チンチロ部落 1-1
もはやお忘れであろう。或いは、ごくありきたりの常識としてご存知ない方も多かろう。が、試しに東京の舗装道路を、どこといわず掘ってみれば、確実に、ドス黒い焼土がすぐさま現れてくる筈である。
◇◆◇◆◇
恐ろしくドス黒い雲が空を覆っている。これはものの数時間で大雨がくるのは空を見上げた誰しもがわかる程である。もしくは、このジメジメとして嫌な雰囲気で雨が降り注ぐことを理解する人間もいるのかもしれない。
金色の地毛をなびかせ、酷く小奇麗な学生服を着た少年は酷くどんよりとした表情で公園で羽を休めている放浪者と同じように酷くどんよりとした暗い表情をしていた。
少年はゆっくりと腰掛けていた花壇から離れ、今日一日を乗り過ごすために財布の中にジャラジャラと入ったこの時代では使えない硬貨をくず鉄屋に持って行こうとした。
「おい兄さん、ちょっと話があるんだ。こっちへ来いよ」
とみすぼらしい格好をした中年の男性が少年を呼び止める。
少年は男の姿を見てすぐに戦争で怪我をした人間だと理解する。何故なら、その男の左腕が肩のところからすっぽりなかったからだ。
「何だい? 用があるならそこで聞かせてくれよ」
「煙草があるんだ、どうだ、一本吸わないか」
少年の一瞬の油断に漬け込んで男は腹部に刃物を突きつける。
「金を出せ......」
「今からその金を作りに行くところなんだよ、邪魔しないでくれって......」
「......京? おまえ京じゃないか!? 俺だよ、上州寅だ!」
男は刃物をしまい、少年の肩を残っている右手でポンポンと叩く。
少年は意味がわからないと首を傾げるのだが、男の方はどうやら少年に見覚えがあるらしい。
「おまえ、戦争に行って死んだって聞いたんだが、まさか生きてたとは......」
少年は一瞬困惑するが、誰かと見間違えてくれているのならそちらの方がいい、下手に他人だと言ってしまえばもう一度刃物で脅されて身ぐるみを剥がされるのが目に見えているからだ。
「寅さんかい?」
「ああ、工場で一緒に働いていた上州寅だよ! ああ、懐かしいな......おまえはボイラー室の博打じゃ負け知らずだったからな~」
「いや、一番勝ってたのは寅さんじゃないか」
寅はしゅんと下を向き、俺はもうダメだと弱音に近い声色で告げた。
「俺ぁ、三十年もこの道で年季を入れているが、どうもいけねぇ、ここ数年はここぞという時の大勝負に悪い目が出る。まるで勝負の神様に嫌われているようだ」
「......寅さん」
寅は愚痴をこぼすように部落で行われているチンチロ賭博のことを喋った。
少年は決意を決めて立ち上がった。
「寅さん――俺をそこへ連れて行ってくれないか」
寅は鋭く刃物のような瞳で「坊や。おまえがやる気か?」と尋ねた。
「うん、そのまえに一度質屋で小銭を手に入れないといけないから」
「その服を売るのか?」
「いや、海外の小銭を持っててさ。それがそれなりの値段で売れるんだ」
少年は寅を連れてこの近くに存在する質屋に向かった。
◇◆◇◆◇
「いらっしゃい、また来たのかい?」
少年を見た質屋の旦那は苦笑いを見せながら今日な何枚うってくれるんだと尋ねてくる。すると財布の小銭入れを全部台に置き、いくらになるかと少年は尋ねる。
一円、十円、五十円、百円。
この時代に存在するはずのない硬貨だ。
「......三百円でどうだい?」
「じゃあ、それで」
「何だこりゃ? 見たことない小銭だな......」
「ああ、戦争中に手に入れたお金であんまり枚数がないから高く勝ってもらえるんだ」
質屋の旦那が持ってきた三十枚の十円札のうちの十枚を寅に渡し、チンチロ部落へ足を運ぶ。
『色川武大』、ペンネーム『阿佐田哲也』先生の名作、『麻雀放浪記』をベースに書いている小説です。原作をご存知でない方がいるのであれば、書店を覗いてみてはどうでしょうか。心に残る名作の一つです。