背中に就寝中の明日菜を乗せて、瑞樹は夜の街中をひた走っていた。
暫くの間は背後からタカミチや看護婦(刀子のこと)が暴れているであろう、爆撃のような音が聞こえていたのだが、随分離れたのだろう音も聞こえなくなってきている。
代わりに道路を次々とパトカーが走り去っていくのだが、先ず間違いなく麻帆良医大付属病院に向かっているのだろう。
「そりゃ、アレだけ派手にやれば騒ぎにも成るよな」
通り過ぎるパトカーを横目に、瑞樹はそんな事を呟く。
正直なところ、パジャマ姿の高校生と小学生女子が街中を走っていて職質されないのは、病院のほうが一大事であるからだろう。……まぁ、もしかしたらそれ以外の理由があるのかも知れないが。
因みに、何故に目立つ街中をわざわざ走っているのかというと、昨日に森の中を走っていて変質者(仮面の人物)に狙われたためである。
目立たない場所で何かに狙われるより、多少目立っても安全な方がまだマシだと思ったのだろう。
どんどん遠ざかるサイレンの音を聞きながら、瑞樹は走る速度を緩やかなものへと変えていった。そしてふと、昼間に別れたっきりのポンはどうしたのだろうか? と考えてみる。まぁ、刀子という危険人物から離れて、それだけ心に余裕が出てきたということか。
落ち着くように「ふぅ」と息吐くと、瑞樹は視線をチラッと背中へと向ける。
其処には、相変わらず大人しく寝ている明日菜が居た。
「本当に、なんであの騒ぎで起きないんだ? ……慣れてるのか?」
思わず疑問を口にする瑞樹であるが、あんなふうにドンパチ始めてしまうタカミチが保護者であるのなら、その可能性も高いか? と、妙に納得もしてしまう。
瑞樹はそうやって明日菜のことを気にかけていたが、次第に今晩の寝床について悩み始める。一番簡単な方法は寮に帰ることだが、流石に他所の子供を連れ込んでは後で何が有るかは解ったものではない。
「寮が駄目となると……やっぱりエヴァの家かな?」
となるのだが、その場合は森の中に入らねばならないためそれもアウトとなってしまう。結局のところ、どうする訳にも行かず途方に暮れるのだが、そんな瑞樹に
「そこの君」
「はい?」
声を掛けてくる人物が居る。
瑞樹は思わず返事を返し、その声がした方へと視線を向けた。
「こんな時間にそんな格好で……何をしているんだい?」
「あ、いやコレは」
瑞樹の向けた視線の先、そこには怪訝そうな表情を浮かべたお巡りさん《警察官》が立っている。瑞樹は悪い事はしていない筈なのだが、思わず『ドキッ』として口ごもってしまった。
「背中に居るのは女の子か? 君も……なんでパジャマ姿で」
「い、いや、実は病院から避難を……」
「麻帆良医大の方から? ……そうか、それでそんな格好を。それは大変だっただろう?」
「は、はぁ」
病院に警官がわんさかと向かっている状況だ。その事を考えれば、素直に避難してきたことを伝えることで保護なり何なりをしてくれるのではないか? 瑞樹はそう思い、どもりながらも伝えた。警官はそれだけで意味を理解したのか、幾分柔和そうな表情を浮かべると歩み寄ってくる。
「そういうことならば、君たちは私達の方で保護をしよう。あんなことが有ったのでは、君も疲れているだろう?」
「え? ……まぁ、それは確かにそうですけど。警察署でってことですか?」
「流石に、ホテルを斡旋してやるわけにはいかないからね」
今晩の寝床にも困っていた瑞樹にすれば、少々緊張するだろうが警察の厄介になるというのも良い考えのように思える。少なくとも、自分自身を狙ってくるような奴らも、警察組織に喧嘩を吹っかけるようなことはしてはこないだろう。
しかし、瑞樹は警官の言葉に同意を示しつつも、何か奇妙な違和感も感じてしまう。
違和感の理由……それはよく解らないのだが、瑞樹は軽く縦に頷くと一晩世話になることに決めたらしい。
「宜しく、お願いします」
「解った。それじゃあ、近くにパトカーを廻してもらうから、ちょっと付いて来てくれるかい?」
言うやいなや、警官は瑞樹の返事も待たずに歩き出してしまう。瑞樹は慌ててそれを追いかけ、先導する警官の後を黙って着いて行くのであった。
だが、それも直ぐに疑問へと変わってしまう。
歩き出しは、まぁ良かった。
しかし警官は大通りから離れ、少しづつ狭い通りの方へと移動していく。
最初は、大通りよりもコチラのほうが早くに車を回せるのか? と思い従っていた瑞樹だが、次第にそれが可怪しいと思い始める。
「あの……何処まで行くんですか?」
「大丈夫。車を、回してもらえるところまでだよ」
瑞樹の質問に、警官は朗らかな笑みを浮かべながら返事を返した。
