真実とは神罰、毒の味がする   作:八堀 ユキ

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今日は文字量ゆるめな感じで。
そして今回から出番早めに山猫が登場します。


エイハブとイシュメール (2)

 遠くに炎の上がる病院を見ている男がいた。

 男の名前はオセロット。

 若くして特殊な才能にあふれ、大国を手玉にとってみせたスパイだったが。ある時を境に米国を裏で支配する組織に参加したことで途方もない力を手に入れた人物である。

 そんな彼がここにいるには当然だが理由がある。

 

 あの燃えている病院の中を這いずって逃げ回っているであろう男。

 9年間の眠りから目覚め、地獄から帰ってきたオセロットのよく知るビッグボスという男を迎えるためにここまで来たのである。

 だが、残念ながら今のオセロットの手元にあるわずかな兵士だけでは襲撃中の病院まで押し掛けるわけにはいかなかった。

 

「おい」

 

 後ろに声をかけると、トラックの運転席から兵士達が降りてくる。

 

「積んでおいた”荷物”はここに降ろせ。すでに騒ぎが起きている。俺一人で迎えに行く」

「了解しました」

「お前達はそれが終わったら、一足先に戻れ」

 

 彼等は無駄に上官の命令に食い下がったりはしない。

 指示通り、荷台に乗せていたものを下ろす準備を始めた。

 オセロットはその作業に関心がないのか、自身のiDroidという装置を起動すると別の場所へと連絡を入れる。

 

「こちらオセロット。準備の方はどうなっている?」

『申し訳ありません。出航の時間に遅れが出ていまして――』

 

 顔は変わらなかったが、声は十分に不快感の響きを入れると強い調子で相手の台詞を最後まで言わせなかった。

 

「眠いことをいうな。俺達の目と鼻の先にサイファーがいるんだぞ。お前達がのんびり支度をして、奴らに見送りにでもこられたらどうなると思う」

『了解です。10分で終わらせます、必ず』

 

 実際は大丈夫ではあるだろうが、緊張感がなさすぎるのも困る話だ。

 気がつくとオセロットは先ほどからずっと赤く燃える病院の方角から目を離すことはできなかった。ボス、ビッグボス。あの人は無事にあの地獄から脱出することが出来るだろうか?

 それだけを心配していた。

 

 

==========

 

 そのビッグボスことエイハブが病院の正面玄関を、吹き飛ばす炎と共に転がり出てきたのはまさにこの瞬間であった。

 その姿を追って外に出てくるのは、あの炎の男。ただ一人である。

 

 あの時の躊躇は彼を助けたのだが、同時にピンチにもした。

 それまで病院内のあちこちに出現していたらしい炎の男が、ついにここに姿をあらわしたからである。

 兵達は瞬く間に銃を構えて殺到すると、殺そうとあらゆることを試みる。

 そして当然のように炎の男はそれらを全て跳ね返し、兵達は次々と炎の中へと沈められてしまった。気がつけば炎の男はビッグボスを見ていた。

 

 病室に続いてこの夜、もう何度目の危機だっただろう。

 迫ってくる炎の男が倒れてもがいているビッグボスに近づくと、そこにイシュメールが車に乗って突撃して来て。病院の壁に炎の男を叩きつける。

 

「乗れ!早く」

 

 イシュメールは炎の男を潰した余韻に浸ることなく車をバックさせてくると、エイハブに向かって叫んだ。

 右脚から出血して、骨もひどく痛んだがビッグボスはうめきながらも助手席に飛び込んでいく。

 

 炎の男は生きていた。

 というよりも傷ひとつ、負ってはいなかった。

 なので埋め込まれた壁から出てくると、走り去ろうとする車の後ろに向かって怒りの声を上げる。それに合わせたかのように、炎の濁流が彼の身体から溢れだし、車の後部に向けて飛びかかっていく。

 炎は2人の乗る車に触れることができなかった。

 ガリガリという不快な異音にさらされながらもイシュメールの運転する車は道路に飛び出すと、丁度駆けつけてきた消防車とすれ違った。

(チコ……)

