再会はあまり感動的なものでもなかった。
昏睡して眠っていた自分も随分と見た目は変わってしまったが、カズもその点では変わりないようだった。目、腕、足と失ったものがそこかしこにある。
そんな男を担ぐと、自虐的に「自分は少し軽くなった」と嗤っていた。
集落には容赦なく強引に侵入したため、死人を多く作ってしまったが。それが”荷物”を背負った帰りには役に立った。
人が死んでる、侵入者だと騒がしいのを背後にさっさとその場から離脱する。
そのまま担いでいても良かったが、そうしているとカズが延々と話しかけてこようとするのが邪魔だったので。馬を呼び出し、その背にのせると手綱を引いて駆け足になる。
合流地点までは約40分、ゆっくりでも十分に間に合うはずだった。
予想は常に外れるものなのかもしれない。
終わりと思われたこの一晩の伝説の復活劇は、しかしここから意外な展開を迎えた。
『エイハブ!こちらピークォド、合流地点に着陸できない!』
午前9時を過ぎようというのに、にわかに出てきた不気味な霧が辺り一面を灰色に染め上げると、太陽の方角すら見えなくなった。
続いて合流地点直上まで来たヘリは、思うようにそれ以上の高度を下げることはできず。
いきなりのトラブルに緊張した声で現状を報告してきた。
『ガスが急速に増大中、やはり降下できません。一旦、ここから退避します』
どうやらこの場に踏みとどまることも出来ないらしい。そう言い捨てると慌てたように飛び去っていこうとする。
「ガス……?」
背に抱え上げたカズが、漏れ聞こえた無線の言葉に反応した。
「――やつらだ!!」
そこにははっきりとした怯えが感じられた。
しかしなにを指していってるのか分からない。それは無線の向こう側のオセロットも同じだった。
『ボス』
「気をつけろ、髑髏が来る!」
『あんたの周囲にだけ、妙な霧が出ている』
「やつらに見つかるな」
『霧が濃くて何も見えん』
カズとオセロットが、耳元で交互に警告を発している。
馬の手綱を引いたまま、ビッグボスは周囲を見回すが、特になにかを感じることはなかった。
『ボス、合流地点は霧の外に変更する』
「……」
『そこへ向かってくれ。ヘリを待機させておく』
情報端末、iDroidを取り出して確認する。
電波は遮られていないらしく、情報は更新されていた。そうなると、やはりこの霧には何かあるのか?
遠く、自分達が通ってきたは死の向こうで何かが動いたような気がした。
すぐさま腰を下ろし、望遠鏡を取り出して覗くが。霧が濃いのでいまいちわからない。
(そうだ)
装備に入っていた熱感知ゴーグル(中古品らしい)を取り出し、そいつを装着してから望遠レンズを覗く。
熱は発していなかったが、そこには人型のオブジェがホラー映画に出てくるゾンビのように体を窮屈にひねらせて立っているのが見えた。
「!?」
見間違いかと思い、再びゴーグルを外してから同じ場所を見てみる。
今度はハッキリと見えた。明らかに、ゆっくりとだが確実にこちらに向かって進んできている。
集落から追跡してきたのだろうか?
いや、そんなはずはない。あそこでは十分にソ連の兵士達が詰めていたし。なによりこんな不気味な霧はあそこではなかった。
では、あれはなんだ?
