ヴェノム・スネークの活躍する時代の背景を。
そう思ったら存外にえらいことになってしまった感じに。
(1988と書かれているが。日付はない)
「ハル、今夜は何が食べたいかな?」
「……なんでもいい。父さん、料理はうまくないから」
「そ、そうかな。一生懸命、父さん――がんばっているんだけどな」
「……」
「わかった。外食にしよう」
それはもう何度も繰り返したやりとり。
息子と足の不自由な父親との会話。あの子は、この僕の姿を恥じている。
米国には時間通りに到着。その間、ハルの元へ向かう僕を邪魔するものは何もなかった。
てっきり空港には、CIAだかFBIの黒服連中が軍隊を引き連れて僕の到着を待っているのではないかと。実はそんなことをずっと恐れていた僕には、肩透かしもいいところだった。
ハル、僕の息子は危険な状況にあった。
あいつ、何を考えてこんなことになったのか。ハルはなんだかいう理由とやらがあって(そんなもの、知ったことか!)法律的な対処がなされて孤児院へと放り込まれていた。それだけじゃない、なんと僕という父親がいるというのにそこでは何といったか――そう、ボーグマンだ。
ボーグマン夫妻とか言う、高いスーツやスイス製の時計をした。気取った連中にそこの職員達はハルを文字通り”売り飛ばす”ところだった。
僕はそれをぶち壊してやった。
ボーグマン夫妻は最初、驚いたふりをしていたけれど。次に僕に失礼なことを、礼儀正しく申し入れてきたんだ。
あれはなんだったか――「お子さんは大変優秀で」とか「親子での生活は苦しいとは思うが、われわれのところでは不満は一切ない」とか。
確かに、確かに僕のそのときの姿は褒められたものじゃなかった。それは、認める。
だけど仕方がなかったんだ。
イギリスの低賃金雇用者たちに混ざって生活しなくてはいけなかった。彼らに混ざってビールを飲み交わすなんてできなかった僕は、せめてそれらしい格好をしなくちゃ、彼らと混ざってもわからないような”偽装”ってやつをしなくちゃいけなかった。
そんな僕の姿を見て哀れんだ彼らは、優秀な息子をだしに父親の僕が金をせびりにきたと思っていたんだ。
本当に失礼なやつらだったさ。
ハルをつれ、僕は田舎町を中心にしてしばらくは転々とあちこちで暮らした。
スカルフェイスの残党、ビッグボス、そして噂に聞くサイファーにいつ襲われるのか。それが気になって落ち着けなかった。
この生活を2.3年やって僕はそれがまずいことだとわかっていなかったことに気がついた。
ハルの、息子との距離が一向に縮まらないのだ。
最初は息子はあんな、あいつのちょっとした手違いでひどい目にあったのだからと。そう自分に言い聞かせてごまかしていた。
ああ、そうだ。わからなかったんだよ、僕はハルの父親だ!
