アクセル・ワールド~蒼き閃光~   作:ダブルマジック

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 どうにか会うことができたマリアと一緒におばあちゃんが入院する病院へとやって来たテルヨシ。

 そのおばあちゃんとマリアとこのご時世にあまり使うことのないアドホック・コネクション――直結とは違い、複数のニューロリンカー同士をサーバーを介さずに無線相互接続する機能――を用いてチャットで会話を始めていた。

 

【HL> テルさんですよね。はじめまして。マリアの祖母の遥香(ハルカ)と言います。マリアからあなたのことは聞いています。時々買ってくるケーキを作ってるんですよね。いつもマリアがお世話になっています】

 

【TL> 改めて自己紹介を。皇照良と言います。こちらこそいつもマリアには足を運んでもらってお世話になってます】

 

 視界に表示されるチャットを見て、おばあちゃんはテルヨシの謙虚な姿勢がおかしかったのか、クスクスと笑い出し、ちょっと自慢気にするマリアを見てまた笑い、軽やかな手つきでまたチャットを打つ。

 

【HL> 私は耳が不自由なので、チャットでしかお話できませんが許してくださいね。それで今日は何かご用があったのですか?】

 

【TL> 特にご用があったわけではなく、成り行きでこちらに。最近、マリアの様子が少し違ったので、心配して学校まで会いに行ったらここに】

 

【HL> それはそれは。ご心配をかけたようで。マリアへのお気遣い感謝します。マリアは優しいお兄さんと友達になったのね】

 

 そんな風に優しいお兄さんなどと言われて思わず照れてしまうテルヨシだったが、おばあちゃんのタイピング速度と、自分のタイピング速度に大差ないことにちょっとショックを受けるも、それよりも次に起こったことに一層の驚きを見せる。

 

【MA> おばあちゃん、テルを褒めると調子に乗るからあんまり言っちゃダメだよ。お店だといっつも女の人に良い顔してるだけのお兄さんなんだから。作るケーキは美味しいし、実際優しいのは認めるけど……】

 

 マリアの言い分には抗議したくなるテルヨシではあったが、それよりも何よりも、マリアのタイピングが速いのだ。

 単純に比べてもテルヨシの2倍は速いし、このレベルのタイピングをしていたのは、テルヨシの身近では黒雪姫くらい。

 手元を走る指先がそれぞれ別の生き物のようにさえ見えるタイピングだったため、思わず硬直してしまう。

 

【HL> あらあら。普段はそんなにツンツンしないのに、テルさんの前だとこうなるのね】

 

【MA> ツンツンなんてしてない】

 

【HL> はいはい、そうなのね。それじゃマリア。ちょっと飲み物を買ってきて。マリアとテルさんの分】

 

 おばあちゃんの言葉にぷくぅ、と頬を膨らませてしまったマリアだったが、飲み物を買ってくるように言われれば、素直に言う通り病室を出ていってしまい、それを見届けてからおばあちゃんはテルヨシに椅子に座るように促し、それに甘えて椅子に座ると、おばあちゃんは少しだけ表情を真剣なものへと変えてチャットを打ち始めた。

 

【HL> あの子の親は、育児放棄をしているんです。昔から仕事一筋の息子が、同じ職場の女性と結婚して、マリアを産んだまでは良かったんですが、マリアが物心つくより前に私にマリアを預けて2人ともイタリアへ移住して仕事に明け暮れてしまいました。それからはずっと私がマリアの世話をしてきましたが、両親に愛されなかったあの子の心はどこか閉鎖的になってしまって、家の外での話は全くしてくれませんでした】

 

 おばあちゃんから語られたマリアの身の上話は、テルヨシにとってどこか共感できてしまう痛みがあった。

 親に愛されなかった。

 それがどれほど辛いことか、テルヨシには十分にわかってしまう。

 幼馴染みのサクラがいなければ、テルヨシも暗い性格になっていたかもしれないほどに。

 テルヨシの母親は、テルヨシをただの収入源としてしか見ていなく、そこに愛などひと欠片もありはしなかった。

 マリアも自分と同じだったのかと思い表情が変わったテルヨシに対して、おばあちゃんは何を思ったのか、1度笑顔を見せてまたチャットを打って話をする。

 