ふと、気がつくと馬に乗せていたカズが静かになっていることに気がついた。
慌ててその顔を覗き込む。大丈夫、息はある。だが、やはりソ連軍に”可愛がられた”せいで弱っている。出来る限り早く、医者に見せないといけない。
再設定された合流地点への最速はコースは、あの近づいて来ている連中の向こう側にある橋を渡った先にあるのを確認する。
初めてだ、こんな無謀なことを実行しようと考えるとは。
ビッグボスは白馬に跨ると、もう一度だけ情報端末を確認して頭にコースを思い描いた。
そこまで持っていける荷物は、限られている。
ハンドガンと2種の手榴弾、撃ち尽くした空の弾倉、最後に役に立ってくれた中古のゴーグル。それらをまとめて近くの岩陰に放り出す。
続いて、今回はまだ一度も使っていなかったAMライフルの確認をしながら、それに装着されていた消音器を静かに取り外していく。
あの病院で、イシュメールと最後に交わした言葉が思い出す。
――俺が囮になる
彼はそれだけ言うと兵達に向けて手にしたものを投げて注意を引き、果敢に飛び出して見事にその間をくぐりぬけて見せた。状況は違うが、今回は自分が彼となり。カズを連れてここから脱出をしなければ。
『ボス、どうした?』
無線の向こうでオセロットが不安になって問いかけてくる。
きっとこれから自分がやることを聞いたら、彼は絶対に反対するだろう。だから無言で静かに馬を橋の谷底に向けて歩き出させた。
ライフルを脇に挟みつつ、可能な限り静かに。
前方のゆらゆらと動く4つの影へと近づいていく。
80メートル……75……70……60……。
ビッグボスの片目が光る。そこの地形は丁度いい塩梅だったからだ。
谷底に向かう、V字になって鋭く切り立ち。人が2人も並べない場所。そここそが勝機だった。
掛け声も勇ましく、馬の腹に気合をいれて一気に走らせる。
同時に前方から急速に近づく存在に気がついたのだろう。カズが髑髏と呼んだ4人の集団が、その動きを一斉に止めてこちらを向く。
その姿は異様という言葉しかなかった。
死人のように土気色の肌をあらわに、その眼は機械のレンズのように光を中から放ち、いつの間にか全員の手には一丁のライフルが握られている。
『ボス!?逃げろッ』
まさかいくなと警告されている方向に進むと思わなかったのだろう。
オセロットは上ずった声で警告を発するが、ビッグボスは構わずにやつらの中に向かって馬を突っ込ませていく。
当たった?
渓谷の丁度狭くなったところですれ違うので、当然だがそこにいた2人の人影は馬にはじき飛ばされたはずだったが。ぶつかると思った瞬間にあるべき衝撃はなかった。
変わりに不気味に風を切る音がして、谷底から駆け上がる前にビッグボスは背後を振りかえった。
それはまさに悪夢の光景だった。
髑髏と呼んだ4人の男達が走っている。
素晴らしい速さで風を切る馬の後ろに追い付こうと。いや、むしろ追い越さんばかりの勢いでこちらを追ってきているのだ!
『やつらをふりきれ、振りきるんだ!』
次第に並走をはじめた髑髏達にむかってビッグボスは脇に抱えたライフルを向けると、容赦なく銃爪を引いていく。
髑髏達には数発が当たった手ごたえがあり、その結果なのだろう。2人ほど無様にゴロゴロとバランスを崩して転がり始めると、ようやく後方へと見えなくなる。
弾切れだ、急いで弾倉を交換しようとするが。その間にも残った2人は走る馬の前に割り込んできた。
いきなり1人が立ち止まると、仁王立ちになってこちらにライフルの銃口を向けてきた。
(間に合わない!?)
