Acceleration Extra1
2047年6月17日。月曜日。
いつもと変わらない朝を迎えた悠木麻理亜は、まだ覚醒しきってない頭でフラフラしながらも自分の部屋から出てまっすぐ洗面室の方へと足を運び顔を洗いに行く。
寝ぼけた頭も冷たい水が顔を刺激したことで幾分は働くようになると、タオルで顔を拭きながら昨日のことを思い出す。
昨日16日の日曜日。
マリアは学校の委員会の仕事で陽が傾きかけた夕方頃にようやく帰宅することができ、いつもと変わらないはずの大切な家族である皇照良のいる自宅マンションへと戻ったのだが、マリアが帰ってくるとすでに夕食の支度を始めていたテルヨシはテーブルにクッキーを焼いて置いてあることを伝えると、そこから全く途切れない会話をマリアとしながら調理をしたが、話しているうちにいつもなら2言目には話題として出てくる『あの話』が全く絡んでこないことにただならぬ不安が込み上げてきて、焼いてくれたクッキーも1度食べるのをやめてソファーでニューロリンカーをグローバル接続。
すぐに加速してマッチングリストを開き、そこにあった適当な対戦相手を選んで対戦を挑むと、対戦目的ではなく話をしたいと始めから降参のポーズで出ていって会話へと移行し、そこで対戦相手から衝撃的な事実を知ることとなった。
「…………だよな?」
それらのことを順に思い出すように頭を働かせていたら、朝食を前にいつも通りのテルヨシが会話による朝のコミュニケーションを取ってくれていたみたいで、話が耳に入ってなかったマリアはそれに聞いてなかったと謝りもう1度ちゃんと耳を傾ける。
「マリアがボケッとしてるなんて珍しいな。えっと、今日は放課後にうちの学校に来るんだよな? って聞いたんだけど、合ってるよな」
「あ……うん。今日はご挨拶とお掃除だけになると思うけど」
「そっか。これから毎日、放課後は寄ってくんだよな。だったら姫にもよろしく言っておくから、小学生だからって遠慮しなくていいぞ。あの副会長様なら大抵の要望はまかり通るし、恵も味方してくれるはずだし」
「う、うん。ご迷惑がかからないくらいには頼りにしてる。でもテルは余計なことしないでよ。テルの関係者だって言いふらされて目立ったらやだもん」
「ぐっは! 絶対言いふらすつもりだったのにぃ! オレの家族だって知ったらもう校内敵なしレベルになるのに勿体ない……」
「それが嫌なんだけど……」
そうして話していた内容を改めて聞けば、今日の放課後に昨日も動いていた委員会の仕事で梅郷中学校に訪れることについてで、以前からそんな話はしていたため確認のような形で進んだ会話はいつもの2人の日常として全く問題はなかった。
その後は2人で一緒に途中まで登校し、まっすぐ松乃木学園の初等部校舎へと入って自分の教室までやって来たマリアは、自分の席にランドセルを置くものの、まだ整理できていないモヤモヤとした気持ちを吐き出すようにしてその場で小さなため息を吐く。
そんなマリアの視界に、ポーン、という音と共にアドホック・コネクションを要求する表示がされ、もう学校に来たら絶対に了承することになっていたそれに許可を下ろして視界内に現れたチャット窓を横目にその要求をしてきた人物を向く。
マリアより遅れて教室に入ってきたそのクラスメートは、マリアへとにこやかな笑顔を向けながら左隣の自分の席までやって来てランドセルを置くと、その両手を持ち上げて目を疑うようなタイピング速度でチャット窓にテキストを打ち込んだ。
【UI> おはよう、マーちゃん。今日は何やら浮かないお顔です。何かあったのですか?】
綺麗な黒髪を後ろで1つにまとめてポニーテールにした純和風な可愛らしい容姿をしたマリアよりも少しだけ小柄なそのクラスメート、
彼女は訳あって自ら発声ができない症状があり、こうしてチャットで会話をするのだが、そんな彼女とマリアが仲良くなったのは3年の学期末。丁度マリアがバーストリンカーになった頃からの友達で、もちろんそれは偶然ではない。
彼女もまたマリアと同じバーストリンカーの1人で、そのレベルもプレイ歴もマリアなど遠く及ばないベテランリンカー。
かつては黒雪姫のレギオン《ネガ・ネビュラス》に所属していたことまでは聞いていたが、聞いたのはそれだけでやんごとなき事情を抱えていそうなのを察してそれ以上のことは未だに聞いてはいなかった。
「おはよう、うーちゃん。特に嫌なことがあったとかじゃない、けど……うーちゃんの耳にも届いてるよね。昨日のこと……」
きっかけはブレイン・バーストながら、今や校内一の仲良しとなって、マーちゃん、うーちゃんと呼び合うような関係になっていた謡は、そうしてマリアの気持ちを理解できる立場にあることから、返ってきた言葉だけで浮かない顔をする理由についてすぐに思い当たったようで、少しだけ考える素振りを見せてから両手を動かしてチャット窓にテキストを打ち込む。
