織斑一夏の人生の中で、かつてこれほどまでに高揚したことはあっただろうか。緊張を超えた何かが、ふつふつと心の奥底で煮えている。
たとえ専用機持ち五人がかりでも、弾に傷をつけられるかはわからない。どころか、攻撃一つ当てられるかもわからない。勝ちなんて万が一にも見えてこない。どうあがいても絶望を地でいく現状。
だが、なぜかやる気が損なわれることはない。むしろ、刻々とその時が近づくにつれ、一夏の興奮は高まるばかりだ。
心の臓が痛いほどに脈打っている。『白式』が報告してくる自分の心拍数、並びに脳内分泌物質は、なるほど確かに異常な数値だ。
それがどうした。まるで考慮に値しない。
調子がいいのだ。万全の状態と言っても差し支えない。これで余計なことをして、今のモチベーションが失われることにこそ恐怖する。
弾と一年生の専用機持ち(一人欠けてはいるのだが)が戦う今日この日に最高のコンディション。精巧に作られた喜劇のような運命だ。
ならばとことんまで踊って見せよう。今の一夏は運命に選ばれた演者であるが故に。
アリーナのハッチが開く。『雪片弐型』を握りしめ、一夏はピットから飛び出した。
「遅かったな。嫁のくせに私を待たせるとは何事だ」
「嫁じゃないから」
すでにアリーナに入っていたラウラに突っ込みを返す。どこをどう間違ったのか、日本文化を完全に誤解しているラウラは一夏を自分の嫁だと言ってきかないのだ。
「気に入った相手=嫁にする」という構図が出来上がっているようなのだが、それは一部の猛者たちが使っているものだし、根本的に嫁の使用法がおかしい。
通常、「嫁」という言葉は男性の配偶者全般を指す言葉なのだ。まあ、本来は婚姻関係にある女性のうち、その家の「家長の息子の妻」に当たる女性のことを指すのだが、それは置いておこう。
「ずいぶんのんきですわね。私の緊張を返してくれません?」
セシリアがピットから出てきた。にこにこと朗らかに笑っているが、ISによって目に映るものが鮮明になっている今、その額に青筋があるのを一夏は見落とさなかった。できれば、気づきたくなかった。
試合前に会話していた程度で怒らないで欲しいのだが、きっとセシリアはこの試合に並々ならぬ気合を入れていたのであろう。素直に反省。
続いて、シャルロットと鈴がやってきた。鈴はすでに『双天牙月』を連結した状態で構え、激戦を前に緊張を高めていた。
「さて。ともかく、これで全員そろったわけだが……」
呟きながら一夏はアリーナの中をぐるりと見るが、弾の姿が見当たらない。
「寝坊でもしたんじゃないの?」
「こんな日に、ですの?」
「私たちにとっては『こんな日』かもしれないけど、あいつにとっては些事よ」
「立つ瀬がないね……」
吐き捨てるように言った鈴の言葉を受けて、セシリアとシャルロットは苦笑した。この一週間、五人はなんとか弾に対抗するため、連携を整えてきた。攻撃のタイミング、援護の仕方等、まさしく全身全霊を尽くしたと言っても過言ではない。
なのに対戦相手は決戦の日に遅れてくる始末。気力が削がれるのも無理はなかった。
「ふむ……来たようだぞ」
ラウラの言葉と共に、ピットの奥から足音が聞こえてきた。
カツン、カツンと重くゆっくりと響く足音が大きくになるにつれ、一夏達の緊張はさらに高まっていく。先程までの空気は一瞬で消え、最大戦力をぶつけ合う闘争への意識だけが純化されていく。
足音が、止まった。
「よぉ、待たせた」
瞳を紅く、爛々と輝かせた弾がいた。
「……!」
もはや、一夏達に言葉を発する余裕はなかった。溜まりに溜まった闘争心が、今か今かと爆発する機会をうかがっている。
さながら爆弾のよう。
そして一度起爆したならば、どこまでも駆けなければ治まりそうにない。
「ハハハ……いい緊張だ……実に、心地がいい」
