インフィニット・ストラトス~少年たちは、誰がために~   作:鈍刀

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第1話 一夏と辰生

 4月の上旬。新学期が始まり、各学校で入学式が開催される時期。新入生はこれから過ごす3年間に夢を膨らませ、期待を抱き、不安を募らせながら高校生活をスタートさせる。

 だが、今の織斑一夏ほど気まずい思いをしている新入生はいないだろう。

 

(なんだよ、これ……覚悟はしてたけど、やっぱりやりにくい……)

 

 一夏が入学したのは、IS学園。300人を超える全校生のうち、男子生徒は一夏と左隣に座っている御子神辰生のたった2人だけなのだから。

 ISを起動させてしまった一夏には、色々な厄介事が一気に降りかかってきた。世界で最初にISを動かした男性ということで政府の監視下に置かれ、連日に渡る取調べや身体検査が続いた。マスコミにも一夏がISを動かした事実が公表されたことで取材が殺到し、毎日対応に追われた。しかも一夏は両親がおらず家族はここ数年家にも顔を出さない姉が一人だけだった。なので政府関係者やマスコミの対応、近隣住人への謝罪と説明、学校関係者や親しい友人への事情説明も全部一人でやらざるを得なかった。当然、中学から特別に許可を貰って続けていたバイトもやめ、退職の手続きや仕事の引継ぎもあり休む間もなかった。政府からIS学園への入学を強要されてからは取調べや検査の頻度は上がり、護衛と称して監視役が四六時中身辺に張り付いた。入学手続きと引越し準備、姿を見せない姉に自分の置かれた状況と引っ越す旨を連絡させるよう役人と交渉もした。特に最後はかなり難航したが、何とか押し切ることが出来た。あまりの忙しさにここ1ヶ月の記憶はほとんどない。気がついたら荷物を持ってIS学園のゲートをくぐり、入学式に参加していたというのが正直なところだ。

 ただ一点、救いがあったとすれば、辰生という同じ立場の人間がいて、連絡を取り合うことが出来たことだろう。入試会場でIS学園の教師から取り調べを受けた後、家に帰される時に携帯の番号とアドレスを交換しておいたのだ。なので情報交換も兼ねて電話やメールでやり取りし、互いの状況を知るだけでなく愚痴を吐いたりも出来た。何より、自分が決して一人ではないと思うことが出来てだいぶ気持ちを強く持てた。もっとも、辰生はほとんど喋らずメールの返信も最低限のことだけ書いたものしかよこさなかったが。

 その辰生はと言うと、机に両肘を付けてぼんやりと前の黒板を見ている。一夏と違って居心地の悪さを感じていないようだ。表情も出会った時やゲート前で再会した時となんら変わっていない。とんでもない強心臓なのか、恐ろしく鈍感なのかは分からないが、今の一夏には平静を保てる辰生が羨ましく思えた。

 

「なあ、御子神」

「……どうした? 織斑」

 

 一夏が小声で声をかけると、辰生は一拍遅れて顔を向ける。入学前から何度か話していることもあり、出会った当初に比べれば多少は打ち解けた、と一夏は思っている。辰生がどう思っているかは定かでない。

 

「お前、何にも感じないのか?」

「感じる? 何を?」

「何って……居心地が悪いとか、落ち着かないとか、視線が痛いとかさ」

「いや、別に感じないが」

「ある意味尊敬するよ、その神経の図太さ……」

 

 自分たち以外全員女子ばかりという状況にも、周りから集まる好奇の視線にも動じない辰生を見て一夏は溜息をつく。再び愚痴ろうとする一夏だが、辰夫が意味ありげに視線を一夏の前に向ける。疑問に思いながら顔を正面に向けると、メガネをかけた女性の顔がすぐ近くにあった。

 

「えっと、織斑くん? 驚かせちゃったんならごめんなさい。でも、次は織斑くんの番だから、ね?」

「俺の、番?」

「その、席順に自己紹介をしてって最初に言ったけど……聞いてなかった、かな?」

「……あ!? すいません、山田先生!」

 