僕と彼の身の安全に気を使っていなくちゃならなかったんだから、そんな”些細な問題”に気がつかなくてもしょうがなかったんだ。
ハルは僕に、不信の目を向けている。なんとかしなくてはいけなかった。
ようするに問題は大きく2つあったんだ。
ハルと再会してからの僕は、あの子のそばから離れなかった。”敵”が僕らになにかするんじゃないかと恐れて、近くにいようと誓っていたからそうした。
でも、ハルはそれを苦痛に感じ。
周囲の大人たちはあの子に失礼にも、働かずに子供にまとわりつく父親の僕のことを。「子供を誘拐した変態じゃないか」だとか、「虐待しているんじゃないか」とか、そういったことを僕が知らないうちにあの子に聞いていたらしい。
ハルの答えは辛らつだった。
疑惑の目を僕に向ける大人たちに対して「父は退役軍人」だと答えていたらしい。
軍人、僕は戦場に立ったことも、そこで”自分の意思で人を殺したこともない”人間だというのに、息子は僕を戦争をする愚かな男だといっていた。
僕はあちこちを転居する一方で、学生時代の旧友たちの力を借りようとたびたび会いに行っていた。
再び自分の才能で世に出る。そのためには研究が必要で、僕にそういった場所を提供してくれる雇い主が必要だった。突然訪れた僕に顔を合わせ、懐かしがってくれたのは最初の人だけだった。
すぐに、僕が面会を希望しても拒否してくる人が多くなった。後でわかったことだけど、政府の人間を語る連中が彼らに僕のことであることないこと吹き込み。そのせいで「あいつは危険思想をもった人物」との噂を流されていたことがわかった。
過去を懐かしんで会ってくれる友人も、僕にはいなくなった。
僕は。嫌、僕とハルはこの世界で孤立していた。
仕方なく、僕は小さな町に腰を落ち着けると雇われの電気技師となった。
そうだ。あのピースウォーカー、サヘラントロプス。そしてビッグボスにメタルギアを作ってあげた僕の才能は、この田舎の電気屋の親父に顎で使われる。ただの電気技師が、僕のやる仕事になったんだ。
屈辱だったよ。でも、ハルのためにそれがその時は必要だったんだ。
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敗北の時代へと突入する前に、すこし違う視点での逸話を披露したい。
70年代半ば。CIA設立のモデルとされた英国情報部”MI6”が、まず泥沼にはまった。
IRAの対応、KGBへの対策。この2つに大きなミスを犯すが、原因はMI6ではなく。政治、それも経済政策における失敗から起こった純粋な”予算不足”からはじまった。
このときの英国にとってIRAは未来への大きな負債になるかならないかの瀬戸際を突き進み。KGBは対処の遅い英国情報部の動きをすぐに察知すると、容赦ない手を次々と打って攻撃に移ろうしていた。
結果から言おう。
苦しいこの時期を、それでも英国は苦しい顔を見せずに最終的に乗り切ることに成功した。紳士は常に紳士たれ、彼等の中に流れる血はそのまま悩み事への答えになった。
それは情報部の優秀な人材たちが知恵を搾り出すことで、大きな災いと変化しかねない多くの状況に見事に対処して封じ込めて見せた、
中でも一番危険だったのは74年から長く混乱を引き起こしたKGBスパイがMI6上層部に潜んでかく乱を行ったとされる一連の出来事だと思う。
CIAはこの可能性を76年に察知したものの、同盟国とはいえKGBに重要な情報が渡る危険性を恐れ、これをあえて極秘としていた。インテリジェンスの世界に真の友は存在しないという、いい例だ。
しばしば、MI6は秘密裏に情報網を展開してもKGBに察知されるということを繰り返し。ようやく内部のスパイの可能性に彼らも気がついたが、すでに裏切り者の痕跡は見事に消され、そいつを裁判の席に立たせることはできなかった。
これでもまだ、このときの英国には力があった。
新たな手法、新しい人材を求めつつ、危険を現場から切り離す。これらを根気よく、長い時間をかけて続けることができるベテラン達がいた。
それでも完璧、とはいかなかった。
当時のそんな彼らを率いていた責任者は、大変有能な人物ではあったのだが。私生活に大きな問題を持っていた。
一国の国防を担う重責というのは想像しろといわれても難しい話だろう。彼はそれを若いころから続け、見事にその難題の数々を解決してきたが。彼自身の人生とそこにある問題はそうはいかなかったようだ。
ストレスに耐えられなくなると、彼は娼婦を買っていた。
