インフィニット・ストラトス~少年たちは、誰がために~ 作:鈍刀
決闘が終わり、セシリアはアリーナのシャワールームで汚れを洗い流していた。
一夏が辰生を無力化した後、意識を失った一夏は医務室に運ばれ、辰生は千冬に頭を思い切り叩かれた。そして罰として反省文の提出と1週間の授業以外での専用機搭乗禁止、1ヶ月間教室を1人で掃除することを命じられた。逆上せること自体は珍しいことではなく、観客に一般市民はいなかったが無罪放免というわけにもいかない。もし観客が大勢いる試合で起きていたらこんな軽い罰では済まなかっただろう。
辰生への処分については誰も文句は言わなかった。ISは今でこそ競技メインで使用されているが、本質的には兵器だ。普段は軍に属さずとも、万が一戦争になれば操縦者も徴集され最前線で戦うことを余儀なくされる。なので、IS学園に入学するにも相応の覚悟がなければ認められない。身の安全は可能な限り自分で確保するのが原則だ。箒が怪我をしたのも逃げ遅れたのが悪い、で済まされる。操縦者とはそういうものだ。
辰生が処分を黙って受け入れて千冬が解散を命じた後、セシリアはシャワールームに入ったが、考えていたのは決闘のことだ。ただし、試合内容そのものではなく、一夏のことについてだが。
「織斑、一夏……か」
湯気に覆われたブースの中で、セシリアは一夏の名を呟く。名前を呟き、声を記憶から呼び出し、顔を思い浮かべる度に胸から熱いものがこみ上げて全身に伝わっていく。
(あのような男性が、まだいたとは……それも日本に)
自分が辰生と交戦していた時、一夏は身を挺して同級生を庇っていた。大抵の操縦者は同じ状況になっても動けないか、自分の身の安全を確保することに必死になるか、自分も逆上して騒ぎを大きくしてしまうかで、巻き込まれた人間を庇うことなどまずしない。だが、それ以上にセシリアの印象に残ったのは、忠告に対する反論だ。
(まさか彼に思い出させられることになるとは……貴族たる者の責務、『ノブレス・オブリージュ』を)
力ある者が力なき者を守る。一夏の言ったことはノブレス・オブリージュのそれに近い。セシリアも貴族の1人として心がけているつもりだが、今の時代にそんなことを本気で考えている貴族がどれだけいるのだろうか。ましてや、特殊な状況とはいえいざとなれば本当に身体を張って弱者を守れる者が一夏以外にいるのだろうか、と思う。事実、セシリアもまた辰生の無力化に夢中になり、逃げ遅れた者への配慮がないがしろになっていた。いくらIS操縦者といえども生身ではただの人間だ。それをIS操縦者の卵である、という理由で正当化しようとしたのを、鋭く指摘された。単に言われただけならセシリアも気にすることもなかっただろうが、一夏は実際に身体を張って盾となっていた。だからこそ反論できなかった。
(そしてわたくしさえ守ると言い、実行に移した。もうそんな男性はいないと思っていたのに)
それどころか一夏は不意を突かれたセシリアさえ庇い、守ると宣言して本当に実行した。結果的には相打ちだったが、代表候補生たる自分を辰生の暴走から守ってみせたのは事実だ。腕前自体はセシリアから見れば児戯に等しいレベルだったが、大した問題ではない。
「父も、同じであれば……戦おうという意志を見せていれば……」
シャワーに身を打たれながら、セシリアは家族のことを思い返す。
セシリアの実家、オルコット家は元を辿れば王家にまで行き着く、由緒あるイングランド貴族の家柄だ。同時に、昔から女性が大きな功績を立ててきたことから、イングランドでも珍しい女性による爵位の継承が認められた家でもある。セシリアの母もまた女性当主の一人で、セシリアの父は婿としてオルコット家に入った。母と父は大学時代の同窓で、母が在学中にビジネスを始めるとその片腕として働いてきたと聞いている。父は大学首席となっただけでなく、経営者としても優秀な人物であったらしい。
ただ、セシリアの母と違って家柄は中流階級、ビジネスマンとしても斜陽だった『オルコット・グループ』をわずか10年で再建し、ヨーロッパ有数の優良企業に育て上げた母に比べれば一歩劣っていたと言える。しかも母や私人としてもかなり強く、IS登場前は男尊女卑の風潮が未だに根強く残っていた貴族社会においても、爵位や財産を狙う一族や女性ながら当主になったことを侮蔑する他の貴族と果敢に渡り合い、時に格上の貴族と真っ向からやり合うなど、かなりの女傑として名を馳せていたと聞く。更には慈善事業にも積極的に取り組んだこともあり、女王陛下から勲章を与えられたこともあるほどだ。
そんな母に対して父は、いつも卑屈に振る舞っていた。夫婦ではなく主人と使用人のようだと周りから言われても、父は反論しなかった。母と比べられて無能と囁かれ、家柄や血筋を嘲られても怒りを見せることはなかった。セシリアも幼い頃、心ない分家の男たちから父親の出自や能力、態度をダシにコケにされ、オルコット家の跡継ぎには相応しくないと何度も言われた。最初は我慢していたセシリアだが、ある日遂に我慢が出来なくなり、母に窮状を訴えると同時に、父にも陰口を叩く連中へ毅然と反論して欲しいと訴えた。母もそれに同調し、卑屈な振る舞いをやめるようにと言っていた。
父の答えは、沈黙だった。結局父の振る舞いは何一つ変わらなかった。セシリアは父に幻滅し、夫婦の仲もこれを境に自然と冷めていった。親子3人で過ごす機会は目に見えて減り、最後の1年は列車事故でなくなる当日以外は両親が一緒に過ごすことはなかった。内心、夫婦の関係が悪化したのは自分のせいだと思い、それまで消極的だった習い事を必死に修め、両親の気を惹いて仲直りさせられればと子供心に思っていた時期もある。結局は無駄に終わり、それまでの反動から情けない父への恨み辛みが募っていった。
周囲の態度を改めさせて欲しいとは思ったが、別に改まらなくてもいいとセシリアは思っていた。人の偏見を正すのは難しい。セシリアは父が決して無能でも母の使用人でもないと、言葉や態度で示して欲しかっただけだ。そうであれば周りから何を言われてもセシリアも耐えられたであろう。父の本当の姿を知れば、周りの人間から何を言われても悪意ある歪曲と聞き流せるのだから。
