月と薔薇   作:夕音

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「綾さん、あなた、新聞部の取材を受けていたの?」

 

 翌日、次の授業がクッキーを作る調理実習である私は、調理室に向かうために由乃さんと一緒に廊下を歩いていた。

 すると、彼女はどこかで入手したらしいリリアンかわら版と書かれた紙を片手に、私に尋ねてくる。

 その表紙には、いつの間に撮ったものやら、夕日を背にした私の写真が大きく載せられていた。

 

「ええ。昨日築山三奈子さまがインタビューを申し込んで来られたので、お受けしましたよ」

「気をつけなきゃ駄目よ。私は詳しくは知らないけど、三奈子さまに山百合会が去年いろいろ手を焼かされたってお姉さまが言っていたから」

 

 インタビューの時に話した限りではさほどおかしな人物には見えなかったが、曲者揃いとはいえ才覚に関しては並外れている薔薇さま方、そして恐らくその姉に相応しい器量を持っていただろう先代の薔薇さま方の手を焼かせてみせるとは、一体何をやったのだろう。

 その話を聞いて、三奈子さまという人物に少し興味が湧く。

 

「由乃さんから見て、記事に何かおかしなところはありましたか?」

「いいえ、特に無かったけど……」

「読んでみても構いませんか?」

「どうぞ」

 

 彼女から新聞を受け取った私は、記事の文章に目を通していく。

 すると、それは自分のインタビューなのだが、まるで他人のそれを読んでいるような感覚ですらすらと読み進めることができた。

 と言っても、別に嘘が書いてある訳ではない。

 読ませる文章と言うのだろうか、要点のまとめ方や単語の選び方などが抜群に上手く、文章がかなり読みやすいのだ。

 もしこの方が小説を書いたら、相当面白いものになるのではないだろうか。

 

「面白いですね、これ。よく書けていると思いますよ。私などの記事をここまで面白くまとめるのはさすがです」

 

 ただの転入生でしかない私の記事を読み物としてここまで面白く仕上げるとは、さすが新聞部の部長としか言いようがない。

 正直、インタビューを受けながらも記事は面白げの無いものになるとしか思っていなかったのだ。

 特に興味が無かったので今まで新聞部の部室には見学に行っていなかったが、興味が湧いてきたし後で見学に行ってみようと思う。

 

「ありがとう」

 

 とりあえず自分のインタビュー記事を読み終えた私は、それを由乃さんに返す。

 そして私たちは、少し先を急ぎながら調理室の方に向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 放課後。

 掃除を終えた私は、由乃さんに少し遅くなると伝えてから、新聞部の部室へと向かう。

 三奈子さまと話すためだ。

 けれども、まだ広い校舎の構造に疎い私は、いつの間にか迷ってしまっていた。

 ここはどこだろうか。

 あまり遅くなってしまうと薔薇さま方に怒られてしまうな、などと思いながら私が戸惑っていると、ふとどこからか歌声が聞こえてくる。

 思わず聴き惚れてしまうほどに美しい歌声だ。

 まるで船乗りがセイレーンの歌声に引き寄せられていくように、私は歌が聞こえる方に向けて歩き出していた。

 

 やがて、私が辿り着いた場所は音楽室。

 扉のガラスから中を覗くと、そこでは一人の少女が目を閉じて歌っていた。

 室内には、他の人影は無い。

 まるで彼女を除いては無人の室内が人が踏み入れることの許されない聖域であるように感じられ、もしかすると扉を開ける音で歌声を途絶えさせてしまうかもしれないと思うと、中に入ることはできなかった。

 遠くで聴いていても素晴らしかった旋律は、近くで耳にするとなお美しい。

 扉を開けることも、立ち去ることもできずに扉の前に立ち尽くした私は、黙って彼女の歌声に耳を傾けていた。

 目を閉じ、ただただ歌に集中する。

 そして、やがて曲が終わったらしく声が途絶え、辺りに静寂が取り戻された。

 

「ごきげんよう、編入生さん」

 

 感動の余韻で私がその場に立ち尽くしていると、中から声がかけられる。

 咄嗟にガラス越しに室内を覗くと、今しがたまで声楽曲を独唱していた少女が微笑みを浮かべてこちらを見つめていた。

 どうやら、私がここにいることには気付かれていたらしい。

 別に悪いことは何もしていないのだが、何故か少しやましい気分になった私は扉を開き、中に入る。

 

「ごきげんよう。立ち聞きする形になってしまい、申し訳ありません。扉を開けたら美しい歌声が途切れてしまうのではないかと思うと、恐ろしく思えてとても入室できませんでした」

「まあ、お上手ね」

 

 入室した私は、ばつの悪さを覚えながら彼女に謝罪する。

 間近で向かい合った彼女は、切れ長の目が涼しげな印象を与える美少女だ。

 凛と整った顔立ちやセミロングに切り揃えられた黒髪と合わせて、どこか鋭くクールな雰囲気を纏った少女は、たとえ山百合会の方々と並んでも全く見劣りがしないだろうほどの風格を漂わせていた。

 私の言葉を耳にした彼女は、悠然と笑みを浮かべて一言呟く。

 

「聴いているとまるで魂が揺さぶられるようでした。いつまでも聴いていたいと思わせるくらいに」

「ありがとう。それで、綾さんはこの部屋に何かご用だったの?」

 

 どうやら彼女は私のことを知っているらしい。

 まあ、入学式で全校生徒の前に立ったばかりである上に、つい今朝リリアンかわら版で大々的に特集記事が組まれたのだから、知られていても何もおかしくはないのだけど。

 

「いえ、恥ずかしながら道に迷ってしまいまして……。現在地がどこかよく分からなくなっているうちに、歌声が聞こえてきたので、ここまで歩いてきてしまいました」

「そうだったの。確かに、リリアンの校舎は少し広いから、新入生には大変かもしれないわね」

「あの……。お邪魔でしたか?」

 

 まさか、私が聴いていることに気付いたせいで彼女は歌うのをやめてしまったのだろうか。

 だとしたら、私は自分を責めなければならないだろう。

 あれほどに素晴らしい歌声を、自分のせいで途絶えさせてしまったとなれば。

 

「いいえ。歌は誰かに聴いてもらうためにあるのだもの。ちょうど休憩しようと思っていただけ」

「それなら、安心しました」

 

 そうではないと言っていただいて、ほっと胸を撫で下ろす。

 

「綾さんは、どこに行こうとしていたの?」

「……そうでした。新聞部の部室なのですが」

 

 本音を言えば、休憩が終わるのを待ってまたこの方の歌を聴きたいと思っているが、けれどもこの後山百合会の手伝いがある以上、あまりゆっくりとしている訳にもいかない。

 私が目的地を告げると、彼女はそこまでの道順を丁寧に教えてくれた。

 

「ありがとうございます。無事に辿り着けそうです」

「そんな顔をしないの。また聴きたくなったらおいでなさい。大抵はここで歌っているから、予定さえ合えばいつでも聴かせてあげる」

 

 そして、未だ耳に鮮明に残っている旋律に未練を感じながらも、私は彼女にお礼を言って立ち去ろうとする。

 けれどそんな感情が顔に出てしまっていたのだろう。

 苦笑のような表情を浮かべた彼女は、私にそう言ってくれた。

 そして、彼女に見送られて、私は音楽室を後にする。

 ――私が名前を尋ね忘れていたことに気付いたのは、それから少ししてからのことだった。


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