服を着た少女の姿もちらほらとあり、彼女たちからごきげんようとリリアン生ならではの声をかけられることもあった。

 もちろん、こちらも同じようにごきげんようと返しつつ歩を進めていく。

 

「大丈夫でしたか?」

「ええ。ありがとう」

 

 少なくとも平均的なリリアン生よりは物理的な意味での身体の頑強さに自信はある(果たして誇るべきことなのかは別だが)けれど、それでも不特定多数の人の流れに抗うのはなかなかに大変である。

 踏切を渡ったりしてようやく北口の付近にあるリリアン行きのバス停にまで辿りつくと、一度肩の力を抜いて後ろにいた江利子さまに尋ね、先に乗っていただくために場所を入れ替わった。

 最寄り駅であるとは言っても、単に一番近い場所に建っている駅がここであるというだけで、別に距離的にリリアンの近くにあるという訳ではない。

 自転車ならばともかく、徒歩だと少々大変な距離で時間もかかってしまうので他の多くの生徒たちと同じようにバスに乗らなければならないのだ。

 幼稚舎の頃はバス通学だったと少し前におっしゃっていたが、逆に言えば初等部に入学して以降は久しくバス通学をされていなかったのだろう。

 そんな江利子さまにとってはこの状況も新鮮なようで、その表情は楽しげに輝いていた。

 整った美貌をお持ちの彼女がきらめくような表情を浮かべている姿はあまりに麗しく、私ばかりでなく近くにいる他のリリアン生の方々も見とれているのが分かる。

 さすがは黄薔薇さまというべきか、周囲の少女たちから列を譲られ、ありがとうと言いながらもそれを断られる江利子さま。

 当然ながら、バスに乗るために並んでいる方の大半がリリアン生であり、途中で降りるのかあるいはリリアンより向こうに職場があるのか、列にまばらに混じっているスーツを着たサラリーマンと思しき男性たちはどことなく居心地が悪そうだった。

 あまりじっと見つめているのも失礼なので彼女から視線を離した私は、このような機会でもなければ目にすることがないだろう周囲の様子を興味深く観察する。

 初めてのシチュエーションなので特に何かしているわけではなくとも新鮮で楽しく、彼女のお気持ちがよく分かった。

 バス停に書かれている時刻表を見てみたりもしたが、通学ラッシュに重なるためかこの時間帯は本数がわりと多いらしい。

 そうこうしているとバスが着き、列が動き始める。

 車体の中央付近の入り口から乗り込んだ私たちは、空いていた席に並んで腰を下ろす。

 瞬く間に満員になる車内。

 やがて反対側の窓が乗客たちの身体で遮られて見えなくなると、扉が閉まる時の空気が抜けるような音が聞こえて車体が動き出す。

 普通なら窓の外の景色を眺めるのだけれど、今は車内の混雑もあって見えない状態なので、江利子さまは顔を少しこちら側に向けて背後の窓を眺められていた。

 釣られて私もそちらを見ると、ガラスの向こうにはまだ引っ越してきたばかりである上に普段通らないので初めて目にする景色が流れていく。

 時々、鏡のようにうっすらと映る彼女の麗しい容貌に意識が向いたりしつつも、私たちは小さな非日常を楽しんでいた。

 

 いくつかのバス停を経由し、十数分ほどしてバスはリリアンの近くに停車する。

 元々、乗客のほとんどがリリアン生だったこともあり、一気にがらりと閑散に包まれる車内。

 私たちも料金を払って前方の出口から降りると、周囲の流れに従って正門の方へと歩いていく。

 大きな門を潜ると、少し先にはいつも目にしているマリア像がある。

 そこに差し掛かると少女たちは立ち止まって祈りを捧げ、私はその邪魔にならないように少し後ろに下がって江利子さまを待つ。

 

「噂で聞いたことはあったけど、本当に祈らないのね。白薔薇さまと同じだわ」

「信仰心があるわけではありませんから」

「まあ、私も祈ったのは随分久々だけどね」

 

