1991年、2月22日。
多国籍軍によるイラクへの恒常的な空爆が開始されてから約1ヶ月。
世界の目は、あくまでも米国がこの戦いにどう決着をつけるのか、に注目していて。その肝心の米国もまた、最後の詰めをいかにして効果的に見せようと準備に入っているころ。
世界の視線は、ビッグボスと彼の率いるダイアモンド・ドッグズから離れていた。
そしてビッグボス――ファントムであるヴェノム・スネークはアフリカから姿を消していた。これは彼にしても、チャンスだったのだ。
毒蛇はイタリアにいた。
大きな体を隠す黒のスーツにコート。
光の加減でワインレッドにも見えるネクタイは禍々しく。頭部に生えた鉄の角を隠すためにわざと奇妙なかぶり方をしてみせる帽子。
これに加え、独特の静寂と雰囲気を漂わせるものだから。まるで街に紛れ込んできた死神のようにしか見えない。
人々は流れに逆らうようにすれ違う時、ようやくこの男の顔がひどく傷ついているということに気がつく。
(場違いだな、俺はここでも)
ヴェノムは周囲を確かめるのをやめると――追跡する存在は感じられなかった――再び歩き出した。
もう1時間、目的地を中心に円を描くように歩き回っていた。狩りをする獣のように。
だが、もうその必要はないようだ。
WWⅡの後、長く続いた冷戦はこのヨーロッパでも歪みを生み出していた。
だが、それはもはや過去のことである。
2つの大国が冷戦という公式の維持が不可能と認めたとき、彼らはついに解放された。いや、解放の道へと歩き出したのだ。
ヨーロッパはその苦い思い出から、新たな世界での自分達の立ち居地を模索している。
遠くイラクで起きている出来事にも注意深く見守っている。米国は再び新たな秩序となる公式をこの戦争で導き出し、地図の上に線を引くことができるのだろうかと。
それゆえ、ここら辺は今。安全地帯となっている。毒蛇が大胆に動くなら、このタイミングしかなかった。
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まどろんでいた、もうしばらくずっとそうだった。
――自分をだまし続けるのは難しいわ
――偽りの自分が知らぬ間にあなた自身を蝕んでいる
――演じているつもりが、あなた自身になっている
それはもう遠い記憶のものであるはずなのに、振り返るといつもその輝きはギラギラとしていて、それだけで愛おしく感じられるようになる。
時間は非情だ、若さが失われれば自然と美しさも奪われてしまう。そう思っていた。
だからいつだって恋をする。
そうすることで新しい名前を名乗り、新しい自分になって、生きていける。
あの世界にはもう戻れない。
そんな彼女の元に従業員の男が近づいてきて耳元でささやいた。「マダム、あなたに挨拶したいと――」どうやら、誰かが自分に会いに来てくれたらしい。
店先に出て行く中、一歩一歩進むたびに次第に胸が高鳴るのを感じる。
そこには恐ろしげな死神が立っていた。
その顔には見覚えがあった。
――スネーク?蛇ね。私はイブ……誘惑してみる?
懐かしい、なにもかもが。
近づいていくと、”いつものように”笑みを浮かべて話しかけた。
「久しぶり、”スネーク”」
「――エヴァ、会えてよかった」
彼はためらないながらも、こちらに合わせようと帽子のつばに手をやっていた。
彼ではない、それは見たときからわかっていたことだった。本当の彼はとうに自分の元から……”再び”飛び出していってしまった。
彼は戻らない、彼はすべて覚悟を決めて動いている。
自分は彼とは一緒に行くことを許されなかった、女。
「名前、ちゃんと覚えていてくれたのね」
「――あんたは”あの人”の思い人なんだろ?なら、ちゃんと……」
浮かべた笑みに、苦いものが混ざる。
どうやらこの彼は、やはりあの男の血と同じものが流れているらしい。女について、なにもわかっていない。
ビッグボスに、愛された女は自分ではなかった。
「あなたも女の扱いは得意ではないようね」
「こんな傷だらけの顔ではな。あまりモテた記憶はない」
「嘘おっしゃい、どうせ言い寄ってくる女達の心をズタズタにして、そこらに捨てていたんでしょ」
「……どうかな」
「そうよ、あなたのような男はそういうことをする。私はそれをよく知ってるの」
そう口にすると「ここを出ましょう」といって、自分のコートとバッグに手を伸ばした。
気がつかなかったが、いつの間にか活気が湧き出してきて。キビキビと自分が動いていることに気がついた。
自分のことだが、時々あきれることもある。
なんて現金な女なのだろう、と。