しかしだからと言って、その警官が瑞樹の質問にちゃんと答えたわけではない。なんというか、適当にはぐらかしたような言い方である。
瑞樹はその答えに不信感を募らせ、再度疑問を投げかけた。
「さっきの大通りじゃ、なにかまずいんですか?」
「マズイって……それはマズイでしょう。マズイ、マズイ」
「え?」
「流石にあんな場所では問題が有る。問題が有るでしょう?」
「も、問題? あの何を」
「――そう、問題でしょう!? 大問題! っだ!」
狭い路地に差し掛かった所で、瑞樹の質問の仕方が悪かったのか? 何かしら気にでも触ったのか? 警官は突如大きな声を上げ始めた。
ガクガクと身体を大きく震わせ、頭は左右に小刻みに揺れている。見るからに危ない人物にしか見えない。
グルっと体ごと瑞樹に向き直った警官は、
「あんな場所で! 人に見られたら! どうするんだ! ガボッボケ!」
「なっ!?」
口から泡を吹きながら白目を向き、眉間に皺を寄せた顔で罵るような言葉を言い放つ。瑞樹はそんな警官に恐怖を感じて後ずさった。
「ガボっ! 人目に付くようなところでよぉッ! 何を、ガボボ! 出来るってんだぁ!」
口からあふれる泡のために上手く喋ることが出来ないのか、所々聞き取りにくい声を放つ警官。とは言え、例え聞き取れる言葉で喋っていたとしても、身体をガクガクと奇妙に震わせている状況ではとてもマトモだとは思えないだろう。
「ちょ、何なんだよ! アンタ!」
「ほ、ほほ、本官を疑うような奴はぁ! し、しししっ、死刑! 死刑だぼ!」
「物騒なっ!?」
ビュボ!
叫ぶ瑞樹を無視するように、警官は警棒を取り出すと振り回すようにして襲いかかってきた。バックステップをして躱す瑞樹だが、
ドバァアン!
間一髪で避けた警棒は、近くの壁に当たるとその壁を容易く粉砕してしまった。
此処数日で、普通ではないコトを数多く体験している瑞樹だが、インパクトが薄いとはいえ流石にコレも普通では無いと気がつく。
「なん、何なんだよ!」
「死刑、死刑! 死刑ダボバ!」
「――ッ!?」
狂ったように声を上げる警官だったが、次の瞬間にはその口から奇怪な芋虫が顔を出してきた。当然瑞樹には検討もつかないシロモノであるが、余りにも大きすぎるソレは、刀子の腹に寄生していた物と同じ『腹生蟲』だ。
生理的に嫌悪感を感じるようなフォルムをした芋虫。
それを口元から覗かせる警官は、眼球をグルグルと回しながら尚も『死刑』との単語を連呼しながら襲いかかって来る。
「わっ! とわっ!?」
「避け、ガボァ!」
「危ないっての!?」
ブンブンと振り回される警棒を、瑞樹は匠に回避し続けているのだが……如何せんこのままでは手詰まりである。
警官の動きは正気ではないためか、酷く大雑把で緩慢。そのため、普通に避ける分には何ら問題は無いのだが、今の瑞樹は背中に荷物《明日菜》を背負っている。
しゃがむ、紙一重で避ける――などのことをして、ソレが背中の荷物にでも当たったらとんでもない事だ。
瑞樹は背中に背負うハンデのために、どうしても大きな動きを伴う回避運動を余儀なくされているのだが……
(なんだってこんな――)
と、瑞樹がここ最近の自身の運の無さに嘆いていると、流石に病院からここまでのアクションが刺激となったのか、背中に居る明日菜が僅かに身動ぎをし始めた。
「う……うぅん」
「え? わ、わ、起きるな、起きるなよ!」
「ん……んぅ」
小さな動きをした後、再び力が抜けるように沈み込んだ明日菜。どうやら目覚めて騒ぎ出す――と言う事にはならなかったようである。
ホッと一息吐く瑞樹だが、しかし、このままでは何時そうなってしまうのか解ったものではない。本当ならば今日出会ったばかりの子供に其処まで気を使う理由など無いのかも知れないが、とは言え今の状況(精神的に可怪しい警官が口から芋虫を覗かせている)は、子供にとって後々のトラウマに成ってしまうかも居しれない。
瑞樹はそう考えると、『流石にちょっと可哀想かな?』と思うのだ。
瑞樹は背中に居る明日菜の将来と、そして自分の安全、それから目の前の警官の健康状態を天秤にかけ、
「……しょうがない、よな。恨まないでくれよ」
無闇に暴れる警官を、力づくでどうにかすることに決めるのであった。
警官の振り回す警棒は力強いが、しかし緩慢な動きである。図書館島探検部にて、日夜アホの様な罠の数々に晒されている瑞樹にすれば、ただ乱暴に振り回されるだけのソレは酷く読みやすいでしかなかった。
「動きが遅い!」
乱雑に振り上げられたその腕に向かって、瑞樹は自由に動かせる脚を使って蹴りを放つ。
「ィガッ!?」
警官の痛みに呻くような声と、
ドッ!
