6月17日月曜日。
この日は天候に恵まれ暖かで過ごしやすい気温が続き、昼を過ぎた頃になってもそれは変わらずにいた。
だが、そんな晴天とは反対に浮かない表情をたまに見せてボーッとしてることがあったのは、練馬区にある公立高校に通う
純和風の大和撫子を地でいき、男子生徒の視線を釘付けにするだけの豊満な胸を持つ彼女は、今年入学したこの学校でもすでに男子から注目されていた。
面倒見の良い彼女は男女問わずに慕われて、クラスメートからも担任にさえ一目置かれる存在となり、それなりに充実した高校生活を送っていたが、それ故に悩みを打ち明けても良いと思える友人ができずに、朝からちょっとだけ様子がおかしくても、皆が「あんな馬場園さんも素敵」と意味のわからない解釈をしてただ傍観する始末。
そうして高嶺の花となってしまっていたユリはそれはもう仕方ないと諦めて今日1日を呆然と過ごしていた。
ユリがそうやって呆然としていたのは、自分が昨日、呑気に友人達と新宿で遊んでいた間にとても親しかったゲーム内での友人が頂上決戦に臨んで敗北。
ゲーム世界から永遠にその姿を消してしまったことが原因だ。
ユリのプレイしている唯一のゲーム《ブレイン・バースト》は、そのインストール条件から総プレイヤー数は1000人程度ながら、思考の1000倍もの《加速》という絶大な力を得られるとあって、現実世界でこの力を利用するプレイヤーも少なくない。
ユリはそんな付属品のような力は自分の得のためには使わずに純粋にゲームを楽しむプレイヤーの1人で、それなりに長いプレイ時間と高い実力から《妖精の舞姫》。悪名として《爆弾魔》などと呼ばれるデュエルアバター《カーマイン・ボンバー》を操っている。
そのブレイン・バーストで昨日、ユリが少しだけ特別に思っていた《レガッタ・テイル》というバーストリンカーが、そのレベルを現状で最高位の9に上げて、負けたら即アンインストールとなるサドンデス・デュエルが強制となるレベル9同士の対戦に臨み、惜敗。
勝利した《ブラック・ロータス》もその勝利を面に出すような様子もなく、加速世界史上、最も多くのギャラリーを呼んだそのフィールドから贈られた止むことのない拍手に見送られてフィールドをあとにした。
と、そんな話を高校に入学してから1人暮らしの自宅マンションに帰って、所属するレギオン《プロミネンス》のレギオンメンバーから聞かされたユリは、ショックこそ受けなかったものの、とうとうこの日が来てしまったのかと脱力。
いつか来るとは思っていながらも、昨日の段階では全く心の準備をしていなかったためにその夜から今まで呆然としていたというわけだが、そんな状態でも状況は進展するもので、今朝方、登校する前に小学校の頃からの無二の親友である掛居美早からボイスコールがあり「放課後に会って話がしたい」とだけ言われて、その話がテイルのことであることを察したユリは了承。
全てはその時にぶちまけてしまおうと考えたユリは午後の授業もそつなくこなした上で放課後となってからクラスメートに愛想を振り撒いてさっさと下校。
高校は別となってしまった美早との待ち合わせに遅れないように逐一時間を確認しながら、指定された最寄りの公園へと辿り着き中へと入ってみると、見慣れた派手派手な赤と黒のツートーンのエレクトリック・バイクが停めてあるのが見えてすでに美早が来ていることを確認し辺りを見回すと、衣替えを終えた涼しそうなセーラー服に身を包んだ美早が備えのベンチに座りながらユリを見つけるや軽く手を挙げて招いてくる。
それに従って近寄り挨拶も簡潔にすぐ隣に座ると、割といつも通りな美早にちょっとだけ意外なものを感じてその辺について口を開いた。
「思ったほど落ち込んだりしてないね。付き合いで言えば美早が一番長いのに、ちょっと意外かも」
「……少し前からそのことに気付いて知ってたから、ある程度覚悟はしてた。だから気持ちの整理は昨日のうちに済ませた。ユリはどう?」
「私は……まだ実感がないの。話でテイル……テルヨシ君が全損したって聞いても、それを直接見たわけじゃないから……」
素直に意外だと話すユリに対して、自分とは違ってやはり同じ職場で働いているからか、その辺の突っ込んだ事情も他よりも敏感に感じ取っていた美早は、昨日今日で気持ちの整理をしたわけではないと話し、そんな自分とは違って不意を突かれて困惑していただろうユリに真っ先に声をかけてくれたのだ。
