それからのこと、新宿を荒らすことを嫌がった京太郎に悪態をつきながら八王子、浦和、川口などの雀荘を巡っていた。京太郎のここ数年で積み上げてきた積み込みの技術は出目徳と同等。出目徳が一二時間先に賭場に入り、その後に京太郎がコンビだとバレないように入店する。
大抵、出目徳は技を使うことなく場を荒らして、京太郎が入店し、天和で場を和ませ、二度目の天和で凍りつかせる。それを何度も繰り返していると大枚と呼べる金額が懐に入る。出目徳は口元を緩ませることしか出来ない。
渡り鳥、玄人の世界では場を荒らしてサッと消え去る。一度しか入らない賭場、顔を覚えられたとしても地区が違う場所なら睨まれることもない。この時代、莫大な数のヤクザが居て、少し離れた場所は違うヤクザのテリトリーになっている。だから渡り鳥になれる。
金はあり余っていた。だが、出目徳は持ち合わせの強欲さを見せ、奪えるだけ奪って、京太郎に最低限のしのぎを与える。嫌気が差していたのは確かだが、特別感情移入出来るような相手とは打っていないのでコンビを解消する理由が作れないでいる。
東京の空襲の火が少なかった場所は痛手が少なかったためか、早い段階で雀荘が出来上がり、下手の横好きと呼ばれる存在が大量に居座っていた。
甘い客は腐る程。
出目徳は金という雑草を毟る悪徳を各地方で繰り返していた。
日に日に上がっていくレート、毟る金も枚数を増し、実りも多くなる。
「天は俺を見放してなかったか! 天和」出目徳がわざとらしく叫んだ。
「なんだって!?」出目徳の手を睨みつける客達。
「これだから博打はやめられねぇな!」
「冗談じゃないぜ、チョンボじゃねぇのか」
「はっはっは、悪いな。最初にアガってるんじゃ、こりゃ楽だ。俺ァこんな手でもないと勝てねぇからな、勘弁してくれ」
京太郎は天和を和了する出目徳を冷めた表情で眺めていた。
このセリフは出目徳がどの雀荘でも口にする。決まり文句というやつだ。京太郎は溜息を吐き出して次の山を仕込む。次は天和なんてものじゃない、ただの大三元爆弾のアシストだ。京太郎は出目徳が三元牌を仕込むのを見て、一枚足りない三元牌を暗刻になるよう切り出しで出目徳が引く場所に仕込む。
打っているカモは完全に場の流れが出目徳に向かっていると驚いている。ただ、京太郎だけは冷静に出目徳の滲み出る欲に溜息が出そうな顔をしている。仕組まれた流れをあたかも自分の流れだと言い張るこの腐った根性、そして、良心の欠片もない容赦なさ。ある意味では、玄人の完成形なのかもしれないと納得させられるものがある。
京太郎の親番になる。京太郎はとある技を使う準備に入る。これが実戦で通用するのかという試しという部分がある。その技、京太郎が未来から来た人間だからこそ知り得るサマ師が憧れる難しいイカサマ。二の二の天和がコンビで安全に天から和を授かるなら、この技は――地面をひっくり返して、そして、天を跪かせる。
――カタンッ
牌が鳴らす甲高い音が小さい範囲から響いた。
「……おお、俺も授かったようだ」
タンッそう牌を倒し、天和を授かったと宣言した。
【自山】
{裏}{裏}{裏}{裏}{裏}{裏}{裏}{裏}{裏}{裏}{裏}{裏}{裏}{裏}{裏}{裏}{裏}
{6}{9}{7}{④}{一}{7}{三}{8}{二}{②}{西}{5}{③}{西}{裏}{裏}{裏}
【手牌】
{裏}{裏}{裏}{裏}{裏}{裏}{裏}{裏}{裏}{裏}{裏}{裏}{裏}{裏}
これはイカサマというよりも手品と言ったほうが正しいだろう。麻雀打ちなら一度は耳にする手積みだから出来る積み込みと技術の最高峰、――燕返し。
自分の山の下段、十四枚に施す幻想、失敗したら最後、摘発は免れない。実戦で磨かれた者だけが使用したと呼ばれる技。燕返しの原理は酷く簡単だ。自山の下段十四枚を和了出来るように仕込み、そして手牌と入れ替える。麻雀は三人の視線にぶつかるゲームだ。それを掻い潜り、牌を返すには、並外れた神経と指の繊細さ、何よりも自分の手を信じられる度胸が必要になる。