『ブラッディ・ロード』が展開されていく。まるで嵐のごとく紅き粒子が舞い、血の盟主が顕現する。
黒に身を包んだ弾がアリーナの地面に降り立った。
「さぁ……始めるぞ」
試合開始の合図が、鳴った。
それと共に一夏達は四方に散った。シャルロットがアサルトライフルを乱射するが、弾は既に射線上から外れている。
思った通りに弾が距離をおいたのを見て、一夏は『雪片弐型』を強く握りしめた。
弾は強い。彼より強い存在を、一夏は知らない。だが、強いからこそ生まれる強者の余裕というものは、時につけいる隙になるはずだ。今回で言えば、開幕で勝負を決めずに後手に回ること。
アリーナの上空、遥か高みから見下ろすように移動していたセシリアが、この日の為に用意させた大型ビームカノン『スターダスト・シューター』を構える。
大型ビームカノン『スターダスト・シューター』。
実にIS一機分ある長大な砲身。その威力も規模も、既存の物とは比較にならない。だが、この兵器最大の長所はその威力でありながらBT兵器ということ。
すなわち、曲がるのである。
チャージに短くない時間をかけるのを差し引いても、十分お釣りのくる攻撃だ。理論上、装甲を殆ど纏わぬ『ブラッディ・ロード』に当たれば、一撃でシールドエネルギーを0にするのも可能である。
今回、一夏達の役目は『スターダスト・シューター』のチャージ完了まで弾をセシリアに近づけさせないこと。そして、あわよくば確実に当たるように誘導することだ。
そのための要は、ラウラ・ボーデヴィッヒ。以前AICはその効力を存分に発揮することはなかったが、それでも弾の注意をそらすことぐらいはできるはずだ。
「おおおおおおおおおぉぉぉぉぉッ!!!」
鈴が吼え、弾に『双天牙月』を振り下ろす。空気を唸らせる一撃とともに、一夏もまた攻撃を繰り出した。
ーー瞬剣
音速を超える刃は、鈴の一撃をサポートする為のもの。『双天牙月』が弾の頭に落ち、当然弾はそれを避けようとするが、回避先には瞬剣が迫っていた。そして、繰り出される一夏と鈴の攻撃に、少しのラグを存在させラウラのプラズマ手刀。
上と左右を塞いだ。残る退路は後ろと下。
一夏達としては、後ろに避けて欲しい。下、つまり地面に足が着けば、自由な行動を許してしまう。身動きのとりづらい空中に、なるべくとどまらせたい。
「その為に、下にはシャルロットの弾幕と、もしもの為の手榴弾、ってか?」
「んなっ……!?」
弾が冷ややかにこちらを睨んでいた。
視線に怯んだ。剣速が一瞬鈍る。
「見え透いてんだよ。気合い入れろォッッ!」
ーー空礫。
鈴が、一夏が、ラウラが吹き飛んだ。アリーナの壁まで飛ばされ叩きつけられる。
「くぅッ……!」
苦し紛れにシャルロットがアサルトライフルを乱射。弾を牽制するが、悲しいかな意味はない。
気づいた時には弾は彼女の目の前で。
気づいた時には彼女は殴られ地面に埋まっていた。
『シャルロット・デュノア、シールドエネルギーゼロ。リタイア』
無情にアナウンスが響く。
「ぬるいぞ一夏、おまえ達。そんな程度で取れるほど、俺の首は脆くねぇ」
「知ってるよ……ッ!」
そうだ、知っていたはずだ。なのになぜ、こんなにも動揺しているのだろう。最近、弾の戦っているところを見ていなかったからか?確かに見なかった。だが、それだけではない。
思えば、学年別トーナメントから弾の様子はおかしかった。
弱々しい、と言えばいいのだろうか。それとも儚い、だろうか。
弾にはおよそ不釣り合いにすぎる言葉。だが、そうとしか言いようがないのだ。それに、普段の様子は別段変わりなかった。それでも纏う雰囲気が、一夏にも一発攻撃を当てられると思えるほどであったのだ。
油断していたのだ、一夏は。
「くそが……!」
それで状況が変わるわけでもないが、一夏は毒づかずにはいられなかった。
焦る一夏に、鈴の叱咤が飛ぶ。
