長期休暇の最終日、少年は実家へと帰省していた。屋敷の中で一通りの鍛錬を済ませた後、道場で1人、瞑想している。
「零」
座禅を組んでいる途中で後ろから声がかかる。知った声だ。身内の中で唯一心を許している親族。
目を開ける。振り返った先にいたのは一輪の黒い華。
黒曜石のような瞳に、腰まで伸ばした艶やかな黒髪。全体を包む落ち着いた和風と対照的なきめ細やかな白い肌がきらめいている。均整のとれた肢体を和服に包んでいる。スタイルの出にくい和服の上からでもわかる胸の膨らみとスリットの入った和服から覗かれる肉感的な白い太腿が目に眩しい。
まさに立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花、を体現したような大和撫子。
「姉さん」
彼女の名は新宮寺 千里。零の腹違いの姉にして破軍学園生徒会長。Bランク騎士にして序列3位の猛者。二つ名を
「邪魔だった?」
「邪魔というほどでもないけど」
集中が途切れたのは確かだ。しかし別に文句を言うつもりはない。この姉との再会は喜ぶべき事だ。
「ごめんなさいね、貴方と2人で会えるのも久しぶりだったから、気が急いちゃって」
「いいよ、気にしなくて。別にそこまで本気で何かをしてたわけじゃない」
「そう?随分と静謐な剣気だったけど」
静かで研ぎ澄まされた気配。道場を支配していたのはそういう気だった。
零が剣を持って戦うとなるとこうはならない。気力が外に溢れ出し、相手を滅さんと噴き出る闘気は背筋を凍えさせるモノがある。
しかし今は違う。ギリギリまで張りつめられていた空気は例えるなら磨き抜かれた一振りの日本刀。その鋭さには思わず寒気を覚えるほどの集中力だった。
「…………迷ってるの?」
弟の極限まで張りつめた気配をみて、姉が感じた事は、彼が何かに追い詰められているという事だった。
「…………姉さん。俺は」
『覚醒』してしまった。喉元まで出かかったその言葉を飲み込む。いくら腕利きの魔導騎士と言ってもまだ学生レベル。この事を話したところでまだ何も通じない。そう思い、零が口を閉ざした時だった。
「
目を見開く。姉からまさかこの言葉が出てくるとは……
「貴方の中で目覚めたのでしょう?あの時、あの決勝戦で」
先程とは違う意味で言葉が出なかった。まさか気づかれているとは思わなかった。あの時自分に起こった、あの変化を。
「気づいてたのか」
「お姉ちゃんですから」
今年の七星剣武祭、決勝戦。『白き頂』と『絶対零度』が公式戦の舞台で初めてぶつかったあの決闘。お互い死力を尽くし、全霊で斬りあったあの戦い。今でも目を閉じれば鮮明によみがえる死闘だった。
一太刀交えるごとに強くなっていっているのが自分でわかった。その上で、本来破れる運命だったのは零だった。零の唯一の弱点は燃費が悪いという事。全力展開した則天武后修羅雪姫は今の零ではあまり長くは持たず、ガス欠する。10年に一度の天才と呼ばれた男の10分間の猛攻をエーデルワイスは受けきったのだ。力を失い、崩れゆく零に最後の一閃を浴びせようとしたその時だった。
ふざけるな
零はそれだけを思った。
力も、異能も、小細工も、全て真正面からねじ伏せる。それが出来るからこそのAランク、新宮寺零。しかしこの白き頂はそのAランクを真正面からねじ伏せたのだ。春に一度この白き華に敗北を喫した前回も、そして今回も。
しかし惚れた女に二度も真正面からねじ伏せられる事は彼のプライドが許さなかった。
何かが壊れたような音が零の中で鳴った。同時に尽きたはずの魔力が高まる。失われかけた氷は一瞬で復元し、その異能は世界を凍らせた。
後に禁技指定を受ける伐刀絶技。マカハドマの誕生の瞬間だった。
「その後、一瞬のうちにエーデルワイスから距離を取っていた貴方が最後の一合でデバイスごと彼女を斬り裂き、見事優勝。いやはや我が弟ながら大したものだわ」
パチパチと手を叩く。別に嫌味を言っているつもりは無いのだろうがなぜか皮肉っぽい。
