月と薔薇   作:夕音

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「ごきげんよう、岸本綾さん」

「ごきげんよう」

 

 初めての山百合会の手伝いを終え、薔薇の館を後にした私。

 元々自転車通学の生徒はかなり少なく、山百合会のメンバーには手伝いである私しかいない。

 他の方は電車かバス利用ばかりだそうであり、彼女らと別れた私は自転車置き場へと向かう前に、机の横に残していた荷物を取りに菊組の教室に向かっていた。

 山百合会の手伝いを終えた後であるので時間的にもう帰宅している生徒も多いようで、日中とは裏腹にがらりと静かな廊下を歩いていると、ふと鋭い目つきと後ろで束ねたポニーテールが印象的な、手にペンとノートを持った少女に声を掛けられる。

 また姉妹の申し込みかと思い、少し身構えてしまう私は様子を伺いつつも、ひとまず彼女に挨拶を返す。

 

「私は新聞部部長の築山三奈子よ。今は時間はよろしいかしら」

「ええ。もう帰ろうかと思っていたところなので」

 

 新聞部の部長だと自己紹介をした三奈子さま。

 何気にこの学園は普通の学校ではまず見られないような珍しい部があったりするくらいに部活のバリエーションが多彩なのだが、新聞部も存在しているらしい。

 

「そう。では、今からインタビューさせていただいてもよろしくて?」

「別に構いませんが、ただの新入生の私にインタビューなどしても面白い記事にはならないと思いますよ」

 

 別にインタビューされるのは全く問題ないが、私などを記事にしたところで面白いものになるとは思えなかった。

 それこそ、三薔薇さまや祥子さま、令さまのように華がある方でなければ。

 

「難関さで有名な編入試験で満点を取り新入生代表を務めた頭脳と、フェンシング部のエースを完封する運動神経を兼ね備えた文武両道の才媛。それに薔薇の館に招かれてもいるあなたの記事が、魅力的でないはずがないわ」

 

 そう言うと、三奈子さまは私を招いて歩き始める。

 彼女の背に続いて歩いて行くと、三奈子さまは近くの空き教室の扉を開いた。

 

「落ち着いたところがいいのだけど、場所はこちらで構わないわよね?」

「勝手に使ってしまっても大丈夫なのですか?」

「ええ。話をするくらいならシスターの方々も見逃してくださるわ」

 

 室内に入った私たちは、並べられている机の適当な席に腰を下ろす。

 三奈子さまは手にしていたペンとノートを一度机上に置くと、制服のポケットに手を入れてテープレコーダーを取り出した。

 

「では、インタビューを始めさせていただくわ。あなたについての特集記事を組む予定だから、質問がかなり多くなるけど了解してね」

「分かりました」

「まず、綾さんがリリアンの編入試験を受けた理由と、その頃何をしていたかを教えてもらえる?」

 

 机上に設置したテープレコーダーのスイッチを入れると、再びペンとノートを手にした三奈子さまが私に尋ねる。

 その表情は真剣で、彼女が新聞作りに情熱を傾けていることがよく分かった。

 

「そうですね……。リリアンを受験したのは母の勧めです。今年から日本で暮らすことになったので、どこかの高校に入らなくてはなりませんでしたし。それまでは、イギリスで暮らしていました」

「イギリスに?」

「はい。物心ついた頃からイギリスに住んでいたので、日本に来たのは編入試験を受けた時が初めてでした」

 

 一応、岸本綾という人間のこれまでの経歴はこういったものになる。

 もっとも、前世で日本人として暮らしていた記憶を持っているので、日本での暮らしへの違和感などは全く無いのだが。

 考えてみればその辺りはかなり不思議だった。

 何しろ、私が少女を助けて命を失った年よりも、今の私が両親の子供として生まれた年の方がかなり早いのだ。

 例えば今年などは、カレンダー上では前世の私がまだ一歳か二歳だった頃である。

 時間の流れは一体どうなっているのだろう。

 

 他にも、何気なく通っているこの学園の存在もよく考えたら不思議の一つだ。

 リリアン女学園といえば国外でもかなり有名な学校であり、母が卒業生だということもあるが、そうでなくてもイギリスで暮らしていた私ですら度々名前を耳にすることがあったほどである。

 ところが、前世の私は日本で暮らしていたのにリリアン女学園などという名前の高校の名前を一度たりとも聞いたことがなかったのだ。

 それほど世情に敏感ではなかった私だが、それでも日本に住んでいてリリアンを知らないことはいくらなんでも考えられない。

 生まれ変わるまでこの学園を知らなかった理由が、自分でも全く分からなかった。

 

「帰国子女でいらしたのね。日本とイギリス、どちらが住みやすいの?」

「個人的には日本ですね。まだ暮らし始めたばかりですが、日本での生活はとても新鮮です」

 

 新鮮というか、正確には懐かしいというか。

 人それぞれなのだろうが、個人的には日本の方が住みやすかった。

 もちろん、記憶の中にある時代と比べて二十年も前ということでギャップに戸惑いを覚えることも多いけれど。

 

「綾さんの趣味を教えていただける?」

 

 私の回答を聞いて何かをメモしていた三奈子さまが、手を止めると目線を上げて、次の質問をされる。

 

「趣味は料理とフェンシングですね。イギリスでの暮らしが長かったので、和食はあまり作ったことがありませんが」

 

 イギリスで暮らしていると、和食に接する機会がかなり少ない。

 西洋料理ばかり口にしていたこともあり向こうでは食べる機会があまり無かったので、日本に来て米を食べて、少し感動したくらいだ。

 

