時間はあったけれども、やることは決まっていたけれど。なぜか異様に難しいミッションになってしまった感じ。
仮面(ペルソナ)
私は「クワイエット」でいたかったわけではない
言葉を使いたかった
「共通の言葉」を使って、気持ちを伝えたかった。
(とある狙撃主の残したテープの冒頭より 抜粋)
夜の闇の中のマザーベース。
困惑の表情のカズヒラ・ミラーはたった一人で歩き続けていた。
「誰にも言わず、誰にも告げず、誰にも知られることなく会って話したい」
メッセージの送り主の顔はいくつか浮かぶが、このような表現を無視するほどの余裕が今のミラーにはなかった。
つかめる物ならばなんでも、利用できる者なら誰でも、それが必要だった。
だからこの時も、誰にも見つからないようにと”もしものときに用意した隠し通路”を使って歩きで目的の場所に向かっていた。
当初からこのマザーベースには虫の入る隙間もない、とはこの本人が断言した言葉であったけれど。実際はそんなことは全然なかった。
9年前、いやもう10年になるか。
MSFが壊滅し、そこから仲間を見捨てて脱出する羽目になったあの苦々しい経験をこの男が忘れているわけがなかった。
攻撃を完璧の防ぐ方法。そんなものはないことをあの時に学んだ。
攻撃には、的確な反撃を。
攻撃してきた、敵の本体にはより容赦のない――報復を。
ただ防衛するだけでは意味がない。
報復攻撃によって、敵には十二分な被害でもって苦しむところまでが、”マザーベースの防衛”のカテゴリではセットになっている。
だから最初からダイアモンド・ドッグズの使う、マザーベースには一見してそれとはわからない隠し通路が存在していた。
何者かの襲撃があっても、ここを使えば被害は最小限にして仲間と共に脱出できる。
ビッグボスを失い、彼の復活を待つ恐怖の日々のために彼が生み出した方法のひとつだ。偽のマザーベースを簡単に用意できたのもこれが理由でもある。安価に量産ができ、それなりの強度と保安があればいい。
ついにビッグボスを迎えてからしばらくは、すべてが万事。彼の思惑通りに進んでいた頃が懐かしい。
とはいえ、その存在が一度だけ、明るみになりかけたことがあった。
イーライ達、少年兵の存在である。
彼らは知らず知らずに、その小さな体を利用してマザーベースにミラーが用意した”マザーベースの隙間”を巧みに利用して兵士に見つからずに好きに移動していた。もちろん、今のミラーがやっているような”正しい使い方”を理解していたわけではない。無理やりに自分たちの小さな体を押し込むようにして、新しい抜け道を見つけ出していたのだ。
すぐに気がついたが、カズはこれに慌てての対策はとらなかった。
彼らの”隙間”を埋めるということは、自分達のために用意する逃げ道もふさぐということだ。そんな自殺行為を、ミラーが選ぶことはなかった。だからかわりに子供達の存在を侮ることで、秘密がすべて明らかになるのではないかという不安に揺れる精神の均衡をとらせようとした。
ミラーの目論見はおおよそ成功した。
ただ、心の中にどうしようもなく真っ黒な”後悔”という闇を抱えてしまうことになったけれど。
自分が用意したその通路を始めて歩きながら、その中で聞く夜の海の潮騒に心が乱されていくのを感じて、苛立つのを無理矢理にでも押さえこむ。
これは必要なものだった。仲間達に、ボスにも必要なものだった。
2度と失わないためのもので、あんな絶対の敗北を味わうことのないようにするためのものだった。
虚しい――。
MSFは再興する。いや、今はあれをこえた存在になろうとしている。
その中にまだ自分はいる。
自分のユメ(未来)はまだここにある。手綱はまだ、この残された片腕にしっかりと握られている。今も毎日、鍛え続けて筋肉を落とさない。必要以上に筋肉をつけないように気を配っている。
虚しい、虚しい――。
なのに一本とはなんと頼りないことなのだろうか?