【HL> ですが、一昨年のクリスマスイヴに、サンタさんに貰ったと言うケーキを持って帰って来た時のマリアは、とても嬉しそうにその時のことを話してくれました。昨年はテルさんが何か言われたようで、とても明るいマリアがまたケーキをお土産に帰ってきました。年が明けてからはニコさんという方と仲良くなったのを話してくれて、学校でも仲の良くなった子とのお話をしてくれて、マリアは少しずつ変わってきています。そのきっかけはきっと、テルさんなのだと思います。私はあの子のそばにいることしかできなかったので、テルさんには本当に感謝しています。マリアは優しい子です。優しすぎて自分を押し殺してしまうことが多い子ですが、どうかこれからも仲良くしてあげてください】

 

【TL> 仲良くしない理由がないですから、ご安心を。それに僕はマリアのことが大好きですし】

 

【HL> すみません。本当ならテルさんに話すようなことでもないのですが、マリアのこととなると心配性になってしまって。こんな話をしたことがマリアに知られても困りますし、ログは消去しますね】

 

 テルヨシのそんな返事にとても安心したようなおばあちゃんは、それでこの話を終わらせて、残るログを消して今度は他愛ない話をし始めたので、テルヨシもそれに付き合ってあれやこれやと話をし、少しして飲み物を買って帰ってきたマリアも加わって楽しい時間を過ごしていった。

 おばあちゃんへの見舞いを終えて病院を出たテルヨシは、これから加速世界で領土戦が始まるので、今回攻め込む戦域に移動を始めようとするが、その前にマリアと向き合って話をする。

 

「なぁマリア。マリアが良ければ、オレと連絡先交換しないか? ニコたんが知ってて、オレが知らないってのはなんか悔しいし」

 

「……テルに連絡することないよ?」

 

「マリアからなくても、テルヨシお兄さんはマリアともっとたくさんお話したいのだ。それに1人が寂しい夜もあったりなかったり? そんな時にマリアとお話できたら寂しくないなぁって」

 

「……女を口説く常套手段?」

 

「またニコたんかそれ……神に誓って口説いてない。それに友達の連絡先知らないって寂しいだろ?」

 

「…………友達……テルは私の友達?」

 

 なんだかまたユニコの妙な吹き込みによってマリアがいらない知識を持っていたが、テルヨシの友達発言に本当に驚いたのか、目を丸くするマリアに対して、目線を合わせたテルヨシが「もちろん」と答えると、何も言わずに連絡先を渡したマリアは、テルヨシの連絡先を貰ってから一言言って走り去ってしまったのだった。

 

「うおりゃあああ!!」

 

 マリアと別れてから移動した今回の領土戦を仕掛ける足立第1戦域にて、約1ヶ月ぶりに参戦したテルヨシは、一緒に移動してくれた《エピナール・ガスト》とその子、《スノー・イーター》とチームを組んで黄のレギオンと激しい戦いを繰り広げていた。

 テルヨシとガスト、スノーのチームは、いつかの中野第2戦域奪取作戦の時、領土戦に参加するために一時的に3人でレギオンを結成していたのだが、それきりにするのは勿体ないかもと思ったテルヨシとガストがスノーを巻き込んでそれ以降も解散せずに気まぐれに各地の領土戦に参加していた。

 そんなテルヨシ達のレギオン《メテオライト》は熟練され息の合った連携と得意の必勝パターンを持つことから、今や加速世界でその名の《隕石》のごとく軽い災害扱いされ、非常に迷惑がられていた。

 6大レギオンと最近復活した《ネガ・ネビュラス》は特にテルヨシ達を警戒していて、毎週仕掛けてこないかと緊張しているとかいないとかは風の噂だが、そうやって大レギオンに危機感を持たせられているならテルヨシ達もまんざらではなかったりする。

