The Duelist Force of Fate 作:Anacletus
番外編「黄昏に煙(けぶ)る君の名を」
「凜が言ってたのは・・・これ?」
白い少女が遠坂家の屋敷の部屋で一人探しものをしていた。
イリヤスフィール・フォン・アイツベルン。
元聖杯戦争参加者。
バーサーカーのマスター。
小聖杯の器であり、同時に人間の様式を兼ね備えた魔術回路。
知る人間がいれば彼女の事を何とでも呼ぶのだろうが、今現在凜の部屋を物色しているのは衛宮邸に居候するイリヤという少女でしかない。
(お使いくらい一人で出来るって教えてあげないと。主におにーちゃんとかおにーちゃんとかおにーちゃんとか)
イリヤはどうしてこんな場所に来る事になったのか思い出す。
事の発端はそもそも桜が凜を抱えて夜中に帰還したところから始まった。
凜が衛宮邸を抜け出して一人桜の探索の末に桜とライダーを相手にして負傷。
それを敵であるはずの二人が抱えてきた時点で衛宮邸は大騒ぎになった。
鎧姿で剣を向け「人質とは卑怯な」と二人を睨んだセイバー。
一瞬で衛宮邸の玄関が崩壊するだろう惨事は結局起きなかった。
身も蓋も無い。
泣きながら姉の体を支え「姉さんを助けてください!!」とセイバーの剣を前にして懇願した間桐桜を衛宮士朗はただ「お帰り」と言って迎えた。
凜の容態が落ち着いた後。
自分の心の内を吐露した桜に士朗は一発のデコピンと一回の抱擁を持って応えた。
それ以来、再び桜は衛宮邸で暮らしている。
(まぁ、おにーちゃんが全面的に桜を許すなんて分かり切ってたけど・・・)
一命を取り留めた凜の意識が戻ったのは一昨日。
それから病床の凜を中心に衛宮邸で家族会議が開かれた。
これから何をするか決まった事は三つ。
聖杯戦争の真実を追究する事。
聖杯戦争から街を守り、他のマスターやサーヴァントが無茶な事をしないか監視する事。
戦力の増強。
(どれもこれも今の私達じゃ、たぶん手に余る・・・)
決まった事全てが難事だと内心イリヤが思ったのは仕方ない。
マスターの内四人が衛宮邸に集まっているものの、それでも万全とは言える程ではないのだから。
状況は混沌としている。
キャスターとそのマスターは生きながらにして聖杯戦争から脱落した。
アサシンはルール違反甚だしくマスター無しでキャスターに呼び出され、寺の山門から動けない。
マスターも無く戦いに赴けず聖杯戦争への参加意思も無いのでは脱落したのと大差ない。
この時点で如何に現在の聖杯戦争が破綻を来たしているのかが分かる。
残っているのはアーチャーとランサーとそのマスターのみだが、それでもイリヤは自分達が有利だとは思わない。
金色のサーヴァントの圧倒的な性能を知っていれば当たり前だ。
何よりの不安定要因は衛宮邸最大の戦力であったはずの『彼』が失踪しているという事に尽きる。
ランサーも宝具を奪い取って無力化しているとはいえ、未だに戦う術が尽きたわけではないし、五体のモンスターから逃げ遂せた手並みも尋常ではない。
現状で戦えるのは凜と桜と士朗を中心としたマスター三人とセイバーとライダーの二人。
ランサーには対抗できるかもしれない。
しかし、アーチャーが相手では彼無しに勝算があるかどうかは怪しい。
病み上がりにも関わらず会議を仕切った凜はそう発言した。