という鈍い音がするが、瑞樹は構わずに素早く蹴りの二撃めを繰り出した。
「ハァッ!」
最初の蹴り足で警官の腕を跳ね上げ、続けてガラ空きになった顎部を横から綺麗に蹴り抜く。
ゴギャリィ!
何の障害もなくスパっと入った瑞樹の蹴りによって、警官の顎は横へと振られ、そしてその反動で首から上が遠慮なくグルンっと回転をする。
首が一回転した――とまではなっていないが、そのまま糸が切れた人形のように崩れた所を見ると、最低でも気絶する所までは行ったようである。
瑞樹は心臓をバクバクと強く動悸させながら、地面に潰れるように倒れている警官を眺めていた。
「や、やったのか?」
恐る恐る尋ねるように口にする瑞樹。
そのまま暫らくを様子を見ながら、思わず足先で、ツン、ツン……と、警官の身体を刺激してみる。二度、三度と突っついてみるが、特に警官からの反応は何もない。瑞樹は何度か目をパチクリとしてから、見た目に解るくらいに大きく息を吸うと、
「はぁ~~~…………助かった」
一気に脱力するように息を吐きだした。
上から棚が落ちてくる、変な人形にナイフで斬り付けられる、奇妙な仮面の人物に襲われ、侍看護婦に生命を狙われ、今度は既○外ポリスが牙を剥く。
凡そ、普通に生活をしていれば体験しにくい出来事ばかりである。絶対にしないとは言えないが、少なくとも二週間程度の間に詰め込める内容ではないだろう。
ふと、瑞樹がチラッと地面を見やると、先程警官の口元から顔を覗かせていた芋虫《復生蟲》が這い出てきた。ソレはもぞもぞと動きながらのたうち、警官から離れて行こうとする。瑞樹は眉間に皺を寄せ、その物体を観察していたのだが
「やっぱり、腹生蟲を入れただけの普通の人間じゃあ、駄目でしたか」
「――なッ! ……この声っ!?」
聞き覚えのある、嫌な声が瑞樹の耳に届き、その視線を路地の薄暗闇へと向けさせた。
コツ、コツ、と、舗装された地面を靴で叩きながら、その人物はユックリと現れる。
角の生えた様な特徴的な仮面《マスケラ》、黒く大きな外套の様にも見えるローブ、人をオチョクッたような巫山戯た口調。
それは昨夜、瑞樹を襲った人物に他ならなかった。
「なんで……お前、昨日の夜に死んだんじゃ……」
「おぉ! 怖い、怖い。よもや『普通の人間だった』君の口から、死んだ――なんて言葉を聞かされるとは、思わなかったぁ」
仮面の人物が放つ戯けたような物言いに、瑞樹は思わず呻くように言葉に詰まる。しかし、だからと言って気を抜くような事はしなかった。
流石にほんの半日ほど前に手酷い目に合わせてくれた人物に、気を抜いたりなど出来はしないだろう。
「本当は、病院でケリが付けられると思ってたんだがねぇ……。いや、タカミチ君が予想外に強すぎた」
「タカミチが?」
「そうだよ。彼はあの若さでは、異常とも言えるくらいの強さを持っている。……まぁ、それでも『化物』と言うほどじゃないがね」
まぁ流石に、逃げている最中に聞こえたドンパチを考えれば、瑞樹にもタカミチやその相手だった侍看護婦が普通じゃないくらいは理解できる。
一瞬、『もしかしたら目の前の奴は大したことはないのか?』なんて考えをした瑞樹だったが、大したことがない奴ならば今現在、こうして目の前に現れたりはしないだろう。
「いやいや、昨日は対反応妖撃にしてやられてしまったけど、今回はそうは行かない。――色々と準備をしてきたからね」
仮面の人物はユラリとした動きで片腕を持ち上げると、
パチンッ!