この燕返し、下家に座る出目徳以外は何一つ思わなんだ。今日は珍しい役満が飛び交っているという大雑把な認識と馬鹿みたいな大技を暇潰しに使っている狂気、それらが混ざり合い、混沌としている。京太郎は投げ渡される銭をそっと拾い上げた。
2
酷く退屈だった。それが理由だ。京太郎は場違いな料亭で胡座をかいてあくびを一つ。出目徳が珍しく銭を出すと言って入った料亭。部屋は二人で入るには少しばかり広く、ボロ屋で寝泊まりをしている京太郎にとっては、新鮮味がある場所だった。
出目徳は京太郎を褒めるか、それとも叱るかを深く考え込んでいた。燕返しという大技、それを暇潰し感覚で成功させた京太郎、褒める理由になる。もちろん、出目徳は燕返しという技を知っている。長い間玄人をやっているのだから、燕返しの作り方、やり方、和了の仕方、なんでも知っている。だが、それ以上に燕返しという技は危険を伴うのだ。出目徳は二つの選択肢の判断に悩んだ。
「相手が玄人じゃないから使ったんだ」
最初に声を出したのは京太郎だった。京太郎は窓の外から見える小汚い町並みを見ている。出目徳は燕は人の家に巣をつくる、この意味がわかるか? そう尋ねる。京太郎の飄々とした表情に不気味さを感じたのだろう、出目徳は叱る方の選択肢を取った。
「餌を取りに行っただけさ」
「燕返しはどんなに技術がある玄人でも躓く時は躓く。その点、二の二の天和は爆弾仕込む要領で積み込むだけで終わる。玄人は安全な技を使うもんだ、あんまり下手な技を使うなよ」
出目徳の意見は正しい。確かに燕返しは圧倒的な威力を誇るサマであるが、どうしても危険が伴う。燕返しを行うには最低でも一秒ちょっとの時間が必要になる。その一秒ちょっとが自分以外の三人が打っている麻雀にとっては長い。それを掻い潜れるだけの勝負感が無ければ使うことなんて出来ないだろう。
京太郎は出目徳の言葉をちゃんと理解していた。燕返しという技は玄人とぶつかる場合、絶対に出来ない。玄人は一目で自分の手牌を暗記し、それ以降は他の打ち手の監視に回る。理牌しなくても麻雀を打つ奴なんていくらでもいる。そんな奴らと打つ時に呑気に燕は飛べない。
「……なあ、坊や。おまえさんはどういう考えをして、俺と飛んでるんだ」
出目徳の目が鋭くなり、表情も険しくなる。
「爺さんの笑い方が酷く気持ち悪くてね、癖になってるんだ」
「坊や、おまえさんは俺のオヒキだ。オヒキは与えられた仕事だけをやっていたらいい。そうしたら大枚が舞い込んでくるんだ。仕事師は俺だ。おまえは、勝負の最中に、俺がどういうことを考えているか、どう動こうとしているのか、それをすばやく読んでいくんだ。本当に呼吸があっていれば通しなんて必要ねぇ。俺の目の色、顔の色一つでスッと動いちまう。良いオヒキってのはそういうものなんだぞ」
京太郎の腹の中は煮えくり返っていた。彼が麻雀を打つ理由は強くなるため、だが、出目徳はその逆で金を得るためになっている。互いの価値観は酷く違っている。京太郎は勝つことに執着しているが、負けることに恐怖しているわけじゃない。負けがあってこその麻雀だと思っている。だが、出目徳は買って金を毟る。絶対に負けない方法を作り出して、そして、また毟る。
京太郎はコンビを解消しようと喉まで来ていたが、寸前で思い留めた。コンビをやめる理由はとうの昔に出来上がっている。だが、そこまで深い理由ではないのだ。出目徳はお山の大将をやって、自分に甘い汁が降り注げばいい、そんな価値観で生きている。この強欲爺が死に絶えるのは近い、ほくそ笑みながら死ぬ姿を見るのも悪くない。それがやめない理由になりえた。
「わかったよ、もう遊ばない。爺さんは遊びは嫌いなようだ」
「それでいい、絶対に勝てる博打の旨さがすぐにわかるさ」
下衆な笑みを浮かべる。見慣れているが、気持ち悪いと思った。
3
早稲田大学の周辺を流していた。京太郎と出目徳のコンビの息の合い方が終着点に近づいてきたことを意味する。この時代の学生はビリヤードや麻雀を好んでいた。学生というものは目がいい。そして頭もいい。デジタル打ちの芽が出始めた時期だ。裏筋理論やらが登場し、論理的に麻雀を打つ人間が少なからず現れた。そして、その理論を使うのが学生という構図である。
