真実とは神罰、毒の味がする   作:八堀 ユキ

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鬼の涙

「スタップ」

「はい、ビッグボス!」

「任務は理解しているな?」

「完璧であります。そしてボス、感無量であります」

 

 バトルギアの座席に座ったままの男は、そういうと緊張して引きつった顔で敬礼をする。だが、その目は異様な高揚感と興奮に満ちていた。

 

「クワイエット」

「……」

「お前には今から俺と、丘の中腹まで来てもらう。そこでお前には、戦場を離れてもらう」

「?」

「武器がないだろう?それに――」

 

 この先に起こる光景を、相棒の彼女やDDには見てもらいたくなかった。

 

 

 サヘラントロプスの操縦席では、イーライは大騒ぎしている。

 戦場にたった一人、それでも大群を前にそれを蹂躙している自分。この万能感、最高だった。

 

 南側から西回りと東回りに移動する集団の影があった。

 

 サイファーの兵隊は、大人達はひどいものだった。

 ボロボロの足を引きずるサヘラントロプスに近づくのを怖がり、あんなに離れて必死にこちらを狙ってくる。

 

 視界の外で、XOFのLAVなどの横腹に線を描くように近づく兵士達は動きを止め。武器を構えて、発射のタイミングを待つことになる。

 ピーレグを初めとした戦闘ヘリの部隊も低空を一列に飛んでいたところを。こちらも横に一列へと編隊を組む。

 

 必死になってバカスカ撃っても、まったく当たる気配もない。

 それはそうだ。

 イーライの体もすでに限界を超えていたが、その体をも赤い髪の少年に叩きつける激情で操っている。これをとめようというなら、この終わらない憎悪が生み出されなくなるようにするしかない。

 そんなことが、できると思っているのか?

 

 ふと、なぜか疑問がわいた。

 だがなにを問うているのかがわからない。わからないが、思い出さなければこれは致命的なものになるのではないかとそれは告げている。

 

 

 そして時間はゼロを指した。

 

 

 突然のことだった。

 展開するXOFの走行車両部隊の左右が、いきなり別の方向からさらされる攻撃によってあっというまに炎に包まれていくのをサヘラントロプスは見た。

 そして理解した。

 ダイアモンド・ドッグズだ。

 親父の部隊が、あろうことは自分ではなく弱ったサイファーに向かって攻撃を開始したのだ。

 口元の笑みがありもしない勝利の喜びにふるえる。

 

「さすがビッグボス、さすが俺の親父。戦場の伝説だ、弱ったものから踏み潰す。それが常勝無敗というものさ」

 

 それは同時に勝てないものには手を出さない。

 そう、親父はついに俺に負けるのが嫌で。サイファーから勝利しようとしているんだ。

 イーライはそう考えて笑い続けた。

 

 彼はまったく、ビッグボスという男を。自分が父と呼ぶ男を理解できてはいなかった。

 

 

 丘の上に立つサヘラントロプスの背後をレールガンによる一撃が襲った。

 振り返ると、丘の中腹に立つ2人の姿を見つけた。ビッグボスとクワイエットである。

 

「今のイーライでは、ここから先にはいけない。クワイエット、ここまでだ」

 

 ただでさえ敏感な感覚は、さらに研ぎ澄まされ。あと数歩でも前進すれば、たちまち巨人の中の少年に違和感として感づかれる。そういっているのだ。

 クワイエットはスネークから一歩離れると、腰の緊急脱出装置を作動させる。だが同時にスネークが持っていた――スカルスーツのヘルメット――ゴートの遺品を自身がかぶると大きく息をはいた。

 

 シュコー シュコー

 

 カセットの中の虫達がざわめく。

 クワイエットの喉にも、スカルフェイス自らが植えつけた声帯虫が今も存在している。その力は、コードトーカーによって生み出された、かつてのそれ。

 虫達は繋がりを持つと、それを喜び合って活発にその運動を強めていく。

 

 フルトン装置によって地上から飛び立っても、クワイエットはそのマスクをはずさなかった。

 肺が活動していない彼女が、呼吸することはない。

 だが、それに近しいことをすることはできる。それは声帯を震わせてマスクの中で話すことだ。

 彼女は眼下に次第に小さくなっていく戦場を見ながら、そこで戦った戦友達の名を繰り返していた。鎮魂のためではない、これから手に入れる勝利を彼らにも伝えるために――。

 

 

 丘では気候に変化が生まれていた。

 霧が発生しようとしている。だが、それはあの乳白色のものではない。

 腐食性アーキア、それを含むあの地獄のそこを思わせる赤い世界。それがこの大地にも、そしてスネークの差配によって生まれようとしている。

 