 元々、今の6大レギオンの不可侵条約が気に食わなくてやっているのだから当然と言えば当然なのだが。

 そんな今日は、チームの必勝パターンをやっていて、前半はテルヨシとガストが前へ出て敵を足止めし、その間にスノーが必殺技《オルタレイション・ブリザード》を使ってフィールド属性を《氷雪》ステージへと変更。

 今はその段階まで進んでいて、あとはスノーの第2の必殺技《ジャイアント・スノーマン》が発動すればほぼ勝ちである。

 巨大雪だるまとなったスノーは、本人のHPとは別に強化外装と同じような装甲耐久値が設定されていて、ダメージを受けるとその体積がどんどん減って小さくなっていくが、ほとんどの場合はそれより早く相手が全滅するため関係ない。

 もちろん熱系の技に滅法弱いという弱点も存在するが、事前に防衛側のチームが防衛戦域を振り分けしてから領土戦が組まれる仕様上、ゲリラ的に領土戦に参加するテルヨシ達に合わせてマッチングできる相手はそういなく、スノーの天敵と当たる確率はだいぶ低い。

 そんなわけで今日も豪快な声をあげながらに戦うガストを視界に捉えつつ、スノーの必殺技ゲージが一気になくなったのを確認したテルヨシは、ガストに合図を送って後退を開始。

 入れ替わるようにして巨大雪だるまと化したスノーが前線へと向かっていって、降り積もった雪に足を取られて動きが鈍った黄のレギオンメンバーを蟻でも潰すように踏んでいって壊滅させた。

 

「そういやさ、スノーのやつは単独戦でやり合えるようにはなってきたの? バトロワ祭りにはたまに参加してるのは見かけるけど」

 

「あー、まぁそうね。最近レベルも1つ上がったから、その時のボーナスで良い勝負ができるようにはなったけど、元々特化型にしてる分、賢く戦わないとダメね。私はそういうの苦手だから、あの子に何を教えればいいかわかんなくて今は考えさせてるところ。ダメな親よね。ボンバーを見習いたいわ」

 

 視界の相手のHPがゴリゴリ減っていくのを見ながら、傍観に移ったテルヨシとガストは、そんな大暴れ中のスノーのことを話すが、どうにも行き詰まってる感じがうかがえた。

 今やスノーもテルヨシと同じレベル6へと上がり、実力も自信も出会った当初よりずいぶんついていたが、テルヨシも直接の対戦自体はほとんど経験がないため、まだまだ未知数なところがある。

 ガストもガストで災禍の鎧の一件以降、プロミの《カーマイン・ボンバー》ことバーちゃんと一緒にレベル7へと上がり、また厄介な力をつけていたが、すでに自分の戦い方を確立しているガストは、タイプの違う子を上手く導けない自分が悔しいようだった。

 

「あれもこれもってやってあげてたら考える力がつかないから、ガッちゃんのやり方は間違ってないと思うよ。モビールなんて『殴って蹴って戦えばいいんじゃないか?』ってふざけたことしか言わないで対戦三昧だったからな。何より自分のアバターなんだし、どうすれば勝てるかを自分で考えるのは当たり前。過保護も良くないって」

 

「モビールもずいぶんなスパルタね……でも確かに考えさせるのは悪いことじゃないか。あの子ももう中堅クラスの仲間入りしたんだから、厳しくしないと負け続きになって全損しそうで怖いわ」

 

「ガッちゃんはなんだかんだで甘いからねぇ。スノーもつい頼っちゃうってのがありそう」

 

 そこまで会話すると、テルヨシの視界に勝ったことを示すリザルトが現れて、ガストと拳をぶつけて勝利を喜び、少しして元のサイズに戻ったスノーが2人に走り寄って「やりました!」と体で喜びを表現した。

 

「よしスノー! これから帰ったらあんたを通常対戦でしっかり勝てるように鍛えるわ! いつまでも相手を選んで対戦なんてみみっちいことやってたら、本当の実力がつかないんだからね!」