 女性の言葉でようやく今が最初のHR中であること、順番に自己紹介をしていくことになっていたのを思い出し、慌てて立ち上がる。それを見て教室からくぐもった笑い声が聞こえてくる。辰生のおかげで、大声を出されなかっただけマシとすべきだろうか。一夏は一旦息を吐き出し、自己紹介を始める。

 

「えっと、織斑一夏、です。その……一年間よろしくお願いします」

 

 立ち上がったはいいものの、ろくに話すことを考えていなかったこともあって最低限の言葉しか思い浮かばず、詰まってしまう。しかし周囲の目はもっと聞きたいと言いたげな視線を送ってきている。助けを求めるように隣を見ても、辰生は一夏を見てすらいない。なので、潔く諦めることにした。

 

「あー、以上です!」

 

 その瞬間、教室内にガタッと椅子から生徒が転げ落ちる音が響き渡る。気恥ずかしさと同時に、打ち合わせ済のコントのような落ちのつき方にどこか感心していた一夏だが、いきなり頭を硬いもので叩かれる。思わず頭を押さえて悶える一夏だが、顔を上げると頭を叩いた相手が見える。長い黒髪を後ろで縛り、黒いスーツとタイトスカートを着た若い女性だ。顔立ちは整っているが、鋭い釣り目がどこかきつそうな印象を与える。すると一夏は反射的に声を上げてしまう。

 

「げえっ! 関羽!」

「誰が蜀の美髯公か馬鹿者」

「だったら……りょ、呂布だぁーっ!」

「三国志から離れろ阿呆」

「じゃあ……ハルt」

「ストップ」

 

 一夏が連続でボケると女性はその都度頭に出席簿を落とし、最後に至っては喉元へ出席簿をめり込ませて無理矢理中断させる。喉を押さえて再び悶絶する一夏を余所に、出席簿を持った女性にもう一人の女性が声をかける。

 

「織斑先生、職員会議はもう終わったんですか?」

「ああ、ようやくな…それより山田君、最初の挨拶を押し付けてすまなかったな。本当は私がやるのが筋だったんだが」

「いいえ、私も副担任ですから、これくらいはしないと」

 

 一夏に比べてかなり柔らかい態度で出席簿を持った女性がメガネの女性に応えると、メガネの女性は目を少し潤ませる。それが褒められた喜びなのか、叱られなかった安堵なのか一夏には分からない。出席簿を手にした女性は教壇の前に立ち、朗々と声を張り上げる。

 

「諸君、私が1年1組担任の織斑千冬だ。私の仕事はこの1年で諸君らヒヨコを自力で飛べる若鳥になるまで鍛え、育てることだ。これから先、私の言うことをよく聞け。私がすること、教えることの意味をよく考えて、理解しろ。それでも出来ない者は出来るまで指導してやる。私に逆らっても構わんが、早く巣から飛び立ちたければ言うことだけは聞いておけ。いいな?」

 

 女性こと織斑千冬の凛とした声が教室内に響き渡ると、それまで小声で話す声がしていた教室が見事なまでに静かになる。だが千冬が言葉を切った瞬間、教室内に黄色い悲鳴が響き渡る。喉の痛みと苦しさであまり聞き取れなかったが、千冬に会えた喜びや感動が大半だ。中にはわざわざ群馬から来たとアピールする声まであった。群馬は日本ではないのだろうか。

 一方の千冬は盛り上がる生徒たちに呆れ果ててぼやくが、ようやく喉の痛みが引いてきた一夏に視線を向ける。

 

「で、お前は満足に挨拶も出来ないのか? ボケる余裕はあったというのに」

「ボケなきゃやってないからだよ、千冬姉……痛っ!」

「ここでは織斑先生、だ」

「はい、織斑先生……」

「分かればいい。何か一言思いついたか? それで締めろ」

「え? は、はい! コホン、人は俺をナンバーズハn」

「同じネタを繰り返す弟は嫌いだ……もういい、次」

 

