五河ディザスター+ナイトメア   作:茶漉し

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突然霊力を暴走させた士道。
起こってしまった最悪の事態に、琴里は冷徹に被害を最小に抑える英断を下そうとする。
しかし、そんな彼女に時崎狂三は、言葉の矢で嬲り掛ける。


真のうさぎ座

…………気持ち悪い。

鼻と口が呼吸を忘れて空いたまま、只気流の流れが何とか気道に酸素を送る状態だ。

そんな少量の酸素に肺は満足に活動出来ず、酸素を僅かな量を申し訳程度に運ぶだけ。

幸か不幸か、心臓は緩慢なリズムを打ち、血液も粘液みたいにドロドロになって濁流通り越して排水口を流れるみたいに覚束ない。

当然足も踏みしめてる感覚を失せて屋外の地面なのか砂利敷き詰めた砂粒なのかすら分からなくなってきた。

手も、殆ど熱も蒸発し、只指先が端末の存在を伝えてくれるだけ。

もう朧気になった立ってるのかさえ曖昧な意識の中、眼と耳は一点のみを固定し、決して離そうとしない。今自身を蝕む毒はそれが発してるというのに。

もう木立の音も、警報も、終末を告げる福音も、闇纏う木々も不要な情報として脳から排除され、毒の発生源たる黒と赤のドレスを和風に仕立て直した狂三は琴里に更なる毒を流し込む。

「炎の精霊――いえ琴里さん。貴女は士道さんを最初から殺したかったのですわ」

 

 

 

時間は少し遡る。

「さあ、最後は十香、あなたよ。準備はいい?」

「……うむ! 任せておけ!」

士道の攻略合戦も折紙はクリアした。残すは十香のみ。

士道が連れて来た一番の不安要素たる狂三も今は大人しくしている。自分らと同じ様に隅でソファーに座って優雅に紅茶飲んで決め込み、何もして来ない。

時間も充分ある。司令部に何の異常も報告されてない。順調だ。

肝心の十香は自分が着てるドレスを踏んで転び、それから士道の下には行かずにビュッフェの前に直行などと言う出だしから心配な様子だった。

しかし、十香はローストビーフをフォークに巻き付けると士道の口元に寄せた。

どうやら士道と一緒に美味しいものを食べさせ合う事で士道をドキッ!とさせると言う何とも十香らしい作戦のようだ。

十香は士道の隣に座ると早速差し出す。

「ほらシドー、『あーん』だ」

「おいおい、サービス満点だな。――じゃあ、お言葉に甘えるか」

士道は大きく口を開けてローストビーフをパクリと一口頬張る。リスみたいに頬を膨らませてモグモグと。

「どうだ! 美味しいか!?」

「ん……ああ、美味い。料理自体もさることながら、十香が食べさせてくれたことで美味しさ倍増だ」

「む、そ、そうか? なんだか照れるではないか」

十香は照れ笑いしながら、もう一度フォークを料理に刺しただがそこで、士道が十香の手を掴んで止める。

「ちょっと待った。今度は俺の番だぞ。ほら、あーん」

今度は士道がフォークにローストビーフを巻き、先程の十香と同じ様に差しだしてくる。

「おお! ではいただくぞ。あーん……」

十香は目を伏せ、大きく口を開けて士道のフォークを待ち構えた。

(行ける!)

十香による士道攻略が秒読みを切ったと琴里は確信した!

……だが。

士道が十香の口元にローストビーフを近づけてる時に静止した。

「…え?」

突然の静止に不意を突かれる間もなく士道は全体を全く明後日の方向に振り替えった。

その表情は驚愕に満ちて何かを凝視している。

琴里も遅れて士道の向いた方向、ほぼ斜め上の天井を見るが何もない。一体どうしたのだ?

何も無いから士道に視線を戻すと当の士道の表情に苦悶が混じる。

カンッ!