「時間ごと凍結させる伐刀絶技・マカハドマ、か。熱による凍結なんていう零のデバイスの能力はほんの一部にしか過ぎないのかもしれないわね。滝沢といい、西京といい、今年の一年は化け物揃いだわ。どいつもこいつも地図を書き換えかねない技を使っちゃって」
地球の自転をも一瞬凍らせた零のマカハドマ。奇跡的に被害は出なかったとはいえ、各所で津波を引き起こした危険性は今騎士連盟で大いに騒がれている。今大会で使用された寧音や黒乃の技とともに禁技指定されるのも時間の問題だろう。
「俺には……なんでこんな力があるんだろうな」
強さを求めて戦い続けてきた。それは否定しない。しかしなんの苦労もせず手に入れた……いや、もともと手の中にあった力を手放しに喜べる気はしなかった。
多くの才を持つというのは幸運な事でもなんでもない。ありあまる才能に人間が追いつくにはどうしても時間が必要だ。身の丈に合わない力は本人を潰しかねない。
未成熟な十代の少年が持つにはあまりに多大な力。いずれ彼自身を振り回し、押し潰すかもしれない。事実、自分の全力に耐えきれず、膝を折った事は何度もある。燃費が悪いという弱点も元を辿ればまだ身体が出来上がっていない事が主な要因だ。
ただでさえ強大な力を持っていた零が目覚めた覚醒。そのことに零自身が戸惑っている。
ーーーーどこまでも強くなりたい、そう思ってはいたけど……
自分は一体どれほど怪物になれば気がすむのだろうか。
人の領域を超えてしまったを恐れるのはまだ子供と呼べる少年には仕方ない事だろう。
じっと手を見つめていた彼をふわりとした柔らかさと温もりが包み込む。
姉が弟を後ろから抱きしめたのだ。いわゆるあすなろ抱きの格好で。
「急に目覚めた自分の力が怖い?」
怖かった。もちろん戦いの中で恐怖は常に感じている。感情をなくす訓練を積んでそれをなくす騎士もいるらしいが自分はそれをしようとは思わなかった。一流の騎士は恐怖を使いこなす。それが出来ていたからこそ自分はAランクだった。
しかしこんなにも自分が怖いと思った事は一度もなかった。倒される恐怖ではない、斃す恐怖に身体が慄いた。
「…………良かった」
姉の口から心底安堵したという声が漏れる。
「どんどん遠くに行く貴方が誇らしいと同時に不安だったわ。才能に振り回されて壊れてしまった人間も、驕り、変わってしまった人も私は知っていたから。貴方が力を怖いと思える騎士で本当に良かった。心から思うわ」
「……でも俺は騎士だ。相手を恐れる事は必要だと思う。けど自分の力を恐れるような事があってはならない」
自分に臆するような騎士が戦場で戦えるはずがない。そんな人間と背中を預けて戦えるものなどいない。
嘆息する。その表情は今まで姉が見たことのない年齢にそぐわない顔だった。もともと大人びた男だが憂いに満ちた表情は十代の少年が浮かべるそれではない。
「零、そんな顔をしないで、零。貴方が悲しいと私も悲しいわ」
「感情をなくす訓練……してみようかな」
思わず口をついて出た。実際エーデルワイスはそれに近い事をしてきたらしい。日常生活はともかく、こと戦闘において彼女は感情を排して戦う事が出来る境地にあの若さでたどり着いていた。
いっそ何も考えないでいられたら……きっと楽だろう。
「零、貴方初めて日本刀を持った時、どう思った?」
顕現させていたデバイスに姉が触れる。
「…………重いと思ったよ」
「奇遇ね、私もよ。とても怖かったわ」
人の命を絶つ鉄の重さ。修練を始めた頃は本当に持つだけで精一杯だった。触れれば切れる刃の煌めきを美しいと思うと同時に恐れた。
「今の貴方ならその鉄の塊を自在に操れるわ。でも最初からそうだったわけではないでしょう?貴方の力もそれと一緒よ。今は身の丈に合ってないように思えるけど、零ならいつかきっと自分のモノに出来るわ」
「…………いつか、でいいのかな」
制御できない力が自分に牙を剥く事が……それだけならまだいい。最悪のケースは隣にいる誰かを傷つける事もあるんじゃないかと、零は考えてしまう。
