はあぁ。
深く、大きく息を吸った。まだ生きている、これは驚きだ。
こんな事を繰り返して、今夜だけで自分は何回死んだことだろう。
意識を取り戻してまわりを見ると、ここのところそうだったように自分の状況はまったく訳の分からないことになっていた。
「目を覚ましたのか」
馬に乗っていたのだ。それも白馬に乗った男の背に、寄りかかるようにして。もたれかかって密着していた体を慌てて離した。転げ落ちなかったのは、冷静さがまだ残っている良い証だと思いたい。
混乱に思考が停止しかけるが、必死で動けと命じ続ける。
背後の男が困惑していることを感じとってか、オセロットはすぐに口を開いた。
「あんたの敵ではない」
まただ、今夜はそれだけでは足りない。
「そう、俺だ。オセロットだ、ビッグボス」
「オセロット……?」
鈍くて霞がかかっていた頭も、大分反応が良くなってきたようだ。
遠い昔、あのスネークイーター作戦で知った。若き油断のならないリボルバー使いの男を思い出した。
何かを口にしなくてはいけないとは思うが、何をいえばいいのかすぐには思いつかなかった。
そのかわりにオセロットが口を開いた。
「ある男から依頼があった、ふたつだ」
依頼だって?
「まずはあんたを病院から救い出す。次に、その男を助けに行くこと」
全然分からなかった。この男は何をいっているのだろう。
「覚えているか?9年前の、あんたの相棒。カズヒラ・ミラーだ」
「カズ――」
「9年前、あんた達の軍隊。MSFはサイファーの実働部隊に襲われ、あんたも死んだことになっている」
そうだ、パスが爆死した直後。自分達が乗っていたヘリは墜落した。
「サイファーだけじゃない。世界中があんたを狙っている。あんたはミラーを救い。これから新しくまた部隊を創るんだ。……それしか生き残る道はない」
なんとなくこの夜に何度も聞いた言葉のせいか、オセロットのその言葉に自分もそういう気になってきた。
「まずはミラーだ。奴は今、アフガニスタンにいる」
「アフガニスタン?」
聞き覚えのない国だけに、聞き返してしまった。
オセロットは「そうか、あんたは眠っていたんだったな」というと、世界があれから大きく変わったのだと口にした。
同時に馬に足を早くするように促していく。
ゆっくりと馬の動きに合わせてゆるゆると動いていた弱った男の世界が、速度を上げて自分の後ろへと流れはじめた。死は、もうだいぶ後方に置いて来てしまっていた。
「ミラーは捕えられた。数日後にはソ連の駐屯地へ行く。そこで尋問され、どうなることか――もって2週間ぐらいだろう」
だから今からアフガニスタンに向かうのだとオセロットは言い。自分はそれに反対しなかった。
「あれで行く。俺達の乗る船だ」
夜の海岸線で輝く船の姿がが、まだ大分離れたここからでも見えた。
「平和丸という。元は日本の鯨漁に使われていたものをカズヒラが安く買い取って改修した」
今夜はもうクジラなんて聞きたくはなかった。それが大地からあらわれ、炎を纏う、巨大なものではなかったとしても。
「なんだかんだで一週間、そこからパキスタンの陸路で数日。現地に入ってからも時間は少ない」
「……」
「あんたも現場は9年振りだろうが――」
オセロットはそこで肩越しのこちらの顔を見てくる。
精悍だった男とはまるで別人のように弱々しい姿になっていた男に寂しさを感じる。
「ソ連軍主力地上部隊への潜入、肩慣らしには丁度いいさ」
だが全てはこれからだ、そう言うとオセロットは声を上げて馬を本格的に走らせ始めた。
ふとイシュメールはどうしたのだろう?と今更のことだが思い出した。
気にはなったが、オセロットが何も言わなかったというのもあって。そこでは聞きそびれてしまった。
思えば、この時もっと気にしていれば。この先に別の選択肢もあったのかもしれない。
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船に揺られ、はや数日。
世界に狙われている男と言われては、安易に甲板で日光浴ともいかず。暗い船室に引きこもっているしかなかった。
その間にも体の調子の方は、脱出した日から徐々に上向きになり始めているのがわかり。頭の中の霧のような靄も今ではすっかりなくなってきているような、気がする。
食事はわざわざ用意してくれたのか、肉を主体にした高カロリーのものがだされ。目的がはっきりしたことで鈍った体の切れを取り戻そうと、動けないながらも色々な筋肉を刺激することに注意した。
とはいえそうなると、今度は失った左腕の問題がクローズアップされてきて。少しでも義手になれるようにと、細々とした動きを必死で反復練習した。
そんな時だった。
普段は自室か、上の部屋にいて降りてこようとしないオセロットが、珍しく姿を見せた。その手にはどこかでみたことのある義手らしきものを抱えている。
「スネーク、これを試してくれ」
「義手か」
「ソ連最高の試作品の1つだ。リハビリは順調そうだし、その腕回りならもうはまるだろう」
試してみると、オセロットの言うとおり。
義手は自分のために用意されたのかと思ってしまうほどに、腕に吸いつくようにぴったりとはまった。
「よし、丁度いい。慣れたら昔の腕よりもいうことを聞くぞ」
「まだ元の手の感覚が残っていて、完璧ではない」
「早く新しい自分になれるんだ、痛みはあるのか?」
「たまに、だな」
「どこだ?」
「左手の、指先だ。それが邪魔をする」
「幻肢痛というやつか。あんたの頭はまだ失った左手を覚えているんだろう」
「ああ」
「他にあるか?」
「目は、今は見えている」
「頭に刺さっている破片は視神経などをを圧迫しているらしい。だからそこに強い衝撃を与えると、視覚野に影響が出るかもしれない」
「ああ、医者もそんな事を言っていた気がする」
「影響があると、あるはずのないものをみたり。色を失うようになったりするかもしれない。一応、心にとどめておいてくれ」
「わかった」
「よし、リハビリは今しかできない。不安を残してミラー救出の任務につかないでくれよ」
言われるまでもない話だ。ついでにこれからの事を聞いてみる。
「これからの予定は?」
「船は順調だ。スエズ運河に入ったら、船を乗り換えてもらう」
「スエズはいつ使えるようになった?」
「あんたが襲われてからすぐ」
「この捕鯨船ともお別れか――」
「捕鯨船ではスエズは渡れん、コンテナ船で運河を抜ける。船を降りたらペシャワールを経由して国境を目指していく」
「そこからは?」
「カイバル峠からは車、そのあとは馬だ。アフガンの主要な道路はソ連軍が抑えている。馬なら道のない道でも大丈夫だ」
それなら先にアピールしておかなければ。
またあの時のように2人一緒で背にゆられるというのはごめんだった。
「乗馬なら得意な方だ」
「日程は通常の半分しかない。強行軍になるだろう」
時間はそれほど残ってない。ところが反対に心には燃えたぎる黒い炎がチラチラとその勢いで天を焦がす時を待っている。そんな危険なものが自分の中にあの日から育ち始めている。
それがせいなのか、不思議と焦りは生まれず。むしろ不敵な笑みさえ零れ落ちてしまいそうだった。
そんなこっちの様子を見ていたオセロットは
「ボス」
「?」
「アフガンで、あんたは伝説を取り戻す。おれはそう確信している」
再び船上へと姿を消したオセロットの最後の言葉を心の中で繰り返し。
自分は再び義手と自分の身体の問題に取り組んでいく。新しい体は、次第に自分のものへとなろうとしていた。
それではまた明日。