ユリはテイルのリアルネームを知るように、一方的にではあるが《リアル割れ》をしていて、悪いなぁとは思いつつもこれまで自分がカーマイン・ボンバーであることは告げずに何度か美早がオーナーの洋菓子店でバイトとして働く皇照良と会っていて、1度だけバレても良い覚悟で来店したこと――《災禍の鎧》の一件の後――もあったが、入れ違いで終わったためにリアル割れとはならなかった。
そんなテイルのリアルをある程度知ってしまっているユリだからこそ、心配してくれただろう美早は、ユリのそんな言葉を聞くや否や鞄からXSBケーブルを取り出して、自らのニューロリンカーに片方を挿し込むと、もう片方をユリへと渡して直結するように言うと、ユリもそれに従ってニューロリンカーにケーブルを挿し込み、ワイヤード・コネクション警告が現れて消えたところで美早が口を開く。
「今からテイルとロータスの対戦の《リプレイ》を観る。加速コマンドじゃなくて普通のコマンドで入って、すぐのゲートを潜って。《ダイレクト・リンク》」
美早特有の超せっかちな性格による矢継ぎ早な指示に、すっかり慣れてしまってる自分がちょっと複雑な心境になるものの、実感が湧かないと話したユリにとって、その対戦のリプレイを観るとなれば十分な実感を伴うことは間違いなく、一足先にフル・ダイブし待ってくれてる美早を追うようにユリもコマンドを口にして、全感覚モードの視界に広がった各アクセスゲートの一番最初のゲートを潜って、美早が再生した《レガッタ・テイル》VS《ブラック・ロータス》の最初で最後のサドンデス・デュエルの映像が流れ始めた。
ユリの両親は爆発物処理のエキスパートで、ソーシャルカメラの普及で治安の良くなった日本においてその仕事の重要性というものが幾分か減ったこともあり、海外で今なおある紛争地帯や危険地帯に赴いて、地雷の撤去や不発弾の処理を行ったりしていた。
しかし、いくらエキスパートと言えど危険なことには変わりはなく、事故というものも重なって、ユリの両親はその仕事の最中に爆発物の爆発に巻き込まれて亡くなってしまい、その時ユリはまだ4歳だった。
当時から家を空けることの多かった両親に代わってユリの面倒を見たのは父方の祖母で、両親亡き後のユリにとっては唯一の血の繋がった家族であった。
故に祖母も両親のいなくなったユリを献身的に世話を焼いて両親の分まで深い愛情を注ぎ、そんな祖母をユリも『バーちゃん』と呼び慕い、近年稀に見るほどのおばあちゃん子として育ち、両親のいない悲しみも祖母によってずいぶんと救われていた。
それでも高齢の祖母には限界があり、いくら医療技術の発達した現代でも老いだけは防げない。
ユリが8歳になる年の秋。祖母は静かに息を引き取り、ユリは天涯孤独の身となって練馬区にある《遺棄児童総合保護育成学校》へと移され、全寮制のそこで後を過ごすこととなる。
失意の中で親の顔すら知らない、もしくは同じような境遇でそこにいた子供達が、それでも懸命に生きて自分を励ましたりしてくる姿を見たユリは、思いの外早く立ち直ってその輪の中へと加わっていき、その折にブレイン・バーストと出会う。
当時ですでにコピーインストール権も1度きりとなってしまっていた中で無事にインストールしたユリは、総プレイヤー数がようやく900人はいるかというところまで成長した加速世界へと踏み入り、カーマイン・ボンバーとして幾多の戦いに身を投じていった。
その最初期に、今はもういない親から「リアル割れには十分に気を付けること」と聞かされたため、名前にそれらしい部分を含むことから祖母のような口調と『バーちゃん』の愛称を好んで使うようになり、独特すぎるそのキャラクターはすぐに浸透してユリのキャラは固定される。
そんな強烈なキャラが自分の戦域内で活発に動いていたら黙ってない《レッド・ライダー》が速攻で勧誘しあっという間にレギオン《プロミネンス》で力をつけていき、そこで後に《混沌の舞姫》というコンビ名をつけられる相方《エピナール・ガスト》と長きに渡るタッグを組むこととなる。
順風満帆な道のり。
《チェリー・ルーク》という子も作ってからは、過保護な性格ゆえにレベルアップをチェリーに合わせることにしてから周りに追い越されることもあったが、そんなことを気にしないで自分なりのやり方で楽しくやっていた。
美早と出会ったのはそれらを経てから。
小学校の高学年になって、父親の死去によって施設へとやって来た美早とはビックリするほどすぐに仲良くなり、ほどなくしてあまり知られてはいないが旧《ネガ・ネビュラス》の《
