99って……99……うーむー。
再回収されたサヘラントロプスはどうなっているのだろう?
心配はいらない。すべてのプラットフォームから監視可能な位置に作られた小さなそこに今も海風にさらされてその姿を見ることができる。
だが、それは以前とはまるで違う姿だ。
かつてのそれは勝利に喜ぶダイアモンド・ドッグズの兵士達を睨み返すように。力強く2本の足でプラットフォームを踏みしめ、見下ろす精悍な姿であったのに。
今はその足は奪われ、二度とたつことはできない。
それどころか、体の構造が崩れかけている。あの鋼の巨獣は存在するだけがやっと。まるで犯した罪の許しを請うかのように、大地にひれ伏したまま。その目にあった不敵な赤い光も奪われた。
わずかに数分、だがそれによってスネークはサヘラントロプスを完全に殺したのだ。そして以前よりもさらに屈辱的な、敗北者としての姿をここでさらし続けている。
直立していた時分には、ここに来た新人は捕らえられてもなお立派な勇姿に指を指して驚いていたものだが。今では彼らも、この残骸になりかけている巨人を見ようともしない。
年が変わり、敵が変わり、人もかわった事で過去になろうとしている。
サヘラントロプスの常駐するプラントはそうした小型の、そして小さなものが選ばれた。
同時にここにはその他の”ダイアモンド・ドッグズ”が封印したい資産が持ち込まれていった。
炎の男の本体、第三の少年についてのデータ、ヒューイが保存していたAIポッド。コードトーカーの声帯虫。
そういったものだ。
兵士たちの中には好奇心の強いものも確かにいたが、しかしここには自然と誰も近寄ろうとはしなかった。わずかにたった1年、それで得た様々な世界の暗部。ビッグボスのパンドラボックス(箱)。
渡された制服、装備に必ず埋め込まれているかつての仲間の輝きが、そこに近づくことをためらわせるのだ。
そしていつからだろうか。
彼らは数年前にハリウッド映画で見たシーンに重ね合わせたのか、そこを”聖櫃”と呼ぶようになった。
そこを管理するのは副司令官のカズヒラ・ミラーであり、そこにもっとも訪れるのは未だにそれらの証拠を集めているのをやめていないオセロットである。
その日のオセロットも、新たに入手した第3の少年の過去のデータをここに収めるために訪れていた。
もう、すべては終わったことだ。
それはオセロット本人もわかっている。だが、どうしてもやめることができない。
そして、深みにはまっているのだろうか。体調は、だいぶ胃腸が弱ってきているのを感じ。自分も弱気になれるのかと、皮肉っては湧き上がる怒りで鼓舞しようとする。その繰り返しだ。
小さな倉庫の一つに入り、ファイルケースに乱暴に封筒ごと入手したデータを放り込む。
自分たちが目にした、あのありえない事象。
まるで奇跡と表現するしかない圧倒的な力は、そこにはまったく記されてはいない。その原因もすでに集めた資料で予測は立っている。
常に亡霊となって現れたこの少年は、1984年のある日。
唐突にその力を爆発させた。そしてそれ以降、ビッグボスとダイアモンド・ドッグズの敵対する側に住み着いた。
なぜ、そんなことが?
その問いに答えは必要ない。それは学者の領分であって、自分たちのような軍人の考えることじゃない。
だがそこにある因果をオセロットはどうしても見てしまう。
それが、彼を今。苦しめ続けている。
頭を振ると、悩みも振り落としてしまいたいと思いつつ部屋を後にした。
部下達とは理由は違うが、ここにより多く訪れる機会のせいだろうか。オセロットもこの場所にあまりよい印象を持ってはいない。だからいつも足早に用が済むと立ち去ることにしている。
この時もそのつもりであったはずなのに。
なぜかオセロットの足はある場所へと彼を導いていく。
炎の男、その体。つまり遺体が安置された部屋に入っていく。
イーライの騒動の後のことだ。アフガンに駐留していたXOFがにわかに活発な動きを示した時期があった。あれはクワイエットが逃走した直前だった。
なにか貴重品を持ち出すのではないか、そんな情報をたどりカズヒラはビッグボスにその資産の回収を依頼した。
任務は時間内にあっさりと終了した。
印象的だったのは、やけに嫌そうなスネークの回収報告だったこと。実際にオセロットも、マザーベースまで運ばれて対面したときは本物かと一度は疑ったものだった。
エヴゲニー・ボリソヴィッチ・ヴォルギン――。
相続した「賢者の遺産」、それで巨大な軍事力を手に政権に影響を与えようとした男。
だがクレムリンをはじめとした多くの組織が彼の手にしたものを狙い。そして最終的にはスネークが、また別の女スパイと組んで彼を倒した。
彼が用意した異形の戦車、シャゴホット。
だがスネークはそれを相手にして、生身でまとめて屠って見せた。
「あいつらにとって、少年がいない今。役に立たなくなったのだろう」
あの時のカズヒラがいうまでもないことだ。
スネークへの憎悪はどれほど凄まじくとも、死者の側へと向かったものは決してこちら側には自分の力では戻ってこれない。
そしてその感情も、個人にしか向けられないのであればさらに使い方は少なくなってしまう。
死んで土に返ることを拒んだとてこれが限界なのだ。この体は、奇妙な死人としてこの先も存在し続けるのだろう。
「無様だな大佐。迷い出て、なにがしたかったんだ?」
オセロットの冷笑にも切れはない。
若い彼は、この男に仕えていた。スネークイーター作戦で現れたスネークと敵対し、その経験が彼を縛り続けていた運命の鎖から開放されるきっかけとなった。
だが、あの作戦では自分は同時に知らないうちに取り返しのつかないものも失った――いや、その話はいいだろう。
唐突に意識の隅に、輝くものが生まれた。そんな気がした。
オセロットはそれが失われないよう、必死に考え込む。なにがある?なにを思いつこうとしていた?