自分の腕に握られた手綱は、巨獣となろうとするこの組織にはあまりにも大きさがあっていない。
踏ん張って押しとどめたくとも、片足では無様にひっくり返らないようにすることだけで必死になる。
自分の居場所が、無くなっている。
なにもしないまま、何もできないまま。カズヒラ・ミラーはなぜかどうしようもなく自分の生み出した組織の中で、静かに追い詰められていた。
==========
夜の海はいつもどこかで荒々しい。
轟々と風が頭上、遠くで音を立てて騒ぎ立てている。だが、そんなことは大したことじゃない。
「蛇は一匹でいい、か」
完成したばかりのこの戦闘班のプラットフォームに、まだ人はいない。
その棟の屋上で対峙する、2人の人影が足元だけを照らす作業灯によって浮かび上がっている。
「ビッグボスは一人で十分、か」
「そうだ、ボス。いや、パニッシュド・スネーク」
スネークは無言で胸元から葉巻を取り出すと、銃を向けているオセロットに気にもかけないようにそれに火をつける。
オセロットはそれを黙って見続け。無視しているようにも見える相手をとがめようともしない。
「今あるのがこいつでね。MSFから復帰した奴からの贈り物なんだ」
「ホヤ・デ・ニカラグア(JOYA DE NICARAGUA)」
「知っていたのか……ハバナを用意してやると、カズは言うが。誕生日の時にもらったものがまだまだ残っている。それに、俺はどうもあれが好きではないようだ」
オセロットの眉が跳ね上がった。
葉巻の話も突然であったが、銘柄を聞いては、思い出さずにはいられない疑問がわいて、好奇心を刺激してくる。
「……ゼロを覚えているんだな。あんたにはその記憶があるのか?」
「少し違う。だが、どう言ったらわかってもらえるかはわからない」
顔をしかめながら、スネークはオセロットに答える。
そうだった。
思えば昏睡から目覚めた彼は。そこからも、それ以前からも全ての記憶がはっきりとはわからない霧の中を必死に歩み続けながらの連続する戦いの日々だった。
「全て、全てを知っていたというのか!?どこからだ、どこからわかっていた?」
「――そうじゃない。全ては答えられない、オセロット」
「全ては――?」
「俺は知っているんだろう。そう、俺も思う。
だが、聞かれても答えることはできない。全ては知らないからだ」
「っ!?」
スネークの返答に、この日2度目の動揺をオセロットは隠すことはできなかった。
体は震えたが、構えた銃口の先のぶれは最小限のものだった。
「なんてことだ。俺は、自分がなんて間抜けなやつなんだとここで思い知る羽目になるとはな」
「オセロット――」
「あんたもか。あんたも、そうなんだな?そんなことが可能な奴はそうはいないと、俺は自惚れていただけだった」
「わからないんだ、俺には」
「それはそうだろう、ビッグボス」
驚きからまだ完全にもどってこれないオセロットはついにたどりついた解答を口にする。
「2重思考(ダブルシンク)、過去を改竄、自己暗示。だが、完全に忘れるわけではない」
「どうだろうな」
「いや、そうだ。そうでなければ説明がつかない。あんたは、あんたは常にビッグボスだった。だが同時に、必要であれば『別人となった自分』に戻ることもできる。
ゼロの記憶があるなら、それはボスになる以前に会った記憶。だが、それは抹消されたはずだ。彼は―ー少佐はそう言っていた、自分は完全なもう一人のビッグボスを用意した、と」
「……」
夜の闇の中に、プカリとスネークの中から押し出された煙がくねり、乱暴に風で煽られ、のたくってから消えていく。
夜という時間と闇は、男の透き通るほど純粋な言葉を語らせる力があった。
「俺には記憶が。過去は破壊されつくして、現実に投げ出された」
キプロスのことだ。
あの病院での目覚めのことだ。
「俺には戦う力があった。言葉にも、力があった。
だが、だからといって自分がビッグボスといわれる男であるという自信はなかった。過去の記憶がないんだ、真っ黒な穴がぽっかりと開いてる。これでは俺が俺だと他人に断言され、保証されても、本当にそうだとは考えられない」
「あんたがそんな、不安定な状態になることはわかっていた。だから、俺がそばについていた――」
「だが、それでも足りなかった。まったく……。
