中学一年生の頃、日曜日、いつもと同じように夕飯を食べた後、珍しく父、母、私の家族3人が何もないテーブルを囲んだ。
母さんが、最初に口を開いた。
「父さんと母さん、離婚することにしたの。」
父さんが、ゆっくり頷いた。唐突だった。なぜ、2人は離婚することになったのか全くわからなかった。有無を言わせない雰囲気だったが、私は喉から絞るように言った。
「なんで、」
沈黙が続いた。母が「冬奈は、これから母さんと2人で暮らすの。」と言った。
肌に粟が一気に生じた。私はを顔を顰めた。もともと、会話が多い家族ではないので沈黙は普通だが、今日の沈黙はいつもと違い、鉛が錆びた嫌な匂いがした。それから、2人とも10分以上黙っているので、もう私に話すことはないのだと知った。依然として、いつどうして、2人の関係がこじれたのか知らない。聞けるほど、家族同士の仲もよくない。母と2人だけで暮らすのは最高に不安だ。しかし、思えば、父とは、普段あまり話さない。仕事が忙しいようで、休日も父は自分の部屋に籠っており、私との関係は赤の他人と変わりなかった。嫌だったが、恐怖もあり、反論することができなかった。どうすることもできない。仕方がなかった。それから、他人に関心を持たなかった私が、他人を観察するのが趣味になった。
中学一年生の夏から、私は母と二人で暮らすことになった。引っ越し初日は、太陽が一番高く上がって、ジワリと街を熱した。猛暑での灼熱の太陽からの紫外線は暑さは、インドアの私にとって慣れなかった。中学校は変えたくなかったので父と同じ地域に住むことになった。「ついたよ。」と母さんが言った。やっとか、と心の中で思った。かれこれ20分、同一的な住宅街の中を歩いた。中学校からも、近くのショッピングモールからも遠くなってしまったなあ、とため息を漏らした。辺鄙で静かな住宅街だ。二階建ての白いアパートが私と母の新しい家になった。
部屋は104号室だった。少し錆びた青い扉が気になった。中に入ってみると、新しい家のこもったような匂いがした。そんなに広くないが部屋は2つあって、どちらもフローリングの洋室だった。洗面所と浴室もギリギリ分かれている。うん、不自由がない。家具や荷物はもう置いてあった。私が学校へ行っていた時に、母が引っ越しを済ませて置いていたのだ。2DKの部屋は昔の3LDKの部屋よりもかなり狭かったが、自分の部屋がまだあるのは有り難かった。母が半ば叫ぶような声で
「冬奈、前の家よりも狭くなったけど、家具は新しくなったの!ちょっとキッチンに来て!」
と言った。キッチンに行ってみると、薄いピンクに、取っ手部分は白で、パールを全体に散らしたコンパクトな2段の冷蔵庫が置かれていた。
「へー可愛い。」
「でしょー!また今度暇があったら、家具屋さん行くから一緒に来て。かわいい家具でいっぱいにするのよ!」と、母はニコニコと笑った。吊られて私も笑って頷いた。
母は、「じゃあ、母さん買い物へ行くから荷物片付けて、待ってて。」と言って、さっと出て行った。私は自分の部屋の床で横になった。
母が扉を閉める音を聞いて、前に住んでた家の扉の音との明らかな違いに気が付いた。その時、途端に私は「そういえば、」と昔の記憶を思い出した。