 再び肩を並べて校舎に向けて歩き始めると、彼女は面白そうに私のことを見つめる。

 聖さまと同じ、という言葉には探るような色が感じ取れた。

 一度死んでいるから、と本当の理由を口にしても信じてもらえないだろうから、嘘にならない程度に無難な答えで濁していくことにする。

 その答えに納得してくださったかは表情からは読み取れなかったが、そう口にした江利子さま。

 普段は車で送り迎えをされて裏口から登校しているそうなので、マリア像の前を通る機会そのものがあまり無いということなのだろう。

 ふと視線を感じて道の脇にある茂みの方に視線を向けると、そこには緑に紛れて分かりづらいけれど蔦子さんの姿があった。

 カメラのレンズに隠れていて表情は窺えなかったが、どうやらここで登校する生徒たちの姿を撮影していたらしい。

 私の視線を追って、隣を歩く江利子さまもそれに気付かれたようで、彼女はカメラの方に軽く笑みを向けた。

 

「昼休みが始まったらお弁当箱を持って薔薇の館に来なさい。お昼に来たことは一度も無かったでしょう?」

「ありがとうございます。由乃さんもお誘いしても?」

「もちろんよ」

 

 図書館の脇を通り抜けた先に高等部の校舎はある。

 黄薔薇さまである江利子さまと一緒に歩いているためか少女たちの視線が集まっているのを感じながらも図書館の前に差し掛かると、彼女が口を開く。

 それはお昼を一緒に食べようというお誘いだった。

 光栄なことなので頷いた私が普段ご一緒することの多い由乃さんを誘っても構わないかと尋ねると、江利子さまはそれを快諾される。

 以前由乃さんがちらりとおっしゃっていたことがあったが、山百合会の方々は薔薇の館で昼食を取られることも時々あるのだという。

 そこにご一緒させていただけるというのは、とても幸せなことだった。

 

「それじゃ、またお昼に会いましょう」

「はい。今朝はありがとうございました」

 

 昇降口の前に着くと、学年の違う私たちは別れの言葉を交わす。

 立ち並ぶ靴箱に遮られてお姿が見えなくなる直前、微笑んだ江利子さまはこちらに軽く手を振ってくださった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二限目が終わった休み時間、私は移動教室のために教科書やノートと筆箱を抱えて廊下を歩いていた。

 すると、向こうから長いポニーテールを揺らした少女がこちらに向かってくるのが見える。

 新聞部の部長をされている築山三奈子さまだ。

 

「ごきげんよう、綾さん。少しいいかしら」

「ごきげんよう。数分であれば」

 

 どうやら偶然すれ違ったというわけではないようで、彼女は私の前で立ち止まった。

 新聞部という三奈子さまの活動のことや、以前見せていただいたことのある過去のリリアンかわら版の内容を考慮すれば、用件が何であるかは容易に想像がつく。

 登校中も随分と注目を浴びていたし、しがない一年生である私が一体何故黄薔薇さまである江利子さまとご一緒していたのか、ということについてだろう。

 

「三年でも噂になっていたけど、今朝黄薔薇さまとご一緒に登校されたそうね」

「はい。昇降口までご一緒させていただきました」

「江利子さまが車で登下校されているのは有名だし、綾さんも自転車通学よね。どうして今日に限って二人でバスに乗っていたの?」

「自転車がパンクしてしまったので、今朝は徒歩で駅まで行ったのですが、そこで偶然黄薔薇さまのお姿を見かけてご一緒させていただきました。黄薔薇さまの事情はお聞きしていないので分かりません」

 

 普通であれば私と江利子さまの登校が一緒になることはあり得ないと気付かれたらしい。

 そう尋ねてくる三奈子さま。

 とはいえ、彼女には申し訳ないが、江利子さまのご家庭の問題なのだから私の一存で言ってしまうわけにはいかない。

 騙してしまう形になることは少し心苦しかったが、とっさに思いついてそれほど不自然ではないと判断した嘘の説明をする。

 

「……そう、それは凄い偶然ね」

「もう二度と無いことかもしれませんし、本当に幸運でした」

「まあいいわ、どんなことを話されたの?」

 

 あまり納得はされていなさそうなご様子だったが、皮肉めいた台詞に気付かないふりをして言葉を返す。

 すると、追求を諦めてくださったようで、今度は江利子さまと道中で交わした会話の内容を尋ねられる。

 