答えは意外な場所にあった。戦場だ、あそこにいくと俺は常に心が安らいだ。
同時にそこで俺は自分を”完全”に取り戻す必要がないことも理解した。違う戦場に立ったとしても、俺が常にビッグボスであり続けるならば。戻ってきても俺の過去は自然と、向こうからこちらに近づいてくるものなのだと」
「それが――ひどく乱暴なやり方だと、わかってはいた」
「戦場でビッグボスでいられるなら、そこから戻ってきても記憶のない俺はビッグボスでいられる。ところが今度はその影響から俺自身の過去が、彼の過去へと塗りつぶされていく」
それこそがビッグボスの幻、用意されたファントムの正体。
「いつ精神の均衡が崩れるかわからない。そんな不安定な中にあるのに、あんたはほとんど惑うことはなかった。それどころか、亡霊となるために消された記憶までも手に入れている。どうしてだ?なぜ、そんなことが可能なのだ?」
「お前が手がかりだった、オセロット」
「俺が?」
衝撃という激流が再びオセロットを襲った。
翻弄され、遠い世界へとなにかが押し流されそうになるのを必死で耐えねばならなかった。
その間にも、スネークの口は閉じることはなかった。
「お前とカズが探し出してきてくれたMSF壊滅と、それに関連した情報。まったく役には立たなかった。
だが、手がかりはこれだと、俺の中のなにかがそう思った。
俺は続けてピースウォーカー、サンヒエロニモ、スネークイーターと作戦時の俺の――スネークの、ビッグボスの音声を求めるようになった。
それらはどれも始めて耳にする、そんな”過去の自分の声”であったが。彼の口にする言葉は確かにこの胸の中にもあるものだった」
「……」
「次第に音声は俺のものとなって体の中に染み入り始めた。すると、失われた過去が陽炎のように再構成されて、あたかも本当にあった情景を自分の中で生み出し始めていく」
「自分の中のドッペルゲンガー、か」
この瞬間、スネークの中から溢れ出た影達が。
姿を投射された亡霊達が2人を取り巻いて闇の中でいっせいに彼らへと視線を送ったが、それにオセロットが気がつくはずはない。
彼らはこの男の生み出した、ビッグボスの過去の事件にかかわった亡霊たちなのだ。それ自体が、本物ですらない。
「確かに強烈な自己暗示だ」
「だろ?」
「だが、説明にはなっていない。俺が手がかりとは、どういうことだ?」
「……スネークイーター作戦、そしてイシュメールだ」
「?」
わからないか、さびしげにそう口にする男は。このとき、初めてビッグボスの顔をした他人の仕草を見せると、オセロットの銃口に背中を見せた。
闇の中でもわかる、遠くの海を覆う夜でもわかる黒雲が不吉にうねっている。
「キプロスの事件、俺はあそこで出会ったイシュメールに執着した」
「そんな奴はいない。いたとしても、あの混乱で生死は不明だ」
「そう、お前はそう言った。だが、とても信じられない。俺はお前と出会ってキプロスを生き残った。彼はそうじゃないと、なぜ言い切れる?」
「……」
「諦められるものではなかった。諦められない何かを。わずかに一緒にいた彼の姿から俺は感じとっていた。当然だな、彼がそうなのだろう?」
「――時間がなかった。奴等の動きは素早く、目覚めたばかりのお前の回復にはまだ少し時間が必要だった」
「だから、危険を冒した」
「そうするだけの価値があった、お前にはな」
スネークは振り返ると、オセロットの目の中を覗き込もうとする。
嘘のない瞳であった。
いや、それをいうならばこの2人は嘘を嘘と知らぬふりをして本物としている2人なのだ。正しさ、なんてものに意味はない。
だが共に潜り抜けてきた苦しんだ戦いの記憶は同じものだった。
しばらく無言が続き、お互いがお互いでこの場所で過ごした日々を振り返っていた。
「黄金の髪の女だ」
「なに?」
「記憶の話、続きだ。スネークイーター作戦、そこで俺は――ビッグボスは、一人の女スパイと協力して任務にあたった。記録では彼女は中国のエージェントだったとか」
「……」
「だが、オセロット。俺の記憶には、俺の亡霊達の中に彼女はいない。顔も、名前もわからないんだ、まったく」
「――だから?」
「ビッグボスは戦士だ。戦場で、それも共に戦った戦友のことを忘れたりはしない。それも完全に、なんてな」
うかつだったのだろうか?