 

「ええ!! どうしてそんないきなり特訓!? 今日はもう領土戦で疲れて……」

 

「今ので疲れる部分がどこにあったのよ! おっきくなってドカドカ歩いてただけでしょ! 男の子なら弱音は吐かない!」

 

「ひぇええ!! テ、テイルさん! 助け……」

 

 勝利を喜んだのも束の間。

 早速テルヨシとの話で決まった方針を実行に移したガストに、スノーは戸惑うばかりでテルヨシに助けを求めるが、そのテルヨシも今回はガストの側なので視線を向けられるより前に両手を合わせて合掌し、それを見てスノーは言葉を失った。

 そのあと挨拶も短く加速を終えて消えていった2人を見届けてから、テルヨシも加速を終了。

 帰りの電車の中で2人のこのあとのことを想像したら、自然と笑みがこぼれてしまう。

 しかし同時に、ガストとスノーの関係がとても羨ましくて、少しだけ寂しい気持ちになってしまった。

 親子の絆は特別だ。

 それはテルヨシも例外ではなく、先ほどはいい加減な親などと言いはしたが、モビールと過ごした時間は、今のテルヨシを作った上で間違いなく土台になっているし、何より対戦の楽しさを教わった大切な時間だった。

 しかし今、テルヨシのそばにモビールはいない。それをちょっとだけ寂しく感じてしまったのだが、いないものは仕方ないので、ないものねだりも良くないと自分に言い聞かせて、明日のバトロワ祭りへその意識を向けていったのだった。

 翌日参加した久々のバトロワ祭りは、テルヨシの登場を待ちわびていたバーストリンカー達の痛烈な洗礼によって開始からわずか10分ほどで退場させられてしまい、不完全燃焼で終わっていた。

 この借りは来週必ず返すと心に誓って終えた日曜日が明けた平日。

 また学校とバイトの日々が始まったテルヨシは、特に何事もなく1週間を過ごしていったが、ただ1つ、変化としてマリアが店に1度も来なかったのだった。

 毎週1度は来ていたこと自体が結構な頻度で、むしろ1週間くらい来なくても不思議はないくらいなのだが、先日マリアの身の上話を聞いたばかりのテルヨシは、なんだか胸騒ぎがして土曜日のバイト終わり。

 今日の領土戦を仕掛ける戦域に移動する前に、店からマリアにボイスコールをしてみた。

 長い呼び出し音が続くので、テルヨシは徐々に不安になってくるが、ようやく繋がったことでひとまず安心。しかし繋がったはずのマリアから応答がなく、本当に繋がったのかを疑ってしまう。

 

「……マリア?」

 

『…………ごめんなさい。今はちょっとお話できない……』

 

 テルヨシの声にたったそれだけ返してボイスコールを切ってしまったマリア。

 しかしテルヨシは今のマリアの言葉から、自分の能力をフルに発揮して状況を理解しようとする。

 声の大小。テンションの高低。沈黙の長さなどなど。

 言葉を発するという行動から得られる情報はテルヨシにとってかなり多いが、そこから得られたマリアの心理状況はかなり深刻であることがわかった。

 深い悲しみと、他人を拒絶し自己の殻に閉じこもろうとする言動。

 しかし、テルヨシのボイスコールに応じたことによるわずかながらの何かを求める心と、それは迷惑だと思う葛藤による沈黙。

 つまり今、マリアはなんらかの悲しいことを経験しているか、したかだが、この際過去形だろうと現在進行形だろうと関係ない。

 今、マリアの心は確実に弱っているのだ。

 それがわかったテルヨシは、次に領土戦に行くはずだったガストに今日はキャンセルの連絡としてほとんど訳も書かないテキストメールを送ると、店を出てバスに乗る前にユニコにボイスコール。

