真っ赤な太陽が溶けたガラスのように、どろりと落ちていく。
空を写した大地に伸びいく影が、残された時間に反比例していた。
「……時間だ」
ポツリとただ一言。そう大きな声ではなかったが三人の耳はその音を逃さなかった。
あれからどのぐらい来ただろうか? ゆるく隆起した丘の上に四人は立っていた。眺めの良いここなら何か見えるかもしれないと。
けれど期待は外れ、国広の行方を知る手がかりはついぞ掴めなかった。
銀時は何も言わなかった。救えないモノがある事を知っていたから。
神楽と新八は口を開きかけそれを銀時に制される。そして噤む。
「無駄骨折らせて悪かったな」
遠浅の海を埋め込んだ瞳はそれでも笑っていた。
涙が辛いのは人が海から生まれた証拠であると、新八は昔聞いたそんな事を思い出した。ならば刀剣である彼等の涙はどんな味なのだと――涙を流す事があるのかと、疑問を浮かべ打ち消す。
その答えを自分が知ることはないのだと、乾いた目元に確信する。この人も人前で泣かない、泣けない人間だ。
最後に「行くぞ」とだけいい、和泉守は先をいく。
やるせなさに胸を痛めながら新八はふと、己の立っている場所がどこかで見た景色だと気づく。
どこだったか……チラチラ走るノイズ……揺れる画面。
確か、そう、どこからか送られてきたビデオ。そこに映し出されていた景色と瓜二つだった。
写り込んだ女が立っていたのはどこだったか、辺りを見渡す。そこには――。
「国広さん!」
ビデオに映った女のように、こちらに背を向けて立つ人影は、まごうことなく探していた人物だった。
もし最初からそこにいたのならば見落とす訳がないのだと、その考えはすっぽり頭から抜け落ち、新八が駆け寄る。
最初に気付いたのは和泉守であった。
「避けろ!」
「えっ……」
間一髪。振りぬかれた刀が、新八の前身頃を切り裂く。
国広の手に握られているのは、一メートル半を超える大振り物――大太刀。脇差しの持つものではない。
か細い腕に似合わぬ刀は禍々しさを持ち、ドタッと尻もちをついた新八の頭上に掲げられる。
銀時が咄嗟に木刀を投げつけた。
木刀は
「迎えに来るのが遅れたからつって、ヒネ過ぎじゃねーのか、オイ」
「んな訳あるか! どうも様子がおかしい、注意しろ」
軽口を叩きながら銀時は隙を伺う。新八も慌てて立ち上がり、木刀を抜く。
和泉守に言われるまでもなく、曇りガラスのように焦点の合わない瞳、落ちた刀を手に取り再び構える姿に疑問を覚えぬものはいなかった。
「……帰るんだ……帰る……あの人の所へ」
ブツブツと呟かれる言葉の意味に心当たりがあるとすれば一つ。
再び振るわれる刀に和泉守の刀が合わさる。
「国広……テメエ憑かれたか」
重量を持った金属が振るわれる音。片腕でいなすには重く、徐々に和泉守の足が後退していく。
「どういうことだ」
迂闊に手を出すことも出来ず、銀時が問う。
「たま~にな、残ってんだよ。折れてもなお主の元に帰ろうとする刀の魂が。付喪神が取り憑かれるなんざ、笑い話にもなりゃしねぇ」
苦々しく和泉守が吐き捨てる。
見れば国広の持つ刀は錆付き、歯は溢れ、長らく野ざらしにでもされていたかのような姿だった。
「どうすればいいアルか!?」
「どうもこうもねぇ、こうなったら刀ごと叩き斬るしかねえよ。折れた刀の妄執に取り憑かれるなんざ……腑抜けてる証拠だ」
「そんなっ……」
言葉をつまらせた新八だったが、和泉守の刀が片腕という理由では説明できないほど鈍い事に気づく。
和泉守も迷っているのだ。士道に問うならば、叩き斬るのが正解だと何度も自分に言い聞かせながら、それでも振るえない刀があった。
「国広……お前は言ったよな俺の相棒だと、助手だと」
「…………」
答えの代わりに重い一撃が飛ぶ。
それは和泉守の脇腹を掠め、切り裂く。グッと顔を歪め、それでも和泉守は国広の前を譲らなかった。
「だったらなあ、んなもんに負けてんじゃねーよ、馬鹿が。同情でもしたか? あの人をなくした己に重ねたか? いつも言ってんだろ、お前のそいう甘いところがいつか身を滅ぼすって、刀剣失格だってよォ!」
刀身の重さと長さは違えど、振るわれる刀は、何度も手合わせした国広の手であった。仲間を補助する事を前提とした温い手。取り憑かれてもなお変わらない手に、ますます動きは鈍くなる。
つけられた傷は十を超え、
「
「手出しすんじゃねぇ!」
思わず手を出そうとした神楽を見抜き、怒声が飛ぶ。
腹の底からの声に神楽は動きを止める。
「刀剣の失態は刀剣がケリつける……そうだろ国広」
握りをきつく締め、笑った。