フォーク落とすも構わず両手で胸元を抑えながら少しずつ後退り、しかし顔は苦悶に歪めながらも目線は先程の天井を微動だにせず睨み付けている。

十香も士道の様子に気付いて慌てる。

「し、シドー! 大丈夫か! 一体どうしたのだ!」

「ぐ――ぁ、あ、ああぁぁああああああああああああっ!」

苦し気な声を上げたかとも思うと、身体が発光し――凄まじい衝撃波が発せられた。

「く……!?」

咄嗟のことに踏ん張りが利かず、軽々と吹き飛ばされてしまう。十香は数メートル後方にゴロゴロと転がったのち、テーブルにぶつかってようやく停止した。

「十香! 大丈夫!?」

「む……ああ、琴里か。私は大丈夫だ。それよりシドーは!」

痛む頭をさすりながら顔を上げる。

そこには濃密な霊力を纏いながら浮遊する、士道の姿が確認できた。その装いは、タキシードからもとの制服姿に戻ってる。多分、変身能力が解除されたのだろう。

「シドー!」

叫ぶも――返事がない。いまだに両手で胸元を抑えて身体を九の時に曲げ、しかし顔を上げたまま歯を食い縛った必死な形相で天井を睨み付けてる。

「琴里、シドーは一体どうしてしまったのだ!」

「わからないわ……! まだタイムリミットまで時間があるはずなのに!」

十香と琴里が悲鳴じみた声の応酬をしていると、前方に浮遊した士道に変化が現れた。

士道は頭を伏せると周囲に蟠った霊力の塊が身体に吸い込まれたかと思ったら、今度は背中の輝きが一層増したのだ。

その光と共に静かに産声上げて生れ出る。

「……何、これ? 世界樹の葉(ユグド・フォリウム)?」

生え出たのは、虹色の枯れ木だった。

様々な色に光る片方に枝分かれした細木が一対、天井を覆い尽さんばかりに拡がってゆく。

そして根本たる士道どころかあと4,5人は囲めそうなくらいになると今度は多様な色の葉とも羽毛ともいえる光の欠片が生え出て来る。

紺、青、赤、橙、紫、緑、白といったところか。バラバラで生えそろった箇所も並びもまるで出鱈目に虹色の枝に出て来ては十数枚かはゆっくりとホールの床に落ちて雪みたいに消える。

この羽根の内赤色の奴を見て琴里は、いや、精霊の何人かはそれぞれの色羽根を見て直観的に分かった。これは自分の霊力そのものだと。

しかし解釈の余裕はなかった。士道は呼気を荒くすると獣のような咆哮をあげる。

「う――、あああああああああああああああああああああああああああ!!!!」

士道は背中にある最早不格好な翼と成り果てた物とも空中でしゃがみ、いや胎児みたいに丸まって枝羽根に包まれると一気に霊力を発散させた。

 

 

 

――空に二つの剣閃が舞う。

一つはエレンが振るう高出力レーザーブレイド〈カレドヴルフ〉。そしてもう一つはそれと切り結ぶ真那の並走、〈ヴァナルガンド〉の〈ヴォルフテイル〉である。

上段、下段、横一文字。エレンは真那の放った攻撃を正確に受け止め、その合間を縫うようにして光の軌跡を描いてきた。幾度目とも知れぬ剣閃を紙一重でかわし、エレンに二撃目を放たせる前に、真那は反撃の刃を振るう。

真那とエレンは切り合いを繰り広げてた時、突然真下の施設が光の噴火を起こした。

「な!」

「ヒッ!」

注意が向いてなかった真下からの奔流に二人は後方に下がる事しか出来なかった。

しかしそれが助かった。

光の噴火の後、彗星みたいな光の塊が先程二人が切り結んでた場所を通過したのだ。このままさがらなかったら光は二人を弾き飛ばされてただろう。

そのまま光の塊は一度小さく縮まると一気に周囲に霊力の大爆発を起こした。

「くっ!」

爆発に同調して後方に下がると随意領域で幕を張り、全周囲にエレンが切り込んでも対応できるように構えた。自分を確実に切り落とせる隙でもあるから。

しかしエレンは来なかった。

真那が見たのは光の塊が光の帯を筒の様に束ねて収束させ、それを真那ともエレンとも違う全く別方向に向けた。

光の筒は強い明滅して一閃! 膨大な霊力の奔流を極太の光線にして放ち、遥か彼方へ撃ち放った。

空中艦の霊力砲にも劣らない一撃の余波に再び耐えると光の塊は虹色の翼を生え揃え、真那には目もくれず、先程撃ち放った先へ霊気の燐光を撒き散らしながらそこへ飛び去った。

「…………どうして?」

真那は一言呟く。

何故なら即席の霊力砲を放ち、飛び去った光の正体は自分の兄・士道だったのだ。

「兄様、一体?」

突然の事態に戦闘中だという事をすっかり失念してしまったが、エレンは切り込んで来なかった。代わりに来たのは癇に障る笑声だった。

「ふっふ。五河士道、どういう経緯かは知りませんが、随分と素敵な姿になったではありませんか。なるほど、これならばアイクが欲しがるのもうなずけます」

彼女の身内に向ける嬲るニュアンスを含めた感想に真那は気を害した。

「何人の身内に目移りしてんですか?!」

怒り心頭でエレンに切り込む。

真那も今すぐ士道に問い詰めたいが目の前のエレンを自分に釘付けせねば。こんな奴に士道を会わせる訳には行かない。

 

 

 