同時期にチェリーも今のプロミネンスのレギオンマスター《スカーレット・レイン》を子にして親として四苦八苦していたのを微笑ましく見守っていた。
仲間やライバル達と過ごす日々。
辛いこともあったが、それよりもずっと楽しい時間をたくさん過ごしたユリは、ライダーの思想も影響していただろうが、こんな日々がずっと続いてほしいと思っていた。
だからライダーがレベル9となって、血で血を洗うようなサドンデス・デュエルなんてバカげてると他の王達に停戦協定を持ち出した時も、それがいいのかもしれないと心のどこかで考えていた。
そこからロータスによる騒動はあったものの、ライダーの全損によるプロミ解散と練馬区周辺の戦国時代の幕開け。
新たな王の誕生とプロミの再建。
それらに加えてライダーの意思を汲んだ6大レギオンによる《相互不可侵条約》の締結によって不自由な世界に変わった瞬間、ユリはライダーの思想がこの世界にとって悪い影響を与えてしまったのかもしれないと思った。
それはつまり自分の思想の否定に当たり、それに気付いた時、自分の目がこのゲームの本来目指すべきところ――レベル10になる――に向いていないことを自覚し、それからは自分のこの世界での在り方に自問自答する日々が続いた。
そんな折に彗星のごとく現れたのがテルヨシだったのだ。
不可侵条約によって停滞した後の加速世界に生まれながら、誰よりもまっすぐにレベル10を目指して心から楽しそうに突き進むテルヨシの姿は、ユリにとって眩しいほどに輝いて見えて、これこそがバーストリンカーのあるべき姿なんだと思わされ、少なからず恨みを持っていたロータスもやり方は間違ったかもしれないが、その在り方は自分より純粋だったのだと考えるようになる。
そして今年の1月に起きたチェリーの悲しい事件を経て、本気で上を目指し始めたユリは、未だにこの世界の永久的な存続は望みながらも、かつて切磋琢磨した日々のような対戦が自由にできる世界の復刻の道も探していた。
そうした自分のどんよりとした心を解き放ってくれたテルヨシとロータスの対戦は、最初から最後まで自分の持てる全ての力で正面からぶつかる史上、類を見ない凄まじい対戦で、負ければ全損などということさえ忘れて時おり笑い声を漏らす2人は純粋に対戦を楽しんでいることがリプレイでも伝わってくるので、緊迫した中でもついついクスリとしてしまう。
その笑いは、2人に対する素直な尊敬と驚きと呆れが含まれていて、もしも今の自分が同じ状況であの場に立ったとしても、きっと同じように笑うことはできないからで、少しだけ2人を羨ましくも思っていた。
いつまでも観ていたいと、そう思ってしまうほど飽きることのない白熱する2人の対戦だったが、ロータスの剣の四肢が折られてから一気に戦況が動き、次の衝突ではテルヨシの強靭な右足が砕け散り、最後の激突でロータスの必殺技によってテルヨシの体が上下で真っ二つにされて散ったところでリプレイは終了した。
全てを観終わって現実世界に戻ってきたユリは、初めて体験したレベル9同士によるサドンデス・デュエルの空気や迫力に終始緊張したが、テルヨシが本当に全損してしまったことを実感したことでじわりと来た悲しみに少しだけ涙が流れて、それを指で拭うと、ニューロリンカーからケーブルを抜いて同じようにケーブルを抜いた美早へと返し、少しの間互いに沈黙する。
「…………テルヨシ君の様子はもう見たの?」
「……N。このあと確かめに行くつもり」
「私はリアルのテルヨシ君を美早の半分も知らないから、あんまり説得力はないけど、きっと大丈夫だよ。たとえブレイン・バーストがなくてもテルヨシ君はテルヨシ君のままだから」
ブレイン・バーストをアンインストールした者は、それに関する記憶を失う。
それを身近で2度も体験したことがあるユリは、幸いなことにその親も子もそこまで大きな変化もなく日常に溶け込んでいたが、やはりブレイン・バーストという超常とも呼べる力を得て変わってしまう人間は少なくない。
それでもテルヨシなら、と加速世界での姿しかよく知らないユリが確信に近い気持ちでそう言えたのは、出会ってから今までの時間の中でテルヨシが全く色褪せることなくテルヨシであり続けたから。
「……ユリが言うとそうだと思える。私もテルは変わらないと思ってる。正直これから会いに行くのが少しだけ怖かったけど、もう大丈夫。ありがとう、ユリ」
「ふふっ。珍しいわね、美早がありがとうなんて。いつもなら
「今日は特別」
親友と呼べる2人だけの独特な空気の中で、多くを語る必要はなかった。