それも秘密保持などをモットーとする高級娼婦ではなく。街角で薬を買うための金ほしさに体を売るような女たちを欲しがった。
皮肉にも、その事実に真っ先に気がついたのもCIAであった。
70年代末、彼が首相と同行し、CIAの長官と面談するために訪米した際。
なにかあったのだろうが。彼は一人、施設を抜け出ると街角の娼婦を買ったが。女とは料金で揉めて騒ぎを起こし、警察があやうく逮捕しかけるところであった。米国はこの事件を内密に処理した。
なにせ彼は本国では組織の最重要人物である。このネタは握っておいて、後々で利用したほうがいいと考えたのだろう。
彼はその後、本国に戻るとIRAやKGBの策略でゆれるMI6を立て直す人物の一人となる。CIAの希望通り、大活躍をしたというわけだ。
だが、80年代に入るとそこで彼の輝かしいキャリアが失墜する。
なぜか、どうやって知ったか?いや、手に入れたのかはわからない。あるタブロイド誌が、またも娼婦を買い付けている彼の姿を写真に収めるとそれを報じてしまった。
周囲はそんな彼の才能を惜しみ、なんとかもう一度、現場に戻そうとしたが。
彼自身は辞職願をさっさと提出すると田舎へと引きこもってしまった。以来、彼はそこで一人気楽な老後を今も無言のまま送っている。
一方で、そんな英国を冷笑を浮かべて眺めていたわが米国だが。
ベトナム戦争における失策から、80年代のレーガン政権時代に入ると。KGBの攻撃に対処できないCIAは右往左往し。政治は彼らを頼りにならないとして、信じなかったことで重大なダメージをおうはめになる。
英国に遅れること数年。
米国の諜報員達の間に奇妙な事件がまず起こり始めた。
世界各国に潜入させていた工作員が、次々にソ連当局に発見されると”暗殺”され始めたのである。
CIAの優秀な分析官たちは最初の動きで、すぐにMI6に起こったのと同じことが自分たちにもおきているのではないかと危惧した。
ところが上層部はそうした下の意見を封印させてしまう。
カーター政権からレーガン政権に変わる。そんな大統領選挙を控えた時期に、自分たちの国にスパイが入り込んで情報網をずたずたに引き裂き始めているなどと、大統領に当時の長官は”報告したくなかった”のである。
お分かりいただけるだろうか?
これが英国と我らの違いとなった。
事態の深刻さに状況を整理し、相手の動きを封じる手を英国はできたが。我々のCIAでは出来なかったのだ。
ようやく選挙が終わり、大統領が入れ替わって新しいCIA長官がウキウキ顔で席に座る中。前任者が封印したその危険信号を下の人間は再び持っていくわけだ。
そんな前任者のとんでもない置き土産を受け取って、顔色を変えない人はいないだろう。実際、長官は青くなった後で顔を真っ赤にして部下を怒鳴りつけた。「こんな噂話、大統領に聞かせられるか」なのだとか。
その結果、80年代前半においてCIAはKGBに事実上の敗北を喫し。
かの地の国内で何が起こっているのか、再びそのネットワークを復活させるのには多くの流れる血と時間、そして金がかかることになる。
なによりこれが悲劇なのは、まだ80年代は始まったばかりということだ。
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(画面には1991と書かれている、続く数字は文字化けして読めない)
職を持ったことで、僕とハルの生活にも変化が生まれた。
僕は再婚した。そしてハルには妹が出来た。
僕の妻――ジュリーは頭はよくなかったが、僕とは心で通じ合うことが出来た。
彼女も最初の結婚で僕と同じく失敗したことで苦しんでいて……といっても、僕と違い。彼女は夫の暴力に悩んだ過去があった。
その娘のエマは、そんな前夫との間に生まれた娘だというが。そんな獣のような男のことなど忘れて、僕のことを父として慕ってくれた。ぼくはそれがなにより嬉しかった。
幸せな家族になるんだ、そう思っていた。
最初は、足りないものを補うような結婚生活だと思っていた。
だが、だが――なぜか、またなにかがズレを生み出し。それぞれをバラバラに引き裂こうとし始めた。
ハルはエマ達が来ると、学者の血が騒ぎ始めたのだろうか。勉学により強い熱意をもって学び始める。
エマはそんな兄を真似ようといていたが。やはりいきなりは無理で、僕が基礎から教えてあげるようになった。ジュリーは次第にあがっていくエマの学校の成績に目を丸くしながらも喜んでくれていたし。僕もそんな彼女の成長が嬉しくて、本気になっていく。
それが、そんなことが悪かったのだろうか?