ダイアモンド・ドッグズは今、機能不全を起こしている。
それは多くの苦難を乗り越えたから、ではあるものの。それで終わりでもない。原因が、他にある。
何者かによる、ビッグボスへの疑惑の噂。それは確かに本人が必死に言い訳をしても解けるような誤解ではない。だが、このような毒がどこから入り込んだのか。
その解決法がオセロットには重要なのだ。
―ー原因だと?
自分はどうやら本当に調子を落としていたようだ。
今更、そんなことをいってどうするというのか?原因、とうにそんなものはわかっていることではないか。
そしてオセロットは思い出す。
イーライが子供たちをつれ、このマザーベースから”飛び去って”いってから数日後に起きた、あの一件のことを。
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オセロットの部屋の扉をけり開ける勢いで真っ青な顔のカズが訪れたのは、深夜のことだった。
彼はショックを受けつつ、そして同時に激怒していたのだ。
だが自分自身を見失わなかったせいで、ビッグボスではなく。オセロットの元に現れたのがこの男の悲しさをよくあらわしていた。
そうなのだ。
あの日、キプロスからビッグボスを連れ帰る。その任務を受けたのはオセロットであった。だとするなら、オセロットがこの衝撃の事実をまったく知らなかった、ではすまされない。
「これはイーライとボスの遺伝子検査の結果だっ」
「そうか」
だが、オセロットの態度は平静のままだった。
「そうか?ふざけるなよ、オセロット。これはどういうことだ?」
「意味がわからないなカズヒラ、何が言いたい?」
「確かに2人には血縁関係にはなかった。イーライはボスの息子ではない。
だが、こここにあるボスのデータが本人のものとは違う。俺はMSF時代、傷ついて戻ってきた彼のカルテにも目を通していた。これは一見、ボスと同じ血液型だが。俺が知っているビッグボスと”厳密には違う”血液型だ。
つまり、あの男は。俺たちのボスは、ビッグボスじゃない。赤の他人だ!」
「――ほう」
「とぼける気か!?オセロット」
「いや、そうじゃない。お前がそこまで断言するということは、9年前。当時のビッグボスのDNAを、あの時のお前は調べていたということになる。
お前は知っていたんだな。あのゼロの『恐るべき子供達』計画を」
「っ!?」
「そうでなければ、お前がその結果を見てそこまで気がつくはずはない。冷静だが、やはり熱い男なんだな。お前」
「ふざけているのか?ボスが偽者だと!?どういうことか、説明しろ!」
「……いいだろう、カズヒラ。だが条件がある」
「条件?そんなもの、俺が聞くと……」
「いや、聞いてもらうぞ。簡単だ、選ぶだけ。イーライかビッグボスか」
「――イーライか、ビッグボスか」
「そうだ。お前のことは俺自身も調べた。だが、お前がすべてを知る必要があるとは思っていない。それでも知りたいのならば自分で調べろ。それは別に、俺も好きにさせていたことでわかるはずだ」
「――お前が食事をした。国外で会った例の男の正体もか?」
それはスカルフェイス討伐後。
わずかのあいだ諸外国を飛び回ったオセロットは1人の男と食事を共にしていたことがある。カズはそれを差しているのだとわかったが、オセロットはわざとそれには答えない。
「どちらを選ぶ?イーライか、ボスか」
「……」
「どっちでもいいぞ。お前が聞きたいほうを、俺が知っていることすべてを話す」
オセロットの本心からの言葉だった。
元々、それほど必死に隠そうとしたわけではないし、探ろうと思えば方法はいくつもあったことだ。
カズの悩む時間は長くはなかった。
「――ならば教えてくれ。ビッグボスの意思とは、何なんだ!?」
怨敵を部隊ごと殲滅した喜びはどこかに消えようとしていた。
自分と一緒にいる男がビッグボスではない。それは同時に、自分の復讐が完璧なものではなかったかもしれないと不安を覚えさせるのだ
「いいだろう、本当のビッグボスは俺達と行動を別ち、新たな国家を築こうとしている」
「……国家?」
「真のアウターヘブン――国家なき武装組織ではない、独立武装国家を作る」
「――まさか」
「国同士の覇権争いや利害。報復の歴史の外側にたつ世界のバランスを保つための軍隊を擁する国。今もビッグボスは失った9年という時を取り戻すように、この実現に世界のどこかで人知れずに動いている。