「けほっ……けほっ……だ、大丈夫、みんな!?」

凄まじい衝撃によって崩壊してしまったパーティホールで。フロアを満たす土煙に咳き込みながらも、琴里は声を張り上げた。

「うむ……大事ない。しかし、一体何がどうなってしまったのだ……?」

仰向けに倒れ込んだ十香が、身を起こしながらキョロキョロと辺りを見回す。それに合わせるようにして琴里も顔も上げた。

士道の突然の体当たりで天井には大きな穴が空いてたが、見る限り精霊達や〈ラタトスク〉の機関員は無事のようである。そして空いた大穴の向こうには――

「あれは……エレンと……真那!?」

天井の大穴の向こうではCR-ユニットを纏った二人が斬り合っていた。どうやら令音が言ってた保険とは彼女の事らしい。

「あの娘ったら……行方を眩ませたと思ったら令音には連絡してちゃんと検診受けてたって事? 私何にも聞いてないわよ」

しかし、そんな琴里の思考は突然停止された。インカムから今まで聞いた事もないアラームが鳴り響いたのだ。

それは、空間震の予兆や精霊の精神状態に異常が見られた時に鳴る通常のアラームとも違う全く聞き覚えの無い――………

「あ――」

聞いた途端、琴里は指先が小刻みに震え、足元の地に足が着いてる感覚が脳から消失した。

いや、このアラームは一度だけ聞いた事がある。

『そういう』種類の警報があるから覚えておけ。と。そして、『これ』を聞かずに済むようにするのが最善である、とテストで聞かされた一度だけ。

思い出した途端、息が詰まり、動悸が止まったような感覚が一瞬襲い掛かり、最早こうして立ってるのが奇跡だ。

御使いの吹く終焉の喇叭。決して聞いてはならないそれを耳にして琴里の意識は暗黒に落ちて行く。

「――里さん! 琴里さん! どうしたんですか! だーりん、外に出ちゃったんですよ! 早く追いかけないと!」

美九の言葉に意識が引き戻されたが、唇がまだ動かなかった。何故ならこれから出る言葉は、最低で最悪の決断を下す事と同義だからである。

だが、琴里は言わねばならなかった。

この国のために。

世界のために。

人類のために。

――そして何より士道のために。

それが〈ラタトスク〉司令官としての――五年前、士道に救われた者としての、責任に他ならなかった。

琴里は、どうにか唇の震えを抑えて発した。

「……みんなは、ここに待機しててちょうだい。――私が、何とかするわ」

琴里の発言に精霊達が驚いて二の足を踏んだ。

「待機だと? 我らにも何か手伝わせるがよい」

「首肯。琴里らしくありません」

精霊達が口々に言ってくる。だが無理もない。琴里も事情も知らずにそう告げられたなら皆と同じ反応を示したに違いなかった。

だが、彼女達を連れて行く訳にはいかない。琴里はすぅっと息を吸うと、努めて明るい声を作りながら続けた。

「――だから、士道を何とかするために、よ。私に任せてちょうだい。こういう事態に陥った時のために、〈ラタトスク〉はちゃんと手段を用意しているんだから」

精霊達はまだ不安が残るといった様子だったが、やがて琴里の声に従うようにこくりとうなづいた。

「じゃあ、お願いしますよー!」

「頑張って……ください……!」

「ええ」

琴里は短く答えると、精霊と〈ラタトスク〉機関員達をその場に残し、階段を上って地上へと出た。

暗い中、木々の風揺れのみが聞こえ、時々エレンと真那の斬り合いの衝撃や随意領域の衝突の余波が更に木々を揺らしていた。

琴里は小さく息を細く吐くと、ドレスの懐から、小さな端末を取り出す。

――絶対に使うまいと心に決めていた、破滅の鍵を。

「…………」

琴里は震える指で端末をON。漆黒に塗られたモニターが一瞬で白色に明滅し、中心に赤い点、その真下に「TARGET」と表示とマーキングされる。

マークの周囲は薄い黄緑に青や灰色の斑点が所々に表示されてたが、右から左へ移動して消えてゆく。おそらく沼や池、空き地だろう。

どうやら士道はかなりの高速で東南東に移動してるようだ。このままでは市街地に着いて移動の余波で甚大な被害が出るだろう。

それを防ぐため、琴里は端末の指紋認証と網膜認証、そしてパスワード認証を済ませ――ボタンに指をかけた。

士道をこうして補足し、狙いを定めてる衛星軌道兵器〈ダインスレイフ〉の軌道ボタンに。

「……ごめんなさいおにーちゃん」

呟くように、琴里は言葉をこぼした。

「こんな幕引きしかできない私を……許して」

だが――その瞬間。

左方から刺すような殺気を感じ取り、琴里は一瞬意識を乱された。

次いで、カチャリという音とともに、琴里のこめかみに冷たく堅い感触が生まれる。

琴里はすぐに気付いた。――銃口が自分に押し当てられていることに。

「……!」

目線だけを動かし、その方向を見やる。そこには、他の精霊達と地下に残ってるはずの折紙の姿があった。

剣呑な眼差しと、無骨な9㎜拳銃の銃口を向けながら、折紙は静かな、それでいて底冷えするような声を発してくる。

「その手のものは何? 一体士道に何をするつもり? 五河琴里、あなたは――」

しかし。折紙は途中で言葉を止めた。彼女にしては珍しく、ぴくりと眉の端を揺らす。

その理由は何となく知れた。きっと、琴里が折紙に向いた際、その顔を見てしまった。

――涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった見るに堪えない悲痛な表情を。

「……説明して。一体、どういう事なの?」

眉根を寄せながら、折紙が続けて来る。

頭のいい折紙の事だ。適当な事言っても誤魔化されてくれない。だがこのまま強行しようものなら、絶対妨害してくる。折紙は観念したように正直に口を開いた。

「……士道を殺すわ」

琴里の言葉に、折紙はもとより険しかった顔をさらに剣呑なものにした。

「どういう事? それも〈ラタトスク〉の命令なの?」

「……半分当たりで半分外れ」

琴里は自嘲気味に言った。

「……今の士道は、言うなれば時限爆弾よ。霊力の膨張を繰り返し、このまま放っておけば南関東大空災を超える爆発を引き起こすわ」

「……っ」

折紙が、ギリッっと奥歯を嚙みしめる。

「だから殺すと?」

「……そうよ。それが『失敗』してしまった私に課せられた最後の仕事。臨界前に士道を殺す事ができれば、爆発の規模は小さくて済む。

……千万単位の人名とともに士道が死ぬのを見守るか、士道一人を殺すのか、そう言われたら、私は後者を選ぶわ。――自分の所為で人がたくさん死ぬなんて、士道は悲しむに違いないから」