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ナポリ湾に面し、あのポンペイが近くにあるこの町は。この国でも7本指に入る、美しいビーチで知られている。
2月という肌寒い時でも、人はそれなりに多い。
エヴァと2人で彼女の運転する車で大通りを進むと、雰囲気ある建物の前で停車する。そこはホテルらしく、ロビーでいたずらするように「ここ、スイートも空いてるって」などと挑発されたが、ヴェノムはあっさりと「泊まるつもりはない」と口にするので、一階にあるレストランへと入っていく。
そこはまだ準備中らしく、机の上に椅子がおかれていたのだが。
一番奥の席だけは、支度がすでに整えられていた。そこに2人、席に着く。
「大丈夫よ」
「――なに?」
「ここは私の物だけど。別に普通のホテル。従業員だって地元の子を使ってるだけ、怪しい奴はいないわ」
素早く確認しようとするスネークの視線を察し、エヴァはその必要がないことを伝えた。
「気が抜けなくてな。癖みたいなものだ」
「わかるわよ。実は私もそうなの――気になる動きをされると、目が離せなくなるから嫌になるの。職業病ってやつなのかもしれないわね。おかしいと思うと、危険に思えて近づかせたくなくなる」
「――なるほど」
笑って視線を落とすスネークに隙を見たのだろう。
いきなりエヴァの指が伸びてくると、毒蛇のあご先にわずかに触れた。
「これがファントム、もう一人のあの人なのね」
「――ああ」
「本当にそっくり。私、惜しいことをしちゃった」
「?」
「あなたも運がなかったわよね。こんなにイイ男なら、山猫なんかじゃなく。私があなたのところで力を貸してあげたのに」
「……」
「本当に惜しいわ、きっと楽しかったでしょうね。お互いに”色々”と」
「オセロットは海千山千の傭兵たちの面倒を見てくれてた。それをアンタが?奴のかわりに?」
「あら、それくらいなら私にだって出来るわよ。あいつが”本人”から学んだことよりも多くを、手取り足とりね」
エヴァのことを毒蛇も面白い女性だと段々わかってきた。
言葉が次から次へと、ポンポン飛び出してくるが。それがとても気持ちが良い。
「そういえば、まだ礼を言っていなかった」
「ん?」
「先日の件の警告だ。アンタの情報は役に立った。本当に助かったよ、ありがとう」
「――いいのよ、私に頭を下げる必要なんてないわ」
なぜかとても不愉快そうにそういうと、グラスが運ばれてきてそこにワインが注がれていく。
毒蛇は今の話題を変えないと、まずい気がしてきた。
「さっきの店も、それにこのホテルも。アンタのか?」
「ええ」
「凄いもんだ」
「そうでもないわ。半分は隠退生活のために必要にかられてやってるのよ。人が多い場所が好きだから」
「なるほど」
「ねぇ、帽子」
「え?」
「その帽子よ、段々気になってきちゃったじゃない。なんで脱がないの?」
「――とらないと駄目か?」
どうも調子が狂う。
彼女とは一度しか会ったことはないはずなのに、むこうはなぜかこちらの扱いを理解している風だった。
抵抗は無駄らしく、しかたなく毒蛇は帽子を取る。
帽子の下からあの鉄の角が、姿をあらわす。
エヴァは再び目にするそれを目を細めるだけで、やはり驚かなかった。
「奥はざわつくかもしれないけれど、安心して。あなたの面倒になることは起きないから」
「そうでないと困る。どうやら、この首には懸賞金が掛かっているらしいんでね」
「怖いの?有名人が」
「いや、だからといって平和な街を戦場にする趣味はない」
「騒がしいものね、ビッグボスって男は――」
そう言ってエヴァはグラスに手を伸ばすが、結局それを口元まで持っていくことはなく。次の疑問を口にしていた。
「アジアでのトラブル、ひとつ聞いても?」
「なんだ?」
「なぜ、ああなったの?あなたはもっと楽に問題に背を向けることもできたはず。あんなに暴れて、悪名をわざわざ高めるようなこと。する必要はどこにもなかったはず」
「――そうかな」
「そうよ。あなたはさっさと目に付くものをいただいて、さっさと立ち去ればよかった。あんな恐ろしげな悪名をふりまかなくても、十分だったはず」
「かもしれん」
「嘘、足りなかったと本当は思っている。私にはそれがわかっている」
「やりにくいな、この会話は」
「さ、答えて。将軍一家を”あなたが”攻撃する必要はなかった。そうしたのは、なぜ?」
「……それが、ビッグボス(俺)の意思だから。これしか答えられない」
「そう――そういうものなのかもね。だとするなら、彼女のしたことにはがっかりしたんでしょう?」
「――ああ、残念だ」