 千冬から出席簿と机へのフェイスクラッシャーのコンボを受けた一夏は無理矢理座らされる。

 千冬は10歳ほど歳の離れた一夏の実姉だ。一夏の両親は物心つく前に失踪し、親戚からの援助を受けながら一夏は千冬に育てられてきた。ここ数年は仕事が忙しくなったと言われ、ろくに連絡も取れず、家にも年に1回顔を出すくらいだった。どんな仕事をしているのかも教えてもらえず、IS学園の教師をしていることは、今初めて知った。

 ちなみに、メガネをかけた女性の方は山田真耶、1年1組の副担任だ。こちらはHRの最初で名乗っていたのは覚えている。もっとも、千冬とは対照的に穏やかでおっとりとした雰囲気と小柄な体躯、童顔が相まって威厳と言うものがまるで感じられない。性格もあまり押しが強くないためか、生徒たちからは舐められているような気がしないでもない。ただ、胸の豊かな膨らみは服の上からでも千冬と比べても二回りは大きいと感じさせる。千冬のスタイルもかなりいい方だが、バストサイズでは真耶に大きく水をあけられていると言わざるを得ない。真耶に匹敵するバストサイズの持ち主は、千冬の親友くらいだろう。

 

(あれだけ大きいと将来的に垂れそうだし、肩こったりしないのかな……でもIS学園の教師ってことは胸筋も鍛えてるだろうし、垂れたり肩こりに困ったりはなさそうだよなぁ。見た目と違って、本気で腹筋固めたりしたら千冬姉みたいに凄そうだし)

 

 痛む鼻をさすり小柄で華奢な身体つきの真耶を眺めながらぼんやりと考えている一夏を余所に、自己紹介は進んでいく。今のところ、一夏のようなそっけない挨拶をした者はいない。自己紹介が一夏の列の最後尾まで終わり、辰生の番が来る。

 

「次は御子神、お前だ」

「はい」

 

 静かに座っていた辰生はすっくと椅子から立ち上がり、口を開く。すると女子の視線が一気に集まる。今度こそ色々聞けそうだという期待がありありと感じられる。

 

「御子神辰生です。よろしくお願いします」

 

 しかし期待の眼差しに気付いていないのか、辰生はほとんど表情も変えず、よどみなく言い終えると席に座ろうとする。時間で言えば途中で詰まっていた一夏の半分くらいだ。当然、肩透かしを食らった女子が唖然とし、千冬が口を出す。

 

「待て、御子神。挨拶はそれだけか?」

「はい。何か?」

「……お前は、私の話を聞いていなかったのか?」

「聞いていました。しかし他に言うことがありません」

「本当に、付け加えて言うべきことは思い浮かばないか?」

 

 こめかみを微かに震えさせながら問い詰める千冬にも辰生は平気で答える。表情は少し変わっており、なぜ追及されているのかわかっていないらしい。今は少し思案して答えを捻り出そうとしているようだ。そこで一夏は助け舟を出すべく、小声で話しかける。

 

「ほら、思い出せって。御子神の挨拶にはなくて、前の人までの挨拶にあったヤツをさ」

「……なるほど、感謝する」

 

 一夏の助言でようやく気付いたようだ。千冬も助言を聞いているが、今回は黙認してくれるだろう。

 千冬が黙って続けるよう促すと辰生は再び言葉を発する。

 

「――以上です」

「って、違う!」

 

 その瞬間、一夏を含む生徒の大半が一斉に椅子から転がり落ち、辰生の頭へ千冬の出席簿が叩き込まれる。頭を押さえた辰生の表情はやはり変化が少ないが、なぜ叩かれたのかが分からないと言いたげだ。辛うじて立ち上がった一夏は声を落とすのも忘れてツッコミを入れ始める。

 

「どうしてそうなるんだよ!? 趣味とか特技とか抱負とか、他にも言えそうなことはたくさんあったよな!?」

「趣味は特にない。特技と言えるものもない。抱負も今はない」

「いや、何かしらあるだろ!? 趣味とかそれこそ何だっていいんだよ! 読書でも映画鑑賞でもスポーツ観戦でも!」

「……一人で外を歩き回るのは趣味に入るか?」

「ちゃんとあるじゃないか! それを『散歩』って世間じゃあ言うんだ!」

「そうか……趣味は散歩です。以上」

「今さら言っても遅いんだよ!」

 

