真実とは神罰、毒の味がする   作:八堀 ユキ

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湾岸戦争 (2)

「妙な噂を耳にしたわ」

 

 エヴァはそういうと、グラスのワインを一気に飲み干し。遠くに控える店員に瓶を持って来いとジェスチャーする。

 

「噂?」

「そう、それ」

「なぜそれを、俺に?」

「あなたのダイアモンド・ドッグズだっけ?それについての噂だからよ」

「……」

「”ビッグボスは戦場ではなく、ビジネスに敗れた”そんな話が聞こえてきているわ」

「ふむ」

「なによ、それ。とぼけないで答えなさいな」

「半分だけ正しい」

「半分だけ?」

「ああ。残りは、つまり――」

「嘘、なるほどね。そういうこと」

 

 あまり嬉しくない話題になっている。

 毒蛇は静かに話題を変えようと、体をモゾモゾと動かしながら。そっと本題を切り出してみた。

 

「今日、会いに来たのには理由がある」

「――でしょうね」

「アンタに、どうしても引き受けてほしいことがある。それで、いきなりだったが頼みにきた」

「続けて」

「俺たちのダイアモンド・ドッグズは非公開で非営利の活動を行っている。戦場に立つ子供達――少年兵を回収して、日常へと戻す活動だ。聞いたことはあるか?」

「いいえ、興味もないわね」

「――実はこれまではイギリスにその母体となる団体を置いていたんだが、色々あってそいつを別の国に移すことにした。同時に、この団体。つまりNGOもダイアモンド・ドッグズから切り離そうと考えててな」

「へぇ」

「それをアンタに引き受けてほしい――駄目だろうか?こんなことを頼むのは」

「……そうね」

 

 エヴァはしばらく無言になるが。

 上目遣いにじっと毒蛇の顔を見つめてきた。背筋がぞくりと冷たくなる、そういう視線だった。

 

「金銭面での問題はない。組織を変えようともしない限り、今のままなら何の問題もなく続けられる。だから――」

「お金じゃないわ。なんでそんなに私を信用するの?」

「おかしいかい?」

「ええ。はっきり言えばそうね。気に入らない、そう思えるくらいに」

 

 自分をなぜ信じる?

 そういわれたら答えないわけにはいかないが。だが、できれば答えたくはなかった。

 どう考えても正気のものではない。少なくとも、そういわれても仕方ないくらいには、説得力のない理由があった。

 

「1964年、スネークイーター作戦」

「ええ」

「俺は――ある事情から、俺はそれを調べたことがあった」

 

 失われた穴だらけの過去、それを取り戻そうなどと。必死にもがいていた過去の出来事だ。

 

「困難な任務を、ビッグボスは現地で中国のスパイと協力して成功させた」

「……」

「記録にその相手の情報はほとんど残されていなかった。女性というだけで名前も、ビッグボスとの会話も、ほとんど聞き取れないように潰されていた」

「そうなの」

「俺は――アンタと知り合いじゃあない。アンタのことは何も知らん。だが、そうじゃないとわかった」

「なによ、それ」

 

 エヴァは笑う。

 ヴェノムは構わずに口を開いた。

 

「この相手とはアンタなんだろう?あの日、いきなりあらわれたアンタのイメージが。なぜかここでの彼女と重なっているように思える」

「気のせいでは?」

「俺の勝手な思い込み、確かにそうかもしれん。

 だが、今は確信に近いものがある。こいつは適当な誰かに渡せるものじゃあない。きちんと任せられる人物に渡したい。そして、アンタならきっとそれにふさわしい相手だと、俺は思っている」

 

 今度は声が出なかった。

 ただ、目の前にいる男に言葉を失うほどにあきれた風の女性だけがいた。だが、彼女は男の出した答えには否定しなかった。

 

 

==========

 

 

 生徒を引き受けるのはなにもワームだけの仕事ではない。

 ウォンバットもまた同じように教官の勤めを果たしている。ただし、彼女が教えるのはダイアモンド・ドッグズの兵士ではない。

 