いや、違うのだろう。危険な精神の綱渡りで、なんとかバランスを保とうとする彼の自我が。幻としか思えぬものの正体を、ついにつきとめてみせたというそれだけのことなのだ。
EVA――あの女は自分をそう名乗っていた。
本名ではない。本当の名など、彼女にはどうでもいい。
彼女がそう名乗った理由はただひとつ――いや、それはどうでもいいことだ。
「あんたがくれたたくさんの音声。だが、そこでもビッグボスとの会話では改竄された形跡があった。どうしてそんなことを?」
オセロットに答えられるはずもなかった。
カズが恨んでやまぬ敵。サイファーを創設したメンバーの一人がエヴァだ。
いや、彼女だけではない。
スネークイーター作戦、あの時のスネークを含めたチームメンバー全員が。彼女を加えてあのサイファーを生み出したのだ。
「そして俺は気がついた。そもそもこの俺を生み出したという伝説のザ・ボス。俺は彼女の記憶もない。
いや、それを言うなら”俺自身がスネークとなる以前の記憶もない”という事実。記憶に開いた穴は、ひとつじゃなかった。2つあった。
ビッグボスとなる以前の俺の記憶。
キプロスで目覚める以前の俺の記憶。
すると、俺はそこでも自分の記憶に”ぶれ”があることに気がついた。
キプロスでの入院経験。数日しか記憶はないはずなのに、なにかが違う毎日を過ごした目覚めたばかりの別人のような俺がいる。太陽と風の匂いにまどろんでいる自分、弱った体を無理に動かしている自分、名も知らぬ訪問者の訪れを聞いて喜ぶ自分。
気が狂ったのかと思ったよ、最初は。考えないようにしようと、そんなおかしなことはあるわけがないと。
しだいに俺は、演じ続けるだけの亡霊になることが全てのような気になっていた」
「自己の崩壊、それを食い止めようとありもしない事実を生み出す過程で生まれるトラウマ(心的外傷)はフラッシュバックを増加させる。現実を認識できなくする。
俺がここにいたのは、お前がそうした苦しみに陥ったときに救い上げるためだった。だが、お前にその兆候は見えなかった。気がつかなかった」
「スカルフェイスを前にした時、ひとつの真理とも言える解答に俺は到達した。少なくとも、そう思った。
俺に奴への報復心がなかったわけじゃない。
奴に銃口を向けたとき、俺は何度も。何回も奴を殺そうとした。容赦なく、無慈悲に、残酷に苦しませて。そうしても構わないと思っていた。
だが、実際は引き金を俺が引くことはなかった。
俺自身は奴を八つ裂きにしてしまえと叫んでいるのに、そう欲求があるのに。
逆に俺の中のビッグボスは何も言わなかった。そうじゃないな、彼は――ビッグボスはスカルフェイスに何の感情も持っていなかった。
彼は――ビッグボスはただ、任務でスカルフェイスを倒したというだけのことだった。
巨大なサイファーに寄生して、自らのくだらない未来を実現させようとした彼の野心をくじくこと、それにしか興味を持っていなかった。彼の怒りは、もっと別にあった」
今のオセロットならばわかる、ビッグボスの――あのときの本当のスネークの秘めた怒りの正体を。
「そして俺は、ついに理解した。
俺はきっとビッグボスではない。だが、俺はビッグボスになれる。
俺は、俺のまま振る舞い。生き続ければ、その時ようやくおれはビッグボスになったのだ、と」
姿勢こそ崩さないが、オセロットの目つきに妖しさが増してきた。
「……あんたは強かった。恐れていたトラウマやフラッシュバックもなく。あらゆることにビッグボスとして完璧に対処した」
「俺はもう、迷わない。オセロット」
「自己暗示、過去の改竄。虚飾にまみれても、その姿は本物のまま」
「断ち切った、すべてを」
「自分の本当の姿を失って、髑髏となり果て。幻の亡霊となるのも構わずに。進み続ける」
「俺はもう、どこにも戻らない」
傷だらけの見知らぬ蛇の顔が、力強い言葉と共に再びその姿を変じていく。
「俺は、俺のままここにいる。俺は、彼のように選択する。俺は、彼と同じ未来を目指す……」
オセロットの目には、闇の中に立つスネークはどう見えているのだろうか?
それはいつもと同じ姿であるとはいえない。おかしな話だが、正しいならば闇の中に立つ彼には後光がさしはじめているかのように、その輝く自身にあふれた力強さが圧倒的な存在感となっていく。
「俺は正しく、彼となって生きる。昨日までもそうだったように、今日からも……」
そうだここにいる。
目の前に、いるのだ。
「俺は、BIGBOSSだ」
遠く空の高みで狂乱する風の咆哮はあまりにもその声に対して無力であった。
無音ではいられない夜の海上にあって、2人の間には無音の世界がいつのまにか生み出され。
彼の最後の言葉は、見えない空気の壁にぶつかり反響していたような気さえしてくる。
この夜が、どのような終わりを迎えて朝日が昇るのか。
そんなことをわかる者が、今この世界に存在しているのだろうか?
続きは明日。