 その霧が互いの間に静かになだれ込んでくる中、親子は再び対峙した。

 だが、それは前とは違う。彼らにはもう交わす言葉は何もない。

 スネークはおもむろに誘導ミサイルランチャーを担ぐと、抵抗するそぶりも見せないサヘラントロプスにむかって引き金を引く。

 

 直撃。だが、それだけだ。

 

 しかし、視界が回復した後にイーライがみたスネークは絶望を浮かべてその場に突っ立ってなど、してはいなかった。

 おかしな銃を背中から取り出すと、まだ距離があるというのにバリバリとその銃口が火を噴く。

 

『なんだ、それは?そんなおもちゃで――なにっ!?』

 

 サヘラントロプスの右ひざにパラパラとはじいた感覚があったと思ったら、次の瞬間にはサヘラントロプスはバランスを崩すと片膝をついていた。

 そしてスネークは丘の頂上をめがけて走り出した!

 

 

 戦場において、高低の位置取りはそれだけで生死を大きく分ける要素となっている。

 つまりこの場合、丘の上に立ってむかってくるスネークを向かい撃つサヘラントロプスには絶対の有利というものがあるということだ。

 

 だが、それが眼前で次々と無意味化されていっている。

 

 あれほど戦車を叩き潰したミサイルは、放物線を描く間に目標を見失ってしまい。見当違いの地面に穴を開けている。

 頭部のバルカンは、あまりにも続けて撃ちすぎてしまったために弾詰まりを起こして沈黙してしまった。

 LAVの陣形を面白いように切り裂いた。メタリックアーキアと複合攻撃ができる剣は、足が動かない以上。腕だけでは思うように地面に鞭のごとくわかれた刃を叩きつけることはできない。

 そして歩兵に絶対の攻撃力をもっていた足元の火炎放射器。あの玩具のような銃が、それからもずっと足を狙われ続けているせいかもしれない。次第に反応が薄くなり、思ったほどの火力が生まれない。

 

 

 わずか数瞬。

 だが、その間に脆弱なたった一人の兵士が。鋼の巨人を裸にしてしまっていた。

 スネークは草陰にあった岩場に身を躍らせると、撃ちつくした50発のプラスチックで出来た弾倉を入れ替える。

 いくら超人的な体力を誇るスネークといえど、この丘を戦いながら走って登るのは必死の作業であった。だが、その苦労はすでに報われ始めている。

 

(あと少し。それで最後だ)

 

 サヘラントロプスのあの足。

 やはりスクワッドの攻撃で破壊されたのを、ごまかして動けるように見せていただけであった。

 いくらコードトーカーの虫を使ったとしても、あれほどはっきりといきなり効果が出るのは納得できない。攻撃によって組み合わされた部品の硬度が失われた結果があれだったのだ。

 

 そして最後の一本。

 この全ての弾丸は、あの巨人をついに窒息させるために一発も無駄には出来ない。

 

 赤い霧の中で、ゆらりと鬼が立ち上がる。

 

 今だっーーーーー!!

 

 肺の中の空気を全て吐き出し、声は天にむかって吼えてみせる。

 そうして肩で息をするスネークの姿を赤い霧が、再び消し去ってしまう。

 しかし声は、丘の下でバトルギアのステルスで隠れていたスタップの耳に入る。彼はすぐに偽装を解除する。

 

「さぁ、相棒。俺達の一世一代の花道だぞ、やってやろうぜ!」

 

 興奮気味にエンジンをフル回転する操縦者と違い。バトルギアのAIは困惑気味に戸惑っているようだった。

 ヘッドパーツは落ち着かなくあちこちの方角に向けられている。

 

「行くぞ!!」

 

 同時にミサイルのレーダーが相手の姿を捉えたと教えるBeep音がすると、スタップは最大加速でスタートを切りながら。搭載されているミサイルの全弾をサヘラントロプスに向けて発射した。

 イーライは次第に薄くなり始めた霧の中で、こちらに向かって一直線で突っ込んでくる存在に気がついた。だが、そんなことよりもスネークだ。

 最後にこちらからかなり近い場所で叫んだきり、その姿は捉えられていない。つまり、この辺りを好きに這い回っているかもしれないのだ。

 

 

 全てはビッグボスの勝利のために用意された計画であった。

 

 

 結局は無防備のまま、着弾の後の膝をつく巨人の横腹に。バトルギアは力いっぱい突撃をして衝突して見せた。

 

