本家と分家。
一族にとってその違いは相応の扱いを受ける基準となる。それは一族ごとに多少違いはあれど、大半は字面から想像する通りである。
本家は分家やりも優遇され。
分家は本家よりも冷遇される。
だが、あくまでそれは表の世界である。
世界は大きく二つに分けられ、その中で一つと三つに分類される。
まずコインの表側である表の世界。中でも一つ目は平和で戦争な、ごく一般的な日常世界。和気藹々と暮らし、犯罪も起こればマフィアもいる、幸せな家庭もあれば不幸な家庭もあるような、極々普通かつ最もらしい一般人が住んでいる世界だ。
二つ目は表の世界に最も近く隣接している財力界。株や証券、貿易、国交に根付いており、その有り様は表面上ではあるが日常世界から俯瞰することが可能だ。無論、日常世界との行き来が容易である。
三つ目は日常世界から見れば少し敷居の高い政治界。内閣、首相、官僚、各省代表者など、財力界と比べると多少入るには難易度の高い世界である。だがどの世界よりも横の繋がりが深く、幅広い。いわゆる権力を振り翳すことのできる世界だ。
さて、ここまで述べたのが一般人が日常的に暮らしていればある程度の関係性を持つことが許される範囲の世界だ。だが何事にも例外は存在し、許容範囲という線引き、言わばコインの裏側に繋がる縁というものが存在するのが、この御時世における暗黙の了解だ。無論その暗黙の了解とは表の世界でも知る人ぞ知る程度であり、自由に行き来できる表の世界と違い裏の世界を知る人は殆どが裏の世界の住人である。それ程までに根深く、根強く、それでいて
三つの世界に含まれない第四の世界。暴力の世界と呼ばれる、決して表の世界に出張ることの無いアンダーワールドな世界が存在する。
そこは何一つとして表の世界の常識が通用することはなく、矛盾が道理として、混沌が秩序として、理不尽が摂理として成り立ってしまっている。今日日表の世界でも
当然だ、異能を扱えることが裏の世界への切符な訳ではない。
そこはあらゆる不条理が付き纏い、唯一己を示すものは力と殺戮―――この二つに絞られるからだ。
表の世界では殺害は犯罪という常識が付き纏うが、裏の世界にはそんな常識は無い。殺戮こそが己の存在証明であってそれ以外は無い。いや寧ろ、殺戮という血生臭くて汚い部分から目を瞑る為に生まれた必要悪こそがコインの裏の世界、暴力の世界の存在意義なのかもしれない。
ここまで何故わざわざ世界構造を説明してきたのか? それは最初の話題に繋がる。そう、本家と分家である。
当然ながら表の世界にも様々な本家と分家を持つ一族があるように、裏の世界にも本家と分家を持つ一族が存在するのだ。
それも、裏の世界ではとびきり有名な。
邪悪で、奇怪で、最悪。数ある裏の世界の派閥の中でも最大勢力を誇る一族―――否、組織団と呼称すべきか。
表の世界では到底扱うことのできない裏の世界の殺人者集団は総称して《殺し名》と名付けられており、その中でも最も有名な組織。
名を、匂宮。
《殺し名》序列一位。
『殺し屋』殺戮奇術集団匂宮雑技団。
本家と分家の扱いにおいては、奇しくも一切の接触のない表の世界と同等の扱いという共通項を持っていた。
▼ △ ▼ △ ▼
「お、お、お…おおーっとぉ!? 今度は匂宮選手の口元に固定されていた猿轡らしきものが、外れている!? いや無くなってる!?」
「――どうやら、アレは彼女の『枷』だったようだな。侮れない顎の力だ」
「倉敷の【大蛇丸】の一本を…歯で受け止めて砕きやがったぞオイ!?」
「【悪食】…なるほど、『刃』と『枷』の【悪衣】、『歯』の【悪食】。この二つが匂宮静梦選手の
なんということだろうか、静梦は噛癖矯正具から解放された口で、鋭利な歯で、蔵人の【大蛇丸】の一太刀を受け止め―――否、白
だが、動かない。
「オイオイどんな力してんだよ…!?」
引いてダメなら押してみよという言葉の通り、引かば押せ、押さば引けの精神で静梦の口から【大蛇丸】を抜き取ろうとするにも、まるでビクともしない。前後左右に動かそうとも、上に持ち上げようとも静梦の体が浮くことなど叶うはずもなく、ぎちぎちという音と共に咥えていた【大蛇丸】の刃先部分が木っ端微塵に砕け散った。
「ごりごり…ごっくん。んー…美味しいねぇ、干して乾かしたような蛇の味がしたよ」
「…固有霊装を喰うとか、どんなだよ畜生が」
なんと非常識。なんと規格外。