顔が引きつる中、容赦なく飛び出してくる弾丸が、ゆっくりと自分達の方へ向かって飛んでくるのがわかる。ビッグボスは咄嗟に馬にペースアップの指示を出した。
左肩に衝撃、そして激痛が走るが。髑髏はすぐに後方へと姿を消していく。
運が良かった。
どうやら馬上のビッグボスだけを狙ったらしい。その弾丸の数発が左肩に命中したが、馬とカズには鉛弾が当たることはなかったし。自分も馬上から転げ落ちずに済んだ。
だが、やはり痛い。
ようやくにして弾倉の交換を果たすと残る追手の一人に向かって撃ち始めた。
『ボス、霧が晴れるぞ!』
オセロットのその言葉が合図になったかのように、いきなり霧の世界は終わり。一転して今度は晴れわたり、午前中の柔らかな太陽の光に照らされたアフガニスタンの荒野が現れた。
再び後方を確認するが、髑髏達の影はそこにはない。
オセロットが『周囲に敵影なし』と伝えてくる中、前方にある合流地点でこちらの到着を待機しているヘリの姿を確認した。
ふぅ、伝説の傭兵といわれようと。
戦場から生きて帰れれば、やはり溜息のひとつくらいは出る。それが現役への復帰戦となれば、なおさらだった。
ヘリには悪かったが、心臓に悪いレースをやった直後だ。
馬の速度を緩めて、急がずに合流地点に向かう。
「連中……前に俺達を襲った部隊だ」
いつ意識を取り戻したのか。カズはいきなりそう切り出してきた。
「やつらは霧の中で、ものすごい速さで襲ってきた」
それはわかる。
実際、岩場の中を切り裂くように走り抜ける馬に追い付き、追い越していくのをこの目で見た。
「9年前を生き延びた仲間が、たった数分で全滅を……」
何とも言えない無念の思いがそこにあった。
MSF壊滅を生き延びても、ビッグボスと再会がかなわなかった仲間達に苦い思いを持った。
「目的はわからんが。やつら……間違いない」
そこでカズはううっと、うめき声を上げる。
黙らせようと、わざと馬を強めに立ち止まらせると。おりて、そこに乗せていたカズの身体を背に担ぎ、ヘリにむかって歩き出した。
こうして伝説の傭兵の華麗な復活劇は一応の終わりを見せる。
地獄となったアフガンで、かつての腹心をソ連軍より救出。しかし、すでにもう彼等の目線は遠くの方へと嫌でも向けられようとしていた――。
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その場所はアフガニスタンの山岳地帯にあるのだ、と事情を知る者たちの間で噂されていた。恐ろしい骸骨達を従わせた奴等、そいつらの施設――名前をOKBゼロというらしい。
だが、これは色々な意味でおかしい名前である。
本来はOKBとはソ連の研究などの設計局につかわれる略号である。だが、そこに続くナンバーがゼロというのはありえない数字だとわかってもらえるだろうか?
数字の素数とは違う。ゼロとは、なにをしてもゼロであり。だからこそ政府に属する者のナンバーとしては使われることのない数字である”はず”なのである。
だが、そこは確かに存在していた。
その施設の廊下を現場の指揮官の1人が報告書類をもって重い足取りで歩いていた。
彼等の上官は今、最後の面接と新しい任務を授けるために”説得”をしているはずであったが。この報告はそれを邪魔してでも知らせる必要のある、残念な報告であった。
そして実際に彼の上司は、明らかに落胆の色を見せた。
「ついに、と思ったが。またしても生き延びたか、カズヒラ・ミラーは――」
その声はまとわりつくような不快な粘着質の響きがあった。
「スカルズの調整に失敗していた、なんてことはないんだな?」
「はい、”彼”によれば。問題はなかったはずだ、とのことです」
「そうか……ふむ、もっと早くに終わらせておくんだったな。最高のタイミングと思ったが、まったく惜しいことをしてしまった」
スカルズ――あの任務終盤、突如として霧と同時にあらわれた怪人集団。
カズヒラ・ミラーの護衛達を蹂躙し。そしてトドメを刺すかのようにあらわれた彼等はこの男の意志を受けての行動だったのだ。
その男の名前をスカルフェイス、という。
彼は部下であるスカルズと名付けられた不気味な怪人達にも負けない、不気味な姿をしていた。
全身の皮膚をはがされたかのように肌は灰色は変色していて、とくに頭部は髪も顔立ちも失ったせいで名前の通りむきだしの骸骨のような顔をしている。
そんな自分の姿へのせめてもの羞恥心か、残している人間性のあらわれなのか。黒いアイマスクとそこから覗かせた瞳の色だけが、彼がまだ完全なモンスターではない証のようにも思える。
長く彼の下についた者達は、ほとんど全員が不気味で奇怪なこの男に、そんな感想を持っていた。
「まぁ、いい。奴をご苦労にも救出してやろうなどという優しいやつがいると聞いて、たまらずに死んでもらいたいと思ったのだが……どうせまた、いつものように向こうからつまらぬ手を出してくるだろうさ」
「それでは――報告は以上です。失礼します」
「ん――ああ、もう1つ。
この後でハンガーに向かう。非番の兵をそっちに回して並べておいてくれ。大の男が、”オモチャ遊び”をするのはみっともないと、私も優しくあのセンセイにおしえてやらないといけないのでな」
「了解です」
「まったく、”子供”は手がかかる」
部下が立ち去っても、スカルフェイスはその部屋からすぐに立ち去ろうとしなかった。
先ほどの報告がまだ気にいらなかったのか、それともこの後に向かうというハンガーのことでも考えていたのか。
しばらく考え込むが、そんな自分で気がついたというように暗がりにいきなり話しかけた。
「すまない、まだ話の途中だった――。どこまで話したのだったかな?」
そこに誰がいるのか?