 ユニコなら何か知っているかもと尋ねるが、やはりマリアの性格上、誰にも何も言っていない方が可能性として高く、事実ユニコもこれといって何か聞いてはいなかった。

 だが、テルヨシはこの時点である程度の可能性を考えていたが、それはとてもとても悪い可能性だったため、当たってほしくないのが本音だった。

 そしてバスに乗り込んだテルヨシ。確信はなかったが、しかしテルヨシはそこしか行くアテがなかったため、まっすぐその目的地へと向かった。

 その途中、傘を使わないとずぶ濡れになりそうなほどの雨が降ってくるが、今はそんなことよりもマリアのことで頭が一杯だったテルヨシは、バスの座席で早く着けと気持ちが前のめりになっていた。

 そんなテルヨシを乗せたバスが目的地に着いたのはおよそ20分後。

 バスから降りて走れそうなほどに全力で足を動かすテルヨシは、辿り着いた病院の扉を潜って、面倒な院内ローカルネットへのアクセス手続きを終えて奥へと進み、先週訪れたマリアのおばあちゃんがいる病室の前に行くと、廊下に備えられたベンチに座るマリアが、看護師さんの介抱を受けているのを発見。

 

「…………マリア」

 

 その姿を見たテルヨシは、迷うことなくマリアへと近づいてその目前まで行くと、俯いていたマリアもテルヨシの声に反応してその顔を上げたが、表情は今まで1度として見たこともないほどに絶望の色に染まって、瞳に光が宿っていなかった。

 

「…………テル?」

 

「……急に切ったらダメだろ。心配する」

 

「…………ごめん、なさい」

 

 そうやって謝りはするマリアだったが、別に怒るつもりなんて微塵もなかったテルヨシは、それを聞いてマリアの頭を優しく撫でてから、看護師さんに会釈して自分がそばにいることを伝えて、空いていた右隣に腰かける。

 テルヨシの悪い予感は当たってしまったようだった。

 おばあちゃんのいる病室では、数人の看護師と医者が何やらやっていて、それはもう、何かを終えた後のような落ち着きであった。

 病室の中の様子を見ていたテルヨシだったが、そこで不意に左の袖をマリアに握られてそちらを向けば、次には顔までくっつけてきた。

 

「…………おばあちゃんが……」

 

 たったそれだけ。

 それだけ聞いてテルヨシは何も言わずにマリアを自分の胸の中へと抱き入れて、その頭と背中に優しく触れると、テルヨシに包まれたマリアは、その胸の中で声を殺すように、静かに泣き始めたのだった。

 元々、元気な人間が入院などするはずもない。

 入院するからにはそれなりの病状や怪我があり、医者がそうしなきゃならないと判断したからいるのだ。

 マリアのおばあちゃんだってその例外ではないのは、テルヨシもわかっていた。

 しかし、先週に見たおばあちゃんの元気そうな姿に、心のどこかで安心しようとしていた。

 その思考の放棄が、マリアの不安と恐怖の感情。それがいったいどこから来ていたのかを見過ごしてしまっていた。

 マリアのおばあちゃんは、虚血性心疾患。いわゆる心筋梗塞だったらしい。

 以前から不整脈が目立ってきたために入院してもらっていたのだが、それも及ばずとなってしまった。

 マリアの不安と恐怖はまさにここにあったのだと、そうなってしまってから理解したテルヨシは、泣き続けるマリアの代わりに医者からそんな話を聞きながら、自分の至らなさをこの上なく悔いていた。

 テルヨシが事前に気付いたからといって、別段なにか状況が変わることになるかと言えば、決してそんなことはなかっただろう。

 しかし、それに気付くチャンスがありながらに、気付けないままいつも通りに過ごした日々の裏で、マリアがどれほどの思いを抱いていたかを考えたら、胸が張り裂けそうになる。

 今のテルヨシにできることは、泣き続けるマリアをその体で受け止めて、今にも折れてしまいそうな心を支えてやることだけ。

 かける言葉など、テルヨシには何ひとつ思い浮かびはしなく、少しだけ抱き締める力を強くして、ただずっとマリアが泣き止むのを待ち続けるのだった。

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