仕事へ行く父が扉を閉める音が警告だった。父が仕事へ行くと、母の態度がコロリと豹変した。父が家にいなくなると、よく私は母の気がすむまで殴られた。殴られるのは大体、15分から30分程度、1時間以上続く時もあったと思う。理由は、行動が遅い、声がうるさい、泣いた、などいつも些細な事だったかな。更に嫌なことに、殴られた後はお互いに距離を置く、温かみのない凍った様な関係が続いた。母は私に愛情を注ごうとしなかった。痩せすぎて、良く嘔吐した記憶がある。ご飯を貰えず、父が冬菜は食べたかと聞いても母はさっき食べたと嘘をついていた。この時、違う、と言えない自分が重力でぺしゃんこになる想いをした。そして、口を開けばピンとした糸が切れたように母は私を叱った。もちろん会話などほとんどなかった。母がとても怖かった。無闇に話しかけたらだめだ、しかし幼かった私は上手な話し方が分からなかった。話しかけたら怒られ、殴られるという恐怖感から、私は込み上げてくる強い反感を押し込めたままでいるしかないと思った。
つぼみが咲いて春が来る頃、私は小学生になるのが楽しみだった。小学校は登校する時間が早いので、叩かれる時間を短縮せざるを得なくなる。母に対する気分も少し落ち着けると思った。その代わりに、母は以前よりも増して、神経質なほど私を急かすようになった。
母は毎朝私に「さっさと学校へ行って。目障り!!!」と言った。そして、「のろま!!学校に遅刻するな、遅刻するな。クズ!」と言って、私を叩きながら急かした。私は服を着替えて一心不乱に、逃げるように玄関へ向う。全身で恐怖を感じた。怖い。拳骨で背中にできた痣が特に痛かった。母が、襲いかかってくる怪物のように見えて恐怖で怯えた。新しいランドセルや春に散る桜の花びらは私にとって関係なかった。
登校班が同じだった小学4年生の南川りさに「冬奈ちゃんは家から出るとき息が荒いね。そんなに急がなくてもいいのに」と笑いながら言われた。「うん」と私は返事をした。私の心臓と頭は脈をドクドクドクドクと、震わせていた。周りの子は、怪訝そうに私を見ていた。
習慣は続いたが小学生になって、それがとても奇妙に感じてきた。母の顔も言葉もどこか妙だ。幼い私は、母はいい加減な言い掛かりをつけているのだなとわかった。一つ解ると、どうすればいいのか分からなくなって、頭がムズ痒くていらだった。
母がお皿を洗っていた時、このことを父に相談したことがあった。父は母と長い間話した後、私に
「父さんは母さんが冬菜をいじめているって信じられないよ。」と疑わしそうにいった。
「本当だよ」本当だ。嘘ついていない。私は興奮してあつくなった。
「あのね、冬菜。もし母さんが冬菜を叱りすぎてしまったら、許しなさい。それが、冬菜の役割なんだよ」と、父は話した。
「なんで? なんで?」と私は言った。なぜ、辛い思いをして、また許さなければいけないのだろう。母に叩かれ、怒鳴られるのはどうしても辛いと言いたかったが、心がいっぱいで無意識に「なんで」を繰り返していた。父はゆっくりソファーに腰かけて私と向き合った。私も黙って横に座った。
「いいかい、よく聞いて。どこの家にも1番の教訓があるんだ。それらは全部決まって出来て当たり前のことなんだけどね。例えば、「思いやり」や、「勉学に励むこと」、または「笑顔でいること」だったり様々なんだよ。教訓がある意味は出来て当たり前のことの内一つを完璧に近く出来るようにするんだ。わかるだろ?うちが、そう、冬奈が1番できるようにするのは「親孝行」だ。「親孝行」っていうのはな、母さんと父さんの為になることをするってことだ。冬菜が生まれて、ご飯を食べて、服を着て、生活が出来るのは母さんと父さんのおかげなんだよ。そのことをきちんと自覚しなさい。そしてね、恩返しをするんだ。鶴の恩返し、知っているよね。人間は助けて貰ったら恩返しをするんだよ。そうしたら、助けてもらった人がまた、誰かを助けたいって思うだろ?そうしたら、人と人は優しくなって、良い人が多くなる。だから、冬菜は父さんと母さんに育てて貰っているから、冬菜は父さんと母さんに恩返しをしないといけないんだ。いいね?」「…。」私の頭に疑問符が湧く。「冬菜は絶対に母さんを許さなければいけないんだよ。絶対」と父は強い口調で主張した。