今は暗くてわからないが、スカルフェイスにはわかっているらしい。彼はいつものようにいやらしい言い方で話を勝手に進めていく。相手のことなど、演劇の舞台を理解できずに眺めているだけのバカとしか思っていないような、そんな上から目線で話をする。
「君の苦しみ、君の苦悩。それら全てを私は理解している。こんなことは、君が望んだことではなかったんだろう?」
返事を期待しているようで、実はスカルフェイスはそんなことは望んでいなかった。
だからすぐにまた、言葉を吐きだしていく。まるでその行為が、自分を舞台の中央で演じる主役のようだというように。
「だがわかってほしいのだ。我々は君の技術を、君の力を失うわけにはいかなかった。
君は誰よりも優れた戦士だ。兵士”だった”。
最後を迎えるなら、それにふさわしいものであってほしい。
そうだ、君は得難い存在。”女性”でありながら、本当に素晴らしい才能を持っていた。私はそれを失うことなど、耐えられなかった。考えられなかったのだ」
相手の沈黙は続く。
「そして今、君は新しい力と体を得た。それを使いこなして欲しい、なぜなら私からのご褒美だから。
本当だ、嘘じゃない。
君のように、私は誰でも救いの手をのばそうとする男ではない。君にはその価値があり、それをやり通す能力があると思ったから。全てを与えて君をこの世界にとどめたんだ」
自分に感謝しろ、そういわんばかりのおしつけだった。
「不本意だと、そう考えていると聞いた。だが、君は理解するべきだ。
君はまだ戦士だ、そしてまだ戦える任務は残っている……。覚悟が決まったら、私の部屋まで来てほしい。場所はわかっているだろう?
私は用がなければ今はだいたいはそこにいる。
そこで君のためのライフルと、君にしかできない任務を告げるのを待つつもりだ。ああ、その口元の拘束もちゃんと解錠してやる。
時間はある、好きなだけ悩んでもいい。だが、君のために用意した任務があることだけは覚えておいてくれたまえ」
これで彼は言いたいことは全て言ったようだった。
「では、また」そう言うと、舞台の袖にひっこむようにわき目も振らずに部屋を出ていってしまう。
部屋の中に沈黙がおりた。
そのかわりに、暗闇を異様に明るく照らす光がさした。
台座の上に女がいた。
女は一糸まとわぬ全裸で、台座の上に膝を抱えて座っていた。
彼女の口は革ベルトといかがわしいもので塞がれていて、”言葉”を正しく発することはできなくなっていた。その眼は鋭さが残っていたが、以前に比べればはるかに弱々しく。そして何かを失ったかのように暗い輝きをみせている。
彼女は時間の感覚を失っていた。
だからどれほどそこでうずくまっていたのかはわからない。
しかし、彼女の中でなにかの折り合いがついたのか。ついに台座から降りると、傍らに置かれていた彼女のために用意された服に震える指を伸ばした。
あまりにも少ない布地の上下の水着。そう表現するしかないものをしずしずと身につける。
最後に無骨な戦闘用のシューズを吐き終えると、立ちあがった。
彼女への嫌がらせのつもりか、台座の脇には等身大の姿見が置かれている。そこに今の彼女の姿がしっかりと写し出された。
それを見ると、女は唇を噛もうとしてそれがかなわないことを思い出した。
女がその部屋を出るまでには、まだもう少しだけ時間が必要だった。
こんな感じで、しばらくはちょこちょことオリジナルをぶっこんでいくと思います。
また明日。