気がつくと、家の中がまた悪いことが起ころうとしていると僕に訴える声で愕然とする。
ハルは、息子はジュリーとは悪くない関係であったのにもかかわらず。勉強を理由に僕の元から出て行こうと考え始めていた。
ジュリーはそれを子供が独り立ちしようとしているので仕方がないのだと話したが、不安は僕を押しつぶそうとして。あの子にたびたび「馬鹿なことは考えないでくれ」となんとなく伝えようとしたが。彼はそんな僕の意思など気がつかないフリを続けている。
エマの才能が思った以上に早く開花しようとしていた。
僕が彼女の才能を何よりも評価したのは、ハルがなぜか強く執着し続けている東洋の国が作った馬鹿げたアニメーションの世界。脆弱なヒーローが、巨大な兵器に飛び乗って戦うとか、そういうやつに傾倒して僕の言葉を聴こうとしなかったが。
エマはそれがなかったので、とてもバランスの良い成長を見せていた。
中でも、あいつのようにAIやプログラムに関する興味は強いようで。それが頼もしく感じられ、僕も彼女の教育に力を入れるようになった。
だが、それをいつしかジュリーは嫌がるようになった。
彼女の言葉を借りると、僕の教えを受けるようになってから娘は怪物になったように思えて仕方がないのだという。口を開けば何を言っているのか理解できず、途方にくれるのだ、と。
エマはまだ幼いながらもすでにジュリーの知能レベルをかるく飛び越えていってしまっていたのだ。ジュリーがそれを不安に思い、恐怖し、嫌悪しかけているのは仕方がないことだった。
だから立場を交換するのがいいと思ったんだ。
僕の言葉を聴こうとしないハルをジュリーが。僕はエマの面倒を、それで家族は問題ないはずだった。
これも失敗した。
家族の間にはなにか大きな問題が覆いかぶさっていたが、僕にはそれが何かわからなかった。
この頃、エマはハルにつきまとうだけではなく。覚えたばかりの知識を披露して、ハルと意見を言い合う姿を見るようになった。麗しい兄妹愛だと僕は目を細めて喜んでいたが、なぜかジュリーは不機嫌になって娘のあの態度は問題だと文句を言い続けていた。
あれでは学校へ行っても、同級生と話せなくなるというのだ。
だが、僕はそんな心配はないとジュリーの心配を諭してあげた。
あと数年もすれば、彼女は研究者として僕の助手になれるくらい賢くなるし。美しい女性となる頃には、実績十分な世界的にも注目されるようなかつての天才児と呼ばれて人々の賞賛を浴びているはずだ。
ハルもその頃には立派に科学者として自立しているだろうし、僕とジュリーはそんな兄妹を誇らしく思っていると取材に答えつつ。自分たち学者一家の不穏な経歴の呪縛などを話して聞かせてあげてもいい。
きっと話題になるはずだし。世界だって興味を持つはずだ。
そうすれば僕も再び研究者としての道が。あの、CIAやソ連を勝利させるために研究に費やした日々が戻ってくるかもしれない。
しかも今度は、スカルフェイスやビッグボス。あんな危険な奴らの顔色をうかがうことをせずに、エメリッヒ研究所では僕たち3人で人類の未来を切り開くよううな、すごい発明を実現させることが出来るはずだ。
ある日、僕はついに電気技師の職を捨てた。
不快な電気屋の店主に我慢できなかったこともあるが、エマの教育にもっと力を入れたいと思ったからだ。
僕と、ハルと、エマの輝ける未来の実現を一日でも早いものとするなら、今一番必要なことは彼女の成長であった。
ジュリー、笑ってほしい。
僕と君、ハルとエマの未来はきっと輝いている。いや、ぜったいにあの輝く未来を実現してみせる。この僕の手で!