ただそれだけで今日、ユリを心配して会いに来た美早も、その美早が密かに抱いていた不安も払拭した両者は、それで顔を見合って優しく笑うと、まだ青い空を見上げてしばらく黙るが、話も一段落したことで美早が次の話題を振ってくる。
「テルの残した物はとても大きい。私達はそれを守るべきだと思ってる」
「改めて考えると、テルヨシ君は凄いことしてるのよね。《アキハバラBG》に並ぶ対戦の聖地として中野第2戦域を暗黙上のバトロワ祭りの舞台にしたりとか、普通じゃやろうとも思わないもの」
「テルなりにこの停滞した加速世界でどうすればいいか考えた結果があれ。そして一番重要なのが、その新しい要素を取り入れてもなお停滞し続ける加速世界で、テルが不可能と言われたレベル9になったこと。テルが《無制限中立フィールド》に全然行かないことは大体知られてるから、その偉業は大きな衝撃」
「テルヨシ君がどこまで考えていたかはわからないけど、それを成したことで『私達でもレベル9になれるかもしれない』って可能性を残してくれた。それを感じた人はとても多いと思うわ」
「Y。だからバトロワ祭りはこれからも続けていかなきゃいけない。テルが作り出したこの環境を、多くのバーストリンカーの新たな小さな希望を消さないように」
「そのためにはガストにも立ち直ってもらわないとね。きっと今頃、悶々しながら気持ちの整理をしていると思うから」
「ガストは強い子。みんなあの頃より成長してるし、いつまでも悲しい顔してたらテルに笑われる」
それもそうだ。
そんな意味でまた笑い合った2人は、テルヨシが加速世界に残したとても大きなものを守っていく決意と共に、これからの加速世界についても考え始める。
「テルの全損は痛かったけど、それ……レベル9同士の対戦による影響はプラスに働いてくれてる」
「先日のイベントの《心意》攻撃に関してね。確かにテルヨシ君とロータスの対戦であの力は最後まで振るわれなかった。あれほどの技量を持つ両者が生き残りを賭けた対戦で心意を使うことなく戦い切ったことで、まだ心意について知らない人達が『あの不思議な力がなくてもあんな戦いができる』『あの力は単なるシステムエラーの類いなんじゃないか』と思ってくれた。そういう人達が多かったって解釈よね?」
「Y。色々な解釈をする人もいるけど、そういう戦いを示して見せた意味は大きい。テルがそこまで考えてやったかはともかく、今のこのタイミングであの対戦が行われたのは確実に良い傾向に傾いた。でも、同時に別のところで不安要素も出てきてる」
互いに何を言ってるのかを以心伝心に近いところで共感する会話は物凄く円滑で美早の好むペースで進むが、さすがにそう続けた美早に情報量で不足しているユリも口を止めざるを得なく、その不安要素とやらに耳を傾けると、美早も淡々とした口調で話を再開。
「先日くらいから、謎の《黒いオーラ》を纏った攻撃をしてくるバーストリンカーが数人規模で現れたって聞いた。その攻撃は凄まじくて理不尽な威力を誇ったって。まだ情報は少なくて判断が難しいけど……」
「……心意による攻撃かな。でも数人規模で同じ証言が挙がるっていうのは何故? 心意はそれを扱う人によって《過剰光》の色は違うし」
「だからまだまだ情報不足。それにいきなり心意を使えるようになるのもおかしな話。何か、誰かの企みが裏で動いている気がする」
美早の掴んだ情報もまだ不足ながらも、不穏な動きがあることも確かで、それが加速世界に大きな影響を与えかねないことをこの段階で予見した2人。
だが、そんな悪い影響を受けることは、たったいま守ろうと誓った世界を壊しかねない問題。
そんなことを2人が許すわけがない。
「守らないとね、私達で。テルヨシ君が最後まで笑っていたこの世界を」
「当然。方法はわからないけど、心意の拡散はまだまだ鈍足に見える。テルが稼いでくれた時間にも限界はあるし、モタモタもしてられない。迅速な解決は必至。手伝って、ユリ」
「手伝わない理由がないわ。それに……こうして前を向いて今を生きることが、あやつへの儂らにできる精一杯の手向けとなろうて。儂らはあやつの見られなくなったこの世界の未来を、しっかり見て守ってやらんとの。……なんてね」
「……こっちでその口調はやっぱり違和感が凄い」
これから先に起こる様々な出来事に自分達は関わり、干渉していくことを誓い合った2人。
その目はもう、テルヨシのいなくなった世界を憂いた色を含むことなく、まっすぐに前を向いていたのだった。