今回からようやく本編、って感じ。
前回から具ぐっと巻き戻ってます、そこだけ注意。
彼の日こそ怒りの日なり 世界を灰に帰せしめん
ダビデとシビラの証のごとく
(レクイエム/ディエス・イレ 冒頭部分)注:ラテン語、日本語訳では「怒りの日」となる
それは悲痛な声だったと思う。
「ボス、死ぬなー!!」
自身も尋常ではない怪我を負っているにもかかわらず、カズヒラ・ミラーは隣で横になって全ての細胞が停止しかけている自分のボスに必死に呼びかけた。それで何かが救われると信じていたのだろうか。
その願いが通じたのか、それともその声に反応したのか。どちらかわからないが、死者になりかけた男の体に生気が戻ってくると。回りの医者達は安堵するが、喜ぶことなく新たに顔を曇らせた。
患者はこうして生きようとしている。
だが、それにしてもこちらに戻るのに死者となっていた時間が長すぎた…………。
しばらくして、男はイギリス領のキプロス共和国――キプロス島のとある病院でひっそりと眠っていた。
誰が彼をここに置いていったのか。ここに来てから誰も”公式”には訪れてないのでそれはわからない。
だが、わかっていることがある。
昏睡状態、いつ目覚めるのか誰にも分からない。しかしそれでも生き続けている彼は、目覚めて再びこの世界に戻ってくるその日までの間。この病院に居続けることになるということだ。
その日まで、ここには彼の”敵”も”友人”も、誰1人として訪れることはないだろう。
病院のベットの上で眠るその男を見たとしても、悲しさとか、哀れみなどといった感情は当然のように湧かなかった。
そのかわりに無限の、絶望にも似た寂しさだけが感じられ。悲しみという感情につながろうとして涙腺を強く刺激してくる。
偉大な国の英雄は、国を捨ててもその本質を。美しさと佇まいを眠っているこの瞬間でも見る者に発しつづけていた。偉大な男なのだ、稀有な存在なのだ。
誰かにとりかえる、そんな事が許されない英雄なのだ。
彼女ザ・ボスがこの世に残した最後の弟子なのだ。
だが、この英雄は国を捨てた。許しがたいことがあると、見逃すことが出来ないことがあると。そう言って手に入れた全てを平然と捨て。国に背中を向けて立ち去っていってしまった。
もう、なにかの奇跡でもなければ帰ってくることはないだろう。それほどに深い亀裂がこの男の中に、はっきりと存在していた。
かつての古い友よ、君は一緒にいる(Union)べきだったのだ。
新たな力を君に持たせた時にもう一度、我々は一緒になる(Re:Union)べきだったのだ。
だが、もうそれはできない。
この先にどんな未来が来ようとも、互いに笑いあって握手をする。昔ならば簡単に出来たそれも、こうなってしまった今からでは不可能な夢となるのだ。
あの日、完璧になるはずの世界は悲鳴をあげた。悲鳴のあとには何も残らず、静かな海のような静けさが全てを支配した。
時計の針は無情に時を刻み続ける。
もう、最後に声が聞こえたのはどれほど前のことだったのだろうか。言葉が絶え、無音が長く続いていたその世界に久しぶりに駆けめぐる言葉があった。
それまでが静寂だっただけに、それは余計に大きい声に感じられ。多くの人々の耳に届いた。
Vが目覚めた。
何者達かはわからない。感情の抑制された声で、短く、それでいて力強く発せられたその言葉。
止まることなく世界を駆け巡って何かを知らせてまわる。聴覚をひさしく刺激するこの音を、人々は心地よく受け止めている。
あの南米の深夜の洋上で消息を絶った英雄が、闇の底からぬらりと煉獄に帰ってこようとしていた。
蛇は死ねなかった。
いや、死ぬわけにはいかなかったのだ。
彼にはやらねばならないことがあった。彼の最愛の師、彼自身が奪ったその命には口にはしない約束と呪いのような謎かけが添えられていた。
彼はそれを手にした瞬間から、次の世代に。未来の世界に残さねばならないことがまだ残っていた。
その全てを完了させた時、自身を次世代の英雄。あの忌まわしい名前、BIGBOSSから解放されなければ死ねなかったのだ。
その男は夢の世界でも戦場にいた。
あの南米はコスタリカの夜の海。キューバから戻った、あのMSFという強大な力が燃え尽きて海中へと引きずり込まれていった、あの暗い海の上をまだ飛び続けている。