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イランで起こった大使館人質事件は解決まで1年以上かかり。
リベラルな政府を推し進めた前政権は国民の支持を失うと、レーガンは保守的で力ある政府でこの荒波をこえていくのだと力強く宣言する。
彼がまずしたのは、冷戦の相手であるソ連を徹底的に敵として国民に訴えたことだ。かの国を名指しで「悪の帝国」と口にすると、「力による平和」なる政策を打ち出し、対抗意識を前面に押し出した外交政策をおこなう。
また経済政策、麻薬問題にも果敢に切り込んでいこうとする。
しかし、CIAはそんな政権の顔に泥を塗ってしまう。
前政権末からその危険を訴えられ続けていた、情報漏洩問題がついに爆発したのだ。
70年代半ば、ソ連から亡命してきたKGB工作員がいた。
彼は当初こそ英国の保護を求めたが、CIAがそれをさらう形で手に入れることに成功した。
その彼が、82年のある夜。
監視のCIA職員たちと共に食事を取った後、軽い冗談を交えながら「1時間ほど散歩に出る」と断って店を出て行った。
職員たちは誰も、そんな彼の後についていこうとはしなかった。
そして3時間がたった。
ようやく異変に彼らは気がつくが、彼の行き先がどこかわかったのはそれを本部に知らせたとき。優秀な分析官が「その店からソ連大使館まで走って1時間もないんだぞ!」という叫び声が上げられたからだ。
ソ連のそこからのキャンペーンは完璧だった。
逃亡したスパイは涼しい顔で自身が英国に亡命しようとすると”悪辣なCIA"によって誘拐され、長く拘束され薬物による拷問も受けたのだと語った。
政権はCIAに失望と怒りの目を向けるが。米国の失策はこれでは終わらない。
86年、2つ目の爆弾が炸裂する。
あのイラン・コントラ事件がついに発覚する。
レーガン政権は当初より「自由と民主主義であらねばすなわち敵である」という乱暴な論理で強引に海外の問題にあたっていくスタイルをとっていた。
そんな彼らにとってイランとニカラグアでおきた革命は生粋の共産主義国家が増えるというわけではないにもかかわらず、苦々しく感じていたようだ。
そこで彼等は自ら定めた法律を無視して軍にアメリカの武器を中東に流し、その見返りに現地の武装組織に捕らわれていたアメリカ人を釈放するように求めた。
これに味を占めたか、国家の最高意思決定機関に属するスタッフが直接指揮してニカラグアの反共ゲリラにも武器を渡し始めた。
そして当たり前だが、すぐにそうした行動へのカウンターとして最も効果的な方法が――メディアへの発覚――返されてきた。
大統領と側近たちがすすんで法治国家の法を破るという前代未聞の緊急事態に、政権は大鉈をふるうという形で事態の収束を図った。
彼等はその騒ぎの中心を政権からそらすためにCIAの度重なる失態をまず、あげた。
報道官は「彼らの愛国心を疑うわけではないが、目も当てられないミスが大統領の信頼をそこなった」という理由を展開して大衆の目をそらしにかかる。そして今こそ組織の自浄作用が必要なのだ、というと驚くべき決断を下す。
70年代のCIAの多くのミスの原因は簡単な話だった。
ベトナム以降、ガチガチの軍人がインテリジェンスの最前線を戦う部門の長官の椅子に座るようになったからだ。彼等にとっての任務とは、決められたスケジュールにのっとって行動する部下たちによって報告される勝利にしか興味がない、そんな連中だった。
時に事態が急変し、情報が錯綜し、柔軟な思考と判断で危険な決断を必要とする。唐突に突き出された難題を前に、彼等はまずそれを「部下の怠慢」だといって激怒していた。
それを改めるのかと、斜め上の期待をした職員も実際にいたらしい。
政府の決断はさらにその上を文字通りぶっ飛んだものだった。
退役軍人であり、検事であり、当時のFBIの副長官をCIA長官につかせると発表した。それまで長官達のガチガチの軍人脳に手を焼いていたCIAの職員達も、この発表にまず顔を引きつらせ。続いて顔を覆って皆が等しくうめき声を上げたという。