刃先の崩壊という代償と引き換えに漸く自由を取り戻した【大蛇丸】を手元に戻しつつ、砕け散った固有霊装を噛み砕き、味わい、呑み込むその姿には流石の蔵人でも驚愕せざる得なかった。
「殺戮は一日一時間」
「あ?」
「前の私が口癖のように言ってた言葉さぁー…どんな意味かはよくわかんねーんだけど、多分言葉通りだね」
「何が言いてぇ」
「もう無駄な時間をかけんの止めない? 次の一撃で終わらせてやるからさぁ」
余裕綽々な雰囲気を漂わせるが、当然ながらまだ一時間が経過する筈もなく、その言葉に一抹の疑問が残る。だが静梦が口にする意図を理解した途端、蔵人も納得がいったのかその口車に乗り貪欲な笑みを浮かべた。
「ハッ――上等。テメーに急かされるまでもねぇ、最高の一撃で終わらせてやる」
「くひひっ! いいねいいねェ、最ッ高だねぇ! やっぱりキミに出会えてよかったよ蔵人ォ!」
なんということはない、殺戮が一日一時間など唯の口実。
つまりは、さっさと本気を出せということだ。
手札を隠し警戒心を煽るのも一興。いつ、どこで、どのタイミングで
逆に短期決戦を画策するこの思考誘導こそが罠かもしれないという懸念はあるのだろうが、それよりも双方が真っ向から正々堂々手段を選ばず全力で臨まなければ決着が着きそうにない、そう確信した上での合意である。
「おぉ――っと! これはまさかの匂宮選手の一! 撃! 宣! 言! 流石一流のエンターテイナー! これは私も見習わなければなりませんね、レッツエンジョイ!」
「馬鹿言うな。だがこれは……あの構えは拙いぞ、匂宮静梦は恐らく本気で殺しに行く。双方ともまだ上辺だけの実力しか垣間見えてないが、倉敷蔵人に防ぐ手立てはあるのか?」
「ナニ言ってんだよ、こんな時こそ! 気合いだ気合い! お互いのホンキとホンキがぶつかり合う胸がこうジィ――ンと熱くなるような燃える展開じゃねぇか!」
「それに今迄の予選で倉持蔵人選手の全力を出した訳ではない、これは一発逆転もあり得るか……ビギナーズラック、ではないな。
なんだか放送している外野から不穏な雰囲気が漂い始めるが蔵人からすれば馬耳東風、それどころか気に食わない雑音として沸沸と怒りの熱が燃え上がっていく。理性と伐刀者としての冷徹な精神の一面がそれを急速に冷やすが、頭の血が下がることはない。
寧ろ先の戦闘により促進された血行が全身を巡って温めより反射神経を研ぎ澄ませる。興奮から分泌したアドレナリンが蔵人の一挙一動を常に最短最速の動きに昇華させようと、まるで高々と排気音を打ち鳴らし今か今かとスタートラインで待ち望むスポーツカーの様に全身を漲らせていた。
そもそも。
まさか戦いに飽きたから、お前が弱いから、詰まらないからさっさと終わりにしようなんて思ってはいないだろうな? という内から滲み出る怒りが蔵人に火を付けたなどと、そんなことを抜かすつもりは微塵も無い。
だが双方の合意はかつてない強制力を生み出す。例え考えが異なろうとも、その思考が行き着く方向性が同じであれば機械仕掛けの時計のようにがっちりと噛み合った歯車がぐるぐると回り出すように、自然と同じ結論に達するのは自明の理である。
「くっひひっ」
「かははは」
「くくく――ひ―ひひひっ―――!」
「は――はははははは―――!」
歓喜と愉悦の哄笑は導火線だった。どのタイミングか、いつだったかは定かではない。勿論コイントスなどする筈もなく、なのにまるで示し合わせた様に二人はステージの大地を蹴り、駆け出していた。
「
まるでロケットの様に足元の【悪衣】の円月輪による加速力で突進する静梦に対し、蔵人はたった一本足らずであったはずの【大蛇丸】による
加えて拘束から解放された鋭利な
なればこそ、間合いが短い静梦の攻撃が当たるよりも先に蔵人の攻撃が通るのは必然。二発でも、一発でも構わない。兎に角一撃でも喰らわせられれば恐らく蔵人は勝利する。いや勝たねばならない。
「くっひひひ――ヒィ――ヤッハァ―――!!!」
衝突する数歩前。いや、静梦があと一、二歩踏み出せば『八岐大蛇』による剣戟の餌食になるその瞬間。
静梦の肉体は八つの剣戟を
「恥じる可からず―――『悪衣悪食』!」
同時に気付く。『八岐大蛇』の斬撃が通った空間には、引き千切られた静梦の上着が虚しく漂っていた。
ふわふわと。
恐らく蔵人であっても無傷で全てを掻い潜ることさえ困難な剣戟を、固有霊装を外しただけでその他一切の被害も無く避け、その上で接敵した。
これこそ、
だが匂宮静梦にしてみれば不可能なことではない。昔、