「感情を完全になくすことなんて不可能よ。だって私たちは人間なのだから。たとえそんな訓練を積んでもみんな何処かで迷うわ。私なんて迷ってばかりよ。でもそれを恥じた事は一度もないし、不安になった事もないわ。だって私には貴方がいる。そして貴方にも私がいる。いくらでも悩んでいいのよ、零。貴方の時間は私が……」
唐突に道場の扉が勢いよく開けはなたれる。驚き、おんげんを振り返ると、そこにいたのは自分が見つけ出し、ともに切磋琢磨している友人にしてライバル。滝沢黒乃と西京寧音、そしてエーデルワイス。七星剣武祭で勝ち残った最後の四人が一堂に会していた。
「れーいーく〜ん。あーそーぼー」
「いつまで引きこもっている。鍛錬に行くぞ零。ついてこい」
「お前ら……」
連休中、一度も顔を見せなかった零を心配してついに痺れを切らし、自宅にまで来てしまったのだ。
「ゼロ」
自分が恐れる力を目覚めさせた純白の天使と見紛う少女がこちらに手を伸ばす。
「私もですよ、ゼロ」
貴方と出会ってから迷ってばかりです、と少女は言った。驚いた。感情をあまり見せない彼女も迷う事があるのだ。
「それでも……行きましょう、ゼロ」
何処へ?とは聞かない。七星の頂に辿り着いた今、自分達が目指す先は一つしかない。
頂点の世界へ。この四人が行くと約束した地へ。
強さの先にある、何かを求めて、俺たちは頂点へ行くと誓った。
ーーーー貴方の時間は私達が守るから…
新世代の中心に立つであろう若き騎士達の姿に千里は安堵した。
▼
テロから数日後、王城の庭で二人の騎士が剣を交えていた。一人は純白の日本刀を、もう一人は金色に輝く燃え盛る大振りな炎の剣を振るって幾度もぶつかり合っていた。
数合の後、赤い髪の少女が吹き飛ばされる。二人の腕には圧倒的な差があった。
「いたた……」
「何度言えばわかる!カンとセンスだけで戦うな!常に思考を止めずに戦え!」
白銀の髪の騎士が少女に怒鳴りつける。その言葉は十代の少女に向けるにはあまりに強く、厳しい言葉だ。
「どうしたヴァーミリオン!いつまで寝てる!強くなるんじゃなかったのか?」
挑発が届いたのか、強い瞳の光が少女に戻った。
「まだまだぁあああ!!」
ーーーーまったく、誰かさんそっくりだな
綺麗すぎる太刀筋の皇室剣技を受け止めながら、零の心中で笑みがこぼれた。紛れもなく、この子は自分の後輩。
ーーーー俺の次の10年目だ。
ー数日前ー
ヴァーミリオン皇国の空港。多くの人々がひしめく中、とある一団はVIP専用ルートを歩いている。
先頭を歩くのは3名。パッと見は少女にしか見えない和装の美魔女、艶やかな黒髪をアップに纏めた麗人。そしてスーツ姿の白銀の髪の青年。新宮寺零とその妻、新宮寺黒乃。そして二人の友人、西京寧音。三人とも超がつく一流の使い手。見るものが見ればその歩く姿だけで只者ではないとわかる。
夫の隣を歩く黒髪の麗人は不機嫌そうな顔をしている。妻の不機嫌の理由はわかるからか、青年は苦笑し、シップの貼られた頬を撫でた。寧音はニヤニヤと笑っている。
そうこうしているうちに搭乗ゲートに到着した。
「この度は誠にありがとうございました。皇国を代表して御礼を申し上げます」
三人に頭を下げたのは同行していた桃色髪のすらりとした美少女。第一皇女、ルナ・ヴァーミリオン。今回のテロで最も活躍した彼らの見送りに来ていた。
「本来であれば陛下自らが御礼を申し上げなければなりませんが、やんごとなき事情により、名代を立てましたご無礼、お許しください」
「よせ。騎士は大衆のためにあれってな。色々と収穫もあった。礼を言いたいのはこっちもだよ」
だから頭を上げてくれと頼む。言われた通りに行動し、此方を見てくる。
「じゃあ黒乃、日本の事は任せる。始業式が始まるまでには必ずもどるから」
「…………ああ」
見送りの列に並ぶ零。そう、彼は理事の仕事はしばらく代理である妻に任せ、この飛行機で日本には帰らない事となった。黒乃の不機嫌の一端は此処にある。これを説明するには少々時間を遡らなければならない。
▼
テロのあった翌日、ステラ・ヴァーミリオンは自分の寝室で目を覚ました。
ーーーーアタシ……!