そして俺達は、それが形となるまでもう一人のビッグボスを助ける。彼とゼロが創造した伝説の傭兵を引き継いだ、もう一人のスネークを」
「もう一人……亡霊ということか」
カズの声から急速に生気が失われていくのがわかる。伝えられた真実に、ビッグボスの計画に自分が入っていないということへの虚ろさを骨に響くほどの寒さのようにこたえる。
「これこそがビッグボスの意志だ」
そうだ、オセロットは嘘を言っていない。
そもそも代役と用意された、亡霊でさえもそうだった。ビッグボスは常に未来のために戦う。自分のように、過去の報復心に縋りついた男と志がそもそもまったく違っていた。
カズのようにいざスカルフェイスに銃を突きつけても、思えば彼は自分の意志だけではなにもしなかった。
それは亡霊だから、じゃない。
例えあれが本人だったとしても、あの時点で世界の歴史から抹消される運命の中にいたスカルフェイス本人への報復の必要性など考えなかっただろう。
だが、カズヒラは違う。
吹き上がる憎悪のままに、失った手と足を奪いとり。慈悲をかけずにそのままに残した。
ありのままに、無様にそうして死んでしまえ、と。スカルフェイスがいつも狂喜しながらするように、自分もそれを望んだ。
ビッグボスはだからカズにも、ダイヤモンド・ドッグズにも来なかったのだ。
最初からここに彼の未来はないから……。
「わかった……9年前、俺はまだなにも喪ってはいなかったんだ。俺は、今度こそ本当に全てを喪った」
思い起こせばピースウォーカー事件直後。
ゼロ少佐に当時の高揚感を丸出しにして『あの男(BIGBOSS)は使える』などと口にした自分の間抜けさ、傲慢さの報いをひしひしと感じる。
手を、足を失った以上に。心の中に空いた穴が、そこを抜けていく風の冷たさをより強く感じさせ、虚ろにさせていく。
「ボスも、ボスとともに築く明日も」
オセロットは血を吐かんばかりにショックを受けるカズを冷たく見つめる。
その姿は、かつて眠り続ける男の傍らで必死に希望を失うまいと必死に絶望につぶされまいとしていた自分を思わせる。そしてこの男は同情した。
「やがてBIGBOSSの息子達の時代が来る。彼等はボスを敵とするだろう」
イーライのことだ。カズにもこれはわかった。
「その時代を変える、俺達にも役割がある。真実と亡霊、2人のBIGBOSSによる革命の土台を築く」
ここにきて、オセロットは初めてカズに真摯に向き合おうとしていた。
同時に、それは共に今から未来を見つめようという”共犯”への誘いも含まれている。嘘を生業とする男は一度だけ、真実の重いからその手を差し出していた。
だが――。
カズは「いや」と前置きをして語りだす。
相貌にはすでに暗い光が宿り、歪みきった報復心に新たな火をくべようと虚ろな炎を上げるたいまつを握りしめていた。
「俺はビッグボスを討つ。その影(ファントム)も、息子達も、俺が大きくする。そのためだけに俺はこの役割を続けさせてもらう」
「そうか」
選択を行った相手を前に、オセロットは静かに仮面をかぶりなおす。差し出した手は、にべもなく振り払われた。
約束が守られれば、未来に互いは敵となって再会することになるはずである。
「いずれボスは1人になる。彼の息子達もいずれは対立する宿命になる。
カズヒラ、いつかお前がサイファーにつく日が来たら。俺はもう一人の息子につく。その時はお前とも、敵同士になる。どちらかが、どちらかを殺す」
それはオセロットによる宣言のふりをした、宣告であった。
ザ・ボスからビッグボスへと継がれ、ビッグボスからオセロットへと継がれた真の戦士なら逃れられないシュクアを含んでいたが、もはやカズがそれを感じとるセンスは残っていなかった。
「それはいい」
文字通り、宣言を素直に受け取る無様をさらす。
カズにとっても、ビッグボスへの想いが変わればそのつながりとなるオセロットへ、これまで隠していた苛立ちが憎悪となって噴き出し始める。
「俺は次の時代に備える。あんたとはそれまでの”共生”だ」
荒々しく部屋を立ち去る男の背中にオセロットも何も言わなかった。
だから、その後でもこの男が愚かな事を始めても。あえて何も言わず、カズがのぞむように。”あるがまま”に好きにやらせた。
(それが、それがこの今の有様というわけか!?)
――自分に対しての、怠慢だった己の態度に向ける怒りが彼を現代へと引き戻した。
恐ろしげなその目は、未だに自分に対して腹を立ててはいたが。すでに頭の中では新たな解決策を練り始めていた。
あー、明日。明日ね。