 

==========

 

 

「なんだ。この、このっ!」

 

 エラー音が操縦席の中を合唱している。

 衝突の衝撃により、ついに半身の機能がエラーを吐き出す。麻痺してしまったのだ。

 バトルギアはぶつかってからも動きを止めたわけではなかった。左腕に取り付くと、蛸のように絡みつき、鋼の巨人の腕をへし折ろうとしているのか、締め上げている。

 

――負ける。

 

 本能が初めて、この戦場でイーライに運命を告げてきた。

 だがそんなはずはないのだ。サヘラントロプスは最強だ、これを動かせる自分だって、凄いんだ。

 しかも、こんな”わけのわからない力を持っている”奴まで従えている。負けるはずもない!

 

「相棒!やってやれ!」

 

 コクピットのすぐ外で声が聞こえた。

 同時にバトルギアのバルカンが調子の悪いサヘラントロプスの体の左側を至近距離から撃ち始めた。

 

「下っ端の分際で!俺にさわるんじゃないっ」

 

 丘の上から滑りかけ、崩れた鋼の体を支えていた右腕のことを思い出した。

 それをへばりつくそいつを引き剥がそうと、滅茶苦茶に腕を振り回した。それまで必死にへばりついていたスタップは、そんな相手の反撃には備えていなかった。

 自分と相棒があの巨人を組み伏せて圧倒していると興奮していて、わからなかったのだ。

 

 巨大な鋼の掌が振り下ろされ、操縦席のスタップの体を無慈悲に打った。

 これだけで人の体は簡単に破壊され、スタップはつぶれかけた自分の腹を見る羽目になった。

 死への恐怖、その反対に感じない痛みへの恐怖。

 それらは瞬時に湧き上がるが、このときの彼にはそれを上回る意識がまだしっかりと残っていた。

 

「ビッグボス――勝利を!」

 

 声を上げ、それで意識を集中させることが出来る。

 失われていく力だが、尽きる前にと素早くバトルギアのレールガンの発射準備を始める。

 

『お前は死んでいろ!』

 

 不快な男の名と、不快な現実を告げられた怒りからイーライは再び右腕を動かすと。

 ついにバラバラにされたスタップという人間だったものは粉々になって地面へと落ちていった。

 

 奇跡は、この戦場にもこの時に現れた。

 

 それまで混乱している風だったバトルギアのAIは、自分の相棒が操縦席から落ちていった一部始終を見ていた。

 しょせんは彼は機械、人のような感情などあるわけがない。

 ただ、それまで自分を操縦していた人間が。ついに戦場で死んだという、ただそれだけのことであるはずだった。

 

 だが、AIはそれでも”判断を下した”のだ。

 腕を締め上げる力は、さらに強いものとなった。自分の構造を破壊するほどの馬力を、燃え尽きる限界であらゆる機構に力を送り込む。

 そしてスタップがしようとしたこと――途中で止まっていたレールガンの発射シーケンスをAIが変わりに実行する。

 

「なにっ!?」

 

 イーライは驚愕した。

 一度は収まったレールガンの充填音が再開されると、へばりついた機械(マシン)はサヘラントロプスを敵として認識しているかのように行動を再開している。まるで、まるでそいつに意思があるというように。

 

 だが、バトルギアはサヘラントロプスを敵とは認識してはいなかった。

 AIはただ――生まれてからずっと共に暮らしてきた、自分を相棒と呼ぶ男の最後の言葉を――その意思を、任務として受け取り完全に遂行しようとしているだけであった。

 

 ビッグボスの、勝利のために。

 

 コクピットに向けられたレールガンの砲身を見て、イーライは狂ったように操縦間を動かそうとして。動きを止めた。

 男がいた。

 イーライがずっと父親と呼んでいた男だ。

 コクピットに手をかけて這い登り、中を覗き込んでいる――。

 と、思ったが。違ったようだ。スネークの姿すぐに上に消えてしまう。

 

(上だと……?)

