すぐにも破裂しそうな、そんな冷たい殺気が部屋のなかにタバコの煙のごとく充満していくのがわかった。
それなのにヴェノム・スネーク――毒蛇の答えはあっけらかんとしていて。そしてはっきりとしたものだった。
「断る」
「なに?」
「チェー将軍、あんたと交わした契約に不備はない。俺達はあんたに力を貸し、仕事は終えた。荷物は届けたし、あんたの部下から死体も出なかった。あんた、何が不満なのか」
「――ちっ」
「契約を結んだ以上、儲けたあんたから俺たちの分け前をもらわなきゃならん。まさか、俺たちが運んだあの白い粉は。実はただの小麦でした、なんて言い出されても。それは理由にならない」
「ああ、そうだな。ビッグボス」
それまでブルドッグのようにぐちゃぐちゃと難癖をつけていた将軍は、いきなり態度を変えてきた。
彼の話す完璧な英国式英語の発音で、笑顔を浮かべてきた。
「そうだな。それは間違いない、ビッグボス。だがーー」
「まだ、なにか?」
「実は金はここには置いていない。あれは、確かに俺の金ではあるが。だからといって世界のどこにでも、俺が好き勝手に出したり戻したり。それはできない、あんたならわかるだろ?」
「俺は兵士だ。あんたの会計士じゃないから知らんよ」
「だから変わりを用意した――」
兵士に合図を送る。すると部屋の隅に歩いていき、家具の裏に見えないように並べていた3つのトランクを取り出してきて、ビッグボスの前に並べておいた。
「これは?」
「今回の報酬と思ってくれ。あんたの部下の仕事ぶり、認めないわけがないだろう。それに伝説の傭兵と呼ばれる英雄ともせっかく知り合いになれたのだ。
ドルだのフランだの、そんな紙切れに書かれた札束じゃ足りないだろう?これをもっていってくれ」
「――金ではないようだ。それに、ちょっと前に見た覚えのある袋と、中身だな」
「ボーナスだよ。いまならこのかばんひとつ市場で捌けば、契約金なんて目じゃないぞ。それがさらに2つ、つまり3倍というわけだ」
「――うちにジャンキーは飼っていない。そもそも売りさばく方法もない」
「だが傭兵だろう?戦場には楽しめるアイテムは必要だ。自分たちで使ってもいいが、売ってもいい。それだけのことだ」
「将軍ー―」
「ビッグボス!これが嫌だというなら、お前に払う1キープ(ラオスの通貨単位)もない。手ぶらで帰っていただこうか」
ようやく本性を現しやがったな、ワームはスネークの後ろに立ち。手袋をつけたままのグレイのスーツ姿で切れ長の目を、将軍に向けた。
そんな彼の位置からでは、眼帯で隠されてビッグボスの表情はよく見えない。
会談は終了した。
決裂だ、それも”ダイアモンド・ドッグズが負けを飲む”という形で、何も手にしないまま帰りの車に乗った。
「ボス!」
「ワーム、これも予定通りだ。ルーキーじゃないんだ、落ち着けよ。短にすぎるぞ」
「あそこでも、終わらせることはできました」
「駄目だ。それに作戦中だ、ちゃんと演技をしろ。これでも俺たちは負け犬ですと、奴らの前で涙を浮かべ、背中を丸めて逃げてやらないと」
「――まぁ、いいですよ。どうせあんなの、持って帰っても仕方なかったですから」
「麻薬か。嫌いじゃないだろ?」
「個人の趣味のレベルで、嗜む程度に。あれほどの量、うちの連中を程よくジャンキーにするつもりなんですかね?」
それまで皮肉めいた笑みを浮かべていたスネークだったが、ワームの問いを聞くと。
その表情を変えた。
「仮にも、将軍とも呼ばれる男だ。常習性を持ってしまうようなものを、兵士に報酬で渡そうとするなんてな。まったく、どうしようもない奴だ」
「ボス……」
「薬の、いや麻薬の力に溺れて自分が何者かも忘れて浮かれてしまっているのさ。あれの部下の連中、給料がよくなきゃやってられんだろうな。俺達でこの状況にカツを入れてやろう」
毒蛇の言葉を聴いて、車内の兵士たちに物騒な笑みが浮かんでくる。
そう、今回の任務はまだ続行中なのだ。
ビッグボスはこうなる展開も含めて、最初からあの将軍と将軍の力を目標に攻撃を展開している。そしてここから最後の仕上げが始まる。
伝説の傭兵もたいしたことないな、とすっかりいい気になっているであろう奴等に。ビッグボスが戦場での流儀を、思い出させてやるのだ。
だが――。
「ボス、連中の動きが――」
「わかってる、そのまま車を出せ。気がつかない振りを続けろ」