「…………」

折紙の指が微かに震える。琴里は視線を端末の画面に、正確には画面で士道を表示してる赤い点に戻した。

「このスイッチを押せば、衛星軌道上にある〈ダインスレイフ〉から魔力砲が発射されるわ」

「〈ダインスレイフ〉……?」

「……士道の身体を調べ尽して、士道を殺すためだけに作られた呪いの剣よ」

そう。それが〈ダインスレイフ〉。琴里はこれ以上に最悪な顕現装置の使い方を知らない。如何に琴里の再生能力を持った士道でも、体組織を破壊し尽されたら再生しようもない。

「……ふざけるな。それが〈ラタトスク〉のやり方?」

射殺すような視線で折紙は琴里に続ける。

「封印した霊力の均衡を保てなくなったら殺す? そもそも精霊の霊力を士道に封印させていたのは〈ラタトスク〉のはず。自分達の目的のために士道を利用しておいて、不都合になったら処理するというの? あなたはそれほど士道を思っているのに、なぜそんな命令に従おうと――」

「違うッ!」

折紙の言葉を琴里は必死に遮った。

「確かに、〈ラタトスク〉の目的と士道能力は奇跡的な合致をしていたわ。――でも、少なくともウッドマン卿はは士道のことを気にかけてくれていた。人間の身体に精霊を封印しようだなんて、万事上手くいくはずがない。もしリスクがあるようなら他の手段を探そうって。

でも……遅かったの。士道が〈ラタトスク〉に見出された時点で、士道の身体にはもう一体分の霊力が封印されていたのよ」

「既に……それって…」

「そう。――私よ」

震える声で、告げる。まるで過去の罪を告白するように。

それは避けえない矛盾であった。何しろ〈ラタトスク〉は、琴里の霊力を封印したという事実を以って、士道の存在を知ったのだから。

「士道は五年前のあの日から既に、この臨界状態にに陥ってしまう可能性を有してしまったの。しかも、霊力を私本人に戻そうとしても、一度繋がった経路は完全に消えることはなかった。……図らずも私は、士道にとんでもない爆弾を押し付けてしまっていたのよ」

「……、だとしても、その上さらに多くの霊力の封印する事で、臨界のリスクを増やすことにはならなかったの?」

「……仕方ないのよ。士道を完全に安定させる方法は……一つしかなかったの」

「それは、一体」

折紙は問うてくる。琴里は端末にマークされている士道に視線を戻して言った。

「――士道自身が、内にある霊力を、霊結晶として体外へ排出すること」

「……! それは――確かに、それならば。でも、そんな事が」

「……そう。私達が霊力を完全に震える状態になっても、そんな事は不可能。私も〈ラタトスク〉で何度も解析を受けたけれど、一度霊子レベルで結合した霊結晶を排出するには、信じられないくらいの霊力が必要だったのよ。それこそ――現在確認されている精霊全ての力を、士道の中に封印しなければいけないくらい」

折紙が、驚いたように目を見開く。

その反応を見るに、どうやら彼女は随分と〈ラタトスク〉への疑心を募らせてたようだった。

しかし、その思考は途中で終わった。

「下らない嘘八百はいい加減止していただけませんこと?」

気が付くと木立の前に狂三が立っていた。

なんだろうか。彼女の発言に、強い嘲りを感じ、琴里は眉を寄せる。

「……嘘、ですって」

 

「だって、あなたは最初から士道さんを殺すつもりではありませんの」

 

「何ですって!」

それだけは聞き捨てなかった。だってそれは今までの琴里の頑張りを無に帰す言葉だからだ。

「ふざけないで! あんたに何が分かるの?」

「だって、士道さんが均衡を保てなくなるのが先か、全ての精霊を封印するのが先か、言ったら、前者になるのは当然ではありませんの。持ち主たる精霊ですら一つの霊力を御するのに精一杯ですのに、人間一人に全て詰め込みましたら、壊れるのは当然ではありませんの。

それが成就しえない絵空事だって事、誰でも考え付きますわ」

「でも、このまま放っといたら精霊も士道も――」

「それだけはありませんわ。

炎の精霊さん、貴女は今の今までずっと士道さんを暴走させるように背中を押して来たではりませんの」

「何ですって?」

今直ぐ黙らせて一刻も早く終わらせたいのに、それができない。こいつだけは狂三の言葉は何故か聞き流せない。

「炎の精霊さん、わたくしは貴女に打ち負かされてから、どうやって貴女を排除すれば良いか考え、まずは情報収集に当たりましたの」

半年前、狂三が士道、十香、折紙、真那を拘束した時の事だ。

あの時士道たちを殺す前に意図的に空間震を起こし、時喰みの城で昏倒し、避難してない全校生徒達を纏めて殺そうとしたのだ。

しかし、琴里が霊力を完全顕現して空間震を消滅させ、その後圧倒的出力で狂三が追い出したのだ。そうでなければ士道たちはおろか、より多くの人命が失われていただろう。

「ですが、あの日以来貴女は決して霊力を行使しようとしませんでしたわ。街が人工衛星の危機に晒され、折紙さんの暴走には十香さんたちが駆け付けたのに、貴女は先の空中艦なんて無粋な人の兵器に乗っての指示のみで貴女は決して出て来ませんでしたわ。美九さんの件に至っては易々と洗脳されて士道さん牙を剥く始末。