徐にフィンガースナップをした。
すると次の瞬間
ザワリッ!
「なっ!?」
瑞樹は思わず呻くような声を漏らした。
指を鳴らした瞬間、今まで周囲に感じなかった別の気配が現れ出したからだ。
仮面の人物の後方、自身の直上、そして壁の向こうにまでだ。
「ほーら。こんなに一杯♪」
楽しそうに言う仮面の人物だが、当然瑞樹にとって楽しいものである訳がない。
「お前……何だって俺のコトを付け回すんだよ!」
「? なんで? そんなの眼宿蟲が欲しいからに決まってるじゃないですかぁ」
「こんな、訳の解らない物が欲しいからって! あんな滅茶苦茶なことしたってのか!」
「うーん……正確に言うと、滅茶苦茶にしたのは刀子とタカミチ君で、昨日の事に至っては、寧ろ君が原因なんだけどねぇ。私としては、穏便に済ませたかったくらいだしぃ」
「あ、アレは! ……せ、正当防衛だから」
相手の言い分に思わず戸惑ってしまう瑞樹は、焦りながらも昨日出来事に対する弁明をする。しかし如何せん、どうやら舌戦に関しては相手のほうが上のようだ。
「本当はもっとスマートに手に入れるはずだったんだけどねぇ……。最初の時も、そして今回もタカミチ君が邪魔をしてくれてさ、結局はまた私が出張る事になるんだもんなぁ。でもまぁ――今回はもぅ失敗なんてしないけどね」
仮面が笑った。
瑞樹は瞬間、脳裏にそんなコトを思い浮かべた。
そして昨日の出来事が脳内に蘇り、その表情が青ざめていく。
「後ろは壁。そして前方と上には敵の集団が居て、背中には御荷物を抱えてる。まぁ御荷物のお譲ちゃんには可哀想だけど……そこら辺の処理は上手くやるよぉ」
「!? ……お前、俺だけじゃなくて、こんな小さな子供まで殺すってのかよ?」
「うん? あぁ、そうだよ。眼宿蟲を取り出すために君を殺すし、背負ってる子供だってもしもの為には殺すさぁ」
「なッ!?」
殺すだの、殺さないだの。
その余りにアッサリと放たれた言葉に、瑞樹はギリッと歯ぎしりをする。
冗談で言っている――訳ではないのだろう。それだけ確りとした意思が伝わってくるし、そもそも昨日の段階で、冗談では済まない相手だと認識しても居るのである。
「――死なない。俺は簡単にはヤラれない。この子だって殺させない」
「そうだと良いねぇ。でも、死ぬよ」
「絶対に、殺らせるもんかよッ!」
「ふーん、威勢がいいなぁ……イライラする。もっと慌てふためくのを期待してるのに」
変わらない口調だが、そこに苛立ちを込めたような声色が加わった。
そこで瑞樹は、『あぁ、そうか』と納得をする。
恐らく、だが。
この仮面の人物は、精神的に自分を追い詰めようとしているのだろう――と、解ったからだ。昨日の段階でも、結局は直接手を出してきたのは最初の一回目だけで、後は妙な幻覚で攻撃をしていた。口調や言葉以上に、瑞樹のことを警戒している証拠だろう。
「そうそう格好悪い態度なんか見せる――」
「上っ!」
「っ!?」
突如告げられた警告に反応して、瑞樹は勢い良く後方へと跳躍をした。
ドガァンッ!