 どこまでも自分のペースを崩さぬ辰生に対し、千冬から渡された出席簿の背表紙で頭を思い切り引っぱたく。そうせずにはいられなかった。

 他の生徒も椅子に座り直したところでこれ以上は無駄と判断した千冬が辰生を座らせ、一夏が出席簿を返す。自己紹介が再開されても辰生は小首を傾げていたが、すぐ表情が戻る。直に会ってまともに話すのは今日が初めてだが、電話をしている時はここまでとは夢にも思わなかった。

 ただ一人の『同類』の有様に頭を抱えていた一夏だが、最後の列の先頭に座る生徒が立ち上がると顔を向ける。

 

「篠ノ之箒、です。剣道をやっています。1年間、よろしくお願いします」

 

(やっぱり、箒だよな?)

 

 その生徒、篠ノ之箒のことを一夏は知っていた。小学校4年まで一緒に過ごした幼馴染のことを簡単に忘れられるわけがない。

 よく通った鼻筋に切れ長の目、長く滑らかで癖のない真っ直ぐな黒髪は昔となんら変わっていない。髪型もリボンの色が緑になっただけで、あの時と同じポニーテールだ。流石に背は最後に会った時よりずっと高くなっているが。しかし、一番年月を経たと実感させるのが身体付きだ。特に胸の大きさは制服の上からでもよくわかるほど大きく、聊かの弛みもなく前に突き出ている。腰はほっそりとしているが腰周りや尻の肉つきも豊かで、ほどよい太さの太腿からすらりとした足が伸びている。それでいて背筋が伸びて姿勢もよく、より背が高く見える。

 自己紹介を終えた箒と、一夏の目が合う。しかし箒はすぐ目を逸らして席に着き、そのまま窓に顔を向ける。箒の姿は入学式前に見かけていたが、遠目だったり、他に人が多いせいで顔が上手く確認出来なかったりで確証が持てず、教室に入った後もすぐ顔を逸らしてしまうので他人の空似かもしれないと思っていた。だが、自分の幼馴染で間違いないようだ。なぜ箒がこちらを見ようとしないのかは分からない。昔のことを覚えていないのか、自分のことを疎ましく思っていたのか、単に機嫌が悪いのか。

 

(どっちにしても、話せばわかってくれんのかな)

 

 一夏が一度思考を打ち切ったところでクラスメイト全員の自己紹介が終わる。そして休み時間に入ると椅子から立ち上がり、箒の席へ向かう。辰生は座ったまま鞄の中を漁っている。肝心の箒はずっと窓の外を見ていたが、一夏が机の前に立つと顔を向ける。少しの間、沈黙が続くが先に一夏が口を開く。

 

「久しぶりだな、箒。俺のこと、覚えてるか?」

「……ああ、覚えている」

「そっか、なら声くらいかけてくれてもよかったんじゃないか? そりゃ、俺だって声をかけにくかったけど」

「かけなくてもよかっただろう? 彼がいれば私と話す必要などないだろうからな」

 

 冗談めかして問いかけてみる一夏だが、箒は軽く睨んで辰生の方を見やる。

 

「同じ立場になればイヤでもわかるって……御子神はたった一人の同類なんだから」

「ふん、ならその同類と話していればいいだろう。用事がないなら、さっさと行け」

 

 明らかに機嫌が悪い箒に邪険に扱われる一夏だが、小さい頃からの付き合いだ。いちいち気にしていたら付き合っていけない。気にすることなく一夏は別の話題を振る。

 

「いや、まだ用はあるよ……去年、剣道の全国大会で優勝したよな?」

「なぜ、そのことを?」

 

 一夏が剣道大会のことに触れると不機嫌な顔から一転し、驚いたように目を見開く。

 