(女を守ろうとする男なんて、おとぎ話の中にしかいないと思っていたのに)
両親の死後、セシリアを待っていたのは一族の男たちによる醜い遺産争いであった。優秀な経営者であると同時に、オルコットグループのオーナーでもあったセシリアの母は莫大な遺産を残していた。それに目をつけた男たちは、葬儀が終わるとセシリアそっちのけで遺産相続や分割を巡り争い始めた。ある男は少しでも遺産を多く掠め取ろうと目論み、ある者はセシリアの後見人となることで遺産を管理する側に回ろうと画策した。セシリアを廃嫡したり、セシリアの婿となろうとしたり、息子の嫁にしようとしたりして独占を企んだ者もいた。極端な者となるとセシリアの亡き者とし、遺産その他を全て分割することで決着させようとする者までいたと言う。もちろん、全員セシリアの意志などお構いなしだ。
最終的に公爵家に嫁ぎ、公爵夫人として王室や政界と繋がりのあった一族最長老の大叔母が事態の収拾に乗り出し、鶴の一声でセシリアの当主継承と遺産の単独相続が決まったが、これらの一件で男性不信が芽生えた。男とは身勝手で、自分たちより強いものにはあっさりなびき、弱いものに対しては骨の髄までしゃぶりつくそうとするハゲタカだと、セシリアは思っていた。
しかし一夏は違う。考えなしなところがあるし、まだまだ未熟だがその精神は自分が知る男たちとは正反対だ。
(彼のことをもっと知りたい、もっと近付いて確かめたい……)
胸の奥底から一夏について知りたいという欲求と、傍にいたいという想いが溢れ出して身体が熱くなる。一夏の人となりや過去、ありとあらゆることに興味が湧き、より深い関係を築きたいと心から思う。
「フフ、一目惚れ……なのでしょうね」
髪を手でくしけずりながら、セシリアは小さく笑う。周りから見たら滑稽に見えるかもしれないが、セシリアは一夏へ心惹かれている。生まれて初めて、セシリアは恋心を抱いたのだ。髪から手を離し、身体に手を這わせてシャワーを浴びながらセシリアは一夏の姿や声に思いを馳せる。だが、ある存在に考えが及んだ途端、身体の熱が一気に冷める。
(ですが、御子神辰生……彼の存在が気にかかるわ)
熱が冷めた原因は、辰生だ。
辰生の暴走を千冬は逆上せただけだと言っていたが、それだけではないと確信がある。代表候補生として模擬戦を重ねる中で、逆上せた相手を返り討ちにした経験は何回かある。しかし、それまでの相手と辰生には決定的な違いがあった。
(あの態度と動きは、興奮して周りが見えなくなった者とは違っていた。むしろ明確な敵意があるとしか思えなかった)
逆上せた者は興奮して我を忘れているため、動きや判断も単純になりがちだし、状況確認も怠りやすい。なのでフェイントにあっさり引っかかったり、少し攻め手を変えれば簡単に無力化できる。だが、辰生はむしろ冷静に彼我の状況を見極め、その時々で自分なりに適切な行動を取っていた。観客席で生徒を巻き添えにしかけたのも、単に周りが見えていなかったというよりは、むしろ誰がいようと関係ないという意志の表れではなかったのか。
(でも、敵意はあってもそれ以上のモノは感じられなかった……憎んでいたわけでもない。怒っていたわけでもない。そもそも、自分の意志に基いているものとは思えない。あらかじめ誰かからの命令がされていたり、刷り込みがあったかのような……)
戦っている最中、辰生から敵意は感じたがその根底にあるハズの感情は何も感じられなかった。むしろ誰かに敵だと言われ、倒すように命令されたから敵対したといった感じだ。何より、正気に戻った後はしばらく呆然としており、信じられないと言いたげな様子だった。だからセシリアは確信している。あの凶行は辰生の意志によって生じたものではない、と。
(分からないことと言えば、彼の身体もそうね。あの頑強さと腕力もそうだけど、一瞬だけ首や腕がハイパーセンサーでもギリギリ捉えられるかどうかのスピードで動いた気が……)
不可解な点は他にもある。
交戦途中、辰生はISの一部を量子化して銃を撃ってきた。事故で一部の展開が解除されたのか、わざと解除したのかは判断がつかないが、人間用のそれとは比べ物にならない銃の反動を生身の腕で撃つとただでは済まない。正規の訓練を受けた代表候補生さえ、上手く発射体勢を取れなければIS用の拳銃を一発撃つこともままならない。なので、撃つ際は最低でも腕部のみ展開するのが定石だ。だが辰生は生身の腕で反動を無理矢理抑え込み、あまつさえビットに命中させてさえいる。銃の持ち方も素人のそれとは思えなかったが、ISの銃器を撃つためのものとはまた違っていた。少なくとも、セシリアが同じ真似をしたら確実に負傷していた。辰生の腕力や頑強さは尋常のものとは思えない。
そして発砲する際、腕や首が尋常ではない速度で動いていたように感じられた。本当に一瞬だったので単に意識が向けられず、そう見えてしまっただけという可能性もあるが、やはりおかしい部分はある。
「いずれにしても、今は引き続き注視するほかにないわね」
シャワーを止めたセシリアは指を唇にあてがいつつ、静かに呟く。本国からは2人の男性IS操縦者に関する情報を集めるように言われたが、辰生は特に注意して観察を続ける必要があると、セシリアの勘が告げている。
(もし彼が我が国にとって不都合な存在ならば、その時は……)
身体を拭いて服を着ながら冷静に考えていたセシリアだが、時計を見て一度打ち切る。本国への定時連絡などやるべきことがある。決闘については、あらましを簡単に報告するだけでいいだろう。
考えを纏めたセシリアはシャワールームを出て、自室へと戻るべく歩き出した。
◆◇◆◇◆◇
学生寮の一室で、辰生はレポート用紙にペンを走らせていた。書いているのは千冬から課された反省文だ。50枚のうち、すでに40枚は埋めてある。今は締めの部分に入っている。
(なぜ、あんなことをした? 何が俺をあそこまで駆り立てたんだ?)