質量物が、地面を強く叩く音が響く。
先程まで瑞樹の居た場所に向かって、上空から一体の化生が躍りかかり、その手に持っていた棍棒を振り下ろしてきたのだ。
あわやと言う所で逃れた瑞樹だったが、しかし
「お前……起きてたの?」
「寝てた。起きたの」
その視線は背後の明日菜へと向けられていた。
睨むように目を細めて居る明日菜と、困ったようにしている瑞樹。
そして
「上手い具合に避けましたねぇ?」
それを見ている仮面の人物。
まぁ、しかしだ。
「一体いつから起きてたんだよ?」
「瑞樹が警官を蹴っ飛ばす前から。……犯罪者?」
「違う! 俺は真っ当な学生だぜ? アレは正当防衛だよ!」
「公務執行妨害」
「あんなのが公務であって堪るか!」
「……『こうむ』って何?」
「ん? ……何、だろうな? 警察の仕事全般か?」
瑞樹と明日菜の耳には、仮面の人物の呟きなど届いては居なかった。
ヤイノヤイノと言い合いをする2人だが、まぁ先程まで主導権を握っていた仮面の人物にしてみれば堪ったものではないだろう。
「無視しないで貰えますかぁ!?」
「「あ」」
「自分たちの状況……お解りでないのかなぁ? ねぇ?」
仮面の人物はプルプルと肩を震わせ、その喉から出す声まで震わせる。瑞樹と明日菜はその表情から、本当に一時『その事』を忘れていたようである。
「全く、いい加減にして欲しいですよね。本当に……三只眼になると、脳天気になったりするんですかねぇ」
ブツブツと文句を言いながら腕を振る仮面の人物。
すると背後に控えていた鬼や妖怪が、ズイッと前に進み出てくる。
……どうやら御巫山戯は無いようだ。
「良いか、明日菜。シッカリ捕まって振り落とされないようにしろよ」
「……解った」
気持ちの切り替えをした瑞樹は、後ろに背負っている明日菜に声を掛けた。流石に明日菜も、この状況に理解は出来ずとも対応しようと考えているらしい。
嫌でも高まる緊張感に、瑞樹は膝を曲げ、腰を落とした状態でいつでも動き出せるように身構える。背中に居る弱い存在《明日菜》の影響か、それともこの手の出来事に対する耐性が出来始めているのか、瑞樹の表情には怯えの様なものは見えなかった。
「もしかして、この状況でどうにか出来ると御思いですかぁ?」
「さぁね。でも、何とかしなくちゃ成らないだろ」
「その眼……本当にイライラする」
周囲を囲まれた状況は以前変わらず、背中の荷物《明日菜》が無くなった訳でもない。それでも瑞樹は『なんとかしてやる』といった表情を浮かべているのだ。
仮面の人物にはそれが、酷く腹立たしく感じていた。
表情の見えない仮面の奥で、恐らくは怒りの篭った視線を向けているのだろう。ジワジワと高まる緊張感の中――
「あ、また上」
明日菜が上空を見上げながら声を漏らした。
慌てて上へと視線をやった瑞樹であるが、その夜空に見えたのは
「! ――あっ、アイツ」
ここ最近で顔見知りとなった、黒くはためく外套を身に纏った一人の少女である。
「リク・ラク ラ・ラック ライラック。氷の精霊《セプテンデキム・スピリトゥス》 17頭《グラキアーレス》 集い来たりて《コエウンテース》 敵を切り裂け《イニミクム・コンキダント》 魔法の射手《サギタ・マギカ》 連弾《セリエス》・氷の17矢《グラキアーリス》!!」
よく通る声で詠唱を紡ぐと、懐から数個の試験管を取り出しながら投げつける。
するとその試験管内の液体は空中で形を変え、無数の氷柱が飛び出してきてた。
「行けッ!」
楽しそうなその声に従い、氷柱はそれぞれが意思を持つかのように直下に佇む標的へと飛来していった。
ズドドドドドドドッ!!