「なに惚けてんの一夏!相手はあの弾なのよ!?しっかりしなさい!」
「……!おう、大丈夫だ!戦える!」
鈴の激励で一夏は立て直した。『雪片弐型』を強く握りしめ、構える。
だが、弾は一夏を見てはいなかった。視線の先にいるのは、鈴だ。
「やはり、おまえか鈴。誰かが倒れた時こそ冷静になり、士気を上げられる。なるほど良い能力だ。敵としては厄介極まりない。
だから、潰させてもらうぞ」
鈴は咄嗟に『双天牙月』で薙いだ。横薙ぎに振られた『双天牙月』は、しかし振り切る半ばで強引に止められた。
半端ではない重量を誇る鈴の得物が、弾の片手で抑え付けられている。
鈴は即座に状況を理解し、『双天牙月』を自ら手離した。さらに、弾の身体を蹴り飛ばすようにして後退する。
ーー空礫
圧し出された空間が弾を捉えた。しかし、今まさに鈴の空礫によって吹き飛ばされようとしてる弾は、薄く笑う。
「土産だ。持っていけ」
ーー空礫・獄
鈴に圧し出された空間が、さらに大きな奔流に呑み込まれて矛先を変える。すなわち鈴へ。それだけではない。鈴の周りの空間が全て停まり、固まった。
まるで牢獄の様に対象を捕らえる、空礫の応用型である。
「……!」
「鈴ッ!」
とてつもない重量に押しつぶされながら、鈴は歯を食いしばり耐える。おそらく苦悶の声を上げているのだろうが、空間ごと閉じ込められているせいでただ痛々しい彼女の姿だけが伝わってくる。
「苦しいか?心配するな。すぐに終わる」
身動きの取れない鈴のもとまで、弾が跳んだ。そして、そのまま鈴の頭部を掴む。同時に空礫が解け、アリーナに鈴の叫びがこだました。
「ほらよ」
傍から見れば軽い動作だった。ゴミをぽいっと投げるかのような自然な動きで、鈴は投げられた。
地面へと。
直後に轟音が響き、アリーナ全体が揺れた。
『鳳鈴音、シールドエネルギーゼロ。リタイア』
「そんな……!」
「おいおい、これじゃあ俺が人を地面に埋まらせるのが趣味の変な奴じゃねぇか。もう少しきばれよ」
「弾ぁぁぁぁぁぁぁあああああんんんんッ!」
一夏が激昂する。イグニッション・ブーストを利用して一気に肉薄、『雪片弐型』で斬りつけた。だが、弾はそれを事も無げに片手で弾いた。
「おおおおおおおラアああああああああぁぁぁぁぁぁァァァァァッッ!!」
絶叫しながらも、一夏は止めどなく斬撃を放っていく。時にはフェイントを混ぜ、時には『雪片弐型』ではなく蹴りも織り交ぜて攻撃を続けるが、弾はそれをすべて弾いてしまう。
「かっはははは!ぬるい、ぬるいぞォ一夏ァァッ!」
「墜ちろぉぉぉぉぉぉおおおッッ!!」
気合一閃。
一夏は上に弾かれた『雪片弐型』に全体重を乗せ、さらに『零落白夜』を発動して振り下ろした。
振り下ろされた一撃は、弾の頭へ振り下ろされ、しかし当たる前に止まった。音速を超える一夏の斬撃を、弾は手首を掴むことで強引に止めたのだ。
「悪いが、おまえは後回しだ」
ブッ、と一夏の視界がぶれた。強烈なGと青空と地面の入り混じった光景が視界をぐるぐるとまわって、真上に放り投げられたということだけは、感覚でわかった。
一夏を真上に放り投げた弾は、開始から全く動かずに一発逆転の機会をうかがっているセシリアに目を向けた。弾と目のあったセシリアは露骨に体を震わせる。
次の瞬間には、弾はセシリアの前にいた。
セシリアのハイパーセンサからは何一つ情報が送られてこなかった。弾が目の前に立ってようやく『敵機接近』と伝えられる。
「よお」
「ご、きげんよう……ですわ」
嫌らしく笑う弾と、頬をひきつらせるセシリア。状況は明白だった。
『スターダスト・シューター』のチャージが残り一秒を切る。
弾が深く嗤った。残り零.九秒。
弾が拳を作った。残り零.七秒
弾が腕を持ち上げた。残り零.五秒。
弾が体をひねった。残り零.四秒。
もう無理か、とセシリアが思ったその時、