跳ね起きる。自分の今いる場所はわかっていたが彼女の中の最後の記憶がそうさせずにはいられなかった。
髪も肌も剣も何もかも白い恐らくは自分と同世代の少女。その美貌は天使のようであったが、ステラの目には魔人にしか見えなかった。それ程の強さを確かに彼女は持っていた。
ーーーーアタシと同じ、炎の使い手
同世代でAランクに出会ったのは彼女の人生で初の事。それを相手に自分は無様にも失神してしまった。その屈辱は実力があるからこそ拭いがたく残っている。
「だぁから知らねえって!少なくとも俺と一緒にいた頃にはいなかった!間違いない!」
日本語のバリトンが屋敷に響く。どうやらすぐ近くで日本人が何か言い争っているらしい。この声をステラは知っていた。
衣服を整えて、部屋を飛び出す。
「だったら別れた時に出来てたんじゃないのか!?それなら貴方が知らなくても不思議はないだろう!」
「だったらどう見積もっても年齢が合わんだろうが!仮にヤツを15歳と仮定したら逆算すると俺十代前半だぞ!そん時俺はエーデと出会ってすらいねえっての!」
音源の部屋の扉を開けると、恐らくはひっぱたかれたのだろう頬を紅く腫らした青年が艶やかな黒髪を振り乱した美女とケンカしている。
「あ、ステラちゃん。目ぇ覚めた?」
「えっと、西京さん……コレは?」
「なぁ〜に、猫も食わねえ
同席していた寧音だけがステラの訪問に対応する。どうやら夫婦喧嘩の真っ最中に出くわしてしまったようだ。
そして話題としていることも大体わかる。昨日のランと名乗ったテロリストの件だろう。彼女は新宮寺零を父と呼んでいた。そしてエーデルワイスを母と言った。それの意味するところは今の妻との子ではないということ。
といっても新宮寺家ほどの上流階級となれば愛人だの妾の子だのの話は珍しいモノではない。ステラも皇族として側室を持つ貴族には何人も会った事がある。
しかしだからと言って胸を張れる事かと言われれば否だろう。まして日本人は慎しみ深いと聞く。こういった事を妻の了解もなしにしていたとしたら家庭内に波風は相当立つ。
「お前はいつもそうだ!人の知らないところで大事な事を勝手に決める!あの時だってわたしは指輪のことなど何にも聞いていなかったのに、いきなりあんな事をして!」
「はい出ました。正論で言い返せなくなったら、今関係ない話を急に持ってきて人を責める。理論で言い返せないなら黙ってろや!」
「関係ある!そういう事が積み重なってると言いたいんだ!」
「ならそれが積み重ならねえように事前に言えや!そしたら俺もこんな事は言わねえよ!」
「どうせお前はまだエーデルワイスの事を愛してるんだ!私は所詮あいつの代わりなんだ!」
「俺がいつそんな事言った!」
「はいはい二人ともその辺で〜。お客さん来てるよ〜」
パンパンという柏手の音が部屋に響く。こういった話は第三者の立会いが必要だという事で付き添ってもらった。寧音からストップがかかれば二人とも何を置いても一回止まる。歴戦の騎士である二人はルールを決めたなら何を置いてもまずそれに従う。二人とも黙り、訪問者に視線を向けた。
深呼吸するように零が一つ息を吐く。
「寧音、黒乃を連れて外に出てろ」
「え?いいの?」
「この子の用は俺だろう。黒乃、お前も少し頭を冷やしてこい。寧音、悪いが頼む」
「はいはい、まったく世界最強夫婦の友達やってると苦労する」
ほら行くぜくーちゃん、と手を引っ張る。自分も冷静でない自覚はあったのだろう。黙って寧音に連れられていく。
「黒乃」
背中に向けて声をかける。出て行こうとする足が止まった。
「確かに俺はエーデを忘れられない。敵意も憎悪もあるが同時に羨望と親愛。俺にとって良くも悪くも切り離せない存在だ」
ーーーー知ってたさ、そんな事
俺もお前に会いたい
ランに向けて放ったその声音には懐かしみ、愛おしむ優しい声色が混ざっていた。
黒乃はさらに強く拳を握りしめ、唇を噛んだ。そうしないと嗚咽が漏れそうだったから。