 あのキューバの収容所で車同士がすれ違う瞬間が思い起こされる。

 だが、さすがのビッグボスといえども。この夜のピンチの連続にすでにヘトヘトで、何かを口にする気にはならなかった。

 

 わずかな間、夜の道を走っていた。

 徐々にだが助かったのか、とも思ったが。自分の追手がそう甘くないことを直後に思い知らされることになる。それはまさに悪夢と言うしかなかった。

 空から先ほどすれ違った車が、人が降ってくるのである。

 どうやらこちらの事を諦めるつもりはないらしい。

 後方からは、先ほど哀れにも炎の男の前に走り込んでいった消防車のお仲間が炎にからみとられ、大きな音を立てて爆発する音が響いていた。

 

 

 

 そこに追手の執念を感じて、ひきつった顔のまま正面を向くと今度こそ顎をはずすものを目にしてしまった。

(なんだ、あれは!?)

 子供だった。少年か、少女かは分からないが、そうだった。

 黒いガスマスクをして、赤く燃えるような髪をしたその子供は。黒いレザーの服(?)を着て宙に浮いていた。そうだ、ただ浮いているのだ。

 

 だが、そんなことがありえるのか?

 

 イシュメールは何も言わない。

 あれが見えないのか、見えているのかは分からない。

 宙に浮かぶ少年とは一向にその距離が縮まる様子はなく、さすがにビッグボスはそれについて言及しないといけないと思い始めた時だった。

 

 いきなりヘリが現れたのである。

 それは一気にこちらの頭上を通り去っていったが、その時の攻撃でボンネットのガラスが砕け。イシュメールの頭がガクンと落ちると、体から力が抜けてしまう。

 気を失ったのだ、そう思うとビッグボスは助手席からハンドルに必死に手を伸ばした。

 ありがたいことに、車がコントロールを失う前に態勢を整えることが出来たが。ヘリはこちらに向けて再び迫ってこようとしていた。

 

(前方、トンネル。飛び込むしかない)

 

 気絶したイシュメールはアクセルを踏んだまま、そこに賭けるしかなかった。

 バックミラー越しにヘリを見つめながら、なぜか気がついてしまった。いつの間にかあの宙に浮いた少年はそのヘリの後方に位置していた。

 そして歓喜の声を上げるように、両手をゆっくりと頭の上へとあげていった。

 子供の動きに合わせるように、その向こうの地平線に燃え上がる生物が姿を現すのが見えた。

 

(クジラ――白鯨だと!?)

 

 なぜだがわからないがビッグボスはそう思った。

 圧倒的にどうしようもなく強大なそれは、地平線から飛び出すと海面に弧を描いて着水するように、こっちに向かって飛び込んでこようとしていた。

 ひどい悪夢ではないか。

 エイハブとイシュメール。互いをそう名乗る男達の乗る車を、さらに追うヘリが、そこに登場した炎をまとった白鯨がおっかっけてきているのだ。

 

 フィニッシュは唐突に訪れた。

 車がトンネルに突入すると。

 ヘリはミサイルを発射して、トンネルにそれを叩きこんだ。

 さらに宙を舞う少年にあわせるように、強大な炎のクジラが重力にひっぱられるようにして地上へと落ちてくると。奴を殺ったのかと戸惑っているヘリをその炎の口で飲み込んでしまった。

 

 

 トンネルの反対側の出口で待機していた部隊は困惑していた。

 ついにやったぞ、と叫んだヘリからは連絡が一方的に途絶え。トンネルからは誰も出てこなかったからだ。中を調べたものの、ヘリが攻撃したらしく向こう側の入り口は落石で塞がっていた。

 炎の白鯨がヘリをその巨体の中へと飲み込むのに合わせて、エイハブとイシュメールを名乗り合う奇妙な男達の乗った車も消えていた。

 目標をこんなことで見失ったとは報告できないと、彼等は作戦時間を翌朝まで伸ばしたというが。結局それは無駄な努力であった。

 

 彼等が追った男達がどこに行ったのか、それを全員が知るのは半月ほど先の事になる。


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