書き上がったレポート用紙を切り取り、再び書き進めながら辰生は内心疑念を抱く。
あそこまで明確な敵意を抱き、執拗に攻撃を続けた理由が分からない。頭に血が昇ったのとはまた違う。むしろ、これ以上なく冷静に行動していた。かと言って自分の意志だったかと言われると違う気もする。強いて言うならば、そうしなければならないという義務や使命感に似たものが内側から湧き上がり、自然と従ってしまっただけだ。千冬へ抱いた黒い感情といい、勝手に身体が動いて反撃したことといい、IS学園に入学してからの自分はおかしい。
(マシャフスタンで義父さんに保護される前……その時に、何かあったんだろうか? 特にISとは何か関わりが……)
思い当たる節があるとすれば丈人に保護される以前のこと、全く記憶にない15年間だ。
丈人に引き取られて以降、記憶がないことを疑問に思ったこともある。時折、記憶を失う前の自分がどんな人間で、何をしていたのかと丈人に聞いたりもしたが、引き取る以前はあまり交流がなかったということで大した話は聞き出せなかった。ただ、基本的な言動は今とそんなに変わらなかったらしいと言われた。しかし本当だったのか確かめる術はない。
(まさかとは思うが、俺の過去を知った上で隠しているのか?)
ペンを走らせていた手を止め、辰生は内心疑念を抱く。
記憶がないなりに考えてみたが、今の自分とは違う別の自分が内側にいるとしか思えない時がある。その別の自分とは記憶にない過去の自分であり、何かしら因縁のあるISと関わったことで少しずつ目覚めつつあるのではないか。そして丈人は過去の自分がどんなものかを知っており、それを隠しているのではないか。そんな考えが頭の片隅に浮かんでいる。だとすると今の自分の言動や名前、人格、ひいては『御子神辰生』という存在自体が後から作り出された偽りのモノではないのか。本当の自分は別の名前、別の人格を持っており、今もまだ内側でくすぶっているのではないか。
「――俺は、誰だ?」
沈黙の末、辰生は脳裏に浮かび上がった大きな疑問を口にして吐き出す。そのまま黙り込み、静かに座ったまま時間だけが経過する。
どれくらい時間が経っただろうか。部屋に備え付けの通信端末が呼び出し音を鳴らす。最初は気付かなかったが、何回か鳴ったところで我に返り通信に出る。
『まったく、通信に出ないとは……今まで何をしていた? まさか反省文も書かずに居眠りをしていたわけではあるまいな?』
「織斑先生……」
通信を入れてきたのは、千冬だ。ディスプレイに映る千冬の顔には呆れの色が見てとれる。
『反省文は書けたか? 今日はもう授業も何もないし私も職員会議がある。会議が始まる前にさっさと提出しろ。正当な理由がなければ拒否は認めん』
千冬は続けて用件を告げる。しかし通信相手が黙りこくったままなのを見て眉をひそめる。
『返事はどうした? 聞き終わったのならば「はい」か「イエス」で答えろ。言っておくが、反省文の提出延長は認めんぞ? それなりに時間はやったのだからな。まだ書けていないなら今すぐ職員室へ来い。これ以上黙っているのならばこちらから部屋に乗り込むぞ』
「……俺は、誰ですか?」
ようやく返ってきた答えに画面の千冬は面食らった顔をする。しかし一度溜息をついて再び口を開く。
『お前はIS学園1年1組の御子神辰生だ。それ以外の何者でもない。少なくとも、私は他に知らん。色々と思うところがあったようだが……やらかしたのは他の誰でもなく、お前自身だ。もう1人の自分だとか何とか言って責任逃れをしようとしても無駄だぞ? その手を使いたければ医師から診断書を貰ってからにしろ。それに私はISのことを教える教師であって、本当の自分などという観念的なことまで教える気はない。知りたければ自分で考えろ。いくら考えたところで今のお前は御子神辰生でしかないがな。分かったらさっさと答えろ、御子神』
「……分かりました。20分後に職員室へお伺いします」
『全く書いていなかったわけではないようだな。では急げ。私は気が短い。遅刻は許さんぞ』
通信が切れると、辰生は書きかけのレポート用紙に目を落とし、反省文の残りを書き始める。
千冬が言ったとおり、今の自分は『御子神辰生』以外の何者でもない。考えたところで答えは出ないだろう。ならば今は自分に課せられたこと、やるべきことをやるしかない。じっくり考えるのは余裕が出来てからにしたほうが良さそうだ。
10分ほどで反省文を仕上げてホチキス留めをした辰生は職員室に向かう。ドアをノックして入ると、千冬がデスクでブック型端末を操作していたが、すぐ辰生に気付き顔を上げる。
「ほう、予定より早かったな。反省文は?」
「こちらになります」
辰生がレポート用紙を手渡すと千冬はざっと捲って流し読みし、デスクの片隅に置く。
「内容は後で詳しく読んでおく。もう行っていいぞ」
「その、織斑の容態は?」
「私も医療スタッフから話を聞いただけだが、命に別状はないそうだ。単に疲労とダメージで意識を失っただけ、らしい。だからお前がこれ以上織斑のことを心配する必要はない。わかったらさっさと出ていけ。お前が退室次第、すぐ会議になる。どうせ長くなるのなら少しでも早く終わらせたい」
職員会議が長引く理由は想像がつく。頭を下げて謝罪しようとする辰生を千冬が手で制する。
「そんなことは謝らなくていい。お前らの尻拭いも仕事のうちだ。わかったらさっさと行け」
「……はい。失礼しました」
最後に一礼して辰生は職員室を出て自室に戻る。廊下で誰ともすれ違うことなく自室前に到着し、鍵を開けてドアを開ける直前、背後から肩を叩かれる。
「よ、御子神。反省文は書き終わったのか?」
「織斑……」
振り向くと一夏が立っていた。左手に手提げの紙袋を持っている。辰生が思わず沈黙してしまうと、一夏が不思議そうに首を傾げる。
「ん? どうした? 俺の顔に何かついてるのか? それともまだ反省文書いてないとか……」
「身体は、大丈夫なのか?」
「検査の結果が至って正常、怪我もすぐ治るってさ。ちょっと失神しただけだし、心配すんなって。その様子だと反省文は書けた、みたいだな」
「ああ。その、すまなかった」