「私を忘れてもらっては困る」
弾の後ろに、ラウラがいた。
不意を突かれ、弾の意識が背後に移った。残り零.一秒。
AIC発動。弾の体が、刹那止まる。
――『スターダスト・シューター』チャージ完了。
――
弾にラウラ、セシリアを含めたアリーナ全体が青い光に包まれる。莫大なエネルギーを秘めたセシリアの砲撃が一切ことごとくを貫いた。そしてその圧倒的な閃光に、誰もが目をくらませひるんだ。
やがて少しずつ光が収まっていき、誰もが気にしたアリーナの全容が露わになっていく。
『スターダスト・シューター』が発射される前に三人がいたところには何もない。では下か。見れば、アリーナの地面には巨大なクレーター、穴が開いていた。中心からは土煙が巻き上げられ、アリーナをよくよく見ることが叶わない。
誰もが固唾を飲んでいた。そして、ようやく土煙が晴れる。そこにいたのは、
『セシリア・オルコット、ラウラ・ボーデヴィッヒ、シールドエネルギーゼロ。リタイア』
装甲がぼろぼろになったセシリアとラウラ。弾の姿はない。
上空にいたことによって被弾を免れた一夏は、必死になって弾を探す。だが、姿どころか装甲の一片さえ見つけられない。
その事実が、先程までの感情の高ぶりを抑え、必死に熱を払おうとしていた。
「どこ、行った……?」
尋常ではない冷や汗をかきながら、一夏は感覚を研ぎ澄ましていく。まだ弾が倒れていないならば、気を抜くことはできないのだ。
『雪片弐型』を構える。
変化があったのは、アリーナに開いた穴。突然、その付近が隆起し、砕け、吹き飛んでいく。
「はァァ……!」
紅い長髪を逆立てながら、地獄より悪魔が出現した。
ゆっくりと重力操作で穴より這い出してきた弾には、一つの傷も見えない。『白式』が伝えてくる情報からも、シールドエネルギーが削られている事実は確認できない。
あの一撃を受け、無傷である。
「狙いは良かった。惜しむらくは、タイミングか」
ラウラのAICは、早かったのだ。あと少しだけ発動を遅らせれば、弾は『スターダスト・シューター』の一撃をまともに受けざるを得なかっただろう。
「さて、俺は無傷だ。どうする一夏?」
「それは……負けを認めろってことか?」
「賢明な判断だとは思うがな」
「ハッ!ありえないな。おまえだって、自分で思ってもいないのに言うのはどうかと思うぜ」
弾の言葉を笑い飛ばして、一夏は『雪片弐型』を構えなおした。状況は悪い。最初から勝てるとは思っていなかったが、予想以上に酷い有り様だ。一夏一人では相手にもならない。
それでも、負けることに慣れたくない。
それが、今の一夏を支える気概だ。
「なら、来いよ。突っ立ってるだけじゃあ何もできないぜ」
魔人と一夏が並んだ。
魔人は大胆不敵に自然体で、一夏は自身の獲物を抜刀術を扱う時のように腰で構えた。
「おおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉォォッッ!!!」
――瞬剣
斬撃が
白い光子を引き連れた閃きは空を裂き、目標へとただ駆け抜ける。
――瞬拳
だが、悪魔の拳がそれを許さない。
視認させることもなく、一夏の剣を弾いた。
幾度この光景を見ただろう。己の全力が、まるで羽毛のごとく吹かれ飛ばされるこの光景。
弾と知り合い、一夏は自分を研磨することに努めた。強くなろうとした。何度も何度も弾に稽古をつけてもらい、その度に自分の弱さを知った。
いつからだ。全力を弾き返されることに抵抗を覚えなくなったのは。
ギリッと。
一夏は歯を食いしばった。弾かれた剣に引っ張られる体を、なんとか踏みとどまらせる。
このまま弾かれて、瞬閃をくらうことのどこに進歩があるというのか。そんなもの、二年前の弱い自分と変わりないだろう。
見せつけろ、今を。
「これが俺だァッ!!舐めるなァァァァァッッ!!!」
――瞬剣・塵