「だが俺はお前をあいつの代わりだと思った事は一度もねえよ。あいつは俺を支えてくれた事なんて一度もなかった。あの時もそして今も、俺の隣で俺を支えてくれたのも、全部お前だ」
「零……」
「感謝している。少なくとも俺が今愛している女はお前だけだ。信じろ」
「…………ふん」
ーーーー知ってるよ……ばーか
扉が閉まる。剣呑だった気配は少しだけ柔らかくなった。フッと息を吐く。
ーーーー少しは機嫌が良くなってくれればいいが…
「皇女殿下。お見苦しい所をお見せした」
「あ、いえ。こ、こちらこそその……お邪魔しまして…」
一番猫が食わない所を見せられたからか、若干たじろいでいる。プライベートのみっともない所を見せた恥ずかしさか、流石の零も照れた表情を見せていた。
「あの、ほっぺた大丈夫なの?」
「ああ、まあこれくらいは日常だ。この程度で済むなら良い方だよ」
あのまま続けていたら確実に泣きが入った。そうなってはひっぱたかれるより余程辛い。暴力に訴えてくるうちは可愛い方だ。
「ま、要件は大体わかる。結論から言おう。ノーだ」
「ええ!?まだ何も言って…」
「どうせ弟子入り志願かなんかだろ。まだ正式に就任していないとはいえ俺も破軍学園理事長だ。特定の生徒に肩入れするわけにはいかん」
「うっ……」
ランの強さを目の当たりにしたのだ。焦る気持ちもわかる。しかし彼女の才覚は間違いなく自分に匹敵する。もう3年もすればその辺のAランクなど歯牙にも掛けない存在となるだろう。
ーーーーまあランに勝てるようになるかと言われれば微妙なトコだが…
「だから焦る必要はない。理にかなった鍛錬、そして経験。今はそんだけでいい。お前はまだ蕾だ。どんな大輪の花も下手に多量の水を取ったら枯れる。それはあまりに惜しい」
「でも!………アタシ、あの時……何も出来なかった。実際に戦ったわけでもないのに、気絶しちゃった」
「実際に戦ってないからこそ気絶したんだよ。もしお前が本気でランとやり合っていたんならまた違ったはずだ」
「…………違ってたのかな」
「気にやむな。俺や黒乃だって最初からあんなのに耐えれたワケじゃない。経験を積んで最前線で戦い続けて、ようやく出来るようになったんだ」
「それでもアタシは今強くなりたいの!強い魔導騎士は世界の宝。ウチみたいな小国には強い魔導騎士が必須なの!この国にいては、このままではアタシは上を目指せなくなる!だからアタシはこの国を出るって決めたんだから!」
どこかで聞いたようなセリフが彼女から放たれる。思わず思った。
ーーーーまるで昔の自分を見ているようだと。
瞳の奥に情熱の炎を宿したステラを見て、過去の自分が目の前に現れたかのような錯覚に陥る。
零もステラも天にたっぷりと愛され、環境に恵まれて生まれてきた。
それゆえに周囲の自分の扱いに耐えきれない。世界ごと凍らせるような力が才能の一言で制御できるとでも思っているのか。
何度も何度も凍傷になり、必死に剣技を修め、人の何倍も努力して登りつめてきた自負がある。
それを知らない才能も努力も平凡な連中が下から指差して言う。
あいつは天才だから
環境が違うから
そんな事を数えきれない程言われてきた。
ーーーーそれは環境が変わっても言われる事なんだけどな……
どの国も大差はない。当然だ。国は違えど同じ人間なのだから。人とはほとんどが醜い。
同類であるからこそ彼女の気持ちも嫌という程わかる。今、この瞬間に一歩でも先に。それだけを思ってあの頃は戦ってきた。この
深くため息をつく。さて、どう説得するか、と頭を抱えたその時、戸を叩く音が聞こえた。
「ステラ?此処にいるの?……ってあら、新宮寺様。此方にいらしたのですか。昨日は本当にありがとうございました」
「皇妃殿下……」
返事を待たず扉が開く。現れたのは昨日挨拶した皇妃殿下。娘を心配して部屋に来てみれば部屋がもぬけの殻だったのだ。焦っても仕方ない事だろう。人の親となったからこそこの焦りもわかった。