徐行しながら、森の中の砦から出ようとする車の背後に。チェー将軍の部下たちに不穏な動きを感じていた。
「ワーム」
「準備します」
スネークにそう返すと、ハンドバッグの中から頭巾のようなものを取り出してきた。
「丁度いい、作戦の開始は奴らの手で下ろさせてやろう。ここはまかせるぞ」
「……」
マスクをつけたワームは返事ができなかった。
彼が装着したのは、あのコードトーカーが完成させたパラサイトスーツ。それの新たなバージョンである。
手にとって頭にかぶるまでは、ぬるりとしたラバーを思わせる黒光りする表面が。その下に人の体に触れているのを”感じた”のだろうか、極彩色の変化の後。あの怪しげなミルク色のそれへとなって、落ち着きを取り戻す。
そしてそのスーツに下に隠された、もうひとつの姿も。
ビッグボスの乗った車が砦の門の前で停車し、静かにそれが開くのを待っていると。
背後の建物から飛び出してきた2人の兵士が、車の真後ろまで走っていって。いきなりロケットランチャーを担ぎ出した。
だが、車内ではあせった様子はない。
スネークはサンルーフを全開にしながら「通れるなら急げ、ここは戦場になる」そう告げただけであった。
ついにビッグボスによるダイアモンド・ドッグズの”報復作戦”は最終段階を迎える。
チェー将軍の秘密の砦はこの日、地上から消滅することになる。
兵士達と車の射線上に、奇怪な怪人が姿をあらわし。その体がロケット弾を音を立ててはじいて見せる中。砦の直上から何本もの火線が地上に向かって落下してくると炸裂と同時に、地面をえぐる。
砦から悠々と離脱するビッグボスの車の背後で着弾した爆風と炎があがるが、本人はそれに構わずに砦から離れていく。。
同時に、霧の両側に輝くダイアモンド・ドッグズのエンブレムを身に着けた完全武装の兵士達が出現し。一斉に進軍を開始すると砦の制圧に乗り出したのである。
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同時刻、R国のパークセー郡一角にあるハン・チェー将軍の屋敷である。
この国の貧富の差は激しく、だからこそ金を持つ人間の金の使い方はどこか常軌を逸している。それは将軍の屋敷にもあらわれていて、その大きさは屋敷とは口にするが。実際は宮殿と表現するしかないほど広く、巨大であり。
ここで働く家人達も、普通では寝起きできないような豪華な住居で――この施設の中でくらせるというおこぼれにありつけた。
そんな宮殿の空を、鳥が群れて離れていく――。
警護の一人は空を見ながら、隣に立つ同僚に声をかけた。
「鳥だ」
「ああン?」
「鳥だ、飛んでる」
「そりゃそうだろう。鳥が地上を走ってたら、そっちのほうが驚きだ」
「走る?――ダチョウは飛ばない。あれは、走れるだろ?」
「……お前、何を言ってるの?」
唐突でひどく頭の悪い会話に、苛立ったのだ。
だが、彼が同僚からその意図を聞くことはできなかった。背後に現れた、顔を隠した兵士2人が。いきなり警備員達をその場で投げ飛ばし、声も上げさせないままナイフを振り下ろしたのだ。
「南の制圧、終わりました」
『了解、門番(ゲートキーパー)は足を開いた。繰り返す、足を開いた。ゲームの開始だ』
どれほど優れた警備装置や人を入れたとしても。
攻略できないパズルはない。
そしてダイアモンド・ドッグズの兵士達であれば、将軍といえども麻薬王をきどった相手にてこずるはずもない。
その時はまだ、そう考えていた。
屋敷内でいきなり銃撃戦による応酬らしき騒ぎがあがると、慌てたダイアモンド・ドッグズ兵が部屋の中に駆け込んできた。
「なんだ、どうした?」
「すまねぇ」
「なにがあった、説明しろっ」
2名の警護らしき男の死体と一緒にいたその兵士は、くやしそうに顔をしかめながら口を開く。
部屋から出てこようとした警護3名を攻撃し、とどめを刺そうとしていたらしい。
すると物陰にあった気配に気がつき、確認するとそれは将軍の息子の一人。末弟がそこに震えて隠れていたという。
作戦では彼らは回収対象だ。
兵士は、それを連れ出そうとしたところ。いきなり別の警護らしき男たちが侵入してきて、なにもできないでいる少年と怪我人を回収されてしまったらしい。
「お前!なにやってるんだよ」
「……スマン」
「もういい!――たぶん、それは逃げていた将軍の長男だろうな。軍では少尉だという話だったが、ルーキーだと舐めていたな――」