経験則から、不可能なことではない。
刹那の瞬間に、走行中に外された【悪衣】の拘束具が宙を舞う。全力疾走から生み出される速度はそのまま忍者の如く後ろに引き絞られた両腕に集中する。
そして蔵人と衝突する0.1秒で緊急停止し、完全に止まった下半身とは裏腹に慣性の法則を受けた上半身―――正確には後ろに回していた両腕が勢いよく左右から振り下ろした。
「
動きだけならば唯の平手打ちだ。
か弱い女の、平手打ち。
だがここで『匂宮静梦』と固有霊装【悪衣】――否、【悪衣悪食】が重要なファクターとなる。
固有霊装とは本来、伐刀者が身に纏い、或いはその手に携え攻撃手段の一つとして扱うもの。それをあろうことか―――唯の拘束に使うだろうか。いや、今はそのことについて議論する暇も無い。つまりそちらではなく、何故拘束しなければならなかったのかについて考えなければならない。
とはいえ、答えは出ている。
「うゥ――――おおおおおオォォオおオォォおおおお!!!」
咄嗟に蔵人は手元の【大蛇丸】の振るい方を変えた。間合いの内の内に入ってきてしまった以上は迎撃も難しく、恐らくそれさえも静梦にとっては予測の内だろう。
だからその予測を超越するために、【大蛇丸】を地面に突き刺した。
「!」
刹那、【大蛇丸】のしなり具合を横目で捉えた静梦が目を見開く。だが慣性の法則はそのままに、静梦の異様に長く見える両腕は目の前で交差し――
蔵人の薄皮一枚を裂いて、空振った。
(もらった! これで!)
まるで三球三振のヘボバッターのスイングを目の当たりにしたような優越感、虚脱感。生命の危機を目の前に、死神の鎌から逃れた安堵感をそのままに、蔵人は奥歯を鳴らした。
なんということはない、鞭のように空間そのものを食い破る広範囲な攻撃法である『八岐大蛇』から唯の地面への刺突に変更し、有っ丈伸ばした【大蛇丸】によって蔵人は1秒前に存在した空間の一歩後ろへと移動していた。
反射速度0.05秒を優に超える
(終わりだ!)
死中に活あり。危機転じて好機と成る。蔵人からすれば今は絶好の好機だった。最大の必殺技を外した。体勢も崩れた。第二の攻撃に移るにも時間が掛かるだろう、その隙に引き戻した【大蛇丸】の一打を浴びせるには容易い。
一人が危機から脱して好機になったならばその逆も然り、静梦は
そう。
従来の匂宮静梦であれば、死が確定していたであろう。
▼ △ ▼ △ ▼
かの者の失敗は、必殺技であった。
必殺技とは字の通り必ず殺す技である。出た瞬間には相手の死を運命付ける一撃でなければならない。
確かに破壊力は申し分無かった。力も、技術も、実力も、匂宮雑技団として歴代最高峰と語り継がれることだろう。
かの者の唯一にして最大の汚点は、殺し屋らしく一度殺すと決めた相手を殺せずして斃れたことである。故に、静梦は慢心しない。止まらない。常に己を超え続ける。
「
静梦が放った一撃は確かに空振りに終わった。尋常ならざる速度で放たれたただの平手打ちは蔵人の目の前で交差し、振り抜き、その威力が日の目を見ることはなく終わった。
だが、問題はそのあと。
(な、体が)
前方の空間が軋みを上げる。人間の身体で、生身で繰り出されるにしては速すぎる平手打ちは二人の間の空間を根刮ぎ掻っ攫い、限定的ながら真空状態を生み出した。
世界とは調和が常だ。欠けてしまった場合は元に戻ろうとする修正力が働く。この場合、ごっそり欠けてしまった空間を補う為に、周囲の空間の空気を薄めてまで補填しようという動きがあった。
つまり、今現在『一喰い』を空振った空間のすぐ近く、蔵人を含む周囲一帯が強引に引き寄せられていた。
これはかの『夜叉姫』の重力制御ほどではないが、地上で引き起こされる真空現象の最大出力である。
(避けられねぇ!)
かの者は隙の多過ぎた必殺足り得ない技を持ったのが失敗だった。
匂宮静梦は反省と研鑽を繰り返し、真の奥義を編み出した。
交差した手のひらが裏返り、その全てが引き寄せられる蔵人へと向けられる。0→100状態の加速から繰り出される奥義『一喰い』。その
「『暴飲暴食』」
飲んでも飽きぬ、喰っても飽きぬ、為れば御心の気が済むまで飲んで喰って唄い続けよ。
まるで両の腕を人間大の鋏と連想させる、匂宮静梦の必殺技は。
隙の生じぬ、二段構え。
「獲った」
首が舞う。
喉から肩を通り、胸元までごっそりと。
誰かの甲高い悲鳴が響き。
遅れてぷしゃりと、鮮血が噴いた。