「特別なことは何も。お互い普段はバスで通学しませんから、たまには新鮮でいいですねと話していました」

「……ありがとう、呼び止めてしまってごめんなさいね」

「いえ、お気になさらず」

 

 これに関しては嘘ではない。

 道中で話したのはおおよそこういう会話だったからだ。

 我ながら読み物として面白くない答えだというのは分かっていたが、やはり三奈子さまとしても不満だったようで、少し難しそうな色を見せながらもインタビューを終えられる。

 手帳を眺めながら思索に耽っている彼女は、そのまま私とは逆の方向へと歩き去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 午前の授業が終わり、昼休みになると、私はお弁当箱を持って由乃さんと一緒に薔薇の館へと向かっていた。

 いつも購買でパンを買ったりミルクホールで何か注文したりしている私がそれを持っているのが物珍しいのか、彼女が私の手元をちらちらと見つめているのが分かる。

 

「珍しいですよね、今までお弁当を持ってきたことなんてありませんでしたし」

「え、ええ」

「実は、黄薔薇さまに作っていただいてしまいまして。お二人に心配をおかけしてしまいましたし、明日からは自分でお弁当も作って持ってくるつもりです」

 

 今までお弁当など作ったことがなかったのは確かなので不思議に思われても仕方ないし、私は苦笑してそう切り出す。

 もっとも、そうした我ながらひどい食生活のせいで心配させてしまうようなことになってしまったのであり、江利子さまに作っていただいた今日はともかくとして、明日からはきちんとお弁当も作ってくるつもりだった。

 今朝とて、本当なら朝食を作るついでに江利子さまと自分の分のお弁当も作ろうと思っていたのである。

 

「……黄薔薇さまが」

「どうかされましたか?」

「い、いえ、そういえば綾さんって自己紹介の時に料理が趣味って言ってたのを思い出して」

「信じていただけないかもしれませんが、これでもイギリスにいる時はよく料理を作ってたんですよ。一人暮らしを始めてからは食べさせる相手が自分しかいないので、どんどん手を抜くようになってしまいましたが」

 

 お弁当が黄薔薇さまが作ってくださったものだと聞くと、それをじっと見つめて何かを考えるような表情を見せた由乃さん。

 どうしたのだろうと尋ねてみると、入学式の日にした自己紹介のことを口にされる。

 あの食生活を知られてしまった後では恐らく信じてもらえないだろうと思うが、料理をするのが好きだというのは本当だった。

 

「そ、それじゃ、今度何か食べさせてもらってもいいかしら?」

「もちろんです。明日のお弁当は少し多めに作ってくることにします」

 

 昨夜買い物をした分で数日分の食材は大丈夫だろう。

 そんな会話をしながら中庭を少し歩くと、薔薇の館へと到着する。

 そろそろ見慣れてきた古びてはいるが威厳のある館の扉を開けると、木の軋む音がした。

 それなりに大きな音であり、仕事のお手伝いで何度もお邪魔させていただいているので知っているが、二階にいても扉が開く音で誰かが訪れたことが分かるのである。

 階段を上り始めると、軋む音はさらに大きく響く。

 学園側がそのままにしているのだから特に耐久性に問題は無いのだろうと理性では分かっているけれど、それでも一歩踏み出す度に耳に届く音は、板を踏み抜いてしまわないだろうかと不安になるには十分なものだった。

 上りきり、これまたもう見慣れてきている茶色い扉を開けると、その向こうには江利子さまと令さまのお姿。

 どうやら江利子さまは令さまのことも誘われていたようだった。

 

「ごきげんよう、黄薔薇さま、黄薔薇のつぼみ」

 

 お二人にそう挨拶をして、テーブルの上に弁当箱を置いた私はお茶を淹れるためにシンクの方に向かう。

 普段からしていることなので、そろそろ手際も身についてきている。

 手早くそれぞれの好みの銘柄を淹れ終えると(相変わらず江利子さまに関しては無難なものになってしまうけれど)、カップを運んでいく。

 全員の前に配り終えると、席についた私は包んでいるハンカチの結び目を解いて弁当箱を取り出す。

 中身は私も知らないのである、どんなお弁当を作ってくださったのか、蓋を開けるのを朝から少し楽しみにしていたのは確かだった。

 日本に来てすぐの頃に買ったはいいものの、結局今日まで一度も使ったことがなかった弁当箱。

 開けてみると、中には玉子焼き、じゃがいものベーコン巻き、汁が零れないようラップで包まれたほうれん草のお浸し、にんじんやりんごの入ったポテトサラダなど、実に色鮮やかで美味しそうなおかずの数々。