【UI> お話はうかがっているのです。マーちゃんの親、《レガッタ・テイル》さんがサドンデス・デュエルでローねえに負けて『全損した』ということは】
そうした謡のテキストの、全損という文字が出た瞬間、マリアは無意識にその体を小さく跳ねさせてまばたきすら忘れてるような固まった表情になるが、すぐに息を吐いて自分を落ち着かせるようにして席に座ると、それを見た謡は心配するようにまたチャット窓にテキストを打ち込む。
【UI> マーちゃんの気持ちはわかるのです。親を失うということは、自分が想像していた以上に辛く苦しく悲しいのです。親子の絆が深ければ深いほど、その欠落は残された者に苦痛となって襲いかかります】
自分ももう親がいないことを意味する謡の共感するような言葉に、全く以てその通りなのが今更ながらに現実味を帯びてマリアを襲い、もうあの世界でテルヨシに会えない。
そう考えただけで途端に涙が溢れそうになったところで、謡がその手にハンカチを持ってマリアに差し出してきて、お礼を言いながらそれを受け取って出てきた涙を拭く。
テルヨシの最近の変化には、なんとなく気付いてはいたマリア。
事実、先週に1度だけこうなること――レベル9になるような兆し――を示唆する言動もあったため、それによって全損するかもしれない可能性も低いながら予想はしていたのだ。
だがそんなテルヨシを止めようとしなかったのは、テルヨシの目指した道がバーストリンカーがバーストリンカーとして進むべき至極全うな道だったから。
その道はほぼ全員が目指しながらも、最後まで迷わず進もうとする者は限りなく少ない、多くの犠牲を伴う茨の道。
マリアの知る限りではテルヨシと黒雪姫のみが、まっすぐにこの道を歩んでいると断言できるほど、険しい道。
それがわかっていながら、まっすぐ進むことを決めたテルヨシを、たとえ子である自分でも止めてはいけない。
そう思ってマリアはテルヨシのすることに何も言わなかった。
【UI> マーちゃんが悲しんでいるのはきっと親の全損ではなくて、それによって変わってしまった今までの関係なのです。ブレイン・バーストをアンインストールした人はそれに関する記憶を失ってしまいますが、マーちゃんの悲しみは言い方は少し悪いですがずいぶんと浅いように見えます。おそらくそれは、テルヨシお兄さんが今までと全然変わらずにその『記憶だけ』を綺麗になくしていたからなのです】
だからいつかテルヨシが全損するかもしれない可能性と、その覚悟ができていた分、それを知った時の衝撃こそあったものの、取り乱したり変に悲しんだりといったことにはならなかった。
その大きな理由は、再びテキストを打った謡の言葉通り、全損し記憶を失ってもテルヨシが自分の知るテルヨシのままだったからで、的確な指摘にマリアがこくりと首を縦に振って頷くと、謡は優しい笑顔をマリアへと向けてから、またテキストを打ち込む。
【UI> それはとても凄いことなのです。きっと私やローねえ……サッちんや他、多くのバーストリンカーは、全損して記憶をなくしてしまえば、それまでの自分でいられる可能性はとても低いのです。だからテルヨシお兄さんが今まで通りでいることは、とても幸せなことなのですよ。マーちゃんは良い親を持ったのです。誇って良いのです】
「…………うん。ありがとう、うーちゃん」
【UI> 正直に話すと、今日はマーちゃんが登校してこないのではと思ったのですが、私はマーちゃんをちゃんと信頼していなかったのです。マーちゃんはとても強い子なのです。それとこれからはテルヨシお兄さんの分まで私がお姉さんとしてビシバシご指導させてもらうのですよ】
「お手柔らかにお願いします……」
きっとテルヨシが全損するかもしれない戦いにためらいなく飛び込めたのは、自分がいなくなってもこうして代わりにマリアを導いてくれる人物が多かったからというのもあったのだろう。
と、謡に先輩風を吹かれながら思ったマリアは、他にもユニコやパドの顔を浮かべては自分が1人ではないことを理解して、小さな笑みを浮かべると、いつまでも悲しんでいても仕方ないと涙を止めて前を向く。
そして自分がこれからどうするかも、その後の授業中にぼんやりと考え始めたのだった。
それからあっという間に放課後となれば、自分の入っている飼育委員会の仕事で委員長である謡と一緒に梅郷中学校へと赴くために汚れてもいいように体操着へと着替えてから学校を出る。