「俺はいいって。勝手に突っ込んで勝手に巻き込まれただけなんだから。謝るなら先生と他のクラスメイトに、だろ? 特に箒は怪我をしちまったんだしさ」
ようやく搾り出した質問にも一夏は快活に笑って答える。確かに見たところ大きな怪我はしていなさそうだ。それにしても自分もトラブルに巻き込まれたのに他人の心配をする辺り、相当なお人好しらしい。
「で、お詫びに行くなら菓子の一つでも持っていった方がいいわけだけど……用意してあるか?」
「いいや、買っていない」
「そんなことだろうと思ってたぜ……購買でモナカを買ってきてよかった。代金は……まぁ余裕が出来た時に飯おごってくれたらいいさ」
「購買でそんなものが売っているのか?」
「聞いた話だと一時帰宅する時に家族へ持って行くお土産として需要があるんだとさ。御子神はともかく、俺には関係ないけど」
紙袋から包装された箱を取り出して説明し終えると、一夏は包装を外して箱の中身を見せてくる。
「ウチのクラスが31人で千冬姉と山田先生を含めて33人、モナカは20個入りが2箱、つまり40個だから7個余るな。御子神は甘いもの好きか? 余ったのは俺たちで処理しよう」
「……世話をかける」
「だから気にすんなって。勝手にお節介焼いてるだけなんだ。さっき職員室の前を通ったけど会議中だったし、まずはクラスメイトに配っていくか。もう少しでみんな飯食いに行くだろうけど、その前に済ませよう」
一夏に促され、辰生は部屋の鍵を閉め直してからクラスメイト達の部屋を回り始める。
手始めに隣室の箒と静寐へ挨拶に向かったが、不在だったようなので他の部屋に行ってお詫びを済ませていく。クラスメイトのほとんどは気にしていないと笑って許し、むしろわざわざ謝罪に来たことを驚いていた。異様に袖が長い制服を着たクラスメイトは謝罪もそこそこに目ざとくモナカを見つけ、本来余るハズの分も含めた8個を鷲掴みにし、ルームメイトでもある別のクラスメイトとちょっとした諍いになったが。
結局は一夏が2人で分け合うことを提案し、長袖のクラスメイトがのんびりとした口調で文句を言いながらもそれに従ったことで終わり、残るは箒と静寐、そしてセシリアとなる。
「コレで残り3人か……次はどっちから行く?」
「ここからならオルコット、さんの部屋が近いだろう」
「よし、ならそっちから先に……」
「一夏、そこで何をしている?」
「御子神くんもどうしてここに?」
行き先を決めたところで背後から呼びかけられ、顔を向けると箒と静寐が並んで歩いてくる。箒の脚には包帯が巻かれている。
「箒、怪我はもう大丈夫なのか?」
「心配はいらん。命に別状はないしISも動かせるくらいだ。それよりさっきの質問に答えろ」
「ほら、さっきの決闘で御子神がやらかしたからそのお詫びにみんなのところを回っていたんだよ。俺はその付き添いだ。で、箒は鷹月さんと一緒にどこ行ってたんだ?」
「私たちは食堂で夕食を済ませてきたところだ」
「けどわざわざそんなことしなくてもいいのに……みんな気にしてないんだから」
「けど、こういうことはきちんとケジメつけないと、だろ? ほら、御子神」
「ああ……この度は自分の不始末でご迷惑をおかけして大変申し訳ありませんでした」
「そのような謝罪、私には無用だ。あれは私の油断が招いたこと、この傷はその戒めと思っている」
「篠ノ之さんもそう言っているから顔を上げて、ね?」
「すみません。これはせめてものお詫びに」
一夏に促された辰生は深々と頭を下げるが、静寐の言葉を受けて頭を上げる。そしてモナカを2人に手渡すと箒と静寐はそれぞれ懐に収める。
「本当なら部屋に戻ったところに、がよかったんだろうけど結果オーライだな。じゃあ次行こうぜ」
「待て。一夏、お前に話がある。御子神、一夏を借りて大丈夫か?」
「ちょっと待てって。まだ全員回ってないんだから……大体こんな時に何の話をしようってんだ?」
「謝罪ならば御子神だけでいいし、本来ならそれが筋だろう。話の内容など決まっているだろう……さきほどの決闘の総括だ。トラブルがあったとはいえ負けは負け、反省点を洗い出して繋げるためにも厳しくいくぞ」
「マジかよ!?」
「そういうわけだ。御子神、構わないな?」
「わかりました、どうぞ」
「ちょっと待てって! お前一人で大丈夫なのかよ!?」
「問題ない。それに篠ノ之さんの言う通り、俺だけで行くのが筋だろう。次の相手が相手だからなおさらな」
「見苦しいぞ一夏! 御子神をダシにして逃げようとするな! その腑抜けた性根も叩き直してやる必要もあるらしいな! 今夜は長引くものと思え!」
「織斑くんも災難だねえ……じゃ、私は先に部屋戻ってようかなーっと。御子神くんも頑張ってね?」
厳しい顔をした箒がごねる一夏から紙袋を取り上げて廊下に置き、首根っこを掴みどこかへ引き摺っていくと、静寐は溜息をついて自室へ戻る。残された辰生は紙袋を拾ってセシリアの部屋に向けて歩き出す。時折すれ違った生徒から物珍しげな目を向けられるが、気にするほどのものでもないので軽く会釈するだけにする。
セシリアの部屋に着くとドアをノックする。しばらく待っても返事どころか物音一つしない。不在なのだろうか。もう一度ドアをノックし、やはり誰も出てくる気配がないのを確かめた辰生は部屋の前から離れようとする。しかし、踵を返した先からちょうどセシリアが歩いてくる。セシリアの方も辰生に気付いたのか、顔に少し驚きの色が見える。辰生がすぐに歩み寄るとセシリアから先に口を開く。
「あら、御子神さん。こんなところで何を? わたくしに何か用があるのですか?」
「ええ。先ほどの件の謝罪に。この度は自分の不始末でご迷惑をおかけして大変申し訳ありませんでした」
「わざわざ謝る必要などございませんのに……逆上せるのはISの初乗りではよくあること。わたくしも慣れておりますので怒ってなどおりません。だから頭をお上げになって?」
「すみません。それとこちらはせめてものお詫びに」
「まあ、わざわざありがとうございます。これは和菓子、というものでしょうか? 後でいただきますわね」
辰生が謝罪をするとセシリアは笑って頭を上げるように告げてモナカを受け取るが、一連の流れに辰生は強烈な違和感を覚える。
(一体、何があった?)