避けるようだった動きが、懐に潜り込むような動きに変わり、弾く刀が、隙をつく刀に変わる。
「甘いんだよ……お前の刀は」
血が飛び交い、徐々に国広の姿も血で染まる。
「新八、神楽……。目ぇ逸らすんじゃねー」
覆いたくなるような光景に、銀時はギシリと歯噛みしながら、真っ直ぐ見ていた。
その鈍色の瞳に映るものは何か。
浅葱色の羽織が切り裂かれる。だがそれは目眩ましの為に脱ぎ捨てたモノ。
国広はまとわりつく衣に視界を奪われ、和泉守を見失う。右下――黒い影――気付いた時にはもう遅く、重心を低く取った和泉守がカチ上げる。
だが、刀は国広の眼前を通り抜けるだけであった。
「チッ……読まれてやがる」
再び離される距離。射程外から衣をまとわせたままの大太刀が、暴風の如く襲い狂う。
叩き落とし、致命傷を……刀を振るう身を優先し、時には動かぬ腕を犠牲に、再びその隙を伺う。一枚一枚神経をこそぎ落とされるような接戦。
刀の先がジャリジャリと地面を削りながら、和泉守に迫る。一閃――空を切る。視界を上に向けた国広は正しかった。
飛び上がりそれを避けた和泉守が刀を足場に、肉薄する。国広の首にかかった刃。前のめりに沈む事で、避ける。
一見、国広が有利に見える戦いであったが、次第にその剣筋に乱れが生じてくる。
「はぁはぁ……どうした……戦い方も忘れちまったのか? 正真正銘、立派な
荒く息をつく和泉守に、刀が襲い来る、見越したように和泉守は避け、刀が深く地面突き刺さる。
その切っ先を更に深く沈むように足で押さえつけた。
重量級の太刀に乗った力。
慌て振り解こうとするが、脇差しが振るう大太刀にそのような力があるはずもなく、無理に捻った所為かピキリと筋が入った。
「安い挑発に乗りやがって。お前みたいなナマクラに国広の相棒が務まるかよ。堀川国広ォ! お前の相棒は誰だ? 最後を飾るのは相棒の役目、そうだろ国広?」
ピシリともう一筋。刀を引き抜こうと動かせば動かす程に、ヒビが広がっていく。
刀が泣いていた。涙など流さずとも、顔は笑っていようとも、その魂は引きちぎられた相棒に共振し泣き叫ぶ。
「『
重心を乗せた大太刀がバキリと最後の音を立てて砕け散った。
国広の瞳に光が戻る。
だが、時は遅く、刀は距離をゼロにし、振りぬかれ――血が飛び散る。
ビチャリ、ビチャリと乾いた大地に血が吸い込まれていく。
「兼……さん?」
「国広ぉ……随分良く寝てたじゃねえか」
首の皮一枚、止まった刀。残光がこびりついた血を隠し、持ち主を飾るように煌めく。
国広の瞳に映った和泉守は優しく笑っていた。
「
「兼定!」
「兼定さん!!」
焦る三人の声。違和感を覚え視線を下げ――国広は己が握っている刀の先を知る。
砕け、それでも残った鋭い刃が和泉守の脇腹を深々と貫いていた。
慌てて柄を離すと同時に、和泉守の体がグラリと傾く。
咄嗟に抱きとめた。
「兼さん! 兼さん! 僕、僕……待って! 今直ぐ本丸に!」
抜くことも叶わず――抜けば大量失血を起こすだろう――地面にその身を寝かす。
こんのすけを呼ぼうと起こした身が何かに引っかかり止まる。
赤くべったりと、上着を掴んだのは和泉守の手だった。
「……主のいない本丸戻ったとこでどうなる? なあ国広、武士らしく最後は戦場がいいよオレは」
「最後なんて言わないで、ごめんなさい! 僕がもっとしっかりしてたら、兼さん。お願い!」
ボタリボタリと雨が狂おしく、和泉守に降り注ぐ。
海から溢れ落ちた雨は確かに辛かった。人に創られ、戦いに散る命。
それでも、その根源が海に繋がっているというのならばまた巡り会えるだろう。和泉守は笑う。
「お前は俺の相棒、そうだろう? だったらカッコ良くなくちゃなぁ。情けない面してんじゃねーよ。謝る必要なんてねえ……お前のそーいう甘い所嫌いじゃなかったぜ」
伸ばされた手を握り締め、国広は必死に笑おうと顔を歪める。それをますますブサイクだと和泉守は更に笑った。
「だって兼さんが……お願い……兼さん」
溢れた海の潮に溺れる。沸き立つ思いは水泡のようにプクリプクリと空に向かい、パチンパチンと弾けて行く。
今更になってこんなにも伝えていない言葉が沢山あったのだと、けれどその感情を言葉にするには不器用過ぎて、
「国広。今日は月が綺麗だなぁ」
焦点の合わなくなった視界。それでも夜空に浮かんだ月が綺麗であると和泉守は言う。
「はい、いっとう綺麗です」
涙で滲む視界。それでも今日の月が一番綺麗だと国広は返す。
スルリと手から力抜け落ちる。
悲痛な声が木霊する北の大地。澄んだ空気に浮かぶ月はどことなく物悲しくも見えた。