ヘリの中から、武器を手にして海面を見続ける。
どこかにむけて一直線に進むヘリの先には帰るべき家があるはずだった。だがいつまでたっても到着しない。
それどころかその方角からは不吉にも燃え上がる炎で照らされた明るい海が地平線をうつしだす奇妙な世界が広がっていた。
もう現場にはついてもいいはずだが、ヘリはいつまでもそのまま飛び続けた。
だから蛇はまんじりとも動かずに、じっと海面を見続けるしかなかった。
気がつくと、背後に誰かの気配があることに気がついた。
見ると、救出作戦のためにこのヘリに同乗した衛生兵だ。彼はこちらに彼が手にした真っ白に輝く清潔な包帯を見せてくる。
そこで蛇は、自分が頭部から出血していることに初めて気がついた。どこで怪我をしたというのか?すりむいただけか?よくわからない。
彼はその包帯を傷口のわからぬ頭部に巻き始める。
蛇はそれに抵抗することなく、されるがままにして自分は再びかわらない海をながめていた。いつ、MSF(家)についてもいいように。
この男は優秀な衛生兵だった。ピースウォーカー事件では、時に自分に続いて戦場に入り。大蛇のように他の隊員達と列を成せば、それを止めることなどなにものにもさせたことはなかった。
その才能は確かに自分を遥かに超えていて、成長が楽しみな戦士でもあった。
『これは、あなたを守るためにすることです』
声が聞こえ、思わず衛生兵を見上げる。今のは彼の声だっただろうか?
相手は蛇の驚きには反応せず、自分の仕事を続けていた。
そしてそれが終わると、ヘリから海面を眺めて”その時”を待っている蛇の後ろにぴったりついて、いつでも自分が必要ならば出ていけるようにと待機していた。
(ああ、そうだ。共に帰ろう)
蛇は言葉にしなかったが、終わらない飛行の中で。この信頼する部下に心の中で語りかける。
ヘリは飛び続けている。
夜の海の上を、終わることなくずっとずっと。
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1984年、病室ではいつものように機械のチェックを終えると。看護士達が眠り続ける患者達に最低限の処置をして、次の仕事へ。別の患者達へと向かおうとしていた。
だが、その日はいつもとは違う日になった。
目覚めは不快極まりないものだった。
ビックボス、そう呼ばれた元MSFのリーダーは。実に9年もの長い眠りを終えて意識を取り戻した。
当然だが、病院はちょっとした騒ぎになった。
起きるはずのない男が、もう目覚めることはないと思っていた男が奇跡をおこしたのである。驚かない方がどうかしていた。
その本人、ビックボスはというと。まだはっきりしない意識と、長い眠りですっかり弱ってしまった体に困惑するだけだった。
そのあたりでようやく彼の主治医が駆けつけると、一番重要な事を伝えてきた。
あれから、あの夜からもう9年の時が流れていた。いきなり知らされた重大なことに、さしもの英雄も唸ることすらできなかったという。
病室は暗くされた。
主治医が口にするには、どうやら自分の事を正しく理解しなくてはならないのだという。
そして見せられた医療写真達。
この体にのこる108の破片による壮絶な傷。そしてぽっかりと穴があいたかのようにそこからなくなってしまった、失われた自身の左腕。
それはそれはひどい事故だったのです、と主治医は言う。
だが、体はけだるくて、頭もはっきりしない状態の中でも。失われた体の一部と傷に絶望とパニックをおこしても、泣き叫ぶことはできずに茫洋としつづけて、わずかにうめいて悶えるだけの自分。
この体の中のギアがはまらないまま、無情にも流れ、失ってしまった時の長さと体にどう対処しろというのか。
この現実を認めたくない奇妙な浮遊感は、まるで、”今はそうあれ”と誰かに命令されたかのようだ。
心が凍りついたかのようなあまりにも鈍い自分の感情は、半ば他人事のように(そんなんで大丈夫なのか?)と問いかけているようにも感じる。
わかるわけがないだろう。
全てを失ったのだ。体は傷だらけで障害がのこっているというのだ。このザマで、なにができるというのだろう!?