ーーーー丁度いい。彼女にも説得に回ってもらおう。
親の頼みとあればステラも中々逆らえはしないはずだ。
「ステラ、目を覚ましたのなら此方に一言くらい」
「皇妃殿下。その事で少しお話が……」
ステラが自分に弟子入りしたがっている事を告げる。同時にそれは長い目で見て娘さんの為にはならない事も全て説明して。
「なるほど…そういう事ですか」
「ですから皇妃殿下からも」
「ステラ」
無視される。若干ざわついたがこの手の扱いは寧音で慣れてる。黙って見過ごした。
「どうしても新宮寺様に弟子入りしたいですか?」
「したいです。アタシが今より強くなるためにはどうしても必要な事なんです」
「…………そう」
ニコリと笑い此方を向く。その爛漫な笑顔に嫌な予感がざわりと背中に走った。
「貴方が今正式に理事長でないように、ステラもまだ破軍学園の生徒ではありませんわ。なら一人の生徒に肩入れした事にはなりませんわよね?」
「そういうワケにもいかないでしょう。事実彼女は破軍に……」
「今ならギリギリ他校に移ることもできます。それはあなたに取っても望むところではないでしょう?」
黙り込む。遠回しに脅された。
今年の一年生でAランクなどステラ以外にまずいない。七星剣王祭に当たって戦力は少しでも多いほうがいい。ポテンシャルという意味では今、零には最高の手駒がいる。コレが他校に移られては3年間、彼女はとてつもなく高い壁となるだろう。
ーーーーつまり俺に味方してくれる気はねえって事か…
心中で嘆息しながら口角を上げる。確かに特級の素材なのは認めるがまだまだ原石。現時点であれば彼女より上の使い手はゴロゴロいる。交渉材料としては少し弱い。
「彼女の将来を本当に思っての事でしたら私から言える事はありません。選択権はそちらにあります。どうぞお好きに」
「まあ、ステラの事をそこまで思ってくださり、ありがとうございます」
「私は前途溢れる優秀な騎士の未来を憂いているだけですよ」
「ええ、存じています。そしてそれは私もですよ」
嘘くさい笑顔をお互い浮かべる。本音も多分にあるとはいえ、我ながらうさんくさいと自嘲した。
「ところで、高等区には監視カメラがついております。あの惨状でテロのあった区域のカメラはほぼ破損されてしまっていたのですが、一つだけ稼働しているものがあったのです。それは地下を映しているカメラでしてね」
初めて零の背中に嫌な汗が伝う。何の弱みを握ったのか、零は的確に理解した。
「もちろんデータはこちらで保存しております。セキュリティは万全を期しているつもりですので外部に放出される事などまずありませんが、いつ漏れるかわからないのが情報ですわ」
「…………ええ、存じています」
「今回の一件はすでに解決しております。データは削除してもよろしいのですが……」
わかりますよね?と言わんばかりの笑顔をこちらに見せる。
新宮寺家のスキャンダルなど漏れるところに漏れたら非常に面倒な事になる。
コレがただの隠し子疑惑や愛人疑惑などのスキャンダルならまだいい。先ほど述べたように上流社会では珍しくない。しかし相手はリベリオンとなると話が変わってくる。しかも相手はあのエーデルワイスの娘を自称している。もちろん矛盾点はあるため、弁解の余地は多分にあるが、こんな話、噂だけでも出てしまったら致命的だ。
「…………いい性格してるよアンタ」
「褒め言葉と受け取りますわ」
たおやかに笑う。零も敬語をやめて諦めたように苦笑した。彼女をお姫様ではなく、自分と対等の人物として認めたのだ。
「ではこうしましょう。ステラの日本語の講師として、私が日本の友人である貴方を招いた。こういう形を取ってはいかがでしょう?コレなら講師と生徒ではなく、貴方と私のプライベートな交友関係のお願いです。件の問題もかなりあやふやになると思うのですが」
その上でこちらの立場を慮った案を出してきた。こうなってはもう零の完敗だ。
「俺たち、昨日会ったばかりだよな」