貴女自身、霊装すら纏って現れませんでしたわ。強いて言うなら――

 

わたくしを追い出した後のプールでのデートの時」

それは琴里の霊力再封印。改変前の世界でデートの最後に士道に霊力を封印する前に武装した折紙が強襲してきて止む無く霊力行使して戦った時の事だ。

「その報告以外、情報がなかった。いや、あれだけ多くの危機がありながら人の兵器に頼っての行使してこなかった。それは何故か?」

「……それは、私が司令官だから、そう易々と――」

「違いますわ。貴女が度重なる危機にも関わらず出て来なかったのは霊力の制御が出来てないんでしょう。きひひひひひひひひ」

図星を指摘され、狂三の小馬鹿にした不気味な笑いに琴里は更に苛立たせる。

「……何がおかしいの? それの何が悪いの? 精霊は皆貴女みたいに霊力を完全に制御できる訳じゃない! だから士道に――」

「ですから、それが間違ってるのですわ。持ち主すら手に余る代物が、士道さんが制御できる訳ないでしょう。それなのに、武器はおろか何の防御手段も持たせないで精霊に会わせようだなんて、正気とは思えませんわ」

奇しくも真那と同じ台詞を投げ付けてくる狂三。どうも癇に障るイントネーションだが反論できる。

「それこそ問題でしょう! 武器を持った奴と話をしようだなんて、そんな奴と会話が成立する訳――」

「前提が間違ってますわよ炎の精霊さん。この世界の存在ではない精霊に、魔術師(ウィザード)と普通の人間の区別が付きまして? それができる精霊は皆魔術師を相手に余裕で立ち回れますわ。それこそ会話できるほどの余裕をね」

言われた途端、美九や七罪、目の前にいる狂三はASTに対して冷静に見定め、易々と対応できていた。

区別のできなかった四糸乃、八舞姉妹はどうだ。四糸乃は人見知りが激しく、静粛臨界の時は逃げて避けてばかりいて会話が成立しないように見えて初めて会った士道とはよしのんを通して邂逅して特に問題はなかった。八舞姉妹は規格外の移動速度の速さで誰も何処も接触すらできなかった。ASTの存在を知っていたかすら怪しい。

では十香はどうだ。彼女は度重なるASTとの戦闘で接触した人間と魔術師の区別が付かず、誰彼構わず攻撃していた。士道も最初は魔術師と見なして攻撃した位だ。

「むしろ、わたくしにとっては士道さんこそが近づいて欲しくない方ですわ。精霊でもない人間が霊力を封印できるなんて。

わたくしには極上の餌ですし、利用価値があったからこうして会いに来ましたが、できる事なら魔術師より彼の方が危険極まりないですわ。こんな得体の知れない異物なんて」

精霊にとっては自身を攻撃する魔術師より、霊力を封印する士道の方が質が悪い。むしろ今まで会話が成立してた方が奇跡なのだ。

「貴女の言う通りよ時崎狂三。理屈で言うならある意味士道は精霊の天敵。でも、それには封印される事を本人が受け入れなければできない事。彼は精霊にとっては敵ではないわ」

折紙が琴里を弁護するように封印を補足するが狂三には通じない。

「でぇもぉ、それが原因で士道さんは何度も危機に晒され、時には何度も死に至ったではありませんか。その度に何度も生き返りましたわ。炎の精霊さんすら手に余る、再生の力を用いてね」

狂三の台詞に、琴里も折紙も震えた。

気付いてしまったのだ。狂三が何を言わんとしてることを。

「そう、士道さんは精霊との対話で、死から生き返る度に、士道さんは霊力の均衡を失うつつあったのですわ。証明として、士道さんは十香さんの天使を顕現させ、それで身体を蝕まれ、でぇもぉ、それでも身体を圧して行使し続けた結果、身体に負担掛ける事無く七罪さんの霊力を行使してみせた」

「私が士道を放置したから、この結果を招いたって事?」

「ええ。炎の精霊さん、貴女は士道さんが暴走する危険性を孕んでいながら、渦中に身を投じさせた。何の準備も無く、紛争地帯の少年兵のように、鎧ではなく爆弾を持たせてね、それを暴発させるように何度も死に至らしめて」

「……ふざけないで。私は止めたわ。危険だから近寄るなって」

「うふふっ、おかしな事言いますね。精霊を封印しろと命令されて、それを承諾した方が、危険だと言われて士道さんが引く訳ないのは、貴女が一番よく知ってるではありませんか。ましては座して指示与えるだけの、『人間』の言う事なんて聞ける訳じゃありませんか」