「では、綾さんはどなたの妹になりたいと考えているかのかしら」

「まだどなたかと姉妹にならせていただくことは考えていません。リリアンに編入させていただいたばかりでまだ姉妹制度のことを理解できていないので、このような状態で申し入れをお受けするのは相手の方にも、既にどなたかと姉妹になられている全ての方々にも失礼だと思っています」

「でも、山百合会のお手伝いを引き受けたということは、どなたかの妹になりたいと思っているのでしょう?」

「……話が繋がっていないと思いますが」

 

 三奈子さまの問いかけの意図が分からず、私は戸惑いながら尋ね返す。

 

「ああ、そうか。ごめんなさい、外部からリリアンに来られた綾さんはご存知ないのね。薔薇さま方は、代々目ぼしい新入生をお手伝いに誘って、つぼみと引き合わせているのよ」

「なるほど。薔薇さま方にとっては一石二鳥ですね」

「ええ。あなたがお手伝いに誘われたのも、間違いなくそれが理由よ」

 

 三奈子さまの言葉を聞いて、江利子さまがおっしゃっていた言葉の意味が理解できた。

 日常生活を送る中で上級生と下級生の接点はかなり限られるが、手伝いを頼めば自然と二年生であるつぼみと新入生との間に接点が生まれる。

 接点があれば互いに惹かれ合う確率も高くなるし、山百合会が目を付けているのであればということになって途中で他の誰かと姉妹になってしまう可能性も減らせる。

 純粋に人手不足を一時的に補うという意味も含め、山百合会にとっては一石二鳥どころか更にいくつものメリットがあるということだ。

 江利子さまがおっしゃっていた意味深な言葉は、薔薇さま方が私を聖さまか祥子さまの妹にと考えておられるからだったのだろう。

 

「せっかくですから、私が今はまだどなたの妹にもならないということを先ほど申し上げた理由も含めて記事に書いておいていただけませんか? 多くの方にお声をかけていただいているのですが、その度にお断りするのが申し訳ないので」

「任せておいて。ちゃんと書いておくわ。それと、リリアンの姉妹について知りたいのなら、過去のかわら版を今度渡しましょうか? 時々姉妹特集をしているから、参考になると思うの」

「そんなものがあるのですね。ぜひお願いします」

 

 リリアン生がリリアン生に向けて書いた、姉妹制度に関しての文章。

 これならば、姉妹とはなんぞやという私の疑問も少しは氷解してくれるだろう。

 

「それにしても、綾さんにロザリオを受け取る気がないと知ったら、残念がる方は多いでしょうね。あなたが姉妹を申し込まれている現場を、うちの部員が何度か見かけているそうだけれど」

「単に新入生代表をして目立ったせいだと思っています。初めとても驚いたのですが、初対面でロザリオを渡そうとすることも全くあり得ないことではないようですし。リリアンの生徒にとって、姉妹がとても大事な存在であることだけはよく分かりましたが、そんな相手をよく知らないまま選んでしまってもいいのでしょうか」

「先代の白薔薇さまは、顔が好きだからと言って聖さまにロザリオの授受を申し込んだそうよ。姉妹になることが一番多いのは普段から顔を合わせてる部活動の先輩後輩だけど、互いのことをあまり知らないままに姉妹になることもそう珍しくはないわ」

「……そのようなものなのですね。ますます姉妹とは何かが分からなくなりました」

 

 山百合会の方ですらそのように妹を選んでいるとなると、やはりどんな人物かほとんど知らない相手にロザリオを渡すことは不自然なことではないのかもしれない。

 薔薇さま方とはまだ三度しか顔を合わせていないし、新学期早々なのでほとんどの級友にはまだ姉がいないしで、私にとっての参考例が特殊だからあまり参考にならないと本人が言っている由乃さんのところしかないので、一般的なリリアンの姉妹がどんな関係を築いているのかはよく分からなかった。

 

「確かに、リリアンに馴染みのない方には分かり辛いことかもしれないわね。次の質問をしてもいいかしら」

「はい。どうぞ」

 

 私は、三奈子さまに頷きを返す。

 

「部活動はフェンシングをなさるつもりなの?」

「いえ、まだはっきりとは決めていません。今はいろいろな部を見学させていただいているところです」

「そう。よかったら新聞部にも一度いらしてね。歓迎するわ」

「ええ。ご迷惑でなければ、ぜひ見学させていただきたいです」

 

 そんな調子で、それなりに和気藹々とインタビューは進んでいく。

 特集記事を組むというのは本当らしく、質問の項目は数十にも及ぶ。

 その分だけ時間も長引くこととなり、最後の質問が終わった頃には六時近い時間になっていた。

 

「インタビューはこれくらいかしら。長引いてしまってごめんなさいね」

 

 そう言って、ポケットに電源を切ったテープレコーダーを仕舞った三奈子さまがペンとノートを持って椅子から立ち上がる。

 私も立ち上がると、二人で空き教室を後にして、廊下へと出た。

 

「今日はありがとう。また何かあったらインタビューをお願いするけど、その時はまた受けてもらえるかしら」

「はい。先約が無ければお受けします」

「あなたのインタビュー、いい記事になるわ。それでは、ごきげんよう」

「ごきげんよう、三奈子さま」

 

 少し言葉を交わして、三奈子さまと別れる。

 時計を見ると、既に山百合会のお手伝いを終えた後だったこともあって、もう家で夕食を食べていてもおかしくないような時間になっていた。


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