「新聞で記事になってただろ? それを読んで懐かしかったのと、剣道まだ続けてたんだなって思ってさ」

「剣道を、止める理由がなかったからな」

「だよな……で、今さらかもしれないけど自分の口で直接言いたくて。大会優勝、おめでとう」

「う、うむ、なかなか殊勝な心がけだな」

 

 改めて剣道大会の優勝を祝福すると、箒もまんざらでもないのか表情を緩める。一夏としても祝福したかったのは本当だ。

 ようやくまともに話せそうな雰囲気になって安堵する一夏だが、背後に誰かが立つ。

 

「織斑、いいか?」

「御子神……どうしたんだよ?」

 

 声をかけてきたのは辰生だ。いつの間にか席を立っていたらしい。箒はまた気分を害したのか一夏と辰生を一瞬睨んでからそっぽを向く。どうも、機嫌が悪い原因は辰生らしい。

 

「箒、どうしたんだ? 御子神が何か悪いことしたか? それとも、実は知り合いだったりするのか?」

「……別に。なんでもないから向こうで話せ。私はもう関係ないだろう」

「一体どうしたんだよ……御子神は心当たりあるか?」

「ない。会ったのはこれが初めてだ。知り合い同士だったのか?」

「ん? ああ、小さい時からの幼馴染だったんだ。小4の時に箒が転校してから今まで会ってなかったけど。で、用件は?」

「……参考書は、あるか?」

「え?」

「参考書を、自宅に忘れてきた。次の授業で見せてほしい」

「参考……書?」

 

 辰生の用件を聞くと、一夏は一瞬質問の意味が理解できずに固まる。参考書などあっただろうかと少しの間考え、存在を思い出す。そして、嫌な予感がして恐る恐る質問する。

 

「なあ、それって……黒くて、分厚くて、電話帳みたいな大きさのヤツだよな?」

「そうだが、どうかしたか?」

 

 悪い予感が、的中した。

 

「それなんだけど……多分、古い電話帳と一緒に捨てちまった、かも……」

 

 また姉に殴られると、一夏は確信していた。

 

◆◇◆◇◆◇

 

 最初の授業は、出席簿で頭を殴られることから始まった。

 授業が始まると辰生は渋る一夏を促し、千冬と真耶に入学手続き後に郵送された参考書を自宅に忘れた、もしくは紛失したことを報告して指示を仰いだ。千冬はまず二人の頭に出席簿を落とし、後で職員室まで取りに行くことを命じ、千冬が持つ参考書を使うように指示した。今は二人で参考書と教科書を交互に見比べ、四苦八苦して授業を聞いている。

 

「御子神、この単語の意味、わかるか?」

「いや、分からない。だがこれと同じ意味で言っているんじゃないか?」

「多分そうだよな……それともどっか違うのかな? とりあえずメモしとこうぜ」

 

 授業を担当している真耶がかなり丁寧に教えてくれているのは分かるのだが、いかんせん基礎知識が決定的に足りていないので、まるでついていけない。そもそも、学校でISについて教えられる女子と異なり、男子は独学で勉強しない限り、世間一般で知られている知識くらいしか得られない。辰生も一夏もIS学園に入るなど夢にも思っていなかったので、ISに関する勉強など一切していなかった。いくら参考書が渡されても、周りが3年かけてじっくり学ぶことを1ヶ月もない期間で覚えるなどかなり無理がある。父親がいたので負担がある程度軽かった辰生はともかく、多忙を極めた一夏ならば言わずもがな、だ。

 今はとにかく真耶の言う単語を一つ一つ参考書や教科書で確認し、頭に叩き込むことで精一杯だ。ようやく話の意味が分かるようになったものの、内容については分からないことだらけだ。どうせすぐ分かるものでもないと開き直った一夏の提案で、せめてどこがどう分からないのかをハッキリさせるべく二人でメモを取って整理している。あまり効率がいいとは言えない方法だが、何もしないよりはマシだ。

 男二人が机を合わせ、小声で話し合いながら授業を受けているのが気になるのか、途中で真耶が水を向ける。

 