「お、ぉおおお」
「うわぁ」
思わず声を漏らす瑞樹と明日菜だが、目の前で次々と穴だらけにされては消えていく化生の様子は、それだけのインパクトが有る光景だった。
一頻り氷柱を撃ち尽くしたその人影は、フワリといった軽やか着地をして瑞樹の前に降り立った。その表情は、何処か楽しそうな、嬉しそうな……いや、褒めて貰いたい子供のように見える。
「フフ、危ないところだったな? 瑞樹」
「よ、よぉ、エヴァ」
背中越しに振り向き、口元をクイッと持ち上げて笑みを浮かべる少女――まぁ、大方の人は丸解りだっただろうが、エヴァンジェリンである。
瑞樹はエヴァに苦笑いを浮かべながら軽く手を上げて返事をすると、背中に背負っていた明日菜を地面へと降ろした。
「『いいタイミング』だなって思うけど、とにかく助かった」
「フン。爺ぃから連絡が来て、直ぐに来てやったんだ。もっと感謝をしろ」
「してるよ。……ありがとう」
瑞樹の言葉に少しだけムッとしたようなエヴァンジェリンだったが、しかし素直に礼を言ってきたことに対しては、少しだけ表情を硬化させてプイッと顔をそらす。
もしかしたら、正面からの言葉に弱いのかもしれない。
しかし、エヴァジェリンはその視線を前方に、仮面の人物が居た方向へと向けると鋭く睨むように変化させる。
「エヴァンジェリン……闇の福音。学園長が貴女を寄越したことをどう考えるべきか。いや、ソレよりも、貴女が言われて此処に来たコトをどう考えるべきなのか?」
「フン咄嗟に障壁を張ったか。やはり、あの程度の魔法の射手ではどうにもならんようだな」
舞っていた土煙が晴れていくと、其処には多少ローブに穴が開いたものの、ほぼ無傷といえる状態で仮面の人物が立っている。
倒しきれるとは思っていなかっただろうが、それでも思いの外に損傷が少なかったのだろう。エヴァは「チッ」と舌打ちをした。
「興味深いが、君の心的状況の考察はもっと暇な時にするとしましょう。今はそう――マギステル・マギの使命に則って、悪の魔法使いの代表格、闇の福音エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルの排除を優先しましょう!」
「マギステル・マギ? ……爺め、滅茶苦茶足元ではないか」
腕を広げて胸を張り、やはり芝居がかった大仰な振付で台詞めいた言葉を放つ仮面の人物だが、エヴァンジェリンはそれに、より正確にはその言葉の内容に、呆れたような表情を浮かべていた。
「あの『英雄』が仕留め損ねた悪の魔法使いを! この私が退治する!! ……それはそれでイイですねぇ!」
「……はぁ。一生やっていろ」
疲れたように溜息を漏らすエヴァンジェリンは、御馴染みとなってきている試験管を取り出すと、それを相手に向かって振りかぶった――が
「閃光武装解除《ルゥセムエクサルマティオ》!」
「――ッ!? 氷盾《レフレクシオ》!」
相手の方が一瞬速い。
エヴァンジェリンに向かって手を翳すと、其処から閃光が放なたれる。
慌てて氷の盾を創りだしたエヴァンジェリンだが、懐から何本かの試験管が吹き飛び、創りだした氷の盾は閃光に晒されると煙を吹きながら削られていった。
「チッ! 魔法薬が!」
「フフフぅ。本調子の貴女に喧嘩を売るなんてのは、悪い冗談にしか成りませんけどぉ。今の貴女になら私でも勝てますよぉ」
「図に乗りおって……!」
眉間に皺を寄せ、苛立ったような表情を浮かべたエヴァンジェリンは、地面に撒き散らされた薬液――魔法薬の上に手を置くと、キッと視線を強めて呪文を口にし始めた。
しかし、それは相手も同じである。
「リク・ラク ラ・ラック ライラック。闇の精霊《ウンデトリーギンタ》29柱《スピリートゥス・オグスクーリー》! 魔法の射手《サギタ・マギカ》! 連弾《セリエス》・闇の29矢《オブスクーリー》!!」
「ルライト・フロイト・クライスト。光の精霊《セブテントリーギンタ》37柱《スピリートゥス・ルーキス》! 魔法の射手《サギタ・マギカ》! 集い来たりて《コエウンテース》敵を射て《サギテント・イニミクム》! 連弾《セリエス》・光の37矢《ルーキス》!!」
エヴァンジェリンの前には無数の黒い塊が浮かび、そして対照的に仮面の人物の目の前には無数の光の塊が現われた。
そしてそれらが現われきった次の瞬間
ギュンッ!!
互いの創りだしたその魔法の塊は、目標――要は、自身にとっての敵に向かって、勢い良く飛び出していく。
放たれた魔法は宙空でそれぞれの魔法にぶつかり合い、
ドドドドドドドンッ!!!