妙に『人間』の部分を強調し、琴里を論破する。口角を吊り上げ、眼を歪め、嘲笑い。

「でぇもぉ、貴女はわたくしと相対した時以外、決して出て来て止めませんでしたわ。降りて直接行けば止まりましたのに、貴女は決して来ませんでした。自分の我が身可愛さに」

その台詞は聞きたくなかった。自分が今までやって来た事が、本当は何もして来なかった。やっての成否ではなく、やりすらしなかった事を意味したから。

「炎の精霊――いえ、『琴里さん』」

言い直し、初めて彼女の名前を呼ぶ。しかし、その発音は強い嘲笑と軽蔑を孕ませていた。

「貴女は自分さえ助かったなら他はどうでもよかった。精霊がどうなってもよかった。他の人命をどれだけ失ってもよかった。

 

―――――――――――――士道さんが大勢を殺して、死んでもよかったのですわ」

 

聞いた瞬間だけ琴里は意識を失った。

決して聞きたくない台詞。それを否定するためにここまで頑張って来た苦労の数々。それらが頭の中で再生され、しかし、そのどれもが彼女の台詞を否定する代物にならない。再生されては海馬に再び収まり、気道に運ばれない。

どれだけ検索を続けたのだろう。もう視界には、いや五感には嘲りの眼で琴里を目踏みする狂三の姿しか映らない。

それも途中で消えた。銀色の真一文字を光らせて。

「!……」

「大丈夫ですか? 琴里さん」

『琴里ちゃん! しっかりして! ガンバだよ』

気が付くと四糸乃が目の前に来てた。それだけではない。他の精霊たちも揃って狂三を睨み付ける。

正面には天使・屠殺公(サンダルフォン)を構えた十香が、落ち葉の様にゆっくり地面に足を降ろす狂三に身構えてる。

「狂三! 琴里に対するこれ以上の侮辱は許さんぞ!」

ドレスの上に限定霊装を纏って尋常じゃない怒気を屠殺公に宿して狂三を今にも斬りかからん勢いを発散させてる。

だが、狂三はそよ風を受けてるような感じで嘲りの表情を崩さない。

「きひひ。勘違いしないで下さいまし。寧ろ褒めてるのですのよ」

「何?」

「ええ。精霊の天敵たる士道さんをわたくし達を上回る災厄に昇華させるとは、とても優れた発想ですわ。最悪の精霊だとか〈ナイトメア〉とか言われたわたくしもまだまだですわね」

「シドーのあの姿が、琴里の望みだと言うのか!」

「ええ。でなければこうなると予想できていながら放置しないどころか予防策も練らず、災厄になるよう背中を押し続けるなんて変ですもの」

「おい! 狂三とやら、その発言は盟友たる琴里はおろか、我らが所有物たる士道への侮辱に他ならんぞ!」

「逆鱗。その台詞は琴里の行いを否定する発言です。今すぐ撤回しなさい」

八舞姉妹と天使こそ顕現せず、限定霊装で身構える。

しかし狂三はそれでも余裕のまま嘲る。

「ならばそうならなよう安全装置を掛ければ良いだけの話。それすらやらなかったのですから」

「安全装置、ですか?」

『そんな都合の良い物、あるの?』

「ええ。あるではりませんか。人間が精霊を排除するために用い、その気になれば多くの事柄に利用できる多芸多才な代物が」

「……顕現装置」

「正解ですわ七罪さん。それで士道さんの脳を弄って霊力の行使を妨げればよいですわ」

「ふざけないで! 士道の脳を思い通りにしろって言うの!?」

「だって、そんな便利な代物ですらわたくし達に苦労するんですもの。ならば直接脳を操って自由自在にすれば、例えば精霊を封印するために何の躊躇も迷いもない性格にしてしまえば、もっと円滑に事が運べましたわよ」

「ふざけないで。そんなの! 士道じゃなくて只の操り人形よ」

「そうですの? 皆士道さんを思い通りにしようと四苦八苦してた発言とは思えませんね」

「だって、だーりん独り占めにするにもそんなの使ったらつまらないじゃないですかぁ。興が冷めると言うものです」

皆が沸点超えかねない胸中の中、美九だけがマイペースに過程重視を掛ける。

「今まで回りをやりたい放題してきた美九さんが、丸くなりましたね。

でぇもぉ、士道さんの抱える霊力はそんな悠長な代物でないのは、琴里さんが一番御存知です。

本来なら精霊一人ごとに鎖で縛り付け、目覚めない様薬を投与し、コンクリート詰めにしなければならないのを、士道さん一人そうするだけで事が終わる筈でしたのよ。なのにそれをしなかった結果がこの災厄ですのよ」

「士道を人柱にすればよかったって言うの!」

「ええ。なのにしなかった結果がこの事態ですわ。

星空に描かれたうさぎはわたくしではなく、士道さんの方でしたわね」

人々に愛らしさからドレアデス諸島レロス島に放牧されたうさぎは、数を増やして作物を荒らしたから殲滅された。全ては人の思慮の浅さが原因で。

「そんな方の提案を保留にして正解でしたわ。管理する人間が人間の都合で間引かれるなんて」

そして狂三は思わぬものを右手に掲げる。

一見すれば全体が黒光りするありふれた携帯電話。しかし、琴里のみが気付いた。気付いてしまった。それは恩師に預けられ、この先決して使わずに済むよう肌身離さず抱えて来た破滅の鍵。