 訓練場に並ぶその顔は、まだまだ幼さの残った若者たち。

 11歳から15歳くらいまでの少年と少女たちが、厳しい表情で訓練場を走り続けている。

 すでに4時間を過ぎ、体力とともに気力も尽きかけているようなのがちらほら見られ。それが兵士の体ができていない、それを使うだけのスタミナがないことを証明していた。

 

 この2点の問題がある限り、ここで彼らが武器を手にすることはない。

 彼らは戦闘知識を使いこなせるほどに成長したとわかるまでは、ここで自分を主張することは許されない。

 

「まだ残り2時間ある!辞めたい奴は私の前に来なさい。私は喜んで、そいつをあのフカフカのベットに放り込んでやる。そうなったらもう、今日は走らなくてもいい。

 どう!?悪くないでしょ?

 ダイアモンド・ドッグズは一流の傭兵しか雇わない。だけどあんた達は兵士ですらない。ただ、戦場で生き残っただけの弱い子供よ。ほら、現実が見えてきたんじゃない?さっさと足を止めて、もうやめると誰が一番に私に言いに来る!?」

 

 ヴェノムは悩んだが、一度でも武器を手にした子供達は、それを手放すことはできないのが圧倒的に多かった。

 そのうちの半分は、こんな場所にいられるかと大人たちの目を盗み。この深い森の中へと飛び出していって、そこで生き残ることができずに大半は死んだくれたが。

 それ以外はダイアモンド・ドッグズへと加わることを望み。何もない自分達に戦う知識を与えてほしいと希望した。

 

 だが、そんな彼らがビッグボスの兵士となるには。あまりにも高いハードルが数多く置かれている。

 そして子供だからと、そのハードルが特別扱いで低く設定されるものではない。入ってくる新人たちができることを彼らができるまで、これが毎日続く。

 何時間も走り、何時間でも泳ぎ、何時間でも互いに怒鳴りあわされる。

 いつの日か、訓練後に呼び止められ「合格だ。ビッグボスと契約書の話が待っている」そう言われる日まで。

 

「いないの?もう、諦めていいのよ。何年この生活をしている?

 諦めても構わないわ。今日は休んでも、構わない。大人は誰も、あんた達を責めたりしない。むしろ喜ぶわ!

 私も言ってあげる。『おめでとう。君は休んで、楽をしていいぜ』って。どう?その気になった?」

 

 ウォンバットはわざと走ってくる彼らの前に立ちふさがろうとし、その顔を覗き込んで叫び続けている。

 彼らはそんなウォンバットの目を見ようとしないで、視線をはずしていく。新人たちはこれを使命と信じ、なにかあるのではないかと怪しんでそれを真似ているが。彼女の言葉通り、これを続けている者達はその意味を理解して、それをする。

 

 兵士になれない子供達をプレッシャーで潰そうとしている。

 

 ここでは上にあがるよりも潰れていった子供達がほとんどだ。

 このプログラムに参加する時点から、大人たちは自分たちを子ども扱いしない。それは最初にさせられる約束であった。だから甘えは許さない、優しさはない。すべてが自己責任とされる。

 

「ビッグボスの兵士になりたいなら、3つ。自前で用意してもらう。

 心、技、そして体よ。

 ここでいう技とは技術。戦場での知識、でもこれは部隊に入ってからでも十分に学べる。学ぶという意思さえあれば、周りに見劣りするなんてことにはならない。

 体は、私が要求することを”普通”にこなせるようになれば。その時、すでにそれは完成している。つまりここから出て行くことができる。

 

 だが、心は違う!

 それは誰もが持っているものでも、教えることのできない自分だけのものよ。それがないなら当然、お前たちがいましていることも全部無駄になる。強い心を持つ人間は、困ったことに多くないの。自分では違うと思っていても、考えていても。

 

 ないものは、ない!!」

 

 ダイアモンド・ドッグズと接触した瞬間から、少年兵は自身を戦場から離れて生活していかなくてはならない。

 何かの事情で再び戦場にたつとなれば、その情報はたちまちビッグボスの元へと流れて伝わる。ファントムとはいえ、ビッグボスの勇名はこの数年でますます高いものとなり。戦場の情報は自分から求めなくとも、あちこちから勝手に集まってきてしまっている。

 

 知らない間にビッグボスが戦場を見渡している。

 

