まゆと会ってから約一か月が経ち、六月になる。
毎週の日曜日はまゆと会うのが日課と言ってもいいほどに、俺たちは会っていた。
今日もその日曜日だ。
いつものようにどこへ行くでもなく気ままに散歩をしたり、編み物を教えてもらったり過ごすのかなと思いながら集合場所に着く。いつもならここから俺が十分ほど待ち、約束の時間の10分前にまゆが来て二人で過ごすパターンなのだが今日は違った。
そこにはすでに俺を待つまゆの姿があった。
まだ集合時刻の二十分前だというのに--。少し申し訳ない気持ちになりながらも手をあげ声をかける。
「今日はいつもより早いね? 少し待たせちゃったかな」
「まゆも今来たところですよ♪」
こちらに気付いた時よりもよりいっそうの笑顔を浮かべ返事を返してくれる。
昨日夕飯で何を作ったか、季節外れだがマフラーを完成させたこと。いつものように話していくまゆ。その姿に、なぜか若干の違和感を感じるもどこがおかしいと聞かれれば悩んでしまうものだった。なので、今は会話に集中しようと意識を戻す。
二時間ほどだろうか、散歩がてらにウィンドウショッピングなどもしつつ楽しんでいた。
休憩もかねてオープンテラスのあるカフェに入ってからのこと、対面に座るまゆが神妙な面持ちでこちらを見据え黙り込んでしまった。
その雰囲気からこちらも空気を読み無言になる。しかし、まゆは一向に切り出そうとはせずにただ時間が過ぎていく。これでは埒が明かないので俺から尋ねることにする。
「どうしたの? 体調悪くなっちゃった?」
「いえ、違うんです」
その短い問答で会話は途切れてしまう。
どうしたものかと、思考していると今度はまゆの方から口を開く。
「あの・・・・・・この後って空いてますか?」
「この後? 空いてるよ。明日も仕事があるからあまり遅いとダメだけどね」
「もっ、もしよければなんですけど……このあと少しまゆに付き合ってほしいんです」
ある程度の心の準備をしていたが、その内容は蓋を開けてみれば、そこまで改まって言うことではないものだった。どうやらまゆは二人で行きたい場所があるらしい。
普段、場所事態にこだわらないまゆからしてみれば、珍しいことなのでその目的地が個人的に気になり、それとなく聞くが上手くはぐらかされてしまう。
「ちょうどあそこから、バスに乗っていけばすぐなので行っても良いですか? 場所はまだ秘密でお願いします」
「じゃあ移動しようか。着いた時の楽しみに取っておくよ」
目的地は少しの間のお楽しみということだ。
カフェを出てバス停に行き、5分ほど待つと目的のバスが来る。そこから10分ほどゆられ、まゆの「次でおりますよ」という声に従い降りる準備をする。
『次は―○○病院前。○○病院前』
俺達が下車した場所は○○病院のロータリーだった。
あんまり意図が掴めずにいたが、先を行くまゆに置いてかれないように後に続いて歩いていくことにする。
別にまゆの体調も悪そうではなかったし、俺も元気が取り柄なだけあって絶好調だ。
じゃあ、残るはまゆの親戚がいるのだろうか?
受付でササッと手続きを終えたまゆを見ていると、戸惑っている俺に気づいたのだろう申し訳なさそうな顔をして近づいてくる。
「黙っていてごめんなさい。でも優也さんにどうしても会ってほしい人がいるんです・・・・・・お願いします」
「別に怒ってないから大丈夫だよ。それより会わせたい人っていうのは?」
「——まゆのお母さんです」
まゆと会うようになってから、一切家族の話題は出なかったし、俺の方からも極力出さないようにしていた。まゆのお父さんは働いていると聞いていたが、お母さんの方は入院していたようだ。
いきなりまゆの母親と会うことになって緊張しているが、ここまでついてきて「無理です。さよなら」なんてことはできるわけもない。
俺とお母さんを会わせる何かしらの、意味がまゆなりにあるのだろう。
俺の返答を待つまゆの瞳は揺れている。
次に俺が口を開くその時を俺と同じぐらい、いやそれ以上に緊張して待っているのが伝わっってくる。
「そっか。でも俺こんな普通の格好だけど大丈夫かな?」
おどけてみせる俺の言葉から、了承したと伝わったのだろう。
安堵の面持ちで「大丈夫ですよ♪ そのままでも十分カッコいいです」と返事をくれる。そしてまゆのお母さんが入院している部屋へと案内される。
一旦ドアの前で最終確認を行う。
軽く身だしなみを整え、「あ~あ~」と喉の調子も確認しておく。
「よし。大丈夫だ……たぶん……」
「じゃあ開けますね」
日差しが窓から差し込み、暖かな雰囲気の病室にベッドが4つあった。その奥にある窓側のベッドへとまゆは進んでいく。
お母さんに話を通しておいてくれたわけではないのか、俺に会わせたいといっていたまゆの母は眠っていた。というよりも、ベッドの横に大きな機械が置いてあり、人工呼吸器だろうか? それが取り付けられている。
手術後だとしたら、俺みたいな部外者がいきなり立ち入ってしまっては申し訳ない。