病室の窓から入る明るい太陽の光を茫洋として重い頭に当てているのも、そこから窓の外の変わらぬ景色を眺めるのもすぐに飽きた。
今朝にも針がこの体から抜かれて、自然の呼び声を感じるようになれたのでトイレに立とうと。まだ動きの不自由な体でベットの上をモゾモゾと動いていると、看護士が慌てて寄ってきた。
どうやら立ち上がるのはまだ早い、しびんを持ってくるから待て、などという。
冗談じゃない。
仕方なく、葉巻を買いに行きたいのだというと。今度は体に悪いなどといつかの誰かに言われたのと同じような小言をこちらに言い始めた。
なんなんだ、いったい?
どうやらこの患者は好きにさせておいてはいけない奴だとでも誰かにいわれたのか。ぶつぶつ文句を口にしていると葉巻きのかわりだといって、看護士が電子葉巻とかいうものを差し出し。寂しいこっちの口にくわえさせてきた。
――そういえば、明日。お客様がいらっしゃるそうですよ。
客?誰の事だろうか。
名前は聞かされていないらしい。楽しみに待ってろ、ということか。
その部隊は、集合時間に合わせたかのように時間通りに全員が欠けることなく集結していた。
暗く仕切られたコンテナの中で、普段着の隊員達は一斉に脱ぎだし。新たに渡された今夜の装備に着替えだす。その誰もが胸板が厚く、高身長で、愛国心にあふれた男達だ。
下された任務を完璧に遂行し、疑問を持たず。なにかあれば命を投げうっても事にあたれる兵士達。
だが、その彼等のうちの何人かが。この場には似合わない下卑た笑みを浮かべて、まだ気がついてない奴にはあっちを見てみろとそれとわからないように教えてやる。
彼等から離れた場所で着替えている女がいた。
軍隊に女は珍しい。それも、こんな特殊な訓練を積まなければ参加できない任務に同行することを許されるほどの技術を持つ女となると奇跡みたいなものだ。
今夜の戦闘に参加するというその女は、戦士というには肉付きがよく。この男臭い暗い場所では、刺激に満ちた肌をさらしている。そんな彼女がブラをはずした辺りが男達の興奮の最高潮で、すぐに迷彩服とパンツを履きだすと。肩をすくめて(残念、もう終わってしまった)と自分の面倒をみることに戻っていった。
そんな男達のいやらしい視線は、当然だが彼らに背を向けていた女はわかっていた。
男達のむき出しの好奇と欲望に満ちた視線は彼女の皮膚を焼くから、背中を向けていてもわかってしまう。
だが、今の彼女にはそんな事は実に瑣末な事で、意識は別のものに向けられ。集中している。
伝説の英雄、ビックボス。
彼女は今夜その男を真っ先に自分の手で仕留めるつもりでいた。
そして明日には伝説の男を殺した女になる。なってやろう、そう考えていた。
伝説の男が活躍していたのはもう10年近く昔の話だと聞いている。時代は変わったのだ、次の時代の英雄には自分こそふさわしい。女の身の上でありながら、この部隊に参加を許されるほどに高い技術を持つ彼女には野心があった。
彼女には女が軍人として大成する,という純粋な夢をもっていた。彼女に好奇の目を向けていた男たちが少年だったときと同じ時期に、少女だった彼女もそれを求めた。
今夜、彼女が任務を果たせば。それは実現するかもしれない。