 この監視から逃れることができた少年兵は、いまのところ一人もいない。

 『ダイアモンド・ドッグズに回収された元少年兵』という過去は、戦場に戻ってきた瞬間に近い将来での自分への死刑執行にサインしたことと同義となるのだ。

 

 ウォンバットは脅すように、ヒステリックに今度は走ってくる少年少女たちを突き飛ばし始める。

 

「私たちがお前たちの隠している本性を必ず暴いてやる。

 ばれないと思っているの!?フザケルンじゃないよっ。

 

 こっちはあんたたちの顔を見て、ちゃんと最後までやってるのか見続けているからね!

 ガッツがある?やる気がある?戦士になりたい?冗談、笑わせるつもり!?

 

 銃さえ持ってなけりゃ、あんた達はただのヒヨっ子じゃないの。銃があれば戦士になれる?200ドルの銃と、80セントの弾丸をどうやって手に入れるの?こそ泥でもする?悪いけど、真の戦士は泥棒なんてしなくても自分の使う道具くらいは普通に買えるのよ!」

 

 この日、7時間のランニングでは新人を含めて5人がウォンバットに歯向かい、逆に殴り倒されて退場していった。

 そのうちの2人は、口論の際に「こんなばかげたこと」「やっても無駄だ」と叫んだことが確認され。プログラムからの脱落が決定された。

 翌日には彼らの席は消えている。ビッグボスの兵士になるという夢は、こうして断たれるのだ。

 

 

 

 ウォンバットが腕を組む前をとおり、ゴールした少年と少女達が地面にひっくり返っている。

 その中には、あの将軍の子供の一人が――ここに来た時、もっとも弱っていた次女も入っていた。

 

 母親の死を待たずして、将軍の子供達も崩壊していた。

 長男が消えたのは回収されてわずか4ヵ月後のことだった。

 どこで知り合ったのか、ほかの回収された少年兵達と組んでジャングルに消えた。弟や妹を見捨てて一人で逃げたのだ。

 

 てっきりそこで死んだと思っていたが、1年後。アンゴラの闇社会でおきた暴力事件に巻き込まれた死体の中に、彼がいた。

 ダイアモンド・ドッグズと闇社会を恐れて祖国に戻れず、地元でなにやらやっていたようだが。後ろ盾のないハイリスクな活動の結果、運が尽きたようだ。

 

 次に脱落したのは姉だった。

 彼女は兵士の一人に近づいて関係を持った。

 「自分と兄弟を連れて逃げてほしい」などと言っていた様だが、当然だがそのことはすぐにビッグボスの耳に入った。

 

 彼が口にしたのは一言だけ「お前の願いをかなえてやる」。

 ビッグボスの行動は素早く、言い訳の一切を許さなかった。

 兵士と、その男との間にできた子を身ごもった彼女をアフリカから追い出した。そのかわりに彼女の名前を奪って。「もし、噂でも元の名前を口にすれば。必ず会いに行く」そう言って放り出したのである。

 

 その後も追跡調査は続いているらしく。

 最新の情報では、夫を戦場で失い。仕方なく娼婦となって一人でなんとか子供を育てているらしい。

 

 

 そんな有様となった兄姉を見たからだろうか。

 残された兄弟達は、まるで人がかわったように兵士になろうと必死になっている。

 

「さぁ!いつまでも寝ていないで、起きるの。

 シャワーを浴びて、食事。寝るのはそれからにしたほうがいいわよ。食事を抜けば、それだけ体が削られる。明日の訓練時間を、たっぷりの睡眠時間にあてたくないなら。この忠告に従いなさい」

 

 気力が残っているものから動き出す子供達からウォンバットは視線をそらす。

 こうしている間も、次々にまだ走っていた連中はゴールしていた。そしてその中に、彼女がいる。

 

「ウルフ!」

「!?」

「こっちへ」

 

 続けてウォンバットは、移動する子供達を離れて見守る兵士達の中から2名を呼び出した。

 

「なんでしょうか?」

「2人、残ってほしいの」

「わかりました」

「悪いけど、他の子はさっさと移動させて」

「了解」

 

 兵士にそう告げると、改めてウルフと呼んだ少女を見る。

 