「えっと、織斑くん、御子神くん、どこか分からないところはありますか?」

「あ、その……正直言って分からないことだらけです、はい」

「今はこれだけありますが、後で質問してもいいですか?」

 

 一夏は素直に答え、辰生がメモを見せる。すると千冬が先に内容を眺め、溜息をつく。

 

「まったく、参考書を読んで予習してこいと知らせたはずだが、こんな初歩的な部分で詰まっているとはな……他の者はこの程度、3年前にはとっくに理解しているぞ? 山田先生も忙しい、流石にこんな些事に手を煩わせる時間もない。まずは他の生徒に聞け。それでも分からなければ職員室へ来い。二度と忘れんように私直々に頭へ叩き込んでやる」

「その、織斑先生はこう言ってますけど、気軽に聞いてくれていいですからね? 私は、先生ですから」

「はい、申し訳ありません」

「これから気をつけます、ちふ……織斑先生。それとありがとうございます、山田先生」

「相変わらず甘いな、山田先生。お前たちも分かればいい。それと、好きで学園に入ったわけではない、などとは思うなよ? どんな条件を提示されたにしても、最後に今の道を選んだのは自分の意志だ。お前たちはモルモットではなく学園生として生きることを、自分で選択した。それを忘れるな」

 

 千冬はメモを突き返すと一夏と辰生の顔を一瞥して釘を刺す。図星なのか一夏は動揺を露にしている。

 

(スパルタ教育、というヤツか)

 

 授業が再開され、また分からない部分を洗い出す作業を続けながら辰生は一夏と千冬を見比べる。

 辰生に対する丈人の接し方は、一言で言えば放任だ。悪事でなければ辰生が何をしようとも咎めないし、余計な詮索もしない。ただ、生活面での面倒だけでなく何かあれば相談にも乗ってくれるので、嫌って放置しているわけではないようだ。一方、一夏の話を聞く限り千冬は数年もの間ろくに家へ寄り付かず、自分の仕事も教えず一夏を好きに暮らさせるなど丈人以上の放任具合だが、直接会うとかなり厳しく接している。家族の関係にも色々とあるのだろう。一夏本人に姉を嫌っている様子もないので、これが普通のようだ。

 

(しかし、この感じはなんだ?)

 

 辰生は千冬が視界に入ると内側からたまに湧いてくる妙な感情について考える。

 一見すると、千冬は美人だと思う。顔立ち全体が整っており、やや細めの骨格に鋭い目つきと引き締まった口元、瑞々しい唇が合わさって、怜悧という言葉がこれ以上なく似合う美貌だ。スタイルも胸の大きさこそ真耶には見劣りするが、それでも平均よりは大きい。着ている黒いスーツ越しでも分かるほど、重力を無視するかのように真っ直ぐ突き出ている。それでいて腰は程よく細く、スカートとストッキングに隠れた肉感的な臀部と太腿、すらりとした足が美しさに更なる華を添える。化粧は最低限しかしておらず、香水も使っていないというのに動く度に芳香がそこはかとなく鼻腔をくすぐる。女性にしても低めの声も千冬の口から出ればこれ以上なく凛々しく聞こえる。何気ない仕草一つ取っても色気のようなものが醸し出されており、生徒が何人も見惚れているのも納得がいく。言動の厳しさもここまでくると美を引き立てるアクセントくらいにしか思えない。辰生も素直にそう思うほど、千冬は綺麗だ。

 だが、内から湧いてくる感情は憧れのような正の感情ではない。むしろ正反対のドス黒い、恐怖や敵意、殺意など澱みきった負の感情だ。

 なぜか、ごく僅かとはいえ恐怖を感じる。厳しい言動によるものではない。もっと根源的なところから湧いてくる恐怖だ。人が闇を恐れ、死を恐れるように本能的な部分で恐怖している。同時に、敵意や殺意もあることを自覚している。しかし理由が一向に思い浮かばないし、そうした感情がはっきりと表に出ているわけでもない。時折妙な感覚に襲われ、それを注意深く意識して細かく探らなければ分からないような、瞬間的かつとても曖昧で断片的な感情だ。心のごく一部に出来た、目を凝らさなければ分からないほど小さな黒いシミ。一言で言えば、そんなものだ。