「あら、人と人との繋がりに時間など無意味ですわ。私達は十分にお互いのお腹を見せ合った。これ以上の理由はあるでしょうか?」
「はっ……そうだな。同意見だ」
血の繋がりさえあっても不倶戴天の敵のような関係を持つ人間もいる。繋がりとはようするに縁だ。それさえあれば誰とでも交友関係は築ける。
「では、条件ではなく、友人としてアンタに頼みがある」
「まあ!嬉しいですわ。出来ることなら何なりと」
…………
零の頼みを聞くと、皇妃は真剣な表情で俯き、しばらく思案する。意を決し、一度頷きを返した。
「かしこまりました。できるだけ秘密裏に、貴方にのみ伝わるように調べましょう」
「頼む」
コレで白か黒かハッキリする。まあ白でも黒でもランがそう名乗る以上、あまり意味はないのだがそれがわかるかわからないかでは心の有り様が段違いに変わる。
「さて、と」
大人の話は終え、視線を傍観していたステラに向ける。蚊帳の外だったのが急に視界に入れられたからか、ビクッと震え、背筋を伸ばした。
「俺の稽古は……ちと厳しいぜ?」
ニヤリと口角を上げる。その顔は先ほどの大人の顔ではなく、最前線で戦う騎士の顔だ。
「はい!」
▼
「此処に残るぅ!?」
妻に事情を説明したところ、返ってきたのは怒りの混ざった驚きの声だった。
「頼む黒乃。新学期が始まるまでには戻るから」
手を合わせて頼み込む。零が日本に戻らない以上、学園の事は副理事長の黒乃に任せるという事だ。
「貴方、日本をこれ以上空ける訳にはいかないと言ってただろう」
「だからお前に頼っているんだ。日本の事は頼むよ黒乃。寧音にはすでに話を通した。臨時講師として手伝ってくれるらしい。俺のいない穴は充分埋まるだろう」
「それはそうかもしれんが…」
それでも組織の長の不在は何かと問題が起こる。学園にとって新学期直前とは重要な時期だ。名代では対外的な印象は良くないだろう。
「残る理由は……ヴァーミリオンか?」
頷く。それ以外の理由はなかった。
「そこまでしてやる価値があるのか?」
「お前と出会った時を思い出すよ。育ててみたいと思える逸材だ」
「だがお前にはお前の立場が……」
「わかってる。俺もこの国に来る前ならどれだけ逸材でも断っただろう」
「…………ラン、か?」
「ああ」
この国で確認したもう一人の白い少女の存在。恐らくはAランクの力を持つ未来の魔人。ステラの弟子入りを認めた理由の一つはコレだった。
「はっきり言って今のランならまだ未熟だ。俺が戦うのが最も手っ取り早いんだが……それはあまりしたくない」
騎士の世界では大人も子どももない。戦場で対峙したならどちらかが勝つか、負けるかだ。それはランも零もわかっている。だが明らかに格下の逸材を潰すような真似は零はしたくなかった。
「あの子の相手はあの子の世代の誰かがやるべきだ。エーデの相手が俺であるように」
ーーーーそのためにヴァーミリオンを強くする……というわけか。
嘆息する。彼の言う事もわかる。確かに零がランと戦えば9割がた勝つ。しかし子供の戦いに大人が割り込むものではない。10年前、自分たちの決闘に横槍を入れられたのならそいつを許さなかっただろう。
「帰った時に理事長の椅子がなくなっていても知らんからな」
「それくらいしっかりやってくれるんなら俺も安心だよ」
こうして、日本の事は黒乃に任せ、短期のコーチを引き受ける事となった。
今は休憩中、というよりガス欠で動けなくなったステラが大の字で寝ていた。
ーーーーまったく、燃費の悪さも誰かさんそっくりだ。
「体力配分がなってない。自分の状況と余力はどんな状況でも確認しろ」
「うぅ……はい…」
「あと太刀筋がお行儀良すぎる。実戦において綺麗すぎる剣では限界がある」
「でも、私はこの剣以外知らないし……」
「経験を積め。もっと数を重ねろ。そうすれば自然と身につく」
「…………けど、この国で私にかなうヤツなんて」