「!……それは?」

「ええ。琴里さんが言ってました、〈ダインスレイフ〉の起動端末ですわ」

平然とした返事に瞬時混乱する。琴里が持ってる筈の禁断の鍵が狂三の手中にあるのだから。

琴里と折紙は直ぐ目線を落として右手に有る筈の端末を見るが当然のように無くなってた。

「ない! 無いわ!! 狂三! 貴女何時の間に!」

「あの会話の最中に? 一体どうやって? いや、それより――」

「きひひ。油断大敵、ですわよ」

台詞とともに足元に這い出るは石膏のように血色の失せた不気味な細腕たち。それらが草や穂というより蛇のように琴里たちの動揺を嗤うように揺らめいてる。

これがタネ。狂三が琴里を暴論で動揺してる間に琴里の手からくすねたのだ。

本来なら抜き取られた時点で気付く筈なのに、それだけ狂三が突いた言葉が残酷だったのだ。

「狂三! それを返し、て、――」

言い切れなかった。

狂三は起動端末を軽く放り投げる。

届かないのに琴里は思わず手を伸ばす。今はそれが士道自身であるかのように。

しかし、

端末は燐光を僅かに振りまくと回転しながら落下速度を上げ、地面に落ちる。

落ちた端末は光を失い、中央に真っ暗な穴を空け、そこを中心に蜘蛛の巣を思わせるヒビが走ってた。

狂三の左手には天使の一部であり、攻撃にも使う短銃。

その銃口にはモクモクと硝煙が立ち昇っていた。

「これで大勢の人間が死ぬ。士道さんによって死ぬ。全ては貴女の我が身可愛さが――いえ、自分さえ助かれば、士道さんがどれだけ人間を殺しても関係ありませんわね」

「狂三! 貴女は!」

「だってわたくし、精霊ですのよ。人間に、世界に災厄を起こすのは当たり前ですもの。そのわたくしから言わせてもらえば――」

狂三は琴里を再度蔑むように目付け、さっき撃った〈ダインスレイフ〉の端末に視線を移す。

「貴女は今まで暴走を止める事を何一つして来なかった。考えすらもしなかった。あれは、その生き証人たる士道さんを口封じするためであって、これから死ぬ人間のためでなく、琴里さん自身の不祥事の揉み消しですわ」

それがトドメだった。琴里はもう立つ事すら保てず、膝から崩れ落ちる。

「さて、これではもうあなた方に付き合う必要なくなりましたね。それでは、ごきげんよう」

スカートの両端を摘まんで軽くターンして地面――正確には自身の影に沈んで消えていった。

しかし、琴里はもう追えなかった。頭の中が狂三の台詞で埋め尽くされ、琴里は脳内で反論しようにも記憶がそれを許さなかった。記憶が、心が、自分自身が、士道の行動が、それら全てを肯定していき琴里を蝕み――。

「何をしているのだ琴里! 早くシドーを追いかけるぞ!」

「追うの?」

「……当たり前じゃない。まあ、あれだけ言われて気持ちは分からなくもないけど」

「…あなた達に何が分かるのよ。私がこんな事態を起こして、士道は驚異的なスピードで到底追いつけない。唯一止めるための〈ダインスレイフ〉も起動できない。それでどうしよってのよ?」

正に八方塞がり。士道を止められず、只甚大な被害を見届けるしかない。

「ふざけないで下さい! わたしはいやですよ! このままだーりんを取られちゃうのは! 琴里さんは狂三さんにだーりんを取られて悔しくないのですかぁ?」

「…………狂三に、取られる?」

琴里自身でも以外だった。そんな予想外の台詞に耳を傾ける力が残ってたなんて。

「うむ。あの生娘の台詞。まるで盟友の誕生を祝福してるようでないか。我らが所有物たる士道を許可なく引き抜こう等とは、そうは問屋が卸さん」

「憤慨。士道とあんな派手なだけの小娘に渡すつもりはありません」

「……みんな、士道によって大勢死ぬとは思ってないの?」

「思わない」

即否定。

「だってわたし、今でも信じられないですよう。狂三さんがだーりんの命を狙う危険な精霊だなんて」

「美九、どうしてそう思うの? 確かに士道と仲良さげな感じで、バカップルにも見えて…なんかムカついてきたぞコンチクショーーーーーー!!!!」

「な、七罪さん、落ち着いて」

「だってわたしがみんなを操った時、だーりんの味方になったのって狂三さんじゃないですかぁ。そんな人が本当にこのままにすると思うんですか?」

その台詞にモヤモヤしてた琴里の思考が僅かに晴れた。

美九が天宮祭で祭りの皆、〈フラクシナス〉の機関員、スピーカーを通しての街全員、それだけ大勢の人間を操って士道を追い詰めた。

そんな中、狂三だけが士道の見方をし、美九の暴動阻止のサポートを行い、DEM日本支社での誘導などのサポートをした。裏にある利益があったとしても。

そしてそれに狂三の要領の良さから士道の手助けが必要だったとは思えない。

「わたしは悔しいですよ。狂三さんにあれだけ言われるなんて。自分は精霊だから多くの人を殺してるって、まるで皆がだーりんの敵になっても自分だけは味方になってあげるみたいじゃないですかぁ。わたし達を差し置いて」