今日は梅郷中学校で長らく使わずに放置されていた飼育小屋の掃除をする必要があるということでそういった格好をしていたが、そもそも何故そのようなことをすることになったのかは、松乃木学園の事情が関係していて、財政事情やら少子化やらといった子供の知るところではないところで問題があって、近々敷地の一部を売却して初等部と中等部の合同校舎を新築することとなり、初等部の現校舎が今学期で取り壊されることとなってしまって、その移行に取り残されてしまった飼育小屋の動物達が行き場を失ってしまって、大人は『適切に対応する』とは言ったが、小学生のマリア達でもその意味は理解できてしまう。
それでは困ると謡達が抗議したことでここ最近でほぼ全ての動物達が引き取り手を見つけることができて事なきを得たものの、どうしても引き取り手を探せない動物を梅郷中学校で飼育場所を提供してもらって飼育するという話になったわけだ。
そんなこんなな事情で午後5時頃に辿り着いた梅郷中学校もすでに放課後で下校する生徒や部活の生徒で賑やかになっていて、それを横目に事前に話は通っていたため入場はすんなりといき、教えられた飼育小屋のある場所へと向かってみる。
そこにはマリアの知る人物がうんうんと唸りながら小屋の掃除をしているところで、梅郷中学校の方でも飼育委員が数人、協力者として選出されることは聞いていたマリアは、横でアドホック・コネクションの許可申請を送った謡を見ながら、こちらに気付いて向き直ったおそらくは飼育委員である有田春雪へとペコリとお辞儀をした。
「あ、え、えっと……君は確かテル先輩のところの……悠木、さん?」
「悠木麻理亜、です」
【UI> マーちゃんのお知り合いさんでしたか。初めまして、こんにちは。私は松乃木学園初等部4年の、四埜宮謡と申します。この度は当方からの急なお願いをお引き受けくださりありがとうございました。大変ご迷惑をおかけして申し訳ありません。遅くなりましたが、私達もお掃除をお手伝いいたします】
マリアを見るやうろ覚えらしかったマリアの名字を口にし、ちゃんと名乗ったマリアに続いて、アドホック・コネクションも完了した謡も見事なタイピングで挨拶を済ませてみせるが、当のハルユキが謡の言ってることの半分以上を理解してない風だったので、自分達の事情やらを説明するために少し時間を割いていき、理解がなされたところで改めて途中だった――しかしもうほとんど終わってしまっていた――飼育小屋の掃除を再開していき、3人になったことで効率も上がってあっという間に終了。
使った道具の返却やら着替えやらを済ませた頃には強制下校時刻の午後6時15分前。
面倒なことになる前に帰ろうとしたハルユキを他所にマリアと謡は今回の協力に一役買ってくれた人物に会うために生徒会室へ行くと言えば、ハルユキも同行すると言って3人で生徒会室へと向かい、謡がためらいなく押した入室ボタンに応じてドアロックが解除されたその部屋に一礼して入っていったマリアは、昨日の今日でまだ会うには早すぎる気もする人物、黒雪姫と対面した。
「すまない謡、マリア。ちょっと生徒会の仕事が忙しくてな。そっちにまで手が回らなかった」
生徒会室へ入っての黒雪姫の第一声は、少し慌ただしく動きながらの謝罪で、その姿は飼育小屋の掃除を手伝うつもりだったのか制服ではなく体操着。
ようやく仕事が片付いたようで落ち着いてドアの前に視線を向けると、そこにハルユキまでいることに少し驚くものの、謡によって飼育委員であることを知らされれば納得しハズレクジを掴まされたかと選出の理由について勘ぐると、ハルユキも空笑いで返す。
そしてどういう顔で黒雪姫を見ればいいのかわからずにちょっと睨むような感じになってしまっていただろうマリアに視線を向けると、少しだけトーンを落として口を開いてきた。
「今日は来てくれてありがとう、マリア。私には会いたくないのではないかと考えていたのだが、そんなことはなかったようだ」
【UI> サッちんもマーちゃんのことをわかってないのです。私も今日はマーちゃんに失礼を働いたばかりなのです】
「ういういもか。揃いも揃って人を見る目があるようでないようだな。これではテルのことをバカにできん」
【UI> なのです】
と、マリアが怨みやら何やらの負の感情を持ってここに来ていないことを見抜くや、優しい口調で少し意外だったと話せば、今朝、自分も同じような見誤りをした謡が場を和らげるようにして間に入って、それで少しだけ雰囲気が良くなる。
それから謡とハルユキが改めて互いがバーストリンカーであることを話して、室内のソファーでお茶をしながらに強制下校時刻の延長をした上で旧ネガ・ネビュラスの解散までのいきさつを大雑把に話したり、《無制限中立フィールド》にある《帝城》を守護する《神獣級》を超える4体の《超級》なるエネミーの話などをしたら、あっという間に下校時刻の限界の午後7時になりそうという時間になってしまい、急いで学校を出た4人。