宝具に串刺しにされる未来を変えるには一にも二にも戦力の増強が不可欠。
その中核ができるはずの彼がいない点で問題は戦力を如何に上手く使うかに掛かっている。
つまりは戦術と連携によるコンビネーションを持って対抗しようという結論に達した。
(仲間外れが案外堪えるって知らなかった。ううん・・・それを知る術すら、きっと昔のわたしには無かった。だからなのかな)
一人戦力外通告を受けたのはもう魔術回路もほぼ消えているバーサーカーのマスターだけ。
(こんなに悲しい気持ちになるの・・・)
イリヤの脳裏に甦るのは昨夜の想い人との会話だった。
『オレはイリヤが戦いの場から遠ざかって少しホッとしてる』
何気ない会話だった。
自分の事を心配し、自分が死ぬ確率が少しでも下がった事を喜んでくれているのだとイリヤは理解している。
しかし、それでもイリヤスフィール・フォン・アインツベルン個人としては素直に喜べなかった。
聖杯戦争の中心として存在していた自分がいつの間にか蚊帳の外に置かれている状況。
それはイリヤにとって自分の存在意義を根こそぎ持っていかれたようなものに等しい。
もう小聖杯としての機能を失ってしまったとしても、アインツベルンに半ば反逆しているような状態なのだとしても、掛けがえの無い相棒がいないとしても、衛宮邸の居候イリヤは自分が聖杯戦争の結末をその目で見届ける位置にいない事を悔しく思う。
(一緒に戦えもしないなんて・・・わたし役立たずだ・・・)
アインツベルンに自分を置いていった男への復讐は儚く消えた。
聖杯戦争を勝ち抜く為だけに生まれたのを誇っていた過去の自分もいない。
それではイリヤという存在は何故生きているのか?
(答なんて無いのね。でも・・・)
失って初めて、得て初めて、確かに大切なものが出来た。
自分の弱さを自覚して、もう無い過去の自分の力が今更に必要となった。
だからこそ、イリヤは思う。
(あそこに暮らす一人として。わたしにできる事を・・・)
そんなイリヤの寂しげな気配を察したのか。
凜は家族会議の最後に元マスターの『イリヤ』に自分の屋敷にある魔術具を探してくるよう言い渡した。
傷で動けない自分と魔術を早急にレベルアップしなければならない士朗。
未だ闇を飼い慣らすのに必死な桜。
襲撃に備えて二人のサーヴァントは衛宮邸に常駐。
そんな状況で唯一動けるマスターとして仕事を任せると。
(おにーちゃんは凄く心配そうだったけど、凜には感謝しないとね)
昼間ならば大丈夫だろうと凜に説得された士朗の顔を思い出してイリヤは気合を入れ直す。
(一人でお使いできるかとか。わたしを子ども扱いして。絶対見返してやるんだから)
何かあれば懐のケータイに連絡をするようにとかなり心配そうな顔で士朗(おにーちゃん)に送り出されたイリヤとしては戦力になる魔術具をサクッと見つけて帰らなければ面子が立たない。
(とりあえず屋敷内部は一通り洗ったし、残ってるのはやっぱりコレだけ・・・)
イリヤが凜の部屋で見つけたのは一つの古びれた箱だった。
凜の話によれば第二魔法を使う有名な魔法使いお手製の箱なのだと言う。
昔から色々と物を入れているせいで何か眠っているかもしれないという話だった。
預かっていた鍵をイリヤが差し込むと呆気なく箱が開いた。
(これが第二魔法の・・・確かに変な感じ。空間が捩れてる?)