 最初の授業が終わると千冬と真耶が出ていき、教室内が騒がしくなる。書き出された疑問点はかなりの数になる。今日の放課後はこれを潰すことに費やされそうだ。次の授業の準備をする辰生に一夏が声をかける。

 

「なあ御子神、さっきから千冬姉のこと、チラチラ見てなかったか?」

「いや、特には見ていないが」

「そっか、俺の気のせいか……千冬姉って俺から見ても美人だし、ちょっと意識してたのかと思ってたけど」

 

 無意識のうちに千冬へ視線が行っていたのかもしれないが、自分が何を考えていたかなど流石に言えない。それに自分から千冬を見ようと思っていたわけでもないので、沈黙で返す。

 

「お二人とも、少しよろしくて?」

 

 少し間を置き、やや高くてどこか甘い声が耳に入る。辰生と一夏が同時に顔を向けると、少女が一人立っている。

 腰まで伸びて緩くウェーブがかかり、毛先が螺旋状にロールした金色の髪に、白淵の青いリボンが鉢巻のように巻かれている。白く、きめ細かく白い肌をした細面には深い蒼色をたたえる瞳が光り、なだらかに垂れた白目の間をゆっくりと行来する。高めの鼻と肉感的でルージュを引いたかのように艶を放つ薄桃色の唇、時折長めの横髪から姿を覗かせる左耳の青い鏃状のイヤーカフスが、瞳の蒼を更に引き立てて彩を添える。身体の方も白い制服を緩く持ち上げる豊かな胸のふくらみに反比例してくびれた腰が目を惹く。腰周りや腿はフリルのついたロングスカートで隠れているが、黒いストッキングに包まれた膝から下はほっそりとしている。時折、髪が動くとほのかに甘い香りが漂ってくる。千冬や箒とはまた違ったタイプの美しさだ。千冬が触れれば切れそうでありながら思わず目を引き、触りたくなる魔力を秘めた日本刀の冷たく、どこか妖しい美しさなら、この少女が醸し出す美しさは広大な庭園で他の花を従え、庭園の主として優雅に咲く白と蒼のバラの花のそれだ。花の下にはいくつもの鋭いトゲを備え、迂闊に触れようとするとする愚か者を刺そうと待ち構えている点も含めて、だが。

 少女の声には、上品な口調や耳を蕩けさせかねないほど甘い声色でも隠しきれていない悪意が、僅かに含まれている。それを不審に思う辰生と、怪訝そうな顔をした一夏がほぼ同時に口を開く。

 

「……何か?」

「俺は構わないけど……えっと……御子神、名前覚えているか?」

「いや、うろ覚えだ」

「まあ! なんですの、その返事は! わたくしに声をかけられておきながらつれない答えで返し、その上わたくしの名前も覚えていないとは。レディに声をかけられたら、それ相応の態度で接するのがジェントルの務めだと教わらなかったのかしら?」

 

 どうも、気品の下に傲慢さを隠していたバラは、たとえ触らずとも自分から標的を刺しにくる難物だったらしい。悪意の正体は、この傲慢さだろう。それだけではないようにも思えるが。

 

「そんな教育、特に受けてなかったけど……女を殴るなとかは言われたことあるけどさ」

「まったく、お里が知れたものですわね。まあいいでしょう、せっかくですし改めて名乗ってさし上げますわ」

 

 一夏のぼやきを鼻で笑った少女は居丈高に胸を張って名乗りを上げる。

 

「わたくしはセシリア・オルコット。『グレートブリテン及び北部アイルランド連合王国』の国家代表候補生ですわ。二度と忘れぬよう、しっかりと脳に刻み付けておきなさい」

「えっと、グレートブリテン……?」

「連合王国(UK)、よりはイギリスと言えば通じるでしょうか?」

 

 イギリスの正式名称だと理解できなかった一夏に補足した少女、セシリア・オルコットは自慢げに胸を張り続けている。

 一夏は面倒くさそうに顔をしかめている。辰生も無駄話に付き合う気がないので、さっさと用件を聞くことにする。

 