 

 

 

 スネークはサヘラントロプスの顔の上に立つと、そこから戦場全体を見回した。

 決着はもう、ほとんどついていた。

 装甲車両はほとんどが火を噴いて、炎の中になんとかその形を残しているだけ。

 まだ残っているのも、固まって徐々に交代を繰り返しており。ダイアモンド・ドッグズのヘリ部隊が中心となって掃討作戦をいつ開始してもいいくらいだ。

 

 そして――そしてここにサヘラントロプスもまた遂には力尽きようとしている。

 これで戦争は終わる。

 ダイアモンド・ドッグズは、ビッグボスはまたも勝利する。

 ただそれだけ、ただそれだけなのだ。この戦場は、最初からその程度のことでしかないものだった。

 

 ビッグボスじゃない。

 ビッグボスの息子を自称する、イーライが生み出し、育て上げ、選んだ戦場。

 そこに未来はなにもない。憎悪の感情だけで作られた意味のない戦争、戦場。

 

 だからスネークにこれ以上を語る言葉はなかった。

 無言のまま足元に崩れ、諦めきれずにもがこうとしているメタルギアを冷酷に見つめると。

 死刑宣告すら必要ないと、無言のまま銃口を向け、引き金を引く。

 

 同時に、バトル・ギアのレールガンが。サヘラントロプスのコクピットに向けて至近距離で発射された。

 

 

==========

 

 

 オセロットを乗せたヘリが目的地に着くまで1分だとパイロットが告げてきた。

 機内は緊張で誰も口を開いていない。

 まったく信じられない話だが、唐突にこの戦争は終わってしまった。

 ビッグボスの演説が終わり、XOF掃討作戦は実行され、ビッグボスは丘の上のサヘラントロプスへむかっていった。気がつくと、ダイアモンド・ドッグズだけが戦場に呆然として立っていた。

 

 スネークは再びサヘラントロプスに勝利した。

 ビッグボスはまたもやサイファーに勝利した。

 このビッグニュースは来週までには世界中に広がり、彼の新たな伝説のひとつとして知られるようになるだろう。

 

 着陸すると、オセロットは2人に近づいた。

 精魂尽き果て、銃に撃たれたと聞いたイーライの前に座ると。乱暴に少年の防疫スーツの襟をはぐ。

 

「フン、防弾スーツを着ていたのか。賢いな、お前の仲間たちには用意してやらなかったのに」

 

 イーライのあまりの小賢しさにオセロットの口から皮肉が飛び出した。

 

「メディック、見てやれ」

 

 ボスはそうしたやり取りを含め、イーライの様子にはまったく心を動かされていないようだった。

 スカルフェイスの言うような報復心とやらがあったなら、この小僧はこうやって生きていられるはずがない。ビッグボスは、スクワッドの壊滅を恨みも怒りもせず。

 ただただ、イーライという子供を無視している。

 

「傷はありません」

「本当か?」

「はい――致命傷はありません。防弾で助かりました」

 

 兵士の間から舌打ちが聞こえる。それはイーライの耳にも届いただろう。

 だが、彼らは一様にビッグボスを見習い。少年に罵声を上げることも、暴力を振るうそぶりも見せない。たんたんと必要な行為だけを施していく。

 そんな兵士の態度が一変する事実が告げられた。

 

「!?駄目です。こいつ、声帯虫がもう発症しています」

「っ!!」

 

 兵士達は本能的な恐怖から、自然とイーライから距離を置こうとする。

 幾分かの不満を残しながらも、自分を恐れていると知って満足してるのか。イーライは力なく暗い笑い声をあげた。

 

「俺は、サイファーによって生み出された……失敗作だった」

 

 なにかを知り、そこにはそう書かれていたのか。あの時からイーライはずっとそれを口にしていた。

 

「俺の運命、全て決められていた。わかってる、俺は敗者だ」

 

 意味が繋がらない。

 だが、どうやら自分が勝てなかった今を言っているわけでもない。

 

「お前、お前のせいだ。クソ親父……俺は、俺であることはできない。お前のコピーでしかない」

 

 遺伝子のことはよくわからない。

 イーライは何を言っているのか、わからない。

 そしてきっと本人もスネークに正しくわかってはほしくはないようだった。

 

「親父をこえ、親父を殺す。お前を殺す!」

 

 声帯虫の発症によって、呼吸だけではない。意識も次第に濁りだしているらしい。

 奇跡を起こす力は使い果たし、ただの大人になりかけた子供がそこにいた。それでも湧き上がる怒りの力か、伸ばしてきたイーライの手はスネークの義手を力強くつかんできた。

 

「そしてサイファーも殺す。全部、全部を殺す。世界を滅ぼしてやる!」

 

 無表情のままのビッグボスの肩に手が置かれた。

 

「ボス、発症した者は助けられない」

「――回収する者は残っていないのか?」

「ない。島は声帯虫で全滅した。このままにはしておけない。ボス、この島をナパームで焼きつくさないと」

「……投下をはじめろ」

 

 オセロットに冷たくスネークは命令を下した。

 