ここでいう彼女とは、ハン・チェー将軍の妻のことである。
一人で現場に放り出された彼女は、その後。警察の捜査が入ると複数の殺人容疑がかけられた。
だが、将軍の妻は結局。自分が無罪であることを法廷で主張する前に、自分の人生に決着をつけてしまった。薬のオーバードーズ、それで苦しむことなくあっさりと逝ってしまった。
ヴェノムは彼女が約束を果たすことを期待していたのに、その本人は戦うことなく子供達を置いていってしまった。
ダイアモンド・ドッグズの中に残された彼らは行き場をなくし。祖国にも戻ることができなくなった。国を捨てるしかなくなった。名前も捨てるしかなくなった。
彼らは今、現実に選択肢を奪われ。この敵であるはずのビッグボスの仲間になろうと、毎日必死になって生きている。
過去からは開放されたが、そのせいで自分の証であるものもすべて失ってしまった。
ここまでの仕打ちになる可能性は理解していたが、その可能性の薄さから目を背けていた自分がいた。
「気にしているの?」
「――おかしな話だがな。そうだ、こうなる可能性は低いと考えていた。母親ってのは、もっとこう――」
「なめてたってわけね。もう忘れちゃいなさいよ。
弱い女って、ああいうものよ。やりたくないことはできない、そうやって意地を張るの。不幸に酔って、簡単に毒酒だってあおるの」
「ああ」
「あなたが気にすることはないわ。馬鹿なことはしているとは思うけど。戦うのが嫌で、あなたの言葉を信じるのが嫌で。勝手に全部投げちゃっただけ」
「……」
「暗い話だったわね。話題を変えましょう」
「それがいい」
ヴェノムはようやく、目の前のグラスに手を伸ばす気になれた。
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訓練場では、新兵達が一列の横に並んで立っている。
「始め!」
ワームの声と同時に彼らの手に握られた拳銃が火を噴いた。
彼らはビッグボスの仲間と”なれる”かもしれないと判断された若者達だ。厳しいテストをクリアし、この最初の”授業”が始まっても、どこか気持ちが浮ついているのも仕方がないのかもしれない。
そしてワームの役目とはそんな彼らの頭に冷たい水をたっぷりとかけてやることにある。
「やめ!やめっ!」
一人当たり20発ほど消費したのを感じて、頃合だとウンザリする教官の演技をさっそく開始する。
「お前!」
「?」
「そう、お前だ。お前の銃、見せてみろ」
ワームは複数のホルスターをさげている兵士にそう声をかける。
言われたほうの兵士は、おずおずと”2丁のピストル”を教官であるワームに差し出してきた。
「ふむ、2丁拳銃か。西部が好きなのか?」
「違います。その――カンフー映画で」
「カンフー?」
そうだった。
ブルース・リー、ジャッキー・チェンとスターを輩出する香港映画は。
ここ数年、チョウ・ユンファが主演の暗黒街のストーリーで大ヒットとなり。その独特の世界は、アクション映画ファンたちを熱狂させているという。
彼の代名詞、それは自動拳銃を2丁構えて。走り回ったり、転がったりしながら撃ちまくるというスタイルだ。
もちろんそんなものは実践では役に立たない。
「いいか、一度しか言わない。映画の世界は、ここに持ち込んでくるな!2丁拳銃も、リボルバーも許さん」
そう口にしながら弾倉を抜き、装てんされた弾丸もはじき出すと。一丁を自身のベルトに挟んだ。
「お前が使っているのはコルトガバメント。アメリカが誇る、自動拳銃の歴史に燦然と輝く最高傑作だ」
言いながら。やはりもう一丁も弾丸を次々と抜いていく。
「天才とよばれた銃工、ブローニングが生み出したこれは半世紀近くアメリカ軍でも採用された確かな実力を秘めた銃だ。それは今も変わらない。だが――」
そういうと空になったそれを頭の上に掲げる。
「こいつはノーマル品だ。まるでさっき店先で買い求めたみたいに、なにもされていない。これでは駄目だ。
知識がないなら、恥ずかしがらずにうちの開発班に助けを求めろと、ミーティングでも言ったはずだ」
そういうと、片方の銃だけ相手に返す。
「正しい戦技だけを学べばいいわけじゃない。自分の使う道具も、知識がなければ困るのは自分だ。お前はこれが終わったらすぐにやるべきことをしろ。なにもしないまま、俺の次の授業に出ようというなら。お前はここに必要のない男だ、出て行っていいぞ」
そう言い聞かせると、自由射撃の用意をするよう口にする。
手にした銃でこれから100発連続して撃ち続けてもらうのだ。使う武器は、こうやって慣れていくようにしないといけない。
続きは明日。