とりあえず中に何があるのかと暗い箱の中に手を入れてイリヤが内部を探る。
「コレ・・・かな?」
箱の中は手を入れると想像以上に広くなっていた。
それでも手に触れる様々な感触からイリヤは物を仕分け、魔術の気配がある物品を引き抜く。
ズボッとソレを引き抜いたイリヤは自分がたぶん当たりを引いたのだと確信した。
それは一本のステッキだった。
やたらとメルヘンな雰囲気が漂う羽の付いた微妙なデザインのステッキだったが、確かに魔術の気配がしていて、中々の品であるとイリヤは断定する。
「さ、次々」
他にもまだまだ何かあるはずだとイリヤがステッキを置いて再び箱へ腕を突っ込んだ時だった。
『おや?』
「!?」
思わずイリヤがその場から飛び退こうとして、ヒタリと冷たい感触が首筋に当たる。
『ふむふむ。何とまーいつの間にロリっ子が空き巣をするような時代になったんでしょう?』
「だ、誰!?」
『ふふふ、お嬢さん。まずは自分から名乗るのが礼儀だと思いますよ』
「わ、わたしは・・・」
首を押さえられている以上、イリヤには逃げる事すら出来なかった。
『このルビーちゃんがいる限り空き巣と強盗なんてモーマンタイであると教えて差し上げます!』
「ちょ、ちょっと待って!?」
『問答無用です。あのジジイがいなくなってからというもの箱の隅で埃を被り続ける日々だったんですよ!? ここはサクッと使えるアピールをして今代の当主辺りに『わたしはステッキの精。無限妖精カレイドルビーちゃん。とりあえず貴方のその灰色の脳細胞と魔術回路を乗っ取らせて♪』とか聞かないといけないんです!!』
「!?」
相手が自分の正体をばらしてくれたおかげでイリヤはそのまま後ろを振り向くことが出来た。
「う、嘘・・・ステッキが・・・飛んでる!?」
イリヤの目の前でふよふよと今正に掴み出して床に置いたはずのステッキが浮遊していた。
『おや? これは中々の面構え・・・これはまさか時代が来た!? 苦節数百年!! ようやく魔法少女に憧れる可愛いロリっ子との出会いが!?』
喜びに騒ぐステッキを前にイリヤは逃げる算段を立てていた。
よく分からないが、面倒事となるのは目に見えている。
何かが憑いた呪いのステッキなんて家に持って帰っては面目が立たないどころの話ではなくなってしまう。
『ここは何も考えずに魔法少女になってみませんか!? イリヤさん!!』
「な、何この状況!? 何でわたしステッキに迫られてるの!? それ以前に何で名前知ってるの!?」
『此処に名前がありますが?』
「は?」
イリヤがステッキの羽がチョイチョイと指差す場所を見ると「いりや」と服の端から名前付きのタグが飛び出ているのを発見する。
衛宮家でこんな事をしそうな人物は一人しかいない。
「おにーちゃんの馬鹿ぁあああああああ!!?」
『楽しいですよ? ええ、保障します!! 必殺ビームと中学二年生にありがちなネーミングセンスがこのルビーちゃんと呼応する時、無限の魔力が(勝手に)嫌な相手と愚鈍な男を殲滅してくれるんですよ!? 正に夢の超兵器(ステッキ)!!』
「何か絶対ステッキのルビが間違ってると思う!?」
イリヤが何かとても残念なステッキの言い分にこれからどうしようかと溜息を吐いた瞬間。
ズルッと力の萎えた足が滑った。
『あ』
「!?」
背後にあった箱に倒れ込んでお尻が入り込んだ時点でイリヤは背筋に恐ろしい程の空虚感を感じた。
まるで奈落に呑み込まれていくような感覚。
明らかに人間が入るはずの無い箱の中へとそのまま吸い込まれそうになってガシッと宙に浮くステッキを掴んだ。
『イヤァアアアアア!? もう箱は勘弁です(何故なら何も面白い事が無いから)!! 退屈はステッキをも殺―――』
スポンと抵抗するステッキから手がすっぽ抜け。
「ちょ――」
イリヤの体が完全に箱の奥へと勢い余って入り込みバタンと箱が閉まった。
数分後。
「うぅ・・・酷い目にあったわ・・・」
箱の底で気絶していたイリヤはすぐに目覚めていた。
薄暗い空間の中にはガラクタが散乱していた。
しかし、それよりも問題なのは。
