199×年、インド洋上を航海する船があった。
それは元捕鯨船、その時の名前を「平和丸」といったが。漁師以外の男達の手でもう随分と長いこと運用されている。
白い雲が浮かぶ、真っ青に晴れ渡る心地よい一日であった。
そんな船に無遠慮にも着艦許可を求め、接近してくる一台のヘリがあった。
甲板に人が慌ただしく行き来する中、ヘリはそこに設置された簡易発着場に堂々と着陸して見せる。それを待っていたかのように船内から東側のライフルを揃えた警備兵というには物々しい姿の男達が現れて、発着場を素早く取り囲んで見せた。
くすんだ緑のBDUスーツに、オレンジの防水ジャケット。顔はわからぬようにというのか、バラクラバと呼ばれるマスクを全員が装着していて、そこから覗かせる目は冷たく輝いている。
彼等は息を整え、列を乱さずに発着場に展開するとヘリのコクピットに狙いを定めて銃口を並べた。
張り詰めた緊張感があたりを支配する。
おかしなことをすれば、この男達は容赦なく銃爪を引いてヘリとそれに乗るパイロット達を穴だらけにする。そんな本気がそこにはあった。
だが驚くことに、そんな船側の態度に震えあがるでもないのか。ヘリの操縦席が開くと、すらりとした足が中から延びて船上へと降りて来た。
そこで初めて、並んだ兵士達は困惑に叩き落とされる。
降りてきたのは輝く豪華な金色の髪をした熟年の美女だったからだ。
この長身の女は凛々しい印象を与えるパンツ姿のビジネススーツにヒールのないブーツを履いている。そのたたずまいからは、生粋のビジネスウーマンではないという気がした。
その女からは戦場の血の匂いと凄みが感じられた。
わずかに困惑の表情を浮かべる兵達に対しては、自信に満ちた輝く笑顔を向け。それが偽りのものではないというように恐怖を微塵も感じさせない張りのある声をかけてきた。
そう、自分はメッセージを届けに来ただけなのだと。
ある男にそれを届ければ、役目は終わりだからすぐに出ていくという。
兵の1人は訪問者のその意向を無線で知らせて数分後。
船内から1人の老兵が、しかしこちらもそれは見事なたたずまいをみせる男が現れた。
兵士達はその時、訪問した女がわずかに歓喜の笑顔を浮かべたようにも見えたが。男が女の前に立つころには、あの不敵な笑みに戻って彼等のリーダーが女の方が自分の前に来るのをやっときたかというように迎えていた。
「メッセージがあると聞いた」
「ええ、あなたに」
「誰から?なんのために?」
「それは自分で確かめたら?」
女はなにか、軽いものが入ったものらしい封筒を差し出してきた。男は背後の兵に合図を送ると、兵士は進みでて透明な袋を取り出し。女に封筒をそこに入れるようにと合図をする。
「悪いが、調べさせてもらうぞ」
「いいわよ。テープが一本はいっているだけ、そう聞いてる」
「それが本当だといいが」
「――名前を聞いてはくれないの?」
いきなり会話が飛んで、男は一瞬。この目の前の女が何を言っているのか理解できずに口を閉ざした。
「ああ――何だって?」
「本当にどうしようもない男」
その言い方が妙になれなれしく、男は女の顔を見てどこかであったのかと考えるが。彼女のような美しい女の顔は彼の記憶の中からはすぐに出てこなかった。
「エヴァと呼んで頂戴」
「あ、ああ」
「帰るわ。さようなら、角のはえた伝説の傭兵さん」
女はそう言うと本当に立ち去ってしまった。
だが、その言葉と行動とは反対に。ヘリに乗り込み、飛び立っていくまでの間。輝く金色のまぶしい、嵐のようなその女はずっとこの頭に角を生やした男の顔を見続けていた。
その熱いというにはあまりにも強烈な思いのこもった視線を受け止め、男はエヴァという女の顔を自身の過去の記憶の中から再び掘り返そうとしたが。ついにそれがかなわないまま、諦めた。
女が届けた封筒の中には、彼女の言葉の通り一本のカセットテープが入っていた。
とりあえず大丈夫そうだということで男はそれを手に取るが。そこに何が入っているのか、なぜか男は決して聞こうとはしなかった。
周りからは気がつかなかったが、この時。男は内心では久しぶりにうろたえていたのである。
それからしばらく、船旅が続き。男は自分が住まう部屋へともどった。
彼は長く戦場で生きた傭兵であったが、それにしてもその部屋には違和感を感じずには居られないものがあった。
異様なほど綺麗に掃除され、整頓されたそこにはなにもなかった。
男の趣味も、それまでの人生の思い出の品も、なにもない。すぐに男の着替えと武器を手にして出ていけば、そこを訪れた者達はそこに前に住んでいた者の存在を感じとることはできなかっただろう。
そんな部屋に戻ると、男はテープを机の上に投げ出した。
かわりにロッカーの中から、小さな段ボール箱を取り出してきて。それを同じ机の上でひっくり返す。
箱の中がぶちまけられると、そこには先ほどと同じテープが重なった山が作られていく。
それを見ると男は心を静かに席に着いた。
以前のように動揺することはなく、今度はそれを見て妙に納得するものがあったのだ。
この無機質な部屋の中でたった一つ、この男が持ち込んでいた私物。カセットテープの中に刻み込まれている、過去の生々しい証言達。
それだけが今のこの男の全てだと言っても過言ではなかった。
男の左腕が、その血なまぐさい思い出の積み上げられた山に伸びていく。
それはあの届けられた新しいテープを探しているというわけではなかった。男の過去を思い出すために必要なテープを探す指だった。
山の上を、その中を、指は探り続けている。
目的の言葉が刻まれた、男の過去がつまったそのテープを探して。