「どうする?」
「上に報告するしかない。ここはあいつらのホームだ。今頃はどこかでバリケードでも築いているはず」
「そうか、そうだな」
そういって顔を見合わせる彼らの表情は、暗い。
作戦の開始から35分が経過。
すでに屋敷のほとんどを押さえ、家人の8割以上は無力化に成功した。ところが――。
「38番ロード、変化はないのね?」
『はい』
「引き続き主要道路の監視を続けて。こっちは撤収のヘリがもうすぐ迎えに来るはず」
そうはいうがウォンバットは正直な話、気が気ではない。
不意の襲撃は成功したものの、人が多すぎて最後の最後に抵抗されて粘られてしまっている。
情報端末を手にした同じ攻撃部隊指揮をまかせれているボアと呼ばれている恰幅のいい同僚が、体を揺らして近づいてくる。
「目標の将軍の弟夫婦と両親は抑えた、そっちは?」
「まだです。警護の何人かと、屋敷の一室に閉じこもったまま」
「――逃げているのは、息子だったか?」
「長男と末弟の2人。娘達と次男は抑えました」
「もうすぐタイムアップだ。ここまでやって、ボスに『できませんでした』とは報告できない」
「……」
ビッグボスの命令は『家人を全員無力化。将軍の家族を時間までに抑える』であった。
必死に抵抗する相手から、数人だけを生かして捕らえるというのは至難の業である。だからこそ、もはや手段を選ぶべきではないのではないか?
ウォンバットの同僚は、息子達の身柄を諦めることを考えろといっているのだ。
「――最後に一度、やってみたいと思います」
「どうする?部下に突入させるのか?」
「いえ。自分が行きます」
そういって歩き出す彼女の背中に、同僚の不満げな声がかけられる。
「ウォンバット、俺達は指揮官だ。お前ができることを、部下にさせられませんではしょうがないんだぞ!」
(それでも――私も兵士。ビッグボスの、ダイアモンド・ドッグズの、戦場があるならそこを選ばない)
情報端末にむかい「時間がない、私が出る」そう告げると、ウォンバットは己の頭部に黒いマスクを装着した。
それもやはり、不可思議に色を変えて――。
ボアとウォンバットの動きが止まった。銃声がしたのだ、短く。
あわててマスクを脱ぐと、ウォンバットは通信機を再び手にした。
「連絡。今、撃ったのは誰?」
『――』
「こちらボアだ。今の、俺のチームか?どっちだ?誰が撃った?確認を急げ」
2人は顔を見合わせる。まさか、この期に及んでさらにトラブルなのか?
「ウォンバット、行け!」
なにかあるとするなら、例の息子達以外にないだろう。
ここまで来て失敗は許されない。ボアは鋭く、バートナーに声をかけるが、その時。無線に反応があった。
『――こちら』
「誰?報告しなさい、なにがあったの?」
『その、目標を無傷で確保しました。無力化して、戻ります』
「……わかった、急ぎなさい」
なにか、なにかがあったのは間違いない。
だが、それを無線ではいえない理由があるのか?とにかく目標の確保はされたという、それは喜ぶべきだろう。
「ウォンバット、俺達も戻ろう。あいつらはすぐに来る。ボスの連絡がまでに、報告を聞きたい」
「――デスネ」
スカルスーツで久しぶりに暴れる機会を失ったという不満が、なぜか彼女の中にわいてきて。
おかげで受け答えも微妙な感じに返してしまった。
恐ろしいハン将軍の屋敷は、巨大な箱庭となって。そこかしこの物陰には死体が転がされていた。
家人はその理由を問わずに全員が射殺された。
そんな非道を行う、危険な襲撃者である男達に。将軍の一家は囲まれ、拘束されている。
そこに最後の息子達をつれて来たチームの兵士が、ボアとウォンバット相手に簡単な報告をしていた。
「どういうことだ?」
最初の報告を聞いて、まず最初に口を開いたのはボアで。ウォンバットも口にはしなかったが、同じ疑問を持っていた。
彼の言葉は、あまりにもつじつまの合わない。異常な現象を伝えてきたのだ。
「負傷した警護1名、そして息子達と、無傷の警護の4人が部屋に立てこもる構えを見せました。
警護は実際に優秀な奴で、こちらが手を出しあぐねている間に。それを成し遂げたのです」
「それは聞いている。それで、なにがあったと?」
「――正直に言います。何が起きたのか、確実なことは自分にもわかりません。だから、おきた事を。見たことだけを報告します」