セシリアの様子がまるで違う。決闘までの間にあった攻撃性や刺々しさがすっぽりと抜け落ち、声のトーンや雰囲気がだいぶ柔らかくなっている。最早別人といっていい変化を遂げたセシリアに面食らう辰生だが、自覚がないのかセシリアは不思議そうな顔をしている。
「どうかされましたか? わたくしの顔に何かついているとか?」
「いえ、そういうわけでは……」
「やはり違和感がありますか? 今のわたくしには。言わずともわかりますわ、他の方々も似たような反応をされていましたから」
「他の方々?」
「ええ。先ほどまでクラスメイトの方たちに無礼な言動の数々について謝罪して回っておりましたので。織斑一夏さんと篠ノ之箒さんは見当たりませんでしたが……」
「一人一人に謝罪、ですか……」
「はい。織斑先生から日本ではそうした方がよいと聞きましたので。郷に入っては郷に従え、という言葉もあるでしょう?」
「はあ、そうですか」
「なのであなたにも改めて……今までしてきた数々の無礼、心よりお詫び申し上げますわ」
「いえ、俺は大丈夫なので、頭を上げてください」
(……本当に同一人物か?)
自分たちと決闘した相手と同一人物なのかさえ疑いたくなるほど、目の前のセシリアは穏やかだ。改めて強烈な違和感を覚える辰生をよそにセシリアは頭を上げて話を切り出す。
「ところでお尋ねしたいのですが、一夏さんがどちらにいらっしゃるかご存知ありませんか?」
「篠ノ之さんと一緒に先ほどの試合を総括すると言って別れましたが、どこに行ったかまでは……織斑にも謝罪を?」
「ええ。それとお礼も、ですが」
「織斑に礼を?」
「あなたはよく覚えていないでしょうが……暴れていたあなたを止めるとき、彼はわたくしに大切なことを教えてくださいましたの。力ある者が力なき者を守る、貴族たるものの責務をね。ですからどうしてもお礼を言いたくて」
(それだけではないような気がするな……)
話を聞いていると、どうもセシリアの目的はそれだけではないような気がしてならない。なんとなくだが顔が上気しているし、口調も一夏のことに触れるところは妙に弾んでいる。ただ、一夏や自分に対してもう悪意は持っていないようなので、これ以上追及する必要はなさそうだ。
「では、ここで失礼します」
「ええ、ごきげんよう」
上機嫌な様子のセシリアに挨拶されながら、辰生は踵を返して職員室へ向かうのであった。
◆◇◆◇◆◇
一夏が箒の総括、と言う名の説教から解放されたのは夜もだいぶ遅くなってのことだった。
最初は食堂で食事をしながら、努めて冷静に敗因や今後の収穫とすることについて話していた箒だが、次第に同じことの繰り返しや小言の割合が増えていき、最後の方は小言と説教しかなかった。そのことを指摘しても箒は怒る一方、茶化して空気を和ませようとしたら逆効果でどこからか取り出した竹刀で殴られた。結局、グダグダになったところで食堂の閉店時間が来たことでなし崩し的に解散となった。その際、一度職員室を覗いてくるから先に帰ってもいいと箒に伝えたら露骨に不機嫌となったが、それ以上は何も言われず帰り際に睨まれるだけで終わった。
(けど職員会議をまだやっていたなんてな……やっぱり御子神のやらかしたこと、かなり問題になってんのかも)
職員室へ向かったところ、まだ会議をやっている様子だったので顔を出すことなく自室に戻りながら、一夏は内心姉の苦労を思う。
自室に入ると辰生が備え付けの机に向き合い、授業の復習に取り組んでいるようだ。一度ペンを置いて辰生が顔を向け、口を開く。
「遅かったな、織斑」
「箒に色々言われてさ……って、もう10時かよ。どんだけ話してたんだよ、俺たちは」
「4時間以上といったところだろう。それとオルコットさんが何回かお前を訪ねに来たぞ。最後に来たのは30分前だったか」
「俺を、か? なんかイヤミとか、ペットになれとかそんな感じか?」
「いいや、謝罪と礼が言いたいだけらしい。今日は遅いから明日また会えたら改めて伝えるそうだ」
「そっか。けど謝罪はともかく礼ってなんだろうな……お礼参りとかじゃなけりゃいいんだけど。ありがとな、御子神」
「気にするな、それより授業の復習はいいのか?」
「少し待ってくれ。シャワー浴びたら俺もやるから」
セシリアが礼を言いにきたことに首を捻りながら、一夏は浴室に入ってシャワーを浴びる。礼を言われるようなことをした覚えはないが、辰生の様子からして皮肉とかの類ではなさそうだ。
身体についた汚れをあらかた洗い流した一夏は浴室を出て寝間着に着替え、ベッド横に置いたカバンからノートや教科書、参考書を取り出して辰生の隣に座る。あとはいつものように復習に取り組むだけだ。
一夏と辰生では得意苦手はもちろん思考方法など色々な部分で差があるので、同じ授業を聞いても理解できる部分や浮かぶ疑問が結構違ってくる。物事をどちらかと言えば感覚で捉える一夏に対し、辰生は理詰めで考える方らしく、こうして2人で復習をしていると丁度いい塩梅に互いの分からない部分を補えるのだ。
「うーん、2限で山田先生が話してた流動なんららってさ、どういう意味なんだ? 参考書探したけど見つからなかったし。ISの高速飛行に関係する用語ってのはわかるんだけど」
「流動波干渉、だ。参考書319ページの注釈に説明があった。超音速飛行時に発生する衝撃波や熱などを一時的にシールドエネルギーに転換する機能だ。そうすることで空気抵抗によるシールドの減少を防ぐだけでなくソニックブームや轟音、摩擦熱をほぼゼロにすることが可能になる、と書いてあった」