 目鼻顔立ちが整った美しい13歳の少女だった。

 細い肩と小さめな体、それに反して肉のついている胸と尻を見て興奮しない男はいない。この美しさはあと数年でもっと輝くものとなるだろうし、そのときを思って馬鹿な男達は「今年中におとせないかね」などと話しているのも知っている。 

 

 だが、この娘は――。

 

「何です?」

「ん、ちょっと待って」

 

 そう言うと、ウォンバットは兵士2名と自分たち以外、ここから消えるまで黙っていた。

 だがそれを確認すると、いきなり行動する。

 片方の兵士から無言でライフルを取り上げ、素早く弾倉と弾丸を抜き。空っぽになった銃をウルフに向かって放り投げた

 

「――っ!?」

「構えっ」

 

 ウォンバットの口から放たれる鋭い声に反応してしまい、手にしたライフルを見事に扱ってぶれることなくしっかりと固定して構えて見せた。

 どこからどう見ても、文句のつけようのない姿勢であった。

 

「凄いじゃない、汗まみれのランニングの跡なのに。見事なものよ、ウルフ」

「そっ、それじゃっ!?」

「違うわ。完璧すぎるのよ、あなた」

 

 満面の笑顔で、いきなり低く怖い声を出したウォンバットはライフルを構えたままのウルフを掴むと。銃身と銃座を引くようにしてその中のウルフの背中に回りこんだ。

 あわてて少女は抵抗しようとするが、胸と首元に押し付けられるライフルに邪魔されて拘束されてしまった。

 

「なにをっ」

「――とぼけるのはやめなさい」

「どういうことっ!?」

「目の前の銃よ。ちゃんと見えるでしょ、よく見なさい」

 

 ウォンバットの声は冷たいままだった。

 少女はそれでも声に従わず、逆らおうと続けるがそれを許さずに先に解説を始めた。

 

「見ればわかる。こいつはFALよ。

 全長1.100ミリ。重量はストックを軽量化しても約4キロ。大の大人でも、こいつをちゃんと使いこなせるか難しいわ。

 

 ところであんた、6時間のランニングでヘトヘトのはずだよね?

 それがあんなに見事な構えを見せてくれた。今年採用した新人達でも、そんなこと出来る奴はいない」

 

 まだ暴れようとする少女の胸に、ウォンバットは乱暴にライフルの背を押し付けると。少女の背後から耳元に囁いた。

 

「涼しい顔で、13の小娘に出来る芸当じゃないのよ」

「クッ」

「もういいわ、あんた」

 

 暴れるのをやめようとしないのでウォンバットはライフルを取り上げてウルフの背中を突き飛ばした。

 地面に両手をつく少女が顔を上げると、ウォンバットの背後に立っていた兵士達が銃を抜いて少女の頭部に狙いを定めていた。

 

「興奮して自分を止められないんでしょ?クスリを使ったせいよ」

「……」

「入手経路はすぐに調べるわ。とりあえず、あなたは持っている分を出しなさいな」

「――知らない」

「このっ、この小娘がっ!!」

 

 一瞬、ウォンバットの中に激しい怒りの炎が上がるが。すぐに冷静を取り戻す。

 恐れていたことだった。こうなるんじゃないかと、心のどこかで。

 

 

==========

 

 

 少女は兵士となる知識をすでに多く持ってはいたが、体がそれに答えてくれなかった。

 身長はまだ160センチに満たず、その肩ばかりか体の線から細かった。これからまだまだどうなるかはわかっていないが、とにかく現状ではとてもダイアモンド・ドッグズの兵士にはなれないはずだった。

 

 ところがここ2日ほど彼女の体のキレが冴えていた。

 出来れば成長したのか、と喜んでやりたかったが。疑いのほうがそれを遥かに上回っていた。

 

 たぶん、誰かがどこかでうっかり口にしたのだろうと思う。

 兵士は状況によっては、薬物を使用して戦場に立つことがある。それには注意するべき点や、使い方などに細かな気配りが必要であったが。この少女はあせってそれを知らないまま手を出して結果を求めたのだろう。

 