今日はいったん帰ろうかとまゆに告げようとしたが、二人の声がタイミングよく重なり、まゆが先に話しだす。
「そんなに緊張しないでください。もうお母さんには優也さんが来ることを伝えてありましたから」
「でも、人工呼吸器まであるし、術後とかじゃないのか? 俺なんかいたらまゆのお母さんもびっくりしちゃうだろ」
まゆは先ほどからお母さんの頭を撫で続けている。
「違うんです。お母さんはずっと眠っているんですよ。もうすぐ十年になります」
まるで金づちで頭を殴りつけたかのような衝撃がはしる。まゆが話した内容を正確に認識するまでに少し時間がかかった。
今の言葉が本当なら、まゆのお母さんは植物状態ということだろう。
それも十年となれば、すごい年月ではないか。
返す言葉が見つからずに、俺は口を閉ざしてしまう。
「私が小学生に上がってすぐでした。お父さんは仕事が忙しくていつも家にいませんでした。母はとても優しく、まゆを育ててくれてました。小さい頃の記憶もちゃんとまゆはあるんですよ?」
確かに小学校低学年の記憶というものはあまり記憶に残っていないが、全部忘れている訳でもない。
まゆにとってはなおさら忘れられないものだろう。
「お母さんがこんな体になってしまったのも、まゆの所為なんです。まゆは生まれつき体が周りほど強くなかったので、すぐに体調を崩して寝込んでいました。そしてその日も、熱が出て看病されている時、一つお母さんに我が儘を言ってしまったんです」
まゆは淡々と語っていく。
その日、いつもご褒美に買ってもらえるシュークリームをどうしても食べたかったまゆは、お母さんに買ってきてと頼んだのだ。
お願いを聞いたお母さんは「分かった。じゃあ、まゆが早く治るように今日は3個買ってきてあげるね」と言って、優しくまゆの頭を撫で買い物に出かけた。
まゆの住んでいる地域では、その年初めての雪が昨日からしづしづ降り始めていたそうだ。そしてその買い物の帰り道、スリップをしてしまった車に轢かれて、今に至るわけだ。
小さい子は我が儘を――お願いを言うものなので、どうしようもない。
きっかけは些細だったが、その日から佐久間家の壮絶な人生が始まったのだ。
「おかしいですよね。まゆはその日から泣けなくなっちゃったんです。今も・・・・・・うんん、違います。いつも本当は泣いてるんです。だけど――笑って、いつも笑顔でいれば目を覚ましてくれるんじゃないかって!」
これが佐久間まゆの『心の闇』
今まで誰にも言えずに抱え込んでいたもの。
今まで歳不相応な落ち着いた物腰で、いつも笑顔を浮かべていた少女の本当の顔。その感情を曝け出した顔が、前の彼女と重なってしまった。ダメだ。そんな悲しみに染まった顔は君には似合わない。
そう思うと自然と体は動き俺は回り込んで、まゆを後ろから優しく包み込む。
「そっか。頑張ってたんだね。でも、これからは俺の前だけでも本当のまゆを見せてほしい。俺は全部受け止めるからさ」
「——っ!?・・・はい・・・・・・はい! ありがとうございます」
目では見ることはできないが、今だけは彼女の涙が止まっていてほしい。
自分勝手で都合の良い解釈なのかもしれないが、俺の腕の中で微笑んでいる彼女の悲しみを、すこし分かち合った気がした。
勢いでしてしまったその態勢を戻そうとするが、まゆからのストップがかかり少しの間そのままで過ごす。
そこから改めて、まゆが俺の事をお母さんに紹介して今までの事を楽しそうに語っていく。
時折俺も会話に入るが、まゆの話は終わることを知らずに、面会の時間終了の少し前まで話し通しでいた。
「じゃあ、まゆ達は帰りますね。またねお母さん」
「今日はありがとうございました。また娘さんと一緒にお邪魔させていただきます」
最後にお別れを言って病室を出る。
時間もいい頃なので、夕飯でも食べていこうかと申し出たが、まゆはこのまま家に帰るらしい。
お父さんが今日は家で待っているそうだ。そこに水を差すほど俺も野暮じゃないので、素直に帰ることにした。
家に帰ってからなんだか実感が湧いてきた。
正直に言うと、心の中に戸惑いのような感情も少なからずあるのが本音だ。一人になると弱い自分が出てきてしまう。
PCの前に座り、起動させる。
調べることは植物状態についてだ。具体的に何を知りたいというのは、俺自身わからないので幅広く見ていく。
そこには家族の体験談や、奇跡的に回復したが過ぎ去った年月に直面し不安の中で手を取り合っていく話、膨大な医療費についてが載っていた。
まゆがどうしてあのアパートに住んでいるのか、携帯を持っていないのかが分かった気がする。今でも家族三人で必死に戦っているのだ。
静かに俺はPCの電源を落とす。
携帯が揺れ、着信を知らせてくれる。
着信相手は杏ちゃんだ。一度手に取り応答しようとするがやめる。杏ちゃんには申し訳ないが今は誰かと話す気分ではなかった。
数コールした後に鳴り止んだ。
俺はベッドにダイブし、電気がついたままだったが眠りについた。
これからもよろしくお願いいたします( *´艸`)