「どれどれ……ホントだ、確かにそう書いてあるな。ありがとよ。で、御子神はどこが詰まってるんだ?」
「1限にやったIS学園設立の経緯の部分がよく分からん。織斑先生はあっさり流していたが、なぜ場所が日本でなければならなかったのか、が理解出来ん」
「教科書だとそこら辺はぼかしてあったな……千冬姉も最初に少し話してただろ? IS関連の技術が一番進んでいたのが日本だって。つまり日本に学園を置いてそこに人材を送り込むことで各国が最新技術を吸収し、IS関連技術の世界平均レベルを上げるため、ってテストとかでは書けばいいんだろうな。実際は『白騎士事件』でISに恥かかされたアメリカ辺りが圧力をかけたから、なんて話もあるけど公に言ったら国際問題だし、まだテストには書けないだろう」
そんな感じで復習を進めていき、今日の授業でやった部分の復習が終わったところで一夏は伸びをする。
「よし、今日はここまでにしよう……流石にこれ以上は身体がもたないな。決闘の疲れが結構残ってやがる。御子神はどうだ?」
「俺の方は問題ない」
「精神だけじゃなくて身体もタフだな、ホントに……」
「……身体はともかく、精神はそうでもないかもしれないぞ?」
疲れた様子を見せない辰生に感心する一夏だが、辰生はポツリと呟く。いつもと少し様子が違う辰生に、一夏は思わず横顔を凝視する。
「どうしたんだよ? なんかちょっと様子が変だぜ? もしかしてまだ気にしてるのか? アリーナでのこと」
「気にしないわけがないだろう。お前に止められるまであれだけ暴れて被害を出したんだからな」
「だからあれは逆上せたからだってみんな……」
「違う」
いつもと同じように静かな、それでいていつもより少し感情が込められた否定に一夏は沈黙する。そのまま辰生は一息ついてぽつぽつと語り始める。
「少なくともあの時、俺は冷静だった。お前やオルコットさんを明確に敵と認識し、理性を持ってお前たちを攻撃していた。なぜ敵意を持ったのか、どうしてあんなことをしたのかは、俺にも全くわからん。そもそも本当の俺が誰かさえ分からんが」
「本当の、自分?」
「あの時の俺が本当の俺かもしれん、ということだ。あるいは、ISに乗るたびお前たちへ敵意をむき出しにするようになるのかもしれん。その可能性を無視できるほど、俺は強くない」
辰生が言葉を切るとしばらくその場を沈黙が流れる。しかし一夏は意を決して話を切り出す。
「なんでそんなこと、俺に話したんだ?」
「……わからん。なぜか織斑には話しておきたかった、と思ったからだとしか言いようがない。変な話だとは承知している。すまなかった」
「いや、いいさ。こんなこと言うのはなんだけど……むしろ俺は安心した、かな。御子神にもそういうとこがあるんだなって」
軽く頭を下げる辰生に笑って首を振り、一夏が話を続ける。
「それに本当の俺が誰か分からないなんて言ったら俺だって似たようなもんさ。なんせ小さい頃の記憶がほとんどないんだし」
「……どういう意味だ?」
「そのままの意味さ……実は俺、物心ついたときから千冬姉と2人きりで暮らしててさ。5歳くらいのことはハッキリ覚えてるんだけど、それより前のことは全然。だから両親の顔なんかも覚えてなくて。周りは小さい頃のことなんか覚えていなくて当たり前だって言ってくれるけど、全く覚えてないのは変だろ? 千冬姉にも聞いたけどあんまり詳しいことは教えてくれなかったし、そもそも千冬姉には苦労をかけたくなかったから」
「他に、親戚はいなかったのか?」
「いるにはいるけど、俺たちの小さい頃は知らないって言われたよ。その親戚に初めて会ったのも小学校に上がるくらいのことだったし……まぁ、その人たちの援助があったからどうにか俺たち2人でも暮らしていけたんだけどさ」
話を聞いた辰生は意外そうな顔をしている。一夏は苦笑しながらまた話し始める。
「だからたまに考えることもあったよ……本当に俺と千冬姉は家族なのかって。織斑一夏って名前も本当の名前なのかって。ひょっとしたら本当の自分ってのはまた別にいるんじゃないかって、な」
「考えて、どうなったんだ?」
「……やめたよ、考えるのを。だって仮に本当の俺ってヤツがいたとしても、今こうして生きているのは織斑千冬の弟で、お前と話している織斑一夏なんだから。たとえ血の繋がりや名前がウソでも、千冬姉と過ごしてきた時間や織斑一夏として生きてきた時間はウソなんかじゃない。だから考えたってしょうがないってさ。お前も同じだよ。確かにあの時暴れたお前が本当のお前かもしれない。ひょっとしたら御子神辰生なんて名前も今の性格も全部ウソっぱちかもしれない。でも、今の御子神としての意志や過ごしてきた時間は本物じゃないか。考えるのなんて、それこそ自分が本当は御子神辰生じゃないって証拠が出てからでいいんだよ。どうせ今考えたって答えなんか出ないんだからさ」
そこまで言うと再びその場に沈黙が流れる。妙に重くなった空気を変えようと、一夏は敢えて明るく笑ってみせる。
「って、悪い悪い。湿っぽくなっちまったな。えらそうなこと言ってるけど、要は面倒くさいことなんか考えなくても人間生きていけるってことさ。この話は忘れてくれ」
「織斑、なんでそんなことを俺に話した?」
辰生の問いに言葉が詰まるが、一息入れて答える。
「なんとなく、かな。なんとなくだけど俺のこと、御子神になら話してもいいかなって思っただけだから」
「他の誰かに話すかもしれないぞ?」
「そんな口は軽くないだろ?」
「腹の底で、お前を嘲笑っているかもしれんぞ?」