「はいはい、そいつはご丁寧にどうも」

「それで、用件は?」

「……あなた、わたくしの話を聞いておりましたの? お二人とも何か言いたいことはございませんの?」

「いや、特にはないけど……」

「それより、用件は?」

「もう一度お聞きしますわ。わたくしは、イギリスの『国家代表候補生』と言いましたの。これについて何かご感想は?」

「そう言われたってな……御子神は?」

「特にない」

「ちょっとお待ちなさい!」

 

 顔を見合わせる一夏と辰生にセシリアが苛立ちを露にして詰り始める。

 

「あなたがた、国家代表候補生というものがどんなものか知っておりますの!? その態度、とても信じられませんわ!」

「いや、知らないけど。御子神は?」

「国家代表操縦者の候補者、ということくらいは。それ以外は知らない」

「なるほど……ってちょっと待て、それって結構凄いんじゃないか?」

「あくまで候補であって、代表ではないぞ? 代表に選ばれるかもしれない、というだけの意味合いだろう」

「いや、国家代表って言ったら単純に考えればその国で一番強いIS操縦者ってことだろ? その候補者に選ばれるってことはその国のIS操縦者の中でもトップクラスに優秀ってことなんだろうし」

「……言われてみれば確かにそうだな」

「どこまでモノを知らないのですか! あなたたちは! そう! わたくしはその国家代表となりえる資格を持った者、IS操縦者の中のトップエリート! わたくしはそう言ったんです! ならば驚くなりするのが当然のことでしょう!? 本来ならばあなた方は、同じ時間を過ごすことなど到底出来ない存在だと言うのに! その貴重さもありがたみも、まるでわかっていないとは!」

「そうは言っても、知らなかったもんはしょうがないし……」

「用件は、そのことと関係が?」

 

 セシリアは自分の身分を明かして自慢、もしくは威圧したかったようだ。しかし代表候補生そのものを知らなかった一夏と、意味を履き違えて理解していた辰生のせいで目論見が外れ、機嫌を損ねたらしい。だが、すぐに授業が始まるのでいい加減何の用か聞いておきたい。何度目になるか分からない問いを辰生が投げかけると、セシリアはそっぽを向いて吐き捨てる

 

「優れたる者の務めとして、これから何も知らないあなたたちに色々と教えてさしあげようと思っていましたが、気が変わりましたわ! あなた方のような慮外者には言うことなど何もございません! せいぜいわたくしたちの足を引っ張らないようにしてくださいまし!」

 

 捨て台詞を残してセシリアは自分の席へと戻っていく。完全に怒らせてしまったようだ。

 

「なんか、申し訳ないことしちまった気分だな……謝っといたほうがいいかな?」

「脅そうとして失敗しただけだ。放っておけばいい」

 

 気まずそうにする一夏に辰生はそれだけ言って授業の準備を再開する。セシリアのやったことは街にいる不良と変わらない。暴力の代わりに肩書きを用いた示威行為だ。反応が期待外れなのは一夏や自分が悪いわけではない。自滅して逆恨みしようとも辰生には知ったことではない。変な噂を流されたところで別に堪えないし、無視されても独りには慣れているので特段困らない。授業を妨害されると面倒だが、その時は千冬に事情を話せばいい。暴力に至ってはいくら振るわれても堪えないので、証拠を増やすためにもぜひやって欲しいくらいだ。

 辰生は身体が頑丈で、暴力を受けたり事故にあっても痛みこそ感じるが、擦り傷や切り傷が少し出来る程度で済んでいた。それに痛みに対する恐怖心がないというべきか、痛いと思ってもそれから逃れようとしたり、苦痛に感じることがなぜかない。なので、暴力に対する耐性は人一倍ある。一夏が狙われた場合は、本人に対処してもらうしかないが。

 チャイムがなる直前、一夏が辰生に話しかける。

 

「けどさ、御子神」

「どうした?」

「お前って、ナチュラルに人のことを煽るよな」

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