耳障りな爆発を起こしては散っていった。
「……目の前でこんな現象が起きても、最早素直に驚けない自分が嫌」
「…………」
目を細め、疲れたようにして目の前の魔法合戦を見つめている瑞樹。そんな瑞樹とは対照的に、魔法なんてモノには縁が遠いはずの明日菜は無言で不思議そうに、何かを思い出すように首を捻っていた。
二人の魔法合戦は、数の上では仮面の人物が上。
だが、その威力と精度に関してはエヴァンジェリンの方が上のようである。
一つ一つを確実に撃ち落とし、時には一つで二つの光の塊を撃墜していく。
魔法使いとしての技術は、確実にエヴァンジェリンの方が上のようだ。
だが
「……フフフ。ウフフフフフ」
「チッ」
嫌らしい笑い声と、舌打ちがそれぞれ聞こえてくる。
互いの放った魔法が潰し合い、それらが全て無くなった後で、仮面の人物は未だに健在であった。苦虫を噛み潰したようなエヴァンジェリンの表情は、更に苦いものへと変化する。
「ククク、凌ぎ切れちゃいましたよ。どうするんです? 地面に散らばって劣化した魔法薬に手を出すくらいだ、もうストックなんて無いんじゃないですか?」
飄々というその言葉は、まさしく事実である。
最初の一手目で武装解除の魔法を受けたエヴァンジェリンは、魔法を使う際の補助薬を殆ど失ってしまっている。先ほどの魔法の射手も、半ば無理矢理に使って、なんとか29本の攻撃を可能にしていたのだ。
だが、エヴァンジェリンは図星を指されたにも係わらず、その顔に焦りはない。寧ろ胸を張って、それがどうしたと言わんばかりである。
エヴァンジェリンは、口元にニィっといった笑みを浮かべてみせる。
「フン。調子に乗って……。下卑た顔が『仮面の奥』から覗いているぞ」
「ふふ。強がりを――」
その時である。
ピシィッ!
その仮面に罅が走る。
仮面は目元を抉るように罅割れていくと、そこから仮面の人物の顔が僅かに覗いて見えた。
「な、なぁっ!?」
「ほーぅ。確か貴様、神撫とかいった小僧だったか? 偉大な魔法使い《マギステル・マギ》の一人、生物工学とやらの研究者だったな?」
「ぐっ! き、貴様! わた、私の顔を!」
「ふん! 見られた所で、元々大した顔でもないだろうが」
割れた仮面の部分を抑え、途端に狼狽え始める相手――神撫 護《かんなで まもる》に、エヴァンジェリンはその現れた顔をマジマジと見つめながら軽口で返す。
「しかし、正義の魔法使いを自称する貴様らにしては、随分と思い切ったことをする……。眼宿蟲が欲しいというのは、何も職業柄――等と言うつもりはあるまい?」
「はっ! 魔法使い……いや、一人の研究者として、眼宿蟲のような不思議な植物を調べたいと思うのが、そんなに悪い事なのかね!」
「悪いとは言わんさ。人間なんてのは、所詮独りよがりな生き物だからな。自分のやりたい事を、やりたいようにヤル。それが本来正しい姿だろう。……だが」
『理由としては些か弱い』
エヴァンジェリンはそう思わずにいられなかった。
一番最初。事件の始まりから考える。
何らかの方法で眼宿蟲の存在を知り、それを麻帆良で受け取る予定だった。
この段階でそれなりに無理のある話であるが、百歩譲ってそれが有ったとしよう。だがそうすると、昨日もそうだが今日のような大きな騒ぎを起こしたことがもう既にマイナス点どころか、生涯に渡って精算不可な失敗にしか思えない。
そう考えると、幾らなんでも不思議植物を調べたいといった欲求だけでは足りない気がするのだ。
……まぁもっとも、この目の前に居る神撫 護という人物が、後先を全く考え無いような、所謂バカに分類されるのなら話は別なのだろうが。
まぁしかしだ、ここでこんな考えに至ったとしても、今の段階で瑞樹たちが追い詰められていることに変わりはない。
「……なんだかんだと言っても、私が追い詰めている側だと言う事実に変わりはない。闇の福音と呼ばれた貴女を始末し、そしてその後で、後ろの二人も殺して上げますよぉ」
まだ幾分、声色には苛立ちが含まれたような響きであるが、神撫は自身の勝利を疑わずに宣言をする。
すると、これらのやり取りをずっと聞いていた明日菜が、徐にエヴァンジェリンに言うのだった。