「そういうイヤなヤツなら自分が信用できないなんてこと、わざわざ俺に話してくれないって」
「ウソをついている、と考えたことは?」
「御子神、お前ってヤツは……あのさ御子神、そうやって何でもかんでも疑ってたらキリがないぜ? そういう仕事についてるんならともかく、俺たちはまだ学生なんだ。反省なんて卒業するときにすればいいのさ」
「……お人好しだな、織斑は」
「ありがとう、褒め言葉として受け取っておくよ。けどその言葉、そっくりそのまま返すぞ」
「俺のどこがお人好しなんだ?」
「あんな話を茶化さずに最後まで聞いてくれたからさ。だからもっとバカになれって。その方が余計なこと考えなくて済むし、さ」
黙りこくる辰生を見ながら、一夏は話を締めようとする。
「はい、辛気臭い話はここまで。もう寝ようぜ? 明日からはまた千冬姉にこってり絞られるんだから」
「織斑」
ベッドに上がる一夏の背に辰生が声をかける。
「どうした?」
「……ありがとう」
「御子神……やっぱりお前、見た感じよりずっといいヤツだよ」
辰生らしからぬお礼の言葉に笑いながら、一夏は横になる。辰生も部屋の電気を消してからベッドに寝転がり、やがて2人は眠りに落ちる。
今の自分たちは本当の自分ではないのかもしれない。だが、過ごしてきた日常やその中で抱いてきた思いは決して偽りではないハズだ。
(だからこそ自分の気持ちにはウソをつきたくない……誰かを守りたいって気持ちには)
完全に意識が途切れる間際、一夏は漠然とそんなことを考えていた。
◆◇◆◇◆◇
翌朝のホームルーム前。辰生は教室の席で静かに目を閉じた状態で椅子に腰掛けていた。教室内は相変わらず騒がしく、一夏はいつも以上にぐったりしている。一夏は机に突っ伏した顔だけを向ける。
「御子神、お前は気分悪くなったりしてないのか?」
「問題ない」
「だよなあ……俺はこれから待ってる未来を考えたら気分が重くなってしょうがない。だって負けたらペットだぜ、ペット。どうせロクでもない扱いをされるに決まってる。ブルドッグだエセ貴族だ散々言っちまったからな」
「謝ったらどうだ?」
「そうしたいのは山々だけど肝心の本人がいないときてる。こりゃ終わったな……」
「後悔してるのか?」
「決闘自体は後悔してないさ。ただ、これから一生千冬姉の名前に泥を塗り続ける人生を歩むことになるのかと思うと申し訳なくて……」
「負けたときのことを考えていなかったのが悪いだろう、それは」
「相変わらず手厳しいな……後悔するとしたら、そこだな」
「その心配をする必要はございませんわ」
ぐったりとした一夏を横目で見ながら話していると、セシリアが一夏の席までやってきて声をかける。セシリアが辰生に軽く会釈したところで一夏は身体を起こす。
「えっと、今なんて……」
「あなた方が負けたらペットにするという約束、あれはなかったことと致します。そもそも前回の試合は無効ですわ。なのでもう心配をする必要はないとお伝えに」
「はあ……そう言えば、昨日俺を探していたって聞いたんだけど?」
「ええ。本当なら昨日のうちにお伝えしたかったのですが……先日は無礼な発言の数々を浴びせてしまい、誠に申し訳ございませんでした。代表候補生として、恥ずべきことをしてしまったと反省しておりますわ」
「あ、え、その、俺の方こそすいません。結構失礼なこと言っちゃったし」
セシリアの丁寧な謝罪に面食らい、一夏は立ち上がって謝罪し返す。これで遺恨はなくなった、と言うべきだろう。
「それとありがとうございました、わたくしに大切なことを思い出させてくれて。あなたの言葉や行動がなければわたくしはノブレス・オブリージュを忘れてオルコット家の名と先祖の顔に泥を塗ることになっていたことでしょう。あなたには感謝してもしきれません」
「は、はあ……でもおれはそんな大したことをした覚えは……」
「織斑、先生が来たぞ」
続く感謝の言葉に至っては困惑を隠そうともしない一夏に、辰生が千冬と真耶が来たことを告げる。他の生徒も気付いたのか騒ぎが急速に収まり、セシリアも一礼して自分の席に座る。
少しして千冬が真耶を連れて教卓の前に立ち、出席番号1番の生徒が号令をかけると最初に真耶が生徒の出席を取り、今日の予定などの事務連絡を簡単に済ませる。続けて千冬が手にした出席簿を卓上に置いて話し始める。
「さて、クラス代表の件についてだが、昨日の試合はお前たちも知っての通り無効試合となった。なのでまた別の日に試合を組む必要が出たわけだが……」
「お待ちください、織斑先生」
話の途中でセシリアが手を挙げ、そのまま立ち上がる。千冬は何も言わない。話してもいいということらしい。
「ありがとうございます、織斑先生。クラス代表のことなのですが……わたくしは立候補を取り下げさせていただきます」
「どういうことだ? あれほどの熱弁を振るっておきながら今さら降りるとは」
「今思い返すと、わたくしはあまりにも品位のない言動を繰り返しており、反省してもしきれないほどです。そのようなわたくしにクラスの代表などふさわしくありません。なので今回は辞退を」
「なるほど。オルコット、お前は他の2名と違ってあくまで立候補したのであって他に推薦した者もいない。ならばお前が降りるというのなら勝手にするといい。クラス代表は織斑と御子神のどちらかになるが、構わんのだな?」
「って、異議あり! どうして俺たちはまだクラス代表の候補に残ってるんですか!?」
千冬が一夏と辰生の名前を挙げた途端、一夏は勢いよく立ち上がって抗議するがすぐ出席簿で頭を殴られ悶絶する。