「開いてない・・・まさか、あのステッキに見放された?」
精一杯に背伸びしても天井に届かないという現実にイリヤはどうするべきか悩んだ。
とりあえず一通りステッキを呼んでみても外からの反応は無かった。
そうである以上、後は自分で何とかするしかない。
「って言ってもこれじゃあ」
イリヤが周辺のガラクタを見渡して何か使えそうなものが無いかと確認するものの膨大な量のガラクタとの格闘は十分で諦めた。
「こんな事で呼んだら・・・でも・・・」
迷った挙句。
イリヤは仕方なくケータイを取り出した。
「迷惑は掛けられないものね・・・」
今此処で足止めを食って夜や夕方に誰かが探しに来る方が大事だった。
連絡してライダーかセイバーに来てもらうのが一番妥当な解決方法だと割り切ったイリヤはケータイで衛宮邸に連絡を入れる事にした。
ルルルルルルル。
コール三つですぐに相手は出た。
【はい。もしもし、こちら・・・えーっと・・・衛宮・・・】
「あ、凜?」
【イ、イリヤ!?】
何やら慌てた様子で電話先の凜があたふたする。
【あ、あーっと、これは! これはね!!】
「どうかしたの?」
【いや、その、あの・・・うぅ・・・!!】
【遠坂・・・? 今、何時だと思ってるんだ・・・もう少し寝かせ・・・ふぁ・・・】
【バ、バカ!!? イリヤ!? 今のは何でもない!! 何でもないから!!】
【遠坂?】
【シロウのアホ!! 何でこんな時に限って!!?】
【・・・あーえぇっと・・・まさか、その電話・・・】
【そうよ。イリヤから】
【―――早く言ってくれ】
【だ、だって恥ずかしいじゃない!? まだ結婚して一ヶ月なのにもうし、し、しちゃう・・・なんて・・・】
【いや、まぁ・・・確かにそうかもしれないけど、ちゃんと報告して結婚したんだぞ? 分かってくれるさ。もうオレ達も時計塔を卒業したんだし、イリヤだって二十過ぎなんだから】
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
イリヤは何が何やら分からなかった。
ただ、二人がいつの間にそんな関係になったのか。
いつの間に時計塔なんてところに行ったのか。
いつの間に結婚なんてしていたのか。
分からない事だらけで思考がフリーズしたのは当たり前の反応だった。
少なくともイリヤが知る衛宮士朗と遠坂凜はまだ結婚するような間柄ではない。
【あー・・・と・・・その・・・イリヤか?】
「うん」
【ごめんな。遠坂がちょっとパニクってて】
【人のせいにする気!?】
【おわ!? 遠坂!? ガンドは無しって決めただろ!?】
【うぅうう!? 知り合いにこんな場所の声を聞かれてるなんて自殺もんよ!? それに凜って呼べ!!】
【お、落ち着け遠坂!? とにかく落ち着け!? 結婚指輪が魔術具だからって威力上がり過ぎだろ!?】
そのまま通話が途切れた。
「・・・・・・・・・これって・・・」
イリヤはこの箱を作った魔法使いの事を思い出す。
この箱の原理は分からないものの、第二魔法が何なのかを考慮すれば、今自分の聞いた声がどういう経緯を辿って自分に届いたのか・・・何となく察しが付いた。
「おにーちゃん。やっぱりジゴロの才能あるんだ」
イリヤがいつも家の女性人の前であたふたしている【自分の衛宮士朗】の顔を思い浮かべる。
「って、こんな事思ってる場合じゃないわ。とにかくもう一回」
ルルルルルルルルルルル。
コール四回で再び通話に入る。
【・・・・・・もしもし・・・】
まったく聞いた事の無い女性の声にイリヤが「またか」と思いつつもとりあえず決めていた文句を言ってみる。
「え、えっと・・・衛宮邸ですか?」
【いいえ。ですが、その主ならば此処に】
【ん? どうかしたのか・・・カレン?】
【貴方に電話です】
【痛った!? 爪跡を叩くのは無しだろ!?】
【その程度の痛みは許容範囲だと思いますが?】
【いや、普通に痛いし! って言うか誰からなんだ?】
【相手は幼い少女の声です】
【ま、まさか!? イリヤか!?】
慌てた声が電話に出る。