FBIとCIAというのは、似ている部分も多いが。決して同じ組織ではないことの理由がちゃんとあるのだ。
ところが政府はこれをごちゃ混ぜに完全にかき回し。それでもって自分達の大きなミスをなかったことに”政治”で決めてしまった。
新しい長官は政府から組織改革を期待され、部下達にはそれが正しく行われたとわかるような成果を、目に見える結果を出すよう求めてくるのは明らかであった。
そんな騒がしい当時の背景など理解しないまま。
その頃の若い私は新人エージェントとしてスカウトを受け。世界に飛び出していく日を夢見てはマスター達の元で訓練にいそしんでいたのである。
(肩がこったな)
ホーリーは――私はそこで手を休めると、机から立ち上がって離れる。
2階の窓の外の地平線まで続く青々とした大地を見る。
私は今。この牧場と、国内に2つ、国外に4つの会社から収入を得ている。現役時代に築いた人脈が、こうして田舎に引っ込んでもまだ私を都会に繋がらせている。
古き良き、ジェームズ・ボンドは過去のものとなった。
情報工作員の棲まう大地にも時代が変化が訪れたのだ。信号が走る電子網の中で、デジタルが諜報員達を縛り上げている。
そして自分の半生を費やした組織の過去を振り返ると、その悪手の連続にめまいすら感じてしまうが。
これが”最悪”ではないことを私は知っている。
優秀でありながら、名誉欲も、ありもしない妄想を満たすことからも切り離されている。そんなインテリジェンスの世界でこそ生きる、一流達はこの国からは姿を消してしまった。
今のあそこにはもう、何も残っていないに等しい。抜け殻であり、残骸だ。
私と私の古い友人たちは眉をひそめて悩ましく思っていることがある。そのことを今、私は訴えたいと思い始めている。
本ではこのまま湾岸戦争へと突入、そして続く世界を恐怖に落としたビッグボスの反乱へとつながっていく。
あと2週間もあれば、最終章の目算もできるようになるはずだ。
(問題は、そこ)
もう何杯目か数えることをやめた熱いブラックコーヒーを手に、カップから立ち上る湯気を唇で遊ぶ。
最後の部分、そこでホーリーと依頼人との間に認識の違いが生まれるのはどうも回避できないことになりそうだとわかってきた。
依頼人はきっとビッグボスによるアウターへブン、ザンジバーランドで終わるのが美しいと思っているのだろう。
だが、ホーリーはそうではない。
そこに続く”ある男”の登場こそが。腐敗し、死に体となってもまだ生き続けようとした組織に止めを刺したのだと確信し、彼女の本からそれを指摘して世に問いただしたいと考え始めていた。
これほどの悲惨な状況になっては、遠からず新たな世界の危機が起こっても。カンパニーはそれに口を差し出すことすらできないかもしれない。
ジョージ・シアーズ。
アメリカ合衆国第43代大統領。
ホーリーは「シャドーモセスの真実」を読み終わったとき、自分が記すことになるこの本のラストページに誰を書いたらいいのか。それを完璧に理解した。
在任中、とりたてて有能ではなかったが、無能でもなかった。
それでも確実の米国の”なにか”に止めを刺した、それがジョージ・シアーズという男ではなかったか?
ホーリーがそう考えてしまう理由もわかっている。
この男は、彼女がまだデビュー前。CIAに所属し、活動していたとされる。
そして奇妙なことに、そのときの彼を知る周囲もまた。同僚達は異口同音に、大統領時代の彼と同じ評価を口にしたからだ。それは同時に、彼が周囲にそう思われるようにと考えて行動した結果ではないだろうか?
それはスパイが他人を欺くための技術。なぜ、この男はそれを敵ではなく”味方”であるはずのCIAの同僚達にみせていた?
ついに現役の時代に顔を合わすことがなかった相手への無形の恐怖に、ホーリーは襲われて肩をぶるっと2度、震わせた。
続きは明日