「あんたは戦士には向かなかったんだよ――」

「私は戦士だっ。女だからってっ」

「言い訳は聞かない。彼女を連れて行って――いつもの処置で」

 

 2人の兵士に挟まれ、ウォンバットをいつまでもにらみ続けたウルフが去っていった。

 ウォンバットは自分がこの事でかなり動揺している自分に、気がついた。自分は知らない間に、あの少女がいつか自分の仲間になる日が来ることを願っていたようだった。そんなことは口に出来ないが、そうなることを願っていた。

 

「――報告しないと」

 

 反対方向に歩き出しながら、そんなことを呟いた。

 あの娘がどうなるか、考えるまでもない。ビッグボスは絶対に許さないだろう。そしてそれを、自分のように動揺するそぶりも見せずに告げるに違いない。

 彼女はビッグボスの兵士にはなれない。別の人生へと進んでいくことになる。

 

 

 思わず振り上げた足で大地を蹴飛ばしたが、怒りは収まらず。ウォンバットの足が悲鳴を上げただけだった。

 

 

=========

 

 

 エヴァはビンに残った最後の液体をグラスに注いだ。

 先ほどまで対面に座っていたヴェノムの姿は、そこにはない。

 そのかわりに、彼らから受け取った分厚いばかりの茶封筒が自分の側の横に置かれている。

 

 ビッグボスは立ち去った……またしても、自分のところから。

 

 自虐的な響きに感じて、自分をわらう。

 馬鹿な女、そんなことを考えることはめったにない自分だけれど。それでも長い人生だ、こういう時もある。

 

 

――この戦争はもうすぐ終わるわ。

 

 エヴァの言葉に、毒蛇は同意すると答えた。

 アメリカは勝利する、それは間違いない。だが、それで得るものが多いかというとそれにはまだ時間が必要だ。

 なので別のことを口にした。

 

――米国は次世代兵士を投入したわ。噂は聞いた?

 

 ビッグボスは「それには興味はない」とだけ短く答えた。

 

 1990年、つまり昨年の話になる。

 アメリカはエネルギー省と厚生省が音頭をとり、30億ドルの予算で遺伝子の完全解明プロジェクトが発足された。

 それは遠く未来の話になるだろうといわれてはいるが、コンピューター技術が昨今驚異の進歩をみせる動きがあり。すでに1年たたずして彼らは”お目当て”となるものを引き当て始めていると噂が流れている。

 

 そこで出た情報を早速、前線に立つ兵士に与えようという動きがあるらしい。

 これがもし、思った以上の結果を出せば。それこそ戦場の未来を一変させるような出来事になるはずだが――。

 

――そう。意外ね

 

 エヴァは続いて、次の噂話について口を開いた。

 

――これも噂だけど

 

 あの男とは違う瞳は、自分を見ても揺るぎもしていない。

 

――あなたのダイアモンド・ドッグズが解散して。あなたはアメリカに帰還するって。どう思う?

 

 毒蛇は何も答えなかった。

 そのかわり、にやりと毒々しい笑顔をみせただけ。

 

 エヴァの話題も尽きてしまった――。

 

 

 知らず知らずに、長居をしてしまったようだ。

 店主が来て、開店の時間だと告げるのを聞いた後。最後の一杯を飲み干してから店を出た。

 

 忌々しいことに託された茶封筒は持ってきてしまった。

 するとこれが、存外に重くてイライラしてくる。

 

「戦場に立つ少年兵を、日常に戻したいんだ」

 

 あの男はそう言った。面倒を見てほしいのだと、ただそれだけなのだと言った。

 他のことはほとんど話さなかった。それだけなんとかなれば、あとはどうでもいいというように。

 まったく、スネークと名のつく男には呪いでもかけられているのだろうか?

 

 エヴァは――かつてはエヴァと名乗った女は、ビッグボスと呼ばれる男の頼みをあっさりと了承してしまった。

 打算も、なんの利益もないというのに。面倒なだけの仕事を、やっぱり引き受けてしまった。

 

 だが、それも仕方ないだろう。

「頼むよ、エヴァ」とスネークに言われれば。思えば自分は一度として拒否できたためしのない。

 自分はずっとそんな女だったのだから。




続きは明日。

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