 

「こんな豪華なお弁当をありがとうございます、黄薔薇さま」

「いいのよ。私も腕の振るいがいがあったしね」

 

 私が感激していると、彼女たちは食事前の祈りの言葉を紡ぎ、そして箸を取る。

 手を合わせた私も箸を取って、まず玉子焼きを箸で一口分割って口に運ぶ。

 玉子焼きの味付けにもいろいろ種類があるけれど、これはやや甘めの味付けがされていて、舌に触れると度が過ぎない程度の甘みが広がった。

 甘みが強すぎないのでご飯にも合うし、飽きが来ないのでいくらでも食べられそうな味である。

 次に、じゃがいものベーコン焼きの箸を伸ばす。

 ベーコンがずれないように気をつけながら歯を立てた私は、思わず軽く目を見開く。

 どうやらじゃがいもは昨日の夕食の肉じゃがの残りを使っているようで、醤油ベースの出汁の味が深く染み込んでいたが、それが軽く火を通したベーコンと実に合っているのである。

 料理のレパートリーの中に追加して、自分でもこれを作って食べたいと思うくらいだった。

 

「令、そんなに綾ちゃんのお弁当が気になるの?」

「そ、その」

「私の分も中身は同じだから、食べたいなら分けてあげるわ。ほら、口を開けなさい」

 

 そんな風に江利子さまの手料理の味を楽しんでいると、やはり妹として姉の作った料理が気になられるのか、ちらちらと私の弁当箱に視線を向けられる令さま。

 その目線に気がついたらしく、隣に座る江利子さまがからかうように言うと、彼女は動揺を見せる。

 剣を持って向かい合った時の凛々しさとは似ても似つかない、姉である江利子さまや妹である由乃さんに対した時の令さまの少し頼りないご様子は、失礼ではあるけれどやはり私には可愛らしく感じられた。

 そんな彼女に追い打ちをかけるように、自分の弁当箱の中からじゃがいものベーコン巻きを取ると、江利子さまはそれを差し出しながら口を開けるように促す。

 やはり食べさせてもらうというのは羞恥を感じるのか、令さまは顔を真っ赤にしながらも観念したように目をつむって口を開け、それを口にする。

 お二人の様子をテーブルを挟んだ反対側の席から目にすることになった由乃さんが、鋭い目できっと江利子さまを睨んだのが気配で分かった。

 どうやら、令さまの反応だけでなく由乃さんの反応まであらかじめ予想していたようで、くすりと笑ってこちらに楽しげな表情を向けた江利子さま。

 さすがは黄薔薇さまというべきか、私たちでは江利子さまの手のひらの上から逃れることはできないようだった。

 




武蔵野や三鷹などあの方面には一度も行ったことがない(マリみてカフェの時に阿佐ヶ谷までは行きましたが)のですが、リリアン生が通学に使っているバスって、真ん中から乗って降りる時に前の出口でお金を払う方式でいいのでしょうか。
それとは逆に、乗る時に前の入り口で先にお金を払って真ん中の出口から降りるタイプのバスも普通にあるので、三鷹駅前から出ているバスはどちらなのだろう、と。
綾の存在や行動によって変わってくることや、原作に描写がなく独自設定での補完が必要な点などの最低限の部分以外は原作(または原作に描写が無い場合はそのモチーフとなったもの)に忠実にいきたいと思っているのですが、いかんせんあの辺りに行ったことがないので地理的なことがほぼ全面的に原作の本文中の記述とGoogle Map頼りになってしまっていて、気付かぬうちに描写がおかしなことになっていないかと不安です。
聖地巡礼というわけではありませんが、地理的な感覚を得るために、時間がある時に一度三鷹や吉祥寺に行って現地を実際に歩いてみた方がいいかもしれないなと思っています。

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