もう半眼なカンジでイリヤが受話器越しの衛宮士朗に聞いた。
「おにーちゃん。今、何してるの?」
【あ、え・・・いや・・・何と言うか・・・イリヤにはまだ話をするのは早いというか・・・】
【今まで私との行為に耽っておいてその態度ですか? 衛宮士朗】
【ば!? さすがにはっちゃけ過ぎだ!? 付き合ってるとはいえ、ちょっとは恥じらいを】
【・・・教会を抜けさせて私を此処まで堕落させた張本人が何を今更】
【ブッ?! イリヤ!? ご、ごめんな!? また掛け直す!! って言うか布(それ)は無しだろ!? それ男は勝てな―――】
ブツッと通話が切れる。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・おにーちゃん・・・・・・・・・・」
如何に【自分の衛宮士朗では無い】とはいえ、あんまりだった。
イリヤが深い溜息を吐く。
「・・・・もう一回掛けないと・・・ダメ・・・よね・・・」
また【別の衛宮士朗】と通話する事になるのかと思うと気が重かったものの、このまま何もせずに箱の底にいるわけにはいかないと再びイリヤが衛宮邸の電話番号に掛ける。
ルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルル。
コール五回で再び繋がった。
【はい。こちら衛宮ですが】
「ようやく・・・セラ?」
【イリヤ様。どうかなさいましたか?】
「うん。ちょっと凜の家まで向えに来て欲しいんだけど」
【凜? 遠坂様の家にいらっしゃるのですか? 今日は街の方へ出かける予定だったのでは?】
「街に?」
イリヤの顔が曇る。
そんな話は出かける時にはしていない。
一緒に付いてこようとしたセラとリズの帯同を自分に与えられた仕事だからと断ったのはつい一時間前の話で、セラがそれを忘れてしまったとはイリヤには思えなかった。
つまり、電話越しの相手が【自分の知っているセラ】ではない可能性が高いとイリヤが再び沈んだ気持ちになる。
【あらあら? イリヤちゃんから?】
「!?」
【奥様。今、奥様に代わりますので】
ドクンと心臓が鳴った。
もう聞く事は無いはずの声にイリヤの心臓が早鐘を打ち始める。
【イリヤちゃん? どうかしたの?】
「―――ママ?」
【今日は切嗣と士朗ちゃんに誕生日だから一杯買い物させるんだって言ってたけど、何かあった?】
「・・・・・・ううん。何でもないわ」
【そう? でも、何か出かけていった時とは違って元気が無いみたいだけど?】
「本当に、何でもないの」
【何かあったなら帰ってきてから相談に乗るわよ。だって、私はイリヤちゃんのママなんだから】
「・・・うん・・・」
【それじゃ、帰ってきたらお話しましょ】
「あ、その!?」
【?】
そのまま切ってしまうべきだと心の何処かが囁いているのを無視して、イリヤはまだ喋っていたいと思う衝動のままに話題を探し、一つだけ訊く事にした。
「一つ聞きたい事があるの・・・」
【何かしら?】
「ママは・・・切嗣・・・パ・・・パパと一緒で幸せだった?」
【あらあら。それは愚問ね】
「愚問?」
【ええ、あの人と一緒にいたからこそ、私は人間になれたの・・・貴女のママになって士朗ちゃんのママになって、こうやって家族として過ごして・・・それに質問がそもそも間違ってるわ】
「間違い?」
【幸せだった、じゃないわ。今も私は幸せなの。だから、訊くなら今も幸せ?が正解♪】
「・・・そっか・・・ん・・・分かった・・・」
僅かな沈黙の後、イリヤは何とか顔に笑みを浮かべた。
【もし何か不満があるなら誕生日プレゼントをすっかり忘れてた男連中に一杯無理難題言い付けなさい。今日はそれが許される日だもの】
「・・・うん・・・ママ・・・っ・・・く・・・」
【イリヤちゃん・・・泣いて・・・?】
イリヤがボロボロな笑みを崩さないよう、ただ一度の邂逅で泣いてなんてしまわないよう、唇を噛み締める。
「ママ・・・わたしを産んでくれて・・・ありがとう」
【イリヤちゃん。その・・・本当にどうかしたの?】