「わかったわ」
「突然のことでした。窓の外からなにかが”空を飛んできて”、そのまま室内へと、突入したようなのです。
なぜ、こんな言い方しかできないかといいますと。侵入者を、誰も目にしていないからです。上の階で、窓から侵入しようと準備していた奴らが言うには。最初、砲撃されたのかと思ったと」
「それから?」
「中では何かが起こっていました。確かに、なにかそこには”居た”のです。
電気が――爆ぜる音、というのでしょうか。それがあって、すぐに何か騒ぎがありました」
「……」
まったく理解ができない。
だいたい砲撃音など、同じ建物の中に居た自分たちには”まったく聞こえなかった”というのに。彼らはそれが、先ほどあったのだと本気で思っているようだった。
「危険でしたが、慌てて中へと突入しました。バリケードが邪魔で、中に入るまで少しかかったのです」
「どうなったの?」
「終わってました、なにもかも。坊主のほうはおびえきっていて、兄貴のほうは目を回していた。警護も、そうでした」
「本当に、我々の味方ではないのか?」
ボアが信じられないという顔でそれを口にすると、部下は奇妙な表情を浮かべた。
「私見ですが。仮説のようなものはあります、それでもよろしいですか?」
「言ってみなさい」
「……中に入って、すぐに気がつきました。警護と息子は、CQCで無力化されたと思われます」
「――『自分はビッグボスのCQCを学んだ』と、そんなビジネストークをする奴は、この業界ならゴマンといるわ」
「自分は隊長ほどではありませんが、ボスから学んだ事です。間違いないと思います。それと――」
「他にも?」
聞くと、今度は困惑するように。部下は眉をひそめている。
なんだ?
「あの、お聞きしたいのです。この作戦、ビッグボスはここにはこられないという話だったと」
「そうよ。今頃、ボスはこの国を出るために空にあがっているはず。将軍との会談場所から、ここまでは離れすぎている。何百キロ離れていると思っているの」
「それは、本当のことなのでしょうか?」
「おいおい、どういうことだ?俺もお前たちの隊長と同じ事を聞いている。嘘じゃない、ボスはここにいない」
「――それならば、我々の困惑も。正しいということになります」
「?」
「バリケードを崩して、最初に突入した男が言ったのです。
自分たちが突入する直前、そこには一人。確かに誰かが……兵士が立っていた」
「っ!?」
「ダイアモンド・ドッグズではないと。見たことのないバトルスーツ姿で、兵士が突入してくるのを確認してステルスになったと」
「ステルス迷彩か?実用化はまだされていないと。うちだけの技術かと思ったが」
「うちのじゃないです。これまでにない消え方だったと」
「顔は?」
「一瞬だけ――俺達のボスと、そっくりの眼帯と横顔だった気がする。そう口にしています」
3人はそこで押し黙ってしまった。
ウォンバットは、情報端末を取り出してきて作戦の進捗状況を確認してみた。
そこに司令部から送られてくるリアルタイムの情報が、ビッグボスが今。ちょうど空の人になったところだと、知らせていた。つまりビッグボスは――2人いる?
「やめよう」
ボアが最初に降参の声をあげた。
「後の処理はしたんだな?」
「はい、確実に」
「ならば、それで満足しよう。もちろん、ボスにはこのことは報告するが――今は、次の行動に移るときだ」
「確かにその通り。ボスの”お喋りの時間”が迫ってます。これを遅らせるわけにはいかない」
答えは見つからないが、彼等の作戦はいまだに進行中なのだ。
とにかく”目の前のトラブル”が、どんな理由にせよ解決しているなら。それをあきらめる理由にはできない。
歩きながら、ふとウォンバットは思い出したことがあった。
あの年、寄生虫騒ぎに揺れるマザーベースにもたらされた吉報。XOFに拘束された諜報班の生き残りは、彼等の手から逃れてからしばらく。サバンナでは別の武装組織に囚われ、生死の境をさまよっていた。
だが、そんな彼を救い出した何者たちがあの時も居た。
まるで、ビッグボスの当時の状況を知って。それを助けようとする、守護天使のように。
突如姿を現すと、わずかなことだけ助けるが。次の瞬間には、消えてしまう。
自分たちのビッグボスを、守る存在。
その守護天子の顔も、やはり同じビッグボスの顔を持つということなのだろうか?
続きは明日。