出る前に黒雪姫がハルユキの目の前で制服に着替えようとするハプニングがあった中で、ハルユキに謡を途中まで送るように指示し、自分はマリアを送っていくと言って二手に別れると、しばらく歩いてから隣を無言で歩くマリアに黒雪姫から話しかけてくる。
「変わらんな、あいつは」
それが誰を指して言ったことなのかは、マリアにはすぐにわかってしまう。
それだけでわかっただろうことを前提に、口を開かないマリアに続けて話しかける。
「私は、あれとは入学式からの付き合いでな。まぁ毎日毎日つまらない話を恵と一緒に聞いては苦笑いしていた。それが今日も変わらなかったのが、私にとって少しだけ嬉しかったというのがまた複雑な気持ちになるわけだが、家でも変わりないか、あいつは?」
「…………いつだって変わらないですよ、テルは。いつもはバカっぽくて、すぐに甘えてきて、怒るとすぐに落ち込んで。でも優しくて、カッコ良くて、いつも私を、みんなをしっかり見てくれてる。それがテルだもん」
一応はクラスメートとして今日のテルヨシの様子を報告してみた黒雪姫だったが、ブレイン・バーストのあるなしに関わらずに今までのテルヨシがテルヨシなのだと誇らしげに語ったマリアに、言うだけ無駄だったかというように小さく笑ったかと思うと、急に立ち止まってマリアもそれに合わせて止まれば、鞄からXSBケーブルを取り出してガードレールを示し、2人して並んで腰かけると、そこで直結をして加速。
すぐに対戦が始まり、一変して夕焼け空の《黄昏》ステージへと降り立ち、《ブラック・ロータス》となった黒雪姫と《ソレイユ・アンブッシュ》の姿で対峙。
しかし今回は対戦が目的ではないことは明白でマリアも武器は出さずに近寄ってわざわざ直結対戦にしたことについて尋ねる。
「私はテルを全損させ、自らの進む道の糧とした。マリア、そんな私を目の前にして君は何を思い、この世界で何を成したい? テルのいない今、そうしてしまった私はそれを聞く義務があると思っているが、話してはくれるか?」
まっすぐなバイオレットのアイレンズでマリアを見つめる黒雪姫は、テルヨシの全損を受け入れてすでに前を向いているマリアにそうした問いかけをして、どんな答えでも受け入れるような姿勢でマリアの答えを待つ。
そんな黒雪姫に少しだけ沈黙したマリアは、今日1日で出したこれからの答えをハッキリと口にした。
「私は、テルと同じ道を進みたい。テルが辿り着こうとした場所に私が立って、それをテルに教えてあげるんです。ここはこんな場所だったよって。そしてそのためにテルが倒せなかった黒雪姫さんに、私が勝ってみせます。その時が来たら、迷わずに戦ってくれますよね?」
まっすぐに、迷いなく告げた答えに、問いかけた黒雪姫が少々面食らったような雰囲気を出して返しに困ったように言葉を詰まらせる。
つまりマリアはテルヨシが目指したレベル10に至る道を歩み、そのために必要な戦いの約束を黒雪姫に取り付けようとしているのだ。
それはテルヨシと同じ結末を辿るかもしれない、険しく困難な道。
「…………まったく、君達親子は私のネガティブな感情など簡単に吹き飛ばしてくれるのだな。いいだろう。その挑戦、受けて立つ。君がレベル9になる日を楽しみにしておこう。そしてこれはマリア、君が持つべきものだ」
その道を進むと決めたマリアの決意に、何か少しでも負の感情を持って進むのかと思ってたらしい黒雪姫は、笑いながらにその未来の挑戦の約束を受け入れてみせてから、その手で空間を操作してインストメニューを開くと、アイテムストレージからアイテムカードを取り出しマリアへと手渡すと、そこに書かれた《テイル・ウィップ》の英文字にマリアも驚く。
「全損した際に、そのバーストリンカーが所持していたアイテムが相手に移動することがあるのは知っているな。これが私の元にあったことに気付いた時、あいつも、マリアにまだ何かを残してやりたいと願っていたのかもと思ってしまったよ。使うかどうかは君の自由だが、貰ってやってはくれないか。私にはこれは少々、重たくてな」
言いながらにその手のアイテムカードをマリアへと渡した黒雪姫に、それをキュッと強く両手で握って胸に抱いたマリア。
この時マリアは最後まで自分のことを思ってくれていたテルヨシに最大の感謝を込めた涙を少しだけ流してから、まだアイテムカードのままそれをストレージにしまって、まだ黒雪姫に言い残していたことを口にする。
「私も約束をしてただ待たせるのは嫌だし、黒雪姫さんが私の知らないところで全損したりしても嫌なので、入れてください。黒雪姫さんのレギオン。ネガ・ネビュラスに私を、ソレイユ・アンブッシュを」