「勝手に割り込んで騒ぐな馬鹿者。さっき行った通りオルコットは自薦だがお前と御子神は他薦だ。そいつらが取り下げん限り、お前たちは立候補者のままだ」
蹲る一夏へ千冬が冷たく告げる。推薦者に取り下げる意志がないことなどわかりきっている。つまり、事実上一夏と辰生の一騎打ちだ。
「しかし選考方法については考え直す必要もあるな……試合の勝敗以外で何か案のある者は?」
「それについてもわたくしから提案が。昨日の試合、確かに無効とはなりましたが、最終的に一夏さんが御子神さんのISを撃墜しています。なので改めて再試合をせずとも直接対決の勝者である織斑一夏さんをクラス代表としてはいかがでしょうか? アリーナを再び確保するにも時間はかかkりますし、生徒の避難まで流れ弾から庇い続けた彼ならばクラス代表の任に耐え得るかと」
「ふむ、一理あるな。何か異論のあるものはいるか?」
「私はオルコットさんの意見に賛成でーす!」
「あの時の織斑くん、カッコよかったし!」
「それに織斑くんが勝ったんだからまた再試合するのは、ねえ」
「異論はないようだな。では織斑をクラス代表として指名する。拒否は許されんぞ」
「いやいやいや! おかしいでしょ! どうして俺がクラス代表なんかに!」
「諦めろ、織斑。もう根回しは済んでいる、ということなんだろう」
流れるように一夏のクラス代表就任が決定し、一夏は悪あがきを試みるが辰生が制する。
恐らくセシリアはクラスメイトへの謝罪だけでなく、自らの腹案についての根回しも済ませておいたのだろう。そして千冬や真耶にも根回しは済んでいる。だからこそ千冬もセシリアの提案をあっさり採用したのだ。辰生がセシリアの顔を見るとニコニコ笑っている。『郷に入っては郷に従え』の意味はこれも含まれていたようだ。一夏もようやくそれに気付き、ブツブツ文句を言いながらも座り直すが、何かを思いついて挙手する。
「なら俺からも提案があります! まだ推薦された御子神がいるわけですし、御子神をクラス副代表に就けることを提案します!」
「織斑、何のつもりだ?」
「どうせ逃げられないんなら道連れにってな……それと俺はクラス代表になったんだから、副代表くらい俺の意志で決めても問題ないだろ?」
「いや、しかし……」
「今回は織斑に一理あるぞ。副代表の設置はクラス毎の任意だが、当然クラス代表には設置の有無と誰をあてるか決定する権限がある」
「わたくしたちも賛成ですわ。逆上せたのは初心者によくあること、一夏さんに負けたとはいえ十分に見込みはありますし副代表とするには何の問題もないかと」
辰生のクラス副代表就任についても、あらかじめクラス全員にセシリアから根回し済みだったようだ。辰生も抗議することを諦め、大人しく受け入れることにする。
しかし、セシリアの話はそれだけでは終わらなかった。
「ですがクラス代表と副代表のお二人はまだまだ未熟なところもございます。特にクラス対抗戦への出場が強制される一夏さんについては、一刻も早くクラス代表にふさわしい技量を身につけていただく必要があります。そこで! 国家代表候補生で同じ専用機持ちであるわたくしが、これから一夏さんにつきっきりで指導を行ないますわ!」
「待て! 一夏にそんなものは必要ない! すでに私がいるのだからな!」
一夏の指導をすると話した途端、それまで黙っていた箒が憤って立ち上がる。どうもこちらの話は根回ししていなかったらしい。
「お言葉ですがあなたでは力不足ではありませんか? 技量的には専用機持ちで国会代表候補生のわたくしの方が上なのは自明の理、ましてや実機での訓練となると訓練機を一々借りなければならないあなたよりわたくしの方が適任だと思いますが?」
「そういう問題ではない! 私は一夏の幼馴染だ! 一夏のことならばそちらよりもよく知っている分、適切な指導が出来る!」
「あら、幼馴染であることと適切な指導に何の関係が? むしろその関係が邪魔になって指導に私情が入ることだって……」
こめかみを振るわせ始めた千冬とそれを見てアワアワとする真耶、呆れた様子の他のクラスメイトを尻目に、箒とセシリアの口論はヒートアップしている。口ではもっともらしい理由をつけているが、要するにセシリアは一夏と2人きりになりたいのに対し、箒はそれを阻止しようとしている構図だ。こんな話を延々とされていれば、流石に辰生でも2人の真意は理解できる。
(2人とも、一夏に惚れているな)
何の事はない、恋の鞘当てというヤツだ。幼馴染の箒はともかく、セシリアは決闘をきっかけに一夏へ惚れたのだろう。だとすると急激な態度の変化や一夏へ向けていた熱い視線の意味も理解出来る。もっとも、クラスの中に一人だけ理解出来ていない者がいるようだが。
「なんだよ、そんなに俺が頼りにならないってことかよ……そりゃあ乗ったばかりだし腕が未熟なのは認めるけど、流石に箒の指導を全部理解出来ないほどバカじゃないし、毎回サボったりなんかしてないって」
どうも、当事者の一夏だけは原因が自分にあることは理解出来ても、根底に箒とセシリアが自分に対して抱いている恋心があることを全く理解していないようだ。きっと今の一夏の脳内では出しようがない答えを得るべく延々と自問自答を繰り返しているのだろう。
最終的に口論はセシリアと箒が千冬に出席簿で頭を強打されることで中断された。
再び教卓に千冬が戻る直前、辰生は小声で一夏へ話しかける。
「それにしても織斑」
「どうした?」
「意外と鈍感なんだな」
「へ? どういう意味だよ?」
「……いや、分からないならいい」