「何でもないの! 何でも・・・」
グッと涙を堪えてイリヤが電話越しの今はもう亡き人に告げる。
「ママ・・・帰ってきたら・・・私にうんと優しくてあげて。そして、沢山抱きしめてあげて。きっと喜ぶから・・・絶対、喜ぶはずだから」
【変なイリヤちゃんね。当たり前よ。だって、私は貴女のママなんですもの】
「うん。安心した。それじゃあ、ね? ママ」
【大きいケーキ焼いて待ってるから早く帰ってらっしゃい。イリヤちゃん】
「うん・・・さようなら・・・」
通話が切れる。
「・・・う・・・く・・ふ・・・ぅ・・・」
小一時間。
イリヤは何もしたくなくて耳の奥に残る声を難度も難度も反芻し噛み締めていた。
何とか心の高ぶりを抑えて、次も電話するべきだろうかと悩んだ
しかし、助けがこのまま来なければ脱出が不可能な以上、掛けられる内に何としても自分の知る衛宮邸に連絡を入れなければならない。
イリヤが電話を確認するともう電池残量が僅かである事が分かった。
望みを掛けてのコール。
るるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるる。
コール七回で最後の通話が始まる。
【はい。もしもし、こちら衛宮です】
「――――――」
その声にまた失敗したのだとイリヤは悟る。
相手が誰なのかすら簡単に分かった。
【あの・・・まさか悪戯電話とか?】
「違うわ」
【えーっと、どちら様?】
「極めて近く、限りなく遠い他人ってところかしら」
【あのーもう切っていい?】
【どうかしたのか? イリヤ】
【あ、おにーちゃん? うん。変な電話が・・・】
【悪戯電話?】
【いや、何て言うか・・・凄く聞き覚えがある声なんだけど、誰か思い出せなくて】
【あ、いた。イリヤ・・・その・・・魔力供給して欲しいんだけど】
【な!? クロ!! おにーちゃんがいる前で何言って!?】
【そーれ(プス)】
【ああ!? おにーちゃんが一気に涅槃状態に!? ルビー!? 何してるの!?】
【単にお二人の素晴らしい百合世界の保全ですよ? 面白いは正義(ジャスティス)!!!!】
【『ごめん下さい。イリヤさんはご在宅でしょうか?』】
【ああ、ミユまで!? 一体どうすればいいのこの状況!?】
【うおおおおおおおおおお。来てやったぜえええええええええええ】
【タツコ!? 人の家の玄関勝手に開けないでぇえええ!!!】
【な!? イリヤのにーちゃんがし、死んでるぅうううううううううう!!!!?】
【お邪魔します。ってうぉおおお!? どういう状況なんだイリヤ!?】
【まさか、痴情のもつれか!?】
【あーん!? もう誰かどうにかしてぇえええええええええ!!!!】
数分後。
何とか事態が収拾された様子で再び電話口に人が戻ってくる。
【はぁはぁ・・・な、何とかなった。あ、その・・・待たせてごめんなさい】
「随分と賑やかなのね。そっちは・・・」
【そっち? よく分からないけど、そうかも・・・それで家に何の用なのかまだ聞いてなかったけど、というか、それ以前に貴女誰なの?】
「言ったでしょ。極めて近く、限りなく遠い他人よ」
【その声何処かで聞いた事があるような無いような・・・】
「知らない方がいいわ。別に思い出さなくていいから」
【う・・・それでその他人さんはどんな用で電話したの?】
イリヤはどうしたものかと思う。
失敗した以上、電話をすぐに切ってまた掛け直すべきなのは分かっていた。
しかし、電話の先にある現実があまりにも楽しそうで・・・あまりにも自分のいる世界とは違っていて・・・少しだけ興味が勝った。
「ねぇ。今の生活は楽しい?」
【え? いや、そんな何て言えばいいのか迷うような発言されても・・・楽しいのは楽しいけど、毎日騒がしいし、小学校行っても家に帰ってもカード集めに行っても事件ばっかりだし、凄い命の危険とか・・・って何でわたしこんな事話してるんだろ。貴女が誰か知らないのに・・・】
自分でも不思議そうな声。
イリヤは苦く笑う以外無かった。