いないだろう。立ち上がる彼女のその言葉は否定しない。そして彼女の気持ちもわかる。弱いヤツから学べる事などない。そう思っていた時期が彼にもあった。
「才能ある者の欠点だな。いいか、経験には何にだって理由がある。自分より弱いヤツであろうとお前が持ってないものを持ってるヤツはかならずいるはずだ。相手の攻撃の意味、戦闘スタイルの意味を常に考えろ。戦いで学べない
事など今のお前には一つもない」
「…………はい」
二人ともデバイスを再び顕現させる。構えをとった。
「常に落ち着いて、冷静に。思考を止めず、振るう一太刀の意味を常に考えろ」
「はい」
「どんな時でも状況を確認する!」
「はい!」
「相手に吊られていちいちテンション上げない!自分のペースを守れ!」
「あう…」
「違う!自分の感情を制御しろという事だ!上げるときは上げる理由を持て!」
「はひ…」
その力ない返答にため息が出る。凄腕でも皇女殿下だ。大切に育てられてきたのだろう。打たれ弱い。
「…………感情を捨ててしまえな簡単なんだがな……あいにく俺はそんなんを育てる気はねえんだよ。難しい事をさせてる事は知ってる」
ーーーー俺も相当苦労した
その難易度は身を以て知ってる。しかしその道を歩んできたからこそ今の自分があるという自覚もあった。
「だがソレがある事がお前の武器になる時が必ず来る。今は俺を信じろという他ないな」
「だ、大丈夫です。アタシ、やれます!」
「よし、ならかかって来い。極限ギリギリでもその顔、持たせて見せろよ」
その時、教えてやろう。騎士って生き物は常に悩み、迷う存在だという事を。
心を殺していたエーデでさえ迷っていた。この子もいずれどこかで迷う。
だから俺はランみたいな機械のような騎士を育てる気はない。俺にとって黒乃がそうだったように、この子が迷った時、側で支えてくれる人間がきっと現れる。
それまでは俺が守ろう。かつてエーデや黒乃、寧音そして姉さんが俺にそうしてくれたように……
▼
庭で稽古する娘と零を見ながら皇妃アストレアは笑みを浮かべる。あんな生き生きとした娘を見るのは久しぶりだった。
彼女の手にある一枚のハンカチーフを握りしめる。シアン色の布には赤黒い跡が残っている。今、娘を鍛えている騎士から預かったモノだ。
「この血を調べて欲しい」
零がアストレアに出した条件はコレだった。ハンカチーフには真新しい血痕が残っている。
「DNA鑑定……ですか?」
「ああ、件のリベリオンのモノだ」
戦いの中で吐血したランの血を採取していたのだ。あり得ないとは思いつつも、なんだかんだ、零はかなり気になっていた。
「俺の血も採取してくれて構わない。血縁関係を調べてくれ」
「…………覚えはあられるのですか?」
映像を見たからか、零の事をランが父さまと呼んでいたことも知っていた。そして矛盾点にも気づいている。表情には訝しげな色が眉に刻まれていた。
「いろいろ計算するとまずないんだが、そういう事をした事がないかと言われればあると答えざるを得ん。それにあの子には無視できない共通点もあった。違うなら違うでいい。てかその方がいい。頼めるか?」
「…………」
そしてアストレアは引き受けた。まだ結果は出ていない。確かに零が知らなければいけない事だ。
ーーーーしかし、もし本当にあの子が貴方の娘であった時……
貴方は愛した人とその子を……彼女達を斬れるのですか?
後書きです。次回からようやく舞台が日本に戻り、本編に突入します。そして始まる新学期。新たな制度、新たな指導者の下、ステラ達は出会いを経て成長していき、大人達は次世代を担う若者と家族を守るために奮闘します。序章が終わり、紡がれていく落第騎士と天才騎士、そして異端の白騎士の英雄譚を守る為に、旦那の英雄譚はここから始まっていくのです。それでは励みになりますので感想、評価よろしくお願いします。低評価ももちろん受け付けていますができればその理由もお聞かせください。よろしくお願いします。面白かったの一言でも頂ければ幸いです。