私は父の話を理解できるけど納得できなかった。父はぎゅっと口を閉じて、まっすぐと私を見た。何も言えない。父は母の暴行がどれほどか知らないのによく言えたものだ、と心の中で思った。「許したら、冬菜は何かいいことあるの?また母さんに殴られるのを許すの? 冬菜は今母さんのことどう思っているの?」閉じ込められていた言葉が滝のように出た。父は黙っていた。「嫌い。大っ嫌い!」母に対しては言うことが怖かった言葉を母に聞こえるように、父にぶつけた。心がすっきりして、私は声をあげて泣いた。母はその場にいたが、何も言わなかった。エレベーターが、上昇するように幸せだった。涙が洪水のように出て、止まらなかった。
父は分かったように頷いて
「そっか。でもね冬菜、母さんは冬菜にご飯を食べさせて、服を買って、学校に通わせているよね?冬菜はありがとうって言った?」と話した。
「言ってない!」私は父を思いっきり睨んだ。母にありがとうなんて、言えそうにない。
「母さんに対してありがとうって思わなきゃダメだよ、冬菜。母さんに怒られても許して、感謝の気持ちを持つべきだ」と父は言ってほほ笑んだ。父が笑うところを初めて見て、心に日が差したような気がした。
「…わかった!」ああ、そうか。とりあえず私は母を許していれば良い。進む道が見えて幾分楽になったが、何も考えられなかった。心の片隅で、虚無感を感じた。
数日後、あの時父は私を助けてくれなかったんだと気づいた。もう一度父に「母さんが殴ってくるのが、許せない」と助けを求めた。しかし、返ってくる言葉は一緒だった。「冬奈、前に言っただろ? 母さんの言うことを聞いて、叩かれても許しなさい」父は家でも仕事で忙しそうで、再びパソコンと向き合ってしまった。もう何もいう気が起きなかった。
ある日、普段通り家を出たら、南川さんに「冬奈ちゃん、今日も凄い形相で走ってきたね。家で何かあったの?」と言われた。私は、「早く学校へ行かないと母さんに叩かれちゃうから。」と言った。
南川さんは語尾を強調して「お母さんに、叩かれるの?」と、言った。「そう」「お父さんは?」「父さんは叩かないよ」「じゃあ、お父さんは知ってるの?」と南川さんは聞いた。「知ってるよ」同じ登校班の子や南川さんに、騒がしく何か言われたような気がしたが、聞こえなかった。私は「皆は違うんだね。」とだけ言って、歩き出した。ただ、「リフジン」という言葉が何度も聞こえた。その単語は特に煩わしかったので、耳に焼付いた。もう早く、前に進みたかった。
そして放課後、下校中に周りの子が呑気な顔で帰るのをじっと見ていた。空でカラスが2羽飛んできて、学校の校門にある大きな木の枝に停まった。カラスのその立派で鋭い嘴で目の前の子の頭を啄んで無くしてしまわないか、とふと考えた。笑顔でおしゃべりしながら、通り過ぎる子たちを横目に、私は耐えることができず、泣きながら笑った。最近覚えた「リフジン」と「オヤコウコウ」という言葉がその頃の私の頭の中を行ったり来たりして、頭痛が重かった。
それ以降、私は登校班と一緒に学校へ行かなくなった。理由は思い出せない。しかしその後暫くしてスーツを来た女の人と担任の先生が家庭訪問をしに来た。それから、母とわたしの習慣は落ち着いた。
あの頃の私にはよく理解できなかったが、あの習慣は母の宛先のない怒りが、原因だったのだろう。父はそれを知っており、関わることを辞めたのだ。ああ、でも母の声は今でもノイズのようで苦手だ。
読んでくれてありがとうございます。次回は母との暮らしを始めた後のことと、人に興味を持ち出す冬菜の中学時代のことを書きたいと思います。