平和な世界で生きるとこんなにも自分は魔術師とは遠い存在になるのかと。
「イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。今思いついたんだけど貴女に一つ忠告があるの」
【名前知ってたの!?】
「いいから聞きなさい。これは最初で最後の忠告よ。きっと、貴女がこれから生きていく上で一番大切なことだから、聞き逃さない方がいいわ」
【な、何か凄い切実な話をされてる気がする・・・】
「聞くの? 聞かないの?」
【ああ、もう!! 聞く!! 聞きます!!】
「それじゃ、一度しか言わないからよく聞きなさい」
【う、うん・・・】
「もしも、貴女が本当に好きな人がいるなら、その人はきっと朴念仁で正義の味方で女の心なんて何一つ理解しない大馬鹿野郎の癖に女性関係が物凄く充実してて押し切られると絶対最後まで突っ走っちゃうから、どんな困難な道だろうと絶対誰よりも先に―――」
【(凄い心当たりがあるような無いような)】
「―――その人と『関係』を持ちなさい」
【か、関係? 関係って・・・『関係(おつきあい)』!?】
「貴女が凄い子供なのは分かったわ。でも、それより上の『関係(おふとん)』よ」
【な、なななな、何言ってるのよ!? もおおおおおおおおおお!!!!】
「きっと、それはわたしには出来ない事だから・・・一番傍で一番支えてあげる人がいない内にゲットしておきなさい。きっと貴女なら出来るわ・・・だって、貴女はわたしなんかよりずっと平和と幸せを知っているはずだもの」
【ね、ねぇ。貴女にもいるの? 大切な人・・・とか】
「ええ、いるわ。凄いお人よしで誰よりも誰かの事を考えられる・・・冗談みたいにカッコイイ正義の味方が・・・」
【・・・結構、仲悪い?】
「全然。でも、わたしじゃ・・・きっと助けられても助けてはあげられない。だから、貴女に頼むの。わたしには出来ない事でも、貴女にならできるはずだから」
【それ、違うわ・・・】
「何が違うの?」
【だって、貴女はきっとその人の事を忘れられない。そんな気がする・・・】
「だから?」
【諦めるのは一番最後でいい。ううん。そもそも諦める必要なんて無い】
「分かったような事言うのね」
【それは・・・でも、そうやって最初から諦めて・・・その人を誰かに預けようって言うのは・・・何か嫌だよ】
「他人事だから頑張れなんて言うのは綺麗事よ」
【わたしの朝はね。家族がくれるの・・・起きて顔を洗いに行くとセラとリズがおはようって言ってくれて、食卓に付くとおにーちゃんがいて、色んな話をするわ】
「だから?」
【皆、自分の大切な人を自分で幸せにしようと思うから誰かに優しくできる。それを止めたら、誰にも興味なんて持てなくなる】
「・・・・・・」
【届かなくても、苦しくても、悲しくても、その自分の大切な人に自分の出来る限りの事をしてあげたらいいんだって・・・わたしはそう思う】
「報われなくても?」
【報われる為に好きになったわけじゃないでしょ?】
「・・・ええ、そうね・・・その通りだわ・・・何だ・・・わたしが心配するまでもないんじゃない」
【心配?】
「何でもないわ。今日は話せて良かった・・・」
【うん。何だかわたしも・・・話せて良かった・・・】
【シェロオオオオオオオオオオオオオオオオ!!? シェロが死んだとはどういう事ですのイリヤァアアアアアアアア!!?】
【うわ!? 何かまた大変な事に!? ご、ごめんね!? そろそろ切らなきゃ!】
「ええ」
【あ、その、もしも・・・また機会があったら今度はゆっくり話さない?】
「無理ね。きっと、もう会話する事は無いから」
【そう・・・でも、世の中何があるか分からないでしょ。だから、もしもう一度話す機会があったら、その時は・・・】
「・・・分かった。その時は大切な人談義でもしましょ」
【う、うん!!】
「それじゃ、またいつか。イリヤスフィール・フォン・アインツベルン」
【あ、貴女の名前まだ聞いてな――】
「次に会う事があれば、その時は教えてあげる。じゃあね」
そのまま通話が丁度切れる。