瞬剣の、そして弾かれた分の速度が乗る。変換率こそ瞬閃とまではいかない。だが、それに追従する一夏だけの一撃。
弾が瞬閃を放とうとするが、その拳が途中で止まった。
一夏の剣は、もう止められない。
全身全霊を超えたその剣が、弾を斬った。
「当たっ、た……?」
「自分でしておいて、不思議そうにするな。馬鹿が」
自分の起こした結果に呆けてるうちに、一夏は弾に蹴られ吹き飛んだ。だが、一夏は吹き飛んでいる間ですらこれが現実かどうかはっきりしなかった。アリーナの壁に叩き付けられたことで、ようやく夢ではなかったことを認識する。
『白式』が弾のシールドエネルギーが二割を切ったことを伝えてきた。だが、
「傷もつけられなかったか……」
「あたりまえだ。俺に傷をつけたいのなら、星を消し飛ばす程度の強度は持って来い」
確かに弾のシールドエネルギーは削れた。だが、弾は苦しみの声一つすらも吐かない。『零落白夜』の乗ったあの一撃は、間違いなく搭乗者にまで被害を及ぼすモノだった。それを受けて無傷。一夏としては、もう笑うしかない。
一夏の体はもうピクリとも動かなかった。体中の力をすべて出しきってしまったようだ。ただ、頬だけは引きつっているがなんとか動かせた。
ゆっくりと近づいてくる弾を見て、それでも純粋に笑えたのは、きっと初めてまともに弾に攻撃を当てることができたからだろう。
「本気でいくぜ」
全力は出せないがな、と。
弾の言葉に、もはや一夏に答える力はない。とりあえず、最後まで笑っていようと決めた。
「Ich liebe dich」
弾の口から呪が吐かれた。一夏には理解できなかったが、何か痛々しいまでに切実な思いが込められているのを感じる。生来、あるいはその前から渇望し続けている何か。
――瞬拳
今まで受けたどんな攻撃よりも痛烈で、衝撃的な痛み。
暗闇へと落ちる意識の中で一夏は、なぜだか弾と戦うのがこれで最後のような気がしていた。
>>1
試合は五反田弾の圧勝に終わった。
唖然とし、沈黙している観客が見守る中担架で運ばれていく一夏達を見届けることもせず、弾は自分のピットへと戻り、
瞬間、血反吐を吐いた。
ぼたぼたと口から零れる紅い液体を乱雑に拭い、壁を背にして座り込む。纏っていた『ブラッディ・ロード』の装甲がほつれる様に解け、空中に消えて行った。
「ふぅ……」
長くゆっくりと息を吐く。鮮血は口内から溢れるように出てくるが、勢いが弱まっていき、やがて消えた。
弾は自身の脇腹に視線を送る。学年別トーナメントで乱入してきた黒い人型に貫かれた部分だ。あれから一週間で、完全に治るわけはなかった。ズキズキと鋭い激痛が走るその場所を見て、弾は天を仰ぐ。見上げた先は、暗いコンクリートしかなかったが。
そもそも今日の試合、開幕時に弾がシャルロットのアサルトライフルを避けたのも、最後の一夏の攻撃を受けたのも、この傷が急に痛みだし、弾がそれをかばった為だ。
「それにしても、いい一撃だった……」
最後の攻撃、一夏の『瞬剣・塵』を思い出し、弾は立ち上がった。
全身全霊を超え、新しい境地にたどり着いた一夏の閃き。一夏も無意識だったのだろうが、まさかあの瞬間だけで五回も切られることになるとは思っていなかった。
おそらく、あれはまだ完成していない。もしあれが完成し極められたとき、弾すらも切り伏せられる可能性がある。そう考えると、なぜか笑えた。
残念で仕方がない。
「もうおまえと戦うことはないのにな……」
弾が腕で空間を薙いだ。すると、すでに固まり始めていた血だまりがまるで最初から存在していなかったように消え失せる。残されたのは、五反田弾にしかわからない彼の後悔。
弾はそれに見向きもしないで、暗いピットの先へと歩んで行った。
ずいぶん遅くなりました。すいません。byとろです。
作中の補足:「塵」とは少数の単位で九番目のこと。