学生が入り浸っている雀荘だ、稼ぎはたいして出ない。だが、互いの調整として見たら最高の場である。学生はいつでも気構えている。発言する度胸もある。技を見破られるリスクが高まる。だが、それがいいのだ。気が抜け始めた京太郎に喝を入れるにはもってこいの場所。出目徳は京太郎の危機感を強めようとしている。
卓に着いているのは京太郎と出目徳、そしてキツネ顔の学生二人だった。たぬき顔はしつこくない。キツネ顔は妙にしつこい。出目徳はキツネ顔を選んで打っていた。大抵、キツイ顔をしている学生は最新の理論を用いて麻雀を打っていることが多い。この二人も地力は確かにあった。だが、今回は流れがなかった。
憔悴しきった表情の二人の学生、ヒラで打ってた出目徳に国士無双ツモが入ってから荒れ始めた。金に余裕が無い学生、どうにか負けを取り戻そうと高い手を狙っていくが、出目徳があざ笑うかのようにゴミ手でそれをブロックする。それを続けていたら誰だってこういう顔になるだろう。
二回目、三回目、どれも出目徳の圧勝で終わっている。そして四回目。
出目徳が京太郎をチラリと見た。京太郎はこの辺りだと見切りをつけて、自分の{五}をポンと取ってエレベーターした。
【エレベーター】
コンビ打ちの初歩中の初歩、仕事師が欲しい牌を不要な牌と交換するというポピュラーな技。だが、どの牌が欲しいのか、熟練した通しの実力が無ければ使えない。
出目徳は次巡に四暗刻を自摸和了した。
さて、ここからは出目徳が舞うに舞う、京太郎とのエレベーターを駆使して高い手をどんどん作り上げていく。京太郎はその姿を眺めて、必要に応じて牌を送り込む機械となっていた。嫌気が差す気持ちはあるが、老い先短い老人の介護だと思って流していた。
夕方近く、学生二人がハコテンだと言って溜息をついた。京太郎と出目徳は静かに卓から離れ、帰路につく為に駅へと歩を進めた。
電車を待っていると学生二人がこちらに向かってきた。
「おいおい、あいつら向かってくるぜ」
出目徳は嫌そうな顔をする。
帽子をかぶっていた学生が帽子を取り、ペコリと頭を一度下げる。
「すいません、さっきのお金、一旦返してもらえませんか」
「ふざけちゃいけねぇ、勝負の金だぜ」
「そうですが、だからお願いしてるんです。春休みで、故郷へ買える汽車賃だったんです。どうにも、よわったなぁ」
出目徳はツンと横を向いた。
「こんなにも負けるとは思わなかったですから、無茶な言い方ですが、今日だけは勘弁してください」
すいません、お願いしますと二人は頭を下げた。
「ご両親は元気なのか?」
京太郎は財布を握り締めた。二人は田舎なので大きな怪我も無く元気ですと答えた。京太郎は二人の肩を叩いて、親孝行をするために学業に励んでいるのに安いギャンブルに手を付けちゃいけない。麻雀は頭の善し悪しで決まるゲームじゃない。足を洗えと言うわけじゃないが、のめり込むな。そう言った。
「あんた達の方が少し年上かもしれないが、麻雀に関しては俺の方が年上だ。これを持ってご両親に美味しいものを食べさせてあげな」
京太郎は財布の半分の金を二人に分けさせた。
4
「気に入らねぇね」出目徳は棘のある言い方でそう告げた。
「そうかい、それは悪かったね」京太郎は無表情で返した。
「坊や、玄人は金を得るために他人を蹴落としているんだ。それを否定したら勝負なんて出来ない。情は捨てた方がいい」
京太郎は溜息をついた。出目徳の言っていることは正しい。確かに勝負の世界に情は必要ない。安い金額とは言ってもギャンブルをしている学生なんかに金を返す必要なんて無い。だが、京太郎はどうしても情という感情を捨てられないでいた。相手が破産するまで打つなら破産されるのが普通なのだろうが、助けてくれという言葉を聞いたら手を差し伸べてしまう。
「今、俺には両親が存在しない。あいつらは両親が居るんだ」
「……坊や、確かにおまえさんのやったことは良いことだ。だが、おまえさんがやってきたことは悪いことだ。悪いことをやってるんなら、最後まで悪い奴でいないといけないんだ。そうしないと、ムラが出来る」
「……肝に銘じておくよ」
ゴールデンバットを咥えて、マッチで火をつける。