ボタンを押したわけではなかった。
イリヤが電池残量ゼロの表示に気付く。
(これで外部との連絡手段が完全に無くなった)
ガラクタの山に身を預けて今後の事を考え始めるイリヤの心の内には大きな波が起きていた。
知らない未来。
知らない現在。
知らない過去。
どれであるかは分からない。
ただ、どれもこれもが可能性の一つなのだとは分かった。
「それにしてもシロウは何処でもあんな感じ・・・此処だとやっぱりあの位置に付けるのは桜かしら?」
イリヤが思うよりも世界はとても変化に富んでいた。
自分の辿る結末が無かったとはいえ、それでも自分が大好きな人と結ばれない未来を聞くのは少しだけ心が痛かった。
(自分の手で幸せにする・・・か・・・)
心の内にその言葉を留めて、イリヤが上を見上げる。
「ん?」
急激に光が溢れた。
「―――!?」
瞬時に世界が真白く染まり、体が浮遊した。
そこでイリヤの意識は―――途絶えた。
「・・・ん・・・?」
「起きた? イリヤ」
「リン・・・?」
イリヤが目を覚ますと誰かの背中に背負われていた。
横を向けば松葉杖姿の凜が歩いている。
「って事は・・・おにーちゃん?」
「ああ、起きたかイリヤ?」
自分を背負っているのが士朗だと気付いてイリヤが顔を上げる。
「家に悪戯電話があってさ。『ロリっ子が箱に閉じ込められますよ~~』とか何とか」
「(あのステッキ・・・一応、責任は感じてたのかな?)」
「で、しょうがないから全員で向えに来たってわけ」
松葉杖を付きながら凜が呆れた溜息を吐く。
「姉さん。大丈夫ですか?」
「大丈夫よ。これくらいでどうにかなるような柔な鍛え方なんてしてないもの」
「桜。進路上の偵察が終わりました」
「あ、お帰りなさいライダー。お疲れ様」
「先程、あのメイド二人が買い物を済ませました。今は前方二キロの地点でセイバーと共に待機しています」
背中に寄り掛かりながら、イリヤは何かぼんやりとした頭で思う。
こんな幸せが自分にはあるのだと。
これが自分の現実で自分の大切な日常で大好きな人達なのだと。
「・・・ありがと・・・」
「イリヤ?」
「どうかしたのかイリヤ?」
「イリヤさん?」
「イリヤスフィール?」
言ってしまって、イリヤは止まらなくなった。
「ありがと・・・」
ポロポロと落ちていくものにその場の誰もが慌てる。
「ど、何処か痛いのかイリヤ!?」
「衛宮君の背負い方が悪いのよ! きっと!!」
「何でだよ!?」
「その・・・大丈夫ですかイリヤさん?」
「こ、こういう時は・・・その・・・どうすれば・・・」
騒がしい事この上ない。
(そっか。此処にあるんだ)
あのイリヤとこのイリヤに差なんてどれだけあるのか。
(・・・わたしが求めていた・・・聖杯なんかじゃ絶対手に入らないものが・・・)
イリヤは泣いたまま笑う。
「おにーちゃん」
「な、何だイリヤ!?」
オロオロしている【自分の衛宮士朗】の首筋に顔を寄せて、イリヤが涙の滲むまま瞳を閉じる。
「大好きだよ。ずっとずっと・・・」
「なッッ!?」
士朗が首筋まで赤くなった。
「はッ!? 何言ってんのイリヤ!?」
「イ、イリヤさん!?」
イリヤは涙を拭って、その場で背中を降り、驚きに固まっている年上達に向って宣言する。
「今日からわたしもおにーちゃん争奪戦に本格的に参戦する事を此処に宣言します!!」
夕闇に世界は煙る。
美しく、儚く、芳しい。
それは人が子供の頃に見る優しい景色。
幸せな世界の形。
「「えええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!!」」
「シロウ。これからもよろしくね♪」
イリヤスフィール・フォン・アインツベルンはその唇で恋しい人の唇を奪った。
顔を赤くして唇を抑えた衛宮士朗が二人の乙女にトラウマを作られるのはそれから数秒後。
原因を作った少女は一人。
眩い『いつか』の約束を胸に二人のお供と腹ペコなサーヴァントの方へ走り出した。
To be continued for beautiful day.