「コードレッド、コードレッド!ボスの命令が下った、撤収準備。計画は次の段階へ……」

 

 救出者はいない。

 それがわかれば皆は背を向けてヘリに次々と乗り込み、飛び去っていく。

 だが、スネークはなぜか残っていた。

 

「俺は、俺は生きる……俺だけは生きる……生きる……」

 

 徐々に強くなる苦痛と、奪われようとする意識を手放すまいと。必死に感情を呼び起こし、少年は苦痛に耐えようとしている。

 無駄なことだ。人は死ぬ、能力が劣るから死ぬわけではない。

 たった一滴の毒で、それは簡単におこる出来事なのだ。

 

――ボス。ビッグボス。

 

 なにもない。

 

――ビッグボス、彼は。この子は”小さな戦士”ではないのかい?

 

 自分を睨み殺そうと必死に見上げているイーライの隣に、あの少年が――チコが再び立っていた。

 父ではない。そして敵でもない。

 だが、そうだった。ひとつだけ約束が残っていた。

 

 スネークは銃を取り出す。

 

「お前も大人になった。もう立派な兵士だ」

「……こ、このっ!……殺してやる、お前を……」

 

 その瞬間、ようやくスネークの目に優しさが戻ってきた。

 冷酷な鬼の顔はいつの間にか亡霊と共に姿を消してしまった。

 

「ああ、そうだな」

 

 ハンドガンの弾倉を抜き取り。一発だけを装填しなおす。

 

「自分は責めるな、俺を恨むんだ」

 

 そう言って足元にそれを置くと、背中を向けた。

 スネークはそのままピークォドに乗り。そのまま置き去りにした”ビッグボスの息子”を見ることなく飛び去っていってしまった。

 

 そして島にダイアモンド・ドッグズによる攻撃が始まった。

 

 

 遠くで島が炎を上げて焼き尽くされるのを見ながら、イーライは父と呼んだ男が残していった銃を手にしてそれを見つめていた。

 体はもう動きそうにない。

 この島からの脱出は、今からでは不可能だろう。

 

――負けた。

 

 そしてなにもかもを失ってしまった。

 最後にもう一度だけ、立ち去ろうとするビッグボスにむかって銃を向けたが。今度は引き金に力が入らなかった。

 このまま焼け死ぬのも、病にすら負けて意識を失い眠ったまま死ぬことも嫌だった。

 

 それならば、せめて自分の手で――。

 大地を焼く炎が徐々にこちらに迫ってくる中。結局、引き金は引かれることはなく。島はそのままに、全てを焼かれて崩れ落ちていった。

 

 

 

 イングランド、白亜の崖。

 寒い冬の季節に入るこの時期にあっても、英国でも有数の海岸でしられるここを訪れる人の姿がまったく消え去る日が続くということはない。

 7人の尼僧がならんだようにみえる絶壁は、そのままセブン・シスターズの名で知られ。ここからの眺めは格別である。

 今も、そこに訪れている若夫婦は小さくやんちゃな兄弟をつれていた。

 

 厳しく冷たい季節であっても、ここから見える世界は美しい。

 そう思ってくれればいいが。

 

 ふと、兄弟が温かく見守る両親に見降ろした海岸線を指さした。夫婦もそれで気がついた。

 遠く寄せては返す海岸を歩く、奇妙な姿の少年が1人いる。親も兄弟もいないのか、いくらなんでも冬のこの時期にあの姿は不自然だ。

 だが、ここからではあそこまで簡単にはたどりつけない。誰かに知らせる術もない。ただただ、あの少年の行く道が安全であるよう祈るばかりだった。

 

 

 その少年こそ、イーライであった。

 

 赤い髪の少年は、危機を前に新しい奇跡をおこして見せた。

 超長距離瞬間移動、テレポートを使い。あの炎を上げる島から遠く英国本国の海岸線へと2人の肉体を運んできて見せたのだ。

 

 だが、その代償はあった。

 イーライは涙を流し、歯を食いしばった。

 

「まだだ。まだ俺は、終わりじゃない!」

 

 彼は死ななかった。

 あの地獄から、こうして生きて還ってきた。

 イーライは死んだのだ。これからは新しい人間として、遺伝子に刻まれた敗者の刻印から開放される。

 そして、そしてきっといつか。あの男を倒し、やつの変わりにこの世界を炎で焼き尽くしてやる。

 

 崖下をよろめき、足を引きずりながら歩いていた少年のその後を見たものはいない。

 彼の痕跡は、ここで一度。完璧に途絶えてしまうことになる。


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