「美九」

「それにもし、狂三さんがだーりんの命狙うなら、このままにするとは思えません。ひょっとして、だーりんを止める何か手があるんじゃないですか?」

確かに、狂三の性格を考えると無策は考えられない。

「皆さんは良いんですかぁ? 狂三さんにばかり良い恰好させて、狂三さんだけに助けさせて、悔しくないんですかぁ?」

言われて頭に浮かんだのは二人の光景。

自分らの知ってる顔、知らない顔が、寄って集って士道に物を投げつけ、罵倒し、避難し、凶器を手に追い立て、士道は足元覚束ない身体で走り続けるも、体力の限界尽きたのか倒れ込んでしまう。

しかし、追手は追いつかず、代わりに来たのは優しい微笑みで手を差し伸べる狂三。

士道は疲れ切った顔に笑みを浮かべ、その手を支えに立ち上がる。

そして士道と狂三は手を繋いで行ってしまう。自分らがどれだけ手を伸ばそうと。

そして、士道は決して自分たちの元には戻って来ない。

「確かに。このままでは士道は時崎狂三に取られる。どうやって止めるかまだ検討つかないけど、起動端末を破壊したのは止める手段に自身がある証左」

「琴里。私も士道を止めたい! 狂三に任せるのも、取られるのは嫌だ!」

「…………みんな」

まだ全快じゃない。

でも朧気な足元を、折紙の肩を、差し伸べられた十香の手を掴んで立ち上がる。

立つと前腕を顔に寄せ、ゴシゴシと乱暴に涙と鼻水を拭き取る。ドレスの裾が汚れようと既に士道が放った衝撃でボロボロなんだ。知った事か。

まだ顔は真っ赤っ赤。視界もぼやけてる。

しかし、胸中は、心臓は温かい血潮が流れ出した。

それは〈ラタトスク〉の司令官としての使命ではない。

これは士道を助けたい。それだけは誰にも譲りたくない。ずっと一緒に居たい。

そんな少女の誰もが持つ願いが、琴里を奮い立たせた。

「みんな、士道は東南東へ猛スピードで飛んでるわ。何とかあれに追いつかないと。そして追いついたら士道を止めて霊力の経路を再構築するわ。

そのためのプランは何も無し。強いて言うなら、狂三がやろうとしてる案に乗り、横取りするって事くらいね。でもそれすら何なのか不明。一寸先は闇ばかりの事態よ。それでもみんな、協力して。みんなで士道と帰るわよ」

「うむ!」

「は、はい」

『ひゃっはーーー! 士道くん救出作戦開始だよ!』

「うむ。一寸先は闇とは我らにとっては庭も同然ではないか。そこから士道を取り戻すのは容易い事」

「自信。耶俱矢と夕弦にかかれば、士道の奪還すら可能です。怖がり耶俱矢は、私が支えます」

「ちょっと夕弦! あたし怖がりじゃないし! 夜トイレに一人で行けるし!」

「わあぁ、だーりん救出作戦ですかぁ。だーりん――いや士織さん、眠り姫から囚われの姫にクラスアップですよぅ。いや、もしかしたら好きでもない方に無理矢理結婚させられる花嫁?」

「全く、どうやって遂行するかも考え無しの自爆特攻。ま、私らしい末路ね。それで士道が助けられるなら、そんな終わりも悪くないかも」

「いや、全員分の経路の再構築は必須である以上、一人でも欠けちゃ問題。七罪も生き残るべき」

「……折紙、あんた」

「それに時崎狂三には身の程を思い知らせる意味でも、士道の身体検査を――」

「皆行くわよ! 目指すは士道よ」

「「「「「「おーーーーーー!」」」」」」

「…………ち」

琴里たちは目指す。士道が向かったところへ。

全員生きて帰る願いを胸に。

 

 

街の灯りすら届かない暗い森。

森の木々の頂上を黒い影が横切り、頂上の枝を揺らす。

黒い影の正体は和服ドレスに身を包んだ狂三。

彼女は木々の頂上を足場に飛び移りながら士道の後を追っていた。

追いながら彼女はドレスの袖から携帯電話を取り出す。

アドレス開いて発信。

「ごきげんようわたくし」

『ごきげんようわたくし。残念ですが、このままでは士道さんを逃しますわ。何か良い案はなくって?』

「わたくしはわたくしの携帯にあるアプリでお互いの位置を把握してますわ。『わたくし』の差は約3kmほど。合流して士道さんの動きを止めてみますわ」

『それはそれは「わたくし」。何か良い手段が?』

「ええ。士道さんがくれた『あれ』なら」

士道を追ってる分身体と会話しながら狂三はもう片方の袖から出した物。

それは、狂三の掌に収まる懐中時計だった。

しかし、その懐中時計は文字盤を保護する蓋がなく、その所為か、文字盤は一部が割れて内部の歯車が露出していた。

「士道さん、早速試して戴きますわね」

言いながら時計を握る手に力が籠る。

時計は見た目より頑丈なのか、軋み一つ上げず、代わりに黒い靄が僅かに漏れ出ていた。

 

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