「負け?」
「なんだと?」
「私達の……負け?」
「っ!? 誰が負けるか! 黙って見ていろ小娘! ――瑞樹!」
「え? えぇ! お、俺ェ!?」
明日菜の一言で火が着いたのか、エヴァンジェリンは腕を振って、自身の後ろに控えていた瑞樹に隊列変更の指示をする。当然、まさかそんなことに成るなど考えもしていなかった瑞樹は、素直に『解りました』と従えるわけもない。
「そうだ、お前だ。……やれ」
「やれって……んな簡単に」
「お前には、昼間にちゃんと教えただろうが。周りへの被害は、私がなけなしの魔法薬を使って抑えてやる。だからやれ」
「だ、だけどさ! ……相手、死んじゃうかもしれないだろ!?」
「なっ……!? 馬鹿か、お前は! 向こうは端から殺すつもりなんだぞ! 良いからやれ!」
エヴァンジェリンの言い分は、『殺られる前に殺れ』と言うことなんだろうが、しかしそんなに簡単に割り切れるものではない。
特に、最近まで普通の日常を過ごしてきた、天宮瑞樹には。
「お前がそんな風に躊躇してると――」
「エヴァ!」
「ッ!?」
煮え切らない瑞樹に文句を口にしようとした瞬間、その瑞樹は声を張り上げてエヴァンジェリン背後に迫る影を見つめていた。
それは大きな黒い影をした鬼である。
エヴァンジェリンが最初にはなった魔法の射手で、倒しきれてはいなかったのか。手にしている棍棒を、力強くエヴァンジェリン目掛けて振り切ってきた。
ゴシャンッ!!!
「がぁっ!」
「エヴァ!?」
防ぐ間も無く、エヴァンジェリンの小さな身体が吹き飛ばされ、路地の壁に激突をする。瑞樹と明日菜は直ぐ様に飛ばされていったエヴァンジェリンへと駆け寄るが、エヴァンジェリンの腕はネジ曲がり、頭からは大量の出血をしてしまっていた。
「油断大敵……ですかぁ? あの闇の福音が?」
「オマエッ!」
クツクツと声を漏らして、自身の優位に笑みを浮かべる神撫。
瑞樹はバッと振り返って神撫を睨むが、その行為さえも今の神撫でには心地の良いものであるらしい。
「私としたことが……少しマズイ……か」
エヴァンジェリンは吸血鬼だ。
力を封じられているとはいえ、夜ならばそれなりにその特性を取り戻すことが出来る。つまり、例え大怪我をしたとしても、それが普通では考えられないような速度で自己修復をすることが出来るのだ。
しかしそれも、本来の状態から見てみれば余りにも遅すぎる。
回復することを待っていては、その間に神撫は自分を、そして瑞樹と明日菜を殺せてしまうであろう。
「瑞樹……! お前がやるんだ! 今の私には出来ない。お前が自分で、お前自身とその娘を守れ……!」
「俺……が?」
「瑞樹、やれ。『バラス・ヴィダーヒ』だ……」
血の気が薄くなり、絶え絶えな様子で言ってくるエヴァンジェリン。瑞樹はそんなエヴァンジェリンをジッと見つめ、ギュッと唇を噛み締めた。
そして手に嵌めた装身具、『シヴァの爪』を強く握りしめた瑞樹は、未だ葛藤を続けながらも僅かに言葉を口にする。そう
「バ、バラス――」
――と。
すると瑞樹の手のひら、正確にはシヴァの爪から光が溢れ
バチッ バチバチッ と、放電現象のようなものを引き起こした。
「な、なんだそれは!? まさか! 三只眼の力を制御しようと言うのか! ――クッ、させるものかっ! 殺れ!!」
神撫の命令に従い、目の前に居た鬼が、そしてそれ以外に隠れていた鬼たちが一斉に姿を表して駆け出してくる。
手に持った得物はドレもコレもが原始的だが、それを振るう力は人のソレを優に超えて必殺の威力を持っている。
瑞樹は迫る連中に目を見開いて視界に捉えながら、
「エヴァ……さっき言ってたサポート宜しく。それと、俺は自分と、明日菜と、それにお前のことも守るからな」
「なっ!? おま、み、瑞樹!?」
瑞樹の言葉に、思わず赤面してしまうエヴァンジェリンだったが、瑞樹は正面に向かって腕を伸ばし、それを見る余裕はない。
「うわぁああああ! バラス・ヴィダーヒッ《我に力を》!!」
声を張り上げ、手のひらを向けながら、力の言葉を口にした瑞樹。
次の瞬間、その額には第三の眼が現れ、辺り一帯を眩しい光が包んでいくのであった。